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強がり令嬢は甘くみだらに躾けられたい 光属性の騎士団長が圧倒的独占欲で離してくれません 1

第一話


 夜は深く、礼拝堂の空気はしんと冷えていた。
 高い天井を支える大理石の柱に飾られているのは、リューネブルク侯爵家を示す赤い獅子の紋章を刺繍した旗だ。
 祭壇に奉られたリュス神の彫刻が、蝋燭の炎に照らされている。右手に天秤、左手に剣を携えたリュス神は、右に慈愛と左に憤怒の、ふたつの頭と顔を持っている。
 繊細に編まれたレースを頭にかぶった少女が、祭壇の前に跪いている。
 彼女の名は、リアンヌ。
 アルヴェリス王国──リューネブルク侯爵家のひとり娘である。
 レースの端から零れ落ちた髪は、赤い巻き毛だ。襟元と袖に金をあしらった白のドレス姿が清楚で、控えめなスクエアネックの胸元から覗くのは華奢な鎖骨である。
 十六歳の誕生日の深夜、リュス神の宣告の儀式の場であった。
 太い柱の向こうに立つのは、家紋の刺繍を施したマントを羽織った両親だ。娘がリュス神のお告げを受ける様子を見守ってくれている。
 ──宣告の儀式っていっても、リューネブルクの家で『光(ドム)』じゃなかったことってないっていう話だし、私も間違いなく『光』よね。『光』は命じる者で、地上を歩く者。『影(サブ)』は命じられる者で、『光』のしもべとなって足もとを這う者だって、お父さまはおっしゃっていたわ。
 この世の人間は四種類に区分けされている。
『光(ドム)』と『影(サブ)』。
 それから少ないながら『半影(スイッチ)』という『光』でもあり『影』でもある者。
 さらに、それら以外の、どれにも属さない『無印』の人びと。
 リュス神は、人の魂を計測し、区分けする。
 そして、アルヴェリス王国において、貴族、王族は、ほとんどが『光』を身体に携えて産まれてくる。
 リュス神に仕える聖示官のアンナが、手提げの香炉を揺らしながら、リアンヌのまわりをゆっくりと歩く。
 アンナは五十台半ばの女性で、王族や高位の貴族たちのもとに出入りする宮廷付き聖示官である。
 長身で、ふっくらとした分厚い身体をローブで包んでいる。茶色の髪はひっつめて結び、布の帽子をちょこんと上にかぶっている。鳶色の目は思慮深く、穏和で、いかにも聖職者といった風情である。
 リアンヌの目の端で、アンナの灰色のローブの裾がちらちらと揺れている。コツコツという靴音が響き、香炉から漂う甘い匂いのついた薄い煙が、リアンヌを取り巻いた。
 リアンヌの姿を縁取るようにまとわりついていた白煙が消えると、聖示官が静かに呼びかけた。
「リアンヌ・フォン・リューネブルク──顔をあげてください」
「はい」
 聖示官がリアンヌの顔を覆っていたレースに指をかけ、捲った。
「汝の額のリュス神の天秤の刻印が、香の魔術をもって、いま、いっとき、露わになった」
 語りかける聖示官の眉間にくっきりとしわが刻まれている。
 こんな難しい顔をしたアンナをリアンヌは見たことはない。
 母が熱心な信徒なため、リアンヌは物心つく前から、週に一度、リュス神の礼拝に通っていた。リアンヌの知る聖示官は、優しく、気が長く、懐が深い。しかも、あらゆる悲劇を喜劇としてとらえ、笑える強さを持っている。
 そんなアンナがここまで神妙な顔つきをしているのは、どうしてだろう。
「汝は──『半影』なり」
 聖示官が低くそう告げた。
「……え?」
 リアンヌは思わず聞き返した。リュス神の宣告の儀式で、聞き返すなんて、もってのほかなことはわかっているのだけれど、問い質さずにはいられなかった。
「以降、汝は、『半影』の命を刻み、より強い光と巡り会えしときに光の下に仕えよ」
 ──『半影』って……『光』でも『影』でもない、めったに産まれない半端な属性って聞いたけど?
 半分だけ『光』。そして半分だけ『影』。
 日常は『光』の力を持ち、人びとに命じる側。けれど、自分より上位の『光』と巡り会った瞬間、その相手には無条件で屈してしまい『影』に転じるという希少な運命を持つ者だと聞いた。
「…………私が……『半影』ですって?」
 リアンヌの言葉をきっかけに、それまで黙っていた両親が駆け寄ってきて、聖示官に訴える。
「そんなはずはございません。聖示官さま。どこからどう見たって、リアンヌは『光』です。小さな頃から、気が強くて、喧嘩ばかりしてきた娘ですよ? 聖示官さまもご存じでしょう? 礼拝のたびに近所の男の子連中をみんなしもべにしてしまうお転婆娘。躾がなってないからこうなったのかもと私を悩ませてきたこの子が『半影』なわけはございませんっ。むしろ最強の『光』かと」
 母──エリザベートが、きっぱりと言う。
 おおむね同意だが、しかし母は、ちょっと言い過ぎではないのかとリアンヌは思った。気は強いが、喧嘩っぱやいわけではない。好きで喧嘩をしていたわけではなく、相手が理不尽なことを言ってくるから、力尽くで「言うことを聞かせ」ていただけだ。いまとなっては華奢で、小柄なリアンヌだが、幼少時は、男の子たちより成長が早く、同じ年の子たちより頭ひとつくらい大きく、力も強かったので。
「そもそもが我が一族から『影』が出たことは、一度たりともない。『半影』は半分とはいえ『影』に属する者。あり得ない。……聖示官どの、量りなおしをお願いいたします」
 父──アデルハルトは、いかめしい顔をし聖示官に訴える。
 けれど聖示官は重々しい口調で、返す。
「いえ、たとえ侯爵の願いであっても、リュス神の宣告の量りなおしはいたしかねます。リュス神は、人が、産まれ落ちたそのときに、目には見えぬ刻印を額にしるしてくださる。そのしるしは、変えようがない」
「でもっ、私は」
 リアンヌは反論を唱え、立ち上がろうとした。
 が──。
「リアンヌさま、リュス神の儀式の場です。リュスの聖示官として告げる。──お座りください」
 聖示官が片手をあげ、命じた。
 大声ではなかった。優しい言い方だった。昔からよく知る、思慮深い聖示官のアンナの声でしかなかった。
 なのに命じられた途端、リアンヌの身体から力が抜け、冷たい石の床に腰がぺたりと落ちた。しかも、あきらかに「命じられた」こと、そして「それに従った」ことで、自分の心の奥に不可思議な喜びを感じたのである。
「……っ、リアンヌ? なんで……あなた……なんで、座りなさいって命じられて、従ってしまうの。そんなの『影』のやることよ」
 母が、信じられないものを見る目でリアンヌを見つめ、つぶやいた。
「リアンヌ、いますぐ立て。立って、アンナに自分は『影』なんかじゃないってことを認めさせろ」
 父が怒鳴りつける。
「侯爵さま、おやめください。リュス神に仕えるわたくしは、宣告の儀式の香のかおりが消えるまでは、この場で、唯一にして最強の『光』の輝きを持つ。わたくしが命じて、それに従うのであれば──やはりリアンヌさまは『影』に属する者なのですよ」
 命じられたこと、そしてそれに無条件に身体が従ってしまったことに混乱し、リアンヌの身体が震えている。
 聖示官が床に座るリアンヌの肩に手をあて、覆いかぶさるように、抱きしめた。大丈夫だ、怖くないよと、宥め諭すように。
 背中を撫でられたことで、リアンヌはほっと息を吐く。
「どうか……リアンヌさま。落ち着いて聞いてください」
 ベール越しに頭を撫で、親が子をあやすようにして、アンナが言う。
「……ええ。大丈夫よ。落ち着いているわ」
 息を吸って、吐いて。
 アンナの腕のなかでリアンヌは呼吸を整える。
「さすがは、リアンヌさま。取り乱さず、冷静に私の話が聞けるのはご立派ですよ。いいですか──『半影』は珍しい属性です。でも『半影』は──というより、そもそもが『影』は、『光』に比べて劣っているわけではないんですよ。ですから、リュス神の導くまま、リアンヌさまは、リアンヌさまらしくお過ごしくださればそれでいいのです」
「私……らしく?」
「はい」
 そして、聖示官は、リアンヌをかばうように両親とのあいだに身体を差し入れ、リアンヌに背中を向け、すっくと立ち上がった。
 父が深く嘆息し「だが、純粋な『光』ではない」と、ささやいた。
 母は低い声で「貴族にも『影』が産まれることがあるって聞いたことはありますわ。でも、まさかリアンヌが、そうだなんて……」とつぶやいた。
 ──私が『影』に属していることを、お父さまとお母さまは信じたくないのだわ。
 そんな馬鹿なと狼狽えているのが、声音からひしひしと伝わってくる。我が子がたとえ半分であっても『影』だなんて。どうしてこんなことに……とふたりとも思っているに違いない。
「侯爵さま、リュス神は、各々の魂と運命を正しく導くために『光』と『影』を切り分けているだけなのです。『光』の皆様は誤解されていらっしゃるようですが、『光』の運命と『影』の運命は等しく尊い。優劣もなく、差もなく、どちらの立場が上ということはない。『影』としてなすべき運命がリアンヌさまの前に提示されるなら、きっと『影』としてでしか、なし得ない命を、リアンヌさまはリュス神から授けられたのですよ」
 ひそやかに告げる聖示官に、両親は無言になった。
「祈りましょう」
 聖示官が言う。
 リアンヌは自分の目の前にある聖示官の背中を見つめた。灰色のローブ。大きな背中。リアンヌは、身体をずらし、聖示官の背中からひょこりと顔を覗かせて、向こうにいる両親の様子を窺った。
「リアンヌさまのこの後の運命に、リュス神の幸あらんことを」
 聖示官に続いて、のろのろと胸の前で手を組み「幸あらんことを」と唱えた両親は、ふたりとも絶望の表情を浮かべていた。
 リアンヌの胸の奥がちくっと痛んだ。両親にこんな顔をさせてしまった。自分が『半影』だから両親は落胆したのだ。
 ──そんなのは、嫌よ。
 自分という存在が、親の信頼と希望を裏切ったのが許せないし、悔しい。
 かっと滾った感情のまま、リアンヌは、立ち上がる。さっきは命じられて座り込んでしまったが、リュス神の香木のかおりは薄められ、効力も消えてしまったのだろう。ちゃんと自分の足で立つことができた。
 ──決めた。お父さまとお母さまを悲しませたくないもの。私は、たとえ『半影』であっても、どんな『光』より『光』らしい女性になってみせる。
「お父さま、お母さま。大丈夫です。私はどのような属性として産まれたのだとしても、リューネブルク侯爵の娘です。誰よりも強く、誰よりも輝く、唯一無二の『光』の侯爵令嬢としてふるまってみせますわ。幸いなことに、ここにいるのは私たち四人だけ。私は、この後、アンナの導きによって『光』をしるされたと宣告し、まわりにそう伝えます。お父さまも、お母さまも、それをお望みですよね?」
 強い気持ちで断言したリアンヌの言葉を聞き、両親が顔を見合わせた。
「アンナ」
 リアンヌは、次に、聖示官の名を高飛車に呼び捨てた。さっき命じられて座ってしまったからこそ、いまは聖示官に対して、強く出るべきだと思ったのだ。
 聖示官が振り返る。
 リアンヌは自分を見下ろす聖示官を睨み上げ、続ける。
「あなた、私が『半影』なことは絶対に内密にしてくださいね? もしこの事実がどこかに漏れでたら、その情報源はあなただと見做して、そのまますぐに、どんな手を使ってでも私はあなたを」
 と勢いで言ってから、はたと困る。
 たぶんここは威勢よく、強い言葉と態度で挑むべきことだけはわかっているが、口にしてみたものの「どんな手を」使うべきなのか、なにひとつ思いつかなかった。
 ──ひどい目にあわせるわよ、みたいなことを言うべきよね。罰を与えるわよとか。なんなら殺してみせるわよみたいなことを?
 しかし、悲しいかな、リアンヌは無垢な侯爵令嬢であり、世事に疎い。悪辣な手管も、高飛車な言動も、咄嗟に思い浮かばないのだ。
 頭のなかで最近見かけたいろいろな悪しきふるまいを思い浮かべる。最近見たなかで、いちばん「ひどい」と感じた態度はなんだったろう。
 最終的にリアンヌは顎を持ち上げ、自分の細い首に指をあて掻き切る仕草をして、
「こうするわよ」
 と、きっぱりと言った。
 これは、リアンヌの家の従僕見習い同士が喧嘩をした際、勝った側が、負けた側にしてみせた「悪い所作」だった。きりっとした顔で首を掻き切るその様子が残虐そうで、妙に記憶に残っている。
 ──これなら強く見えるでしょう?
 リアンヌはできる限り強そうな顔を取り繕い、胸をそらした。
 どうしてか聖示官がくすりと笑った。母はこめかみに手をあててうつむき、父は困った顔で天を仰いだ。
「なんで笑うのっ」
 突っかかったら、母が「あなたにそのふるまいが似合ってなさすぎて……。子どもが、必死に背伸びして悪ぶっているようにしか見えないんですもの」と応じた。
「おまえはもともと、かわいいからなあ。いかめしい顔をすると、よけいにかわいらしさが際だつ。でも、強く見せるように努力したおまえの心意気は認める。私も、おまえが幸せになる道を支えよう。愛しい娘よ」
 父が困った顔のままそうささやいて、リアンヌの手を取った。
「でも、それこそがリアンヌさまが『半影』であるしるしだったのでしょうね。あなたは天然のチャームを持っていて、みんながあなたのふるまいに、つい、微笑んでしまう」
 聖示官が嘆息した。

 これが──どんな『光』より美しく輝いて生きると決めた『半影』の侯爵令嬢。
 あらゆる人びと──『光』も『影』も『無印』もすべての人びとを──強気と機転で打ち倒し、愛をもって生き抜いていく、リアンヌ・フォン・リューネブルクの誕生の瞬間であった。