暗殺令嬢のみだらな悩み わんこ騎士団長に懐かれすぎて任務失敗です! 2
散歩をする時、レイトリーンは先導しない。リードをただ握り、ニーシャの行き先についていく。
歩いていると、ニーシャがいきなり顔を上げた。
「ん? ニーシャ、どうかしたの?」
ニーシャは首を傾げるようにしながら、これまであまり訪れたことのない町の外れへと進んでいく。
「なんだかニーシャ、今日は色々と珍しい動きをするのね」
珍しく家にいたかと思えば、普段行かないようなところへ行こうとする。
少し不思議だけど、こういう日があってもいいかもしれない。レイトリーンは足元に転がる小石や道端に咲く名もなき小花を眺めながら、愛犬とともにひたすら歩く。
「わ、なに?」
雑貨屋の前を曲がると、ニーシャがぴたりと止まった。
鼻先をクンクンと動かして、なにかを探るようにしている。
(……まさか、昨日の残党とか?)
スカートの下に隠している専用武器に手をやりながら、素早く周囲の気配を探る。
先ほどより人通りは少ないが、静けさに満ちている、というわけでもない。
しかし、どれだけ気配を探っても殺気や敵意は感じ取れなかった。
「近くに敵はいなそうね」
警戒を解くと同時に、肩を竦めながらニーシャの頭を軽く撫でる。
「どうしたの? お腹でも空いた?」
手に持つ鞄には、干し肉と水が入っている。だが、鞄を軽く叩いてみせてもニーシャはそれに反応しない。
「違うの? でも、少し食べておいたら?」
ついでに自分も一緒に食べよう。そう思いながら干し肉を鞄から取り出そうとしたその時、遠くから複数の話し声と足音が聞こえてきた。
「この音は軍靴ね。警察隊かしら」
今はなにもしていないが、なんとなく警察隊が近くにいると思うと居心地が悪い。
レイトリーンは鞄から手を離し、近づいてくる足音の方向を見る。
「イウル、今日はなに食う?」
楽しそうに弾んだ声が、耳に聞こえてきた。視線の先には、三人の青年たちが談笑しながら歩いてくる姿があった。
「そうだなぁ、昨日が肉だったから魚かな。クリシュタ、お前は?」
「僕は魚がいいですね。今日は団長がお休みですし、魚にしましょうよ。団長がいると肉ばっかりですし」
──三人は背広やシャツ、作業着のようなつなぎなどそれぞれ異なる服装をしている。羽織っている紺碧のフロックコートは共通だ。
そして腰には銃や不思議な形状の武器がぶら下がり、コートの腕には紋章入りの腕章が巻かれていた。どこか崩した服装ながらも堂々とした雰囲気に、レイトリーンは思わず息を呑む。
(この人たちは遊軍騎士団……)
──遊軍騎士団。
ブリオングロード帝国には、第二皇子クルファー直属の「帝国守護騎士団」が存在するが、この三人はその守護騎士団の所属ではない。
守護騎士団は精鋭で構成されているため人数が限られており、騎士を必要とする事案で人手が足りない時には遊軍騎士団がその役割を代行することとなっている。
遊軍騎士団は帝国全土で六つあり、それぞれ魔法に特化した者や戦闘に優れた者などで分けられ、各団で異なる腕章を着用している。
その最大の特徴は、全員が平民で編成されていることだろうか。
(どこの所属なんだろう……あ、まずい、見すぎたかも)
無意識のうちに三人をじっと見つめていたことに気づき、レイトリーンはハッとして視線をそらした。だが時すでに遅く、青年の一人がこちらを向いた。
その鋭い視線にドキリとしながら、レイトリーンはその場を去ろうと急いでニーシャのリードをグイッと引っ張る。
「うっわー、可愛いワンちゃんだなぁ」
つなぎを着た黒髪の青年が、人懐っこい笑みを浮かべてレイトリーンたちのほうへ歩み寄ってきた。長身の青年はわざわざ膝を曲げてまで、ニーシャと目線を合わせている。
「可愛いって。よかったね、ニーシャ」
距離の近さに少し戸惑いながらも、とっさに愛想笑いを浮かべる。
青年が不愉快な顔をしていないということは、そこまで見つめすぎてはいなかったらしい。
「やめろよ、イウル。散歩の邪魔すんなって」
少し離れた場所から、背広の青年が焦ったように声をかけてきた。腕を軽く振りながら、レイトリーンに頭を下げる。
「そうですよ。ご迷惑です」
三人目の青年も慌てて駆け寄ってくる。
その様子に、レイトリーンはなんとなく微笑ましい気分になった。彼らはおそらく、〝一般人の女性〟を怯えさせてはいけないと思ったのだろう。だが、あいにくレイトリーンは騎士団に囲まれたくらいで怖がるような〝か弱い一般人〟ではない。
「いいえ、別に迷惑ではないですよ。褒めてくださってありがとうございます」
愛犬を「可愛い」と褒められて気を悪くする飼い主はいない。
むしろそれだけで、この見ず知らずの三人がものすごくいい人に思えてくるくらいだ。
ニーシャも褒められたことがわかったのか、嬉しそうに鼻を鳴らして、青年の手にすり寄っている。
「ニーシャ、ね。うんうん、よかったですねぇ、ニーシャくん。可愛いお嬢さんと一緒で」
イウルと呼ばれた若い騎士は、よほど犬が好きらしい。ニーシャの毛並みをわしゃわしゃとかき回しながら、まるで内緒話をするように耳元でなにかと話しかけてくれていた。
レイトリーンも愛犬にはよく話しかけている。青年の振る舞いは、愛犬家として見ると非常に心地よい対応(もの)だった。
「犬、お好きなんですか?」
気づくと、青年に話しかけていた。
「え? いや、好きってほどじゃあないかな。まぁ、まずくて食べられないってことはないし犬種や年齢によっては脂がのって柔らかいこともあるし。でもこのニーシャくんは好きだよ」
──食べられない? 脂がのって、柔らかい?
「……あの、今なんておっしゃいました?」
たった今、耳にした言葉が信じられず思わず訊き返してしまった。
「あ、犬が好きかって話だろ? 以前さ、腹が減りすぎてふらふら歩いてた野犬を食ったことがあるんだよな。痩せてて肉がほとんどついてなかったけど、その時のオレにはなによりのごちそうだったなぁ。あ、今はもう食べないよ? だって──」
「……ごめんなさい。失礼します」
わかっている。世界には犬を食べる習慣のある国もあるし、国の文化を責めるつもりはない。
この青年はよく見れば、ブリオングロードの人間とは少し顔が違って見える。ひょっとしたら、そういう文化のある国の出身なのかもしれない。
けれど心情として愛犬を近づけさせたいか、というと、それは絶対に嫌だ。
「えー、もっとニーシャくんと触れ合いたかったなぁ」
「ふざけるのもいい加減にしろ。もういいだろ、やめろって」
「そうですよ。早く食事に行きましょうよ」
仲間の騎士たちの顔に段々と苛立ちが浮かんでくるのがわかった。
(お仲間は常識があるみたいでよかったわ)
犬連れの前で犬を食べた話をするなどという無神経さは、仲間ですらイラッとさせるらしい。
どこか救われたような気持ちになりながら、レイトリーンはニーシャの引き綱を引き黒髪の青年から完全に距離をとった。
「あー、そっか。ごめんね、お嬢ちゃん。でも本当にもう、犬は食ってないから」
青年はへらへらと笑いながら、後頭部をがりがりと掻いた。
「……そういう問題じゃないのよ」
相手に聞こえないよう、ごく小さな声で呟く。
怒りに気づかれないよう愛想笑いは継続しつつ、その場を立ち去ろうと背を向けたその時。
ふと、青年のフロックコートの右袖に縫い付けられた腕章が目に入った。
──多翼を持つ銀の鳥。
左右に二枚ずつの銀翼。それに加え、左翼には一枚だけ、黒い翼が混じっている。
(《五翼の霊鳥》じゃない……! じゃあ、この人たちは《シンフェイン》の団員!)
レイトリーンは驚愕に目を見開いた。
《シンフェイン》とは遊軍騎士団の一つで、戦闘力は群を抜いて高いが全員がこのブリオングロード帝国で崇拝されている〝霊鳥イザルト〟の呪いを受けている、と言われている。
四枚の銀翼を持つイザルトを模していながら一枚だけ不吉な黒羽が混じったこの紋章は、憧れや尊敬とは程遠く畏怖の対象として見られているのだ。
「……うちの犬を可愛がってくださって、どうもありがとうございました」
ほんの少しの嫌みを含めながらも、とりあえず頭を下げてそそくさとその場をあとにする。
昼食について話し合っていたことから、この近くに彼らの詰め所があるのかもしれない。
「やだ、変な人たちと会っちゃった。怖かったね、ニーシャ」
「クゥン……」
ニーシャはレイトリーンを見上げ、なんともいえない鳴き声をあげた。耳はぺったりとしおれ、いつも勢いよく振られている尻尾はだらりと下がっている。
仲間(いぬ)を食べたことのある人間に触れられ、なにかを察していたのかもしれない。
「もう、あそこには近寄らないようにしようね。彼らにかけられた呪いがどんなものかわからないけど、周囲を巻きこまないとも限らないもの」
レイトリーンは自らが後ろ暗い仕事をしていることもあり、なんとなくおまじないというか〝予兆〟というものを妙に気にしてしまう。
これからも、命にかかわるような危険な仕事をいくつもこなさなくてはならないというのに、〝呪われ騎士団〟の面々とこれ以上かかわりあいたくなどなかった。
「ただいまー」
どっと疲れた身体を引きずり、帰宅したレイトリーンは肩をぐるぐると回しながらニーシャを連れてキッチンへ向かう。
足を踏み入れたとたん、ふわりとバターの香りが漂った。
「ニーシャ、おやつでも食べる?」
「ワン……」
愛犬はお座りをしながら尻尾で床を叩いている。
「あら、いらないの? わかった。じゃあ、紐を外すね」
レイトリーンはニーシャのハーネスを外してやった。ニーシャはそのまま、勢いよく走り出していく。
「つかの間のお休みなんだもの、のんびりしないとね」
レイトリーンはキッチンに入るとすぐ、横にある食糧庫でなにか食べるものを探し始めた。
「……ナッツの砂糖衣しかないじゃない。入ってきた時にしたバターの香りはなんだったのよ。なにかあると思ったのに」
ぶつぶつと文句を言いながら、ナッツの小瓶を手に取る。おそらく、しょっちゅうお菓子を食べている妹が仕事の前にクッキーでも食べながら歩いていたのだろう。仕方ない、とナッツを口に放り込みながら、キッチンの奥へと進む。
サウラ家は〝伯爵家らしい伯爵家〟だった名残で、キッチンはそれなりのレストラン並みに広い。四人暮らしには広すぎるが、母と妹と三人でお菓子や料理を同時に作ることもできるし、紅茶や珈琲を淹れてその場でのんびり飲むこともできるため便利な面もあるのだ。
「でも、せめて料理人くらいは雇いたいなぁ」
サウラ家は貧乏伯爵家と思われているが、危険な仕事と引き換えに手に入る報酬は毎回かなりの額になる。
それに〝表の仕事〟の骨董店での収入もわずかながらあるため、正直なところお金にはまったく困っていない。家族四人と愛犬ニーシャとの暮らしだと、じゅうぶんすぎるくらいの資産はある。
ただ、〝裏〟で請け負っている仕事が仕事なため、家族以外の人間を屋敷内に入れづらいのだ。
広い屋敷は掃除も大変で、欲を言えば掃除人も欲しい。しかしそこは母が毎日せっせと掃除をしてくれるおかげで、使っていない部屋も含めてすべて清潔に保たれている。
「レイリー? 帰っているの?」
小鍋で紅茶の茶葉を煮ていると、遠くから母の声が聞こえた。
「母さん! 今、キッチンでミルク紅茶を作ってるとこ!」
「わかったわ、今行く!」
母が来るなら、と鍋の中にミルクと茶葉を足しておく。
ミルクたっぷりの紅茶をカップに注いだところで、母がキッチンに入ってきた。
「お帰りなさい、レイリー。オーブンの中にバターケーキがあるわよ」
「えっ、本当!? やった、バターの香りはこれだったのね。……でも、どうして? 大好物は、一回のお仕事につき一つじゃないの?」
母は優しく微笑みながらオーブンの窓をコンコン、と叩いた。
「朝食は仕事を終えた人の好きなものを作る、というのが決まりになっているだけよ。娘たちの好きなものは、いつでも作ってあげたいじゃない」
「嬉しい! ありがとう、お母さん」
母の作るバターケーキは抜群に美味しい。チョコレートやナッツが入ったり果実ジャムを混ぜたりレモンの皮が使われていたり、と様々な味でケーキを作ってくれる。
思わぬご褒美に、レイトリーンの顔がぱっと明るくなった。
「今日はなんのバターケーキ?」
「ラム酒のケーキよ」
オーブンの扉を開けると、ふんわりとした焼きたてのかぐわしい香りが一気に広がった。
「はぁ、いい香り……」
きつね色のバターケーキは表面にうっすら艶のある焼き目がつき、まだほんのりと温かい。
「切っていい?」
「いいわよ」
はやる気持ちを抑えながら、ナイフでケーキを切り分けた。湯気とともに立ち昇るバターとラム酒の豊かな香り。胸いっぱいに吸い込むと、それだけで幸せな気持ちになる。
「いただきまーす」
さっそく、バターケーキを口に運ぶ。
しっとりとした生地が舌の上でほどけて、バターのコクと程よい甘さが口の中いっぱいに広がる。頬を押さえ、うっとりとするレイトリーンの前で、母がくすくすと笑っていた。
「あなたもブローも、本当に美味しそうに食べてくれるわね」
「だって美味しいんだもの。ねぇ、〝表〟の仕事、骨董店は私たちがやるからお母さんはケーキ屋をやるなんてどう?」
「あら、いいわね。フィスに相談してみようかしら」
──母がケーキ屋を営むというひそかな夢を抱いていることを、レイトリーンは知っている。
ひょっとしたら父も知っているかもしれない。だが、現状その夢を叶えるのは不可能だ。
ケーキ屋を母一人で切り盛りするのは不可能だし、骨董品の買いつけだのなんだのと理由をつけて店を閉めることができなくなる。
ただ、レイトリーンは母に夢を諦めて欲しくなかった。いつかは絶対に母の夢を叶えたいと思っている。だからこそ時々こうして話をふって、母に夢を諦めさせないように仕向けているのだ。
「今日はこの辺でやめておこうかな。本当は全部食べちゃいたいけど、ブローニッドに殺されそうだから我慢しとくわ」
「ふふ、そうね。食べ物の恨みは恐ろしいというわ。大丈夫、また焼いてあげるから」
微笑む母は、優雅に紅茶のカップを傾けている。
レイトリーンはフォークを静かに置き、一呼吸おいて母の顔を見つめた。
「……お母さん。明日の朝は、胡桃と干し葡萄のケーキがいいな」
バターケーキはともかく、母がレイトリーンを探していたのは新しい仕事が入ったからだ。
「まぁ、レイトリーンったらわかっていたのね。そうなの、書斎の掃除をしていたら〝水〟が光ったものだから。その前にブローが別の依頼を確認して出ていった直後だったし、とても驚いたわ」
「察しがよくないと生きていけないもの。それで、ブローに来た依頼ってどんなのだった?」
「昨日のあなたと同じ感じね。ドゥーンフォルト社に侵入して研究者名簿を盗んでくるように、とあったわ」
「あー、そっちがよかったなぁ」
この程度の内容なら、妹であれば夕方には帰って来るだろう。
「それにしても、こんなに立て続けに仕事が入ることなんてないからちょっと嫌な予感がするわ」
依頼は父、レイトリーン、ブローニッドの順番でこなしていく。
昨日はレイトリーンの番だったから、次の依頼はブローニッドが受けた。その次は通常なら父のはずだが、父は朝から昨夜の報告のために宰相のもとに行っている。
だから依頼が入った場合、必然的に対応するのはレイトリーンになる。しかし一日も経たないうちに自分の順番が回ってくるとは思ってもみなかった。
「とりあえず、依頼を取ってくる。ニーシャ……はいないんだった、自分で行かなきゃならないのね」
ちなみに裏稼業をしている家は、サウラ家だけではない。
したがって各家が独自の依頼方法をとり、依頼被りや勘違いが起こらないよう工夫している。
昨日の任務のように直接依頼を持ち込まれることもあるが、そのほとんどは宰相からの個人依頼だ。
基本的にサウラ家への依頼は、屋敷の東側にある森の中の池に依頼内容を書き込んだ羊皮紙と前金代わりの金剛石(ダイヤモンド)を黒山羊の革袋に入れて放り込むだけ。
インクにも指定があり、黒鋼石を粉末にしたものを魔獣《骨喰烏賊(ほねばみイカ)》の墨で溶いた特殊な魔溶インクを使わなければならない。
池に〝依頼〟が放り込まれたら溶け出した魔溶インクが反応し、書斎に置いてある泉の水が入ったガラス瓶が光る仕組みになっている。
それまでは自分たちで池に飛び込み〝依頼〟を拾いあげていたが、ニーシャが来てからは彼に取りに行ってもらっていた。
「……あ、そうか。私がニーシャを連れて散歩に行っちゃったからブローは自分で依頼を取りに行ったのね。潜ったことなんてほとんどなかったでしょうに、悪いことしちゃった」
だが、母は笑って首を振った。
「そうでもなかったわよ。むしろわくわくした顔で潜水服を着ていたわ」
「そう? それならよかったけど」
妹は常に楽観的で前向きだ。考えすぎる面のあるレイトリーンからすると、羨ましいと思うことも多い。
「じゃあ、私も潜水服に着替えてくる。すぐに戻ってくるわ」
「えぇ、気をつけていってらっしゃい。お父さんが帰ってきたら、あなたたちが二人とも依頼を受けたと伝えておく」
「うん。明日の朝は大忙しだね、お母さん」
──レイトリーンはキッチンを飛び出し、二階にある自分の部屋に駆けだしていく。
先ほどまでの不安は消え去り、頭の中は明日の朝食になにを作ってもらおうか、ということでいっぱいになっていた。
数時間後。
静まり返る父の書斎で、レイトリーンとブローニッド、両親の四人は依頼の書かれた羊皮紙を取り囲んでいた。
「お父さん、依頼(これ)、どうするの……?」
──依頼書に書かれていたのは『遊軍騎士団《シンフェイン》団長ディアミッド・ウィスカの暗殺』の一言だけ。
黒山羊の革袋の中には、驚くほど大きなダイヤモンドが三個も入っていた。前払い金としては、破格の金額になる。
「……これは、詳細を調べておいたほうがいいな」
「うん、私もそう思う」
「だね。お姉ちゃんが標的に接触して時間を稼いでる間に、わたしとお父さんで依頼主を調べるよ」
暗黙の了解として、依頼主が誰なのか調べるのはご法度だ。
だが例外もある。
依頼書の記載が極端に少なかったり、明らかな虚偽が見てとれる場合。
そして、子供を標的にしたもの。こういった依頼は裏がある可能性を考え、事前に依頼主を調べてその素性を把握しておく。
依頼自体はひとまず受ける。それはサウラ家の信用問題にかかわるからだ。
ただし依頼というものは、当然だが依頼主がいなければ成立しない。サウラ家では危険と判断した仕事やどうしても遂行がためらわれる場合などは、依頼自体を〝なかったこと〟にする。
つまり、逆に依頼人を消してしまうのだ。
この方針は裏稼業を請け負うようになった時からのサウラ家独自の方針だと聞いている。
それは皇帝の命令とはいえ汚れ仕事をやらざるを得なくなった、当時の当主の意地でもあったのかもしれない。
「……待って。調査は私がやる。父さんとブローは他の依頼が来た時のために待機しておいて」
「え、大丈夫? お姉ちゃん」
「うん。ちょっと気になることがあるのよ」
そう言うと、レイトリーンは机の上に転がるダイヤを指でつっついた。
「うちへの依頼方法。羊皮紙に骨喰烏賊の魔溶インク。ダイヤモンド。どれも用意するだけで、けっこうな値段がする物ばかり。成功したら最低でも金貨十枚を支払ってもらうし、追加料金をもらうこともある」
──この方法にした理由は高額な品を必要とすることにより、そう簡単に仕事の依頼が来ないようにするためだ。
「それなのに、すでにダイヤを三つも寄越してきた。あの大きさと透明度を見たでしょ?これだけで、相手の素性が薄々わかるじゃない」
「そっか! それだけの財力がある家で、《シンフェイン》に恨みを抱きそうな家、ってことね」
「そういうこと。賢いわ、さすが私の愛するブロー」
「ちょっとぉ、からかわないでよね」
姉妹でじゃれ合いながら、ふと父の顔を見る。父は顎に手をあて、なにやら思案顔になっていた。
「お父さん? もしかして、なにか心当たりでもあるの?」
「いや、ドリーチェ侯爵家のご長女が隣国レーヴに嫁ぐ時、国境までの護衛を請け負ったのが《シンフェイン》だった気がするな、と思って」
「ん? 待って、ドリーチェ侯爵領には、確か──」
記憶を呼び覚まそうとこめかみを押さえるレイトリーンの前で、父は机に転がるダイヤを一つ、手に取った。
「あぁ。大規模なダイヤモンド鉱山がある」
「そうだ、鉱山! じゃあ、このダイヤがドリーチェ侯爵領のだとしたら依頼主は」
父はゆっくりと頷く。
「ドリーチェ侯爵である可能性は高いな」
「うーん、侯爵家か。でもなんで暗殺? ちょっと突き抜けすぎじゃない? 騎士団長がなにか失態をしたのかもしれないけど、そうだとしても普通に騎士団(シンフェイン)を訴えればいいだけの話じゃないのかなぁ」
レイトリーンも、その意見には賛成する。
「そうね。遊軍騎士団は一応それぞれ独立した組織ではあるけど、そもそも遊軍騎士団なんてものを創設したのは皇家。だからなにか起きた時に皇家がまったく責任を取らない、というわけにはいかない。それにもかかわらず、まず皇家に訴えるでもなくいきなり暗殺依頼だなんて怪しさ満載よね」
姉妹は頷き合ったあと、同時に父を見つめてその指示を待つ。
「そうだな。では父さんはドリーチェ侯爵家について調べてみよう。ブロー、お前は店に出ておいてくれ。ただし、他の依頼が入ったら即座に対応。ミアン、キミは基本的に家で待機。もし依頼が入ったら、ブローと交代して店を頼む」
「了解、父さん。やばそうな案件が連続することはないと思うけど、なにかあったらすぐ報告するね」
「えぇ。あとのことは任せて、フィス」
素早い父の指示に、母も妹も慌てることなく頷いている。
「お父さん、私は変装して上流階級が集まるパーティーに顔を出してみようと思うの。ああいう場は、噂話の宝庫だもの」
「あぁ、頼む。普通では聞けない話が聞けるかもしれないからな。そうだ、最近はそんな必要がなかったから新しいドレスを用意していなかっただろう。流行のドレスを買いに行っておいで、レイリー」
引き出しから金貨の入った袋を取り出そうとする父の手を、レイトリーンはそっと押さえた。
「大丈夫、手持ちのドレスでいけるから。どうせ見た目を変えているんだから同じドレスを着ていたところでばれやしないわよ」
それに、下手に流行りのドレスを着て人目を引くのはよくない。
交流目的ではなく情報収集に行くのだから、むしろ周囲に溶け込むような見た目のほうが望ましいのだ。
「地味すぎても派手すぎても記憶に残ってしまう。誰かと話した記憶はあるけれど、どんな見た目だったか覚えていない。そんな感じを目指して変装するわ。シンプルなレースのストールに、大きめの石がついたブローチ。〝私〟のことを思い出そうとしたら、まずブローチを思い出す」
レイトリーンの頭の中で、服装の組み合わせが瞬く間に完成する。
「部屋に戻って準備してくる」
──皇都には酒や音楽を楽しむことのできる店が二軒ほどある。そのどちらかで、毎晩のように貴族や富裕層が集まるパーティーが開かれている。潜入するなら、早いほうがいい。
「あ、そうだブロー! ニーシャが帰ってきたら、ご飯の用意をよろしくね!」
「はーい! わかったぁ」
軽快な妹の声を背に、レイトリーンは自室に急ぎ足で向かう。
──別に、簡単な任務だと思っていたわけではない。
依頼を受けるに値する理由があれば、ディアミッド・ウィスカは暗殺する。侯爵家のほうに過失があるなら、侯爵家の依頼人を消す。
どちらにしても、完遂させるには相当な苦労をすることだろう。けれど、自分たち一家ならこなせる。そのくらいのことは考えていた。
それがあんなことになるなんて、この時のレイトリーンは予想だにしていなかった。