傾国美女はやりなおしたい! 破滅回避の契約結婚のはずが、冷酷宰相にめちゃめちゃ溺愛されています 3
ジョシュア・ウィンスソーン二十八歳……。
年の離れた兄である先代国王と、その妃が流行病で相次いで亡くなって以降、若くして国王となった甥スチュワートを守ることを優先してきた。
(油断すると財務大臣ギャラガーの傀儡になりかねん。……だからといって、私の言うことだけを聞く意志薄弱な王にはなってほしくない……)
スチュワートには、二つの派閥のいいとこ取りをするような、したたかな王をめざしてほしかった。
新国王の即位から、半年……。
教育の成果が少しずつ表れている実感を覚えていた頃、ジョシュアは不穏な気配を察知した。
最初にその情報をもたらしたのは、宰相補佐官のキース・ディロンだった。
ジョシュアより二つ年下の彼は、下級貴族出身だが文官登用試験に首席で合格した秀才で、働きぶりも真面目だ。
ジョシュアが最も頼りにしている者だった。
「国王陛下が、とある令嬢にご執心という噂がございます。……こちらをご覧ください」
キースが簡潔にまとめてある資料を、ジョシュアの執務机にそっと置く。
急いで目を通したジョシュアは、ショックのあまり目眩を覚えた。
「ラヴクラフト男爵令嬢? ギャラガー侯爵の息がかかった相手だと……?」
肩書きだけで、その令嬢が王妃にふさわしくないとわかってしまう。
ラヴクラフト男爵家の者は、高位貴族たちが集まる社交の場には招かれない。つまり国を動かしている者たちとの人脈が一切ない家なのだ。
そんな令嬢が王妃となり、彼女の後ろ盾がギャラガー侯爵だったら、どうなるのか。
王妃はもちろん、弱い妻が宮廷内でつつがなく過ごせるように、スチュワートまでギャラガー侯爵の言いなりとなる未来が容易に想像できる。
ギャラガー侯爵の派閥に属する者すべてが悪いというわけではない。
せめて王妃となる女性とその親に、一定の政治的発言力があり、善悪を判断できる分別があるのならば……。
ジョシュアは、甥の優しすぎる性格を、美点であり弱点でもあると考えている。
妃となる女性には、彼を支えられる強さがないとダメなのだ。
力のない男爵家の出身というだけでエディス・ラヴクラフトは失格だった。
(それに宮廷内における王妃の権力は……婚姻の際の出資額に比例する。男爵家には借金があるというではないか)
身分の低い者が王族に見初められて幸せになるのは、物語の中だけだ。
少なくともこの国では、婚姻に関連してどれだけ国と王家に貢献できたかで、王妃の宮廷内での発言力が変わってくる。
花嫁衣装はもちろん、結婚式の費用はほぼ女性側の負担となり、持参金も必要だ。
豪華な式を挙げても、王妃側の個人資産が使われているだけならば国民から不満は出ないだろう。
むしろ、財産を持つ家の女性が王家の一員となったことを、民は歓迎するのだ。
だから、エディス・ラヴクラフトは王家に迎え入れてはならない人間だった。
「その噂が、これまで私のところに入ってこなかったのが問題だな」
スチュワートがエディスを宮廷に招いているというのに、ジョシュアはその事実を知らなかった。
おそらくギャラガー侯爵が助言し、スチュワートが意図的に隠したのだ。
「あちらもなかなかに統率が取れているということでしょう」
さらに探りを入れると、スチュワートとエディスが、とある伯爵家の舞踏会に参加するという情報が得られた。
甥を守るため招待状を入手したジョシュアは、隙を見てエディスと接触した。
エディス・ラヴクラフトは、黙っていれば繊細で儚げな印象の美女だ。
けれど会話をすると表情が豊かで、幼さの残る元気のよい令嬢となる。
(これは……陛下が一目惚れするのも仕方がないな……)
見た目が魅力的であることは、ジョシュアも認めざるを得なかった。
そして彼女はギャラガー侯爵の思うがままに操られる意志を持たない人形というわけではなかった。
意外にも聡明で、自分が王妃となる資格がないことを理解しているだけではなく、ギャラガー侯爵の思惑まで察しているようだ。
(なるほど……断る力を持たないという彼女の言葉はもっともだ……)
スチュワートは結婚を無理強いするタイプではないが、ギャラガー侯爵は違う。
都合のよい駒が仕事を放棄したら、家ごと潰しにかかるだろう。
だから、エディスにスチュワートを諦めてもらう代わりに、ジョシュアの花嫁となる提案をした。
どうやらエディスはスチュワートの幸せを本気で考えているみたいだ。
ジョシュアからの提案も、愛が伴うものではないと承知の上で、スチュワートのために応じようとしている様子だった。
(ここまで賢いのなら……もしかしたら、王妃となってもうまく立ち回れるのではないか? 私に、二人を引き離す権利が……本当にあるのだろうか?)
エディスにはそう思わせる思慮分別があったのだが……。
ところが彼女が急に「私は傾国の美女だ」と言いはじめたのだ。
ジョシュアはわけがわからなかった。
彼女はそれなりに洞察力はありそうなのだが、自分のことを「顔だけ」だと断言する。
容姿にだけやたらと自信を持っていることからも、彼女が思ったままの言葉を口にする、謙遜とは無縁の人間であることは明らかだ。
(エディス・ラヴクラフト……掴み所がなさすぎる!!)
国と王家を守るためだけの政略だとしても、彼女は近い将来ジョシュアと結婚するのだ。
なんとなく彼女に振り回されそうな予感がしつつも、ジョシュアは動き出す。
(私の目的はエディス・ラヴクラフトを王妃にしないこと、そしてあちらの願いは、彼女自身とラヴクラフト男爵家の保護……そのためにできる最善を……)
ひとまずは、スチュワートへの報告が必要だった。
だから舞踏会の数日後、執務が終わってからスチュワートに謁見を求めた。
宰相として国王を支える立場のジョシュアは、執務中にいくらでもスチュワートと会う機会がある。
それなのにわざわざ正式な手順を踏んで時間をもらったのは、これが私的な報告だからだ。
「陛下……お時間をいただき、誠にありがとうございます」
「叔父上は本当に真面目だよね? 宰相としてではない報告があるということだろうか?」
「そのとおりです。じつは、先日の舞踏会で私は運命の女性に出会ってしまったのです。これから婚姻の手続きを進める前に、陛下にお伝えするべきだと考えました」
「そ、そうか。これまで叔父上には苦労をかけたから、もちろん応援したいのだが……相手はどこのご令嬢だろうか?」
だんだんと、スチュワートの表情が曇っていく。
おそらく彼は、ジョシュアとエディスがダンスをする場面を見ていたのだろう。
「ラヴクラフト男爵家のエディス殿です」
ジョシュアが静かに告げた直後、スチュワートが機嫌を損ねたのがわかった。
「叔父上は……私がエディスを好いていることを……知らなかったのか?」
「申し訳ございません。求婚するまで、存じ上げませんでした」
これはもちろん嘘である。
甥に対し誠実でいられないことに罪悪感を抱いても、ジョシュアに迷いはない。
必要ならば、嫌われ役になる覚悟があった。
「確かに、叔父上には話さなかったが……でも……噂くらい、耳にしていてもいいはずだったのに……」
「残念ながらあとから噂を知りました。……エディスが王宮に二度招かれている事実を知ったのも昨日です。おかしな話ですね?」
「そ……それは……」
国王の予定を、宰相が把握していないはずはない。
けれど不自然なことに、ジョシュアは報告を受けていなかった。
スチュワートがエディスを宮廷に招いた日に限って、ジョシュアは不在だった。
要するに、ジョシュアが視察などで宮廷を離れる日に合わせて、エディスの訪問があったらしい。
しかも公には彼女自身の名で招かれておらず、ギャラガー侯爵派の貴族の随行者となっていたのだ。
「なぜ、ご相談くださらなかったのか……」
これはスチュワートを責める言葉だ。
彼がジョシュアに黙っていたのは、ギャラガー侯爵の助言があったからだろう。
ギャラガー侯爵とその派閥に属する貴族たちは、どうにかしてジョシュアがこの件を知ることを遅らせようとしていた。
きっとスチュワートにも、叔父であり宰相であるジョシュアに隠し事をしていたことを後ろめたく思う気持ちはあるはずだ。
本来ならば妃候補の選定は、財務大臣ではなく宰相と相談すべきだった。
「エディスは……叔父上からの求婚を、断らなかったのか!?」
「ええ、もちろんです。喜んで受け入れてくれましたよ」
スチュワートは相当ショックだったのだろう。
しばらくなにも言えずに下を向いていた。
「……もしかしたら、私は……貴族の令嬢なら誰もが私の妃の座を望むはずだと思って、驕っていたのだろうか? エディスは確かに、辞退したい様子だった。だけどそれは……遠慮だと思って……。やんわりと断ってきたのは、本気で嫌がっていたからなのか……?」
舞踏会でスチュワートとどんな会話をしたのか、エディスからはもう聞いていた。
叔父としてのジョシュアは、エディスの意図をスチュワートに話してあげたかった。
彼女はスチュワートに、恋心を抱いていたはずなのだ。
それでも相手の幸せを慮ればこそ、身を退かなければならないと考えたのだ。
けれど、彼女の真意を告げたら、スチュワートは結婚を諦められなくなるかもしれない。
なにが正解なのか、ジョシュアにもわからなかった。
「叔父上。……あなたが求婚し、エディスが頷いたのなら、私が反対するのは筋違いだ。結婚を認めなければならないのだと思う。だけど……今は、一人にしてほしい……」
最後に、スチュワートは苦しげにそう言った。
ジョシュアは一礼をして、静かに退室するしかなかった。
(ほかに策がなかったとはいえ、これでは結局、陛下と私のあいだに溝ができてしまうだろうな……。ギャラガーめ……)
心の中で悪態をつく。
もともと悪い選択肢しかない中で、最悪を回避しただけだったと改めて思い知らされる。
「だが……とりあえずギャラガー侯爵に妨害される前に、結婚するしかないだろう……」
ジョシュアの結婚は本来、後回しでよかった。
先に、スチュワートが妃を迎え、王子の誕生を待つべきだ。
若き国王の成長と、後継者の確保を優先し、ジョシュア自身は落ち着いてから結婚を考えるべきだと思っていた。
(エディス・ラヴクラフト……)
まったく理想どおりにはならないし、エディスに振り回される予感しかしないのに、不思議と彼女に対する不快感はない。
「まぁ……同志だからな……」
ジョシュアとエディスの共闘作戦は、まだ始まったばかりだった。
◇ ◇ ◇
エディスが想像もしていなかったジョシュアとの契約結婚の準備は、驚くほどの速さで進められていく。
舞踏会の翌々日。ジョシュアは男爵邸を訪れて、エディスの両親とショーンに事情を説明してくれた。
両親に嘘をつきたくないエディスの希望で、これが王妃になることを回避するための契約結婚である事実を隠さず話す。
ジョシュアはだからこそエディスを公爵夫人として大切に扱い、決して苦労はさせないと誓った。
さらに、ジョシュアから男爵家に対し、水害が発生したときに被害を最小限に抑えるための土木事業の専門家を紹介する──という提案があった。
(本当にありがたいことだわ……)
エディスが傾国の美女として破滅した原因の一つが、国費で男爵家を支えたことだ。
だから、借金を肩代わりするのではなく、技術者の派遣という間接的な助力の方法を提示してくれたことが嬉しかった。
もちろん技術者の派遣や土木工事には金がかかる。
けれど男爵領で暮らす民のための投資ならば、絶対に「エディスの生家が贅沢をするための金」とは思われない。
ジョシュアは本当に、公平ですばらしい人だった。
結婚式の日取りは約一ヶ月後に決まる。
貴族の婚姻としては異例と言えるほどの短い準備期間だ。
それでも、いわゆる宰相派と呼ばれる貴族たちのほとんどが参列する、それなりの規模の式になる予定だった。
また、ジョシュアの情報によると、宮廷内ではさっそくジョシュアとエディスが急接近したことが話題となっているようだ。
(宰相閣下がわざと噂を流したのかしら……?)
すでにスチュワートの耳にも入っているみたいで、これ以上彼がエディスを個人的な茶会の場に招くことはない見込みだった。
ギャラガー侯爵からのお咎めや嫌がらせも今のところはない。
ジョシュアは約束に誠実であった。
そして舞踏会から一週間後、エディスはウィンスソーン公爵邸を訪ねた。
この日はウエディングドレスを仕立てる予定で、公爵邸に仕立屋を呼び寄せているという。
エディスは迎えの馬車に乗り、初めてジョシュアの屋敷に足を踏み入れた。
ウィンスソーン公爵家はジョシュアのために設けられた家だから、歴史は浅い。
けれど建物には趣が感じられた。
後継者不在で断絶した高位貴族が所有していたものだったようで、古典的な様式のすばらしい屋敷となっている。
(公爵家の厩舎と、ラヴクラフト男爵家が同じくらいの大きさなんだけれど……)
キョロキョロと観察していると、たくさんの使用人からの出迎えを受ける。
通されたサロンには、色とりどりのお菓子が用意されていた。
ジョシュアはソファでくつろぎながら小難しそうな本を読んでいる。
(……上着を着ていないお姿は、なんだか新鮮……)
わりとラフな服装でもだらしない雰囲気が一切ない。
こんな感想を抱くのはおかしいかもしれないが、読書している姿が様になる大人の男性だと感じた。
「お招きありがとうございます。宰相閣下」
「ああ……よく来てくれた。とりあえず座ってくれ」
「失礼いたします」
エディスはジョシュアの向かいのソファに腰を下ろした。
すぐにメイドが紅茶を運んできてくれる。
「ところで私たちは婚約者同士となったのだから、互いに名前で呼び合うべきだと思う。これからはジョシュアと呼べ」
「はい、ジョシュア様」
「よろしい。それではエディス。……仕立屋が来るまでしばらく菓子でも食べているといい」
婚約者から、親しげな呼び方に変更するようにと言われたはずだけれど、そこに甘い雰囲気は一切なかった。
なんとなく教師から指導を受けている気分だ。
「はい……遠慮なくいただきます」
出された菓子を口に運びながら、エディスはやり直す前の記憶を振り返る。
王妃だった時代、エディスは彼を「宰相」と呼んでいた。
彼のほうは確か「王妃陛下」だったはずだ。
感覚的にはほんの少し前まで嫌われていたはずなのに、一緒にお菓子を食べる関係になるなんて、予想外の変化だった。
そのジョシュアは読書をやめて、チョコレートをつまんでいる。
(ジョシュア様……チョコレートがお好きなのかしら?)
あまり感情を表に出さないタイプのジョシュアだが、めずらしく口元をほころばせている。本当に好物なのだろう。
(今度からはポケットの中にチョコレートを忍ばせておきましょう)
そうしておけば、いざというときに彼の機嫌を取れる気がした。
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