私たち、犬猿の幼馴染みですよね? 不仲なエリート騎士様に夢の中で毎晩蕩かされてます 1
プロローグ
──あぁ、夢みたい……。いや、これは夢なんだけど!
私は呆然としながら、心の中で叫んだ。
眼前には、白金色の短髪に明るいエメラルドのような緑の瞳をした、美しい青年がいた。目鼻立ちはくっきりとしていて凛々しく、男らしさと美麗さを兼ね備えた端整な顔立ちをしている。
彼は私を愛おしげに見つめながら、首を傾げた。
「カーラ? ほら、ちゃんと俺の方を向いて。じゃないと、キスができないだろ」
「キ、キスって……!」
いや、私はすでにこの夢の中で、彼──ジェイドと、何度もキスをしている。けれど、いくら夢だとしてもまだ慣れない。顔が一瞬で熱く火照ってしまう。
「カーラ……」
いつまでも目を逸らしていると、焦れたように名前を呼ばれ、そっと指の背で頬を撫でられる。それから顎を掴むと、ゆっくりと彼の方を向かされた。
彼の緑の瞳に、私の姿が映り込む。
腰まである長いストレートの黒髪、吊り上がり気味な紫の瞳。少し生意気そうな童顔の女が、顔を真っ赤にし、フリフリの女の子らしいネグリジェ姿で彼の前に座っている。
(こんな姿、『本物』のジェイドには見せられない……)
つい、そんなことを考えてしまう。
騎士の名門であるアドラス伯爵家の次男、ジェイド・アドラス。彼は私の幼馴染みだ。
ジェイドは、小さな頃からとても美しい子供だった。けれどその容姿を鼻にかけることもなく、努力家で頭も良かった。二十歳という若さでルドミカ王国第三騎士団の小隊長を務めるまでになり、将来を有望視されている。
容姿端麗、文武両道のモテ男。なのに浮いた噂ひとつない真面目な人柄。
そんなキラキラしい彼に憧れと恋心を抱きつつ、私は彼とは犬猿の仲だった。
彼が私に懐いていたのは、ほんの小さな頃だけ。大人になるにつれて関係は悪くなり、私が十八歳で同じ第三騎士団に入団してからというもの、顔を合わせるたびに喧嘩をしてきた。
騎士団名物、犬猿の幼馴染み。それが私たちの呼び名だったはず。
(それなのに、この夢っていったいどういうことなの……!)
彼、ジェイドには、毎夜夢の中で迫られている。彼は私に、甘く甘く囁いてくるのだ。
「カーラ……大好きだ。可愛い」
「う、うぅ……」
蕩けるような笑顔で言われ、私は内心ときめきでどうにかなりそうだった。
こんな夢みたいな光景、絶対に夢でしかありえない!
しかし夢だとわかっているのに、囁かれるたび心臓が跳ねまわった。
(落ち着け、惑わされるんじゃない!)
これはきっと、私自身も気づかなかった願望。都合のいい夢だ。
ぶるぶると首を振って正気を保とうとする。けれどそんな私を試すように、ジェイドが後頭部を掴んで無理やり引き寄せてきた。ぐっと顔が近づき、至近距離で視線が合う。
「好きだよ。俺たち、結婚するんだよな?」
「あ……!」
答える間もなく、彼の唇が私のものと合わさった。そっと重ねられながら、逞しい腕が体を後ろへ押し倒してくる。
ポフンと背にふかふかの枕が当たり、ここがベッドの上だということを思い知らされた。シーツの上で、ネグリジェが乱されていく。
(あぁ……また、はじまっちゃう……)
甘くて残酷で、ものすごくえっちな夢が。
それでも、抗うことができない。だって私は、ずっとジェイドの視界に入りたかった。
現実では喧嘩ばかりで、まともに顔も合わせられない。そんな彼に求められ、微笑まれる。こんな夢、簡単に手放すことはできない。
「は……、ん、ジェイド……っ」
名前を呼んで、キスを受け入れながら彼の前合わせの寝間着にしがみつく。ぎゅっと握った私の手を、彼の左手がそっと包み込んだ。
薬指に、コツンと強い存在感。それは、私のあげた小さな宝石のついた指輪だった。
私の左手の薬指にも、似たものが嵌められている。
──俺たち、結婚するんだよな?
(この指輪のせいで……きっと、こんな夢を見るんだ……)
外してしまえば、もう見ないのかもしれない。けれど、私はやはり外せないだろう。
彼の唇が、首筋を辿って下へと降りていく。胸の頂へ、丁寧に向かっていく。あまりにも現実味のあるぬくもりと感覚、吐息の熱さに、体が期待でぞくぞくするのを止められない。
今夜も私は、ジェイドに身を委ねるのだ。夢の中で、何度も啼かされることを覚悟しながら。
ジェイドの夢を見るようになったきっかけは、ほんの少し前。
些細な喧嘩からだった。
「いいから、さっさと受け取ってよ! ジェイド!」
「その前にきちんと俺の話を聞け、カーラ!」
ここはルドミカ王国第三騎士団の、とある執務室。紺色の騎士服に身を包んだ私は、書類を突き出しながら、この執務室の主であるジェイドと言い争いをしていた。
私のひとつ年上、二十歳のジェイド・アドラスは、不機嫌そうに腕組みをしながらこちらを見下ろしている。そんな彼を、私も負けじと睨み上げた。
私と同じ紺色の騎士服を纏う彼は、小隊長という階級を表す青いマントを羽織っている。ひとつの隊を任されるその地位は、騎士団の中で上から四番目。
対して私は、書記官という、主に記録を取ったり書類整理や伝達を行う部署に所属している。剣術もできるし一応騎士ではあるものの、事務作業ばかりで花形騎士の彼とは違う扱いだ。おまけに、出身は特に有名でもないミッチェル男爵家の長女である。
それなのに気安く言い合いができるのには、理由があった。
今から十年前、私が九歳の時のこと。
アドラス家の当主でかつて騎士団長を務めたこともあるジェイドの父、バラド・アドラス様が、息子である長男フレデリク様と次男ジェイドに剣術を教える際、ミッチェル家の子供の私とふたりの兄も、一緒にどうかと誘ってくださったのだ。
バラド様は若い頃、私の父とたまたま同じ隊に所属していた。そこでふたりは仲良くなり、現在でも交流が続いているのだ。
かくして家格の違う私たちは、幼い頃から同じ師匠の下で肩を並べて剣術を学んだ。一緒に稽古して汗を流し、食事をした。だから互いに家や地位での隔たりはなく、兄弟のような認識なのだ。
「あーあ、またやってるよ」
「喧嘩するほどなんとやら……」
私たちの言い合いを呆れたように遠巻きに見ているのは、執務室にいるジェイドの部下たちだ。
「……こうなったら長いからなぁ、『犬猿の幼馴染み』は」
周囲は私たちを、究極の痴話喧嘩だの、高度なじゃれあいだのと揶揄する。
だが、それだとまるで素直になれなくて突っかかっているだけのような感じがするので強めに否定していたら、最終的に『犬猿の幼馴染み』と呼ばれるようになってしまった。
「いいか、カーラ。人(ひと)気(け)のない場所での単独稽古はやめろ。騎士団の敷地内でも、だ」
「なんでそんなこと、ジェイドに指図されなきゃならないのよ」
今は書記官だとしても、実力をつけて試験にさえ受かれば、ジェイドと同じ戦闘や警備を任務とする騎士になれる可能性がある。そのために少しでも努力したくて、私は仕事の合間に独りで鍛錬していた。どうやらそれを見られていたようで、顔を合わせた瞬間にこうしてお説教がはじまってしまったのだ。
「第一、書類と私の鍛錬は別問題だし、ジェイドに関係ないじゃない!」
ムッとして睨み上げる。背の高いジェイドは、私を見下ろしながら面倒くさそうにため息を吐いた。
「関係はないが、こうでもしないとお前、話を聞かないだろう」
「ちょっと、人を融通がきかない頑固者みたいに言わないでよね」
「……なにも間違ってない。事実、頑固だ」
「失礼ね。もういいから、さっさと書類を受け取りなさいよ!」
私が書類の束を突き出すと、ジェイドは拒否するように腕組みをしてフンとそっぽを向き、横目でジロリと睨んできた。
「お前が約束するのが先だ」
「だから、なんでそんなことジェイドと約束しなきゃならないわけ!」
私はイライラして、つい声を荒らげた。
幼馴染みのジェイドは、成長するごとに口うるさくなった。たったひとつ年上なだけで、私の行動にあれこれと口を出す。騎士団に入団してからは、特にそうだ。
私はそれが気に食わず、つい反発してしまう。
(昔はお互い、こんなんじゃなかったのに……)
子供の頃のジェイドは、それはそれは可愛らしくて私にもよく懐いていた。ひょろひょろで弱くて、剣術の稽古もサボりがち。それを迎えに行ってあげるのが、兄のおまけでしかない私の役割だった。
『俺、カーラのこと大好き。兄さんのことも好きだけど、カーラのことはもっと好き。本当の妹だったらいいのになぁ』
よくそう言って、天使のような顔で笑ってくれた。
稽古以外でも、たまにふたりで遊びの延長のように手合わせした。
チェスやクイズでは勝てたことがないけれど、剣術ではいつも私が勝つ。ジェイドは「カーラはすごい! とっても強いよ!」とよく褒めてくれたっけ。
ジェイドに褒められると、心が躍った。綺麗な瞳をキラキラさせながら見つめられるのが好きだった。それが、私が剣にのめり込むきっかけだったのかもしれない。
けれどある時から、ジェイドが真剣に剣術に取り組むようになった。強くなるんだと言って。
私はそれを、最初はいいことだと思っていた。私はこの頃にはもう将来は騎士になるんだと決めていて、一緒に騎士になれると喜んだ。
けれどジェイドの体に筋肉がついて、体が大きくなり、どんどん強くなっていくたび、絶望するようになった。
私だって、剣のセンスは悪くないと思う。師匠にはよく褒められたし、最初はジェイドどころか兄たちにだって負けなかった。四つも上のフレデリク様だけには、さすがに敵わなかったけれど。
だけど十三歳を過ぎて、出るところが出て体つきが女性らしくなってくると、私の腕は格段に鈍っていった。ジェイドと互角か、負けることが増えた。
そしてついに十四歳で、ジェイドの実力が完全に私を追い抜いてしまう。
それからは、どうあがいてもジェイドに勝てなくなった。育ちすぎた胸や重たいお尻に邪魔され、実力を発揮できぬままどんどん落ちこぼれていく。
──負けたくない。負けられない。
泣きながら食らいついても、もう彼には敵わない。次第に手合わせすることもなくなり、実力差でジェイドと肩を並べることもできなくなった。
男の子になりたかった。ジェイドといつまでも肩を並べていたかった。彼の一番でいたかった。
大好きだからこそ、一緒でないことが悔しくて悲しい。心が折れそうになって初めて、私はジェイドへの劣等感と恋を自覚した。
それでも私は、騎士になることを諦めきれなかった。少しでも、近くにいたい。
なんとか食らいつき、一年先に騎士団入りしたジェイドを追いかけるように入団試験を受けた。結果、最前線で戦う花形騎士にはなれなかったけれど、かろうじて書記官として採用された。
もちろん、事務職だって騎士団の大切な役割だ。けれど私は強くてかっこいい騎士に憧れていたから、毎日書類と睨めっこしながらギリギリと歯噛みしていた。
いつかジェイドと同じくらい、強くなる。
実戦で彼と肩を並べられるような、そんな騎士になる。
そう焦るばかりの私に、ジェイドはいつも冷たい。他の女性には紳士的だというのに、彼は私に対してだけ、まるで小姑のように口うるさいのだ。
それが、立場の違いを見せつけられているようで腹立たしい。対等ではないのだと、思い知らされているようで……。
「お前ら、いい加減にしろ。廊下まで響いてるぞ!」
その時、半開きだった執務室の扉を勢いよく開けて、第三騎士団の団長エリュシオン様が豪快に入ってきた。
赤毛の大男である彼の登場に、周囲で様子を窺っていたジェイドの部下たちがどよめく。さらに鋭い金の瞳でギロリと睨まれ「仕事しろ」と一喝されると、彼らは蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。
「今度はまた、なにがあったの?」
その後ろからひょっこりと顔を出したのは、第三騎士団の副団長でジェイドの兄、フレデリク様だ。ジェイドと同じ銀に近い白金色の髪を腰まで伸ばし、同じ緑の瞳をしている。物腰はかなり柔らかいが、戦闘になればものすごく強いという意外性のある人物で、昔からジェイドより数倍モテる。
私も小さい頃、その強さと優しげなお兄さんという雰囲気に憧れていたものだ。
「おい、ふたりともそこへ並べ!」
「カーラ、説明をお願いできる?」
私たちを団長の前に並ばせ、フレデリク様が優しく尋ねる。
憧れであり、ジェイドによく似た容姿のフレデリク様に見つめられると、わずかに頬が熱くなった。私は背の高い彼を上目遣いに見つめ返しながら、口を開く。
「ジェイド・アドラス小隊長殿に書類を渡しに来たところ、なかなか受け取ってくれず口論になりました。それで……」
「ばっ……それは、お前が話を聞かないからだろうが!」
私が答えていると、まだ言い終わっていないのにジェイドが割り込んでくる。
「ジェイド・アドラス」
「……失礼いたしました」
フレデリク様に窘められたジェイドは、兄に対する弟の態度から部下としての態度に切り替えて姿勢を正す。
「なぜ受け取らない?」
「拒否したわけではありません。ただ、カーラ・ミッチェル書記官の自主練について、上官として口頭注意をしていました。そちらは緊急性が高かったので、彼女が話を聞いてくれれば受け取るつもりでした」
「自主練?」
騎士に自主練習禁止などという規則はない。それは、書記官である私たちも同じだ。
フレデリク様が首を傾げると、ジェイドがほんの少し言いづらそうに続ける。
「カーラ・ミッチェル書記官は、人(ひと)気(け)のない北の騎士団庁舎出口で単独の自主練を行っていました。しかも、その、人がいないからか、かなりの薄着で……」
「なっ……薄着じゃありません! 確かにシャツ一枚ではありますが、変な格好はしていません。ジェイド小隊長殿が鍛錬でしているような、動きやすい格好です!」
体にピッタリとした黒いインナーシャツと騎士服の白いズボン姿だ。防具はつけていないが、独りなら打ち合わないので問題ない。下着だってつけているし、肌は隠れている。ジェイドなんて、上半身裸の時もあるくせに!
しかし私が否定すると、フレデリク様は苦笑しながらジェイドに頷いた。
「……なるほど。わかった」
「……ほらな」
「は……!?」
私が困惑すると、「なんでわかんないんだ、この脳筋が」とボソッと呟かれる。
腹が立って軽くふくらはぎに蹴りを入れると、ジェイドに睨まれた。
「まぁまぁ」
また喧嘩がはじまりそうなピリリとした空気に、フレデリク様が待ったをかける。
そして、私に向かって優しく話しはじめた。
「カーラ。たとえ他の女性騎士でそういう格好をしているひとがいたとしても、君のような魅力的な子がしていたら危ないかもしれないと、ジェイドは心配しているんだよ。それに、いくら敷地内とはいえ人(ひと)気(け)のない場所に女性ひとりでいるのは危ない。騎士は皆紳士だが、例外がいないとも限らない。それはわかってるよね?」
心底心配そうに言われ、私は項(うな)垂(だ)れる。
認めたくはないが、正直、自分でもわかっていたから人目を避けたところがあった。
剣を振るうたび、人より大きく育った胸が揺れるのが嫌だ。汗で服が濡れて張り付いたり透けたりするのも、見られたくない。だけど上着を着ると動きにくくて、強度の高い鍛錬ができない。
そういった自分の都合を、優先させてしまったのだ。
肉体に関しては理不尽だという気持ちが込み上げるが、問題が起きるのも心配させてしまうのも本意ではない。こういう落胆だって、今にはじまったことではないのだから。
「……以後、気をつけます」
私が素直に頭を下げると、ジェイドが驚いたように目を剥く。
「おい、同じことを俺も言ってたんだぞ。さっき」
わかってる。わかってるけど、ジェイドにだけはなんだか素直になりたくない。
「うるさいわね。頭ごなしにやめろって言われたら、反発するしかないじゃない!」
「……くっ、差別だ」
不満げに呟かれるが、無視する。
そんな私たちを見ながら、フレデリク様が呆れたように再び仲裁に入った。
「はいはい、ジェイド、妬かないで。書類をもらいなさい」
「妬いてない! ……です」
「あと、少し考えて。君の指摘も正しいけどね。カーラだって、人前では言われたくないことかも」
「あっ……」
ジェイドはハッと目を見開いたあと、私の方を見る。
ふたりは薄着の話をしているのだろうけれど、私はどちらかというとジェイドに自主練という秘密特訓を見られたことが嫌だった。彼に追いつきたくてやっていることだからだ。
「…………悪かった」
「いいけど。さっさと受け取って」
私は熱くなる頬を隠すようにプイと顔を背けながら、書類を差し出す。
ジェイドは無事受け取ってくれた。はぁ、やっと任務完了。
「……ほんと、カーラの前だと残念だよなぁ、お前」
すると、黙って聞いていたエリュシオン団長が、呆れたように呟く。
「どうせ喧嘩すんなら、おっぱいエロすぎて男が勃起するからやめろって言ってやりゃいいのに」
「ちょっ」
「な……!」
「うわー、出た。エリュシオンのノン・デリカシー」
直球すぎる団長の発言に、私は自分の胸を庇うように抱きしめ、ジェイドは衝撃に仰け反り、フレデリク様は慣れた様子で笑った。
下町出身の庶民であるエリュシオン団長は、遠回しな言い方ができない。その裏表のなさと圧倒的な強さで慕う者は多いが、とにかく彼の辞書に繊細という言葉はないのだった。
「……そ、それじゃ、ジェイド。確かに渡したからね」
「ああ……」
「それでは、失礼いたします!」
私は凍った空気を振り切って、さっさとその場を去るべく踵を返す。
だが、そこでエリュシオン団長が声を上げた。
「待て、カーラ・ミッチェル。騒ぎを起こしてそのまま帰れると思うなよ」
「へ!?」
お咎めなしだと思ってたのに! まさか、罰としてお城の外周走り込みとか……!?
青ざめる私に、団長はニヤリと笑う。
「いやぁ、ちょうど、倉庫整理してくれる暇人を探してたとこだったんだ。お前ら、お喋りするほど暇らしいからな。罰としてふたりで仕事してこい」
「な、なんで私が……! ジェイドのせいなのに!?」
「俺もですか!?」
「口答えしない! これは命令である!」
「……はっ」
命令と言われ条件反射で同時に騎士の敬礼をするその下で、私たちは子供っぽく足でど突き合っていた。
「じゃ、このリスト通りに頼むよ」
そう言ってフレデリク様から手渡された在庫リストを受け取り、私とジェイドは薄暗い倉庫に放り込まれた。普段はあまり使わない場所らしく、埃が積もっている。
新しい武器や防具の購入のため、あちこちの倉庫の在庫整理をして空きを作っているそうで、人手が足りないらしい。
「さ、さっさと終わらせるぞ……」
「わかってるわよ」
薄暗い場所にふたりきりは、なんだか気まずい。早く終わらせてしまいたい。
埃を吸い込まないよう口元に布を巻いて、作業に取り掛かる。私がリストを読み上げ、ジェイドが荷物を確認する役割だ。破棄するものはわかりやすい場所へ運んだり、印をつけておく。
この倉庫はそこまで広いわけではないので、ふたりでやればそんなに時間はかからなさそうだ。
私はリストを読み上げながら、荷物を確認するジェイドの横顔をじっと見つめた。
(相変わらず、綺麗な顔……)
短めの白金髪を横に流し、形のいいおでこを露出した髪型。麗しい眉と凛とした緑の瞳、スッと通った高い鼻梁と形の良い唇、そしてツンと尖った顎のライン。すべてが芸術品のような美しさだ。
兄のフレデリク様と共に、ジェイドも若い貴族女性たちに絶大な人気を誇っている。顔良し、家柄良し、将来有望で強いとあれば、それも頷ける。
『ねえ、ジェイド様が今度の昇進試験を受けられるって噂よ。合格すれば、部隊長ですって!』
『すてき! 本当にすごいわ……!』
今朝、王宮の廊下ですれ違った女性文官たちのそんなお喋りが耳に入ってきたことを思い出し、私はつい顔を顰めたくなった。
『まだ婚約者はいらっしゃらないのかしら……』
『ご兄弟揃って真面目な方々だもの。お仕事に一生懸命なのね』
そんな貴族令嬢たちの噂話も耳にする。
ジェイドは私といる時以外は、兄に似て物腰も柔らかだ。基本的に堅物だけれど、必要とあれば夜会の警備をしたり令嬢のエスコートをしたりもするので、私はこういう話を噂として知ることも多かった。
(モテるのも腹立つ……けど、どんどん先に行かれるのはもっと腹立つ!)
ぶつけようのない苛立ちに、胸のあたりがむかむかした。
どうやったって追いつけない。ジェイドはどんどん昇進して先へ行ってしまう。
私はいつだって置いてけぼりだ。彼が守ってあげたいような女の子にも、隣に立てる親友にもなれない──。
そんなことを考えて、気がつけば私は俯いていた。
「カーラ……おい、カーラ? どうした?」
と、呼びかけているのに一向に答えない私を不審に思ったジェイドが、声量を上げた。
私はその声で我に返り、ハッと顔を上げる。
「……っ!」
眼前に、心配そうにこちらを覗き込むジェイドの顔があった。エメラルドの瞳が、じっと私を見つめている。その距離はまるでキスでもしそうなほどに近く、頬が一気に熱くなった。
「きゃ、やっ、なん……っ!?」
あまりに動揺したせいか、思わず叫んで飛び退く。すると、背後に積み上げられた木箱に思い切り背中がぶつかった。
「わっ!?」
「ば、馬鹿っ!」
ガタン、と大きな音を立てて、かろうじてバランスを保っていた木箱が揺れる。積み上がった木箱が、こちらへ倒れてくるのがわかった。
逃げようとしても間にあわない。私は咄嗟に自分の頭を庇うように腕を上げ、ぎゅっと目を瞑った。
しかし次の瞬間、強く体を突き飛ばされ、地面に倒れ込む。驚いていると、ジェイドが私に覆い被さってきた。
「ジ、ジェイド……っ!?」
刹那、ガタガタと轟音を立てて木箱が落ちてきた。もうもうと煙があがり、地面にぶつかってバキバキと木が割れる音と、ジェイドの呻き声が頭上から聞こえる。
「ジェイド!」
それらが収まると、私は慌ててジェイドの体の下から抜け出した。
「だ、大丈夫!?」
「ぐ……カーラ、怪我はないか?」
「う、うん……」
辺りには、崩れた木箱の破片が散らばっている。箱はずいぶん古くなっていたようで、落ちただけで粉々になっているものもあった。
けれど、それらは私にひとつも当たらず、怪我もない。すべてジェイドが代わりに受けてくれたのだ。
私は泣きそうになりながら、彼の上に散らばる木屑を払い、屈んで顔を覗き込んだ。
ジェイドは少し呻いていたが、涙目の私を見て驚いたように目を見開き、それからフンと鼻で笑った。
「大丈夫なわけあるか、この馬鹿! 気をつけろ!」
そう言って身を起こし、不満をぶつけるようにわしゃわしゃと私の黒髪を撫でる。
「ちょ、ちょっと! そんなふうに触らないでよ!」
せっかくポニーテールにした黒髪が、あっという間にぐしゃぐしゃになる。いつもはもっと嫌がってみせるが、今はそれどころではない。ジェイドが痛そうに腕を下ろしたからだ。
「痛……っ」
「! ……怪我したの?」
「いや、そんな深刻じゃ……だが、念のために医務室へ行ってくるか」
「うん、それがいいと思う」
私を心配させないよう、明るくそう言って立ち上がる。だけど普段、怪我をしても痛みなど見せないジェイドの苦痛に歪む表情を見て、申し訳なくて消えてしまいたくなった。
「あの……っ、ごめん、なさい……」
私も立ち上がり、思い切り頭を下げる。
「気にするな。念のためだ、念のため。……それに、いきなり近づいた俺も……悪かったし」
こほんと咳払いすると、ジェイドは「在庫整理には、代わりの奴を寄越す」と告げ、なんでもないように倉庫を出ていく。
その後ろ姿は、平然と見せていても腕や足を庇っているのがわかってしまう。
(あぁ、私っていつもこう……)
ジェイドだけでなく、実家のミッチェル男爵家の兄たちにも、お前は暴走するイノシシみたいだ、とか、しっかりしているつもりのおっちょこちょいだ、などと言われている。それでたびたび、こうして大失敗をしてしまうのだ。
(ジェイドはもうすぐ、大事な昇進試験があるのに)
剣術の手合わせも、審査に含まれる。部隊長への昇進試験なら、手合わせの相手は強いだろう。もし大怪我をしていて上手く剣が振るえなかったら、完全に私のせいだ。
(どうしよう……)