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結婚初夜に逃亡したら、クールなはずの国王陛下が本性を露わにして魔女の私を追いかけてきます! 1

第一話


 魔女、と呼ばれる存在がいる。
 魔力という不思議な力を持ち、己が思い描いたことを魔法として現実に具現化させられる女性の総称だ。
 彼女たちは遺伝ではなく突然変異で生まれ、素養が認められ次第、魔女たちが多く集まることで知られる魔女の里へと預けられる。
 魔女の里はどこの国にも所属しない、魔女だけの場所であり故郷だ。
 エリンラカンの森の奥にあって、彼女たちはそこで己の力を開花させ、修業をして、制御の仕方を覚えるのである。
 もちろん修業を終えた魔女は自分の国に帰れるのだが、暮らしやすさから里に永住する者も多くいる。
 エリンラカンの森は人の手の入っていない原生林が多く、整備された道も殆どない。更に非常に迷いやすいのに地図はなく、人を食う大型の虫や鳥、魔獣も棲み着いている。そのため、魔女の里には一国の軍隊すら到達できないのだ。
 ただ魔法を使える魔女だけが厳しくも危険な森を乗り越えることができる。
 彼女たちにとっては世界で一番安全な場所。
 それが魔女の里なのである。

  ◇◇◇

 エリンラカンの森に雨が降っている。
 ひと月ぶりの雨は朝方から降り始め、夜中になった今もその勢いを弱めてはいなかった。
「雨、止まないわね……」
 夜空を見上げながら呟く。
 月はあるが、雨雲が覆い隠しているせいで、いつもより周囲は暗い。
 地面にもいくつも水たまりができていて、あまり快適とは言えなかった。
『ボクは雨、嫌いじゃないよ。キラキラしていて綺麗だもん』
 呟きに応えたのは、側を歩いていた白猫だ。
 フワフワボディの長毛猫。手足は短いが、尻尾は長くてフサフサ。
 キラキラの青い瞳はアイラインを描いたかのようにくっきりとしている。
 彼の名前は、パール。
 魔女である私──セラフィナ・リャシーナの使い魔である。
「暗いし危ないからあんまりはしゃがないでよ、にゃんちゃん」
 可愛い愛猫に目を向ける。彼は上機嫌で尻尾を上げていた。
 ちなみに「にゃんちゃん」は愛称である。
 最初はちゃんと『パール』と呼んでいたのに、気づけば「あーちゃん」「にゃーちゃん」と徐々に愛称が変わっていき、現在の「にゃんちゃん」に落ち着いてしまったのだ。
 使い魔を飼っている子は皆、頷いてくれる変化だと思うのだけれど、知らない人が聞けば「にゃんちゃん!?」となるのは間違いないだろう。
 パールは子猫の時に祖母の知り合いから譲ってもらった子で、あまりに真っ白でフワフワなため、使い魔には適していないのではないかと余所へやられそうになった経緯がある。
 使い魔の猫といえば、黒猫が鉄板なのだ。
 手足の長いすらりとした体鏸の黒猫が昔から魔女には人気で、白猫は「らしくない」という理由から敬遠されることが多かった。
 パールも同じ理由から里子に出されるところだったのだが、私が一目惚れしたため、使い魔として貰い受けることとなったのである。
 彼が人間と喋れるのは私と使い魔契約をしているから。
 見かけだけは立派なお猫様へと成長した彼だが、使い魔らしいことは殆ど何もできない。
 でもいいのだ。猫はその存在自体が尊いから。
 ご機嫌で側にいてくれるだけで、私としては大満足である。
 今日だって、珍しくパールが「散歩したい」というから、雨の中を出てきた。
 猫は夜行性というが、彼は昼間動くタイプで、夜は寝ているのが殆どなのである。そのパールがお強請りをするのならと頑張ってみたが、雨のせいで月明かりもないし、何も楽しめるものがない。
「はあ……」
 溜息を吐きながら、雨に濡れた地面を踏みしめる。
 傘を差してはいないのにもかかわらずふたりとも濡れていないのは、私が魔法で雨を弾いているからだ。
 魔女はこういう不可思議現象を起こせる存在なのである。
 望んだことを魔力を使って具現化できる。
 もちろん己の魔力量に応じてやれることは変わってくるけれど、雨を弾くくらいなら大抵の魔女はできるはずだ。
『ご主人! 向こうに何かいるよ!』
 突然、パールが短い足で駆け出した。どうやら何か見つけたようだ。猫の習性で、一目散に獲物へと向かっていく。
「ちょっと! 気をつけてよ!」
 勢いよく駆けていく愛猫を諫める。
 今、歩いている場所はエリンラカンの森の奥。
 魔女の里を少し出たところなのだが、この辺りはかなり大型の魔獣が生息していることでも知られている。
 使い魔契約をしているし、いざとなれば私が魔法を使ってなんとでもできるのだが、危険なことには変わりない場所だ。
 見つけたものが雨宿りしている大型魔獣だったらどうするのかと焦りながら彼を追っていけば、すぐに白くフワフワした背中が見えた。
 こういう時、パールの白い毛並みはとても目立つから助かる。
 落ち着いてお座りをしている様子から、とりあえず危険はないものと判断しつつ、慎重に近寄っていった。
「ん?」
 パールが見ているのは、大きな木の根元だ。何か大きなものがいるようで、彼はそれを熱心に見つめている。
 一瞬、やっぱり魔獣かと警戒したが、すぐに違うと分かった。
「……人?」
 ぐったりとした様子で木の幹にもたれ掛かっているのは、ひとりの青年だった。
 旅装姿だがボロボロで、額からは血を流している。
 少し長めの金髪は雨でぐっしょりと濡れており、両腕は力なく投げ出されていたが、なんとか右手に長剣を握っていた。
 木の根元にいるにもかかわらず全身ずぶ濡れなのは、雨の中、この場所に辿り着いたからなのだろう。
 精も根も尽き果てた様子の男はピクリとも動かない。
「……」
 驚きをもって男を見つめる。
 正直、こんな場所で魔女と無関係だろう人間を見つけることになるとは思わなかった。
 だってエリンラカンの森は、本当に危険なのだ。
 道と呼べるような道はないし、二メートルを超える肉食の魔獣も多くいる。
 誤って迷い込みでもすれば、一日ももたず魔獣に襲われ餌になる。周辺諸国に住む者なら誰でも知っている常識だ。
 自殺志願者でもない限り、こんな奥深くまで入ってきたりはしないはず……というか、よくここまで辿り着けたものだ。
「運がよかったのかしらね」
 怪我はしているが、見たところ命の危険があるほどではないし、おそらく疲労で気絶しているだけだろう。
 パールがツンツンと鼻で男を突く。その様子を見て、ボウッとしている場合ではないと気がついた。
「と、とにかく放置はできないわね」
 このまま放置すれば、血のにおいを嗅ぎ付けた大型鳥か魔獣に襲われることは間違いない。というか、すでに見つかっているようで、こちらの様子を窺っている気配がする。手を出してこないのは、私がいるからだ。
 彼らは非常に賢く、魔女には敵わないと学習していて、むやみに突っかかってはこないのである。
 でも、彼をひとり放置すれば、絶対にやってくる。
 そうすれば確実に死ぬだろう。
「それはちょっと、寝覚めが悪すぎるし……」
 部外者を魔女の里に連れて行くことはあまり推奨されていないし、私だってできればしたくないが、死ぬと分かっていて見捨てることはもっとできない。
 それは人間としてどうかと思うからだ。
「仕方ないわね」
 パチンとひとつ指を鳴らす。男の身体がふわりと浮き上がった。
 ついでに雨避けの魔法も施して、パールに言った。
「散歩はここまで。帰りましょ」
『それ、連れて帰るの?』
 いまだ意識のない男を見てパールが尋ねる。
『ニクスちゃんに怒られない?』
「怒られるかもしれないけど、せっかくにゃんちゃんが見つけてくれたのに放ってはおけないでしょ」
『そうだね!』
 嬉しげにパールが鳴く。
『ボクが見つけたんだもん』
 彼が言う『ニクスちゃん』とは私の祖母のことで、魔女の里に暮らす魔女だ。元は己の所属する国に住んでいたのだけれど、現役を引退後、穏やかに暮らしたいと里に引っ越してきた。私が魔女の素養を見出されてからは彼女に預けられ、一緒に暮らしている。
 年齢は七十歳を越えるが、非常に元気で、魔女としての腕前も一流。
 烏の使い魔を持つ彼女には、私もパールも逆らえなかった。
「……ま、なんとかなるでしょ」
 いまだ意識のない男を魔法で運び、私たちも引き返す。しばらくすれば、こちらを窺っていた魔獣たちの気配が消えていった。
 どうやら獲物にはありつけないと理解したらしい。
『ご主人には敵わないんだから、さっさと諦めればいいのに』
 同じく気配が消えたのを感じ取ったパールが鼻をヒクつかせながら呟く。使い魔らしいことは何もできない彼だが、気配を感じ取るのだけは大得意なのだ。
 特に危機察知能力は高く、迫り来る危険を予知することもできる。これまで殆ど役に立ったことはないけれど、役に立ってほしくて彼を側に置いているわけではないので構わなかった。
 魔女の里に向かって歩を進める。
 雨は更に勢いを増してきたが、雨を弾いているので気にならない。
 周囲が暗くても迷うことなく進めるのは、この辺りの地理を完璧に覚えているからだ。
 闇に覆われた森の中を歩く私は、フリルとレースたっぷりの真っ黒なドレスを着ていた。
 退廃的な雰囲気のある黒のドレスは、魔女の正装みたいなものだ。
 靴は高いヒールのあるブーツで、こちらも色は黒。
 しかも私は黒髪黒目という見た目でもあるから、端から見れば夜の景色に溶け込んでいるように思えるだろう。
 腰まである真っ直ぐな黒髪が揺れる。
 生き物の声は聞こえない。聞こえるのは雨が地面を叩きつける音だけだ。
 その雨が土砂降りとも言える強さになってきた頃、私たちは魔女の里へと帰り着いた。

 

  ◆◆◆

 

「……散歩に行ったと思ったら男を拾ってくるとか、一体どうしたらそんなことになるのかね」
 家に帰った私を待ち構えていたのは、予想通り祖母だった。
 木造二階建ての、小屋と呼ぶには少し大きめの家。その玄関扉を潜ると、腕を組んだ祖母が仁王立ちしていたのである。
 白くなった髪を頭の上で纏め上げ、私と同じく黒いドレスを着て、肩に黒い烏を乗せている。その祖母が七十歳を越えているとは思えない迫力でこちらを睨んでいた。
 厄介事を持ち込んだ自覚はあったので、小さくなるしかなかった。
「その……ただいま戻りました」
「戻ったはいいんだよ、戻ったは。あんたが夜中の散歩に出掛けるのはいつものことだし、一人前の魔女なんだ。心配もしていない。だけど、ねえ?」
 つーっと視線を私の後ろに向ける。
「男を拾ってくるとか、普通思わないじゃないか」
「風評被害が酷い! にゃんちゃんが見つけたんです! 仕方ないじゃないですか!」
 見つけてしまったものを無視はできない。そう強く訴えると、祖母はククッと笑った。
「分かっているよ。一連の流れはヤタを飛ばして見ていたからね」
「え、ヤタを? 気づきませんでした……」
 祖母が肩に止まっている烏のくちばしに触れる。この酷い雨の中、使い魔を飛ばしているとは思わなかったが、祖母の使い魔であるヤタはとても優秀なのだ。
 簡単な魔法なら使えるので……ああ、なるほど。雨避けをして飛んでいたのか。
『ボクもぜんっぜん気づかなかったー』
『お前はもう少し使い魔として気を張りなさい』
 暢気に耳の裏をかくパールを祖母の肩から下りたヤタがくちばしで突っつく。
 ヤタは使い魔としてのプライドが高く、あまり働かないパールが気に入らないのだ。突かれたパールは『痛い!』と叫んで、私の足にしがみついた。
 実にあざとく訴えてくる。
『ご主人~。ヤタパイセンが世界一可愛いボクのことを虐めてくる~』
「あ~ん、にゃんちゃん可哀想。こんなに可愛いのにねェ」
『ねー』
 パールを抱え上げ、その胸元に顔を埋める。
 ふかふかの胸毛の感触は天にも昇る心地だ。柔らかく幸せの香りがする。
「は~、幸せ……」
「あんたは相変わらず、パール馬鹿だねえ。猫飼いが猫狂いになるのはよく聞くけど、あんたも大概だよ」
「にゃんちゃんは世界一可愛いお猫様なので」
 猫毛をしっかり堪能してから顔を上げる。顔に白い毛がたくさんついただろうが気にしない。
 笑顔で告げれば、祖母は「は~」と片手で額を押さえた。
「あんたがそんなんだから、パールがいつまで経っても使い魔として成長しないんじゃないか」
「何もできなくても、存在が尊いからいいんです」
 使い魔としての働きを期待してパールを選んだわけではない。
 彼に一目惚れしたから、一緒にいるのだ。可愛い可愛いパールに、何かさせようなんて思わない。
「全く……あんたがそれで構わないって言うなら、あたしも強くは言わないけど……それよりその男だよ。せっかく連れ帰ってきたのに死なれるのは寝覚めが悪いだろう。客室のベッドに運んでやりな」
「あ、はい」
「前に作った傷薬があっただろう。傷はそれで塞がるだろうし、あとは温かくしてやりな。あんたが拾ったんだ。当然、世話はあんたがするんだよ」
「……はい」
 自分は一切かかわるつもりがないと祖母が言い切る。
 そうなるだろうと分かっていたから大人しく返事をして、男を再度浮かせて客室へ連れて行った。
 魔法で身を清めてから、ベッドに寝かせる。
 あとは傷の手当てだ。魔法で治してもいいのだが、魔法による直接治療は身体に負担が掛かる。気絶している今のような状態なら、祖母の言う通り傷薬を使った方法がいいだろう。
「へえ……良い男」
 改めて男を見れば、かなり整った顔立ちをしていた。キリッとした眉に筋の通った鼻。ツルリとした肌には艶とハリがあり、目を開けなくても色男なのだろうなということが分かる。着ている服は旅装でボロボロだが、漂う雰囲気からしてもおそらくは貴族。
 だが貴族なら、お供が一緒にいるのが普通だろう。ひとりあんな場所で行き倒れているはずがない。
「いや、今はそんなこと気にしてる場合じゃないか……」
 彼の背景が気にはなるが、それは目が覚めてから聞けばいいだけの話。
 気持ちを切り替え、治療に取りかかる。
 背中や腕、足に腰など、色々な場所に刃物……剣による傷があった。殆どは小さな傷だが、二箇所ほどかなり深い傷がある。この傷に体力を奪われて気絶したのだろう。
 枕元に椅子を持ってきて座り、傷の手当てに取りかかる。
 パールはどうやら自分が見つけた男のことが気になるようで寝床には戻らず、彼の足下でじっと様子を窺っていた。
「……終わった」
 治療を終え、ひと息つく。寝間着に着替えさせた男は、すうすうと眠っている。
 痛みが引いてきたのだろう。安らかな寝顔だ。
 それを確認し、サイドテーブルに突っ伏した。
「あー、疲れた……」
 肉体的には疲れていないのだが、精神的にはかなり疲労したのだ。
 そのため自分の部屋に戻る気にもならず、そのままうとうとし始めてしまった。

  ◇◇◇

「……」
「キャアアアアアアアアアア!!」
「えっ、何!? 敵襲!?」
 突然、命の危機を感じるような悲鳴が聞こえ、飛び起きた。
 窓の外から朝日が差し込んでおり、部屋を明るく照らし出している。どうやら眠り込んでしまったようだ。
「……」
 男がベッドの上で小さくなり、ブルブルと震えている。
 青い目をした涼やかな男前だ。眠っていても美形だなと思っていたが、眉目秀麗という言葉がぴったりとはまる。
 その男が目に涙を浮かべて震えていた。己を強く抱きしめ、ただ一点──くわっと欠伸をするパールを見つめている。
「えっと……?」
『せっかく良い気分で寝てたのに。うるさーい』
「猫ーーーーーーーー!!!!」
「……ああ」
 パールを指さし、叫んだことで理解した。
 どうやら男は猫が苦手らしい。魔女で猫が苦手な人はほぼいない(使い魔の猫率が高いから)のだが、世の中には色々な人がいるというのは分かっている。
『……ふーん』
 一拍遅れて、パールも現状を把握したらしい。その途端、嬉しそうな顔……いや、何かを企んでいる顔になった。
 尻尾を立て、わざと男の近くに寄っていく。
『にゃーん』
「クソ猫がアアアアアア!! 来るな、来るな、来るなアアアアアア!!」
 涙目でしっしと追い払う男だが、その程度でパールが退くはずもない。
 むしろより積極的に近づいて行った。
 悲鳴を上げる男の様子が面白いらしい。
『にゃーん、にゃーん』
「クソがあああああ! 助けてくれええええええええ!!」
 近くにあった枕を盾にし、必死にパールから距離を取ろうとしている。怖くて堪らないようだが、だからといって攻撃するつもりもないようだ。
 猫を虐める人は絶対に許せないので、そういう行動を取らなかったことはかなり彼の印象を良くした。
 面白がって男の近くに寄ろうとするパールを止める。
「にゃんちゃん。怖がっているんだから、やめてあげて」
『え~、面白いのに』
「これじゃあいつまで経っても話ができないでしょ」
 ひょいとパールを持ち上げ、抱っこをする。パールは大人しく抱きかかえられ、腕の中で毛繕いを始めた。その様子を見た男が、おそるおそる聞いてくる。
「……そ、その猫はお前の……飼い猫、か?」
「飼い猫というか、使い魔のパールね」
「使い魔……いや、その格好、お前、魔女か……!」
 ハッとしたように男が私の格好を指摘する。黒いドレスが魔女の正装であることは、この大陸に住む皆が知っている常識だ。
「そうよ。あなたは昨日の夜、倒れていたところをこの子に発見されたの。もう少し遅かったら魔獣の餌になっていたと思うから、にゃんちゃんに感謝してね」
「にゃん……ちゃん?」
「? この子のことだけど」
「……パール、ではないのか?」
「だから、にゃんちゃんでしょ」
 何かおかしいかと首を傾げれば「いや、いい」という回答があった。