有能騎士はツンな幼なじみに一途な溺愛をわからせたい 3
眼鏡の男も自己紹介がまだだったことに気がついたようだ。
「ああ、失礼。僕はエトゥーザ駐留隊に入ったルーカスです。ルーカス・マーシュ。ミズ・エメット。あなたが使った後の魔法陣、まだ魔力にあふれてますよ?」
そう言われてアンジェラは魔法陣を見た。小一時間ほど前に、王都からここに来る際に使った魔法陣だ。
剣術に長けている人は、切り口を見ただけで「誰がやったものか」がわかるという。
実は魔法にも似たような現象がある。
魔法を使った魔術師の癖や特徴が、残り香のように漂うのだ。
ルーカスはそのことを言っているのだろう。
彼は魔法陣の周囲から何かを掬う仕草をした。まるでルーカスにはあふれた魔力がしっかりと見えているみたいだった。
「実にもったいない。この余剰魔力、何かに再利用できたら素晴らしいと思いませんか?」
ルーカスの様子からして、彼は研究熱心で分析が大好きな学者タイプだ。
要するに、ノリや直感で魔法を使うアンジェラとは真逆のタイプ。
「ミズ・エメットは細かい調整をしないで魔法を使うんですか? 体力や精神力を余計に消耗するでしょう? その辺、どうされてるんですか」
「え、ええと……」
このまま魔法の議論になるのは困る。
細かい調整や計算がほんとうに苦手なのだ。天才肌ということにして自分では納得しているが「なんで、どうして、どうやって」を説明できない。
ルーカスはアンジェラの返答をわくわくした様子で待っている。ジョエルは一歩下がった位置に控えていた。
この調子でルーカスと話をつづけていたら、実はよくわかっていないままノリと勢いで魔法を使っていることがバレてしまう。それをジョエルに知られるのは避けたい。
「あの……悪いけど、ちょっと急いでいるの。ジョエル、戻るわよ」
「あっ、呼び止めてしまって申し訳ありません。お時間のあるときに、いろいろお聞きできれば幸いです」
「え、ええ。そのうち」
アンジェラはルーカスに向かってごまかしの愛想笑いを浮かべ、それからジョエルの腕を引っ張って、ミモザ魔術師団の転移室を強くイメージした。
魔法を発動させる際、ルーカスと目が合った。同時に、おへその下にピリリとした刺激が走ったような気がした。肌にドロワーズの紐が擦れたのだろうか。だがいまは魔法に集中しなくてはいけない。
おへその下のことは後で確認すればいいと、そのときのアンジェラは考えていた。
「……大丈夫?」
テレポートを終えた後、アンジェラはジョエルの様子を窺うように問う。
「……あいつ……んだろ?」
ジョエルが何かを呟いた。
険しい表情だったので、酔いがひどいのだと思ったアンジェラは彼の言葉をよく聞こうとした。
ここから動けないのであれば、誰かを呼んでこなくてはいけないと考えたのだ。
だがテレポート酔いが出るタイプだと団長に知られたら、彼は任務から外れることになるのではないだろうか。
そういえば、ほかの魔術師のテレポートに同行するとき、ジョエルはどうしているのだろう。
やせ我慢?
いや、いまも脂汗がこめかみに滲んでいるし、唇が紫色だ。テレポート酔いであるのは明らかである。
このテレポート酔いは、ほかの魔術師にも一目瞭然のはずだ。ほんとうにジョエルは普段どうしているのだろう。不思議に思ったとき、ジョエルが口を開いた。
「アンジェラ。あいつと、また会うんだろ?」
「え? あいつ? あいつって?」
「エトゥーザ砦にいた魔術師」
「砦に行ったら彼がいるわけでしょ? 普通に会うんじゃない?」
「そのときは、俺もついていく」
ジョエルはそう言って、手の甲でこめかみの汗をぬぐった。
「あいつ……なんだか嫌な感じがした。二人で会うのはよくない気がする」
どんな風に嫌な感じがするのかよくわからなかったし、アンジェラとしてはできれば二人で会いたい。魔法談議になってボロが出そうになったときに、それをジョエルに悟られたくないからだ。
「あれは、私の魔法に興味があるだけでしょ。別に大したことではないわ」
「俺も行くから、次にエトゥーザに行くときは必ず教えて」
しかしジョエルは首を横に振り、念を押すようにそう言うと、アンジェラよりも先に転移室から出て行った。
その夜、アンジェラは着替えながら今日の出来事を思い返していた。
考えたのはジョエルのことだ。
テレポートのたびに具合を悪くされても困る。
やっぱりテレポート酔いについて、話し合っておくべきだ。彼が認めないのならば団長に伝えることにして、まずは彼と話をしてみよう。
そう考えつつ着ているものを脱いで、寝間着を手に取る。そのとき、おへその下が赤くなっていることに気がついた。
「うん……?」
そういえば、テレポートの際に何かの刺激を覚えた部分だ。
アンジェラは鏡の前まで行って、自分の姿を映してみる。
おへその下に、爪でひっかいたような傷があるのがわかった。
「何、これ……?」
アンジェラは首を傾げる。
しかも、いつの間にか力を入れて掻いていたみたいだ。
おへその下が痒くなった覚えはないのだが、無意識下での行動だったのかもしれない。
「まあ、いいか」
いま痒いわけではないし、痛みがあるわけでもない。
アンジェラはそのまま寝間着を着込み、ベッドに入ったのだった。
◆ ◆ ◆
翌日、昼休みを終えて詰所に戻ったアンジェラは、シャンテに声をかけられる。
「アンジェラ。いま、手は空いてる?」
「え? は、はい」
一応勤務中なので暇というわけではない。だが火急の用はない。そしてシャンテには火急の用がありそうだった。
「昨日エトゥーザに行ってもらったばかりで悪いんだけどさあ」
ということは、またエトゥーザにテレポートしてほしい用事があるのだろうなと見当をつける。
「ええ。何か、急用があるんですか?」
「そう! 昨日受け取った日誌に不備があって戻ってきちゃったのよ。ほら。ここと、ここと、ここ」
シャンテは日誌を開いて不備のあった点をアンジェラに見えるようにした。
この日誌はエトゥーザ駐留隊に所属する騎士たちの査定に関わるものだ。人事や経理を担当する部署から「これでは受け取れない」と言われて戻されてしまったらしい。
ぱっと見た感じ、駐留隊の隊長にちょっと書き足してもらえばなんとかなりそうである。それほど時間はかからないだろうと踏んだアンジェラは頷いた。
「わかりました。その三か所を修正してもらえばいいんですよね?」
「ありがとう、助かる! あんたなら、ちゃちゃっと行って帰ってこられるからさあ」
そう。アンジェラは少ない手順でテレポートを済ませるので、ほかの魔術師に比べると移動が速い。それに、団長に持ち上げられて悪い気もしない。
アンジェラはもう一度頷くと、椅子の背にかけてあったローブを纏い、日誌を受け取った。
「誰か護衛につける?」
シャンテは詰所の大きな黒板を見つめ、今日出勤している護衛騎士の欄をチェックしている。だがアンジェラはそれを断った。
「大丈夫です。エトゥーザには何度も行ってるし、慣れてるので」
「そう?」
「はい。行ってきます」
アンジェラはそう言い残して詰所を出た。
「アンジェラ、どこ行くんだよ」
廊下に出た瞬間、背後から声をかけられる。振り向くと、そこにはジョエルがいた。彼は鍛錬を終えて詰所に戻ってきたところのようだ。汗をかいたから身体を洗ったのだろう。彼の髪の毛は生乾きに見えるし、ほんのりと石鹸の香りがする。
「エトゥーザまでちょっとね」
彼にそう言って再び前を向いたとき、ジョエルの手がアンジェラの肩にかかる。
「昨日、俺、言ったよね?」
「……何を?」
「エトゥーザに行くときは俺もついて行くって」
「え? あ、ああ……」
そう言えば、そんなことを言われた気がする。
「俺の話聞いてた?」
ジョエルはちょっと強い口調だ。
「あいつと会うのは危ないって言ったよね?」
彼の話を聞いてはいたが、忘れていた。でもこんな風に責められるほど悪いことはしていないと思う。アンジェラは言い返した。
「だってすぐ帰ってくる予定だもの。あの人と……ルーカスさんと会うことはないと思ったのよ」
するとジョエルは険しい表情になる。
「また魔法陣のところにあいつがいたらどうするんだ? 嫌でも顔を合わせることになるだろ」
「あ、そっか……」
研究熱心な人のようだから、今日も魔法陣に張り付いてアンジェラの魔力を検証している可能性はある。
ジョエルの指摘にアンジェラが黙ると、彼は仰々しいため息をついて「行こう」と言った。そしてアンジェラの数歩前を歩く。
その、聞き分けのない子に対して呆れるみたいな態度は何?
先輩はこっちなんですけど?
……と言いたい気持ちはあったが、これ以上言い合いをしていたら、エトゥーザに行って帰ってくるのが遅くなりそうだ。
先輩としてここは折れてやることにしよう。
「わ、悪かったわよ」
しかしジョエルはルーカスのどの辺を危険視しているのだろう。ただの魔法マニアのようにしか見えなかったのだが。
ルーカスが魔法陣に張り付いていた様子を思い起こすと、まあ、あれはあれで危険だという気もする。ああいう研究熱心なタイプは、やっていいことと悪いことの境界線が曖昧だったりするからだ。
ジョエルが言っているのはそういうことなのだろうか?
聞いてみたい気もしたが、またさっきみたいにため息を吐かれたらたまらない。
アンジェラはもやもやした気分のまま転移室に入り、魔法陣の中に足を踏み入れたのだった。
エトゥーザ砦への転移を済ませた後、アンジェラはジョエルの様子を窺った。
彼は額に滲んだ汗を手の甲で拭ったところだった。
やっぱり、具合が悪そうに見える。
どう声をかけようか迷ったとき、お腹のあたりがムズムズしていることに気がついた。
昨晩そのあたりが赤くなっていたことを思い出す。
虫にでも刺されたのだろうか。それとも何かにかぶれた?
そう考えながら衣服越しにお腹を擦るようにして掻くと、ムズムズは治まったように思えた。
だから再びジョエルのほうに目をやる。
アンジェラが無言でジョエルの表情を観察していると、彼は顔を背けながら「なんだよ」と言った。
「いえ、別に。誰かさんが酔ってたら大変だなと思っただけ」
アンジェラも彼のほうからプイと顔をそらして言った。
「いるのよね。テレポート魔法に耐性が無くて、酔っちゃう人が」
そう言葉を続けながら、アンジェラは転移室の出口に向かった。いま、ジョエルを振り返ったら彼はどんな表情をしているのだろう。
図星を突かれて、唇を引き結んで屈辱に耐えてたりして。
ジョエルの表情を確かめたくてたまらなかったが、振り向いたら負けのような気もしてアンジェラはそのまま転移室の扉に手をかけた。
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