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縁談をぶち壊したい最強王女と過労気味の天才宮廷魔術師が甘いキスで国を救います! 3

第三話


「だったら、契約成立ね。だけど、そもそも私に魔力はあるの?」
 ファイエットは簡単な魔術すら扱えない。幼いころに魔術の手ほどきを受けたが、早々にさじを投げられた。
「はい。あなたから、無尽蔵に近い魔力があふれ出しているのを感じます。それを上手に使いこなせることさえできたなら、私を越えるほどの大魔術師になれるかもしれません」
 クレマンほどの大魔術師に言われて、ファイエットはゾクリとした。
「魔術が使えるかどうかは、素質だって聞いたわよ」
 クレマンも、その言葉にうなずいた。
 魔術は素質だと、この国の魔術師の多くが口にする。魔力がなければそもそも魔術を使うことができないそうだが、いくら魔力があっても、ファイエットのように使いこなせなければ意味がない。
「魔力っていうのは、私にとって無用の長物だわ。好きなだけ、お分けするわよ。後で、私の望みをかなえてくれると、約束してくれましたし」
 この条件は絶対だ。
 重ねて念を押したファイエットに警戒したのか、クレマンの目がすがめられた。
「ちなみに、その望みは何なのか、事前に教えていただけますか」
「ダメ。お楽しみは後にとっておくべきだわ」
「でしたら、時間もないことですし」
 ちらりと、クレマンが窓のほうを向いた。
 木のシャッター越しではあっても、少しずつ日が陰ってきているのがわかった。
 歓迎パーティが始まるのは完全に日が落ちてからだが、そろそろ貴族たちの乗った馬車で、エントランスが混雑し始める時刻だ。
 クレマンがすっと立ち上がり、ファイエットの前に回りこんだ。ファイエットは椅子に座ったまま、背の高い大魔術師を見上げる。
「でしたら、こちらにあなたの手を」
 差し出されたクレマンの手は、羽ペンのインクでところどころ染まっていた。それでも指は長いし、造形がとても綺麗だ。
 インクを落とせばいいのに、と思いながらも、ファイエットは差し出された手の上に自分の手を重ねた。
 すると、もう片方の手で挟みこまれて、ドキッとする。
 結婚前の女性だ。その気さくな性格によって城の奥をぶらついては使用人を手伝い、親しく言葉を交わすことがあるものの、異性に直接触れられる経験はほとんどない。
 さらにクレマンは、ファイエットの手を力強く握りこんだ。
 敬意の感じられる、丁寧な動きだ。王女として尊重されているのが伝わってくる。
 見上げたクレマンは、軽く目を閉じて、集中しているのがわかった。口の中で、小さく呪文を唱えている。
 国一番の魔術師をこんな至近距離からじっくりと眺める機会はなかったから、ファイエットはその顔から目を離せなくなった。
 眉間の皺は消えていない。
 眉を寄せるのが癖になっているのだろう。まつげが長く影を落とすが、目の下のくまも濃かった。この人をぐっすり眠らせてあげることができたら、この不健康そうな顔色も良くなるだろうか。
 ──だけど、顔立ちはすごく綺麗だわ。見とれちゃう。
 彼が目を伏せているからこそ、じっくりとその造形を観察できる。だんだんと、乱れた鼓動が落ち着いていく。
 ──うちの国は、魔術的にこのクレマンに支えられていると聞くわ。
 かつてこの大陸では、領土や魔術資源をめぐっての戦いが絶えなかったという。
 そんな状況を落ち着かせ、各民族ごとに国を成立させていったのは、圧倒的な力を持つ魔術師の尽力が大きかったと教わった。偉大な魔術師の力は、戦場での武力衝突のバランスを一変させた。どれだけ有力な魔術師を味方として囲いこめるかということに、各国の命運が託された。
 さらに時代が進むと各国の間で魔術条約が結ばれ、戦争の種は話し合いによって回避され、軍事衝突はほとんど起こらなくなった。
 今は長いこと平和が続いているのだが、それでも戦争の抑止力として、圧倒的な力を持つ魔術師の存在は欠かせない。
 この国において、クレマンの存在は大きい。クレマン出現以前は、現在の魔術政策局局長であるメリディアン・ハロウィルが名をとどろかせていたそうだが、年齢がわからなくなるほど年老いて、滅多に人前に姿を現すことはないという。
 ──クレマンは強大な力を持つ魔術師であるばかりか、行政的な手腕もすごいんですって。今の国の安定は、調停者としてのクレマンのおかげとも聞くわ。
 そんな能力に加えて、こんなにも端正なたたずまいをされたら、ときめかずにいるほうが困難だ。
 鋭い視線がさえぎられていると、その瞳の形や鼻梁の端整さが際立ち、色彩を変える髪も相まって、どこか神秘的な雰囲気が漂う。
 薄くて形のいい唇は、低く呪文を唱えていた。不思議なのは、いつまで待ってもその呪文が効いてくる気配がないことだ。
 それはクレマンにとっても意外なことだったらしく、しばらくして彼は戸惑ったように目を開いた。そのハシバミ色の瞳に、ファイエットの姿が映る。
「魔力が吸い取れません。もしかしたら、あなたが無意識にガードしているせいかもしれません。手からの供給が無理となると、他の方法を使わなければならないのですが」
 彼にとっては想定外の事態らしく、珍しく動揺しているのが伝わってきた。
「だったら、その方法でもいいわよ」
 魔力を供給できなければ、交渉は成立しない。ファイエットの願いもかなわない。だから、どうしても魔力を供給したい。
 そんな思いのあまり、ファイエットのほうからぎゅっとクレマンの手を握りしめていた。その顔をのぞきこむ。
 距離が近すぎたせいか、クレマンがその宝石のような目を見開いて、少し引いたのにときめいた。
「ただ、……その方法に問題が」
 手を互いに握りしめたままだ。狼狽したのか、クレマンのほうから視線をぎこちなくそらす。そんな動きが、ファイエットの心をますますときめかす。
 落ち着き払った年上の魔術師を、何がここまで動揺させているのか知りたくて、ファイエットは身体を近づけた。
「だから、その方法を試してみればいいのよ」
 クレマンの身体は強ばっている。どうやらこの魔術師は、世慣れたように見えて女性に慣れていないらしい。そんなところにも、ファイエットはときめきを感じてならない。
「ですが、それは──」
 よっぽど問題のある方法らしく、クレマンは眉に深く皺を刻みこんだ。
 その表情が、禁忌というより困惑を思わせたものだから、ここでねじこんだら希望は通るかもしれないと思ってしまう。
「別にいいのよ、どんな方法を使っても」
「いいんですか? だったらたとえば、この唇を奪うことだとしても──?」
 腹を決めたのか、冗談には聞こえない真剣な声とともに、クレマンはその手でファイエットのあごを包みこんだ。
 思わず、ビクッと肩が震える。
 異性にそんなふうに触れられたのは、初めてだ。だけど悪い感覚ではなかった。ぞくぞくと背筋を戦慄が広がっていく感覚に、ファイエットは動けなくなる。
 ──唇を奪う、って言った?
 もしかして、それはクレマンとキスする、という意味だろうか。
 キスは、ファイエットにとって未知のものだ。好きな男女が、唇を触れ合わせて、愛を誓う。そんなイメージがあるのだが、このクレマンが自分とキスをするのだろうか。
「……いいわ」
 気づけば、そう言っていた。
 クレマンならばいい。他の男性とキスするのは御免だが、クレマンとのキスを思い描いただけで、頭がボーッと痺れたようになる。
 その返事には、クレマンも驚いたようだ。
「い、……いいんですか」
「いいって、言ったでしょ」
 ファイエットは自然と目を閉じた。
 気が遠くなりそうなほど、ドキドキしたからだ。
 落ち着こうとしただけだったが、そんなファイエットの表情が、キスを待っているように見えたのかもしれない。少しだけ鼓動が落ち着いたので、目を開こうとしたとき、唇に柔らかなものが触れた。
 ──え?
 最初はそれが何だかわからなかった。
 だけど、ファイエットの見開いた目に、至近距離にあるクレマンの目元が見える。焦点が合わなくて、すぐに目を閉じてしまう。
 唇を何度か触れ合わされた後で、熱い舌先で唇を割られた。彼の舌が口腔内に入りこむ。その直後から、何かが奪われていく感触があった。
「っふ」
 小さく息が漏れる。軽い貧血に似た感覚が続く。
 これが魔力を奪われている、という状態なのか。
 いつの間にか唇と唇はしっかりと重なり合い、自分から外すことができないほど、あごを抱えこまれていた。呼吸をどうしていいのかわからず、息を止める苦しさが限界に達したとき、不意に唇が離れた。
「っん」
 一気に空気が入りこんでくる。
 顔を真っ赤にして慌ただしく息を吸っていると、クレマンの声が響いた。
「ありがとうございます。十分にいただきました」
 彼とキスをしてしまったというときめきと狼狽に、その顔をまともに見られない。
 それはクレマンも同じらしい。ファイエットから手を離して、机の向こうに回りこんでいく動きがやけにぎこちない。
 そのあげくに何かに蹴躓いたのか、派手に書類が崩れる音が聞こえたのだった。

 

 

 

 ──素晴らしかったわ! さすがは、国一番の魔術師……!
 ファイエットの足は、踊っているような軽やかなステップを踏む。
 今まで宮廷講演会で、クレマンが簡単な魔術を披露することはあった。だが、今夜、歓迎パーティで披露された魔術イリュージョンは、それとは比較にならないほど大規模で華やかなものだった。
 ファイエットは正体がバレないように化身の魔術をかけてもらい、クレマンの助手として付き従っていたから、とっておきの位置から、全てのイリュージョンを見たのだ。
 それは、華やかな光で満たされた大広間から、全ての明かりが消えるところから始まった。ざわめく人々の間を、芳香とともに風の妖精たちが駆け抜けていく。
 それから、大広間の壁や天井がかき消え、夜空が透けて見えているようになった。
 夜空の星々は、普段見えているものより一段と強く輝く。その星がゆっくりと動きだし、一つ、また一つとすぐそばまで落ちてきた。それらの光が一つにまとまって、巨大な光をまとった幻の鳥となる。
 その鳥が羽ばたくたびに、まばゆい光が視界全体に広がった。
 その幻の鳥は、この世界の始まりとされているものだ。世界がまだ闇に包まれていたころに、一つの鼓動が生まれた。その鼓動から生まれたのが、この幻の鳥という伝説がある。
 鳥が羽ばたくと、まずは光と闇が生まれた。
 その巨大な両翼の動きによって山が隆起し、海が生まれ、世界は形を得た。
 その幻の鳥から話はどんどん展開していき、カルバレン王国の建国の英雄や、語り継がれる伝説の王の物語が再現されていく。
 言葉はなかったが、身体全体で音や風の流れを感じた。映像だけでも、物語がしっかりと綴られていた。
 その物語が終わったとき、ファイエットは自分が透明な池の上に立っていることに気づいた。床の大理石までもが姿を失っている。慌てて足を動かすと、それに合わせて水面に波紋が広がっていく。
 広間にいた人々も、一人ひとりが静かな水面にたたずんでいることに気づいて、ざわめきが生まれる。
 そのとき、水面から幻想の花々が背丈ほどに伸びてきて、顔の高さで見事に咲き誇った。風の妖精がまた飛び交い、その芳香を吸いこんで頬がほころぶ。
 ひどく安らいだ気持ちになったところで、気づけばイリュージョンは終わっていた。
 大広間に明かりが戻り、人々は夢から醒める。
 その中央にクレマンが踏み出して、深々と礼をした。
 その姿に、人々は拍手喝采を送った。ファイエットも力いっぱい拍手をしたが、まだ頭がボーッとしていて、なかなか現実に戻れないほどだった。
 ──素晴らしかったわ! 最高だったの!
 ここまでの魔術イリュージョンを見たのは初めてだ。
 歓迎パーティに出席した人々にとっても、その初めての体験は衝撃を与えたらしい。華やかな宴が始まっても、話題のほとんどはクレマンのイリュージョンに関するものだった。
 隣国の使節団の人々も、このように大規模で見事なイリュージョンを見たのは初めてだったらしい。ひどく興奮している姿が目についた。
 そんな中でもファイエットが気になったのは、使節団の中心にたたずむケネス王子だ。
 彼だけはひどく落ち着き払い、あのイリュージョンを見ても何ら感銘を受けた様子がなかった。
 ──興奮していない、……っていうより、何だか非人間的な?
 顔立ちは整ってはいるが、驚くほど表情に乏しい。肌は青白く、目がどんよりと濁っていた。
 賓客としてファイエットの父が応対していたが、何を言われようが心を動かさず、義務的にたたずんでいるだけのように見えた。
 しかも、何度目を擦っても、ケネスの身体を黒い靄が取り囲んでいるように見える。
 単にファイエットが欠席して、機嫌を損ねているだけとは思えない。
 ──それに関しては、反省もしてるけど。
 だが、やはりケネスから妙な雰囲気を感じてならない。近づいてはいけないものだと、本能が強く警告する。
 庭でケネスの奇妙な行動を目撃してから、あれには何らかの意味があったのではないかとか、見間違いではないかとか、さんざん考えてみたのだが、あらためて遠くからケネスを観察して、ファイエットは一つの結論に達した。
 それは相性が悪いというものではなく、何かもっと忌避すべきものだ。
 ──やっぱり、ケネスさまと結婚するわけにはいかないわ。
 そう確信できたからには、早々に破談に持ちこんだほうがいい。
 カルバレン王国ではファイエットの父である国王が絶対的な権力を握っており、命令されたらファイエットは断れない。
 だから、そうなる前に、どうにかしなければならない。
 すでに歓迎パーティは終わり、夜も深い時間帯に入っている。
 パーティの最中、クレマンはずっと大勢の人に囲まれていた。イリュージョンを褒める貴族たちににこやかに対応し、隣国の使節団と話しこんでいたようだ。
 だから、ケネス王子を取り囲む黒い靄についても話ができていない。
 ──それでも、この時間ならあの部屋にいるわね。
 クレマンは王城内の執務室以外に、城下に自分の部屋を持っていると言っていた。だから、今夜はそこに帰るのかとさり気なく聞いてみたが、しばらく城下の部屋に戻っていないそうだ。
 今晩も執務室に泊まると言っていた。
 ──あんな狭い部屋で寝泊まりしていたら、身体を悪くしちゃうわよ?
 王の娘として、広い寝室でしか眠ったことのないファイエットはそう思う。だから、素直にそう言ったのだが、クレマンは苦笑して答えた。
『徹夜でこなさないと、仕事が終わりませんので』
 どうして彼がそんなに仕事をしなければならないのか、ファイエットにはピンとこない。
 力のある魔術師なのだから、もっと書類仕事を軽減しても良さそうだ。
 歓迎パーティの間、クレマンがファイエットにかけてくれた化身の魔術は解けている。いつもと違う姿だったから、パーティでは好きなだけご馳走も頬張れたし、思わぬ噂話も耳にできた。
 そのほとんどがクレマンに関するものだった。
 あれだけ麗しいのに、浮いた噂のひとつもないことが確認できた。貴族の令嬢が彼を誘っても、仕事が忙しいとすげなく断られてばかりだとか。
 そのくせ、後進の指導には意欲的で、魔術師の卵にはとても優しく、辛抱強く指導する、とか。
 ──クレマンらしいわ。
 ともあれ、噂でもファイエットが思った通りの人間らしい。特定の恋人がいないのは確かだ。
 元の姿に戻ったファイエットは、ひたひたと王城内の廊下を歩いていく。
 夜遅いからどこにも人の姿はなく、シンと静まり返っていた。
 出発地点にあたるファイエットの部屋のそば──王族たちの居住エリアの警備はそれなりに厳しかったものの、このあたりの行政エリアまで来たら兵の姿も見えない。
 深夜でもファイエットが平気で歩き回れるのは、それだけ自分の能力に自信があったからだ。
 よっぽど油断をしないかぎり、その怪力を発揮すれば成人した男性でも簡単に投げ飛ばすことができる。
 身体能力にも優れていたから、高い壁も軽々飛び越えることができた。だから、人目につかないルートで移動することが得意だ。
 議会が開かれている時期には、この行政エリアにも遅くまで高級官僚や行政官吏が残っていることが多かった。だが、大規模なパーティが開かれたこの夜には、ほとんど人がいない。
 薄暗がりを歩き続けたファイエットは、クレマンの執務室のドアの前までたどり着いた。
 ──さあ、ここからよ!
 気合いを入れる。
 ファイエットから魔力を吸い取ったおかげもあるのか、今日の魔術イリュージョンはうまくいった。どうしてクレマンが自分自身の魔力を使わないのかは不明だが、それでも約束は約束だ。それをかなえてもらうために、ファイエットは来たのだ。
 ──うん!
 ファイエットはコツコツとドアを叩いた。

 

 

 

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