殿下がえっちに迫ってくるのは媚薬のせいだと思います! 傷物令嬢は一途な王太子の溺愛に陥落する 1
今夜は王妃殿下の誕生日を祝う王宮主催の舞踏会だ。
王陛下夫妻、王子王女、国内の主要貴族のほとんどが集い、ヴェルナー侯爵令嬢である私、シャルロットも両親と共に参加していた……のだけれど。
「シャルロット。そういうわけだから、今ここで君との婚約は破棄する」
十二歳から八年間私の婚約者だった男は、片方の腕にどこかの貴族令嬢をぶら下げながらそう言い放った。
彼の名前は伯爵令息ルードルフ・アスマン。本来ならこの場で彼と腕を組む権利を持っているのは私のはずだった。それなのにそこには私より二、三歳ほど年下の、今年社交界にデビューしたばかりといった態の初々しい女性が立っていて。
「その女誰よ!」
ぐらい言う権利はあったけれど、さすがに侯爵令嬢がこんなにも大勢の人が集まる王宮の舞踏会でそんなことを言えるはずもなく。
しかも事前にふたりのことを囁いてくれた兄嫁、リリシェお義姉様の情報によると、ふたりは二曲続けてダンスを踊り、私が到着したときはカクテルを飲みながらイチャイチャしている真っ最中だったらしい。
お義姉様はふたりが一緒にいるところを私に見せたくなかったようだけれど、一緒にいた兄が騒いだので心の準備ができていないまま彼らと対峙することになってしまったの。
お兄様のせいで今や会場中が私の動向を一心に見つめている中、ルードルフ様に声をかけるしかなかった。
「ルードルフ様、ごきげんよう」
そう口にした私にあの言葉を返してきたので、もう最初から開き直っていたとしか思えない。
正直平手打ちをして立ち去っていいぐらいひどいことを言われたわけだけれど、そこは侯爵令嬢としてグッと我慢。私は怒りを抑えるために小物入れ(レティキュール)のリボンをギュッと握りしめた。
「ルードルフ様、おっしゃっていることが理解いたしかねます。そういうわけ、と言われても……」
そこでちょっと目を伏せて悲しそうな顔をする。私たちのやりとりを見守っていた人々のほとんどが私に同情しているはずだ。
「そちらのご令嬢はどなたですか? ぜひご紹介していただきたいです」
「彼女はデンゼル男爵令嬢マルティナ嬢。今年社交界にデビューしたばかりだ。君にはない初々しさがあるだろう?」
「……」
最後の一言は余計だ。しかもどうして俺すごいだろう? とでも言いたげなどや顔ができるのかもわからない。この状況ならどう考えても彼に非があるのは明らかなのに。
しかしルードルフ様は私が呆れているのに気づかず話を続ける。
「マルティナ、彼女が私の婚約者だったシャルロットだ。親の決めた相手がいると以前に話しただろう? 約束通り君のために婚約を破棄したぞ」
「はい。ルードルフ様、嬉しいです。本当に私と結婚してくださるんですね!」
「もちろんだ。君以上に私の心を掴んだ女性はいないからな。君ほど愛らしい女性に出会ったのは生まれて初めてで、出会った瞬間君しか見えなくなったんだ」
「ルードルフ様!」
目の前に私がいるのもお構いなしに茶番が始まる。ふたりの頭の中にはお花畑があるらしい。なにを見せられているのでしょうかという状態に、さすがの私も思わず眉間に皺を寄せてしまった。
でもマルティナさんとの茶番に集中していると思っていたルードルフ様は、目敏く私の表情に気づいて言った。
「こんなところで泣かないでくれよ? まるで私が悪いと思われるじゃないか。婚約破棄の理由は君に“魔力がない”ことなんだからな」
突然核心を突いてきたルードルフ様の言葉にギクリとする。その最後の一言で、茶番を見守っていた観客が小さく息を呑み、その場の空気が変わった。
――なるほど、そういう理由付けで婚約破棄をしようとしているのね。
私が生まれたローエンシュタイン国は近隣諸国に比べて魔力を持って生まれてくる人が多く、特に国の中核を担う貴族の家は強い魔力を持った人間を多数輩出している。
これは貴族が国政の場でより大きな発言力を持つために、魔力の強い者同士で婚姻を重ねているからだ。
我がヴェルナー侯爵家はその中でも強力な魔力を持つ者を多く輩出していて、お兄様の結婚相手もその基準で選ばれたと聞いている。
魔力と一言で言っても色々で、属性や力の強さによっても社会貢献度は違ってくる。
属性は大きく分けて火、風、水、土、光、闇などがあり、魔力があっても自分が持っている属性以外の魔法は上手く使えない人がほとんどだ。
市井の人であれば、ほんの少し風を起こすとか種火程度の火を作り出す程度しか出来ない人もたくさんいる。
たとえば私の兄は水の属性を持っていて、回復の魔法が得意だけれど火の属性からの攻撃には弱い。だからお兄様は騎士団の前衛ではなく、戦略的武官として後衛の仕事を与えられている。
家柄によっても属性が違うし、婚姻相手でも変わってくる。貴族同士の結婚には家柄が特に重視されていた。
要するに我がヴェルナー家は魔力も血筋もエリートの家系で、当然私にもそれが期待され、幼い頃からたくさんの縁談が持ち込まれた。
でも残念なことに私には魔力がない。正確には無くなってしまったのだけれど。
「たとえ侯爵令嬢だとしても我が国で魔力がない者がどんな身分になるかわかるだろう。我が伯爵家はより強い血筋を後世へ残したい。となると男爵令嬢なのに秀でた魔力を持つ彼女を娶るのが当然だ」
そう言われてしまっては返す言葉がない。黙り込んだ私の代わりにマルティナさんが口を開く。
「侯爵家のご令嬢で魔力の欠片もない女性が本当にいるのですか? 信じられませんわ。だって男爵家程度の私だって」
マルティナさんはそう言うと手のひらを大きく振った。すると上の方からキラキラしたものが落ちてきて、その眩いきらめきにその場にいた人々から歓声が上がる。
よく見るとそれは手のひらほどの大きさをした雪の結晶で、手に触れるか床に落ちるかする前に消えてしまう。私も誘われるように手のひらでそれを受け止めると、結晶は儚く消えていった。
マルティナさんは氷結系の魔法が得意なのだろう。
氷結の魔法は文字通り氷を作り出す能力で、原理としては空気中に含まれる水を使って氷を生み出す。力が強い術者なら近くの水源を使って大きな盾や壁を作り出すこともできる。
「さすが俺のマルティナだ。シャルロット、君にはこの欠片ひとつも作り出せないだろう? 父上も我がアスマン家の嫁には、いくら血筋がよくても魔力なしの令嬢は相応しくないと思っているはずだ。恨むなら自分の能力のなさを恨むんだな」
私という婚約者がいて別の女性を選ぶというお手つきをしたのはそちらなのに、ルードルフ様は自信たっぷりだ。
というか先ほどから魔力なしを連呼しているがやめて欲しい。私に魔力がないことはごく一部の人にしか明かされていないことで、ルードルフ様は婚約者だからこそ知っているのだ。
まあこれだけ連呼されれば、明日の朝には国中に広まっているのはもう間違いないのだけれど。
「……承知いたしました。ルードルフ様、今までありがとうございました」
私はしおらしく頭を下げた。というか、もう引き下がるしかない。
きっとお父様もお兄様も激怒してアスマン家に抗議するはずだけど、侯爵家の名を辱められた今、抗議をするのは単なる怒りの意思表示だ。万が一ルードルフ様が考えを改めたとしても、この縁談が継続することはないだろう。
だとすれば、私に求められているのはいかに集まった人たちの同情を引いてから会場をあとにできるかだ。
小物袋の中からレースのハンカチを取り出して目に当てる。涙を押さえるふりをして、すぐそばで様子を見守っていたお義姉様の腕にしがみついた。
「ああ、シャルロット! あなたはなにひとつ悪くないのよ」
「その通りだ。陛下に暇を伝えてくるから、おまえたちは先にここを出るんだ。よろしいですね、父上」
兄の言葉に父が頷き、ジロリとルードルフ様を睨みつけた。
「もちろんだ。ルードルフ君、君の身勝手な発言については改めてお父上にも抗議するが、今後一切当家との関わりを絶ってもらう。よいな」
父上は厳しい口調でそう言い放つと、ルードルフ様の返事も待たずに私たちの背中を押した。
その言葉を合図に会場の外へ出たのだけれど、私の歩調が乱れてお義姉様の胸に倒れ込むのを見て会場の人々が一際ざわついた。
「おかわいそうに。ご自分で歩けないほど憔悴されているわ」
「こんなところで発表するなんて、伯爵令息は残酷すぎます」
「そもそも、両家の婚約は陛下も認められて決まったはずだ。それなのにこんなことになるなんて」
「それにしても……魔力なしだったとは意外ですね」
「本当に……事実ですの?」
「侯爵令嬢で魔力がないなんて異例すぎる」
ザワザワザワザワ。明らかに私に聞こえる声のトーンだったけれど、被害者を装うには充分後押しになる。
ちなみに私がよろけたように見えたのは、婚約破棄が嬉しくてドレスの下でスキップしそうになるのを必死で我慢していたから。
そしてそんな私を執拗に見つめていたひとりの男性がいたことに、その時はまったく気づかなかった。
◇ ◇ ◇
「だいたいあの男、最初から気に入らなかったんですよ!」
私付きのメイド、クリスが怒りにまかせて私の髪をブラッシングしながら叫んだ。美しいと褒められる栗色の髪は、彼女の丹精の賜物だ。
「ク、クリス、ちょっと痛い」
「あっ。すみません。そもそもどうして私のお嬢様がふられたみたいになってるんですか? ただの色ぼけ浮気男じゃないですか!」
「本当に。こんなことなら先日いらしたときにお茶に下剤でも混ぜておくべきでしたわ」
そう言いながらドレッサーに紅茶を置いたのはもうひとりのメイド、リサだった。
カップを置いた瞬間、ベテランの彼女にしては珍しくカシャンと音を立て、中身が大きく波打ったから、かなり怒っているのが伝わってくる。
まあそれは無理もない。ふたりは私がルードルフ様……改めアスマン様と婚約する前から側にいて、忠誠心も強く、彼が私を傷つけたことに怒っているのだろう。
特にリサは物心ついた頃から私の世話をしてくれ、実の母よりも一緒に過ごす時間が長いほどなので、彼に対して色々辛口だ。
いつもなら未来の旦那様をあまり悪く言わないようふたりを窘めるところだけれど、今日は好きにさせておく。私も同じ気持ちだったからだ。
昨夜王宮で繰り広げられた騒動は朝には屋敷中に広まっていて、普段は私が目覚めるタイミングに合わせて入ってくるふたりがそれよりも早く部屋に飛び込んで来て目が覚めた。
「シャルロット様! ご気分はいかがですか」
若いクリスの目が真っ赤なのを見て、彼女たちが事情をすべて知っていることがわかった。
多分父か兄が家令に事情を話し、今後私とアスマン様が接触しないようにとか、私が傷ついているから労るようにとか話したのだろう。
それを朝礼で聞いたふたりは、いても立ってもいられず私の部屋に飛び込んで来たというところだろうか。
昨夜からあまり眠れていなかった私はそれを機にベッドから出て、とりあえずふたりのたまっていた不満に耳を傾けた。
ちなみに睡眠不足の原因は婚約破棄のショックで枕を濡らしていたとか、将来のことが不安だったとか、そんな理由じゃない。新しい未来の可能性や今後の計画を立てていたら眠れなくなってしまっただけ。
だって私がいかに身分が高く血筋のいい令嬢だとしても、大勢の人々の前で婚約破棄をされた女性と新たに縁組みをしたいと考える人はそうそう現れない。
しかも侯爵令嬢なのに魔力がないことを暴露されているから、その上で私を欲しがる人なんて滅多にいないはず。
これまで侯爵令嬢の義務として婚約を受け入れてきたけれど――。
「これからは自由ってことよね!」
私は思わず明るい声で言ってしまった。
「お嬢様?」
黙って暴言に耳を傾けているはずの主が突然口を開いたので、ふたりは驚いて手を止めた。
「昨日から考えていたんだけど、私っていわゆる傷物よね? ということはもう求婚者が現れない可能性が高いし、自由に生きてもいいんじゃないかしら。ていうか、もういいわよね!」
もともと侯爵令嬢の義務として婚約を受け入れただけで、アスマン様には申しわけないけれど彼のことを好きだったわけじゃない。
アスマン伯爵家が魔力がないという私の事情も汲んでの縁談だったから、ありがたいことだと素直に受け入れただけだ。
だから恥をかかされたことは悔しいけれど、婚約破棄については思わずスキップしてしまうほど嬉しかった。
「どうせ結婚しないなら、これからなにをしようかってワクワクしすぎて昨日はあまり眠れなかったの」
私が昨夜から考えていたことを口にすると、クリスがクスクスと笑った。
「そんなこと絶対にありませんよ。さっきバルトさんと旦那様がさっそく新しい縁談を探すようなことをおっしゃっていましたもの。それに有責はあちらですし、お嬢様は被害者でなんの非もないのにありえません」
バルトはうちに長年仕えてくれている家令で、お父様の秘書的な役割も担っている。確かに父とバルトの手にかかればすぐに新しい婚約者をあてがわれそうな気がしてきた。
正直それは嬉しくないので、午後にでも父に会いに行って、今は心を休めたいからしばらく縁談の話は聞きたくないとでも伝えておこう。ちょっと泣いてみてもいいかもしれない。
「でも考えてみれば結婚してから気づくより、早くわかってよかったです。私たちのお嬢様があんな男の毒牙にかからずに済んだんですもの」
クリスの言葉にリサも大きく頷いた。
「その通りです。あんなバカ息子と結婚しないで済んで幸いでしたわ。きっと旦那様がすぐにもっと素敵なお相手を探してくださいますよ」
ふたりとも新しい婚約者が見つかることこそ私の幸せだと思っているらしい。
早くアスマン伯爵令息より立派な方と婚約して鼻を明かしてやりたい気持ちもあるけれど、そうなると社交界でまた騒がれる。たった一晩で、私が魔力なしの傷物令嬢だという話は広まっているはずだから。
「ふたりともそんなに期待しないで。私は魔力なしのいわゆる出来損ない。いくら侯爵令嬢だとしても魔力なしの妻を迎えたいなんて貴族は簡単に現れないと思うわ」
「それは違います! だってお嬢様の魔力は……」
リサはそこまで言いかけて口ごもる。魔力の話になると彼女はいつも顔を曇らせてしまう。私の魔力に関して、責任は少なからず自分にもあると考えているらしい。
「出来損ないなんておっしゃらないでください。それにお嬢様には魔法薬の調合の才がございますわ。齢十五にして王女様付きの薬師に任命されるほどの実力ですよ? それだけの能力があるお嬢様ならこれからだっていくらでも求婚者は現れますわ」
いつも私の心配をしてくれているリサの言葉をそれ以上否定しないよう、素直に頷いておく。でもいくらでも現れそうな求婚者については遠慮したい。
「そうよね。でも本当にあまり期待はしないでちょうだい。それに私、考えていることがあるの。実はね」
そこまで言いかけたとき扉を叩く音が聞こえて、私は話をやめた。
リサが扉を開けると家令のバルトが姿を見せた。
「お嬢様、おはようございます」
「こんな姿でごめんなさいね。まだ支度をしているところなの」
寝間着にガウンを羽織っただけだったけれど、相手がバルトなら問題ない。だって私が生まれる前からこの屋敷にいて、彼が私のことで知らないことなんてないから。
「こちらこそ朝早くから申しわけございません。先ほどお嬢様に王宮から手紙が届きまして、早くご覧になられた方がよろしいかと思いまして」
「王宮って……どなたからなの?」
この家では王宮から手紙が来るのは珍しくないが、こんなに朝早いことはめったにない。
まさか昨日の騒動を王陛下がお怒りで、事情を聞くための呼び出しだったらどうしようと考えたけれど、それならまずお父様に届くはずだ。
するとバルトがすぐに答えをくれた。
「お手紙は王女殿下からでございます。使者が返事を持ち帰りたいのですぐに返答が欲しいと控えの間で待機しておりますが、いかがいたしましょう」
「王女殿下……ってアメリア様?」
予想外の相手に私は首を傾げた。
王女殿下アメリア様は今年二十二歳の可愛らしい方で、畏れ多いことに年齢が近いのでお友達として仲良くさせてもらっている。
友人として昨夜のことを憂いて連絡をくれたのかもしれないけれど、それにしては翌朝というのはタイミングが少し早すぎる。
私はバルトが運んできた銀のトレイから封筒を取った。精巧な透かし彫りの封筒と封蝋で閉じられたそれは間違いなくアメリア様からのものだった。
王族や貴族は自分専用の封蝋の印を持っていて、それを見ただけで誰からの手紙かがわかるようになっている。
もちろん私にも生まれたときにお父様が作ってくださったものがあり、それは簡単に偽造できない。
すでに返事を書くことを察したリサが便箋や封蝋のための蝋を溶かす準備を始めたのを横目に手紙を開いた。
「……」
三人とも私が手紙にどんな反応を示すのか様子を窺っている。まあ王女殿下からこんな朝早く手紙が届くなんて何事かと思うのは当然だ。
手紙の内容はさすが友人と言いたくなる内容で、まるで私が昨晩考えていた頭の中を覗かれたみたいだ。
私は思わずニンマリしながら振り返った。
「すぐに返事を書くので、バルトは使者に渡してくれる? それと支度が出来次第王宮に出かけるから、なにか軽く食べられるものをお願い。もしかしたらしばらく王宮に滞在することになるかもしれないわ」
三人は私の言葉に頷くと、すぐに自分の役目を果たすために動き始めた。
急いで手紙の返事を書いた私は、リサが運んできたサンドイッチとホットミルクという軽食をとり、登城の準備をして王女殿下の元へと向かった。
もともと私は王女殿下付きの薬師としての地位を与えられていたし、友人として招かれることも多く、屋敷の者たちは突然の登城にも慣れている。もちろんそのための衣装も父が潤沢に用意してくれていたから、社交界で肩身の狭い思いをしたことはなかった。
昨日の今日だから、王宮ではしばらくはアスマン様の件で色々言われるかもしれないが、人の噂も七十五日というし、やり過ごすしかない。
王宮は数日に一度訪れる場所で、出迎えの侍従たちとも顔見知りだ。アメリア様が予め伝えてくれていたようで、すぐに王女専用の応接間に案内された。
でもこれはかなり特殊な例。本来なら一般貴族が王宮を訪れると、招待があるかとか本人確認とか煩雑な手続きが待っている。毎日仕事で登城しているなら別だけれど、大抵は手続きに時間がかかるので約束の時間よりもかなり早めに到着する必要があるの。
私はアメリア様の友人で王女付きの薬師という役をいただいているので、ほとんど顔パス。自由に王宮を出入りしている。
そもそも王宮で貴族の娘が与えられる地位はあまりなく、女官として登用されるぐらいがせいぜいだから、私はかなり珍しい存在だった。
応接間ではソファーに座るよりも早く扉が開いて、飛び込んで来たアメリア様に力一杯抱きしめられてしまった。
「ああシャルロット!!」
ギュウギュウ、グイグイ。首にしがみつかれ、アメリア様に押し倒されてソファーに尻餅をついた。
「わっ……! ア、アメリア様! 落ち着いてください!」
「だってだってだって〜!!」
私の代わりとばかりにポロポロと涙を流すアメリア様を見て、なんだか申しわけなくなってしまった。
「ご心配いただきありがとうございます。でも私は大丈夫ですから泣き止んでください。あの男のせいでアメリア様が泣くなんて嫌です!」
私よりも小柄なアメリア様の背中をポンポンと叩くと、やっと顔を上げてくれた。
「もう! なんなの、あの男! あんなに大勢の前でシャルロットに恥をかかせるなんて!」
「私の代わりに怒ってくださるのは嬉しいですけど、実は私、あまり傷ついてはいないんです。アスマン様のことが好きだったかと言われると、そうでもなかったですし」
私がちゃんと好きになっていたら、彼はほかの令嬢に目を向けなかったのではないか。一瞬そう思ってしまったけれど、今さら考えても遅い。
「あなたが彼に興味がないことは知ってるわ。でもあの状況だと、魔力がないあなたが悪いみたいな空気になっていたじゃないの。私はそれが許せないの! 名誉毀損よ!!」
「大袈裟ですよ。魔力がないのは本当ですし。それに私、結婚前に気づけてよかったって思ってるんです。だって結婚してしまったら浮気をされても簡単に別れられないし、それこそ社交界で恥をかく羽目になっていたでしょうし」
「それはそうだけど……でもやっぱり許せないのよ。お兄様も淑女にあんな恥をかかせてけしからんっておっしゃってたわ」
アメリア様の予想外の言葉に思わず目を丸くしてしまった。
「王太子殿下が?」
マリウス殿下はアメリア様の四歳年上の兄で、この国の跡継ぎとなる人だ。これまでアメリア様の友人としてパーティーや園遊会で挨拶するけれどそれぐらいで、これといった接点はない。
おふたりの下には弟君もいらして、御年十三歳のアダム殿下の方が親しく話をしたことがあるくらいだ。
つまり私の婚約破棄問題ごときを気にかけてもらえるほど親しくした覚えはないってこと。
それにマリウス殿下はもともと私たち貴族令嬢と言葉を交わしたりなどなさらない。高貴なお方だし、兄の話では子どもの頃は病弱であまりにも社交の場に出てこないので、裏で貴族たちに引きこもり王子と呼ばれていた時期もあったらしい。
今は健康になられて騎士団の訓練に参加されたり、王陛下に倣って政務にも精を出されたりしているそうだけれど、特別に親しい令嬢の話は耳にしたことがない。
然るべき時がきたら近隣諸国から花嫁を迎えるのだろうと、父や兄は推測していた。
「それでね、私が手紙に書いたアイディアはお兄様の提案なの。しばらく王宮に滞在してもらって、気分転換してはどうかって」
またもや驚きだ。しつこいようだが、王太子殿下に心配してもらうような間柄ではない。妹の友人だとしても、そこまで気にかけてもらうなんて畏れ多すぎて、父が聞いたら大騒ぎするに決まっている。
手紙で呼び出されて来たのに、冒頭からアメリア様が泣き出したので、やっと本来の目的を思い出した感じだ。
ちなみにアメリア様の手紙の内容は、王女付き薬師の私に研究も兼ねて王宮に滞在し、羽を伸ばさないかという誘いだった。
表向きは研究のためだから研究室や居室も作るし、王女付きをアピールして口さがない噂から守りたいという話で、父が薦めてくるであろう新しい縁談をどうやって断ろうかと考えていた私には渡りに船だった。
「いただいたお手紙のことなんですが」
王太子殿下のアイディアだったのは驚きだが、この提案を受ける気満々でやってきたのだ。
「本当に甘えてもよろしいのですか? 私としては魔法薬の研究に没頭できますし、父や兄にすぐに次の婚約者を決めるようせっつかれなくて済むのでとてもありがたいお話なのですが、アメリア様にご迷惑をおかけしてしまうのではないでしょうか」
「迷惑だなんて思わないわ。むしろあなたが王宮に滞在してくれればいつでも私の話し相手になってくれるでしょうし、せっかくだから一緒に楽しく過ごしましょうよ。それにね、王宮で私のそばにいれば自然と出会いもあると思うの」
「あの……その件なのですが、アメリア様には本音を言いますが、私……結婚はもういいって思っているんです。できればこのまま独身で過ごしたいなって。なんなら今後身を立てていくために商売を始めてもいいかとすら考えているので」
もし新しい婚約者が見つかって結婚の運びになったとしても、魔力なしであることに罪悪感を覚えるのは同じだし、一度社交界で噂になった私の人生を背負わせるのは申しわけないとも思う。
もともと結婚には興味がなかったし、この際魔法薬の研究をしながら気ままな人生を送るのも悪くない。それにせっかくだからお金持ちの貴族が喜びそうな薬を作って販売するのも面白いと考えていたから、アメリア様の提案に飛びついたのだ。
でも快く頷いてくれるとばかり思っていたアメリア様はその顔を残念そうに曇らせた。
「そんな寂しいことを言わないで。今はまだそんな気持ちになれないと思うけれど、きっと素敵な人が現れるわ」
「そうでしょうか」
アメリア様が心配してくれるのは嬉しいけれど、私の心はひとりで生きていこうという気持ちに固まっていたから、曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。
「それにね、あの男爵令嬢のことなら心配しなくていいわ。私のサロンに招待するつもりはないから。実はね、今朝さっそくデンゼル男爵家から贈りものが届いたの」
「え?」
アメリア様の口調は呆れていたし、さすがに昨日の今日という素早い行動に私も目を丸くしてしまう。
「多分これから娘をよろしくっていう意味なんでしょうけど、送り返しておいたわ。あなたが私の親友と知って賄賂を送ってくるなんて、男爵は中々の策略家ね。もしかすると男爵があのバカ男に娘をけしかけたのかもしれないわ」
男爵には会ったことがないけれど、結婚に親の力が強く働いているという推測は納得できる。他国のしきたりは知らないが、このローエンシュタインで貴族の娘が自分で相手を見つけるなんて余程のことがないとありえない。
稀に恋愛結婚もあるが、それは幼い頃から家族同士の付き合いがあったとか特殊な例だ。下位の貴族でなければ社交界デビュー前に婚約者が決められているから、舞踏会で初めて出会うなんて物語の世界だ。
「男爵令嬢とはいえ社交界デビューするまで婚約者がいなかったのは、最初から社交界に出たときに大物を釣り上げさせようと考えていたためかもしれないわ。しばらくはおばかさんたちの噂が聞こえてくるけれど、あなたは安心して王宮(ここ)に滞在してくれていいのよ」
もう彼と関わるつもりはなかったので、アメリア様が盾になってくれるのは助かる。
「ありがたくご提案を受けさせていただきます。お気遣いありがとうございます」
私が心からの感謝を込めて深々と頭を下げると、アメリア様が嬉しそうに手を叩いた。
「よかった! お兄様も喜ぶわ!!」
どうしてそこでマリウス殿下が出てくるのだろう、そう考えたときだった。
軽いノックの音が響いたかと思うと、アメリア様の許可もなくいきなり扉が開く。そんなことが出来るのはご家族、つまり王族の方々だけなので私は慌てて振り返った。
「あら! お兄様!」
扉から入ってきたのはマリウス殿下で、目を伏せて膝を折る。
なぜアメリア様の応接間に? と思ったけれど、もともと仲のよいご兄妹だから政務の合間に立ち寄ったのだろう。
しかし私はそのあと、マリウス殿下の態度に困惑することになった。
殿下はかしこまって膝を折る私の前に立つと、両手をとって立ちあがらせた。
「そんなにかしこまらなくていい。この部屋では無礼講だ」
「……恐れ入ります」
いきなり手を取られるとは思っていなかったけれど、殿下の指示だからそれに従う。
今日のマリウス殿下は白いブラウスに丈の短いジャケット、トラウザーズといった軽装だ。
舞踏会やお茶会で正装か略式正装といったきちんとした姿しか見たことがなかったので、少し親近感が湧いてしまう。もちろん畏れ多いことだから口には出さないけれど。
それにアメリア様と王太子殿下はよく似ていて、ふたりともダークブロンドに鳶色の瞳をしていて、畏れ多いけれどその眼差しには親しみを感じた。
「お久しぶりでございます。殿下におかれましてはご機嫌麗しく」
私のかしこまった挨拶に、殿下はあからさまに不快そうな顔をした。
「だからそういう硬い挨拶はいらない。あなたがアメリアのところに来ていると聞いて会いに来たんだ」
「で、でも」
――会いに来たってどういうこと?
王太子が一貴族の娘にわざわざ会いに来るなんてありえない。私が言葉を失っていると殿下は笑顔で言った。
「昨夜は大変だったね。あなたのことは王家として全力で守るつもりだから安心してほしい。王妃殿下の祝いの場であのような騒ぎを起こしたアスマン伯爵令息にはしばらく出仕を控えるように通達している。あの場にいた者ならシャルロット嬢にひとつも非がないとわかっているから、胸を張っているといい」
「ありがとうございます。あの、ひとつお尋ねしたいのですが、アスマン伯爵家はこれからなんらかの責めを負わされるということでしょうか」
正直彼の顔は二度と見たくないけれど、こちらにも自由というメリットがあるのだから、あまり厳しくしないでほしい。下手に追い詰めて逆恨みされるなんて以ての外だ。
「もしかして元婚約者の身を案じているのか? あんなひどいことをされたのに……そこまであの男のことを想っていたのか」
マリウス殿下が、なぜか悲しげに眉間に皺を寄せるのを見て慌てて言った。
「い、いえ! そういう意味ではなくて! 決して彼に同情しているのではなく、逆恨みをされたくないのです!」
つい本音を口にしてしまった。マリウス殿下もアメリア様も目を丸くしているけれど、本当のことだから仕方がない。
「私はこれからは男性に頼らず、王女殿下付きの薬師として身を立てていこうと思っております。そのためにもアスマン家との縁はきっぱり断ち切っておきたいのです。逆恨みでもされて騒がれたら、私のこれからの人生設計が台無しになってしまいます!!」