こっそり夫(元勇者)の推し活をしていたら、いつの間にか執着溺愛されていました 番外編 こっそり侍女が推し変していました 1
ナタリーは勇者ライバックのファンだった。
彼は救国の英雄だ。彼に助けられた多くの国民が、勇者を崇拝し応援している。
ナタリーも、そんな一人だった。ただの一国民として勇者に憧れ、遠くから崇めていた。
だがある日、貧乏男爵家の出とはいえ貴族として教育を受けたことが幸いし、なんとライバックの屋敷に採用されることになった。
それも、奥さま付きの侍女だ。
大役を何とか果たそうと、ナタリーは毎日頑張った。
奥さまであるオフィーリアは、礼儀作法やしきたりに厳しい貴人だが、決して理不尽ではなかった。
高位貴族の中には、使用人を人とも思わぬ扱いをする人物もいる。オフィーリアは使用人が職務に忠実でありさえすれば、何も酷いことはしない良い主人であると言えた。
ただ、主人夫妻の仲は上手くいっていなかった。
ナタリー如きがとやかく物申すのも恐れ多いのだが、やはり二人の生まれ育った環境と身分の差がすれ違いを生んでいたのだろう。
仕方なく貴族になって、結婚相手も自分では選べなかった勇者。
貴族の矜持の為に結婚したものの、夫は屋敷に帰ってこない上に出産を強制されている奥さま。
ナタリーはオフィーリアが寝込みながら泣いているのを見たことがある。
閨の日にライバックに無体を働かれ、翌日は全く立てずにベッドに寝たきりとなっていたのだ。
ナタリーが看病と世話をするのだが、その時何となく、とんでもなく不敬なのだが
(旦那さまの気持ちは分からないでもない)
と感じてしまった。
オフィーリアは匂いたつような色気を纏い、同性ながらにドキッとするような美しさだった。
そして、普段はキツい眼差しのツンとした表情が、その時だけは涙が滲んで瞳が潤んでいる。
それでいて、悲しんで泣いているというよりは悔しくて怒っているという風体なのだ。
『どうしてわたくしが、こんな目に』
と言いたげな様子なので、ナタリーはついオフィーリアをじろじろ見つめそうになったが意識して視線を落とした。
気が強そうなスタイル抜群の美女が、初夜のベッドでどんな扱いをされるかは何となく想像出来る。
きっと勇者は、彼女を屈服させようと楽しんで挑みかかった筈だ。それはもう、執拗に体力が続く限り。
その後、ライバックはオフィーリアをどう扱って良いか分からないようで屋敷に戻って来なくなった。
オフィーリアは義務を果たすべく、ライバックにあれこれと注文や指図して煙たがられ、更に距離が開くという悪循環。
この溝はなかなか埋まらないのではないか、と思っていたが、ある日突然事態が変わった。
オフィーリアがあの夜に、頭を打った影響か言動がおかしくなってしまったのである。
まず、ナタリーの前でライバックのことを『勇者ライさま』と呼んだのだ!
それは、勇者ファンが親しみを込めて呼ぶ名称なのに。
そして、ナタリーが勇者ライさまのモチーフグッズを身につけていることを正確に見抜き、ナタリーが勇者ファンであることを指摘。持っている勇者グッズを見せろとまで言ってきた。
その後は、怒涛の展開だった。
オフィーリアとナタリーは一緒に勇者のファンとして活動し、勇者の記事をスクラップしてまとめて読んだり、新しいグッズを買って収集し始めた。
オフィーリアの言い分では、これは旦那さまであるライバックの礼儀作法を何とかするべく、勇者のことも知るべきだということらしい。
しかし、ライさまグッズを見るオフィーリアの瞳は輝きに満ちている。
市井にいる、勇者に憧れる普通の少女と同じように。
その説明はちょっと無理筋ではないか。
そう思ったが、主人を追及するなど恐れ多い。ナタリーは素直に頷いて納得した様子を見せたのだった。
そこから実際に、マナーブックも作成し始めた。
ナタリーにとっては楽しくて素晴らしい日々の始まりだ。
今まで、こんなに楽しく暮らしたことはなかった。
勇者ライさまを一緒に応援し、感想を語り合い、そしてライさまの為のマナーブックを編纂していく。
貧しい田舎で生まれ、娯楽もろくにない上に遊び呆けることなど許されない立場だった。
それが今、こんなにも毎日が楽しい。
夢のようだった。
こんなに幸せに暮らしていて良いのだろうかと真剣に考える程だった。
オフィーリアは感想を語り合っている時などは、親しみを込めて話してくれる。
恐れ多くも、自分が奥さまの友人になったように感じられた。
これからもずっと、こんな風に暮らしていけたらいいのに。
それには、主人夫妻の仲が良くなってくれることが一番だろう。オフィーリアにこの屋敷にずっといてもらうには、夫婦仲の改善が一番の課題だ。
どうしたら二人の仲は上手くいくのだろう。
特に妙案が出ることもなく、その前にマナーブックが完成してしまった。
でもきっと、これを見たらライバックもオフィーリアのことを認めてくれるのではないか。そう考えて、マナーブックを前に何やら考え込むオフィーリアを励ます。
「きっと、旦那さまも読んでくださいます!」
結果的に、ライバックもそのマナーブックを読んだし、王宮でオフィーリアとよろしくヤっていたようだ。
そうなったのはめでたい筈なのに、何だかナタリーの胸はツキンと痛んだ。
でも深くは考えずに、オフィーリアの世話係を全うする。
すると、マナーブックに代わる新しい本の編纂を持ち掛けられた。それも、勇者一行の記録を残すというとてつもなくワクワクする内容だ。
きっと以前のマナーブック作成以上に楽しい時を過ごせるに違いない。
疲れた様子のオフィーリアを寝かしつけた後、ナタリーはてきぱきとやるべきことをしていった。
主人夫妻の仲も、勇者一行の伝記編纂も、とても順調に進んでいった。
しかし、ナタリーは何だか胸がモヤモヤしてスッキリしない日が続いた。
確かに、伝記は面白い。勇者一行の取材をしてくれる冒険者たちも良い人たちだ。
オフィーリアも親切にしてくれて、自分を信頼しているのが分かる。それはとても嬉しい。
オフィーリアは以前と全く変わらず、勇者ライさまを信奉し、ファン活動を続けている。
変わってしまったのは、ナタリーの方だった。
オフィーリアと一緒なら楽しい。
でも、今は一人では勇者のスクラップ記事を読んでも何とも思わなくなっていた。
今までなら、勇者に関する記事を読みたくて仕方が無かったのに、今では仕事として義務的にまとめるのみだ。
そうこうしているうちに、また仕事が忙しくなったのか、ライバックが屋敷に戻って来なくなってしまった。
全然帰ってこないのは前と一緒だが、一時期頻繁に帰ってきて、オフィーリアを構い倒してその気にさせてからまた不在になるのはいかがなものだろう。
ため息ばかり吐くオフィーリアがいじらしくて、そして可哀想だけれど可愛い。
落ち込んだオフィーリアを慰めるのは、とても甘美な心地よさがあった。
しかし、実際に帰ってきたライバックが目の前で酷い態度を取り、オフィーリアが傷付くのを見ると腹が立って仕方が無かった。
(私のご主人さまに何をするの!)
オフィーリアが悲しい顔をしたら、自分のことより胸が痛むしその原因のライバックに怒りがわく。
ライバックは、オフィーリアにはもう協力したくないし一緒にいたくもないし、子供も作らないと言い放ったのだ。
散々オフィーリアに世話になっておいた挙句に、その傲慢な態度。
黙って空気のようにならなければいけないが、イラつきが表面に出そうになって耐える。
そして、ライバックは最後にこう言い放った。
「子が出来たら離婚になるからな」
どうやら、ライバックはオフィーリアと離婚したくないから子供を作りたくないと、そう言ったようだ。
しかも、ダメ押しのようにライバックに忠実な家令であるスチュアートが頭を下げる。
「旦那さまは、不器用な方なのです。どうかこれからもよろしくお願いいたします」
二人が部屋を出て行き、オフィーリアとナタリーが残された。その時、ナタリーはつい自分の意見を口にした。
勿論、感情的にはならないようにごく冷静でフラットな考えを述べたつもりだ。
「不器用だからって何をしても良いってわけではありませんよね。私、あの態度は酷いと思いました」
「そうね……」
「それに、スチュアートさんもどうかと思います! オフィーリアさまに『よろしくお願いいたします』って、何なんですか!? 男ならうじうじ黙ってないで自分の意思を告げるべきと思いますね! 自分から先に!」
全然冷静ではなかった。
話しているうちに怒りが抑えきれなくなって、声が大きくなっている。
それをオフィーリアに宥められた時に、ナタリーの心は完全に堕ちた。
オフィーリアはにっこりと笑顔になって優しく言ってくれたのだ。
「いえ、いいのよ。わたくしを思ってそう言ってくれるなら、嬉しいわ」
ハートを射貫かれるとはこのことだった。
いや、もう既に以前から心は勇者ファンから勇者の奥さまファンへと変わっていたのだ。
それに全然気付いていなかった。
「推し変しちゃいそう……」
そう口にした時は、とっくに推しが変わった後だった。