この溺愛は政略です! 「貴女を愛することはできません」と言った冷徹宰相に毎晩めちゃめちゃ甘く抱かれてます 下 1
セオドアが王城に行っている間、最近のイヴァンゼリンは屋敷で執務にあたっている。貴族の妻の仕事といえば、通常は家政を取り仕切る程度である。だが、ケイン公爵家ともなれば領地運営にかかわる内容も含まれる。
セオドアは宰相職もあるため、今は先代公爵と領地管理人が請け負ってくれているものの、その仕事の補佐をするのは妻であるイヴァンゼリンの役目だ。
急な結婚のせいで引継ぎも何もなかったが、近頃は引っ越し後の諸々の慌ただしさも落ち着いて、業務に取り組む時間ができた。だから執務室を与えられて仕事をしているわけである。
とはいえまだ指示を出すほどではなく、過去の資料を確認しながら、領地管理人の送ってきた内容に問題がないかどうかをチェックする程度ではあるが。
イヴァンゼリン用の執務室は急ごしらえのためまだ家具が少ないものの、作業用のデスクとソファセットがあるので充分だ。急ごしらえといっても、結婚直後のあの散財で買いそろえた物のため、もちろん高級品である。
今も、領地管理人から送られてきた資料に目を通しているところだ。しばらく作業を進めていると、わざわざ命じなくても気の利くメイドがお茶と茶菓子を差し入れてくれるので、イヴァンゼリンは疲れることがない。
ついさっきメイドがいれてくれたばかりのお茶で一息ついて、改めて彼女は部屋を見回す。
(本当に恵まれているわ)
ティムと婚約していたころには、将来に対する希望なんてなかったし、彼が浮気をしていると気づいたときには、新たな嫁ぎ先のことを考えて柄にもなく気が滅入った。
自分に責がなくとも婚約破棄をされれば傷物扱いだろうし、イヴァンゼリンの今後はどこぞの貴族派の後妻に納まるくらいしかないだろうと思っていたのだ。
当然そんな立場なら、ぞんざいに扱われるのは目に見えている。だというのに、現宰相であるセオドアに娶られたうえに、彼はいつだってイヴァンゼリンの意見を尊重してくれる。ティムのことに関してはちょっぴり頑なな面もあるものの、可愛いものだ。
(それに、こんなに信頼してお仕事を任せていただけるとは思ってなかったわね)
妻として大事にするとは言われていたものの、プレゼント攻撃をされたときにはお飾りになるのかと思っていた。
できれば貴族の義務と役割をきちんと果たしたい彼女としては、仕事を振られるのは助かる。もちろんお茶会や夜会で人心掌握をすることも重要な役割ではあるし、書類仕事がなくとも貴族の妻にはなすべきことがたくさんある。
それに今は孤児院訪問などもあるとはいえ、その業務のみでは暇だろう。少なくとも、幼いころから淑女教育をみっちり叩きこまれ、社交に、勉強にと忙しく過ごしていたイヴァンゼリンには社交だけでは暇だと思えた。
彼女が仕事をしたいことをわかっていて、セオドアが任せてくれる。それが純粋に嬉しかった。
(今頃セオドア様は何をされてらっしゃるかしら)
彼の顔を思い浮かべるだけで、ほんのりとイヴァンゼリンの目元が緩む。
そんなときだった。屋敷の玄関ホールが、にわかに騒がしくなる。
(来客の予定はなかったはずだけれど……)
当日になって急に訪問することがあったとしても、先ぶれがあるはずである。誰だろうと思っていると、バタバタという足音がイヴァンゼリンの執務室に近づいてきた。そうしてノック音が響く。
「イヴ、私です。入ってもいいですか?」
(セオドア様?)
「どうぞ、お入りになって」
イヴァンゼリンは椅子から立ち上がって彼を迎える。おそらく玄関ホールから走ってきたのだろう。彼は息を切らしていた。
(どうされたのかしら)
こんなに焦った様子のセオドアは見たことがない。
「イヴ」
腕を取られた。そう思ったときには、抱き寄せられてセオドアの腕の中にすっぽりと収まっている。
「セオドア、様……?」
抱きしめられたのはもちろん初めてではない。だが、こんなに急にされては、どきどきするなというほうが無理だ。
思わず上ずった声に恥ずかしく思いながら、イヴァンゼリンは恐る恐る顔をうかがう。
「好きです」
「え」
「イヴ、好きです。貴女のことが、本当に好きなんです。嘘じゃありません」
ストレートな愛の告白だ。くりかえされる言葉に、ぼっと彼女の頬が赤く染まる。後ろについてきていたらしい侍従が驚いた顔をして、慌てて部屋から出ていった。
これでふたりきりである。それを視界の端で捉えながら、イヴァンゼリンはきゅっと口をつぐむ。
(いつものだってわかってても、心臓に悪いわ……!)
そっと腕を回して、イヴァンゼリンはセオドアを抱きしめ返す。『嘘じゃない』と念押しされたところで、侍従へのアピールに違いない。目が泳ぎそうになるのを堪え、目線を合わせた。
「私は、イヴ、貴女に……」
青い瞳を揺らしながら、セオドアが言葉を選んでいる。さらなる愛の言葉を囁くつもりなのだろうか。
(だめね。演技でも……)
胸が熱くなって、きゅうっと締めつけられる。恋の熱に浮かされたイヴァンゼリンは、顔が勝手に緩んだ。
「わ、たくしも……好きです」
蚊の鳴くような声になってしまった。だが彼には聞き取れたらしい。何ごとかを言いかけていた彼は、一瞬ぽかんとして固まる。
「本当に……?」
こんなふうに聞き返して確認されたことなどない。なのに、疑問にも思わず、イヴァンゼリンは本心をくりかえす。
「はい、好き……ですわ」
今度はしっかりと返事ができた。するとセオドアの涼やかな目元がとろんと緩んで、嬉しそうに微笑む。
(あ……される)
そう思ったときにはすでに、青い瞳が間近に迫ってきていた。背中に回された腕が、するりと背筋を撫でて、後頭部をやんわりと支える。それと同時に唇が重なった。
「ん……」
「貴女が同じ気持ちでよかった。好きです……好きです、イヴ」
ちゅ、とリップ音をたてて唇をはまれ、囁かれたかと思えばまた口づけられる。
「イヴ」
低い声が何度も名前を呼んで、柔らかくキスを落とされた。それはすぐに口内を求められるものに変わる。
「ぅ、んん……」
舌が入ってきて、中を這いまわる。その熱を受け入れ、イヴァンゼリンは舌を絡ませた。ちゅるちゅると貪られるたびに、身体の奥に火がついたようにじんわりと熱くなる。
「は、ぁ……セオ、ドア様……」
「セオと呼んでください、イヴ」
甘くねだって、今度は耳を甘噛みされた。
「ま、って……ください……まだ、昼間ですわ。こんな……あっ」
ぬる、っと耳が舐められる。その感触がくすぐったいならよかったのだろう。だが、イヴァンゼリンには身体の奥に響く愛撫にしか感じられなかった。
「んぁっま、あ、ぁ……っ」
ぴちゃぴちゃと水音が響く。
「イヴ、すぐに抱きたい。だめ、ですか……?」
「え……ぁっ」
ねっとりと耳を攻められて、イヴァンゼリンの腰が砕ける。ほぼ毎晩求められるいつもの営みは、子づくりのための義務だ。だからこんなふうに我儘を言われたことなどない。
(だめだなんて……言えるわけがないわ)
好きな人にこれほど熱烈に求められたら、身体が疼いてしまう。
「イヴ?」
顔を覗きこまれて、返事を待たれる。こんな性急に情事を要求しているのに、イヴァンゼリンが了承するのを律儀に待ってくれているのだ。それが嬉しくてたまらない。
もう昼間だなんて関係なかった。イヴァンゼリンも身体の奥がセオドアを欲している。
「……シて、ください」
イヴァンゼリンは小さく答えて、噛みつくように口づけをした。情事の合図を出すのは恥ずかしい。けれどその恥じらいを吹き飛ばす勢いで、セオドアは激しく口内を貪ってくる。
「ん……んんぅ……っ」
唇を奪われ舌を絡めあったまま、じりじりと身体が移動する。そのうちに足がソファに引っかかって、バランスを崩したと思ったときには押し倒されていた。太ももを擦り合わせたところで、くち、と音が鳴ってイヴァンゼリンは、はっとする。
「セオ、あの……待って。やっぱり」
「待てません」
足首に手が這ったかと思えば、ドレスをたくし上げられて、すぐにドロワーズを脱がされてしまう。股を割り膝下に足を潜りこまされて、あっという間に秘部を曝け出された。
口づけだけで蜜を滴らせた割れ目は、ぱっくりと割れて入り口を差し出している。そこに指が二本、ぐちゅっと音をたてて入ってきた。
「ああ……もうこんなに熟れて。中も柔らかいですね」
「やぁあ……ふぁっあ、だめ、そこ……っ」
入り口すぐ近くを指でぐちぐちと圧迫されて、蜜壺はきゅうきゅうとうねる。もう彼にどんな愛撫をされても気持ちがいい。何もかもが恥ずかしくて顔を両手で覆えば、その手の甲に唇が落とされた。
「口づけだけでこんなに濡れたんですか? それとも、『好き』だって言われたから?」
「セオのせい、です……んぁ……っ」
「ああ。私のせいでこんなに感じやすくて、いやらしい身体になったんですね? では、責任を取らないと」
にゅぷ、と指を抜いたセオドアはズボンを寛げて、怒張を取り出す。いつもなら焦れるくらいに解される中を、いくらも愛撫されていない。それでも穂先を押し当てられれば、蜜壺はひくりとうねって太いものを求める。
「挿れます」
「あ……っ」
ずにゅう、と男根が入りこんだ。それをきゅうきゅうと締めつけて、蜜壺は悦ぶ。
「動いていいですか?」
「は、ぁ、ああ、だめ……ま、って……」
内腿がかくかくと震えている。挿入の刺激のみで軽く達したイヴァンゼリンは、助けを求めるように、セオドアの上着をつまんだ。
(わたくしたち……こんな、服を着たままで……)
性器だけを出して繋がっている。それが恥ずかしいのに、気持ちいい。そう思った途端にまたもやきゅうっと蜜壺が啼く。
「そんなに、締めつけないでください……我慢、できなくなります」
「んぁああ……っ!」
ぐりぐりと奥を押されて、はしたない声が漏れる。軽く痙攣していたところにさらなる刺激を加えられて、肉壁がぎゅうっと緊張した。しかしセオドアはそれをものともせずに、抽送を開始する。
「はあ……可愛い……イヴ、可愛いです……」
「やっあ、ああっそ、んな……セオ……ふぁっ」
ピストンは決して速くない。繋がりを感じとるように腰を引いては最奥まで突き上げられる。内壁を穂先がこするのが心地いい。
だが、その直接的な快感よりも、可愛いと囁かれるたびに、胎の奥に響いて切ない。熱のこもった青い瞳が見つめてきて、それだけで気持ちがよかった。
(勘違いしそう……)
いつもと同じ目、同じ声音だ。好きだと言われるのも、可愛いと囁かれるのも、愛おしくてたまらないというこの目線も。すべていつも通りだ。
なのに、今日に限って早く帰ってきて、我慢できないと抱かれている。これではまるで本当に溺愛されているかのようではないか。
(ううん。勘違いでも、いいのかしら)
セオドアは生涯大切にしてくれると言った。その気持ちを疑う暇もないくらいに、毎日彼はイヴァンゼリンを甘やかしている。それはベッドの上だけの話ではない。
(……ちゃんと、わたくしからも……甘えてみたい……)
「は、ぁ……せお……もっと、んんっもっとして……?」
「っ!」
ぐんっと強く腰が打ちつけられる。抽送が止まると、やけに太くて硬い肉棒がぴくんぴくんと震えているのがわかる。達するのを我慢しているらしい。
「どうして、そんなに可愛いんですか」
「だって……セオ、が……こんな、時間から……ぁ、するから……ん……っ」
言葉を待ちきれないとばかりに、唇をふさがれる。腰をわずかに揺らされるだけで、もう絶頂しそうなほどに気持ちがいい。ぐちゅぐちゅと泡をたてながら、セオドアは腰を振った。
イヴァンゼリンのおねだりに、彼は全力で応えてくれる。先ほどまで穏やかだった動きが、急に激しくなって、もう達するのを堪えられそうにない。同時に口内を貪られ、熱で溶けてしまいそうだ。
「んぅ……っ、ふ、ぅん、んんん……っ!」
ばちゅっと強かに打ちつけられて、熱い白濁が勢いよく注ぎこまれる。同時にイヴァンゼリンの蜜壺もがくがくと強く痙攣した。ひとしきりの吐精を終えて、ようやくセオドアの腰が止まる。
けれど、熱を失ったはずの肉棒をまだ引き抜かない。それに口づけもやめる気配がなかった。そのうちにむくむくと竿に欲がみなぎってくる。
まだこの行為を長引かせたいらしい。けれど、いつまでも繋がっていたいのは、イヴァンゼリンも同じだった。
奥を穿つにふさわしいほどに硬くなったところで、セオドアはやっと唇を解放する。
「今日は早く、貴女に好きだと伝えたくて……。それで王城を飛び出してきてしまいました」
(仕事を放りだして、わたくしに会いに……?)
そんなにも自分を求めてくれたのかと思うと、またも胸が高鳴った。
(……やっぱり、もう。わたくしは素直に、セオドア様に気持ちを伝えたほうがいいのかも)
目を細めてイヴァンゼリンは思う。けれど、その想いとは裏腹に、むぅっと唇を尖らせた。
「……わ、わたくしに会うためでも、お仕事を放棄されるのはどうかと思いますわ。嬉しかったですが……その、次はだめですよ?」
尻すぼみになった本音を誤魔化すように、イヴァンゼリンは『だめ』を強調する。そんなことを言っても、嬉しさで頬が緩んで仕方ない。
「ああ、怒られてしまいましたね。仕事をサボってまで貴女に会いに来るなんて、どうやら私はイヴに溺れているようです」
「溺れてる、だなんて……」
「そういえば殿下にも、もっと溺愛のアピールをしろと言われていたんでした。今日の行動は周囲へのアピールとして効果覿(てき)面(めん)でしょうね」
くすくすと笑いながら、ちゅう、と額に口づけを落とされた。
「あ……」
つきん、とイヴァンゼリンの胸が痛む。
(そうだわ……)
「脱がせますね」
ずるっと肉棒を引き抜くと、彼はイヴァンゼリンの身体をうつ伏せにさせた。そうして腰をしっかりとつかんで、またも挿入される。注ぎこまれたばかりの白濁が、ごぽっと音をたてたが、お構いなしだ。
先ほどまで雄を受け入れていた蜜壺が歓喜にうねっているのに反して、イヴァンゼリンは顔を苦しげに歪める。でもそんな顔はセオドアには見えていなかった。
彼はドレスの背中に通した編み上げのリボンを解きながら、彼女のうなじにリップ音をたてて口づけを落とす。続いてドレスをずりおろしながら、腕や胸を柔らかになぞっていった。その触れ方はさっきと同じで、愛おしくてたまらないものに触れるかのようだ。けれど。
(これは政略のための演技だったんだわ……)
もともとこれらはすべて、政略のためだ。人前でぼろが出ないように、好きだと言い合おうと始まったことだったのだ。
(初夜に、言われたのに。セオドア様は、わたくしを愛することはない、って)
大切にしてくれているし、誠実に接してくれている。なのにこの言葉一つ一つがすべて、本当は愛などではない。そう思うと、辛かった。
「愛しています、イヴ」
甘やかに囁かれ、やがて抽送が始まる。初めて口にした愛の言葉を、セオドアがどんな顔で言ったのかはわからない。だが、今のイヴァンゼリンには響かなかった。
「あ、ああ……っ」
心は揺れずとも、痺れるような快感に溺れさせられる。イヴァンゼリンの気持ちを置き去りにしたまま、情事はまだ長引きそうだった。
***
イヴァンゼリンたちが結婚して三カ月ほど経った。今日は珍しくもセオドアが丸一日の休暇をとっている。というのも、あと十日ほどでケイン公爵家主催で夜会が行われるからだ。
実を言えば、セオドアの代になってからケイン公爵家が夜会の主催をするのは、宰相就任時のお披露目会の以後、初めてのことである。忙しいのを理由に今まで避けてきたのに今回に限って主催するのは、他ならないイヴァンゼリンのためだった。
二人の結婚式は社交シーズンが終わったあとの予定で、まだかなり先である。書面上は結婚しているにもかかわらず、そもそも婚約式すらしていない。
このため、やはり正式に二人の仲をお披露目する場は必要だろうという話になったのだ。たとえ二人そろって夜会に何度か出ていて、国中がゴシップ記事で二人の仲を知っていても、である。
本来ならば結婚後すぐにすべきであったが、この時期になったのは理由がある。このお披露目をしようと言い出したのは、セオドアが昼間に突然帰ってきた直後だったからだ。
あの日からセオドアの甘やかしの演技は加速度的に進んでいる。
(より仲良くする必要があるって言っても……なんだかそわそわしてしまうわ)
セオドアの態度はもはや『溺愛』と言っても過言ではないほど甘い。結婚当初でさえ充分甘かったというのに、今はその比ではなかった。
「食器も多くて選ぶのが大変ですからね。一緒に選んでしまいましょう」
今日はそう言って、セオドアの休みの午後に二人で夜会のための打合せをしていた。
けれども、その距離がやたらと近い。
ティールームのソファセットで客もなくふたりきりで話しているのだから、向かい合わせに座ればいいものを、セオドアはあえてイヴァンゼリンのすぐ隣を選んで腰を下ろしているのだ。
ケイン公爵家のメイドたちにでさえ政略結婚の関係性は秘密なので、徹底した態度は必要なのだろう。そうは思うのだが。
(……困る)
メイドたちが次々と食器やら小物やらを運びこんでくるのに対し、てきぱきとセオドアが選んでいく。これならイヴァンゼリンがいなくてもよかったのだろうが、本来であれば女主人の役割である。きっとセオドアは同席させることで彼女を立てつつ、仕事の負担を軽減してくれているのだろう。
(本当に甘やかされているわ)
当日のクロスを選んでいるところで、ぴたりとセオドアが止まった。
「イヴ、大丈夫ですか?」
「え?」
「すみません。続けての作業で疲れたでしょう。ちょっと休みましょう」
「いえ、わたくしは……」
指摘にどきりとしたものの、手を振って弁明しようとしたが、セオドアにきゅっと手を握りこまれて黙らされる。そして次の瞬間にはセオドアはメイドに命じていた。
「しばらく下がっているように」
「かしこまりました」
数人いたメイドがざざっと退室して、あっという間にふたりきりになった。テーブルにはお茶も茶菓子も置かれているからいつでも休憩ができたのではあるが、それに手を伸ばす間もなく作業を進めていたのは確かだ。
「大丈夫でしたのに」
「そうですか? ですが……私のほうがそろそろ足りなくなってしまいまして」
何が、と問いかける間もなく、セオドアがきゅっとイヴァンゼリンの腰を引き寄せる。
「触れてもいいですか?」
「あ……」
許可もなく腰を抱いた癖に、顔を近づけながらセオドアはそう尋ねる。彼女が小さく頷いたのをきちんと見たのかどうかすらわからないほどすぐに、セオドアの唇が重なった。ちゅ、とリップ音をたてて、すかさずもう一度すぐに重ね合わせる。
「ん……」
「もう少し」
「セ……ぅ……んっ」
名前を呼ぼうと開いた口に、ぬるっと舌が挿入される。ねっとりと舌を絡めて貪られると、簡単に息が上がってしまう。これはまずい。
「ま、待って……あっ」
制止をかけようとしたときには、不埒な手が腰から尻を撫でまわしている。
「だめ、です……!」
ぐっと肩を押して言ったところで、ようやくセオドアの手が止まった。唇を離しただけの至近距離の彼は、お預けを食らって眉尻が下がっている。
青い瞳にはすでにイヴァンゼリンを求める欲の色が浮かんでいた。なのに彼女に押しとどめられて律儀に静止している。
「するのはいやでしたか……?」
「そうではなくて……あっいえ」
言下に否定したところで、イヴァンゼリンははっとする。だがもうセオドアは嬉しそうにとろりと目を細めた。
(今の返事! 本当はしたいみたいじゃない!)
羞恥に頬を赤くしながら、すでにそう思われているであろう事実を噛みしめる。近頃のセオドアは、ふたりきりになるタイミングがあれば、いつでも睦言を囁いては身体に触れてくる。情事に至らずとも、人前でするには憚られるスキンシップが多いのだ。今は昼間だし、彼だって愛撫にとどめて最後までするつもりはないのだろう。けれど、今日に限ってはそれも困る。
わざと咳払いをしてから、イヴァンゼリンは弁解する。
「ごめんなさい。その……今日は月のものが始まってしまって……」
最後のほうは声が小さくなった。夫といえど、さすがに男性にこんなことを言うのは恥ずかしい。しかも言われたセオドア本人はぎゅうっと眉間に皺を寄せた。
「月の……そうだったんですね」
そう言いながらも、最後に唇にちゅ、と軽く口づけを落としてから、ようやくセオドアは顔を離す。そうして小さくため息を吐いて黙った。
「ごめんなさい……」
イヴァンゼリンはくりかえしたが、反して彼は小さく首を傾げる。
「わたくしが……早く、子を生さないといけないのに。また月のものがきてしまって」
責務を果たせない情けなさに俯いたところで、セオドアはきょとんとした。渋面だったのが真顔になり、少し考えてからようやく「ああ」と声を漏らす。
「ため息なんかで誤解させてすみません。イヴを責めたのではないですよ。貴女に夢中になりすぎて、このくらいのことも気づけない自分が情けなかっただけです」
そっと頬に手が当てられる。
「疲れている様子なのに、イヴの都合も考えずに盛ってすみません。どうにも貴女に触れると抑えがきかなくて。確か先月もその前も安静にしていましたね。ほら、横になってください」
「え」
まくしたてられて、気づいたときにはやんわりと腰をさらに引かれ、イヴァンゼリンの身体は横倒しになっている。頭がぽすんと落ちたのは、なんとセオドアの膝の上だった。鋼鉄の宰相様の膝枕である。
「あ、あのセオ……」
「お腹は大丈夫ですか?」
やんわりとセオドアがお腹を撫でてくる。温かくて大きな手だ。服越しにじわじわぬくもりが伝わってきて心地いい。なのに、胸がきゅんと詰まる。起き上がろうとしたが、セオドアは許すつもりはなさそうである。それを目線が語っている。
(……やっぱり落ち着かないわ)
膝枕を甘んじて享受しながら、イヴァンゼリンは頷いた。
「はい、大丈夫です……」
「本当ですか?」
じっとセオドアが見つめてくるのに対し、とっさにうまい返しができず、答えに窮する。
(……セオドア様相手でなければ、簡単に誤魔化せるのに)
淑女の微笑み仮面を被って、なんでもないようにあしらうことができるはずだ。なのにセオドアが相手だとうまくいかない。
(セオドア様のせいで、淑女らしく振舞うのが下手くそになっちゃったみたいね)
実際にはそれは気のせいだ。なぜなら他の社交の場に出るとき、今だってずっと彼女は淑女の顔で他人と接することができている。
うまく取り繕えないのは、セオドアとふたりきりで、しかも彼がどこまでも甘やかしてくるせいだ。それに。
(……どうしようかしら。表情も作れないほど、セオドア様が好きだなんて。困ったわ。政略のためなのに、ボロが出てしまいそう)
理由はきっと、取り繕えないほど彼に惚れたせいだ。
うっと言葉に詰まったままのイヴァンゼリンを、セオドアがじっと見つめる。そうしてとうとう彼女は白旗を上げた。
「……本当は少し、お腹が痛いです」
気まずくも白状すれば、セオドアは困ったように息を吐いた。そもそも、先ほど疲れていると指摘されたときだってどきりとしたのに。
彼は本当にイヴァンゼリンをよく見ている。
「やっぱり。そういうことは早く言ってください。寝室に移動して、今日はこのままゆっくり過ごしましょう」
「でも、まだ夜会の準備が終わっておりませんわ。少し休憩したら残りを決めてしまいましょう?」
「だめです」
膝枕の体勢だったのに、セオドアは彼女の身体をゆっくりと起こすと、横抱きにして立ち上がった。宰相で力仕事に慣れていないはずの彼は、意外に力が強い。
しかも寝室に直行するつもりらしい。そのままティールームの外へと向かって歩きはじめる。
「セオドア様! お待ちください!」
「いいえ、待ちません」
頑ななセオドアの態度に、思わずイヴァンゼリンは唇を尖らせた。子どもっぽい仕草だからとずいぶんと幼いころに封印したはずの癖だ。
どうにもセオドアは彼女の貼りつけた笑顔以外の表情を引き出してくる。とはいえ、それはセオドアにとってのイヴァンゼリンも同じなのだろう。
渋面ではなく、セオドアは困ったような顔になった。
「イヴ。身体が辛いときくらいしっかり休みましょう。貴女は頑張りすぎです」
当主として、あるいは夫として命じるほうが簡単なのに、彼はそうしないでイヴァンゼリンにお願いをする。行動は強引なものの、意見を聞こうとしてくれる。
「わたくしお飾りの公爵夫人じゃなく、きちんと役目を果たしたいです……ですから」
「お飾りなんかではありませんよ。イヴはきちんと夫人の仕事を果たしてくれているでしょう」
やれやれと首を振って、セオドアは否定する。
彼の言うことはもっともだろう。結婚してからの期間で、以前まで家令と領地にいる先代ケイン公爵夫人が請け負っていた女主人の役割を、すでにイヴァンゼリンはほとんど引継ぎ終わっている。通常であれば先代につき従い一年以上かけてゆっくり行うものなのに。
しかも直接指導してもらったわけでもないのだから、今の働きでも充分すぎるほどだろう。
だが、イヴァンゼリンには負い目がある。
「子どもも作れていないのですから、夜会の準備をさせてくださいませんか?」
この政略結婚は、子どもができなければ不自然だ。その重要性をイヴァンゼリンはずっと考えている。
(……この優しさも全部、政略結婚だからいただいているのだもの。務めくらいしっかり果たさなきゃ)
その想いをこめて告げた言葉に、セオドアがまたもため息を吐く。今度は深く、大きい。
「イヴ」
心配そうだった顔が、渋面になった。
「先ほど貴女の身体のことが心配で言うタイミングを逃していましたが。子は授かりものです。イヴに責任があるものではありませんよ。わかっていますか?」
「でも……」
一般的には子ができなければ、妻が責められるものだ。実際、毎晩セオドアは彼女を抱いているのだから、できないのなら自分が悪いのではないかとイヴァンゼリンは思ってしまう。
「貴女は真面目ですから、子どものことも、政略のために必要だと思って責任を感じているのでしょうが……」
図星である。
「そんなに焦る必要はありませんよ。そもそも私たちが仲良くしていれば、充分です」
「でも……」
子どもがいたほうが説得力が増すのだ。イヴァンゼリンはどうしてもそう感じられた。
「それに、世の中の恋愛結婚の夫婦は避妊する方もいるくらいですから」
「避妊……?」
イヴァンゼリンには意味がわからない。世継ぎは早めに、しかも数人いたほうがいいとされる貴族社会では、避妊など愛人関係でなければ考えられないだろう。セックスはしたいが、子どもはできて欲しくない人間のためのものなのだから。
(……待って。つまり、子どもを作らないで営みをし続けたい、という意味……?)
急に思い至って、ぼっと顔が赤らむ。
「身体に負担がありそうなら避妊したっていいんです。子どものことは、おいおいで。私たちはのんびりとやっていきましょう?」
「はい……」
恥ずかしさでようやくそれだけイヴァンゼリンは答える。
(あれ……でも、それなら毎日情事を営む必要はないんじゃないかしら……?)
そう考えたところで、すぐに思いなおす。
(……毎日シたほうが、メイドたちに溺愛を印象づけられるし、噂になるものね)
なるほど、と簡単に納得する。
(セオドア様は演技が徹底しすぎてて、本当に溺愛されてるみたいだわ……)
それは『みたい』ではないのだが、いかんせんセオドアはいまだに誤解を解けていない。
おかげでイヴァンゼリンは勝手に誤解を深めるのだった。