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麗しの辺境伯令息は胃が痛い ワケあって、新妻といっぱい孕ませ×××しなければなりません 1

第一話


 シエナ・ウォルステン辺境伯令嬢は今日、成人となる十八歳の誕生日を迎えた。
「わたくし宛てに手紙とか来ているかしら?」
 シエナが侍女に聞けば、「坊ちゃんからお手紙と贈り物が届いています」と言われる。
 坊ちゃん、つまり弟のクリフォードは誕生日以外もこまめに手紙を送ってくれるので、彼のお祝いは予想できた。
 しかし両親と婚約者からは何も届いてないという。
「まずいわね……」
 両親はどうでもいい。彼らが娘を疎んじているのは分かっている。でも婚約者のリオネルとは、シエナが二十歳になるまでに必ず結婚しなくてはいけないのだ。でなければウォルステン家は皇帝の怒りを買ってしまう。
 だというのに、リオネルと七年も音信不通になっている状況だ。
 シエナは物憂げにため息を漏らした。
「仕方ないわね、クリフォードと相談してみるわ」
「かしこまりました。見つからないよう、お気をつけて」
 ウォルステン城には両親と弟が暮らしているけれど、シエナは立ち入りが禁止されている。そのため弟に会うには隠し通路を使って忍び込まねばならない。
 侍女に灰色のフード付きマントを着せてもらい、シエナは本邸となる城にこっそりと潜り込んだ。
 ……そしてとんでもないものを見てしまった。家令が侍女へ、お嬢さま宛ての手紙と贈り物を燃やせと命じているのを。
 我が家に“お嬢さま”はシエナしかいない。つまりシエナが受け取るはずの品を、使用人が勝手に処分しようとしているのだ。
 しかも焼却炉に手紙を放り投げる侍女たちは手慣れている様子だった。
「なかなか諦めないわね、ハルドウィックの小僧も」
 あり得ないことにシエナの婚約者を小僧呼ばわりしている。
 ちょっと、あなたが小僧呼ばわりしているのは辺境伯令息よ、とシエナは声を大にして言いたい。
 この国──ディグロフ帝国での爵位の順は、上から公爵、辺境伯、侯爵となっているが、辺境伯家は公爵家と同等の権威を皇帝から与えられている。
 なので辺境伯令息とは、使用人が見下していい方ではない。
「あの小僧、もう七年もお嬢さまの連絡がないんだから、嫌われているって自覚すればいいのに」
「しつこいったらないわよねぇ」
 ──待って、わたくしはリオネルさまを嫌ってなんかいないわよ!
 シエナは憤慨するものの、城の人間に見つかったらまずいので、木の陰で息を潜めることしかできない。
「でも今回の贈り物は宝石よ。本当に燃やしちゃうの? もったいない」
「……以前ね、お嬢さま宛ての贈り物をくすねた侍女がいたんだけど、ハルドウィックからの品を身に着ける者など許しがたいって、旦那さまに折檻されてクビになったわ」
「燃やしましょうか」
 ころっと手のひらを返した侍女が小箱を焼却炉に放り込む。リオネルからの贈り物が炎に包まれるのを盗み見て、シエナは呆然としたまま地面に座り込んだ。
 ──七年前からリオネルさまの手紙が途絶えたのは、こういうことだったのね。わたくしからリオネルさまへ手紙や贈り物を送っても返信さえなかったのは、もしかしてリオネルさまに届いていないのかも。
 とんでもないことである。シエナとリオネルの婚約は、ディグロフ帝国の皇帝陛下が命じたものだ。臣下が君主の命令に背くなどあり得ない。
 最悪、謀反だと見なされる。
 ──大変だわ。
 シエナは慌てて弟のもとへ、使用人たちに見つからないように走った。

  ◇   ◇   ◇

 ディグロフ帝国の東部、隣国と国境を接する領地は二つある。ウォルステン辺境伯領とハルドウィック辺境伯領だ。
 巨大な湖を挟んで隣接する二つの土地は、どちらも建国したときは小さいながらも王国だった。
 しかし百四十年前、ディグロフ帝国に併呑されて辺境伯領になった。
 二つの辺境伯家は旧王国時代から敵対しており、かつては幾度も武力衝突するほど仲が悪い。
 そのため元王族であった当主一族は、今でも互いに嫌悪し、いがみ合っている。
 さらに爵位が同格の辺境伯になったことで、「国境を守る国防の要は我が一族である!」と何かにつけて張り合い相手を貶めていた。
 互いの領民たちも、湖での漁や河川の水運でしょっちゅう揉め続けている。
 小競り合いが発生することも少なくないため、あわや領地戦が勃発しそうになったときさえあった。
 この状況に業を煮やした皇帝は、ハルドウィック辺境伯家に男児のリオネルが、ウォルステン辺境伯家に女児のシエナが生まれると二人の婚約を命じた。
 シエナが二十歳になるまでに結婚しろと。
 二つの辺境伯家は、「親族になるなんて冗談ではない!」と猛反発したが、強大な権力と武力を誇る帝室に逆らうことはできなかった。
 シエナが五歳、リオネルが十歳になった頃から、両家は毎月一回、帝都の帝城で子どもたちを引き合わせている。
 親たちは互いに口を利かず、「おまえらと茶なんて飲みたくない」と険悪な雰囲気だったが、幼い婚約者たちの関係は悪くなかった。
 シエナもリオネルもまだ結婚がどういうものか理解できなかったけれど、“この人とずっと一緒にいる”ことはなんとなく分かっていたため、幼いなりに仲良くしていたのだ。
 会えない間は手紙を送り合い、絆を深めようと努力していた。
 親たちも帝室を恐れて、子どもへ婚約者の悪口を吹き込むようなことはしなかった。まあ放置したともいう。
 このままいけばウォルステン家とハルドウィック家の血統が混じるという、歴史的な転換点を迎えるだろうと社交界では囁かれていた。
 しかし今から七年前、突然シエナは帝都から領地に移され、しかも本邸の城ではなく別邸となる屋敷での暮らしを両親から命じられる。さらに本邸への出入りを禁じられたため、リオネルに関わる情報が一切入ってこなくなった。
 シエナは婚約者と会えず相手からの手紙さえも途切れ、両親は娘と会おうともせず婚姻の具体的な話は全く進んでいない。
 そこでシエナはたびたび本邸へ侵入し、ひそかに弟と連絡を取り合っていたのだ。

  ◇   ◇   ◇

「──と、いうことなの」
 シエナは城の隠し通路を使って弟の部屋に潜り込むと、今さっき見てしまった侍女たちの蛮行を彼に告げ口する。
 弟のクリフォードは右手で額を押さえて顔を伏せた。
「とんでもないことだよ、それは……皇帝陛下が知ったら帝国騎士団を送り込まれるかもしれない」
「そうなったら、我が領の騎士団では太刀打ちできない?」
「できないね。騎士の数が違うし、あちらは帝国中の猛者が集まる精鋭部隊だ。地の利があっても蹂躙されるだろう」
 クリフォードは両手で顔を覆ってうなだれる。
 彼はシエナの二つ年下で十六歳だが、唯一の跡取りとしてすでに領地運営に関わっており、シエナよりずっと領地に関して詳しい。その彼が打ちのめされているなら、本当のことなのだろう。
「でも、わたくしとリオネルさまが結婚すれば、陛下も謀反だと思われないのではなくて?」
 クリフォードが体を起こして苦い顔つきになる。
「そうかもしれないけど、七年間も手紙や贈り物を無視しているんだよ。リオネルさまも怒っていらっしゃるんじゃない?」
「怒っているなら、わたくしの誕生日に贈り物なんてくださらないのではないかしら?」
「うぅ~ん……」
 クリフォードが腕組みをしながらうなり声を漏らす。
「わたくし、あの方に謝らないといけないわ」
「手紙や贈り物を燃やしていたことを? やめておきなよ」
「どうして?」
「この件は間違いなく父上と母上の命令によるものだ。つまりあの二人は、姉上とリオネルさまを婚姻させるつもりはない」
「そうでしょうね」
「このことをハルドウィック家が陛下に密告したら、うちは帝室の怒りを買う。だからお勧めしない」
 うぅん、と今度はシエナの方がうなってしまう。
「でも放っておくことはできないわ。陛下が命じた婚姻の期限まで二年しかないもの」
「そうなんだよね……僕も姉上の婚姻について何度か父上たちに聞いているんだけど、任せておけとしか言わないんだ。まさか帝室に背くとは思っていなかったから……甘かった」
 クソッ、と珍しく悪態をついている。辺境伯令息という生粋のお坊ちゃんなので、めったなことでは粗野な言葉を使わないのに。
 それだけ切羽詰まっているとシエナも悟っていた。
「ねえ、リオネルさまって今も帝都にいらっしゃるのかしら。わたくし、直接会って婚姻の話を進めようと思うのだけれど」
「待った。もしばれたら父上たちが姉上に何をするか分からない」
 七年前からシエナは別邸暮らし……正確には屋敷に閉じ込められている。
 城で暮らす両親とは七年間、一度も会うことは叶わなかった。シエナはいまだかつて城に招かれたことはないし、両親が別邸を訪れることもない。
「大丈夫よ、別邸の使用人は全てわたくしの味方なの。わたくしが消えてもお父さまたちに知らせる者はいないわ」
 もともと別邸の使用人たちはお嬢さまの境遇に同情的だ。
 シエナの両親……当主夫妻は娘が仇敵に嫁ぐことで愛情を抱かなかったため、慈愛深い乳母や子守り、家臣たちがシエナを守り育ててくれた。
 別邸はシエナを閉じ込める檻ではあるが、城の人間が別邸の様子をうかがうことはない。
 シエナが消えても、使用人たちはお嬢さまが暮らしているように偽装してくれる。
 そう言い切れば、クリフォードが悲しそうな顔つきになった。
「どうして父上たちは、姉上にだけ、そんなひどいことができるんだろう……」
 あまりにも悲しそうな声だったので、シエナは弟を抱き締めた。
「あなたのせいじゃないわ。それにわたくし、あなたがいるから親のことはどうでもいいの。もともと令嬢は政略結婚で家を離れるものだし、リオネルさまと幸せな家庭を作るから大丈夫よ」
 そのためにも協力してね、とわざと明るい声を出せば、クリフォードは唇を引き結んでうなずいた。

 シエナからリオネルに出していた手紙と贈り物は、全て城を経由している。検閲があるからだ。
 ウォルステン家にとって不利なことや、領地の秘密を書いていないか家令がチェックしているらしい。
 親が子の手紙を調べろと命じるおぞましさは、あの両親は感じていないので。
 だが彼らの思惑が分かった以上、手紙を渡すわけにはいかない。
 そこでクリフォードは姉から預かったリオネル宛ての手紙を、自ら隣領へ運び商人を使ってハルドウィック家へ届けさせた。
 自領から送らなかったのは、どこでこの件が両親に漏れるか分からないせいだ。でもこれで確実にリオネルへ手紙が届く。
 喜んだシエナだったが、一ヶ月たっても返事はなく、二ヶ月が経過するとクリフォードも頭を抱えてしまった。
「これは怒っているよな……」
「やっぱり七年も無視していたら怒るわよね……」
 クリフォードがリオネルを調査したところ、彼は皇太子の補佐官を務めており、誰に対しても冷酷で人の温かさがない人物だという。
 シエナの印象だと優しくて温厚で頼りになるお兄さんだったが、もしかしたら自分の前でだけ猫をかぶっていたのかもしれない。
 ──リオネルさまってわたくしの中では人格者で、こういう方が婚約者で良かったって思っていたのに。
 ちょっと、いや、かなりショックだった。シエナはがっくりと肩を落としてしまう。
「姉上に届いた手紙や贈り物って、リオネルさまじゃなくって使用人が出しているのかもしれないな」
「あり得るわ」
 令息は淑女が好ましく思う品が分からないため、婚約者への贈り物を使用人に選ばせる者も少なくない。
 メッセージカードだけは自分で書くけれど、リオネルはカードも使用人に丸投げしている可能性もあった。
「わたくし、やっぱり直接謝罪しに行くわ」
「どうやって会うの? 門前払いじゃない?」
「うっ」
「それに父上たちにばれないように行くなら、帝都の街屋敷は使えないだろ。どこに泊まるつもり?」
「うぅ……」
 シエナが胸を押さえてうなだれると、クリフォードは「仕方ないな」とため息交じりの声を漏らした。
「方法がないわけではないけど……姉上、働く覚悟はある?」
「あるわよ」
「もうちょっと悩んでよ、辺境伯令嬢なんだから」
 貴族というものは働くことを卑しいと考える。働かずとも領地から収入が得られるため、領地運営や慈善事業は“奉仕”なのだ。
 官吏が皇帝に仕えるのも騎士が国を守るのも奉仕であって、それにより金銭を受け取るのは報酬ではなく“お礼”だ。
 ゆえに労働とは平民の行為であり、堂々と商売をする貴族は下位貴族に限定される。
 とんでもない屁理屈だが貴族とはそういう生き物である。面子と矜持が全てなので。
 それを分かっているクリフォードが告げた働く覚悟とは、建前ではなく本当に労働するということなのだろう。
「だってリオネルさまに会うためなのでしょう? それなら働くのは嫌だなんて言ってられないわ」
 あと一年と十ヶ月以内に結婚しなければ、降爵や領地の一部没収だってあり得るのだから。
「姉上、無駄に行動力があるもんね……」
 シエナとクリフォードが別邸と城で離れ離れになった後、姉が隠し通路を使って会いに来たため、クリフォードは腰を抜かした覚えがあった。
 でもシエナの覚悟が決まっているならクリフォードもためらうことはない。彼は姉を帝都へと送り出した。

  ◇   ◇   ◇

 リオネルは胃を痛めていた。
 先日、婚約者のシエナ・ウォルステン辺境伯令嬢が誕生日を迎えて十八歳になった。とうとう成人である。
 それはめでたいのだが、彼女が二十歳になるまでに婚姻することが決まっているのに、七年前から連絡が取れないでいるのだ。
 シエナへは頻繁に手紙を送り、誕生日や祝祭のたびに贈り物を添えている。しかし彼女からの返事は一度もなかった。
 昔はそうでなく、手紙の返事は必ず送ってくれたし、月に一回はお茶会をしていた。
 けれど七年前、シエナが帝都から領地での暮らしになると交流は途絶えてしまい、今では彼女がどうしているのかさえ分からない。
 ひそかにウォルステン家を調査したところ、シエナはなぜか城から離れた別邸で家族と別々に暮らしているという。治療不可能な病に侵されて療養中だから、隔離されているという噂もある。
 そのためデビュタントもしておらず、社交界には一回も顔を出していなかった。
 調査結果を知ったリオネルは倒れそうなほどショックを受けたが、同時に不信感も覚えた。
 ──あの子、すごく活発で私もしょっちゅう振り回されたが、あれで病弱だったのか?めちゃくちゃ元気だったけど。
 十一歳までの彼女を知るリオネルは噂が信じられない。まあ突然、たちの悪い病魔に捕まったということもあるが……
 ならば見舞いに行きたいとウォルステン辺境伯に願ったが、すげなく断られてしまった。
 リオネルは小さなレディがどうなっているのか分からず、心配で不安でたまらない。
 しかも数日前、使用人がシエナからの手紙や贈り物を処分していたことが発覚し、リオネルは激怒した。
 同時に、それを命じたのが両親だと聞いて絶望する。
 ──ウォルステン家との婚姻を反故にするつもりか? この縁談は勅命だぞ? 元王族のくせに君主の命令を守らないなんて馬鹿なのか?
 帝室に反意を疑われたら、いくら国境を守る大貴族といえども処罰される。皇帝陛下は慈悲深い方ではあるが甘い方ではない。
 リオネルは反意の意思がないことを示すため、仕える皇太子にこの状況を白状して謝罪した。
 大変ありがたいことに、皇太子は学友兼側近として、十年以上も付き合いがあるリオネルを疑わず許してくれた。
 さらに彼は皇帝に奏上し、領地にいるハルドウィック辺境伯を帝城へ呼び出して理由を問いただしたのだが──
『私はウォルステン嬢からの手紙を処分しろなどと命じておりません。使用人が勝手にやったのですね。処罰しておきます』
『だとしても、子息は七年もウォルステン辺境伯令嬢と会っていない。彼女が二十歳になるまでに婚姻できるのか?』
『もちろんでございます。ただ、我が家は陛下の勅命を守ろうとしていますが、あちらが色よい返事をしてくださらないので……』
 そこで今度はウォルステン辺境伯を呼び出して問い詰めたところ──
『我が家は娘とハルドウィック辺境伯令息の婚姻を歓迎しております。しかし娘が領地から出した手紙は一度も返事が来ていないため、結婚の意志がないのはハルドウィック家の方でしょう』
 と、両家とものらりくらりと逃げて何も解決していない。
 ここ数年はどちらの当主も領地から出てこないのもあって、婚姻の話を進めることさえできなかった。
 リオネルはこのままではシエナと婚姻できないと焦り、その反面、当主たちのふてぶてしい態度に疑問を覚える。
 ──うちの親もあちらの親も、皇帝陛下の機嫌を損ねることをひどく恐れていたくせに、なんで今はあんなに強気なんだ?
 頭の病にでもかかったのだろうか、だとしたら治しようがない。
 そう考えるたびにリオネルは胃痛を感じるのだった。

 どうやったらシエナと連絡を取り、彼女と結婚できるのかリオネルが日々悩んでいたとき、新しい書籍商がやって来た。
 リオネルの趣味は読書である。
 皇太子の補佐官として政治や経済の本を読むほか、大衆小説も好きだったりする。観劇や音楽鑑賞より文字を目で追うことを好むため、いくつかの書籍商を街屋敷に迎えていた。
 その日に会う予定の商人は、自領に近い東部の侯爵領から来たという。隣国の一つ、クレランド王国からの書籍を輸入しているとのことで、リオネルは興味を持った。
 クレランド王国は、ハルドウィック領ならびにウォルステン領とカミンの森を挟んで国境を接している。
 カミンの森は深く広大で、街道は通っているものの危険な野生動物も出るため、屈強な護衛を雇える商人しか利用できない。
 そのため森を通って運ばれた書籍は貴重だ。
 クレランド王国の本は兵法などの軍事系になることが多いけれど、リオネルは活字ならなんでも読む派なので構わない。
 クレランド王国は軍事国家であり、ディグロフ帝国ともたびたび戦っている。ただ、帝国から戦争を仕掛けたことは一度もないうえ、強大な軍事力を誇る帝国にクレランド王国は連戦連敗だ。
 負けるたびに莫大な賠償金を支払い、国力を落とし続けている。もういいかげん戦争をやめて内政に専念するべきなのに、歴代の国王は戦争好きだ。
 現在は休戦協定が結ばれて大人しくしているものの、この平和が永遠に続くとは帝国も思っていない。
 百四十年前も、クレランド王国は旧ハルドウィック王国と旧ウォルステン王国に宣戦布告し、領土を占領すると当時の王族たちを全て処刑している。帝国との戦いの前線基地にするため占領したのだ。
 その後、帝国騎士団によってクレランド王国軍を押し返したものの、この戦いで旧ハルドウィック王国と旧ウォルステン王国は帝国領になったから、因縁の国ともいえる。
 ──本に罪はないけどな。
 そんなことを思いつつ、リオネルは書籍商を待たせている応接間へ入った。室内には主人と思われる中年男性と、従業員らしき若い女性がいて、二人は扉が開くと素早く立ち上がって頭を下げる。
 ふとこのとき、リオネルは若い女性の振る舞いに眉根を寄せた。
 労働階級、つまり平民なのに淑女の礼をしたのだ。しかもふらつくことはなく、やけに美しい所作で付け焼刃には見えない。
 没落した貴族の令嬢だろうか、とリオネルは思いつつ長椅子に腰を下ろす。
「楽にしてくれ。今日はクレランド王国の書籍を用意したそうで、遠くからご苦労だった」
 許しを得て書籍商たちが体を起こす。
 リオネルは若い女性の顔を見て腰を上げそうになった。
 ──えっ、シエナ嬢!? い、いや、そんなわけないか。
 女性は十代後半ぐらいの美しい容貌で、己の婚約者に似ている……というかそっくりのような気がした。
 しかも彼女と同じ金髪翠眼だ。
 金髪に碧眼の組み合わせは珍しくないが、これほど鮮やかな緑の瞳は今までシエナしか見たことがない。
 ただ、シエナ本人だと確信が持てないのは、もう七年も彼女を見ていないからだ。
 最後に会ったのはシエナが十一歳のときで、当時はまだ幼さが残るかわいらしい少女だった。それゆえに目の前にいる凜とした美しい女性が、婚約者と同一人物かそうじゃないのか自信がない。
 ただ、リオネルはしょっちゅう婚約者が成長した姿を想像しており、そのイメージに目の前の女性はとても近かった。
 まるで成長したシエナが現れたようで目が離せない。
 書籍商が持ち込んだ本をテーブルに並べながら説明するけれど、リオネルは彼の言葉をほとんど聞いていなかった。言葉が右から左の耳へと流れ、混乱と懐かしさで胸が痛いほどドキドキする。
 おかしい、自分は心臓の病気など持っていないはずなのに。
「──いかがでしょうか、ノーリッシュ卿」
 リオネルは成人した際、父親からノーリッシュ伯爵位をもらってノーリッシュ卿と呼ばれている。だから自分が呼ばれたと分かっているのに、シエナによく似た女性を凝視して反応できなかった。
「あの、ノーリッシュ卿……」
「……ああ、いや、そうだな、いいと思う」
 何も考えずに口先だけで答えたら、書籍商がホッとした表情になった。
「ありがとうございます。では全てお買い上げということで」
 ──ん?
 リオネルがようやく我に返ったけれど、すでに書籍商は請求書に金額を記入して差し出してきた。まあまあ高額の数字が記されている。
 ……微妙に納得できなかったが、上の空だった自分が悪い。
 大人しく二枚の請求書にサインをして、一枚を部屋の隅に控えている家令へ渡す。もう一枚は書籍商が保管する決まりだ。
 これで取り引きは終了となり、よほどお気に入りの商人でなければ長居せず退室する。
 それを分かっているリオネルは視線を女性の方へ向けた。
「所作が綺麗な方だ。よほど家庭教師が優秀であったのでしょう」
 労働階級でも裕福な家なら、親が子どもに貴族と同じ教育を受けさせることも少なくない。下位貴族や地主階級に見初められ、特権階級の仲間入りを目指すこともある。
 女性の唇がわずかに弧を描いた。
「ありがとうございます。ノーリッシュ卿にお褒めの言葉をいただけるとは光栄ですわ」
 ……声までシエナに似ているような気がする。しかも美の女神にほほ笑まれたかのようで、リオネルの心臓が大きく跳ね上がって落ち着かない。
 今まで多くの淑女から言い寄られたが、勅命による婚約者がいるため、どれほどの美人でも己の胸が高鳴ることはなかった。
 それなのに婚約者に似ている女性からほほ笑まれると、胸がドキドキして心が彼女へ傾きそうになる。
 これはシエナに対する不貞ではないかと胃がしくしく痛んだ。
 ──いや、やはり心臓の病かもしれない。
 おかしなことを考えながらも、もう少し彼女と話をしたいと身を乗り出す。
「その、今日持ち込んだ書籍で、あなたがお勧めするものはありますか?」
「そうですわね、こちらの紋章学の本は読み物としても面白いですわ。紋章の変化と流行は、歴史や文化と密接に関わっていることを学べる良書です」
「ふむ。クレランド王国から取り寄せた書籍というから、軍事系のものばかりと思い込んでいた。そうでもないのだな」
「ノーリッシュ卿は文官と伺っておりますから、そういった書物は外しております。ですが騎士の英雄譚も取り揃えておりますので、ご興味がございましたら──」
「買おう」
「えっ」
「あ、いや、興味があるので、持ってきてくれないか」
 何かを考える前に買うと言ってしまった。本を持ち込むならこの女性にまた会えると思って。
「かしこまりました。ではノーリッシュ卿のご都合のいいお日にちに──」
「明日がいい」
「えっ」
「あ、いや、明日はちょうど都合がいいから。昼頃にしてくれ」
 壁際に控えている家令から困惑の気配を感じるが無視しておく。今日は休日だけれど、明日は普通に出仕する日だ。なんとか街屋敷に戻ってこよう。
「かしこまりました。では明日のお昼頃にお伺いいたします」
 そこで静かにしていた書籍商の主人が口を挟む。
「ノーリッシュ卿、明日は私に先約がございますので、対応は彼女一人でもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない。──君の名前は?」
「シュエナ・ヘニングと申します」
「シュエナ……」
 シエナではなく? との言葉をリオネルはすんでのところで呑み込んだ。
 ──やっぱりシエナ嬢ではないのか? いや、元王族の辺境伯令嬢が商人になっているなど、あり得ない……はず。
 自信がないのは、婚約者は幼い頃、とんでもないことをやらかす子だったとの記憶があるせいだ。
 しかしだからといって、まさか。
 ──君はシエナ・ウォルステン辺境伯令嬢ではないのか?
 との疑問が喉元までせり上がったけれど、貴族として生きてきた価値観が、「そんなことはあり得ない」と強く否定して言うことはできなかった。
 ──でもこんな偶然、あるのだろうか。いや、あってたまるか。しかしこれほど似ていて年齢も同じぐらいなんて、そんな……
 出口が見えない迷路に迷い込んだような気分になったリオネルは、再び胃の痛みを感じてみぞおち辺りをそっと手で押さえた。