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うっかり買ってしまった超絶美形男子が全力で甘やかしてくるんですが!? 1

第一話


 この世界は終わっている。
 空に輝く星が、幾つも降ってきたらしい。幾つも、幾つも。海は溢れ、山は削れた。街は崩れて、人は逃げ惑う。
 だが、それだけでは終わらなかった。
 星が砕けて毒となる。キラキラと舞い散って、世界を壊していく。草木も、動物も、人間も、容赦なく狂わせ終わらせた。
 それでも、生き延びた者がいたのだろう。
 だから、終わったのに、始まった。


「じいちゃんが言ってた話だけど……お伽噺だって」
 ジルベルタは掠れた声を出す。まるで吐息のような声でも、風呂場には良く響いた。
「へぇ、この世界の過去の話? そういうのは聞いたコトなかったなぁ」
 反対に、ハゥヴィーの声はご機嫌で、狭い湯船に二人で入っているというのに幸せそうに弾んでいる。暖かい空気は、何だか甘く感じた。
 ほわほわと、頭の中も溶けていく。
 ジルベルタは、ハゥヴィーの胸に背を預ける形で湯に浸かっている。ぐったりと凭れかかっていれば、幸せそうに抱え直してくれる。
 当たり前のように、後ろから顔を覗き込んできたハゥヴィーが、小さなキスを落としてきた。
 幸せそうな笑顔が眩しい。
 そうでなくとも、キラキラと眩い綺麗な顔をしているのに、その笑顔は反則だろう。驚くほどに整った顔に、黒に近い赤い瞳。少し長めの髪が顔に張り付くのか、掻き上げているから、綺麗な顔面があらわになっている。
 美人は三日で飽きるだとか言うけど、綺麗な顔は綺麗だ。
 何度見ても、何日見ても、綺麗だと思う。思わず見蕩れそうになってしまったから、ジルベルタはあえて低い声を出した。
「……昔は、種も勝手に発芽したし、動物ももっと小さかったらしい」
 抱き締められて苦しいだとか、狭いだとか、もっとゆったりしたいだとか、色々と思う所はある。
 風呂はゆっくり独りで入りたいと思うとか、色々と言いたい気持ちもある。
 しかし、身動(みじろ)ぎする気力もないジルベルタは、大きな溜め息だけ吐いた。
「……砕けた星の毒を浄化した草木が、自分の種を守る為に殻を頑丈にしたんだって……毒を浄化してもらいたくて殻を割って育てたけど……周囲から毒が消えても殻は硬いままだから……」
「いっぱい鳴いたから喉痛くない? 無理して話さなくてもいいよ?」
「……小難しい感じの話をしてないと恥ずかしさで死ねる」
 子供を作る行為というのは、どうして自分だけが疲れるのだろう。
 ジルベルタは、常々、本当に、物凄く、毎回何度も思っていた。
 別に、嫌な訳ではない。嫌いじゃない。気持ち良くて好きと言うには難しいぐらい、頭の中が真っ白になるので、好きだとは断言できないけど嫌いじゃない。
 それでも、差が有り過ぎじゃないだろうか。自分はこんなにも疲れ果てているのに、どうしてハゥヴィーはこんなにキラキラテリテリ満足そうでご機嫌なんだろうか。
 体力の差なんだろうかと、ジルベルタは不思議で仕方がない。
「まだ恥ずかしいの? 可愛いね、ジルベルタちゃん」
「……かわいくねぇ」
 行為が終わった後に身体を拭いてもらって、そのまま眠りにつくこともある。今回はハゥヴィーが風呂に入りたかったのか、ぐったりしたジルベルタの身体を抱えて風呂場に向かった。
 身体を洗ってくれて、髪まで洗ってくれる。
 ここで不思議なのが、行為の時と触れ方が違うということだろう。
 大きな手が身体を撫でるのに、どうしてか違う。汗や体液でベトベトになった身体を流してくれる動きと、ジルベルタを気持ち良くさせる動きは違う。
 そこまで考えてちょっと行為を思い出し、身体の奥が熱くなりそうだったから、ジルベルタはまた掠れた声を出した。
「……生き延びた人々が、壊れた家を直して、獣に襲われないように塀を作ったらしい」
「ん? ああ、田舎の話?」
「……昔々のお伽噺ぐらい昔の話だから……じいちゃんが言ってただけだし……」
「じゃぁ、中央辺りは繁華街というか密集地だったのかな? ココとは違う感じで、家の周りに塀なんてないからね」
 移動手段が少ないから、自分が住んでいる場所以外を知らない者が多い。
 地図はあるけど、世界の全てが描かれている訳ではない。その地図は、中央から東西南北に広がっているという。
「……家を塀で囲った後に、近くの家と行き来するのが大変だからって……ある程度の土地を皆で囲い直した……高い壁を作って、それが番地になった……」
「ふぅん、何で中央を基準にしたんだろうね? 俺はココの方が好きだな」
 中央から順に、番地が割り振られていた。
 中央から北に一つ目の番地ならば、北の一番。ジルベルタが住んでいるのは、南の五十七番。
 中央から離れれば離れる程、田舎と言われている。南の五十七番は、中央から五十七番目の囲いなので、田舎も田舎だった。
「……オレもココが好きだけど、中央ってのはもっと便利なんだろ?」
「そうだねぇ。水は井戸じゃないし、湯も機械で沸かせるし、煮炊きも竈(かまど)じゃない。でも、ジルベルタちゃんの住むココが俺は好き」
「……通貨も使えない、物々交換が主流の田舎だけどな」
「それで問題ないならいいじゃない?」
 ぎゅうっと抱き締めてくるハゥヴィーに、ジルベルタは身体を預けた。
 きっと、この後、身体を拭いてくれるし髪も乾かしてくれる。もしかしたら、自分の好きなお茶を淹れてくれるかもしれない。いや、これだけ掠れた声で喋っていれば、ハゥヴィーなら喉に良い柑橘系のお茶を淹れてくれるに違いない。
 幸せ、だ。
 こういうのを、幸せと言うんだろう。
 母は自分を産んで直ぐに亡くなったらしい。父は自分が小さな頃に亡くなっている。祖父母に育てられたが、祖母は数年前に亡くなり、祖父は去年亡くなった。
 一人になって、初めて知る。食事を作るのは面倒で、掃除は大変だ。畑仕事はもっと大変で、くるくると癖のある黒い髪を邪魔だと思って鋏(はさみ)で切った。
 ハゥヴィーと出会う前の、話だ。
 ほんのちょっと前の、自分だ。
 一人になって、一人でも生きていけると思っていた。一人でも生きていけるけど、一人は大変なんだと知った。
 そんな、ちょっと前のことを、ジルベルタは思い出しながら目を閉じた。


 ◇ ◇ ◇


 ジルベルタの家は、代々『種屋』を営んでいる。
 文字通り種を売るのだが、種は硬い殻に守られているので、まずは殻を壊さないといけない。
 守られている種を傷付けずに、殻を壊す。それは繊細な作業で、簡単そうに見えて難しかった。
 近場にあるものだけではなく、番地の囲いから出て種を探し、種類を増やす。
 他の種屋が所持している種を買い取ったり、遠くまで行き見知らぬ種を拾い集める。
 先祖が集めた種の種類は多く、ジルベルタの代になると、新しい種を求めなくても問題はなかった。
 それに、手持ちの種を畑に蒔いて育て、数を増やしたり、殻を割る時に中の種を少し傷付けて成長を見てみたりと、色々とやることはある。
 だから、一人でも生きていけるけど、一人で生きていくのは、大変だった。
「人手ねぇ。難しい問題よねぇ」
「ここだと手が空いている人はいないからねぇ」
 ジルベルタの家は、普通の家とは違い、門の所に店を構えている。
 祖父が言っていたが、昔々にこの世界が壊れて、生き延びた人々は壊れた家を直して住み着いたらしい。
 そして、獣から家を守る為に、家の周りに塀を作る。塀の一箇所に門を作り出入りするのだが、種屋を始めた時に門の所に店を作った。
 その後に、人が行き来するのが大変だからと、近くの数十軒が協力して大きな囲いを作る。高い壁を作って囲い、番地と言われるようになった。
 だから、この南の五十七番の中には、ジルベルタの家のように門の所に店がある家もある。
 店で買い物もできるが、番地ができて行き来が安全になると、広場に露店を出す家が多くなった。
 ジルベルタの家も、祖父母が揃っていた時には、広場に出ていた。
 でも、今はジルベルタ一人なので、広場に露店を出す余裕はない。
 それをわかっているのだろう。ジルベルタが一人になってから、同じ番地の皆が、店に様子を見に来てくれる。今日も、お婆さんが二人店に遊びに来てくれていた。
「う~ん、ここは田舎だからねぇ」
「そうねぇ。中央に近ければ、働き手もいるんでしょうけどねぇ」
 お菓子を作ったからお茶をしようだとか、何か困ったことはないか、とか。
 そう言ってくれるので、相談してみた。
 畑仕事を一人でやるのは辛い。井戸からの水汲みも辛い。
 後は、この大きな家に一人で居るのは辛いと思ったけど、それは言わなかった。仕事をしていれば家の広さなんて忘れてしまうから、言う必要はないだろう。
「難しいわよねぇ~」
 お婆さん達は苦笑しながら、難しい難しいと繰り返した。
 確かに、働き手を探すのは難しい。ここは田舎で、しかも少しずつ人が減っている。物々交換で生きているのだから、老いも若きも皆が皆、何かしらの仕事を持っていた。
 だから、ちょっと愚痴っただけのつもりだった。
 一人は寂しいけど仕方がない。でも、力仕事は大変だ。そう言いたかっただけだと思っていれば、お婆さん達は顔を見合わせて、頑張って考えてくれていた。
「そういえば、お爺さんが北の方に人の貸し出しをしている店があるって言ってたわ」
「それは……ちょっと、駄目な感じじゃないかしら?」
「駄目って?」
「ジルベルタちゃんにはまだ早いと思うのよねぇ」
 二十年も生きていないジルベルタは、お婆さん達にとって子供なのだろう。祖父が亡くなってから一年近く一人で種屋をやっているのに、まだまだ子供だと言われてしまう。
 確かに、自分は何も知らない。種屋としての技術習得を優先していたから、他のことは学ぼうともしなかった。祖父母が居たから生活できていたのだと、この一年で身に染みているところだ。
「早い、のか……でも、今、人手が欲しいんだよなぁ」
 認めるのは悔しいと思うけど、子供扱いされても仕方がないと思う。
 仕方がないけど、何か伝手があるのなら教えて欲しいとも思う。
「畑仕事は大変だものねぇ」
「ジルベルタちゃん、細いもの。ちゃんと食べてる?」
 ギクリと、ジルベルタは肩を竦ませた。
 食べてはいるけど、ちゃんと食べているかと聞かれると食べてないかもしれない。
 だって竈に火を入れるのも面倒だった。
 食べ物がない訳ではない。新しい種を作る時に野菜はできる。その野菜だって、種だって、他の食材と交換できる。けれど、肉や魚をどうすればいいのかわからない。
 元々、食べることに興味がないのだ。
 出された物は大事に食べるけど、何が食べたいだとかはない。よく祖母が食べたい物を聞いてきたけど、毎回何でもいいと答えていた。
 だから、今は生の野菜を囓っている。後は、露店で交換した、焼き菓子のような物を食べている。飲み物は水があるし、問題ないと思いたかった。
「食べないと力が出ないわよ?」
「そうそう。ジルベルタちゃんのお母さんも食が細くて病弱だったものねぇ」
「ちゃんと食ってるし……」
 食事もしている。種屋としての仕事だって問題ない。辛いけど畑仕事だってやっている。
 一人でも問題ないけど、一人だと大変なのだ。
「畑仕事だけでいいんだけどなぁ」
 溜め息と一緒に吐き出すように言えば、お婆さん達は揃って困った顔をする。
 でも、もっと困っているのは自分だと、ジルベルタは心の中だけで思った。
「そうねぇ。ちょっとお爺ちゃんに聞いてみましょうか?」
「ああ、そうよ、貴方の旦那さんは色々知ってるものね~」
 そんな困った気持ちが届いたのか、お婆さんの一人は椅子から立ち上がる。自分達では思い付かない方法があるかもしれないと、座ったままのお婆さんも頷いている。
「北に行かなくたって、中央の近くなら働き手だっているんじゃないかしら?」
「そうよねぇ。ちょっと待っててくれるかしら? お爺ちゃんを呼んでくるわ!」
 ゆっくりと、お婆さんが店を出て行く。残ったお婆さんは、少し冷めたお茶をジルベルタの湯呑みに注いだ。
 零れそうな溜め息を、淹れてもらったお茶と一緒に飲み込む。働き手を求めるのは、お婆さん達が言うように難しいだろうというのはわかる。
 ここ、南の五十七番は、人が多いとは言えない。誰も住んでいない家もあるし、誰かが引っ越してきたという話も聞かない。
 そう、誰か引っ越して来てくれたらいいのにと、ジルベルタは温いお茶を啜った。
 できれば、大家族がいい。そうすれば、特殊な店をやっていても、手が空く人が出るかもしれない。畑仕事をしてくれるのなら、野菜や種を給金として出すのにと、夢だけは膨らんでいく。
「ねぇ、ねぇ、ジルベルタちゃん?」
「え? なに?」
「お婿さんとか、そういう感じの人は駄目なのかしら?」
 優しく言うお婆さんに、ジルベルタは顔を顰めた。
 祖母が亡くなって暫くしてからだろうか、ちょこちょこと言われている。祖父が亡くなってからは、何度も何度も言われていた。
「……興味ないって、何度も言ってるじゃん」
「そうねぇ~、何度も聞いてるんだけどねぇ~」
 最初は聞き流していたけど、当事者である自分を放って置いて、話が進んで行きそうだから怖くなる。
 五十七番には相手になりそうな年齢の人がいないから、近場から相手を見つけるのはどうだろうか。五十五番には大きな果樹園があるらしいから、きっと人も多い。いや、五十三番まで行けば、領地も広い。いっそ、中央の近くで見つけるのはどうか。何なら、誰か良さそうな人を連れて来ようか、などなど。
 五十七番から人が減るのは嫌だけど、人が増えるのは歓迎で、種屋がなくなるのはもっと困るという所だろう。だから皆、婿を取るように言ってくる。
 でも、本当に興味が湧かなかった。
「種屋の作業って、ほんと難しいんだって」
「そうよねぇ~」
 実は、種屋というのは、そんなに多くないらしい。
 一人になってから、それを知った。
 今までは祖父母が店に出ていた。一人になったから、店にも出なければならなくなった。店に出なければ、他の番地からも種を買いに来る人がいるなんて、知らないままだっただろう。
 遠くから来るのに、かさばる物で物々交換は難しい。当然、食品も無理だから、どの番地でも価値がある金や宝石と交換する。
 その時に話をして、全ての番地に種屋がある訳ではないと聞いた。
「じいちゃんから、もっと教わりたかったぐらいで、恋人とか考えてる暇なかったよ」
「うんうん。種の殻を割るのは難しいものねぇ~」
 自分で何とかなりそうなのに、自分では何ともできない。それが種屋だと、祖父は言っていた。
 殻を割るぐらいならばと、適当にやると種を駄目にしてしまう。上手く割れたと思っても、畑に蒔けば芽が出ない。小さな小さな種を守る殻は硬く、一個や二個が成功しても量が足りない。
 買った方が早いので、種屋は必要なんだと言っていた。
 だから、ジルベルタは大事にされていると思う。五十七番の人達から大事にされて、優しくされている。
「まだオレは種屋としても勉強したいしな」
「そうねぇ。でも、オレとか言っちゃ駄目よ。ジルベルタちゃんは言葉遣いを直した方がいいと思うわ」
「もてないから? だから、恋人とか要らないって」
 言葉遣いを直せと、祖母にも言われていた。
 女の子なんだからと、言われていた。おじいちゃんの言葉遣いを真似ちゃ駄目だと、そう言われていた。
 だけど、祖母が亡くなって、祖父は何も言わなかった。
 祖父も困惑していたのかもしれない。まだ小さかったジルベルタに、どう接して良いのかわからなかったのかもしれない。
 種屋の仕事を学びながら、色々な話を聞いたのを思い出す。この世界の話。番地の話。閉鎖的な空間の弊害。そんな話はしたけど、恋人だとか結婚だとかの話をしたことはなかった。
 それでも、ジルベルタの中では、祖父と二人きりの時間が一番色濃く残っている。
 まだ、祖父と一緒に過ごした日常を変えたくなかった。
「うんうん。恋人とかじゃなくてもねぇ。言葉遣いは……」
「ちょっとちょっと呼んで来たわよ!」
「なんだ~なんだ~、ジルベルタちゃん元気か~!」
 まだ明るいというのに酔っ払っているお爺さんの腕を引いて、お婆さんが家に飛び込んできた。
 亡くなった祖父と、偶に呑んでいたお爺さんだ。何人かで集まって、広場に向かう途中にある公園で呑んでいた。
「なんだ~なんだ~? どうした~?」
「だから! 何度も言ったじゃない。ジルベルタちゃんが人手を欲しがっているのよ」
 祖父の為に何度か追加の酒や肴を運んだから、一緒に呑んでいたお爺さん達の顔は知っている。祖父が亡くなった時も大泣きして、何かあったら家に来いと言ってくれた。
「ひとで? おお~! 人が欲しいんか!」
「そうよ~! って何度も言ってるでしょ!」
 どっこいしょと、お爺さんは椅子に座る。ゆらゆらと揺れながら、真っ赤な顔でニシシと楽しそうに笑って言った。
「北の四十四だよ! 『エンド』って店だ! そこで人が買えるぞ~!」
「だからぁ! その話は駄目よぉ、駄目! ジルベルタちゃんには早いわ!」
「俺の爺ちゃんの婆ちゃんの姉さんの息子が行ったことがあるって言ってた! 凄い美人が買えるらしいぞ~! ボンキュッボンだ~!」
 お婆さん達はおろおろしていて、お爺さんは真っ赤な顔で絶好調な感じだった。
 祖父も酒を飲んだけど、こんな酔っ払いにはならなかったと思い出す。静かに難しいことだとか専門的なことだとかを、ゆっくりゆっくり話していた。
「人が買える店があるってマジか?」
「ジルベルタちゃ~ん!!」
「マジもマジ~! 美人揃いらしいぞ~!」
「もぉおおお! 黙りなさいぃ!」
 欲しいのは畑仕事を手伝ってくれる人なので、美醜は関係ないと思う。
 しかし、人が買える店。そんな話は祖父からは聞いたことがなかった。
 でも、それは魅力的な話ではないだろうか。この五十七番に引っ越して来る人を待つよりは、堅実というか確率が高い気がする。隣の番地に働き手を探しに行って、見付かる可能性に賭けるより確実のような気がする。
「ごめんなさいねぇ! このお爺ちゃんったら! もぉおお!」
「北の四十四って遠いのか?」
「ジルベルタちゃぁあああん!?」
 酔っ払ったお爺さんを引っ張って店から出そうとしているお婆さん達が、絶望しましたというような顔で叫んだ。
「駄目よぉ! 駄目駄目っ!」
「まだ早いわぁあ!」
 叫ぶお婆さん達は、ぺいっと、お爺さんを床の上に投げ捨てた。
 なのに、お爺さんは転がったまま大笑いしている。床で寝る体勢を整えているように見えるがいいのだろうか。そこで寝られると困るのだが、どうだろうか。
「いや、五十七番から出たことないから、北の四十四って遠いのかなって」
「遠いわ! すんごく遠いのよ!」
「いい? 先代から聞いたことあると思うんだけどね。番地っていうのは、中央が基準なの」
 お婆さん達が、鬼気迫る勢いで説明してくれた。
 中央を基準に、東西南北に分けられている。だから、南から北に行くには、中央を越えなければならない。綺麗に番地が並んでいる訳ではなく、しかもそれぞれの番地が繋がっている訳ではない。門の外は荒野で、隣の番地すらかなり離れている。ここは中央から五十七番目の囲いなので、単純に考えると五十六個の囲いを通らなければ中央に辿り着けない。
 この五十七番は大きい訳ではないけど、端から端まで結構な距離があった。
 それを五十六個越える。その後、中央から北に向かって四十三個越える。一体、どれだけの距離なんだろうか。どれだけの日数がかかるのだろうか。
 ジルベルタは顔を顰めて腕を組んだ。
「……でも、中央の近くまで行商に行く人がいるよな? ここから中央までも凄い遠いんじゃないのか?」
「まぁ、そうだけどねぇ」
「ジルベルタちゃんは知らないかしら? その門の外に、ほら、『歪み者』がいるのよぉ」
 困ったように笑うお婆さん達は小声で言ったのだが、床に寝転がっていたお爺さんががばりと身体を起こした。
 顰めっ面で胡座を掻く。頭を掻いて眉間の辺りを指で揉んでいる。
「歪みもんは、歪みもんだ! あんな奴等は人間じゃねぇ!」
「ううん、そうなのよねぇ。歪み者に頼むのは、ねぇ」
 多分だけど、歪み者というのは、門の外にいる『運び屋』をやっている人のことだろう。そんなに険しい顔で言うことだろうか。
 でも、だけど、初めて、こんな悪意に触れた。お婆さん達も、お爺さんも、自分には凄く優しいから驚いてしまった。
「あんな奴等に頼むぐらいなら~! んな場所に行けなくてもいい!」
「まぁ、そうよねぇ。ちょっと、ねぇ」
「……で、でもさ、必要じゃねぇか。運び屋が居ないと薬だって買い付けに行けなくなるって話だろ?」
 囲われている番地の中に、必要な店が全て揃っている訳ではない。
 種屋もそうだし、薬屋や鍛冶屋、もっと大きな囲いの番地になると食事を提供する店なんていうのもあるらしい。
 だから、自分の番地になければ、他の番地まで買いに行く。だけど、歩いていける距離ではなかった。
 そんな環境だから、運び屋が必要になってくる。『歪み者』なんて呼ばれている彼らは、動物と意思疎通ができる。囲いの外、門の近くに家を建てて、番地を越えて移動したい人に動物を紹介してくれる。近くならば犬や猫。少し遠くなると馬。人が乗りやすいように鞍をつけてあったり、動物に車輪のついた乗り物を引かせる場合もある。
 ジルベルタはどんな物か見たことはなかったが、中央近くまで行かなければ買えない物があるというのは知っていた。
「でもねぇ。怖いじゃない? そんな能力があるのって」
「気味が悪(わり)ぃんだよ!」
「そうか? 別に怖くないし、気味悪いってこともないし……便利だなって思うけど」
「ジルベルタちゃんは、まだまだ若いからねぇ。知らないのよぉ」
 持っていない者にとって、特殊能力は、異常な力でしかない。確かに便利だし、その能力を頼っているけど、できれば関わりたくないということらしい。
「北の方は、本当に遠いからねぇ。行っちゃ駄目よぉ」
「そうそう。近くで見つける方がいいわよぉ」
 苦笑しながら、お婆さん達はお爺さんを引き摺って帰っていった。
 ぱたりと閉じられた扉を見て、ジルベルタは椅子に座る。
 誰かが誰かをあからさまに忌み嫌うところを、初めて見た。悪意というよりは、偏見に近いような気がする。
 そんな感情も人間関係も知らなかった自分はどれだけ甘やかされていたのだろうか。もちろん、喧嘩とか言い合いとか、そういうのは見たことがある。自分だって、祖父と喧嘩したこともある。
 だけど、違うだろう。コレは、違う。胸の奥が、もやもやする。
 小さな溜め息を吐いてから、静かになった店の中で静かな祖父の声を思い出した。
『この世界は終わっている。終わってからの世界は壊れている。種も動物も人も壊れてしまった。特に人の壊れ方が酷い。歪んで特殊な能力を持つ者が現れた。
 だけど、人は人。歪んでいても、人間だということを忘れてはいけない。
 ここは田舎だから、歪んでいる者が少ない。少ないから目立って、嫌われる。自分と違うというだけで嫌ってしまう』
 こういうコトなのか。この五十七番に居る人だって、運び屋を使ったことがある筈なのに、こういうコトなのかと肩を落とす。
 平和な田舎の番地。それが五十七番だと思っていた。
 祖父が言っていたが、物々交換で成り立っている番地は安全らしい。それだけ豊かで余裕がある。
 季候が穏やかだから飢饉がない。生きていくことに余裕があるから、盗みも詐欺もない。物々交換だからこそ、周りと協力し合って軋轢を避ける。
 元々、真面目で温厚な人が多いのが五十七番の長所だと、祖父は言っていた。
 独り占めしようとする人がいないのか、そういう考えを持つ人は排除されたのか。番地の中で一番になろうとする家もなかったし、一番を作ろうとしなかった。野心を持つ者は中央に向かって行ったし、戻って来る者は安寧を望むようになっていた。
 一度だけ、昔語りの合間に祖父が言ったのを思い出す。
『平和なのは良いことだ。安全なのは良いことだ。しかし、止まった時間はゆるやかに死んでいくだろう。新しいモノを受け入れず、古いままで良しとする。それを可能にするのが、この大きな囲いだ。五十七番は住む者を選ぶ箱庭だ』
 聞いた時は意味がわからなかった。今だって、わかったと言い切ることはできない。それでも歪み者への感情は、新しいモノへの感情なんだろう、というのはなんとなく感じられた。
 この五十七番の門の外にいる運び屋は、ジルベルタにとって普通の人だった。
 門の外にある小さな家に親子で住んでいる。両親と子供の一人が歪み者で、動物と意思疎通ができる。
 ただ、それだけ、だ。動物と意思疎通できるだけの、普通の人だった。
 そういえば、運び屋は他の人がいない時を狙って家に来る。人見知りなのか、物々交換の内容が他の人と違うからなのかと思っていたが、そういうことだったのか。
 祖父からも言われているので、運び屋には物々交換の時に野菜を多めに渡している。動物も食わせていかないといけないから、他の人よりも多く渡しなさいと言われている。
 種を収穫する為に野菜等を作るが、全てを種にする訳ではない。自分で食べる分や物々交換する分は収穫して、余れば肥料にしていた。だから、肥料にする分を動物たちに回せるよう上乗せして、運び屋に渡していた。
 特に今は、ジルベルタ一人だけなので、余る野菜は多い。物々交換のために肉や魚を持ってきてくれるけど、食べきれないからと受け取らないで野菜を渡していた。
 それを心配だってしてくれる。肉や魚も食べた方がいいと、加工して持って来てくれたりする。そんなふうに交流があるから、門の外に居ても、同じ五十七番の人間だと思っていた。
 だけど、何かを言うつもりはない。喧嘩をするつもりだってない。
 自分とは違うモノを恐れていても、新しいモノを拒んでいても、この五十七番は平和で安全で穏やかな番地だ。
 自分にとって、大事な家のある番地だった。