堅物教育係は躾もご褒美も甘すぎる!? 脱走王女は宰相令息の過保護な溺愛に抗えない 1
山間にある小国、レンフォール。
その王国の城にある謁見の間に、国王と王妃、大勢の貴族、そして国王と王妃の一粒種である王女ジョゼフィーンがいた。
ちょっと鼻が低い、化粧がなければ愛らしい顔立ちをしたジョゼフィーンだが、現在の装いはめちゃくちゃだった。ドレスの生地やたっぷりのフリルはしわくちゃで、ハーフアップにまとめられていたと思われるストロベリーブロンドはぐしゃぐしゃに乱れ髪飾りも外れかかっている。厚めに施されていた化粧も何でどうこすったのか、口紅は頬に向けて線を描き、マスカラとアイシャドウがまじり合って新緑の瞳きらめく目の周りににじんでいる。
元の風貌もわからないほど乱れたジョゼフィーンは、国王と王妃の目の前でそっぽを向いて胡坐をかき、腕組みをしている。
その王女の斜め後ろで片膝をつく男が、国王の許可を得て発言した。
「王女様との結婚は慎んで辞退させていただきます。結婚相手を選り好みするつもりはありませんが、せめて人間と結婚したいので」
黒髪黒目で顔立ちは整っているが表情にとぼしいこの若い男性の名はリーアムという。
ジョゼフィーンはかっとなって立ち上がり、リーアムを振り返って怒鳴った。
「あたしだってあんたと結婚なんてまっぴらごめんよ!!」
国王は深いため息をついてから言った。
「命令じゃ。そなたたち結婚せよ。──リーアム、ジョゼフィーンのことを頼む」
リーアムは小さくため息をついてうなだれ、ジョゼフィーンはそんなリーアムに「いーっ」と歯噛みした。
こうしてジョゼフィーン──ジョーとリーアムは夫婦になった。
話は三か月ほど前にさかのぼる。
山間に築かれた小王国レンフォール。ジョーはその国の支配下にある山腹のラボク村で養父母と暮らしていた。
ジョーには小さいころの記憶がない。あるのは、養父母のダンとネリーと暮らし始めてからの思い出だけだ。記憶がないせいで日常のささいなことにもいちいちまごつくジョーに、二人は根気強く“当たり前”を教えていってくれた。
ラボク村は十数人の木こりとその家族が暮らす小さな村。助け合って生きていくには情報交換が欠かせない。そんな中でジョーの事情を隠しておけるわけがなく、村人たちから聞かされるよりはと包み隠さず教えてくれた。
ジョーは箱に入れられて、山の中に捨てられていたのだという。
ダンが山の見回りをしていたら女の子の小さな叫び声が聞こえて、その声をたどってみたら一抱えほどの小さな木箱があったのだそうだ。釘が打ち付けられていたその箱を開けてみたら、中に幼いジョーが入っていた。ダンはジョーを箱から出して介抱しながらいろいろ尋ねたが、衰弱しきっていたジョーは自分の名前を「ジョー」と告げただけで、ダンが持っていた水を飲み干してすぐ意識を失った。そして数日高熱にうなされ、意識を取り戻したときには、自分の名前も以前はどこでどんな暮らしをしていたのかもすっかり忘れていたのだそうだ。
──自分のことを忘れ日常生活もおぼつかない子供を育てるのは、さぞ大変だったろう。
村人や外からやってきた人は、そう養父母に同情する。しかし二人は、笑いながら彼らにこう話した。
──いやいや、むしろ助けられているよ。よくお手伝いをしてくれるし、わしが山のどこにいても弁当を届けてくれるんだ。そのついでに山菜やきのこを採ってくれてね。
──記憶をなくして不安じゃないかいって、尋ねたことがあるんですよ。でもジョーは『そんなことより、これは何?』ときたもんだ。ね? 笑っちまうでしょ? おかげでジョーと暮らす毎日が楽しくってねぇ。
楽しく暮らせているのはジョーも同じだ。質素ながらもひもじい思いをしたことがなく、愛情いっぱいに育ててもらえて、実の親でなくても、記憶がなくても、ここで暮らしていいんだと安心できた。
記憶を取り戻したいと思ったことはなかった。失った記憶のことを考えると何故か恐怖を覚えて、むしろ自分が記憶喪失だということも頭の隅に追いやっていた。
そうしてジョーは、自分が記憶を失っていることを忘れていった。
養父母と暮らし始めて十二年、ジョーが年頃の娘に成長したある日のことだった。
「あなた様は幼いころに誘拐された王女様に違いありません」
赤や緑、黄色や青といった派手で高価そうな服を着た中年の男が、家来を大勢引き連れて、家の前の畑で作業をしていたジョーに向かって膝をついてそう言った。
対するジョーは、生成りのシャツにこげ茶色の長スカート、髪は首の後ろで一括りにして、頭にはほっかむりをしている。
この状況は誰がどう考えたっておかしい。ジョーとて「まあ! あたしが王女様だったなんて!」と喜ぶようなおめでたい頭はしていない。
となれば、こういう反応になる。
「あの、あなたとはそういう冗談を言い合える間柄ではないと思うのですが……?」
「よし! 王女様を馬車にお連れしろ!」
号令をかけられた家来たちが、ジョーを取り囲む。
「ちょ……! ちょっと待って! そういう冗談に付き合う暇なんて──!」
ジョーはろくに抵抗できないまま小さな箱馬車に押し込められ、村から連れ出されてしまった。
その五日後、平野の真ん中にある小高い丘の上に建つ城に到着した。そこで待っていたのは、ジョーを見下す城の人々と、サイズの合わないドレスを着せられそれを引きずるジョーに汚いものを見る目を向ける国王と貴族たち、そしてジョーのひどい有り様を嘆く王妃だった。
謁見とやらの少し前に王妃様にそっくりだから王女様に間違いないと言われたけれど、ジョーは全然嬉しくなかった。自分が実は高貴な生まれだったなんて、平民ならちょっとは夢見る展開だったにもかかわらずだ。
そもそも、ジョーは王女だと認めてほしいなんて一言も言っていない。だというのに、その日からジョーはお城で暮らすことにされてしまった。「家に帰りたい」と言っても侍女たちは「王女様の家はお城です」と言って首をかしげるし、自分で出ていこうとしても護衛騎士たちに阻まれる。
ジョーは城の一室に閉じ込められながら、謁見の最後を思い返した。
父親のはずの国王はジョーに話しかけることもせず、側にいた貴族に「教育するように」と命じ、ジョーから目をそらして泣き通していた王妃をなぐさめるように肩を抱いて謁見の間からさっさと出ていった。
腹を立てたジョーは、教育を拒んで脱走を繰り返した。守りの堅い城門は通り抜けられそうになかったので、城内でも守りの薄い辺りをぐるぐると。
山を駆け回って育ったためなまじ身体能力の高いジョーは、王女に下手な手出しをできないでいる護衛騎士たちをやすやすと撒き、彼らの前から姿をくらました。そしてお腹が空くと、何食わぬ顔して部屋に戻る。
そんな日々が十日ほど続いたあとのことだった。
ドレスを汚し、髪をぼさぼさにしたジョーは、初対面の男性二人に挟まれて、美しく整えられた庭園をお城の本館に向かって歩いていた。
「さすがリーアム! 昔から王女様を見付けるのが得意だったよね」
そうほがらかに話すのは、淡い金髪に甘い顔立ちをした若い男性。その彼に話しかけられたのは黒髪黒目の無愛想な男性。ジョーは無愛想な男性に二の腕を掴まれぶすくれていた。
ジョーたちの前後を、侍女や護衛騎士たちが固めている。朝はぴしっと身だしなみを整えていた彼らだが、今は服がよれていたり、髪が乱れていたり。姿をくらましたジョーを捜し回った結果だ。無愛想な男性がジョーを捕まえたと知るや、皆安堵の表情を浮かべた。
ほがらかな男性が、今度はジョーに話しかけてくる。
「お久しぶりです。いや、記憶を失っているそうですから、私のことも覚えてらっしゃいませんよね? ──はじめまして。私はサマイス・アーサー・レンフォールといいます。王女様の異母兄で、僭越ながら王太子位をいただいております」
(母親の違う兄? 王太子? なのに妹のはずのあたしに丁寧な言葉遣い?)
突っ込み所が多すぎて、どう返事をしたらいいかわからない。
サマイスは、返事をしないジョーの失礼を気にせず話し続けた。
「王女様にとって私は初めて会う人でしかないですが、これだけは言わせてもらっていいでしょうか? ──ご無事でほんとうによかった。おかえりなさい」
甘いマスクで微笑みかけられたこともあって、ジョーは照れて視線を泳がせる。
「ええっと、その……た、ただいま?」
「はい、おかえりなさい」
礼儀作法のなっていない、つたない返事にも丁寧に応えてくれるサマイスに、ジョーはすっかりゆで上がってしまう。
サマイスはくすくす笑って、もう一人の男性の紹介を始めた。
「こちらは私の親友で、宰相の息子のリーアム・ウェザスーンです。昔、王女様の教育係を務めていたんですよ。リーアムは王女様の大のお気に入りで」
「余計な話をしないでください。それにあなたと親友になった覚えはありません」
リーアムの冷ややかな声が、サマイスの話をさえぎる。
本館近くまで来ると、サマイスは「用事があるので、私はこれで」と言って去っていった。
無愛想な男リーアムは、ジョーの二の腕を掴んだまま、ジョーに与えられた部屋まで来た。
侍女の一人が扉をノックして開ける。室内ではジョーに授業をすっぽかされた教師がカンカンに怒っていた。
「んまあぁ! 何という格好でしょう! 王女様の身なりを整えて差し上げてちょうだい!」
栗色の髪を高く結い上げ丸眼鏡をかけた女性がそう叫ぶと、侍女たちはリーアムからジョーを引き取って椅子に座らせ、髪を解いたりドレスの汚れを落としながら皺を伸ばしたりする。
ジョーから手を離したとたんに無関心になったのか、リーアムはジョーに背を向けて女教師に話しかける。
「教育が思うように進んでいないと聞きました」
女教師はこれまでの鬱憤をぶつけるかのように、リーアムに詰め寄ってまくしたてた。
「そうなんですの! 王女という誰もがうらやむ立場にありながら、その立場にふさわしい教養を身に着けようという気持ちがまったく感じられません! 食事を汚らしく食べたり、大股にずかずか歩くだけでなく、勉強を嫌って脱走なさる! 授業の席に着きもしない方に、何をどう教えたらいいというのですか!? ──このような方が、愛らしく聡明だったジョゼフィーン王女様と同一人物だなんて信じられません……!」
女教師はハンカチを握りしめて泣き始めた。侍女や護衛騎士の中にはそれを聞いて涙ぐむ人もいるが、ジョーの心はそれを見てさらに冷えていく。
(あたしが知りもしないジョゼフィーン王女の面影を押し付けてくるのはやめてよ!)
教師たちをにらみ付けていると、無表情なリーアムと目が合った。ジョーが身構えると、リーアムは小さくため息をついて目をそらす。
「いっそ、一生見付けられないほうがよかったかもしれない」
それを聞いたジョーは、反射的に頭に血をのぼらせた。
「あたしだって無理やりここに連れてこられて迷惑してんのよ!!」
ジョーは手に触れたものを掴み、それをリーアムに投げ付けようとした。そのとたん、すまし顔で壁際に並んでいた侍女や護衛騎士が血相を変える。
「お待ちください! それはダメですっっ!」
「わーっ! 俺らの年俸なんて目じゃない芸術的卓置きランプがっっ!」
勉強机の上に置かれていた流線状の脚のついたランプは、相当な値打ちものらしい。それがわかると、ジョーはますます投げたくなる。
しばらくの間、ジョーからランプを取り上げようとする侍女や護衛騎士らとすったもんだを繰り広げた。
あれから数日が経過した。
その間、ジョーは何度も脱走した。
「王女様~! 出てきてくださいませ~!」
「こっちにはいらっしゃらなかった! そっちは!?」
侍女や護衛騎士たちの声があちこちから上がる中、ジョーは低い庭木の陰に中腰で隠れながら進む。
(そんな大声を出してたら、逃げてくれって言ってるようなもんじゃない)
声のしないほうへ移動しているのだが、身を隠せる場所が都合よく続いているわけじゃない。連続して植えられていた庭木が、通路の手前で途切れていた。
庭木の陰からこっそり頭を出して、周囲の様子を確認する。
と、すぐそばを通りかかった王太子サマイスと目が合ってしまった。
「あ……」
これはどちらがもらしたつぶやきだったか。
身をひるがえして逃げようとする直前、サマイスは辺りをきょろきょろ見回したあと、口元に手を添えてこっそり話しかけてくる。
「今なら誰もいないよ。通路を横切るなら急いで」
「王女様~!」
背後から侍女の声が近付いてくる。
信じていいかわからないけれど、渡るなら今しかない。
ジョーは中腰をやめて小走りで通路を横切り、通路の向こうにあった庭木の陰に飛び込む。
その直後のこと。
「王女様~──あ、失礼いたしました」
「また王女様のお姿が見えなくなったのかい?」
「は、はい。今人手を増やしてお捜ししております」
「私は向こうから歩いてきたのだけど、お見かけしなかったよ。いらっしゃるならあちらのほうじゃないかな?」
「! ありがとうございます! 御前を失礼いたしまして行ってまいります!」
せかせかした靴音が遠ざかっていく。庭木の陰からこっそりのぞけば、侍女がジョーのいる場所に背を向けて早足で歩き去っていくところだった。
あっけにとられながらサマイスを見ると、彼はいたずらっぽく笑いかけてくる。
「ちょっとした時間稼ぎにしかならないかもしれないけど」
行ってらっしゃいというように手をひらひらさせるので、ジョーはぺこっと会釈して、庭木の陰に沿ってその場を離れる。
三度目にかくまってもらったとき、ジョーは尋ねた。
「どうしてかくまってくれるんですか?」
「愉快だからかな」
「は?」
「──というのは冗談で、かわいい妹が逃げたがってるんだから、兄として少しは手伝ってあげたいと思っただけだよ」
それからというもの、かくまってもらうたびに少しずつ話をした。
「敬語を使わなくていいよ。兄妹なんだから」
「お兄さまって呼んでもいい?」
「勉強は嫌い?」
「勉強が嫌いというより、勉強を押し付けてくるヤツらが嫌いなの」
そんな兄妹の交流も、あいつの登場で途絶えてしまった。
「何を見ているんだ? 隠れるところだらけじゃないか。腰丈の庭木なんて絶好の隠れ場所だ。王女様が腰を屈めて移動するなんてことはないなどという先入観は捨てることだ」
リーアム・ウェザスーンが余計なことを言ったせいで、ジョーは見つかりやすくなってしまった。
こうなったら最終手段だ。
ごてごてしたドレスに邪魔されながらも何とか木に登ったけれど、それもリーアムに見付けられてしまう。
「まるで野生児ですね」
お城の一角に生える高く生い茂った木を見上げながら、リーアムがため息をつく。彼の視線の先で、ジョーは横に伸びた枝に座り、片腕で抱え込める程度の細い幹にしがみついていた。木に登れば誰にも見つからなかったのに、どうしてこの男はやすやすとジョーの居場所を暴いたのか。
リーアムの周りには、侍女や護衛騎士が集まってきている。みんな、怖ろしいものを見るような目でジョーを見上げ、どうやって下ろしたらいいかと右往左往している。
見上げるのをやめたリーアムは、小さく首を振ってから、周囲に集まってきた侍女や護衛騎士たちに目を向けた。
「誰も見付けられなかったわけです。王女様が木に登るなんて、普通考えもしないですから。ですが、王女様は十年以上山を駆け回って暮らしてこられたのです。我々の常識の範疇外にいらっしゃるのだということを忘れずに」
「あんた今何気にあたしのことバカにしたでしょ!?」
下を向いて怒鳴ると、リーアムは顔を上げてジョーに冷ややかな目を向けてくる。
「そのドレスは、もう着られませんね」
言われて自分を見れば、幹を抱えて登ったせいで、ピンクの生地には茶色い線が幾筋も入り、ところどころ小さな穴も空いている。
ドレスで木登りするのは難しい。むしろこの程度ですませることができた自分の木登り技術を自慢したいくらいだとジョーは思っている。汚れは洗えばいいし、小さな穴ならちょっとした針仕事で塞げるはずだ。
そう言い返してやろうと口を開きかけたそのとき、リーアムから厳しい言葉を投げ付けられる。
「ドレス一着にいくらお金がかかっているかわかっていますか? そのお金がどこから出ていると?」
「わ、わかってるわよ」
ぐっと言葉に詰まりそうになったのを何とか耐えて、ジョーは言い返す。それに対し、リーアムは片眉を上げてみせた。それだけだったのに何故か答えを口にしなくてはならない気分になって、ジョーはしぶしぶと口を開く。
「ぜ……税、です」
それを聞いたリーアムは、真上を向きながら深くうなずくという器用な真似をした。
「その通り。国中の民が必死に働いて得た収入の中から、この国を守り発展させていくために、少なくない税を国へ納めさせているのです。王女様が高価なドレスを身にまとえるのは、我が国が文化的で豊かであること──すなわち国の権威を国内外に示し、国内の者には恭順をうながし、国外の者には侮っていい相手ではないと知らしめるため。決して王女様の我儘のために使っていいお金ではないのです」
ジョーはわなわなと震えた。
「……あんたには、あたしのしていることが我儘に見えるということ?」
「そうです」
きっぱりと返された言葉に、ジョーは激昂した。
「ドレスが欲しいなんて言った覚えはないわ! これしか着るものを出してもらえないんだからしかたないじゃない! 汚すなって言うなら、あたしの服を返してよ!!」
リーアムは顔を上げたまま目を瞬かせると、首の角度を普通に戻して近くの侍女に話しかけた。
「王女様がおっしゃる服に心当たりは?」
「謁見の際にお召しになっていたドレスのことかと思います。サイズが合っていなかった上に流行遅れで」
「そのドレスのことを言ってるんじゃないわ!」
見当違いなことを吹き込まれそうになり、ジョーは大声で割って入った。
「あたしが返してほしいのは村から着てきたシャツとスカートのこと! ここに来るまでの間に取り上げられて、あのだぶだぶのドレスに着替えさせられたの!」
侍女はすごすごと引き下がり、リーアムは腕を組んで少々考え込む。それからまたジョーを見上げた。
「お時間をいただければ取り返せるかもしれませんが、どのみちその服は着られません。先ほども申し上げたように、王女様のドレスは国の権威を示すためのものです。王女様が辺境の村娘のような格好をしては、下々の者たちにも示しがつきません」
リーアムの言葉にかちんときて、ジョーは真下に向かってわめき立てる。
「そーゆーのを押し付けてこないでよ! あたしは王女になりたいなんて一言も言ってないわ! みんな、あたしみたいなのが王女だなんて信じたくないんでしょ? だったらあたしは王女じゃないってことにすればいいのよ!」
「そのことはここで論じていいものではありません。──ところで、そろそろ下りてきてくださいませんか? いいかげん、首が痛い」
この男、どうやらジョーの気を逆なでするのが得意らしい。リーアムの態度にかっとなって、ジョーは反射的に怒鳴っていた。
「絶対下りてやるもんですか!」
「そうですか」
他人事のような淡白な相槌を打ったかと思うと、リーアムは侍女や護衛騎士たちに声をかけた。
「今から、私は今回のことを宰相様に報告してくる。あなたたちには、相応の罰が下るだろう。覚悟しておくといい」
彼ら全員が動揺する中、リーアムは平然と立ち去ろうとする。
それを見たジョーは、焦って呼び止めた。
「待ってよ! 脱走してるのはあたしで、この人たちが悪いわけじゃないでしょ!?」
リーアムは立ち止まり、振り返ってジョーを見上げる。
「ですが、王女様の脱走を許しているのは彼らです。王女様のスケジュールを管理したり護衛したりといった職務を果たしていないのですから、罰が下るのは当然です。それこそ王女様とは関係ありません」
侍女や護衛騎士たちは、反論の言葉もなくうなだれる。それを見たジョーはやけくそで叫んだ。
「下りるわよっ! 下りればいいんでしょ!?」
ジョーは幹を伝ってするすると下りる。地面に足がつくと、すぐさまリーアムに向き直り、胸を張って彼を見上げた。
「これでいいでしょ? だから告げ口はやめて」
「告げ口ではなく報告です。──ええ、いいでしょう今回は」
「“今回は”?」
首をかしげるジョーに、リーアムは淡々と説明する。
「次にまた脱走なさったら、そのときは必ず報告します。今回のように王女様がかばったとしても、国は彼らに罰を与えないわけにはいかないことをお忘れなきよう」
つまり、彼らを人質にしてジョーに言うことを聞かせようということか。
ジョーはかっとなって叫んだ。
「他人を人質にするなんて! この卑怯者!」
「……王女様ご自身に罰を与える手はないこともなかったのですが、その罰は国の恥にもなりかねないので控えました」
何やらただならぬ言い方をされて、ジョーは身構える。
「──どんな方法よ?」
警戒しながら問いかけると、リーアムはこれまでと変わらぬ淡々とした口調でとんでもないことを言った。
「王女様が下りてこられるのを、気長に待ちかまえていればいいんです。さすがの王女様も生理現象には勝てないでしょうから。王女様が粗相をなさり万一それが広まれば王家の、ひいては国の恥になりますが、王女様としてはそちらのほうがよろしかったですか?」
聞いているうちにジョーはみるみる真っ赤になる。こぶしを握ってわなわな震えると、去っていくリーアムの背に、この日最後の怒鳴り声を上げた。
「~~~~~! この変態っっ!」