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執着系公爵さまの激重感情に翻弄されてます 偽装婚約のはずが、なんで本気で溺愛してくるんですか!? 3

第三話

 

「準備はいい?」
「いつでも」
 屋敷の前に立つ。緊張に身を震わせていると、テオがトントンと私の肩を叩いた。
「緊張しすぎだよ。もっと気楽に行こう」
「……そう言われても、人生が懸かっているんだもの。難しいわ」
「君は、実は隠れて付き合っていた恋人を連れ帰ってきた女の子だ。むしろ堂々と『恋人を連れてきた。彼以外とは結婚しない!』って感じで行くのがいいと思うよ」
「……確かにそうかも」
 テオの言葉に納得する。
 深呼吸を繰り返し、覚悟を決めた。
「行くわよ」
「はいはい」
 返事が軽い。思わず隣にいる彼を見た。
「……テオはもっと緊張感を持った方がいいと思うわ」
「私はこれでいいんだよ。君がポカをやらかしてもカバーしてあげるから安心して」
「……ありがとう」
 ポカをやらかす前提で話さないで欲しい。そう思いつつ、テオを連れて屋敷の門を潜る。
「ただいま、戻りました」
 玄関の扉を開けると、両親の姿が見えた。彼らがハッとしたように私を見る。
「リリー!」
 母が泣きそうな顔で駆け寄り、私の身体を抱きしめた。
「リリー、どこへ行っていたの。出て行ったきり帰ってこないから心配したじゃない。今、使用人たちを捜索に出させようとしていたところなのよ」
「ご、ごめんなさい」
 母の言う通り、玄関ロビーには使用人たちが勢揃いしていた。
 頭が冷えれば帰ってくると思っていた娘がなかなか戻らなかったのだ。心配するのは当然だろう。
 父も側にやってきて、私の頭を撫でる。
「本当に無事で良かった。年頃の娘が護衛もなしで外に出るなんて正気の沙汰とは思えない。……そんなにイエーガー侯爵様との縁談が気に入らなかったのか?」
「確かに年は離れているけど、侯爵様はとても良い方なのよ。最初は嫌でも、嫁いで時間が経つうちに、自然とお慕いするようになっていくわ。今は不安でも大丈夫よ」
 ――大丈夫じゃない。
 両親の言葉に、苦い気持ちになる。
 屋敷を飛び出すほど嫌がっている結婚を、彼らはこの期に及んで押しつけるつもりなのだと理解したからだ。
 ここに至っても全く両親の意見が変わっていないことに絶望した。
 彼らの中でイエーガー侯爵との結婚は決定事項なのだ。よほどのことがない限り覆せない。
 ――テオに来てもらって正解だったわね。
 両親がテオを認めてくれるかは不明だが、今のふたりを見た後では、彼を連れてきて良かったとしか思えない。
 渋い顔をしていると「そろそろいいかな」という涼やかな声がした。
 声の主はテオだ。そちらを向くと、玄関ロビーに入ってすぐのところで、テオが困ったような顔をして立っていた。
「え……」
 両親が目を丸くしている。どうやら今までテオの存在に気づかなかったようだ。
 全員の目が自分に向いたことを確認したテオが、実に優雅な仕草で挨拶をした。
「邪魔をする気はなかったんだけど、このままでは気づいてもらえそうになかったから。テオドア・リンデだ。リリーの恋人と言った方が分かりやすいかな」
「リ、リリー!?」
 ギョッとした顔で両親が私を見る。私は母の腕から逃れると、テオの隣に移動した。
 ここぞとばかりにアピールする。
「お、お父様たちが結婚相手を連れてこいって言うから連れてきたんです!」
「は? 結婚相手だと?」
 父が大きく目を見開く。母も驚きを隠せない様子だった。
 彼らの様子から、私が本当に相手を連れてくるとは露ほども思っていなかったことが見て取れる。
 ただ逃げ出しただけだと考えていたのだろう。その通りだけど。
 私はテオの腕に己の腕を絡め、両親に宣言した。
「わ、私はテオと結婚します。だから、イエーガー侯爵様との婚約は不可能なんです!」
 ――お願い、どうか騙されて。
 祈るような気持ちで両親を見つめる。両親はテオを凝視し、愕然としながら叫んだ。
「テオドア殿下と結婚!? リリーが!?」
「そう! テオドア殿下と……って、え? 殿下?」
 きょとんと父を見る。父は信じられないという顔で私を見返した。
「その方は第三王子のテオドア様だ。お前、知らなかったのか!?」
「え……」
 今度はテオを見た。いまいち現状を呑み込めていない私に、テオが笑って言う。
「元第三王子、だけどね。先日、申請が認められて、臣籍に降ったんだ。リンデ公爵位を賜ったから、今の私はテオドア・リンデで間違っていないよ」
「は……?」
「アントン伯爵。今、リリーが言った通り、私たちは恋人同士なんだ。秘密裏に逢瀬を重ねていてね。嘘を吐いたわけじゃないんだけど、第三王子なんて言ったら逃げられちゃうかなって思って、今まで身分を言えなかったんだよ」
「そ、そうですか……」
 すらすらと口から出任せを言うテオを見つめる。父はテオの言い分を信じているようだ。母もテオを凝視している。
「どこかのタイミングで言わなきゃとは思ってたんだけど、彼女から婚約話が来たと聞いたからね。こうしてはいられない。どこぞの侯爵になんてリリーを取られたくないから、彼女と共に挨拶に来たってわけなんだ」
 分かってくれた? と告げるテオを父は穴が開くほど見つめている。
「私はリリーと結婚したいと考えてるんだけど、どうだろう。彼女を私にくれないかな。君たちだって、娘が想い合っている相手と結婚した方が嬉しいだろう?」
「そ、それはそう……ですけど。ですが殿下、本当に娘と?」
 どこか信じ切れないのか、父がテオに確認を入れる。テオは爽やかな笑みを浮かべ、言い切った。
「私はリリーを愛しているからね。彼女以外と結婚したいとは思わないよ」
「っ! そう、そうですか!! もちろん殿下がお相手だというのなら、反対する理由はありません。どうか娘を末永く可愛がってやって下さい」
「ありがとう。ええと、それで、そのイエーガー侯爵とかいう彼女の相手だけど」
 こてん、と首を傾げ父に聞くテオ。父は笑顔で言い切った。
「ええ! 当然お断りを入れさせていただきますとも。殿下という先約があるのなら、仕方のないことですから、先方も納得して下さることでしょう。リリー、よくやった! まさかお前に恋人がいるなんて思いもしなかった。なんだ、いるならいると教えてくれれば良かったのに」
「……テ、テオの爵位を知らなかったもので……その、反対されるかと思って」
 突然こちらにお鉢が回ってきたことに動揺しつつも話を合わせた。父は「確かに、生半可な相手ではお前を託せないからな」と納得しているようだ。
「しかし、テオドア殿下が相手なら話は別だ。いつの間に殿下と知り合っていたのだ?」
「え、えと、それは……」
 そこまで細かい設定を考えていなかった。
 咄嗟に答えの出ない私の代わりにテオがすらすらと答える。
「私の一目惚れなんだ。必死に口説いて恋人になってもらったんだよ」
「そうでしたか。娘があなたを射止めたなんて、親として鼻が高いです」
「リリーは可愛いからね。他の男に取られないか心配で、さっさと結婚してしまいたいんだよ」
「ええ、ええ! そうでしょうとも! 良かったな、リリー。お前、ずいぶんと殿下に惚れられているようではないか」
「はは、はははは……」
 父に小突かれたが、乾いた笑いを零すしかできない。
 母を見てみれば、ようやく事態が飲み込めてきたのか、頬を赤らめ目を潤ませていた。
 まさか娘が元第三王子を連れてくるとは思わなかったのだろう。私も思わなかった。
 というか。
 ――第三王子って本当なの!? 全然知らなかったんだけど!
 テオが上手く話を進めてくれるおかげで、ひとり混乱状態に陥っていても問題はなかったのだが、こうして現状を理解していくうちに、今度は焦りが出てくる。
 元第三王子を私の問題に巻き込んで本当に良かったのか。いや、いいはずはない。
 ――ど、ど、どうしよう。
 とはいえ、今は静観するしかない。なにせ、テオが恋人だと言ってくれたおかげで、イエーガー侯爵との婚約話が消えたのだから。
 何が何でも頷かせようとしていた両親も、元第三王子が相手なら掌返しをするようだ。
 侯爵が公爵に代わるのだから、それも当たり前かもしれないけれど。
「殿下がお相手なのでしたら、安心して娘を託せます。すでに恋人とのことですし、この際、挙式の日取りも決めてしまいましょうか」
 娘が釣り上げてきた大物を逃がしてたまるかという気持ちなのだろう。父が気の早いことを言い出した。
「えっ……」
 ギョッとして父を見る。
 まずは婚約というのが筋ではないのだろうか。それが結婚?
 私の予定ではテオと婚約して、ほとぼりが冷めたところで婚約解消……というプランを考えていたから、挙式日を決めると言われて動揺した。
 だが、テオは乗り気な様子で父に答えている。
「いいね。私の方はいつでも構わないよ。リリーを屋敷に迎える準備はできているから。元々そろそろプロポーズしようと考えていたんだ」
「そうですか! では三ヶ月後など如何でしょう?」
「さ、三ヶ月!?」
 あまりの速さに驚いた。
 うちの国では、婚約から一年程度で式を挙げるのが一般的とされていて、どんなに早くても半年はかかるのが常識だ。それが三ヶ月。
 めちゃくちゃなことを言い出す父を唖然と見つめる。
 冗談で言っているようには見えなかった。こうなったらテオに期待するしかないと思っていると、彼は手を顎に当て、考える素振りを見せてから言った。
「三ヶ月か……私としてはできるだけ早くリリーを迎えたいんだよね。可能なら今日にでも連れて帰りたいくらいなんだけど」
「はは。さすがに今日は困ります。ですがそこまで言って下さるのなら、私たちも頑張らざるをえませんな! 分かりました! それではひと月後に式を挙げましょう。ひと月あれば、なんとか衣装の準備も整うでしょうから」
「そうだね。リリーの花嫁姿は絶対に見たいし、その準備にひと月掛かるのなら仕方ない。分かった。ひと月後で手を打つよ」
「ありがとうございます。早速準備を始めます」
「うん。私も父上に報告を入れておくよ」
「は?」
 顎が外れるかと思うくらい、口が開いた。
 入れておくよ、ではない。
 どうしてテオまで父の話に乗っかっているのだ。というか、更に時期を早めてどうするのか。
 私たちが恋人同士というのは、イエーガー侯爵との婚約話をなしにするための出鱈目であって、その関係は時期がくれば解消されるはずのもの。
 それなのにひと月後に挙式とは。しかもテオは父――つまりは国王に報告すると言っている。
 そんなことをすれば「やっぱり婚約は取りやめます」なんて言えないではないか。
 婚約して、そろそろ挙式の日程を決めよう的な話が出るあたりで婚約解消というのを思い描いていただけに、この怒涛の展開が信じられない。
「え、え、え、あの……」
 どうにか今の流れを止めようとするも、父はすっかり張り切っている。
 母も「急いでウエディングドレスを用意しなくちゃ!」とはしゃいでいて、とてもではないが話を聞いてもらえる状況ではなかった。
「リリーを妻にもらう日が楽しみだよ」
 とどめのようにテオが言う。その笑顔はどう見ても本物で、あまりの麗しさに、そんな場合ではないのに思わず見惚れてしまった。
「あ、あの、えっと、えっと……」
 言葉が出ない私を余所に、父が楽しげに言う。
「いやあ、式が楽しみですな!」
 もはや私が口出しできる隙などどこにもなかった。