私の忠犬は待てができない!? コワモテ騎士の性急で一途な甘い愛 4
第四話
「ブラッド、お願い。返事して……!」
瞬間、彼の頭がわずかに持ち上がり、前髪のあいだから鋭いまなざしが覗く。
小競り合いをしている男たちを見定め、先ほどまでぐったりしていたのが嘘だったかのように、ブラッドは跳ね起きた。
「なっ」
「は?」
ぽかんとした男たちへ、一人は顎へ掌底をくらわせ、もう一人は地面に張り出した木の根にこめかみを打ち付けて気絶させてしまう。
鮮やかな手つきに呆然としていると、ブラッドは男の持っていた剣を拾い、首謀格の男に向き直る。
「お前は殺す」
「え、いや、おい」
ブラッドが一歩踏み出すと、葉の上へ血がぼたぼたと落ちる。
エミリアははっとしてブラッドの外套を引っ張った。
「だめ、動いちゃ。血が出ちゃう……!」
男は今にも逃げ出しそうだ。それでいい。エミリアを諦めてくれるのなら、二人で屋敷に戻って手当を受けられる。
けれどこのままさらに血を失えば、ブラッドは助からないかもしれない。
現にブラッドの顔からは血の気が失せ、なんとか踏み出した足もがくがくとしておぼつかない。とっくに限界を超えているのは明らかだった。
「――す、殺す……っ」
「ブラッド!?」
エミリアの制止を振り切ると、ブラッドは男へ向けて駆け出す。
ふらついて側の木に身体をぶつけながら、瞳だけは飢えた獣のようにギラギラと光らせて。呼吸は荒く乱れ、エミリアの声なんてまるで耳に入っていない。
「ま、待てって!」
「この……っ!」
「ぐあぁぁっ」
背後を気にしながら走る男がつんのめって転ぶ。そこへブラッドが剣を振り下ろす。
だが、剣の重さでかくんと力が抜け、心臓めがけて一突きにするはずの軌道が逸れる。
剣筋は男の脇腹を掠めただけだった。
そのままブラッドは仰向けに倒れ込んでしまう。
「ブラッド!」
慌てて駆け寄って軽く身体を揺さぶるが、返事がない。
「どうしよう、どうすれば……」
そのとき、木々の向こうに人影が見えた。木の実を採りに来た町人らしい。
「助けて! 手を貸して!」
エミリアは力いっぱい叫んだ。
町からさらに人手を呼び、なんとかブラッドを診療所まで運ぶことができた。
駐在から連絡が行き、人攫いの男たちも騎士団の手に引き渡される。やはり彼らが王都で警戒中の人攫い犯だったらしい。
ブラッドの怪我はかなり酷い状態だと医師から聞いた。まったく抵抗しないままざっくりと背中を切られたのだ。出血もかなりの量で、気を失ったのもそのせいだと。
すぐに治療が始められ、王都からも高名な医師が呼ばれる。
ひとまず処置はうまくいき、なんとか一命は取り留めた。
しかし三日経った今も、ブラッドは目を覚まさない。
エミリアはお見舞いにも行かずにいた。
処置が終わって面会が許可されてから一度、診療所まで出向いたのだが、そこには彼の家族が駆けつけていて心配そうな顔でブラッドを覗き込んでいた。
それを見て、一体どんな顔でブラッドに会えばいいのかわからなくなった。自分にはきっと彼を見舞う資格すらない。
すっかり塞ぎ込んで、部屋にこもりきりになってしまったエミリアを心配して、父も使用人たちも声を掛けてくれる。だが、明るく応じる元気は出なかった。
時間があれば神に祈りを捧げ、彼の回復を願って過ごす日々が続いた。
「エミリア、ブラッドが目を覚ましたらしい」
「本当ですか、お父さま!?」
父から知らせを受けたのは彼が凶刃に倒れてから四日目のことだった。
「すぐに病院に行きなさい。ちゃんと会って話すといい」
「……行かないわ」
明るい気持ちになったのは一瞬で、エミリアは俯きがちに答える。父は寂しそうに微笑んだ。
「お前はブラッドをとても気に入っていたふうに見えたけれど、違うのかい?」
「それは」
「実はね、お前たちを会わせることは、私とブラッドの父――レオカディス伯爵のあいだで決めたことだったんだよ。生まれたときからブラッドのことは知っていて、真面目ないい青年に育ったと思っていた。エミリアの結婚相手にどうかと話したら、向こうも大賛成してくれてね。ブラッドも偶然エミリアに興味を持ったと聞いてその話を持ちかけたんだが、彼はエミリアの気持ちを優先したいと言っていた」
「そんな……」
告白したとき、そんなことは一言も言わなかったではないか。
どこまでもエミリアの気持ちを尊重して、断ったとしても罪悪感を抱かないように、互いの親が結婚に積極的だという話はあえて避けていたに違いない。
深い愛情を実感して鼻の奥がつんとした。
「私は社交界で色々な男性に会うより、先に婚約者を見つけてしまったほうがエミリアのためになると思っていた。それで彼と会わせたんだ」
「ありがとう、お父さま」
ブラッドに会えたから、男性には優しい人もいるのだと知った。
ブラッドのおかげで、恋を知ることができた。
でも――。
「やっぱり、会いには行けないわ」
エミリアは涙で震える声で告げた。
また自室にこもって祈る日々を続けて、数日後。
「エミリア! エミリア、聞きなさい。ブラッドが会いに来てくれた」
部屋で一人、祈りを捧げていたところに、父親の焦りを含んだ喜びの声が聞こえる。
「ほら、二人で話すといい。せっかく来てくれたんだ」
父の足音が遠ざかってから、扉が二回ノックされる。
「エミリア、聞こえるか? 心配かけてすまなかった」
「っ……!」
しっとりと響くブラッドの声だ。
途端にぼろぼろと熱い涙が頬を伝い、嗚咽を抑えようと口元を覆った。
(ブラッド、退院できたのね……こうして話せるようになって、歩けるくらい回復したの?)
常に鍛えているからだろうか。回復力はエミリアの想像以上だ。
早くドアを開けて、顔が見たい。
立ち上がりかけて、前に進むのをぐっとこらえた。
自分は、やっぱり彼に合わせる顔がない。
「エミリアは大丈夫だったか? 襲われたときにどこか怪我をしたんじゃないかとそれだけが心配で……」
生死をさまよう怪我をしたというのに、ブラッドはこちらの安否ばかり気にしている。
(あれはわたしのせいで襲われたのに……)
エミリアを目的とした人攫い事件だったのだ。自分と一緒にいなければ大けがを負わずに済んだ。
罪悪感で押しつぶされそうだ。
ブラッドはきっと、エミリアがかすり傷一つ負っていないと知ったら心から喜んでくれるに違いない。それがわかるから胸がずきずきと痛む。
いっそお前のせいだと責めてくれれば、この気持ちから解放されるのに。
「部屋から全然出ていないときみの父上から聞いた。無理もない。攫われかけて、切りつけ合っているところを見たんだ。とてもショックだったろう」
彼の声はどこまでも穏やかで優しい。
「俺はもう王都に戻らないといけないんだ。元々の休暇も超過してしまったからな。寝ていても身体が鈍るだけだし、騎士団でリハビリがてら簡単な任務に就かせてもらおうと思う。……本当はエミリアが元気になるまでそばにいてやりたかったんだが」
そこで小さく笑う気配がした。
「なんて、そばにいたいのは俺のほうだな。またすぐに時間を見つけて会いに来る。ゆっくり休んで、気が向いたら、返事を考えてみてほしい」
告白への返事なんて考えなくても決まっている。
――あなたが好き。
そう伝えれば、王都へ戻るブラッドに寂しい思いをさせずに済むだろうか。
エミリアだって彼を求める気持ちはなによりも強い。しばらく会えないのが寂しくてしかたがないのだ。互いの関係が特別なものだという約束がほしい。
ブラッドとは同じ気持ち、のはずなのに――。
(本当にそれでいいの?)
自分と一緒にいたらかなりの確率でまた何者かに襲われるだろう。
今までの経験から考えて、今後は大丈夫だと思える材料はひとつもなかった。
自分のせいでブラッドは怪我をした。自分のせいで、剣を振るわせた。
(暴力的な自分を好きではないと言っていたのに……)
エミリアにだけ打ち明けてくれた秘密。ブラッドは剣の才に恵まれ、そして悩んでいる。
はじめて彼の戦う姿を見て、エミリアにもブラッドの苦悩が少しだけ理解できた。
彼は恐ろしく強く、だがやはり剣からは暴力の側面を排除できない。
優しいブラッドが悩むはずだ。
自分の側にいたら、職務中でなくても剣を抜かせてしまうかもしれない。
エミリアを守るためならきっとブラッドは迷わず剣を手にする。――それでいいのだろうか。
守ってほしいと縋るたび、彼に十字架を背負わせるようなそんな関係で、本当にいいの?
(いいはず……ない!)
ブラッドは気にするなと言ってくれるはずだ。けれどエミリアはそんな自分をどんどん嫌いになりそうだった。
彼を不幸にして安全を得たって、全然嬉しくない。
ブラッドのなにかをすり減らす存在になるなんて絶対にいやだ。
(……離れなきゃ)
ブラッドと一緒にいたら、きっと彼を不幸にする。
だからもう会わないほうがいい。
決断はきりきりと鋭く胸をえぐってくる。
「エミリア、無理に顔を見せろとは言わない。ただ、少しでいいから声を聞かせてはくれないか? きみの声を聞いたら安心できる」
ブラッドは正直に言っても納得してくれないだろう。
エミリアが気に病む必要はないと、寄り添ってくれるに違いない。
だから――。
「……い」
「エミリア? すまない、よく聞こえなか――」
「大嫌い! ブラッドなんて、もう、顔も見たくない!」
扉に向かってありったけの大声で叫ぶ。
彼が息を呑む気配がした。
数秒ののち、足音が遠ざかっていく。
はあはあと肩で息をしていたエミリアはその場にへなへなとへたり込んだ。
ブラッドはどんな顔をしていただろう。
勝手なことを言うと怒った? それとも、傷ついて悲しんでいた――?
「っ、う……」
大粒の涙がスカートを濡らす。エミリアは顔を覆ってぐったりとうなだれた。
「大好き……愛してるわ、ブラッド……」
伝える機会を失った言葉が、嗚咽と一緒に漏れた。
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