私の忠犬は待てができない!? コワモテ騎士の性急で一途な甘い愛 3
第三話
翌日は二人で森の中を散策することにした。
素焼きのクルミを手に木々のあいだを歩いていると、香ばしい匂いを嗅ぎつけてリスたちが木の穴から顔を覗かせる。
クルミを切り株の上に撒いてやるとすぐに数匹が集まって頬に詰め始める。
「かわいいわね」
「……そうだな」
にこにこしながらリスを眺めていると、ブラッドも同意してくれる。
顔を上げるとその視線はばっちりエミリアのほうを向いていた。
「あ、いや……」
慌てて視線を逸らされるものだから、エミリアまでくすぐったい気分になる。
「すまない、じろじろと」
「ううん……」
「きみが男に見られるのを嫌がっていると知ってはいるんだが、つい……」
「だ、大丈夫。ブラッドは他の人と違うってわかってるから」
ゆっくりとブラッドがこちらを向く。
そのとき、足元に置いてあったバスケットにまでリスが近づいてきた。彼らを踏んではいけないと数歩下がったエミリアはよろけてしまう。
「きゃっ」
「危ない!」
強い力で腕をひかれ、その場にへたり込む。とっさにブラッドが掴んでくれたおかげで、お尻を打ち付けるのは避けられた。
「怪我はないか?」
「ええ、なんともないわ」
心配そうに眉を下げるブラッドと正面から向かい合う。
それだけで鼓動が速くなって、嬉しいような切ないような、不思議な感覚に陥る。
ブラッドはそのまま、柔らかな落ち葉に膝をついた。
「あと数日で休暇が終わる」
「え……じゃあ騎士団に戻るの?」
「ああ。王都で任務につく手筈になっている」
楽しかった気持ちがしぼんでいく。
それは最初から決まっていたことだ。彼は休暇のあいだだけ会いに来てくれる。はじめに聞いていたはずなのに、いざそのときが訪れるとこんなに辛いだなんて。
寂しい。そう素直に口にしていいのだろうか。
彼を好きなあまりわがままを言っていると思われるのでは。
そんな自分の感情ではなくて、彼をねぎらう言葉をかけたほうがいいに決まっている。
とっさの判断で沈んだ気持ちを隠すとエミリアは微笑んだ。
「がんばってね。大変だろうけれど、応援しているわ」
「ああ……」
「お手紙を書いてもいい? 新しくジャムができたら送るし――」
「エミリア」
言葉が遮られ、膝の上で重ねていた両手を、ブラッドの大きな手が包み込む。
「っ……!」
「離れがたい」
切なげに瞳を細められ、黄金色がまっすぐにこちらを射貫く。
押し込めていたエミリアの寂しさも、また一気に押し寄せてくる。
「軟弱な考えを持っていたのは俺だけのようだな。すまない、おかしなことを――」
「そんなことない!」
自嘲気味に笑うブラッドに慌てて答える。
「わたしも本当は寂しい……でも我慢しなきゃって」
「エミリア……」
手が引き寄せられて、指先にブラッドが口づけを落とす。
柔らかな体温を感じて、動悸が速くなる。
「好きだ」
視線が絡まったまま、まっすぐに伝えられる。
「エミリアが心から愛おしい。きみのことを考えると胸が幸せな気持ちで満たされる。どうか、俺と結婚してくれないか」
ああ、自分は夢を見ているのだろうか。
愛する人が自分と同じ気持ちだった。
その上、生涯の伴侶に望んでくれるなんて。
――わたしも、あなたが好き。
言葉にしたいのに、熱いものが込み上げてきて、うまく声にならない。
「エミリア、返事を急かすつもりはない。ゆっくり考えてくれればいいんだ」
「ちがっ、違うのっ」
優しく微笑まれて、気持ちが焦る。
答えなんてたったひとつだ。
気持ちは揺らぎようもない。
しかし――。
「誰だ」
ブラッドが突然鋭い声を上げ、じっとあたりを睨む。
まわりの茂みがガサガサと音を立て、リスたちが逃げていく。
野生動物だろうかと思っていると、三人の男たちが枝葉をかき分けて現れた。
「へえ、よく気づいたなあ。武道の心得でもあるのかい」
真ん中の男が下卑た笑みを浮かべながら口を開く。
「なにが目的だ。金か」
「こんな田舎まで出向いて安い盗人じゃあ食っていけねえなあ」
男の視線が自分に向けられたのに気づいて、エミリアはぞっと総毛立った。
よく知る視線だ。自分を値踏みする目。頭のてっぺんから爪の先まで眺めて、いくらになるか算段をする目だ。
「ブラッド、この人たち……」
エミリアはブラッドの服の端をぎゅっと握る。無意識のうちに手が震えていた。
「お前たち、王都で警戒中の人攫いか……! 騎士団の巡回が強化されて王都では仕事にならなかったようだな」
「ご名答。というか、その口振りじゃ旦那も騎士ってわけかい。ちょうどいいや。こっちは商売あがったりでいらついてんだ。ま、田舎にアガリのでかそうな商品がいてくれて助かったよ。旦那はもう食っちまったかい? 生娘じゃないと価値が下がるんだがな……本当に騎士サマってのは邪魔ばかりしてくれる」
「この、下衆が……っ」
怒りを孕んだ声で、ブラッドが腰元を探る。
しかしその手は空を切った。
(剣を持とうとしたの?)
今が騎士としての任務中なら真っ先に抜刀していたのだろう。
出会った初日は黒い騎士服を着ていたブラッドだが、今はラフなスラックスとシャツに外套を羽織るのみだ。武器の類いは持っていない。
それでいい、とエミリアは思った。
彼が剣を手にするのに忌避感を抱いているのは知っている。
任務中でもないのに暗い部分へと向き合わせたくはなかった。
「女は傷つけず捕らえろ。男は切り刻んでいい」
首謀格らしき男がそう言うと、左右の部下が幅が広い刀身の剣をすらりと抜く。
「ブラッド、逃げて」
屋敷まではブラッドの足なら走って五分もかからない。
男の言う通りなら、自分はひとまず命の保証はされる。しかしブラッドはここに留まれば殺されてしまう。
だったら彼には逃げてもらって、町の駐在でも呼んできてもらえば――。
「そんなことできるはずないだろう!」
「えっ」
ブラッドはエミリアの手を引くと走り出す。
「ま、待って! わたし足が遅いの。追いつかれちゃう……っ」
ブラッドの走るスピードについていけるはずもなく、足はもつれ、今にも転びそうだ。
振り返ったブラッドはさっとエミリアを抱え上げた。
「喋らないほうがいい。舌を噛む」
「えっ、ちょ、そういう意味じゃ……!」
無論、置いていったほうがいいと助言したつもりだった。しかしあくまでブラッドはエミリアと一緒に逃げるつもりらしい。
エミリアを横抱きにしたままとは思えない速さで森を駆け抜けるが、やはり人間一人分の重さが増してはさっきまでのようなスピードは出なかった。
後ろからは小枝を踏み荒らしながら追いかけてくる二人の足音が聞こえる。
男たちは抜き身の剣で目の前の枝葉を払いのけ、最短距離を進んできた。
おのずと距離は縮んでいき、ブラッドが木の根に足を取られぐらついた瞬間に前に回りこまれる。
「……くそっ」
「女を置けよ。そっちは傷をつけたらどやされる」
「ブラッド……」
「大丈夫だ。離すはずがない」
自分を置いて逃げてほしいと思っていた。けれどぎゅっときつく抱き寄せられれば、頼ってしまいたくなる。
もう怖い思いをしたくないのは当然で、できることならこの場を二人とも無傷で切り抜けたい。
縋っていいのだろうか。守って欲しいと、甘えてもいい――?
彼の外套をきつく握りしめたとき。
「ぐぁ……っ」
苦しげにうめいてブラッドがその場に膝をつく。
「ブラッド!?」
「なにお見合いしてるんだ。さっさと仕事をしろよ」
後ろから音もなく近づいてきていたのは、首謀者の男だった。
その手にはやはり抜き身の剣が握られており、白刃の先からは鮮血がしたたり落ちている。
「ブラッド……うそ、やだ……」
恐る恐る彼の背に手を回すと、ぬるりと湿った感触がした。手にはべっとりと血が付着する。
目の前の敵に気を取られているうちに、背後から切りつけられたのだ。
「だって女は斬るなって言うし、男は斬れっていうもんだから」
「阿呆。背中ががら空きじゃねえか。こういうときは前後で挟んで追い詰めるんだよ。ほら、さっさと女を奪って逃げるぞ。騎士団に嗅ぎつかれたらまずい」
「やっ、離して!」
ブラッドに縋りついていたエミリアを引き剥がそうと男が肩に手をかける。
エミリアは身体をよじって抵抗するが、ほとんど意味をなさなかった。
「ほら、立てって。足があるんだから自分で歩けよな。運びにくい」
「気絶させて二人で運んだほうが楽じゃないか?」
「目立つだろばか」
ブラッドはうずくまったままぴくりとも動かない。最悪の事態が頭をよぎって、全身から血の気が引いていく。
(ブラッドが死んじゃうだなんてそんなのいや……絶対認めない……)