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私の忠犬は待てができない!? コワモテ騎士の性急で一途な甘い愛 2

第二話

 

 ――この人は、なにかが違う。
「その……すまない。今日はまずそれを伝えようと思ったのだが、どうも気の利いたことも言えず。退屈させてしまったろう」
「いっ、いいえ! 退屈だなんてとんでもないです!」
 男性と話していてこんなに心が浮き立ったのははじめてかもしれない。
 容姿など関係なく、行動に対しての評価を返してくれる。はじめて、本当に男性と会話をした気分だった。
 下心で上塗りしただけの薄っぺらな言葉はもういらない。ずっとそう望んでいた。
「退屈どころかはじめて男の人と話して良かったなあって……えっと、わたし、男の人には攫われそうになったり襲われそうになったりするばかりで、ブラッドさまもはじめは絶対わたしを押し倒すつもりだ! って思ってたんですけど……や、ちがっ、最初だけですよ!? その、えっと……ごめんなさい……」
「いや、そうか……こちらこそすまない。怖がらせてしまったんだな……」
 がっくりと肩を落とし、ブラッドは見るからに落ち込んでいる。
「あ、謝らないでください!! なにが言いたいかっていうと、つまり、そんな第一印象は全然当てにならなかったって意味です。わたしが悪いんです。あ、あんまり人付き合いが得意じゃないから、人を見る目もないんだと思います……」
「それは無理もないだろう。きみの父上からエミリアが今までどんな目に遭ってきたか、多少は聞いている。とても怖かったろうし、警戒心が強くなるのはいたって普通だ。気休めになるかはわからないが、王都では今、騎士団が人攫いの警戒強化をしている。きみのような思いをする人が少しでも減るように」
「う、嬉しいです……」
 犯罪者と疑われても嫌な顔ひとつしないどころか、エミリアの身を案じてくれる。そんな気づかいができる人がこの世にいるなんて信じられない気持ちだった。
 騎士団の活動を語る彼は自信に溢れていて、ほかの団員を信頼し、自らの騎士という肩書きを誇りに思っていることが伝わってくる。
 そんなブラッドがとてもまぶしい。
「王都については団員ががんばっているのだが、エミリアが普段過ごす上ではまだまだ不安が大きいだろう」
「たしかにそうですね」
「それで、その……良ければ、しばらくエミリアの身辺警護をさせてもらえないだろうか」
「警護?」
「俺は休暇期間が終わるまで、こっちに滞在する予定なんだ。そのあいだ、一緒に過ごせるのなら、エミリアの安全に気を配ってやれる――いや、強制するつもりはないんだ。ただ俺みたいな男がそばにいれば、近寄ってくる不埒な男も少しは減るのではと」
 ブラッドの頬がほんのちょっと赤く染まっている。
 あくまでこちらの意見を尊重してくれるらしく、そこにあるのは純粋な善意だと感じた。
「っ、ぜひ!」
 エミリアは再び前のめりになって答えた。
 はじめに会ったときの印象はもうすっかり消え失せて、ブラッドに対しては温かな好感を抱いている自分がいた。
 この人は、良い人だ。――また、会いたい。
 素直にそう思えた。
 願ってもない申し出に一も二もなく食いつくと、ブラッドはほんの少しだけ口の端を緩めた。
「そうか」
 相変わらず木イチゴのほうばかりを見ているが、嬉しそうにほころんだ表情に、こちらまで気持ちが高揚してくる。

 翌日、エミリアはさっそく収穫した木イチゴをジャムにするため、厨房に立っていた。
 ブラッドは約束通り、日の高いうちから会いに来てくれて、ジャム作りを物珍しげに眺めている。
(というか、ブラッドさまってもしかして……とってもかっこいい?)
 昨日はまだ慣れなくてまともに顔を見られなかったが、ブラッドが鍋に視線を注いでいるから、これ幸いとばかりに彼を観察する。
 すっかり彼に心を許してしまえば、ブラッドはとても整った顔立ちだということに気づいた。
 金色の瞳はやっぱり鋭いまなざしだけれど、もう怖いとは思わない。その強い瞳が彼の意志の強さを感じさせて、むしろ魅力的に映る。
 すっと通った鼻筋も、引き結ばれた薄い唇も、男性的な魅力に溢れている。
 どこも曲線的なエミリアと違い、ブラッドの身体はごつごつとして頼もしい。触れたら硬いのだろうかなどと考えて頬が熱くなった。
「長い時間煮込むのか?」
「えっ、あっ、数十分でしょうか。砂糖をかけて馴染ませてあるので、そんなに時間はかからないかと」
「しかし大変だな」
「あの、座っていただいて構いませんよ」
「見ていたら気が散るか?」
「そういうわけでは……でも退屈でしょう?」
「いいや。珍しくて感心していたんだ。俺の妹が厨房に立っているのなんか見たこともないのに、エミリアはすごいな」
「ブラッドさま、妹さんがいらっしゃるんですか?」
「ああ、エミリアと同い年なんだ」
「まあ! どんな方なのかしら。会ってみたいなあ」
 後半の独り言に、ブラッドが不意に顔を上げてこちらを見る。
「エミリア、俺に対しては砕けた口調で構わない。名前も呼び捨てでいい」
「えっ、でも、そんな……」
「どうやったら距離が縮まるのか考えていたんだ。ただでさえ七つも歳が違うんだ。普通にしていたらいつまでも他人行儀なままだろう。だから」
 ブラッドともっと距離が縮まるのならそれはとても素敵な提案だ。自然と頬が緩んでしまう。
「……いやか?」
「ううん。いやじゃないわ――ブラッド」
「そうか」
 ブラッドはほっとしたように表情の強張りを緩めた。
 彼の提案通り、口調を砕けたものにすると会話が多くなった。
 といっても、出会った当初に比べればの話で、お互いによく喋るほうではないから、沈黙の時間も長い。
 それがいやでないのが不思議だった。
 なにかを話さないとと焦ったり、相手は退屈でないかと気を揉んだり。そういう不快な沈黙ではなく、ブラッドとの静寂はどこまでも落ち着く凪の海みたいに感じる。
 ほとんど毎日訪ねてきてくれるブラッドと過ごしながら、エミリアは居心地の良さを実感していた。
 ライリー領は自然ばかりが多い田舎で、わざわざ観光目的で出かけるところはないと思っていたけれど、ブラッドと赴けばそんなことは関係がないくらいどこだって楽しい。
 見慣れた店の並ぶ町や、木漏れ日の中を散策するだけでも、その時間が特別なものに思えた。
 町の教会を訪れた帰り、二人で屋敷までの道を歩く。
「ジャム、喜んでくれて良かったな」
「そうね。たくさん売れるといいけれど」
 作りすぎた木イチゴのジャムを、今度のバザーに出して欲しいと司祭にお願いしてきたところだ。
「きっと全部売れる。すごく美味かったから」
「嬉しい。母から受け継いだレシピなの」
「母上もジャムを作るのがうまかったんだな」
「ここよりも田舎の出身で、ほかに遊びがなかったからよってよく言ってたわ」
 今は亡き母の出身はさらに辺鄙な地方である。そこで培ったのは毎日を退屈に過ごさないためのアイディアだそうだ。
 エミリアにもそれがしっかり受け継がれており、小さい頃から家で遊ぶのがつまらないと思った記憶がない。
「たしか孤児院も母上の提案で設立されたと言っていたな。素敵な人だったんだろうな」
「ええ。ブラッドにも会って欲しかった」
 流行り病で亡くなっていなければ、きっとすぐに彼を気に入っていたに違いない。
「ブラッドのご家族はどんな人たちなの? 聞きたいわ」
「どんなといっても特別な話はないが……レオカディス家は代々騎士の家系で、父も今は退役しているが騎士団に所属していた。小さいときからお前も将来は騎士団に入るのだと教育されてきたからな。俺もそのつもりで育った」
「すごいのね! 教えの通り立派な騎士になるなんて」
「いや……」
「ブラッド?」
 急に歯切れが悪くなったブラッドを不思議に思って顔を覗き込む。
「俺は立派なんかではないんだ。騎士としての任務にやりがいはあるが、時折恐ろしくなる。俺は剣という道具を正しく使えているんだろうかと――」
 きょとんとしていると、ブラッドは自嘲気味に笑った。
「いや、すまない、忘れてくれ。きみにする話じゃなかった」
「ううん、もっと話して欲しいわ。わたしじゃ全部は理解できないかもしれないけど、あなたがもし悩んでいるなら一緒に考えたいの」
 ブラッドは少し迷っていたが口を開く。
「剣は……俺の身体に馴染みすぎる。人を切り裂くことを目的とした武器が身体の一部のように感じられて、そうすると俺自身が人を傷つけるために生み出された人間とすら思えてくる」
 エミリアにはおよそ理解のできない感覚に、言葉を失ってしまう。
「剣を振るっていると、目の前の光景はいやにはっきり、ゆっくりと見えるのに、周辺の音は聞こえなくなって、視界が狭くなった錯覚に陥る。ただ目の前の敵を切り払えと、どこかから下りてくる命令に従うだけで精一杯で」
「すごく集中しているときの感覚に似てるわね」
「ああ、そうかもしれない。集中、なんだろうな。エミリアみたいにジャム作りや読書になら集中もいいのだろうが、俺のそれは、剣でだけ発揮される。……自分の中にこんな暴力的な部分があったのかとあとで驚くんだ。そして、次に剣を持つのが少し怖くなる」
「また暴力に集中してしまうかもって?」
 ブラッドは重々しく頷く。
「今はいい。その暴力は正当性があって、だから騎士団の仲間も上官も評価してくれる。けれどいつか目的と手段が反転するんじゃないかと――剣を振るいたいがために、悪党を探してしまうんじゃないかと思うと……」
 苦くつぶやいてブラッドはそれきり黙ってしまった。
「話してくれて嬉しいわ」
「がっかりしたんじゃないか。騎士というのはもっと頼りがいがあって、迷いのない人間だと思っていたろう……正直、この休暇はほっとしているんだ。任務で剣を取らずに済むから」
「がっかりなんてしてない。剣を恐ろしいと感じるのは普通よ。人の命を奪うことができる道具なんですもの。それで平気にしていられるほうが怖いと思うわ」
「そう……だろうか」
「この休暇中は悩みを忘れて過ごしてね。ぼんやりするにはぴったりの場所だから」
 エミリアは故郷をアピールするように両手を広げて見せる。
「それに、わたしはブラッドが理由もなく暴力を振るう人には絶対にならないと思う。だってブラッドは優しいもの」
「優しい?」
 怪訝そうに聞き返されて、こくこくと頷いた。
「他の人とは全然違うって会ってすぐにわかったわ。わたしを気づかってくれて、外見じゃなくわたしの中身を見てくれたでしょう? それが本当に嬉しかったの」
 必死に言葉を紡ぐと、ブラッドの耳がほんの少し赤く染まる。
「かわいいとか綺麗とか、上辺だけの言葉じゃなくて、心から思ったことを言ってくれたでしょう? そんな人はブラッドがはじめてだったのよ」
「……あれは優しいとかじゃなく、本心で」
「だからよ!」
 エミリアは強く肯定する。
 ブラッドの言動がどれほどありがたかったのか、言葉では尽くしがたいくらいだ。
「エミリアは少し勘違いをしていると思う」
「え?」
 ブラッドは気まずそうに言葉を続けた。
「きみの容姿をとやかく言わなかったのは失礼にあたるからで、容姿になにも感じていないわけじゃない。その……すごくかわいいと、思っている……。壁画を見て興味を持ったのは事実だが、正直こんなに可憐な人だと知らなくて、会って面食らった」
「へ……」
 彼の言葉に今度はエミリアが言葉を失ってしまう。
「エミリアが嫌う男どもと中身はそう変わらないのかもしれないな、俺も。ともすればそういう目を向けてしまいそうになる。気持ちを抑えるのに必死なんだ」
 目元までほんのりと朱に染めて、切なげに目を細めたブラッドと視線が絡んだ。
(そういう目って……そういう目ってなに!?)
 屋敷の自室で寝台に寝転がったエミリアはクッションを抱いてばたばたと足を動かす。
「きゃー」とも「ひゃー」ともつかないおかしな声が漏れて、思わずクッションを口元に押しつけた。
「……かわいいって」
 ぽつりとつぶやいて、にやけた顔のまま敷布の上をごろごろと転がった。
 嬉しかった。ブラッドがこちらを女性として意識しているのも――自分がそれをまったく不快に思わなかったことも。
「わたしブラッドが好きなのかも」
 しっくり来なくて、ううん、と首を横に振る。
「わたし、ブラッドが好き」
 かも、なんて曖昧な気持ちじゃない。
 じわじわと温かな高揚が胸に広がっていく。
 男性はエミリアに不快さを与えるだけの存在だと思っていたのに。
 まさか自分に恋ができるなんて。
 誰かを好きになる気持ちがこんなに幸せで、世界を美しく見せるのだと気づけたのが嬉しくてたまらないのだ。