戻る

その愛玩人形、私ですか!? こじらせ天才魔術師様の一途でみだらな超溺愛 1

第一話

 

「どうしたんだ、そんなふうに顔をしかめて」
 ――だって……苦しいんですもの。メアディスさまのがあんまり大きいから。
「ふ……それはお前が締めつけるからだろう。痛いのか?」
 ――痛くは、ないけれど……んっ。
「そのようだな。ちょっと動かしただけで甘い声を上げて」
 ――や……っ、また大きく……! 
「そんな物欲しげな顔をして、本当に苦しいだけか?」
 ――ぁっ、んぅっ、奥っ、そんなにかき混ぜないで……ぇ。
「ほら、いい加減素直になったらどうだ」
 ――ふぁっ、だめぇ……っ、も、苦しいの……っ。メアディスさまに激しくしてほしくて、身体が切ないの……っ。
「イヴ……っ」
 ――メアディスさま……っ、あぁっ!

 妄想の中のイヴが切なげに啼く。
 怒張を擦る手が速くなる。
 先端からは透明な液体が溢れ、静謐な空間にぐちゅぐちゅと湿った水音が響いた。
 血管をみなぎらせた熱杭を、絞り取るように手を動かしたとき。
 切っ先から熱い飛沫が飛び散った。
「っ、はあ……は……っ」
 張りを失って手の中で雄竿がくたりとしぼんでいる。
 肩で息をしながら、メアディスはぼんやりと目の前の光景を眺めた。
 ソファに座らせてあるのはイヴとそっくりの姿をした人形だ。
 立ち襟のデイドレスは乱され、胸元はメアディスの唾液でてらてらと濡れ光っている。
 まくり上げられたスカートと膝までずらされた下着、そして髪と同じ琥珀色のうっすらとした下生えには、メアディスがほとばしらせた白濁が絡みついていた。
 乱れた惨状と裏腹に、人形は薄桃色の唇にほんの少しの弧を描き、澄ました顔で微笑んでいる。
 アクアマリンがはめ込まれた瞳はただ静かな光をたたえ、まっすぐに虚空を見つめていた。
 虚しい。
 自分を慰めたあとには、いつだってその感情に支配される。
 
 ――どうしてそんな悲しそうな顔をしているの? もしかして……あまり気持ち良くなかった?
「そんなことは……っ」
 ――良かった。わ、わたしはすごく気持ち良かった。メアディスさまに触られていると、安心するの。

 罪悪感でいっぱいなのは吐精した直後だけで、またすぐにイヴは喋り出す。
 もちろん、それは彼の頭の中でのみ繰り広げられる会話だけれど。
 想像上のイヴは、とても甘えたがりで、淫らで、こちらに都合のいいことばかりを言ってくれる。
(本当に都合のいいことだ……)
 着衣を整えたメアディスは階段を下りていき、書斎をそっと覗く。
 そこには、生真面目な顔で書き物をしている、本物のイヴがいた。
(……かわいい)
 眉間に微かに皺を寄せ、唇は固く引き結んでいる。甘やかな感情など一切抱いていない、執務中のイヴ。
(いや、綺麗……のほうが合っているか? あ、髪を耳にかけた。なんだってそんな些細な仕草まで美しいんだ。……えっ、くしゃみしただと!? か、かわいい……! なんだ『くちんっ』って。くしゃみまでかわいいとは何事……やっぱりイヴはかわいい、だな。それより寒いんじゃないのか? 膝掛けを持って行ってやろうか、しかし……)
 メアディスが一人あたふたとしているのも知らず、イヴは執務に没頭している。
 膝掛けを持って駆け寄りたい衝動をぐっとこらえた。
「イヴ……好きだ。どうしようもなく、愛おしい……」
 ため息交じりにつぶやいたこの気持ちは、絶対にバレるわけにはいかないから。
 メアディスは一呼吸置くと、しかめっ面を作って部屋に入っていった。


 ◇ ◇ ◆ ◇ ◇


 二年ものあいだメアディス・ジェミルを近くで見てきたが、彼についてわたしが説明できることはそう多くない。
 彼は王命魔術師、その中でも最高位である《ノワール》の肩書きを持つ。
 天才揃いの魔術師だが、《ノワール》を有するのは数名のみ。しかもこの若さで、となれば彼の実力は疑いようがない。これは魔法省にお勤めの皆様にも納得いただけるところだろう。
 さて、秘書官であるわたしに期待されているのは、魔術師名鑑をめくればすぐに確認できるような薄っぺらい情報ではないはずだ。
 皆様が抱くメアディス・ジェミルのイメージはきっとこのようなものになるだろう。
 偏屈、人嫌い、怠惰。
 世間的なイメージに難があるからこそ、わたしは秘書官として、彼の良い部分を紹介すべきなのだ。
 しかし残念ながら、世間のイメージと実際のメアディス・ジェミルに隔たりはないのである。
 彼は気難しく、人間が大嫌いなサボり魔だ。
 まず、わたしが着任して一日目のこと。
 この日は他国の要人と、会談の予定が入っていたが、彼は来なかった。寝過ごしていた。というか起きる気がはじめからなかった。
 彼のハンモックを思わずひっくり返したのは、不問にされてしかるべきとおも――

「――おい」
 低い声と手元にかかった影に、イヴ・エトワーレははっとして顔を上げた。
 プラチナブロンドの艶やかな髪のあいだから、氷のごとく冷ややかな印象の美貌が覗いている。
 その美しい顔は不機嫌そうに歪んでいた。
「何度呼ばせる気だ」
「……申し訳ありません。集中しておりました」
 羽根ペンを置き、一心不乱に書き付けていた羊皮紙をやんわりと机の端へ追いやる。
 メアディスの眉間には一層深い皺が寄った。
「俺の悪口を書き連ねるのにか」
「……」
 どうやら、呼びかけを無視しているあいだに、頭上からすべて読まれていたらしい。
「なんの告発文書だ。俺を王命魔術師の座から引きずり下ろすための算段か」
「そんな不穏なものでは。ただの魔法省の広報誌ですよ。毎月載っているでしょう、秘書官から見た魔術師っていうコラム」
「知らん」
「その寄稿依頼が来たんです。……もちろんこれは草稿ですよ。このまま提出したりしませんから」
 イヴの所属する魔法省の中でもとりわけエリートなのが王命魔術師の肩書きを有するものたちだ。
 強大な魔力で優れた魔法を操る、選ばれし人間。
 ここサンティエール王国でも随一の専門性を持つ、権威ある職業である。
 そんな彼らの尻拭い、もとい身辺の雑務を担当するのが魔術師付き秘書官だ。
 予定の管理や残務処理といった仕事の補佐的なものから、体調管理にご機嫌取りまで。雑用係に等しいが、意外にも給金は高い。
 変人揃いの王命魔術師に仕事をさせるのはそれだけ骨が折れるということだ。
 それゆえ、秘書官自身には魔力の大きさは問われない。
 イヴが使える魔法は一種類だが、事務処理能力の手腕を買われ、二年前からこの屋敷でメアディス付きの秘書官として働いている。
 メアディスは未だに睨みを利かせてこちらを見下ろしていた。
 鎖骨のあたりまでさらさらと流れる細い髪は、透明感のある、白に近いブロンドだ。
 長い前髪はまるで外界からの接触を拒むがごとく彼の視界を遮っているが、その隙間から覗く瞳は不思議な輝きを放っている。
 明るいところで見ると濃紫の虹彩は、陰によって深い青色へと表情を変えるのだ。
 切れ長の目元も、すっと通った鼻筋も、薄い唇も。どこか作り物めいており、冴え冴えとした美しさには迫力がこもっていた。
「ところで本日は隣町の魔獣退治の仕事が入っていますね。そろそろ出かけましょうか」
「場所だけ教えろ。一人で行く」
「恐れ入りますが、サボりの口実にしか聞こえませんので」
 メアディスは苦虫を噛みつぶしたような顔をしたあと盛大にため息をひとつついた。
 支度を済ませ、向かい合って馬車に乗り込むと、イヴはちらりとメアディスを見やる。
 彼は白いシャツにスラックスというラフな格好をしており、その上に黒い天鵞絨(ビロード)のローブを羽織っている。ローブの縁には金糸で豪奢な刺繍がしてあり、裏地には極彩色の幾何学模様がちらりと覗いていた。
 魔術師は、階級ごとに色の違うこのローブを着用し任に当たるのが通例とされているが、楽な服装を好むメアディスはいつもローブを置いていく。しかたないのでイヴが毎回、無理矢理羽織らせていた。
 イヴのほうはといえば、立ち襟が特徴的な群青色のデイドレスに、足元は編み上げのブーツで動きやすさを重視した格好だ。
 秘書官に服装の指定はないため、いつもアースカラーのデイドレスを好んで着ている。煌びやかさに欠ける分、頭をすっきりと仕事モードに切り替えてくれるのが気に入っていた。
「魔獣が目撃されているのは、隣町の森の中ですね。普段から町人も出入りする安全な森でしたが、最近になって魔獣を見たという証言が増加しています」
 魔力を持つ獣、魔獣。それを退治するのも魔術師の重要な仕事のひとつだ。
 危険だが、達成したときの成果が大きく、人気の案件である。
 王命魔術師は下位から《ブラン》、《ヴェール》、《アジュール》と階級が分けられている。手っ取り早く手柄を立てて出世したいものにとって魔獣退治は美味しい案件とも言えた。
 アジュールまでは血の滲む努力をすれば昇進できる可能性があると言われているが、最高位のノワールに関しては天性の才能が必須だと一線を引かれている。
 生まれつき魔力に恵まれ、魔法のセンスに長けたものだけが冠する称号なのだと。
 本来、権威の最高峰であるノワールが危険な仕事の最前線に立つことは少ない。彼らの仕事といえば多くは、要人との会談や、下位の魔術師の指導である。
 だがメアディスは、惜しみなく攻撃魔法が使えるからか、魔獣退治の仕事を好む傾向にあった。
 今回も嫌がらずに現場に行ってくれそうだとイヴはほっとする。
 無駄口を嫌うメアディスは、移動中は必要な会話以外はしない。それにもすっかり慣れた。
(もう秘書官になって二年か……)
 イヴは元々、魔法省には事務官として採用された。それが、四年前のことだ。
 同期の三倍の速さで正確に仕事をこなし、誰にで対しても媚びずに意見する。
 冬の湖面を思わせる淡いブルーの瞳でまっすぐに前を向き、琥珀色の長い髪を揺らして廊下を歩く姿は凜として美しく、見るものの視線を自然と集めてしまう。
 男性職員からのアプローチは絶えなかったが、イヴはそのどれにもなびかなかった。
 事務官として着々と実績を積んで、そして今から二年前。魔術師付き秘書官をやらないかとの誘いがあった。
 事務官の仕事は気に入っていたが、困り果てた上司から打診を受けて、渋々引き受けることを決めた。
「急にすまないね。本当に申し訳ない。うちとしてもイヴ君には事務局にいてほしいところなんだが、メアディスさまがまた秘書官をクビにしてしまって、早急に代わりの人材を補充したいと」
「噂に違わぬわがままっぷりですね。自分がクビにしたのにすぐに代わりを寄越せだなんて」
「いや、代わりを欲しがっているのは執務局なんだよね。魔術師に案件を振る部署。秘書官がいないとメアディスさまはまともに働かないからさ……」
 メアディス・ジェミルへの心象は最悪だったが、秘書官の仕事は条件がいい。
 給金は事務官時代のおよそ十倍だ。
(それに、魔法省への出入りが減るから、もうデートや食事に誘われなくなる……!)
 イヴにとって、条件自体はものすごく魅力的な仕事だった。
 そうして彼の元を訪れたのだが――。
「侵入者か」
 はじめて会ったとき、メアディスは裏庭のハンモックに揺られて眠っていた。
 イヴの気配に気づき上体を起こすと、警戒心丸出しの険しい視線をこちらに向けてくる。
 最悪な態度よりも、その美しさに一瞬瞳を奪われた。
「おい」
「あ、いえ。本日付けでメアディスさまの秘書官に配属となりました、イヴ・エトワーレと申します」
「女か。女はだめだ。他のやつに替えろ」
 興味を失ったようについっと視線を逸らされる。
 涼しげな声で発せられた言葉はイヴのプライドを刺激するのには充分だった。
「お言葉ですが、最高位の魔術師さまともあらせられるお方が、仕事ぶりを見もせずに差別をなさるおつもりですか」
「今までの秘書官はどれもまともな仕事をしなかったが、中でも女はひどかった。俺の顔に気を取られてミスが多いし、あまつさえ結婚を迫ってくる。それも一人や二人じゃない。寝台の掛布をめくったら香水くさい秘書官が媚びた目つきで待っているのはうんざりだ」
 彼がとっつきにくい性格でありながら、非常にモテるという話も聞いていたが、本当だったらしい。
 女はだめ、というのは謂れなき差別ではなく、これまでの経験則に基づく自衛ということなのか。
 言い方というものがあるだろうと思いつつ、今の話には素直に同情してしまう。
「それは大変なご経験を。ですがご安心ください。わたしならあなたに言い寄ったりしません」
「根拠は」
「わたしは、絶対に男性を好きになりません。恋愛、結婚。それらに興味がないんです。魔法省に勤めているのは生涯一人で生きていくための仕事が欲しかったからで、あなたの秘書官になったのも男性の多い職場環境から離れられると思ったからです」
 きっぱりと言い切ると、珍しいものを見る目を向けられる。
「男が嫌いなのか」
「ええ、その通りです。ですから、少なくともわたしが秘書官をしているあいだは、煩わしい女性からのアプローチという点でメアディスさまを困らせはしないかと。あとは仕事ぶりで判断していただければ」
 メアディスは少し考えるように間を置いたあと、
「秘書官室は二階西側の奥だ。わからないことがあれば使用人に聞け」
 ぶっきらぼうにそう言った。
 利害関係がぴたりと一致して、イヴは秘書官としてとりあえずは認められたのである。
 メアディスの住まいは、王城のほど近くにある大きな屋敷だ。
 赤茶色で石造りの建物は歴史を感じさせ、広い庭は庭師の手によって隅々まで整えられている。
 だが、屋敷の美しさを堪能する余裕はなかった。メアディスが初日から堂々と仕事をサボったからである。
 彼の秘書官として欠かせないのは、怠惰なメアディスをたたき起こし、執務局から振られた案件へと追い立てる手腕だ。
 他国の要人との会談があるのにハンモックですやすやと眠っていたメアディスを振り落としながら、秘書官の仕事は骨が折れそうだと悟った。
 ――がたん。
 わずかな衝撃とともに、馬車が停まる。
 いつの間にか、魔獣が出るという森の入り口に着いていた。
「事前に人払いは済ませてあります。魔獣がすぐに現れてくれるといいのですが」
「待て、お前も来るつもりか?」
「当たり前です」
 馬車から降りかけるイヴを見て、メアディスは渋い顔をする。
 そんな顔をされてもひるむわけにはいかない。仕事を目前に逃亡されては困る。
「邪魔になるだけだ。馬車で待っていろ」
「メアディスさまの気が散ることはいたしません。わたしの魔法をご存じでしょう?」
 イヴが一歩も引かないと悟って、メアディスはそれ以上なにも追及してはこなかった。
 先を行くメアディスの背中を追う。
 針葉樹の群生する森に入ってすぐ、メアディスが低くうなった。
「いるな」
 魔力の高い人間はほかの生き物の魔力を感知できる。
 イヴには敵の気配はわからないが、メアディスが言うなら魔獣が近いのだろう。あたりをさっと見渡して邪魔にならない場所を探し、一本の木に背中を預ける。
 体内を巡る魔力の流れを感じながら意識を集中させていくと、自分の存在が、ふわりと希薄になった気がした。
(これで大丈夫ね)
 魔力の少ないイヴが唯一使える魔法。それが『錯視』だ。
 錯視とは自分の姿を別のなにかに見せかける魔法で、イヴは今、他人から木の幹の一部に見えている。
 本当に木と一体化したのではなく、あくまで脳の錯覚を利用しただまし絵のようなものである。そこに人間がいるはずはない、と相手が思い込んでいるうちはバレないが、少しでも疑念を抱かれればたちまち解けてしまう脆弱性を孕んだ魔法だ。
 だから例えば、魔獣に驚いて大声なんて上げれば、錯視は意味をなさない。
 メアディスの仕事についてまわり、こうして物陰で身を隠すのは今回がはじめてではないので、今さらそんなヘマをする心配はなかったが。
(さて、魔獣は来るのかしら)
 近くにいるというのは本当だろうから、あとは向こうが人間の気配を察して寄ってくるかどうかに懸かっている。
 メアディスほどの強大な魔力の持ち主に気づかないはずがないので、好戦的な性質を持つ獣なら、真っ先に近づいてきそうではある。
(でも、いまいち魔獣の特徴が定かでないのよね。身体の大きさとか、使っている魔法とかが目撃者によってバラバラで――えっ)
 ちらりとメアディスのほうを見て、イヴは思わず声を上げそうになった。