その愛玩人形、私ですか!? こじらせ天才魔術師様の一途でみだらな超溺愛 4
第四話
(え……なにこれ。なに――き、キス!?)
唇と唇を重ね合わせる動作の名称はそれ以外に思い浮かばなかった。
イヴの胸がひときわ大きく鼓動を打つ。
(キス!? メアディスさまが、わたしに、キスを!?)
キスとは嫌いな相手にする行為ではないはずだ。
つまり――。
「ふふ、もっと、か? さてどうしようか」
(えっ、言ってませんけど!?)
にんまりと意地悪そうな笑みを浮かべたメアディスが話し始める。
もちろんイヴは声なんて発していない。
メアディスにはなにが聞こえているというのか。
「もうあんな危険なことをしないと誓うのなら、もっとご褒美のキスをやろう」
「……」
「俺が心配だからこれからもついて行く? まったくイヴはちっとも俺の気持ちを汲んでくれないな」
「……」
「俺のほうがイヴを心配していると、どうしてわかってくれない?」
「……」
(言ってない、言ってない。なにも言ってない)
彼の中では会話が成り立っているらしいのだが、もちろんイヴは黙ったままだ。
すべてメアディスの妄想、ということなのだろうか。
「ほら、もう無茶はしないと誓うんだ。なにを焦らしている?」
ちゅっと額に軽いキスが落とされる。
「もしかして、うんと言えば俺が部屋を去るからか? まったくかわいい駆け引きをしてくれる」
今度は頬に優しくついばむようなキス。
そして真剣な表情になったメアディスはイヴをまっすぐに見据える。
「イヴ、からかうのは構わないが、身の安全にだけは本当に気をつけてくれ。――ん、わかってくれたのならいい」
彼の妄想上のイヴがなんと言ったのかはわからないが、おそらく色よい返事をしたのだろう。
メアディスはふわりと顔をほころばせる。
華やかな笑みに、心臓がきゅんと高鳴った。
(メアディスさま、こんな顔ができるの……? それじゃまるで、大好きな人に向ける顔だわ……)
しかもその先にいるのが自分だなんて、思ってもみなかった。
「イヴ、約束のご褒美だ」
油断しているところにふたたび唇を重ねられる。
メアディスの形の良い唇は、こんなにも熱を持っていて、ひどく甘い。
背中にそっと添えられた指先も、髪をゆっくりと撫でる仕草も。彼の腕の中にいると、自分が特別で大切な人間なのだと思わされてしまう。
数秒ののちに唇が離れていってからも、イヴはまだ温かいものが自分を包んでいる錯覚にしばし陶然としていた。
「イヴ、愛している」
耳元で囁かれた声は、からかうように楽しげな響きを持っていた。
軽く掛かった吐息に思わず肩がびくりと揺れる。
「ははっ、真っ赤になって照れてるのか?」
愉快そうに笑って、メアディスは部屋を出て行った。
どうやら最後まで錯視魔法は解けなかったらしい。
「なに……今のって、夢……?」
残されたイヴは起こったことが未だに信じられなくて頭を抱えるのだった。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
翌日の午後。
魔法学校から帰ってきたシリルが慌ただしくイヴの執務室に入ってくる。
文机で事務処理にあたっていたイヴは顔を上げた。
「あら、おかえりなさい。昨日は良かったわね」
課外授業があると張り切っていたシリルは、講師である魔術師の目に留まり、成績上位者として友人とともに屋敷に招待されたのだ。
ずいぶん話が盛り上がったようで、そのまま宿泊し、翌朝は転移魔法で学校まで送ってもらうと連絡を受けていた。
「もう、すっごく楽しかったよ! 貴重な話をたくさん聞かせてもらってさ――って今はそれより、イヴのほうこそどうだった?」
「え?」
「鍵だよ、鍵。あれ使ってみた? 部屋にメアディスの弱点になりそうなもの、あった?」
シリルの言葉にぎくりと固まってしまう。
メアディスが隠したかったのは、十中八九あの人形だ。
(でもそんなの言えるわけがないわ……)
人形のこと――そして彼がどんな態度を取っていたのかは、秘密にしておくべきだろう。イヴ自身、未だに信じられない気持ちなのだから。
「たいしたものはなかったわよ。省外秘の書類とか私物があるくらいで」
「やっぱりそうかあ」
深く詮索されるかと思ったが、シリルは意外にもあっさりと納得してしまう。
「そんなすぐ弱点なんか見つかるはずないよなあ。ま、いいや。また別の魔法覚えたら、メアディスに使ってみようっと」
「ほ、ほどほどにね……」
「じゃあね、イヴ。今日は友達と図書館に行くから」
シリルは自分の用事を済ませると、駆け足で部屋を出て行った。
入れ替わりに困り顔のメイドが入ってくる。
「イヴさま、少しよろしいでしょうか」
「どうしたの?」
「実はかまどの調子が悪くて……」
メイドはトレイに載せた赤茶色の石を申し訳なさそうに差し出してくる。
屋敷のかまどには魔道具を用いている。
魔力を込めた石――魔石を動力とするため、わずかな魔力しかない人間でも、容易に魔法の力を利用できる。
その魔石が、メイドが持ってきたこの石だ。
「魔力切れね」
イヴは石をかざして確認する。
魔道具は便利だが、定期的に魔力を補充しないと動かなくなってしまう。
補充には大量の魔力が必要なため、専門の職人に頼むのが常だった。
「わかった、手配しておくわ」
メイドはほっとしたように礼を言うと、部屋を出て行く。
この家には執事がいない。それもメアディスの人嫌いによるもので、だから屋敷の管理に関するあれこれもイヴがまとめて引き受けているのだ。
幸いにも使用人たちとの仲は良好だ。
彼らも、とっつきにくい主との仲介役を担ってくれるイヴに感謝しているらしい。
(今回は魔力切れが早かったわね。職人に依頼すると数日かかるし、そのあいだ火を起こすのは大変でしょうね)
そこでふと、メアディスの顔が頭に浮かんだ。
王命魔術師ほどの魔力があれば、魔石への力の補充なんて造作もないはず。
今までそうしなかったのは、メアディスに頼んでもどうせ断られると思っていたからだ。
けれど、今なら。
(もしかしたら、頼みを聞いてくれるかも……?)
あの人形への態度を思えば、可能性はある。
イヴはそっと、自分の唇に触れる。
そこに残る感触はたしかに本物で、けれど夢だったのではないかとすら思うほど、信じられない出来事だった。
メアディスと話せばなにかが確信に変わるかもしれない、なんて、希望を抱く。
「――わかった」
裏庭のハンモックで揺られていたメアディスに意を決して話し掛けると、あっさりとそんな返事を寄越された。
「い、いいんですか? 雑用ですよ?」
「ん」
伸ばされた手に魔石を置くと、それが一瞬かっと閃光を放つ。
「終わった」
呆気ない。これだけのことだったのかと肩すかしをくらってしまう。
メアディスの機嫌を損ねないために、執務以外の件で話し掛けてはいけないと思っていたが、そうではなかったのだろうか。
(それともわたしのことが好きだから、お願いを聞いてくれたの……?)
こっそり様子を窺うが、メアディスはいつも通りのやや不機嫌な表情で寝そべるだけだった。
「あの、ありがとうございました」
返事はない。やっぱり、彼のことがよくわからない。
イヴはデイドレスの上にケープを身につけ、小脇に書類ケースを抱えて石畳の往来を歩いていた。先日依頼されたコラムを魔法省に提出するためである。
魔法省は王都の中心部、小高い丘の上に位置している。歴史あるレンガ造りの庁舎は一部が蔦で覆われており、見た目には年季が入っているが、強化魔法のおかげで堅牢な建物となっていた。
総務局にコラムを提出し、建物を出たイヴはふと思いついて細い坂道を下っていった。この先には事務官時代よく利用していたチョコレートショップがある。
甘いものはあまり得意でないが、そこのビターチョコレートは上品な甘さとキレのある苦味でとてもおいしい。頭を働かせるために糖分を摂りたいとき、ぴったりなのだ。
店が見えてくると、ちょうど店内に入ろうとしていた女性がこちらに気づいて声を上げる。
「イヴ、久しぶりじゃない!」
「ハンナ!」
彼女は、イヴの事務官時代の同期である。
栗色の髪を根元からふわふわにカールさせ、頭の高い位置でひとつにまとめている。個性的なシルエットは二年前から変わっていなかった。
「イヴがどうしているかずっと気になっていたのよ。ねえ、ちょっとお茶しましょう?」
「ええ、少しなら」
イヴとしても親しくしていた同僚と話したい気持ちがあったし、用事が早く終わったこともあって賛成する。
チョコレートショップの二階はカフェになっているため、二人は一階のショーケースに並ぶチョコレートからいくつかと紅茶を選び、二階へ上がった。
蔦柄の透かし模様が入った丸いアイアンテーブルに向かい合って腰掛けると、店員が注文したものを運んでくる。
テーブルセッティングが済むと、ハンナは勢いよく話し始めた。
「ねえ、大丈夫だった? メアディスさまの秘書官になんて任命されたもんだから心配してたのよ」
「安心して、今のところちゃんとやれているわ」
「えっ、まだ秘書官をクビになってないの!?」
ハンナは素っ頓狂な声を上げる。
「今までの秘書官で最長記録じゃない? すごいわ、さすが同期一番の出世頭ね!」
小さく拍手をされて、イヴは思わず笑顔になる。
「はじめはどうなるかと思ったけれどね」
「本当よ。メアディスさまって特に女の秘書官はすぐにクビにするって話じゃない? イヴもクビになって、もう辞めてしまったんじゃないかって心配だったの」
「辞めないわよ。苦労して入省したんですもの。あなたのほうは? まだ事務官を続けているのよね?」
「ふふっ、よくぞ聞いてくれたわ!」
じゃーん、とはしゃいだ声を上げて、ハンナは左手の甲をこちらにかざした。薬指には銀色の指輪が光っている。
「実は結婚することになったの」
「まあ! それはおめでとう! 相手はどなた?」
「総務局に所属しているの。イヴが転属してすぐに出会ったのよ」
ハンナは彼との馴れ初めを語り始める。
「彼ってば、わたしが田舎の出身だとか、たくさんの兄弟に仕送りしてるだとか言っても馬鹿にしなかったのよ。すっごく優しい人だと思った。告白も向こうからでね、彼はわたしの家族ごと大事にしてくれて――」
うっとりと話すハンナを微笑ましく眺めながら、イヴは話に聞き入る。
(いいなあ……)
まるで自分の理想のような姿だ。
相手を信頼し、惜しみない愛を注がれ、自分もそれに応える。
恋愛や結婚に興味はないなんて建前で、本当は、イヴは幸せな結婚に密かな憧れを抱いていた。
(まあ結婚なんて、わたしにはもう関係のない話だけれど)
「ねえ、イヴも誰かいい人いないの? 事務官時代ものすごくモテてたじゃない」
「え? わ、わたしのことはいいのよ。仕事があれば恋愛なんて」
「ふーん? よく許してもらえたわね。平民のわたしにはわからないけど、貴族のご令嬢って、親が決めた婚約者と結婚させられるのかと思ってた。結構理解があるのね」
イヴは曖昧に笑ってごまかす。
ハンナをはじめ、ほかの誰にも、魔法省で働くに至った経緯を話していなかった。
それはあのおぞましい出来事を思い出したくもないから――。
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