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俺の妻が可愛すぎる! 騎士団長は初心な王女をケモノのように愛したい 1

第一話

 

「テレシア王女殿下。どうか私の妻になってください」
 いつの間にか楽曲は止まり、大広間は奇妙な静寂に満ちている。こちらを見守る貴族たちが息を呑む中、テレシアは大きく目を見開いた。
(今……レオナルトさまが私を妻にと、言ったの……?)
 目の前に立つ青年の竜胆色の瞳は、少々緊張した光を帯びていた。その瞳を見返しながら、どうして、とテレシアは心の中で呟く。
(だってレオナルトさまは私を……嫌っていたのではないの……?)


 +++++


 王城内の大広間にて、騎士レオナルトの帰還を祝うパーティーはつつがなく執り行われている。主催者であるテレシアは、会場内を注意深く見守っていた。
 招待した主要貴族は誰も欠席していない。それだけレオナルトを、良い意味でも悪い意味でも重要視していることがわかる。若い令嬢や貴婦人たちは、そわそわと出入口を見やっていた。
(侯爵令息レオナルト・ゼイルストラさま)
 目を伏せて、テレシアは彼を思い浮かべる。黒と銀を基調とした王立騎士団の正装がとてもよく似合っている立ち姿だ。
 少し癖があるものの柔らかく艶やかな黒髪は、清潔感の漂うすっきりとした髪型に整えられている。瞳は深い竜胆色で、知的な切れ長の目をしていた。普段は騎士然として眼光は鋭いが、意外に表情豊かだ。特に子供や弱者に向ける笑顔が優しく、素敵だった。
 鍛えられた身体は程よく肉厚で、威圧感を与えるほどでもない。背はテレシアよりも頭一つ分ほど高かった。
 平民出身のレオナルトは父親の死後、家計を助けるため王立騎士団に入団した。特に注目されるのは、その経歴だろう。
 任務に文句をつけず、危険な仕事でも怯むことなく次々とこなして功績を挙げ、騎士団長ヘンドリック・ゼイルストラ侯爵に気に入られて彼の側近に抜擢された。今ではヘンドリックに子がいないことを理由に、彼と養子縁組までしている。
 兄王ライニールもレオナルトを気に入っているようだ。護衛はいつも、ヘンドリックとレオナルトだった。
 自然とテレシアも彼と顔なじみになり、挨拶や軽い世間話をするようになった。彼は温かく朗らかな笑顔で、楽しい話をしてくれた。
 だが、今は違う。
(レオナルトさまとはほとんど話さなくなってしまったわ……)
 王城で会えば、礼節をきちんと守り、騎士として丁寧に接してくれる。護衛を命じられたときも、自ら警護計画を立ててくれ、誰よりも傍にいて守ってくれた。彼に任せておけば安心だと思えるほど、抜かりはない。
 それは、三年前に初めて護衛してくれたときから変わらなかった。
 ──あれは、公務で施療院の慰問に向かったときのことだ。
 どこからかこちらの公務情報を得た不届き者に帰路を狙われ、テレシアは誘拐されそうになった。護衛していたレオナルトが真っ先に不審者に気づき、身を挺して庇ってくれたのだ。
 そのせいで、レオナルトはナイフで腕を切られてしまった。あっという間に袖が血で濡れるほど深い傷だったが、彼は苦痛の表情を一切見せなかった。それどころかすぐにテレシアの無事を確認してくれた。
 あなたの方が酷い怪我をしているのに、と返せば、レオナルトは安心させるように温かく力強い笑顔を見せた。
『ご心配には及びません。私はあなたより強いのですから守るのは当然です。ご無事でよかった。すぐに片付けますので少しお待ちください』
 強い者が弱い者を守る。それを当然とするレオナルトの態度に、不思議と心が波立った。同時に、彼を傷付けた者たちへ激しい怒りを覚えた。
 不届き者たちはレオナルトに守られるテレシアには手が出せないと気づくと、矛先を侍女に変えた。続けざまの卑劣さに腹が立ち、テレシアは彼らを強く叱責した。レオナルトが抱き締めていなかったら、彼らの前に飛び出していたかもしれない。
 すぐに他の護衛が彼らを叩き伏せ、誘拐は未遂に終わった。
 レオナルトの傷が心配になり、後日、頃合いを見計らって見舞いに行った。とにかく彼のことが気になって仕方なかった。
 滋養にいい食材や良い眠りを促す香りが練り込まれた蝋燭、他にも思いついたものを色々と用意した。その中に、彼への感謝の気持ちを込めて刺繍したハンカチもあった。二本の剣を交差させたデザインに、彼のイニシャルを刺繍したものだ。
 テレシアの刺繍の腕は社交界では評判で、時折知り合いの令嬢たちに請われて講師をすることもあるほどだ。
 だが事件後、これまでと違いレオナルトは無口になり、表情もほとんど変わらなくなった。優しく穏やかだが、儀礼的な笑顔しか見せてくれなかった。テレシアが手ずから渡したハンカチにも社交辞令的な礼を口にしただけだった。
 そのときは傷の痛みに耐えているからだろうと思ったが、驚くほど早く騎士団に復帰したあとも彼の態度は同じだったのだ。
 彼を不快にさせてしまっただろうかと何度も考えた。未だ原因はわからない。
 以前のように、もっと気楽に話をしたい。しかしレオナルトは必要以上のことを話さず、ただじっとテレシアを見つめ返してくるばかりだ。
 深い竜胆色の瞳に凝視されると、とても居たたまれない気持ちになるから困る。胸の奥がむずがゆくなるような──気恥ずかしくなるような、そんな気持ちだ。
 視線の圧に耐えられなくなって、一度、問いかけたことがある。どうしてそんなふうに自分を見てくるのか、と。
 大変失礼をいたしまして申し訳ございません、と深く頭を垂れて謝罪したあと、レオナルトは言った。
『テレシアさまはいつも光り輝いて見えるのです。美しい曲線を描くこの金の髪も、光をそのまま束ねたようです。空色の瞳は透明で、いつまでも見ていたくなるほど綺麗です。肌は白く透き通るようで……お召し物もいつもとてもよく似合っていますし、お声も優しく穏やかで、聞いているととても心地よくなります。特に、微笑まれるとまるで……そう、女神のようにお美しく、見続けていると目が眩んでしまいます……。ですが見ずにはいられない……あなたは私にとって、そういうお方なのです……』
 過分な褒め言葉だったが、嬉しかった。少なくとも嫌われてはいないのだと思えたから、調子に乗ってしまった。
 テレシアは目元を赤く染め、それはいつも自分のために美味しい料理を作ってくれたり、肌や髪の手入れをしてくれたりする人のおかげだと答えた。
 大陸の四割を領土とする大国バーイエンス王国王女として相応しい存在であるように、皆が一生懸命仕えてくれているからだ、と。彼らの期待を裏切らないよう、常に王女として恥ずかしくないようにはしているが、もしもそうでないと思ったら遠慮なく叱って欲しい、と。
 レオナルトは神妙な顔で、静かに聞いていてくれた。だが話し終えたあとは、再び無言になっていた。
 努力し続けて平民から今の地位までのぼりつめたレオナルトからすれば、テレシアの努力など微々たるものだろう。いや、努力とも言えないのかもしれない。
(だから嫌われてしまったのかしら……? いえ、まだ本当に嫌われているのかどうかを確認したことはないわ。私の思い違いということもあるけれど……今更、どうやって確認すればいいのか……私はただ、レオナルトさまと以前のように楽しくおしゃべりをしたいだけなのだけれど……)
 そんな悩みを抱き続けていたテレシアに、兄王ライニールがレオナルトの帰還パーティーを開きたいから協力してくれと言ってきたのだった。
 ──レオナルトは義父のヘンドリックとともに、王国の西に隣接しているアプソロン王国との国境に出陣していた。
 バーイエンス王国の六分の一程度の領土しかないアプソロン王国では、昨年、国王が代替わりした。アプソロン王国現国王は武力で他者を従えようとする気質で、無謀にもバーイエンス王国に侵攻してきた。
 無論、それを良しとするバーイエンス王国ではない。力で押さえつけるやり方は本意ではないが、自国の民が危険に晒されるのならば、力の差を見せつけるべきである。兄王の決断に、多くの貴族が賛同した。
 すぐさま編成された王国軍は王立騎士団に委ねられ、騎士団長のヘンドリックが陣頭指揮を執り、アプソロン王国の進攻を押しとどめていた。
 力技で勝利を得ようとする戦い方では、王立騎士団率いる王国軍を退けることは到底無理だった。彼らは知略や暗躍も、必要に応じて行う。
 なるべく敵国に死者を出さないようにしていることもあり、戦いは長丁場になると言われていた。だがレオナルトの活躍によって出陣して約半年後、アプソロン王国と和平条約が結ばれることになったのである。
 宣戦布告もなくいきなり襲撃するという野蛮な攻め方をしてきた国だ。ライニールの親書に一切応えず、使者も危うく殺されるところだった。和平という言葉自体を知らないとすら思えていた国に、和平条約を受け入れさせたレオナルトは、どれだけ大変な思いをしただろう。
 国を挙げて彼の功績を讃えたいとライニールが提案するのも当然だ。テレシアは二つ返事で了承し、このパーティーのすべての指揮を執ったのだ。
 レオナルトの好みを騎士たちから教えてもらい、それをもとに料理長とメニューを考え、テーブルセッティングや飾り用の花や楽団に演奏させる曲も自ら選んだ。喜んでくれるといいのだが。
(これをきっかけに、レオナルトさまともう少しだけ仲良しになりたいわ……!)
「──テレシア」
 兄王ライニールとともに招待客と歓談していた叔父・ロンバウトが、優しい笑顔を見せて近づいてきた。スカートを摘まんで優雅に礼をすると、彼は微苦笑して隣に並ぶ。
「ライニールと一緒に木登りをしていたお転婆なテレシアは、もうすっかり鳴りを潜めているな」
 テレシアは目元を赤く染める。確かに少女時代は活発で、侍女たちをずいぶん心配させた。
「も、もうそんなことはしませんわ。叔父さまってば、意地悪です」
「すまない、冗談だ。今のお前はとても美しく立派な王女だ。特に日に日に亡きヘルディナ王妃に似てきている。……まるで、生き写しだ……」
 ロンバウトの右手が伸ばされ、テレシアの頬に添えられる。目が優しく細められ、テレシア越しに亡き両親との思い出を見ていることがわかった。
 母・ヘルディナがこの国に嫁いできたときから、両親とロンバウトの三人は仲がよかったという。それは、ライニールとテレシアを可愛がってくれる様子からも感じ取れた。
 なかなかこれと思うひとに巡り合えないという理由で、ロンバウトは未だ独身だ。父とは母親違いのためかあまり似ていないが、容姿は整っていて、前国王の王弟としてライニールの相談役を務める貫禄もある。
 少し厳しいが、優しい叔父だ。早く幸せな家庭を持って欲しい。
 テレシアは微笑んだ。
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。お母さまは私の理想の女性ですもの」
 美しく朗らかで太陽のように明るく、誰にでも優しく接する人だった。母に憧れて努力しているテレシアに、それはとても嬉しい言葉だった。
(でもお母さまは八年前、バルコニーから転落されて……)
 当時十歳だったテレシアは、ライニール、母とともに叔父の別荘に遊びに行っていた。母はその夜、客間のバルコニーで星を眺めながら果実酒を嗜んでいたらしい。
 あまり酒に強くなかった母は、酔って身体をふらつかせ、バルコニーの手すりから運悪く転落してしまった。翌日の朝、ロンバウトが庭に倒れている母を見つけ、当時は大騒ぎになったという。
 テレシアは母が死んだショックで、当時のことをよく覚えていない。ただ泣くのを一生懸命堪えた兄に強く抱き締められ、何度も励ましてもらったことくらいしか記憶になかった。
(幼い私の心は、とても弱かったということね……)
 直後、頭の奥にズキリ、と小さな痛みが生まれた。
 最近、母が亡くなったときのことを思い出そうとすると、こんな痛みがやってくる。同時に、何か言いようのない恐ろしさも感じるのだ。
 まるで思い出すなと警告でもされているかのように。
 馬鹿なことを、とテレシアは自嘲し、軽く頭を左右に振った。ふと視線を感じて顔を上げると、少し離れたところで貴族たちと談笑していたライニールがこちらを心配そうに見つめていた。
 テレシアは慌てて笑顔を返した。二年前、父王が原因不明の病によって他界してから、ライニールはテレシアに過保護気味だ。だがテレシアも似たようなものだった。
 ロンバウトの協力のもと滞りなく王冠は引き継がれたが、急な王位継承はそれなりに大変だった。有力貴族たちとの連日のやり取りで苦労するライニールを、テレシアは間近で見ていた。そのときできる精一杯の協力はしたが、未熟な王女では大したことはできなかった。
 兄一人に王国を背負わせるつもりはない。彼が王妃を迎えるまでは、この国の王女として妹として、兄を支えていきたい。
(そういえばお兄さま、レオナルトさまが褒美を望んだら用意してやってくれとも言っていたわね……)
 今回の功績に相応しいものと言ったら、爵位や領土だろうか。いや、それとも何か名のある者が創った剣などが求められるかもしれない。どのような要求をされてもできる限り応えるべきだろう。
「テレシア、どうした。急に考えごとか?」
「ああ、いえ……お兄さまが言っていたことを思い出して……レオナルトさまがどのようなものを欲しがられるのかと少し考えていたのです」
 ああ、とロンバウトには頷き、すぐに顔を顰めた。
「誰にでも平等で優しいお前の気質はとても好ましいが……あの男は平民出身で、侯爵家子息になったとしてもお前よりは身分が低い。お前がそこまで気を配る必要はない。臣下の誰かにでも任せればいい。それに……あの男に敬称を付けるのはどうかと思うが」
 ロンバウトには多くの貴族が持っている特権階級意識がある。平民上がりの騎士の存在を、なかなか認められないようだ。ライニールが目を掛けていることも気に入らず、よく彼に注意していた。
 テレシアとライニールにその意識はないに等しい。亡き両親は、今の自分たちが食べるものに困らず生きていけるのは民のおかげだと教え、できる限り民と触れ合う場を持たせてくれたからだ。
「確かに王女である私の方が身分は上ですが、レオナルトさまは己の力で今の地位までのぼりつめた方です。それは並大抵の努力で叶うことではありません。私はあの方の努力を尊敬しています。素晴らしい方です。それに、レオナルトさまは私を助けてくださった方でもあります。いつも感謝しています。ですから自然とこのような態度になってしまうのです」
「まったく、お前は……。そういう考え方も亡きヘルディナ王妃にそっくりだが、あまりあの男に肩入れするのはやめておけ」
 ライニールが軽く手を上げて、ロンバウトを呼んだ。仕方なさげにロンバウトは頷き、テレシアの額に軽いくちづけを与えてから立ち去る。
 テレシアは小さく嘆息した。
(叔父さまのレオナルトさま嫌いは、年々酷くなっていくようだわ……)
 歓談の声を打ち消さないよう、楽団は控えめに優雅なワルツ曲を奏でている。テレシアは招待客の間を行き来し、改めて彼らと交流した。
 一つところに長くは留まらないようにしながら、レオナルトがやってくる時間を壁時計で確認する。そろそろだ。
 開いたままの扉の傍に立っていた従者が、レオナルトの来訪を告げた。
 皆、申し合わせたかの如く会話を止め、楽団も演奏を止めた。期待の沈黙の中、レオナルトが姿を現す。
 黒を基調とし、立て襟や袖の縁に銀糸の精緻な刺しゅうが施された王立騎士団の礼服は、まるで彼のためにデザインされたかのように似合っていた。誰からともなくほうっ、と感嘆の吐息が零れた。
 艶やかな黒髪を今は撫でつけ、端整な顔をはっきりと見せている。騎士然とした凜々しい表情は、見惚れるほど素敵だ。
 整った顔立ちとすらりとした長身が、異性だけでなく同性の目も引く。腰には細身の剣が下げられていた。
 半年ぶりに見たレオナルトからは、戦いを経た堂々とした貫禄を感じた。だが、驕った様子は一切ない。
(レオナルトさま、とても素敵になられて……! ああ、この胸のざわめきは、何なのかしら……!)
 誰かに見惚れて言葉をなくすなど、初めての経験だった。それに彼を見ただけで、不思議と鼓動が速くなる。どうしてこんなふうになるのだろう。
 テレシアに気づき、レオナルトがこちらを見た。目が合い、息が止まりそうになる。
 レオナルトが小さく会釈をしてきた。慌てて応えようとする前に彼はもう背を向け、上座に戻ったライニールのもとに向かってしまった。
「レオナルトさま、またさらに凜々しく素敵になられましたわ!」
「ええ、本当に。でも今回の功績で、また近寄りがたくなってしまいましたわね……」
「あら、お話ししてみるととても気安い方ですのよ。以前、すれ違ったときに躓いてしまったところをすぐに支えていただいて……抱き止めてくださった腕が力強くて頼もしくて」
「……ま! どういうことですの、どういうことですの! レオナルトさまと二言以上お話しされたということですの!?」
 近くにいた令嬢たちの声を潜めた会話に、テレシアは思わず耳をそばだててしまう。
 騎士然としているために近寄りがたい印象を与えるレオナルトだが、それはあくまで外見や雰囲気だけで、実際はとても気が利き優しい。身分も男女の差もなく、困っている人を見かけたら手を差し伸べてくれる。
 だが知られざる彼の一面を目撃できる者は、非常に少ない。そんな場面に遭遇できたら、それは素晴らしい幸運だ──などと話している。
 かつてはテレシアも、彼のそんな一面をよく見ることができた。だが今はただじっと見つめられているばかりで、話しかけても会話が弾まない。
 しかもその視線の圧が、強い。
 テレシアの一挙一動を監視しているかのごとく強く、揺らがない視線だ。睨まれているようにすら思え、時折、内心で震え上がることもあった。
「狡いですわ狡いですわ! 私も、もう少しレオナルトさまと親密になりたいですわ!」
 まるで自分の心の声を代弁したかのような令嬢の呟きに、テレシアは目を瞠った。
(わ、私がレオナルトさまと仲良くなりたいのは、決して浮ついた気持ちからではなく……!! お兄さまが目を掛けている優秀な方に嫌われているかもしれないなど、王妹としてどうなのかと思っているだけであって……!!)
 なぜか心の中で必死に言い訳してしまう。もちろん、表情は崩さない。
(……私、どうして言い訳なんてしているのかしら……)
 レオナルトがライニールの足元に片膝をつき、完璧な騎士の礼をする。玉座からライニールが立ち上がり、後ろに控えていたロンバウトが差し出した宝剣を受け取って抜き放った。
 そして剥き出しの刃をレオナルトの右肩に押しつける。
「騎士レオナルト・ゼイルストラよ。此度、王国を守り抜いたこと、大義であった。これからも王国の盾として、剣として、力を尽くすことを期待する」
「すべて陛下のお心のままに。私のすべてを王国に捧げます」
 凜と張った声が大広間に響き渡る。お決まりのやり取りなのに、レオナルトがするとどうしてこうも惹きつけられるのだろう。
 宝剣をロンバウトに返し、ライニールが破顔した。
「堅苦しい話はここまでにしよう。今日はレオナルトが無事に帰還し、また、我が国に多大な功績を残した祝いのパーティーだ。充分に楽しんでくれ」
 その言葉を合図に、楽団が賑やかな音楽を奏で始める。貴族たちも次々とレオナルトの周りに集まり、挨拶をしたり武勇伝を聞き出そうとしたりした。
 その輪の中に交じりたい気持ちを呑み込み、テレシアは他の貴族たちの相手をする。レオナルト一人でこの人数を捌くのは大変だ。さりげなく彼に向かう貴族の人数を調整する。
 レオナルトは帰国したばかりの疲労感など一切見せず、話しかけてくる貴族たちに丁寧に対応していた。
 自分から積極的に話すことはないが、問いかけられればきちんと自分の言葉で答える。誠実さが伝わってくる会話だ。それに、常に穏やかな微笑を浮かべ、相手の目をきちんと見ている。
 中には「平民上がりが」と嫌悪する者もいるが、今日は愚かなまねをする者はいないようだ。穏やかな談笑がレオナルトを中心に柔らかく広がっていくのを感じ取って、テレシアは内心でホッとする。
(そもそもレオナルトさまをそんなふうに馬鹿にする方が愚かだわ。確かな実力とたゆまぬ努力の結果によって、今の地位にいるのに)
 この戦においても自ら指揮を執り、先陣を切ることもあったと聞いている。立場が上になっても安全な場所に留まることはせず、兵を鼓舞するために共に戦うことも何度もあったらしい。
 兵らはそんなレオナルトを信頼した。だからこそ和平条約にまで至れたのだろう。そしてレオナルトも自分の功績は仕えてくれた部下や兵のおかげだと、きちんと報告書に記している。
 そんな彼を未だ心ない言葉で蔑んだり、ヘンドリックが退いたあと、侯爵位を──自動的に王立騎士団団長位を受け継ぐことを危険視したりすることの方が愚かしい。
 思慮深く驕らない様子は、ずっと前から変わっていない。テレシアは改めて彼の高潔さを尊敬する。
 ふと、音楽が緩やかなダンス曲に変わった。導かれるように、貴族が数人、踊り始める。この機会を逃してなるものかと、令嬢たちの目が一斉にレオナルトに向けられた。
 肉食獣のそれを思わせる視線を受けても、レオナルトの穏やかな微笑は変わらない。だがこのままでは餌食になってしまう。助け舟を出した方がいいだろう。テレシアは一歩、彼へ踏み出す。
 レオナルトがこちらを見た。竜胆色の瞳がじっと強く見つめてくる。
 また睨まれてしまった、と内心で落胆の溜め息を吐きつつも、テレシアは頬に微笑を浮かべる。レオナルトが周囲の者たちに一礼してから、真っ直ぐこちらに向かってきた。
 ずんずん、と大きな歩幅で近づかれる。穏やかな微笑を浮かべているのになぜか瞳だけは爛々と輝いていて、妙な威圧感があった。頬がひきつりそうになる。
 及び腰になったものの、そのときにはもう、テレシアの目の前にレオナルトが立っていた。
「テレシアさま」
「……は、はいっ!!」
 ビクッ、と大きく肩を震わせてしまいながらも、慌てて返事をする。声がうわずってしまった。
「私と一曲、踊っていただけませんか」
 一瞬何を言われているのか理解できず、テレシアはぽかん、とした。
 周囲の令嬢たちが「一番手がテレシアさまならば仕方ないわ」などと囁き合う。
 レオナルトが利き手を差し出してくる。真っ白な手袋を見て、間違いではないとようやく理解できた。
 嫌われていると思っていたが、そうではなかったのだろうか。
 差し出された手に恐る恐る左手を乗せる。レオナルトがゆっくりと手を握ってきた。
 大きくて、温かい手だ。あのときテレシアを守ってくれた手だと、改めて思う。
「テレシアさま?」
 呼びかけられ、慌てて身を寄せる。レオナルトが一瞬だけ身を強張らせた。
 近づきすぎてしまったかと離れようとすると、レオナルトの左腕が腰に回った。音楽に合わせて一緒に一歩を踏み出すと、驚くほど滑らかにステップを踏めた。
(リードが……また上手くなっているわ……!!)
 レオナルトとは王女と騎士として、何度か踊ったことがある。
 初めて踊ったときはぎこちなさがあったのに、次のときにはすでにその違和感がなくなっていた。それどころかリードが上手く、一緒に踊るのが楽しいと思えるほどだった。きっと努力したのだろう。
 戦いに身を投じていたにもかかわらず、今日もダンスのリードに衰えが一切ない。ステップも軽やかだ。テレシアのドレスの裾が美しく翻る様に、周囲が感嘆の息を吐く。
 レオナルトはどうだろう。楽しんでいるだろうか。そっと視線を動かして表情を窺うと、彼の知的な唇に淡い微笑が浮かんでいた。
 少しは楽しいと思ってくれているようだ。嬉しい。だがそう思った直後、曲が終わってしまう。次の曲が奏でられ始めた。
(もう少し、一緒に踊りたい……)
 不思議と離れがたいが、独り占めしては他の令嬢に失礼だ。
「ダンスのお上手さは変わっていませんね。とても楽しかったです」
「ありがとうございます。テレシアさま、その……少し、お話ししたいことがあるのですが……」
 微笑は唇に留まっていたが、竜胆色の瞳には神妙な光が宿っている。重要な話のようだ。
「わかりました。どこか落ち着ける場所を用意します」
「いえ、ここで結構です。今ここで、お話ししたいのです」
 レオナルトがいいと言うのならば構わないが、周囲の注目を集めている場所で落ち着いて話などできるだろうか。それでも彼が望むならばと頷き、テレシアは改めて向かい合う。
「……陛下から、今回の功績に対し望むものを与えると仰っていただきました」
「ええ、聞いています。何でも言ってください。レオナルトさまはそれだけの功績を挙げたのですから、遠慮してはいけません。褒美については私が手配するよう、陛下に命じられております。何をお求めですか?」
 レオナルトは一度小さく息を呑み、テレシアの足元に跪いた。
 突然の仕草にテレシアは戸惑う。周囲もざわめいた。
「──私が欲しいものはあなたです。テレシア王女殿下、どうか私の妻になってください」
 テレシアはもちろんのこと、様子を見守っていた者たちも大きく目を瞠った。誰かが命じたのか、楽団が演奏を止めた。
 静まり返る大広間の中、皆が息を詰めてこちらのやり取りを見守る。
 レオナルトがテレシアを見上げ、真剣な──その表情すら凜々しくて見惚れてしまいそうになる顔で、もう一度、言った。
「テレシア王女殿下、どうか私の妻になってください」