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俺の妻が可愛すぎる! 騎士団長は初心な王女をケモノのように愛したい 3

第三話

 

 突然の求婚の噂は、翌朝には社交界中に広まった。さらに数日後には国民のほとんどが知ることとなり、アプソロン王国との和平条約の知らせも加わって、王国全体がすでに成婚を祝う空気に包まれている。
 本来ならば婚約期間を設けるのが常なのだが、民の期待を裏切るのは良くないと、すぐに成婚できるようライニールが手配を整えた。
 反論したのはロンバウトを筆頭としたごく一部の貴族たちだけだ。アプソロン王国との和平条約も粛々と進められ、レオナルトが帰還してから半月後、無事に締結された。婚儀はその約一ヶ月後に執り行われる。
 祝賀の空気はその間ずっと続いていて、国中大賑わいだ。
 これは忙しくなるとテレシアは気張ったが、苦労らしい苦労は一切なかった。
「──招待客の選別が終了いたしました。テレシアさまもお目を通しておいてください。陛下とロンバウトさまと相談いたしましたので、問題はないかと思います。婚儀の手順はこちらに。また、その後のお披露目を兼ねた祝賀パーティーの段取りにつきましてはこちらに。パーティーの料理につきましてはこちらに……テレシアさまの苦手な食材は使わないように手配しておりますが、お好みでないものがありましたら遠慮なくお知らせください。改めて料理長とメニューを考え直します。ドレスのデザインはいくつか候補を提出させておりますので、その中からお選びいただいても結構ですし、出されたデザインを基にしてテレシアさまのお好みを取り入れてもらうのもよろしいかと思います。仕立てのスケジュールはこちらに……侍女頭にも話は通してありますので、ご不便はないかと思います」
 テレシア自身が何かするより先にレオナルトが動いていて、ほとんどの段取りが調ってしまうのだ。
 そしてすべてにおいて下準備は完璧で、文句を付けるところがない。それどころか、テレシアだけでなく、他の者の面子や立場もきちんと配慮してくれている。
 完璧だ。完璧すぎる。
 結果的にテレシアは提出された選択肢から選ぶだけで済んでしまって、ほとんど何もすることがない。
 辛うじて少し大変だと思ったのは、婚儀用ドレスの採寸に時間がかかったことくらいだろうか。
 友好国から届く祝いの贈り物もレオナルトが適切に選別し、テレシア自身が返信しなければならないもの以外は、彼が対応してくれている。祝いの言葉を持ってきた使者の面会日程なども、テレシアの身体だけでなく心にも負担をかけないよう、調整してくれた。
 おかげで婚儀の準備による疲労感が一切ない。むしろ、日々の公務をこなすときよりも楽なくらいだ。そしてレオナルトはいつもかゆいところに手が届く絶妙な判断をしてくれて、快適でもある。
 だがこれでいいわけがない。自分はレオナルトの妻になるのであって、彼を優秀な家令として雇ったわけではないのだ!
 それにレオナルトがあれこれ動き回っているおかげで、二人きりの時間がほとんど取れていない。彼とのここ最近の会話は報告ばかりで、世間話すらしていないのだ。
(昨日のレオナルトさま、顔色があまりよくなかったわ。目の下にクマがうっすらあって……忙しすぎるのよ! 私でもできることを分けてもらわなければ……このままでは倒れてしまうわ……!!)
 婚儀はまだなのだからとロンバウトに頑なに王城に留まるよう言われ、レオナルトとはまだ離ればなれに暮らしている。だからテレシアはこの日、ゼイルストラ侯爵邸を訪れた。
 もちろん、レオナルトには内緒だ。ヘンドリックに状況を説明し、レオナルトと二人きりの時間を持ちたいと相談したところ、快く招いてくれたのだ。
 今日は比較的早い時間に帰って来るとも聞いている。だが夕食の時間になってもレオナルトは帰ってこなかった。
 これではまた何も話せない。まだ、彼の顔をまともに見る時間すら持てていない。
 このままではいけない。だがどうしていけないのだろう。
 わからない。ただ焦りのような気持ちが、テレシアを動かしている。
(私、どうしてこんな気持ちになるのかしら……)
 レオナルトに対して、上手く説明できない気持ちが増えつつある。こんな気持ちのままで彼と結婚していいのだろうか。
 いや、彼が求めてくれるのだから、それに応えればいい。
(だって私はあの方にとって、今回の功績の褒美なのだし……)
 王女の降嫁──それは貴族の男性にとって、とても大きな褒美のはずだ。
(でもお兄さまは、私を任せられるのはレオナルトさましかいないと仰っていたわ。もしかして私の夫になるよう、お兄さまが何かお願いした可能性がある……?)
 なんだか悪いことばかり思いついてしまう。これは良くないと、軽く首を左右に振る。
 やがてヘンドリックが顔を見せ、屋敷への宿泊を提案してくれた。
 明日の予定を思い返し、テレシアは頷く。支障のある予定はない。
 厚意に甘え、テレシアは王城にその旨を伝える使いを出し、引き続き客間でレオナルトの帰りを待つことにした。
 だが寝支度が終わってもレオナルトは帰ってこない。使用人が就寝を促しにきたがテレシアがもう少し待ちたいと言うと、温かい茶を持ってきてくれた。
 それを飲みながら、レオナルトからもらった婚儀の段取りや招待客のリストなどに改めて目を通す。しばらくすると、どうにも抗いがたい眠気がやって来た。
(眠ったら駄目よ。せっかくレオナルトさまと一緒の時間が過ごせるのだから……もう少し頑張って起きて……)
 茶で身体が内側から温まったのもまずかったようだ。瞼がどうしても落ちてくる。起きなければ、と叱咤するものの、眠気には勝てそうもない。
 テレシアは己の不甲斐なさに歯がみしながら、睡魔に身を委ねるしかなかった。


 ──レオナルトの帰宅を待っていたはずなのに、気づいたらベッドの中で朝を迎えていた。起こしに来てくれた使用人の話によると、ソファで転寝をしてしまったテレシアを彼が運んでくれたらしい。
 慌てて身支度を整えて食堂に行けば、疲労感漂うレオナルトが少々ひきつった笑顔で出迎えてくれた。
 待たせてしまって申し訳ないと謝罪された目元に、疲労のクマがうっすらとある。あまりよく眠っていないのか、少し目も充血していた。
 その顔を見れば、一緒の時間を過ごしたいという要求は、我が儘なことのように思えた。そんな時間があるのならば、少しでも身体を休めた方がいい。
「今日は時間を取れませんが、明日ならば昼食を一緒にできるよう予定を組み直します。予定が確定いたしましたらまた改めてご連絡いたしますので……」
「い、いいえ!! どうか無理はしないで。急ぎの用ではありませんし、そこまでして時間を取っていただかなくても大丈夫です」
「……そうですか」
 疲労を滲ませた声で頷かれる。そんな様子をみとめれば、どれだけ自分勝手な要求をしようとしていたのかと、反省しきりだ。
 用意された朝食は、半熟卵やカリカリに焼いた香ばしいベーコン、新鮮な野菜サラダと果物、スコーンやクロワッサンなど、豪華だ。テレシアが好きでよく購入するジャムが数種類、用意されていて驚く。
「このジャム、どれも大好きなのです。レオナルトさまもお好きなのですか?」
「私はあまり甘いものは好みませんが、テレシアさまがお好きだとおっしゃっていたので取り寄せておきました。喜んでいただけたなら何よりです」
(……そんな話をレオナルトさまにしたことがあったかしら……?)
 以前ならば世間話もよくしたが、今ではほとんど事務的な、必要に迫られてのことしか話さない。一体どこで知ったのだろう。
 レオナルトは半分ほど残ったティーカップの中身を一気に呷るように飲むと、立ち上がった。
「申し訳ございません。私はこれで失礼させていただきますが、テレシアさまはどうぞゆっくりなさってください。何かあれば、遠慮なく使用人にお申し付けください。また明日、婚儀のことについてご報告に伺います」
「あ、あの……お邪魔してしまってごめんなさい。でも、何でも一人でやろうとしないでください。私とレオナルトさまの婚儀なのです。私もできることはお手伝いしますから……」
「いいえ。テレシアさまのお手を煩わせることの方が罪です。すべてお任せください」
 とりつく島もない。
 レオナルトはテレシアの右手を取り、手の甲に恭しくくちづけてから食堂を出ていく。文句の付け所がない完璧な礼だった。
 これから夫婦になるというのに、とても遠い。もっと近づきたいのに、それを許してもらえないような感じがする。
 だからふと、思うのだ。
(このままレオナルトさまと結婚して……いいのかしら……?)

 もっとレオナルトと親しくなりたいと思うのに、ろくに話すことすらできないまま、婚儀の日はやって来てしまった。
(以前より親しくなれた実感がまったくないのに、初夜になってしまったわ……!!)
 婚儀は盛大に行われ、民の歓声は予想以上だった。城下は賑わい、祝福の言葉があちこちで飛び交っている。
 披露宴も盛大だった。招待客は一晩中、様々な料理に舌鼓を打ちながら、酒を酌み交わす。テレシアはレオナルトとともに彼らの間を練り歩き、祝いの言葉に感謝の笑みを返した。
 そして夜が更けると頃合いを見計らい、レオナルトが宴からテレシアを連れて離脱する。そのあとは──初夜だ。
 使用人たちの手を借りて入浴し、全身を磨き上げて寝室に入る。灯りを極力落とした薄暗いそこでは、ベッドの傍で寝間着姿のレオナルトが待っていた。
 淡い灯りに照らされた陰影のある姿と、まだ少し湿った洗いざらしの髪を初めて見て、ドキリとする。足が自然と止まってしまった。
(ああ、駄目よ。これでは嫌がっているみたいだわ……!)
 思わず両手を組み合わせる。左の薬指にはめられた結婚指輪が目に留まる。見ればレオナルトの左の薬指にも同じ指輪があった。夫婦になったのだと改めて実感する。
(今日、身も心もレオナルトさまのもになるんだわ……)
 甘い期待に、心が震えた。
 レオナルトがゆっくりと歩み寄ってきた。竜胆色の瞳でじっと見下ろされて何だかひどく居たたまれない気持ちになり、思わず目を伏せる。
 彼の指が胸元に流れ落ちている髪のひと房を取った。口元に引き寄せて、宣誓するかの如く低く言う。
「あなたを必ず幸せにすると、約束します」
 真摯な声音に、鼓動が熱く震えた。
 まだレオナルトのことを深く知れたわけではないが、大事にしてくれていることは伝わってくる。だからきっと、これからもっとわかり合えていけると思えた。
(焦らず、ゆっくりと……夫婦らしくなっていけばいいのだわ)
 テレシアはレオナルトを見上げ、微笑んだ。
「私も、レオナルトさまが幸せをいつも感じられるよう、努力し続けます」
 レオナルトが軽く息を詰めた。口元が一瞬引き攣ったように見え、テレシアは失言してしまったのかと不安になる。
 だがすぐにレオナルトにふわりと抱き上げられ、言葉を失った。壊れ物を扱うかのように丁寧に優しく、ベッドに運ばれ下ろされる。
 レオナルトがゆっくりと覆いかぶさってきた。真剣な眼差しの奥に確かに熱情があって、少しホッとする。心の距離は縮まっていなくとも、妻として求めてはくれているようだ。
 閨事の教えは受けているが、具体的にどうするのかまではわからない。テレシアは気恥ずかしさもあって、思わず言う。
「……あ、の……私は、何をすれば……っ」
「テレシアさまを煩わせることは致しません。知識は事前にできうる限り、詰め込みました。私はテレシアさまが初めてですので、不快にしないよう尽力いたしますが……嫌なことがありましたらすぐに教えてください」
 このときばかりはレオナルトの声もとても柔らかく優しい。気遣ってくれている。
 嬉しいが、驚きもあった。
「……私が、初めて……?」
 貴族の男たちすべてがそうだとは言わないが、それでも浮気は男の甲斐性などという持論がまかり通っているのが貴族社会だ。彼ならば、恋の相手は選び放題だったのではないか。
 誠実な人だとは感じていた。何だかとても嬉しい。テレシアは思わず微笑む。
「嬉しいです……私もレオナルトさまが、は、初めての方なので……が、頑張ります」
 何を頑張ればいいのかはさっぱりわからないが、気持ちは伝わるといい。そう思って見返すと、なぜかレオナルトの表情は硬く強張っていた。
「……これは、結構くる……気を付けない、とな……」
 かすかに聞き取れた呟きは、意味がわからない。だが不快にさせてしまったのは間違いなさそうだ。
 とにかく謝ろう、と思った直後、レオナルトが上体を起こし、寝間着の裾を掴んで一気に脱ぎ捨てた。
 目の前に均整の取れた引き締まった上体が突然露わになり、テレシアは真っ赤になる。ランプの灯りが筋肉の陰影をはっきりさせ、妙に艶めいて見えた。
 左腕に深い傷痕があった。テレシアを庇ってナイフで切られた傷だ。気づくと傷痕を指で撫でようとしていて、我に返る。
 自分も脱いだ方がいいのかと慌てて寝間着に手を掛けようとすると、レオナルトが止めた。
「私が脱がせてもいいでしょうか」
「……は、い……」
 夫になる人だとはいえ、異性に素肌を晒すのは初めてだ。レオナルトの手が伸びてくると、自然と緊張で強張ってしまう。
 レオナルトはすぐに寝間着に触れることはなく、まずはテレシアの髪を撫でてきた。
 大きな掌で優しく何度も撫でる。感触を確かめるような動きが続き、拍子抜けした。それに、思った以上に心地良い。
 両親や兄に触れられるときとは少し違う温かさと安心感を覚える。テレシアは自然と深く息を吐き、目を閉じた。
 初夜とはこんなふうに優しく穏やかに始まるのか。すべてレオナルトに任せ、彼が求めるまま応えればいいと教えられていたが、こういうことなのか。あまり気負わなくてもよかったのかもしれない。
 ゆっくりと身体から力が抜ける。レオナルトが上体を寄せ、ちゅ……っ、と額にくちづけてきた。
 甘くて優しいくちづけは、髪を撫でられるのと同じくらい心地良い。驚きに一瞬強張ったものの、すぐにそれも解ける。
 軽く音を立てながら、レオナルトは額や瞼、頬やこめかみ、顎先を啄んできた。擽ったくなってきて小さく笑うと、レオナルトが今度は唇にくちづける。
 薄く理知的な唇が、自分の唇に押しつけられている。意外にしっとりとしていて、柔らかい。テレシアは思わず目を瞠って、レオナルトを見返す。
 竜胆色の瞳が、こちらを見返していた。
 美しく深い色合いのそこに、自分の顔が映っている。さらにその奥に、ゾクリと震えるような熱を感じ取った。
 レオナルトがわずかに眉を寄せた。どこか苦しげに目を細めた直後、さらに強く唇を押し付けてきた。驚く間もなく熱い舌が口中に入り込んでくる。
「……っ!?」
 本能的な怯えに、硬直する。レオナルトの舌が口中をすみずみまで味わい、舐め擽り、舌に絡みついてきた。
 唾液を纏った熱い舌が、テレシアの口内を蹂躙するかのごとくうごめく。
 舌先を軽く甘噛みされ、身体が震えた。だがレオナルトはくちづけを止めず、それどころかさらに激しく舌を動かしてきた。

 

 

 

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