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求婚してきた陛下の様子がおかしい件 冷徹王の溺愛は伝わりにくい! 1

第一話

 

「あの、陛下……出歩かれるのはおやめになったほうが、よろしいかと」
 ディオンが部屋から出ようとすると、従者が怖々といった様子で引き留めてきた。
「王宮内をうろつくわけではない。街に行くだけだ」
「陛下の御身に何かありましたら……」
「変装をしている。問題ない」
 ディオンは騎士服を纏い、目立つ銀髪を隠すため黒髪の鬘(かつら)を被っていた。
「ですが……」
「問題ないと言っているだろう」
 ゼリア王国は治安がよい。それに八年前とは違う。隣国まで追いかけ、ディオンの命を狙う者はいなかった。
 安心させるために『問題ない』と言っただけなのだが、従者は叱られているとでも思ったのか、みるみるうちに青ざめていく。
「出過ぎたことを申しました。申し訳ございません」
 頭を深々と下げる。謝罪の声は憐れなほど震えていた。
 ディオンがシュバール王国の王に即位したのは半年前。ディオンは初めての外国訪問先に、祖母の祖国である隣国のゼリア王国を選んだ。
 その訪問中、供も連れず街中を歩こうとしているのだ。非常識で身勝手なのは自分のほうだ。
 従者がディオンを止めるのは当然だった。
 ディオンは心の中で嘆息しながら、豪奢な衣服を纏い、銀髪の鬘を被った従者を一瞥する。
 こちらに着いてからというもの、背格好が似ているのをよいことに、ゼリア国王との非公式の謁見以外、従者に身代わりをさせていた。
 ゼリア国王には『対抗勢力があるので用心のため』と伝えてあるが、嘘である。
 自由にゼリア王国を動き回りたい。そのために身代わりを立てているだけだった。
 そもそもこの訪問自体、ディオンの私情で決行していた。
 王になって半年という慌ただしい時期だ。即位の報せと祝報への御礼ならば、書簡を送ればよい。ディオンがゼリア王国を訪問する必要はなかった。
 身勝手だとはわかっていた。
 けれど、どうしてもこの国に来たかった。街に出向かねばならないのだ。
「……すぐに戻る」
 ディオンはそう言い残し、部屋を出た。
 足早に王宮の貴賓室を出て、使用人たちが出入りする裏口に回る。
「明日、帰国でしたね。お土産を買いに行かれるのですか?」
 六日間の滞在で顔見知りになった衛兵が、気さくに声をかけてくる。
 ディオンは適当に相づちを打ち、裏門を出て城下街へと向かった。
 ゼリア王国は地下資源こそないものの、商業国家として名高い豊かな国だ。長らく国家間の戦争や内乱がなく、堅実な人柄の王が続いているのも、発展を遂げている理由だろう。
 王都の街並みは建物は雑多であったが、道がすみずみまで整備されていた。そのため、荒れた雰囲気はない。
 舗装された大通りには多くの人々が行き交っている。
 気候のせいか、国民性か、人々は陽気で活気に満ち溢れている。
 どちらかといえば大人しい気質の国民が多いシュバール王国とは異なる情景であった。
 国を離れて一か月も経っていない。郷愁を抱くには早すぎるが、祖国が懐かしく思えた。
 ディオンは目当ての仕立て屋へと歩を進める。
 初日は迷ったが、今日で五日目だ。足取りに迷いはなかった。
 大通りを左に曲がり裏道に入る。しばらく歩いていると仕立て屋の看板が見えてきた。
 看板の前で立ち止まり、そっと窓から中をのぞき込んだ。
 採寸などの作業場は奥にあるのか、店内はそれほど広くない。生地や衣装が所狭しと棚に置いてある。
 若い女性が、客らしき恰幅のよい男性の応対をしている。その背後には、亜麻色の髪をひとつにまとめた女性の姿があった。
 亜麻色の長い髪に茶色い瞳。中肉中背で、目を引くほどの美女ではないが穏やかで優しげな顔立ちをしている。
 彼女の姿を見た途端、胸がぎゅうっと締めつけられるように痛くなった。
 ひと目元気な姿を見れば満足するはずだった。だというのに、未練のような感情を断ち切れず、会いに来てしまっている。己の情けなさに辟易するが、どうしようもなかった。
 ゼリア王国に到着してすぐ、ディオンは彼女……エリーヌ・マルローの所在を確かめた。
 エリーヌは未婚で、以前と同じく王宮で侍女として働いていた。しかし、二十日ほど前から休職しているという。エリーヌの叔母は、王都で仕立て屋を営んでいた。その叔母が出産のため店を空けねばならなくなったので、手伝いに駆り出されているらしい。
 王家御用達の仕立て屋で従業員は多くいる。しかしそのほとんどが職人で、唯一いた接客係も叔母と同時期に妊娠してしまい、手が回らなくなったようだ。
『彼女、気立てがよくて、朗らかで、責任感もまあまああるから。このまま自分の店を手伝ってほしいと頼まれているみたいです。本人は接客は向いていないって言っていましたけど』
 それとなく彼女の同僚らしき侍女に訊いてみれば、そんな答えが返ってきた。
 ――気立てがよく、朗らかで、責任感がまあまあある。
 エリーヌは八年経っても、ディオンの知る彼女のままのようだ。
『騎士様はエリーヌのお知り合いなんですか?』
 当時を懐かしく思い返していると、興味津々の表情で問われた。
 シュバールの騎士がなぜエリーヌについて知りたがるのか不思議なのだろう。
 ディオンは『彼女に恩義のある知り合いがいるのだ』と答えた。
『恩義?』
 もっと訊きたげにしていたが、ディオンは礼を言って話を切り上げた。
 ――恩義……。
 そう恩義だ。今こうして生きていられるのは、彼女のおかげだ。
 彼女が元気なのか、この目で見ておきたかった。それだけだった。
 だが姿を見ると、一言でもいいから話をしたくなる。お礼を言いたくなった。
 ――しかし……。
 お礼を言うならば、自身の素性を明かさねばならない。見ず知らずの男からお礼を言われても、彼女も困るはずだ。
 ディオンはガラス越しに、エリーヌを見つめる。
 ――お礼を言えないままだから……これほど胸が苦しく切ないのだ。
 自身の未練に理由をつけながら、ディオンは彼女の姿を目に焼き付ける。
 明日、ディオンはゼリア王国を発つ。彼女の姿を見るのはこれが最後だった。
 食い入るように見つめていたディオンは、店内の異変に気づき眉を顰めた。
 何かもめ事でもあったのか、若い女性に対し、客らしき男性が声を荒らげている。エリーヌが慌てた様子で間に入った。
 男が手を振り上げ、そして――。
 考えるよりも先に、身体が動いた。
「何をしている!」
 ディオンは勢いよくドアを開け、店に入った。
 店内にいた者たちの視線がディオンに集まる。
 男に突き飛ばされ、床に倒れたエリーヌもディオンを見上げ、目を丸くしていた。
「……っ! 貴様……!」
 ディオンは恰幅のよい男に掴みかかった。
「な、何だ、いきなり……」
 男は決して小柄ではなかったが、ディオンが長身のためかなりの体格差があった。
 見下ろすと、顔を引き攣らせディオンを見上げてくる。頬と目が赤く、アルコール臭がする。どうやら酔っ払っているようだ。
「どうした!?」
 職人だろうか。店の奥から、数人の男女が顔をのぞかせた。
「……か、軽く振り払っただけだぞっ……大げさな! そもそもそこの女の接客態度が悪いのが問題なのだ!」
 男は焦ったように若い女性を指差し、足早に店を出て行こうとする。
 ディオンはその態度に憤り、男を引き留め、怒鳴りつけようとした。しかし……。
「ありがとうございました」
 エリーヌはすっと立ち上がると、男に向かって丁寧にお辞儀をした。
 八年ぶりに聞くエリーヌの声は、記憶の中にある彼女の声よりも柔らかく澄んでいた。
 怒りを向けていた相手に穏やかな対応をされた男は、気まずそうに視線を揺らしながら去って行った。
「エリーヌさん。すみません、私」
 若い女性が涙目でエリーヌに駆け寄る。
「大丈夫よ。お客様も酔っ払っていたみたいだし、あなたが悪いわけじゃないわ」
 エリーヌは若い女性の肩に手を置いて、優しげな口調で言う。
「常連客なんだが……酒癖が悪いんだよなぁ……大丈夫かい」
「軽く押されただけなんですよ。驚いて転んじゃって。お騒がせして、すみませんでした」
 心配げな職人にも、エリーヌはにっこり笑んでみせる。職人たちは、安心した様子で奥へと引っ込んでいく。
 そのやりとりを見つめていると、エリーヌがディオンのほうを向いた。
「お客様も……お騒がせしてしまって、申し訳ございません」
 エリーヌは丁寧にお辞儀をしたあと、ディオンにも優しげな微笑みを向けた。
 胸が痛くなる。目頭が熱くなり、泣き叫びたくなった。
「客ではありません。店の前にいたら……その、争っているような声が聞こえたので」
 嵐のような感情に気づかれぬよう、ディオンは僅かに目を伏せ答えた。
「……店の前に?」
 客でもないのになぜ店の前にいたのか、と不審に思ったらしい。
「いえ、その……道に迷いまして……訊ねようかと思案し、立ち止まっていたのです」
 ディオンは咄嗟に嘘を吐く。
「それで声が聞こえ、助けに入ってくださったのですね。ありがとうございます」
 エリーヌは再び、今度は小さく頭を下げた。
「よかったら王宮までご案内します。ちょうどわたしも王宮に用があったので」
 彼女は裏に回ると、すぐ小包を抱え戻ってくる。
「店番をよろしくね」
 そう言い残し、颯爽と店を出るエリーヌに、ディオンは戸惑いながらも付いていく。
「よいのですか? ……店番を彼女一人に任せてしまっても」
 彼女は先ほど客に、接客態度について文句を言われていた。
「入ったばかりの新人ですけど、わたしよりも仕事ができるくらい真面目で要領のよい子なんです。さっきは、あのお客様の機嫌が悪かっただけなので」
 王宮に行くため店を出ようとしていたときに、あの客が来たらしい。
「酔っ払っていたし、店に二人きりにさせるのは、マズいかなと思って。正直、なかなか帰ってくれなくて……困ってました」
 先を歩いていたエリーヌが立ち止まり振り返る。肩を竦めて、苦笑を浮かべた。
 微笑みも愛らしかったが、苦笑する姿も可愛らしい。
「…………どうして……その、王宮に案内すると?」
 間近に見るエリーヌの姿に激しく動揺しつつも、ディオンはなぜ自分の行き先が王宮だと気づいたのか、気になっていたことを訊ねる。
「え、違いましたか?」
「……いえ、王宮ですが。どうして、私の行き先が王宮だとわかったのかなと思いまして……」
「それって……シュバール王国の紋章ですよね」
 エリーヌが騎士服の襟の部分を指差し、言う。
「今、シュバール王国の王様がいらっしゃっているでしょう? だから、同行されている騎士様が観光をしていて迷ってしまったのかなって思ったんです」
 ディオンは「そうですか」と頷く。
 平静を装っているが、頭の中も胸の中も煮えたぎっていた。
 記憶の中にいたエリーヌが、自分に話しかけてくれる。手を伸ばせば届く距離にいる。焦げ付くほどの歓喜と、炙られているような痛みで、感情が溢れかえりそうになった。
「シュバールにはいつ戻られるのですか?」
「明日です」
「なら、お土産を買いに街へ?」
「……はい」
 肩を並べ、話をしながら歩く。このまま、永遠に王宮への道が続いていたらいいのにと思う。
「お土産、もしまだなら、ガラス玉が人気ですよ。お値段も手頃ですし。そこの露店でも売っています」
 大通りに出ると、エリーヌが露天商が並んでいる一角を指差した。
 陽の光を浴びキラキラと輝いているガラス玉が目に入る。
 ディオンは思わず胸元を押さえる。騎士服の下には、八年前から肌身離さず持っている小袋がある。小袋の中には、銀色に着色された丸いガラス玉が入っていた。
 ――これを取り出し、彼女に見せたら……彼女は何と言うだろう。
 驚くだろうか。喜ぶだろうか。信じてくれるだろうか。それとも、騙していたと怒るだろうか。
「そういえば……以前、シュバール王国……出身の方に、ガラス玉の髪飾りをお贈りしたことがあるんです」
 ディオンの心の中を読んだかのように、エリーヌが目を細めて言う。
「安物だったし、すぐに壊れちゃって……あげたの、迷惑だったかもしれませんけど」
 迷惑なわけがない。嬉しかった。あの頃は、ただ素直に自分の気持ちが言えなかっただけだ。
 髪飾りは壊れてしまったが、ガラス玉はここにある。今も自分にとって大切なお守りだ。
伝えたいけれど、伝えるわけにはいかない。
 もどかしさで、胸が苦しい。全て話してしまいたくなった。
 ――だが……全部話して……。それで……それで……?
 礼を言うのか。ありがとうと伝えたら、自分は満足するのか。
「……あ、すみません。つい思い出話を……というか、お土産に勧めておいて、安物だなんて」
 黙っていると、ディオンが不愉快になったとでも思ったのか、エリーヌが慌てた様子で謝ってきた。
 その様子に、懐かしい日々が鮮やかに蘇ってくる。
 口癖なのか何なのかわからないが、エリーヌは頻繁に『すみません』と口にしていた。
「どうして謝るんです。謝らなくていいです」
 ディオンは思わずエリーヌの腕を掴んでしまっていた。
「……あの」
 エリーヌが戸惑ったようにディオンを見上げている。
 あの頃は彼女のほうが背が高かった。その記憶のせいか、エリーヌは自分よりずっと大人で逞しい女性な気がしていた。
 ――こんなに小さくて……腕も細かったのか。
 頼りなげな視線を向けられ、ぞわりと背筋に熱いものが走った。
 ディオンは己の感情を抑え込むため目を閉じる。そして心の中でひと息吐いた。
「何でもありません。失礼しました」
 僅かに笑んで言ったあと、掴んでいた手を離す。
「行きましょう」
 何食わぬ顔で先を促した。
 あの頃とは違う。ディオンはもう子どもではない。
 ほしいものを手に入れるには、手回しが必要なことはよくわかっていた。
 王宮の裏口へと着く。
「今日はありがとうございました。あなたがお店に入ってきてくれたおかげで、お客様も大人しく帰ってくれました」
 エリーヌはそう言って、ぺこりと頭を下げた。
「いえ……おかげだなど……。私のほうこそ、ありがとうございました。どうぞ、お元気でいらしてください」
 ディオンが言うと、エリーヌは朗らかな笑みを浮かべ「あなたも」と返した。
 ディオンは衛兵と言葉を交わし、裏口から中へと入る。
 そっと背後を窺うと、エリーヌが衛兵に荷を渡していた。
 ――どうか、元気で……。私があなたを迎えに来るまで。
 心の中で、彼女にそう語りかけた。