戻る

求婚してきた陛下の様子がおかしい件 冷徹王の溺愛は伝わりにくい! 4

第四話

 

「どうして、侍女に?」
 エリーヌは少し迷ったが、家の事情をエディットに明かした。
「…………ご両親を恨んだりはしないの?」
 エディットが声を落とし、訊いてくる。
「恨む? どうしてです?」
「……家がその……困窮しているから、働かされているのでしょう?」
「困窮が理由ですけど、無理矢理働かされているわけではありません。侍女の仕事は給金がよくて安定していますし、婚活に持ってこいですしね」
「こんかつ……」
「あ……結婚相手を探すためだけに侍女になったわけじゃありませんので! そういう出会いもあったらいいな、という淡い期待というか……」
 言い訳のようにエリーヌがしどろもどろに返すと、エディットは険しい表情で黙り込んだ。
「……すみません」
「……なぜ謝るの?」
 エリーヌが肩を落とし謝罪を口にすると、エディットが眉を顰め訊いてきた。
「なぜって、その……わたしが不純な動機で侍女になったと……不愉快に感じられたのかと……」
「あなたが侍女を志した理由が何であろうとも、私には関係ないし、責める権利はないわ」
「……それはそうですけど……」
 ならばなぜ、そんなに険しい顔つきになっているのか。エリーヌの疑問を察したのだろう。エディットが小さく息を吐き、口を開いた。
「……婚活と聞いて……ゼリア王国の貴族に降嫁するよう、お父様の手紙に書いてあったのを思い出したの」
 そういえば、そんなことを言っていた。
「エディット王女殿下は、結婚するのが嫌なのですか?」
「嫌よ」
 エディットはエリーヌの問いに、間を置かず、きっぱりと返答した。
「どうしてです? エディット王女殿下のために、きっと素晴らしい殿方を見つけてくださいますよ」
 シュバール王国王女が降嫁するのだ。身分だけでなく、人柄も吟味されるはずだ。もちろんエディットと並んでも遜色のない容姿であってほしい。
 エディットに相応しい男性はどのような人物か。エリーヌは想像を膨らませるが、当の本人であるエディットは憂鬱そうに、溜め息を吐き黙り込んでしまう。
 エディットは十三歳。若いので、結婚に対して消極的なのかもしれないが……王族であれば、婚約者がいてもおかしくない年齢だった。
 ――もしかして、シュバール王国に婚約者……好きな方でもいらしたのかしら。
 それとも結婚が嫌というより、故郷を離れ、ゼリア王国で暮らすのに抵抗があるのか。だとしたら、どれだけ素晴らしい殿方であろうとエディットにとっては不愉快なだけだ。
「すみません」
「……なぜ謝るの?」
「エディット王女殿下のお気持ちも考えずに、素晴らしい殿方を見つけてくれるはずだなんて……軽率に口にしてしまいました」
「あなたの目から見れば、結婚に前向きではない私のほうがおかしいのだろうし……別に謝るほどのことではないでしょう? あなたって謝ってばかりね」
 エディットは呆れた風に言う。すみません、と思わず返してしまいそうになり、エリーヌは口を押さえる。
「別にいいわ。ただの指摘で、怒っているわけじゃないから。……今から口にするのは独り言。優秀な侍女なら聞き流せるわよね」
 エディットはそう前置きし、喋り始める。
「父が私にゼリア王国の貴族への降嫁を薦めるのは理解できるわ。王妃派閥の者たちだけではなく、私を次期国王にと推す者たちも、私がゼリア王国の貴族に降嫁してしまえば何も言えなくなるもの。それこそ私がこちらで、ゼリア王国の貴族に恋をして、父が娘可愛さに降嫁を認めたってことにすればね。臣下たちだけでなく、私を推している大衆も認めざるを得なくなる。父の気持ちはわかるの。けれど……父はおそらく私が、シュバールを出立するときから、降嫁の件を目論んでいたのよ。ならば、まず私に言っておくべきだわ。なのに、何も言わなかった。私が受け入れないとわかっていたからよ」
 不満が溜まっていたのか、エディットは独り言にしては大きな声で、一気に吐き出した。
 以前は、エリーヌがいくら話しかけても返事をしなかった。てっきり無口なのだと思っていたが違ったらしい。
 ――実は、『お喋り』さんだったのね。
 エディットの声は澄んでいて、耳に心地がよい。
 シュバール王への愚痴を長々と聞いているうちに、エリーヌはだんだんと安らかな気持ちになってきた。
 ――そういえば、昨日……なかなか眠れなかったのよね。
 別にせねばならぬことや、悩み事があったわけではない。ただ、寝付けなかった。
「私がどうというわけではなく、父には臣下たちと連携をとって、もっとしっかりしてもらわないと。このまま王妃やファセット家の言いなりになってしまったら………………ちょっと、どうしたの? 待って――」
 エディットの声がだんだんと小さくなっていった。
 眠ったのは僅かな時間で、エリーヌはすぐに目を覚ました。
 頭の部分が微妙に硬くて落ち着かない。ぐりぐりと頭を動かし、寝心地のよい位置を探しているうちに、意識がはっきりしてくる。
 目を開けると、エディットの顔が見えた。エディットは眉をこれ以上ないくらい顰めていた。
「あああ、すみません。わたし、寝ちゃっていました」
 どうやらエディットの膝を枕に眠ってしまっていたらしい。エリーヌは慌てて、がばりと半身を起こす。
 仕事中に眠るなど、侍女としてあるまじき行為だ。すみませんを連呼していると、
「あ、謝らなくていいわ。もともと、お昼寝したらって誘ったのは私なんだし……」
 妙に上擦った声で、エディットが言う。
 謝らなくていいと言っているが、エディットの顔は怒りのためか真っ赤だった。
「すみません」
「なぜ、謝るの。謝らなくていいって言っているでしょう」
 エディットはそう言いながら立ち上がる。
「どちらに行かれるのです?」
「小用よ!」
 エディットは大声でそう言い、部屋を出て行った。


 エディットの侍女になり、一か月が過ぎた。
 会話は増えはしたが、エディットはよく不機嫌になったし、ときおり怒ったように声も荒らげた。
 信頼されている自信はないし、心に寄り添えているかはわからない。けれども、感情を見せてくれるのは、ある程度気を許してくれているからだろうと、エリーヌは前向きに捉えていた。
 そして――その日、エリーヌはエディットの髪に初めて触れた。
「エディット王女殿下の髪、本当に綺麗ですよね」
 エリーヌは絹糸のようなエディットの髪を梳かしながら、感想を口にする。
 さらさらで指が滑るので、編み込むのに少々苦労した。けれど上手く結い上げられたと思う。
 あとは、仕上げの髪飾りである。
「エディット王女殿下、髪飾り、こちらでよろしいですか?」
 エリーヌはスカートのポケットから、銀色の大粒なガラス玉がついた髪飾りを取り出し、エディットに見せた。
「……ゼリア王国の、ガラス玉ね」
 ガラス玉はゼリア王国の工芸品として有名だった。エディットも知っていたようだ。
「はい。露天商で売っているのを見て、エディット王女殿下に似合いそうだなって」
「…………もしかして、あなたが買ったの」
「はい。受け取っていただけると嬉しいです」
 先日の休み、エリーヌは叔母が営む仕立て屋に寄った。その帰り道、露天商で綺麗な髪飾りが売られているのが目に入った。
 エディットの銀色の髪に似合いそうな髪飾りだった。給金も出たばかりで懐にも少々余裕があったので、エリーヌは半ば衝動的に、髪飾りを購入した。
 喜んでくれると思っていたのだが……気に入らなかったようだ。
 エディットは唇を曲げ、黙ってしまう。
「……すみません」
「……どうして謝るの?」
「ガラス玉を渡されても、困りますよね」
 ガラス玉でもエリーヌからすれば高価な品物である。しかし宝石ではなくガラス玉だ。一国の王女にとっては安物に感じられたのだろう。
 エリーヌは途端に恥ずかしくなる。
 髪飾りを持っていた手を引っ込めようとすると、エディットに腕を掴まれた。
 エディットはエリーヌの手の中から、髪飾りを取り上げる。
「私にくれるのでしょう? 受け取るわ。……ありがとう」
 エディットは頬を僅かに紅潮させ、礼を口にした。
 本当は気に入っていないが、エリーヌに悪いと思って受け取ってくれただけなのかもしれない。けれど気遣いだったとしても「早速つけてみたいわ」と言ってくれて、嬉しかった。
 エディットから髪飾りを受け取り、銀色の髪につける。
「可愛いです!」
 鏡台の前に座るエディットの顔を、鏡越しに微笑みながら見つめると、エディットは居心地悪そうに目を逸らした。
「……髪飾りは確かに可愛いわ……けれど、馬車で王都を見て回るのでしょう。別に髪を整える必要なんてなかったのではなくて?」
 怒っているというより、拗ねているような表情だ。
 いつもと違う髪型に戸惑っているのか、それとも……。
 ――久しぶり……というか王都に行くのは初めてだろうし、気持ちが落ち着かないのかも。
 エディットはこの一か月間、まったくと言ってよいほど外に出ていなかった。
 部屋に閉じ籠もってばかりだと、不健康だし気分も落ち込む。エリーヌは再三、庭を散歩しましょうとエディットを誘っていたが、いつも素気なく断られていた。しかし、そのエディットがようやく重い腰を上げてくれた。
 エリーヌのしつこい誘いに根負けしたのか、それともゼリア王国に来て一か月、気持ちが落ち着き、いろいろなことを前向きに考えられるようになったのか。
 後者ならよい兆候だと思う。
 ――近いうちに、王妃殿下のお茶会や、夜会にも出席なさるかもしれないわね。
 そしてもしかしたら夜会場で、エディットは将来彼女の夫となる人と、出会うかもしれない。
 夜会に招かれたときは今日以上に、エディットを美しく飾り立てねば、とエリーヌは使命感に駆られた。
「……やけに真剣な顔をして、どうしたの?」
 エリーヌの様子を不審に思ったのか、エディットが鏡越しに睨んでくる。
「あ、すみません」
「……どうして謝るの? 謝らなければならないようなことを考えていたの?」
「違いますよ。夜会用のドレスを着て、美しく飾り立てたエディット王女殿下は、さぞかしお美しいだろうと想像していたのです」
 エリーヌの答えに、エディットは「変な想像はやめて」と唇を尖らせた。
 馬車が王宮の門を出たのは、正午を少しばかり過ぎた頃だった。
 目的地は特にない。王都は治安がよく、大通りを少し走って戻るだけの予定だ。そのため御者が護衛代わりで、他の者は同行していなかった。
「良いお天気ですね」
 エリーヌは小窓の向こう、午後の柔らかな日差しが降り注いでいる街並みに目をやる。
「そうね」
 あまり興味がないのか、向かいに座るエディットは小窓を一瞥すると、眠そうに目を伏せた。
 エリーヌは構わず、エディットに話しかける。
「今日はいつもより人通りが少ないみたいです。昨日が休日だったからかもしれませんね。この赤い看板のお店の焼き菓子、美味しいって耳にしたことがあります。あ、わんちゃん」
「わんちゃん……?」
「犬です。ほら、可愛いですよ」
「凶暴そうな大型犬じゃない。可愛くはないでしょう」
「尻尾をぶんぶん振って、可愛いですよ」
「尻尾を振ったら可愛いの? 意味がわからないわ……あら」
 つまらなげに小窓から外の風景を眺めていたエディットが、興味深げに身を乗り出した。
「何です?」
「薔薇が咲いているわ。他の……見たことがないお花もある」
「ああ、本当。綺麗ですね」
 門を覆うように葉が茂り、いくつもの薔薇が咲いているのが見える。鉢植えにも色とりどりの花々が咲いていた。
「ゼリア王国は気候に恵まれているから、温室でなくともお花がたくさん咲くのね」
「シュバール王国では温室じゃないと咲かないんですか?」
「温室じゃなくても咲くけれど……あんなにたくさん咲いているのは見たことがないわ。王宮の温室の薔薇ですら、あんなに綺麗に咲いてはいなかった」
「王宮に温室があったんですか?」
「ええ。父が母のために建てた温室があって、よくそこで……」
 エディットは言いかけてやめる。
「王女殿下?」
「いえ、何でもないわ。あら、今度は猫がいるわ」
「わあ、白いねこちゃん」
「ねえ、ひとつ訊いていいかしら。犬は、ワンワンと吠えるからわんちゃん。ならば、猫はニャンニャン鳴くから、にゃんちゃんではなくて?」
「にゃんちゃんはおかしいですよ――」
 などと他愛のない会話をしていたエリーヌは、ふと違和感を抱いた。
 カタカタ、とゆっくりと走っていた馬車の速度が上がったのだ。気のせいだろうかと思うが、だんだんと馬車は明らかに速度を増していく。
 エディットも気づいたのか、眉間に皺を寄せ、御者台のほうへ視線を向けていた。
 箱馬車なので、御者の姿はここからでは確認できない。
「あの、どうかしたんですか!」
 エリーヌは声を張り上げた。けれど、返事はない。
 ――聞こえないのかしら。でも……。……っ! この馬車、どこに向かっているの?
 小窓から外を見たエリーヌは、馬車が大通りではない道を走っているのに気づく。
 状況がわからない。いったいどういうことなのか。嫌な予感に血の気が引いていく。
「落ち着いて」
 澄んだ声が近くで聞こえ、エリーヌはハッとした。いつの間にか、向かいにいたエディットがエリーヌの隣に座っていた。
 エディットは掌を、エリーヌの手の甲に重ねた。彼女の手はしなやかで、ひんやりと冷たい。
「目的は私だわ。あなたを逃がしてくれればいいけれど……わからない。とりあえず、彼らの言うとおりにして。もしも逃がしてくれそうになければ、必ず隙を作るから。だから、何としても逃げて」
 エリーヌにだけ聞こえるほどの小声で、諭すようにエディットが言う。
「……何を仰っているのです」
 我に返ったエリーヌはブンブンと首を横に振った。
「わたしが隙を作りますから。エディット王女殿下こそ、その隙にお逃げくださいませ」
 エリーヌは侍女になって間もない。けれども侍女である自分が、主人を守らねばならない立場にあることはきちんと理解していた。
 重なったエディットの指に力がこもった。
「これはシュバール王国の問題なの。ゼリア王国のあなたを巻き込むわけにはいかない」
「でもっ」
「後継者争いで、国はずっと混乱していた。私がいなくなったほうが、父の……シュバール王国のためになるのよ……きっと。だから、大丈夫」
 エディットはそう言って、微笑んでみせた。
 青みがかった灰色の双眸は、怒りも悲しみもなく、穏やかだ。
 ――まだ、十三歳なのに。
 王宮の窓から飛び降りようとしていた、泣いていたエディットを思い出す。
 シュバール王国の事情などエリーヌにはわからない。けれどまだ年若いエディットがこんな風に死を受け入れるのは、間違っている。
 エリーヌは自身の手の甲に触れていたエディットの手に、もう一方の手を重ねた。
 馬車が止まる。ガタンと大きな音のあと、少しして馬車のドアが開かれた。
 ドアの向こうには、御者の姿をした男が立っている。
 男は取り立てて目立つところはない、どこにでもいそうな顔立ちをしていた。不思議なことに、若者にも見えたし中年にも見えた。
 本物のゼリア王国の御者なのか、どこかで入れ替わったのかはわからない。しかしエディットを狙う刺客なのは間違いない。
 男の手には剣が握られていた。
「狙いは、私でしょう? 彼女は侍女です。彼女を逃がしてくれるのならば、大人しく殺されてあげます」
 エディットが落ち着いた声音で言う。けれど……手は、小刻みに震えていた。

 

 

 

 

 


------
ご愛読ありがとうございました!
この続きは11月17日発売予定のティアラ文庫『求婚してきた陛下の様子がおかしい件 冷徹王の溺愛は伝わりにくい!』でお楽しみください!