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求婚してきた陛下の様子がおかしい件 冷徹王の溺愛は伝わりにくい! 3

第三話

 

 髪を下ろしたエディットの姿は儚げで美しくはあるが、同時にどこか陰鬱な雰囲気を醸し出している。
 リボンで結い上げたら、もっと明るい印象になるはずだ。
 銀色の髪に似合うリボンは何色だろうか。銀製の髪飾りも似合いそうだ。
 エディットはシュバール王国の流行なのか、いつも立ち襟つきのドレスを着ていた。ゼリア王国で人気の丸みのある襟元のドレスも、すっきりしてよく似合うと思う。
 余計なお世話だとわかってはいたが、いろいろと考えてしまう。
 ――あの子と、年齢が近いし……。
 エリーヌには十二歳になる妹がいた。
 年齢が近いのもあり、妹とエディットの姿が重なる。
 落ち着きのあるエディットと比べれば、妹は無邪気で幼い。けれども外見は、妹のほうが背が高く、体つきもしっかりしていた。
 一緒に暮らしていた頃は、エリーヌは毎日のように妹の髪を編んだり、結い上げたりしていた。ちなみにマルロー家も伯爵家ではあるが、侍女がいない。理由は単に侍女を雇うお金がなかったからである。
 ――ちゃんと自分で髪を結えているかしら。
 妹が母の手を煩わせていないか心配になる。
 落ち着いているけれど暗いエディットと、天真爛漫だけれど落ち着きのない妹。二人の心配をしながら、エリーヌは止めていた手を動かし始める。
 交換が終わり、リネンを抱えたときだ。
 ノック音のあと扉が開き、近衛兵が姿を見せた。
「失礼いたします。エディット王女殿下、シュバール国王陛下からの書簡を預かってまいりました」
 エリーヌはリネンをベッドに置いて、書簡を受け取りに行こうとする。しかしエリーヌよりも早く、エディットが立ち上がり近衛兵のほうへ足を進めた。
 近衛兵は戸惑った表情を浮かべながらも、エディットへ書簡を差し出す。
 エディットが書簡を受け取ると、再び一礼し、退室した。
 ――一人きりにしたほうが、いいのかも……。
 エディットは書簡に目を落とし、思案するように眉を寄せている。
 父親からの手紙だ。人の目を気にせず、読みたいのかもしれない。
「エディット王女殿下。リネン室に行ってまいります」
 そう言い残し、エリーヌはリネンを抱え、部屋を出た。
 しかし廊下へ出てすぐ、リネンを回収していた侍女と出くわした。
「そこに入れてちょうだい」
 侍女がカートの上にある大きな籠を指差す。
 エリーヌがその籠の中にリネンを放り込むと、侍女はカラカラとカートを押しながら、リネン室へと向かった。
 用事がなくなってしまったが、すぐに部屋へは戻れない。
 エディットがシュバール国王からの手紙を読み終えるまで、エリーヌはドアの前で待つことにした。
 ――そろそろ、読み終えたかしら……。
 父親からの手紙を読んで、郷愁に浸っているかもしれない。だとしたら、もう少し待ったほうがよい、と思ったときだ。
 部屋の中でガチャンと音がした。
 ――何の音かしら……。
 不審に思ったエリーヌは中の様子を探るため、そっとドアを開けた。
 エディットの後ろ姿が見える。長い銀髪が風で靡いている。
 彼女はいつものように窓際にいた。けれど椅子には座っていない。椅子の上に立ち、そして――。
「……っ!」
 エリーヌは息を呑み、エディットの元に駆け寄り、彼女の細腰を抱き込んだ。
「……離して」
「な、なにを、されておいでですか?」
 エディットは全開になった窓の枠に足をかけている。エリーヌはぎゅうっとエディットを抱きしめながら、震える声で訊ねた。
「何って……飛び降りるの」
「と、とびおりる……? 飛び降りたら、お怪我します。最悪、打ち所が悪ければ、死に至ります」
「確かに……そうね」
 エディットが足を引っ込める。
 ここは二階なのに、窓から落ちたら怪我をすると思い至らなかったのだろうか。
 風景をより近くで見たかっただけなのか。それとも飛んだら羽が生えて飛べるとでも思ったのか。
 ――どこが聡明な王女様よ! ただの世間知らず……いえ、夢見がちなお姫様じゃない。
「怪我だけだと、困るものね。ここからでは、死に切れないかもしれないもの」
 エディットは淡々とした口調で言う。
「え? し、死に切れない……? し、死……? 何を仰って」
 エリーヌは混乱し、椅子の上に立ったままのエディットの顔を、目を丸くして見上げた。
「聞かなかったことにしてちょうだい。あなたに迷惑はかけないわ」
 エディットは薄く微笑み、エリーヌを見た。
「き、聞いちゃったんで、聞かなかったことにはできません! な、なんで死とか、物騒なことを仰るんです?」
 床に先ほど近衛兵が持ってきた書簡が落ちている。エリーヌは嫌な想像をして、青ざめる。
「ま、まさか……シュバール国王が……」
 エディットはシュバール王国で、たびたび命を狙われていたという。
 ドリアーヌ王妃側の仕業ではと噂されていたが、確たる証拠がなく国王も追及できずにいると聞いていた。
 けれど――国内での争いを収めるために、シュバール国王はエディットを切り捨てることにしたのだろうか。
 実の娘に死を強制するなんて、とエリーヌはいくら国のためとはいえ無慈悲だと、怒りを覚えた。
「死を命じるなんて……父にそんな度胸はないわ」
 エディットは鼻で嗤い、続ける。どうやらエリーヌの想像は違ったらしい。
「シュバールに戻ってくるな。ゼリア王国の貴族に降嫁しろ、ですって」
 エディットは悔しげに唇を噛んだ。
「あの……難しいことはわかりませんけれど……シュバール国王陛下は、エディット王女殿下が大切だから……お命を何としても守りたくて……だから、その、戻ってくるなと命じられたのでは。降嫁も、王女殿下のことを思ってですよ。きっと」
「……私のことを思って? ……私のことを思うならもっと、やり方というものがあるでしょう」
 エディットが眉を寄せる。それと同時に長い睫が震え、青みがかった灰色の瞳から涙が零れ、白い頬へと伝った。
 ――美少女だと、泣いている姿も美しいのね。
 エリーヌはそんな状況ではないというのに、感心してしまう。
 転んだとき盛大に泣いていた妹の姿を思い出した。妹は顔を歪め、目は真っ赤にさせ、鼻水を垂らしながらしゃくりあげていた。
「…………何なの、その顔」
 泣き顔に見蕩れているエリーヌに気づいたのか、エディットが不審げな眼差しを向けてくる。
「いえ、あの……泣き顔も、お美しいのだなって思いまして」
「…………あなた、私を馬鹿にしているの?」
「つい、あの……いえ馬鹿にしているわけじゃなくて。実は、わたしにはエディット王女殿下と同じくらいの年齢の妹がいるんです。妹は泣くときはワンワンと声をあげて、涙だけじゃなく鼻水も流しながら泣いていまして。いえ、妹だけじゃなく、わたしも似たようなものなんですけど……なのに王女殿下は泣くときも、綺麗に泣かれていて、すごいなあって……」
 釈明になっているのか、なっていないのか。自分でもよくわからなくなってくる。
「……変な人」
 エディットは小さく息を吐きながら言う。
「すみません」
「別に、謝らなくていいわ。それより、離してくれるかしら」
 エリーヌはエディットの腰に手を回したままだった。「すみません」と慌てて離れようとしたが、全開の窓から入ってくる風が頬を撫でた。
「あの、もう飛び降りませんよね?」
 不安になったエリーヌは、腰を掴む手に力を込めて訊ねる。
「飛び降りないわ。死に損なっても困るし……それに、自死すれば厚意で私を預かってくれたゼリア国王陛下にも迷惑がかかるもの。外交問題になったら大変だわ。……侍女のあなたもただではすまないでしょうしね」
 エディットは薄く笑み「死なないから離してちょうだい」と続けた。
 エリーヌはエディットを離し、即座に窓を閉めた。
 エディットは椅子から下りる。床に落ちていた書簡を拾い、椅子に座った。
「ありがとう」
 まだ少し潤んだ眼差しをエリーヌに向け、礼を口にした。
 エリーヌは何に対しての礼なのかわからず見返す。
「衝動的になって、みんなを困らせてしまうところだったわ」
 エディットは自嘲するような笑みを浮かべた。
 ――まだ十三歳なのに。
 達観した、諦めることに慣れている表情に、エリーヌは胸が痛くなった。
 エディットは王が愛妾に産ませた子だ。
 王女という立場であっても、彼女を快く思わない者たちは王妃を筆頭に多くいただろう。そして母親を亡くし、自身の身まで危うくなりゼリア王国に逃げてきた。
 エディットの抱えているものの重さに、エリーヌは今さら気づいた。
 愛想のない王女様だなどと、不満に感じていた自分が恥ずかしくなる。
「……すみません」
 エリーヌは掠れた声で謝罪を口にした。
 無性に泣きたくなった。けれども辛い思いをしているのはエディットだ。自分が泣くなんてどう考えてもおかしい。
 泣くまいと我慢しようとしたせいか「ヒグッ」と喉が鳴った。
「なぜ、謝るの? どうして、あなたが泣くの? 私に同情しているの?」
 エディットが矢継ぎ早に訊いてくる。
「ちが……エディ……ヒッ、ットおうじょ……グッ、でん……ヒグッ、飛び……ヒグッ、降りなくてッ……よがっ……た……ヒッ、グエッ……とあんしん……ッ……グッ」
 ――エディット王女殿下が飛び降りなくてよかった。安心して涙が出たのです。
 そう言おうとしたのだが、グエグエと嗚咽が出てしまい上手く喋れない。
「何を言ってるのかわからないわ……」
 エディットは呆れたようにエリーヌを見たあと、ふふっと軽く噴き出した。
「蛙みたい」
 細く長い指を唇に当て、ふふふ、と微笑む。
「本当に、鼻水まで垂らしているわよ……酷い顔」
 酷い顔と貶されたのに、嫌な気持ちにはならなかった。
 ――泣き顔よりも、微笑んでいらっしゃるほうが美しいわ。
 エディットの微笑みに、エリーヌはまた見蕩れた。
 その日を境に、エリーヌとエディットの関係は少しずつ変わっていった。
 エリーヌは今まで以上に、エディットに積極的に話しかけた。すると、いつもは黙りだったエディットが二言三言、返事をしてくれるようになったのだ。
 二人の些細な変化に気づいた侍女頭は、エディットがエリーヌに心を許したと判断したのだろう。
『エディット王女殿下のお世話は、基本的にあなた一人に任せようと思っています』
 侍女頭から、そう言われた。
 もちろんエリーヌが休みのときには、他の侍女が手を貸してくれるという。
 もともとエディットはまったくといってよいほど手が掛からない。エリーヌは快く了承した。
 二人だけでいる時間が増えると、さらに会話は増え……エディットから話しかけられることも珍しくなくなっていった。
「………座って、少し休憩したら」
 窓際に座っているエディットが、ひととおりの仕事が終わったエリーヌを一瞥して言った。
「いえ、わたしは」
 いくら手持ち無沙汰だとはいえ、仕事中である。座って休憩するのは憚られた。
「よい天気だし、そこでお昼寝でもしたらどう?」
 エディットが指差すソファは、見るからにふかふかで、寝心地がよさそうだった。
 誘惑に負けかけたが、エリーヌは首を横に振る。
「お昼寝なんて、できません」
「私たち以外誰もいないのだし別にいいでしょ。……まあ、寝ろって言われても眠れないわよね。とりあえずソファに座って、休みなさい。命令よ」
 じろりと睨まれる。
 命令ならば仕方ない。エリーヌはソファに腰掛けた。
 思っていた以上にふかふかである。
「エディット王女殿下、このソファ、ふかふかですよ」
 流石賓客用の部屋のソファである。今まで掃除はしても、座ったことがなかったエリーヌは座り心地のよさに感動する。
「そう」
「こちらに来て、一緒に座りましょう!」
「私はいいわ。ここで」
「でも、その椅子、硬いですよね。こっちのほうがぜったい座り心地がいいですよ。何なら、このソファを窓際に移動させましょう!」
 ソファは一人掛けではなく、女性ならば三人は座れるほどに大きい。
 自分一人では移動させるのは難しそうだ。誰かの手を借りねばならない。エリーヌは人を呼びに行くため腰を上げようとしたのだが……。
「移動なんて、しなくていいわ」
 エディットは立ち上がり、大きく息を吐き、エリーヌの横に座った。
「これでいいかしら?」
 エディットがエリーヌを横目で見上げながら言う。エリーヌはにっこりと満面の笑みを返しエディットを見つめた。
「どうです? ふかふかでしょう?」
「…………ええ」
 エディットはそっとエリーヌから視線を外した。
 ふかふかのソファに感激しているのか、彼女の頬はほんのりと朱色に染まっている。
「こうしていると妹のことを思い出します」
「……妹がいると言っていたわね」
「はい。今、十二歳です」
 エリーヌは妹について話す。
 自分と同じ亜麻色の髪に、茶色い目をしていること。気が強いけれど、甘えん坊で泣き虫なこと。雷とお化け、人参が嫌いなこと。歌が上手なこと。
 エディットはエリーヌの言葉に「そう」と相づちを打った。
 興味なさげに聞いていたエディットだったが、エリーヌが伯爵令嬢と知ったときは驚いた風に目を瞬かせた。