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悪役令嬢の取り巻きAですが、王太子殿下に迫られています。⑦[修学旅行編]上 1

第一話

 


 花咲き誇る春が終わり、
 灼熱の――――夏。

 

      *

 

「うっ、撃たれた……!」
 え?
 即時警戒態勢に入った私だが、違った。ナンパだった。
 修学旅行二日目。
 うっかり足を止めた私たちは現在、古い街並みの歴史地区で自由行動中。
 童話の世界に迷い込んだみたいな可愛い建物、迷路のような道。七月の太陽が燦々と輝く。
「きみたちがあんまり可愛くて、胸を撃たれた!」「その制服、アンフェルム王立学園だよね? 俺たちも修学旅行なんだ」「一緒に遊ばない? 六人六様マジ美少女揃い!」
 進路を塞ぎ、勢い込んで言い募ってくる輩を前に、イザベラお嬢さまは、ふうっ……と悩ましげなため息をつかれた。
「信じ難い……信じ難いわ。はあ……落ち込むわ。ショック。いえ、己の品位が曇った証だと猛省しましょう。でなければこんな低俗極まりない猿みたいな言葉を、おお、この新公爵イザベラにむかって吐けるはずないもの……! エマ、武器をしまいなさい。愚かな羽虫はまばゆき光に吸い寄せられるもの。私はこの身の程知らずたちを寛大な心で許します」
「ご立派です、お嬢さま!」
 いいえ品位が曇ったなんてとんでもない! 我がお嬢さまは今日も孤高の月のごとく高みにおわします。本来ならばお嬢さまをナンパするなど万死どころか億死兆死京死に値するところ、慈悲深い我があるじに免じて見逃してあげますグッバイさよなら地の果てまで!
 と常に携行している警棒をしまう私。この修学旅行のためにあつらえた伸縮自在の三段式。
「ひどい!!」「なんて傷つくことを言う女子だ!」「くそ、ちょっと女神レベルでクールビューティーな美少女だからって調子に乗りやがって!」「くっくっく名家のご令嬢には想像もつかない悲しい目に遭わせてやろうか?」
「わあ……」
 と私の後ろから顔をのぞかせたのは、ちびっこ令嬢ニーナちゃん。「おもしろーい! こんな恥ずかしい陳腐なセリフ初めて聞いた! この人たちチンピラ? っていうんだよね? つぎの舞台の参考にしよう、お金払うからもっと言ってみて!」愛くるしい瞳を好奇心いっぱいに輝かせている。残酷である……。
「ねえ、もう行かない?」と退屈そうに、綺麗に整えた爪を見ているのは大貿易商令嬢のデイジーちゃん。「玉の輿結婚を目指してるのにこんな貧相なナンパ男につきまとわれたら運が逃げちゃう。ていうかその制服、お金さえ積めば誰でも入れるバカ貴族学園のでしょ? 身分があるだけにタチが悪いクズ底辺校じゃない」
「お願いみんな……いくらなんでもそんな失礼なこと言わないであげて……」グループの良心にして唯一の穏健派、文学少女令嬢クララちゃんはハラハラしている。
「えっと……。六人の美少女って、私もなのかな?」と中性的な美貌のノエル先輩は微妙な顔をしている。ちなみに制服はズボンである。
「もう許さねえ!」
 突然激昂するナンパ男その一。
「こっちの女王さまぶったエラそうな銀髪女だけでも拉致って……!」
「おらあ!!」
 掴みかかろうとした男に私は警棒フルスイング。振り抜きざまシャキシャキシャキーン!と伸びてintoみぞおち。
「お嬢さまになんたる暴言! それ以上無礼を働けば武力行使も辞しませんよ!!」
「うるせえメガネブス!!」「おまえに用はねえんだよビン底メガネ!」「ていうか、ぐ……、もうぶってる……ガクリ」「ほか五人は美少女なのになんでおまえ一人だけブスなんだよ!」
「あ"ぁん!? 今なんて言った!? 抹殺するわよ!!」「私の友だちに謝りなさいよ全存在の最底辺!」「エマ、メガネ取って素顔見せたんなさい!」「侮辱罪だわ! 法廷で争う準備はよろしくて!?」
 一挙に戦闘態勢全開の女子たち。おお……クララちゃんまで……。顔のことはべつにいいんだけどな。ノエル先輩はノータイムで巡回憲兵に増援要請している。厳しい。
 ちなみに「あ"ぁん!?」はお嬢さまである。ヤンキー顔で背景に「!?」が大書されてるのが見える(気がする!)。王国随一のご令嬢、『冴えわたる白銀の月』『アンフェルムの濃紫(こむらさき)の薔薇』と謳われながらいざとなればガラの悪さも天下一品、そこが元悪役令嬢イザベラさまの偉大なる魅力のひとつである。うっとり。
「エマ、やっておしまい!!」
 あ、やるのは私なんですね? いいけど。
 気づけば周囲の観光客がざわつきはじめていた。まずい、騒ぎが大きくなるとせっかくの楽しく平和な修学旅行が! カイルとのいちゃいちゃ学園イベントが!
「彼女たちになにか? そなたらは他校生と見ゆるが」
 とそこへ、新たな火種が。ああ……。
 雪のごとく白い肌、絹のごとき白い髪。
 浮世離れした高貴な美男子が、優雅に現れた。
 彼がアンフェルム王立学園の制服をまとうようになって三ヵ月。
 神秘的なまでに冴え冴えとした美貌は、けれど優しげに湛えた微笑によってやわらかく中和されている。
 その優美な足取りは、天上の国を歩みゆくかのよう。
「我が学友に無礼を働くなら――あっ、あああっ!」
「イリヤ皇子!!」
 転んだ!
 ずべしゃ、と地面に大の字になって倒れた! どうして何もないところで転ぶの!? 皇国の長い裾の衣装はあれだけ優雅に着こなしていたのに、どうして歩きやすいはずのズボンだと転ぶの!? そんな天上の雲を歩くみたいなふわっふわした足取りだから!
 しかも転んださい、ナンパ男のひとりに頭突きを喰らわしていた。そこからピタゴラスイッチ的にほかの男もばたばたと倒れる。しゅごい。
 当の本人は、
「痛い……」
 とおでこを押さえている。
「まあ大丈夫ですか、イリヤ皇子?」「赤くなってますわ、せっかくの雪のごとき美肌が」「ほら、べそをかかないで」
「くそぅ、油断させておいてよくもやってくれたな!」「慰謝料払ってもらおうか皇子さまとやらよう!」「皇子で美男なうえ美少女たちにちやほやされやがって! ハーレムか!」「どうせ昼は自由行動デートで夜は告白タイムなんだろう、妬ましい!」「男女共学校の修学旅行など滅べ!!」
 ……あれ、この人たち去年のサマースクールでも会った? 既視感が。
「敵か!!」「イリヤ皇子をお守りしろ!!」
 とそこへ、また新手である。現場は人数がちょっともうすごいことになっているけど、宰相の子息クロードと騎士ガウェインである。
「ただのチンピラと見せかけて皇国の追手かもしれない。ガウェイン、通行人の目に触れないところで正体を吐かせろ」「オラこっち来い!!」
「な、なんのことだよ俺たちは……!」「ひい許して! 路地裏に連れ込まないで!」「ノエル先輩、憲兵は?」「そろそろ来る。吐かせるなら二分以内で」「いま学園の警備も呼んできましたわ!」「相手の学園へは?」「まだいいでしょう、骨の髄まで恐怖を染み込ませてからよ。エマへの暴言、死に際まで後悔させてやる!」「イザベラ、証拠は残すなよ」「また皇子が転んだ!」「どうして!?」「や、やめ……」「ぎゃああああああ!!」
 う……、う……、うるさい!!
 いくらなんでも画面がうるさい!
 ページも路地裏もぎゅうぎゅう詰め! 誰かこの事態を収拾して。
 ――と願ったそのときだった。
「全員解散」
 お腹にシンと響く低い声。
 私たちは一斉に振り向いた。
 路地の入り口に、すらりと立つ長身の影。
 アンフェルム王立学園の制服。正確無比というほどに端然と締められたネクタイ。磨きあげられた革靴。
 その場の空気を支配する、厳かな佇まい。
 ブルーサファイアの瞳を閃かせ、私たちを一瞥する。
「放してやれ。一般生徒だ」
 いつものごとく、ごく短い言葉。
 だが、肚にずしりと落ちる命令。
「王子――」
「カイル王子」
「王太子殿下」
 一同は落ち着きを取り戻し、口々に主君を慕い呼ぶ。カイルはかるく手を上げて、そんな彼らを制する。
 コツ、と厳かな靴音が近づいてくる。路地裏に連れ込まれている他校生のまえに、片膝をつく。
「怪我はないか」
「は……っ、はい」「ちっとも!」「あ、あの、助けてくれてありがとうございます……っ」「はうぅ抱かれてぇ……」
 ナンパ男たちは無頼漢からヒーローに救ってもらった町娘のように頬を染めていた。……あれ、私たちが無頼漢になってる? ぼくたちわたしたちは国内最高峰エリート貴族学園の優等生たちです。
「この者らが手荒な真似をしたかもしれぬが、ゆえあってのことだ。許せ」
「はっ、はい、それはもう! 僕らがぜんぜん悪かったので!」「あのっ、もしや去年の夏お会いした……?」「ふたたび目覚めちゃう……!」「えと、王太子殿下って……?」
 カイルはすらりと立ち上がって、微笑んだ。
「あだ名だ。気にするな」
 そんな不敬なあだ名がありますか! と言いたいけど、他校生たちはあやふやな顔つきでつられたように立ち上がる。ぼんやりしていたのかひとりがよろけ、
「わ……っ」
「気をつけよ」
 ふわっ……とカイルが片腕で腰を支えた。
 トゥクトゥーン!
 と恋のはじまる音がした。どうなの。
「貴様! 王子に触れるとは!」「お離れください、刺客やも!」「急にしおらしくなって何を企んでいるの!」「妙に目つきがとろんとして怪しいわ!」
 一気に激昂するアンフェルム学園の生徒ら。いや、あの……、え? みんなわからない? 私が腐ってるの?
 見渡すとクララちゃんだけが、《こくっ》と力強く頷いてくれた。心の友よ……!! 詩と純文学を愛する正統派文学少女クララちゃんは中等部で私と出会って前世のおたく沼に引きずり込まれて以来、ジャンルフリー、オールラウンドのアルティメット読書家なのである。
「皆よい、下がれ。足を痛めてはおらぬか?」
「は……はい……っ」
「ん、顔が赤いな。熱射病か?」
 怪訝そうに顔を覗き込むカイル。急に近づく端整な面立ち。凛々しいブルーサファイアの瞳。
「あ……っ、きゃあん恥ずかしー!!」
 ナンパ男たちはダッシュで逃走した。事態は収束した。………………………………。
(…………カイルの威力が凄いことになってる!!)
 いつも会ってるから気づかなかったけど一年前よりさらにパワーアップしてるっぽい! いい加減チートすぎるだろう! 無双か。魅力値限界突破のSSSSRか!
 学生の今でこれじゃ、男盛りの三十四十になったらどうなるんだ。
 私はカイルの将来が空恐ろしい。妻として、カイルの男っぷりについていけるでしょうか……。

 


 この春、私たちは高等部二年生に進級した。
 クラスは、みんな一緒。担任はまたレイモンド先生。
 四月から転入してきた留学生イリヤ皇子も、おなじクラスだ。
 五泊六日、待望の修学旅行。
 アンフェルム王国国内の名跡を巡る旅。最終日には、建国神話ゆかりの丘を訪れる。初代国王が常闇の夜を切り裂き、地上に初めて朝をもたらしたという伝説の地だ。
 春休みに、豪華大型船でイリヤ皇子を迎えに行った私たち。その歓迎式典で、亡き旦那さま――宿敵悪徳公爵がじつは生きており、皇国で匿われていることを告げられた。
 皇国の不穏な動き、北征計画。冬の王城以来国内で暗躍する謎の人物。散逸する乙女ゲームアイテムの出どころ。五か国同盟。
 懸念は山積みだ。
 けどそれはそれとして私たちは青春まっさかり高等部二年生! 陰謀の渦中にあろうが学園イベントは待ってくれない。
 高二の修旅、しかも同クラの彼氏持ち! このありがたみがわからない人は前々々世からよほど徳を積み続けたのであろう。前世の私は噎び泣いている。
 ゆけ。
 と前世の私が道を指し示す。なんだったら前々世の私も前々々世の私も前々々々々々々……世の私もマトリョーシカのごとく鈴なりに連なり道を指す。
 ゆけ。おまえはなんのために転生したのか。
 そう。私の進むべき道はひとつ。
 国が滅ぼうが世界が終末を迎えようが宇宙が爆発しようが、私はカイルと修学旅行にゆく!! 前世群の屍を超えてゆけ! 時よ輝け君は美しい! シリアスをぶっ飛ばせ!
 かくして学園最大イベント、いちゃラブ&わちゃわちゃ《修学旅行編》です!

 ――――ガシャン!!

「イリヤ皇子!!」
 そのときだった、不穏の前兆が早くも音をたてたのは。

 

      *

 

 地面には鉢植えが砕け散っていた。あと十数センチずれていたらイリヤ皇子の頭を直撃していた。
 私が咄嗟に突き飛ばしたせいで倒れている皇子の腕を引っ張り上げ、建物の張り出し窓を振り仰いだ。花の鉢が美しく並べられている。ぽっかりと、ひとつぶんの空き。
「誰もいない!」
 その張り出し窓からクロードとお嬢さまが顔を覗かせた。すでに階段を駆け上り犯人を追っていたのだ。
 ガウェインは次の襲撃に備え、皇子と私の盾になっている。ほかの皆は周囲に不審な者がいないか視線を走らせている。
 王太子カイルには、王城の護衛局が十数名取り囲むように配置についていた。目立たぬよう一般人に紛れていたのだ。
「大丈夫です、皆ありがとう。たぶん、偶然の事故でしょう」
 イリヤ皇子が微笑んだ。だが彼の白い肌からは血の気が引き、紙のようにさらに白くなっていた。
「ですがこんな立て続けに!」「昨日から何度目?」「やはり事故と見せかけて何者かが皇子殿下を……」
「お願いです、どうか大事(おおごと)にしないで」
 瞳に不安の色を浮かべながらも、彼は強く訴えた。
「皆の修学旅行をじゃましたくないのです、二年連続で中止なんて。私が祖国を出てアンフェルム王国に自由を求めたのはみずからの意志。そのためにこの身になにが起こったとて、それも運命。我がオル=フュズ・ェウスの光神の思し召しと受け入れます。ェウス・ヤーン」
 祈りの印を敬虔に切る皇国の皇子。
「だが、イリヤ」
「頼む、カイル。ひとときの自由なんだ」
 案じるカイルの腕を、彼は縋るように掴んだ。
 ふたりの従兄弟王子。
 黒髪褐色肌の凛々しい王子と、白髪雪白肌の柔和な皇子。漆黒と純白、太陽と月、熱砂と雪、ふたりの印象は好対照というほどに違った。カイルの瞳は青く、イリヤ皇子の瞳は赤い。サファイアとルビー。
 けれど血の繋がりか、顔立ちそのものはどこか似ていた。神話の兄弟神のごとく一対となる美麗な姿に、こんなときだというのに見惚れてしまう。
「私は生まれ落ちてからずっと孤独に幽閉されてきた。罪の皇子だったんだ。そんな私をあたたかく迎え入れてくれた異国の友たち――カイルや皆との、今この瞬間を大切にしたい。いよいよ危険となれば、そのときは諦めます。学園の皆さんに迷惑はかけない。約束します。どうかこの幸福な時間を――今しばし」
「いいじゃないかカイル王子!! 俺たちでイリヤ皇子を完璧に守り抜けば済む話だ!」
 ガウェインが箍の外れた大声で言った。涙声だ。
「な、いいだろエマ、みんなも。俺、絶対イリヤ皇子から離れないようにするから。だから皇子も、死んでもいいみたいなこと言うなよ、たかが修学旅行くらいで……うぅっ、くそ泣かせやがって馬鹿野郎……!」
 男泣きのガウェインに、みんなももらい泣きしそうである。
「どうする、エマ? この手のことに関してはあなたが専門だけれど」
 イザベラお嬢さまが、湿った雰囲気に流されないようことさらに冷静な声で問いかける。
 カイルは無言だ。視線だけで判断を促す。
 私は数秒考え込む。
 イリヤ皇子を修学旅行から離脱させるべきかどうかを、問われている。けれど王都に戻ったとて彼の状況は同じこと。
 私はキッパリと顔を上げた。
「――――私たち六班で護衛のフォーメーションを組みます。リーダーは私、サブはガウェイン、イザベラお嬢さまはサポートを。カイル王子たち一班は、六班のフォローをお願いします。この修学旅行、私たち全員でイリヤ皇子をお守りします!!」

 

      *

 

 皇国からの留学生、イリヤ皇子。
 彼は何者かに命を狙われていた。
『おそらく皇国の者たちでしょう。私が祖国を裏切り、アンフェルム王国に亡命したと思い込んでいる。ならばいっそ、亡き者にしようと。アンフェルム入りするまでにも、数々の妨害がありました』
 春休みに、船で皇子を迎えに行った私たち。その歓迎式典で初めてお会いした。
 かつて世界の覇権を握った軍事大国。今また我が国を含む北方諸国を支配下におさめんと、北征計画を企んでいる危険な国。
 その先入観を裏切る、彼はいたって温和な人物だった。人あたりのいい笑顔、柔和な物腰、謙虚な言葉づかい。
 そしてまた、その容姿。
 私はてっきり、従兄弟であるカイルと同じく褐色の肌をしているとばかり想像していた。皇統の証として、純粋な皇族はみな太陽の色の肌をもつという。カイルの母妃であられるアーシェラ=オミ皇女さまも、美しい褐色肌だ。
 だがイリヤ皇子の肌は、雪のごとく白かった。髪も真っ白。
 そのため父皇帝の血を受け継いでいない不義の子とされ、生まれたときから幽閉されていたという。
 のちに姉姫ラァラ=ファン皇妃の献身により解き放たれたが、その後もけっして自由気ままなお暮らしぶりではなかったようだ。カイルが、自身も幼少期に訪れた皇宮でのことや、浅からぬ縁のある姉姫さまのことをお伺いしても、目を伏せ睫毛の翳を落とすだけ。
『あまり、話したくないのです。私たち姉弟には、つらいことが多すぎて……』
 と寂しげな笑みを湛える。
 前公爵を皇国で匿っている――という昼餐のガーデンパーティーでの発言についても、
『それ以上は祖国を裏切ることになるので言えません』と口を噤まれている。
『たとえ命を狙われてはいても、私には愛する祖国だ。アンフェルム王国の国政にも関わると思えばこそ、前公爵の存命をお伝えしました。彼はつい最近まで貴国の政権を握っていた男。それが死を偽装し、仮想敵国で生きていた。これをお伝えせねば、私の入国を受け入れてくれた貴国への背信となりましょう。ですが、我が姉妃もまだ皇宮におわします。これ以上の情報漏洩は、どうかご容赦を』
『ラァラ=ファン皇妃の御身を危うくすることは、私も母アーシェラ=オミ皇女も望みません』
 とカイルも慎重に理解を示した。
 けれど、言えないということ自体が、私たちにいくつかの推測を可能とさせていた。
 皇国は最近、新たな指導者を得たと聞いている。冬の王城でも、辺境伯の子息テオドールとそんな話をした。
(北征計画を提案したのは、前公爵――旦那さまなのでは?)
 自分を追い落としたアンフェルム王国への復讐? 自国の情報を手土産に、こんどは皇国で再起するつもり?
 あのかたが権力というおもちゃなしにいられるはずがない。だからこそ私たちは、今なお王城で幽閉されているギルバート第一王子を奪還して政権に返り咲こうとしているものと警戒していたのだ。
 だが旦那さまの次なる野望は、国外にあったのか。
『皇国は長年分裂しています。私が彼に与する者でないことだけはおわかりいただきたい。あの男にとって私は邪魔者。帰国すれば、命はないでしょう』
 イリヤ皇子はそんな話を、穏やかに微笑んで語られる。
 この悲運の皇子のために、私たちができることはないか。
 政治的には、カイルや王妃さまにお考えがあるだろう。あるいは本当に亡命も視野に入れているかもしれない。また国王さまや宰相閣下にはべつの政治的な思惑があろう。皇国を仮想敵国とした五か国同盟のことも考えれば、隣国をはじめとした同盟国との兼ね合いもある。
 だから、まさに今このとき、私たちがこの新たな友人にしてあげられることは。
「イリヤ皇子をお守りしつつ、みんなで最高に楽しい修学旅行にしよう!!」
「おー!!」
「大丈夫よイリヤ皇子、どーんと大船に乗ったつもりでいて。私たちこういうの慣れてるから」
「みなさん……! ありがとうございます――――ああっ!」
「皇子がまた転んだ!」
「どうして!? ねえ、どうして!?」
 けなげで悲運で神秘的なまでに冴えわたる美貌を持ち、そしていささかドジっ子なイリヤ皇子。
 かくして恋と友情と波乱の修学旅行はあらためて幕をあけた!