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悪役令嬢の取り巻きAですが、王太子殿下に迫られています。⑦[修学旅行編]上 2

第二話

 


「ありがとう、皆のおかげです。私はアンフェルム王立学園での学びを祖国に持ち帰り、皇子としてひとまわりもふたまわりも成長するつもりです」
「ご立派です、イリヤ皇子!」「皇子殿下の学園生活をわたくしどもも全力でサポートいたします」「がんばろうぜ!」
 午後は班行動。
 私たち六班は、この街の重要史跡である聖堂にやってきた。班員は、お嬢さま、イリヤ皇子、ガウェイン、私。
「アンフェルムの人々は本当に親切だ。授業のノートを貸してくれるし、部活には五つも誘われているし、八人の女生徒から愛の告白をされました。毎日日替わりで放課後デートです」
「え、そうなの?」「日替わりってまさか八股かけていらっしゃるの?」「がんばってるなおい」
「みなさん、私の後宮(ハーレム)に入ってもいいって言ってくれました。ェウス・ヤーン!」
 そんないい笑顔で! 薄幸の皇子は思った以上に学園生活をエンジョイされていた。
 ちなみにこの祈りの言葉は、感動したり嬉しかったり嘆いたり憤慨したりと、さまざまな場面で用いるらしい。もちろん、祝いや弔いのときにも。
「祖国では本当はハーレムでなく、セラグリオというのです。もしカイルが皇国に来たら、直系の皇子なので彼も持たないといけません。身分の高い者ほど多くの妻を養う義務がある。妃や寵姫以外にも、大勢の侍女や宦官を擁します」
(か、宦官……)
 文化が違う。
 とはいえこの遠い異国からの留学生は誰にでも優しく人なつこいので、女生徒に持て囃されるのはよくわかる。
 黙っていれば神秘的な雪白紅眼の美貌、微笑めばあたたかくほどけ、話せば紳士的、動けばドジっ子、というところもギャップ萌えかもしれない。無邪気というかある意味箱入り息子なところも、スレてなくて可愛いともいえる。庇護欲をくすぐられる女子は多かろう。
 うちの学年の男子で人気といえばカイル、クロード、ガウェインがスリートップだけど、残念ながら全員彼女持ち。そこへ現れた貴重な独り身ときたら、競争率の高さは推して知るべし。その女子人気は、いまやカイルをも凌ぐ勢いだ。
「誰も彼も学生の身で恋にお忙しいこと。ま、皇子を通して我々も皇国の流儀を学べる良い機会ですが……。刃傷沙汰だけはご勘弁を、皇子」
「人情? 沙汰? はい」
 お嬢さまに釘を刺されたイリヤ皇子は、素直に頷いた。微妙にわかってないような?
 いっぽう私は別のことに注意を引かれていた。いま他人事みたいにおっしゃったけど、
(ん? 恋って、お嬢さまは……?)
「では修学旅行を続行するわよ。この大聖堂の歴史的意義を述べよ。はい右から、エマ」
「えっ、ええ……っと」
 班長であるお嬢さまに突然指名され、私はしどろもどろになりつつ答える。
「えっと、十三世紀王朝における政教の結びつきの強さが見て取れます。この大聖堂の白眉はステンドグラスですが、神話をモチーフにとっている点は従来通りながら――――」
 と私が答えれば、順にイリヤ皇子、ガウェインとつづく。
「建築技術に当時の国際社会が反映されていますね。我が祖国含め同時代の国々に広まったこのアーチ型工法が――」
「十五世紀には軍事的役割を果たしたこともあるんだよな。内乱が起こったとき騎士団が国王をここへ避難させ一時的に要塞教会化を――」
 さすが国内随一のエリート貴族学園、前世の修学旅行とは違い本当に学問を修める旅行になっている。あのガウェインでさえまともなことを言っている。
 我がアンフェルム学園の修学旅行は、班ごとに研究課題を設定し、各自論文提出することになっている。一学期の考査にも入るので重要な課題だ。
 この学園はやたら論文や研究が多い。高等部とはいっても、前世の高等学校と大学の中間くらいの位置づけだろうか。
 三年次からは、本格的に専攻が分かれる。たぶん、カイルとは別のクラスになる。
 王太子であるカイルは、意外にも政治経済方面には行かず、数学か天文物理に進むそうだ。政経はすでに王城での教師から習い修めているので必要ないのだとか。むしろ政治の論理一色に染まらず外部からの視点を保つために、純粋な学問は王族に必須なのだという。
 私は逆に政治学かなあ。まだ迷い中。好きなのは文学だし、異世界転生の研究的には民俗学が近接分野だけど、将来を考えると。お妃教育係のグレース夫人にも相談しなくては。
 友人たちもおそらく、みんなバラバラになる。だから二年生のこの一年間は、私たちにとって本当に大切。この修学旅行は、一生の思い出になるだろう。
 カイルとは班分けこそ別々になってしまったけど、幸いクラス行動と自由行動は一緒できる。
(神さま、そのときこそカイルと修学旅行デートを……!! えろいハプニングとか全然要らないので! どうぞ平和でまともな学生らしい修学旅行をなにとぞ! でもでも、手を繋いだり夜の川べりでキスとかはしたいです!)
 パンパン!と聖堂で煩悩にまみれた柏手を打つ私。おっといけない、ここは前世の神社じゃない。
 ――たまに、記憶が甦る。
 といってもそれはひどく曖昧で、まだらボケもいいとこ。しかもだいたいしょうもないことしか覚えてない。肝腎の乙女ゲームの内容でさえ、起こってから初めて、わあそういえばこんなことあったあった、という頼りなさなのだ。
 いい加減なことこのうえないけど、まあ前世の記憶なんてそんなものではないでしょうか。現世の記憶ですら何年も前のことは曖昧だ。まして前世なんて、そんな隅々まできっちり覚えてないよね?
 と、己の転生者としての残念っぷりを棚に上げる私。転生してきて、すみません。転生者、失格。
 私は目の前のステンドグラスを見上げた。
 色とりどりのガラスによって、建国神話の有名な場面の数々がくりひろげられている。
 初代国王さまの苦難の巡行。万の敵へと馬を駆け、傷ついた身を泉に憩う。宵の女神の対話。神獣に授けられし宝剣。その剣で常闇の夜を切り裂き、地上に初めての朝をもたらした。
(そして……)
 太陽の光を五つ拾う場面。つづいて、それを嵌め込んだ樫の冠を乙女の頭上に授ける場面も。暁の姫君だ。
 私はドキドキと見入る。
(来月のカイルとの婚約式では、この『暁の冠』、王太子妃のティアラを飾るんだよね……。戴冠はまだだけど)
 国内の史跡を巡るこの修学旅行はとりもなおさず、カイルの血統を辿る旅でもある。国史が、彼氏のご実家事情なのである。うーん、重い。嫁ぎ先が重い。
 修学旅行最終日には、建国神話ゆかりの丘に行く。
 初代国王が夜をしりぞけ朝をもたらしたという、伝説の地。
(――――え?)
 ふいに、視界が二重写しになる感覚があった。お告げ――社畜処女転生プログラムの感覚と似ている。前世の記憶。
 ぬばたまの夜、常闇の丘。
 吹きすさぶ風。地平線。
 舞い降りる、光のかたまり。
 閃く剣。空を裂く眩しさ。
 誰かが呼ぶ声。
 私を。
「エマ?」
 ハッ、と我に返る。
 それは一秒にも満たない時間だった。目の前には先ほどと寸分たがわぬステンドグラス。横には、怪訝そうなお嬢さま。
 ――私、いま、なにを見た?
「いつまでお祈りしてるの? 見学時間が足りなくなるわよ、広いんだから」
「お嬢さま……。今、私のこと呼んだ?」
「呼んだじゃない。なに言ってるの?」
「だよね、えっと……、うん、行きます」
(なんだろう。気のせいかな)
 私はお嬢さまとともに見学に戻る。

 でもこういうときの「気のせいかな」がほんとうに気のせいであったことは皆無だと、経験上知っている。

 

      *

 

「あ」
 大聖堂を出るとき、扉のところでカイルたちの一班とすれ違った。こちらはカイル、クロード、クララちゃん、ニーナちゃん、デイジーちゃんだ。
(やった、会えてラッキー!)
 あと一分でもずれていたら会えなかったよね、さっそくご利益があったな。
 礼拝者の邪魔にならないよう、私たちはそろって扉の外に出て、拝廊の脇のほうに寄る。イリヤ皇子の身辺にはあれから異状なし、と報告。
「カイル聞いてくれ、さっき班の皆と買い食いをしたのだ」
「そうか。よかったな、イリヤ」
 無邪気なイリヤ皇子に対し、カイルのほうは、どこか一線を引いている様子だ。
 皇国とアンフェルム王国は微妙な緊張関係にある。彼の立場からすれば、従兄弟とはいえ野放図に親しくはできないのだろう。カイルは次期国王で、イリヤ皇子は皇位継承権の低い比較的身軽な皇子。同じ王子でも、置かれている立場や責任の重さは全く違う。
 だから、カイルが冷たいとは思わない。
 けれど、異国の地で血縁者を頼りにし、疑いもなく親しんでくるイリヤ皇子を見ていると、どうしても不憫な気がして、私はそっとふたりから視線を外してしまうのだった。
「イザベラ!」
 デイジーちゃんもお嬢さまに会えてはしゃいでいる。
「ね、薬草店、もう見た?」
「見た。ラベンダーの香油一択。薔薇は評判よりイマイチ。やっぱりハーブ系が強いわよ」
「よね! さすがイザベラ、わかってる!」
 教会や聖堂にはしばしば、修道僧の自活のための農作物や手工芸のお店が併設されている。こちらの薬草店は清貧を旨としながらもその品質の純度ゆえ、王都の令嬢貴婦人にとって隠れた名店だそうな。お嬢さまは班長の務めを完璧にこなしつつ、ちゃっかり自分用のお土産もチェックしていたらしい。真の優等生とはかくあるべきである。
「ねえイザベラ、明日の自由行動は絶対一緒に名店巡りしようね。あさってのクラス行動もちょっと抜けない? 私、この修学旅行でイザベラが好きそうなお店全部ピックアップしてきたから!」
「デイジーったら、修学旅行の予習もせずそんなのばっかり研究熱心で……」「研究テーマ、絶対間違えてるよね」「いや、むしろ聖地巡礼って感じだ」とおなじ班のクララちゃんとニーナちゃんとクロードは呆れ顔だけど、デイジーちゃんは悪びれる様子もない。
「だってあの『憧れの公爵家令嬢イザベラさま』と買い物旅行できるなんて、子供のころの私に教えてあげたい!」
「ホホホ、光栄に思いなさい! ……冗談よ?」
 幼少のみぎりから同年代の令嬢のなかでカリスマ的人気を誇っていたお嬢さまは、かつてデイジーちゃんには憧れの存在だったそうな。当時は学校も身分も違い接点がなかったけれど、中等部でお嬢さまがアンフェルム王立学園に編入してきたとき、『絶対友達になる!』と心に誓ったとか。ふたりは私たち女子グループのなかでも、美容意識高い系仲間である。
 カリスマ令嬢イザベラさまのもとには、当店の品をお試しくださいと国内外から新作ドレスや香水や化粧品が毎日のように届く。
 デイジーちゃんは国家予算級の世界的大貿易商の令嬢だから、情報の早さも資金力も桁違い。流行に敏感だし、おまけに女子力も高い。
「ガウェインさまは、四日目の街で伝説の恋の泉に行きましょうね。近くに剣や鎧の古物商の名店があるんですって! すでに来店予約いれておきました!」
「え、マジで? さすがデイジーは気が利くなあ。それって中期王政時代のかなあ」
「いえ、三分統治制時代のが中心みたいですよ。そっちも熱いですよね!」
「マジか激熱だな!」
 興味あるもので釣って恋のおまじないに確実に連れ出す。彼氏のマニアックな趣味にも通じている。完璧である。
「またやってる……」「やりかたがいちいちあざとい」「なぜふつうに誘わないの?」とニーナちゃんやお嬢さまやクララちゃんの女子陣は微妙に生ぬるく見守る距離感であるが、
(いやー私は見習いたいですよ!)
 デイジーちゃんの女子力という名の調査力、分析力、交渉力をまえに打ち震える。私に激しく不足しているのはこのへんの女子力ではないでしょうか! もうちょっと補強してもいいと思うんだ、カイルの興味ある分野とかぜんぜんついていけてないし。……よし!
「王子たちは、これから?」
「ああ。第二節季の聖物公開を観に。そっちも?」
「なら時間配分に気をつけたほうがいいかもです。思った以上に大放出でしたから」と私はさっそくデイジーちゃんを見習ってみる。「本殿より別殿のほうが、一班の研究課題に合いそうでした」
「なら、そちらからまわるか」とカイルは班員たちと相談する。
 どうです、このデキる彼女っぷり! さすが俺の嫁ですか? とわくわく期待するも、
「じゃあ」
 とカイルは淡々と去っていった。……うん、まあそうだよね。現実はこんなものでしょう……。私も六班の皆と、階段を下りて拝廊から外の通りへと出ていく。
 カイルは人前ではいつもこんな感じだ。
 この大聖堂は国の重要史跡のため、ただでさえ他校含む修学旅行生の出入りが多い。一般の観光客や礼拝者の目もある。恋人だからって、人前でいちゃいちゃしたりしない。知らない人からしたら、私はただの同級生にしか見えないだろう。
(うーん、つれない)
 でも、ふだんは抑制しているからこそ、ふたりきりのときの甘やかな顔が、より贅沢なものになる。
 人前でもっと彼女扱いしてほしいって女の子もいるのかもしれないけど、実のところ私には、彼の禁欲こそが最もセクシーに映る。まるで秘密の共犯者みたい。
 だから、私はカイルの対応に不満はないのに。
「エマ、いま何時だ?」
 とうに扉の中に入っていったと思ったはずのカイルに、後ろから声をかけられた。振り向くと、意味ありげなブルーサファイアの瞳にぶつかった。
 彼は私の後ろ姿を眺めるようにすこし壁にもたれ、ゆったり腕組みをしていた。
 その男っぽい骨張った手首には、腕時計がしてある。彼らしい、機能美を追求したデザインの腕時計。端正で、オーセンティック。時間を示すことにしか興味がないと言わんばかりの禁欲的な佇まいが、はからずも色気となっている。そんな、カイルそのものな腕時計。
 私は、それよりも小ぶりな自分の腕時計に目を落とす。
「…………二時、三十八分です」
「ありがとう」
 カイルはそれだけで去っていった。口の端に一瞬笑みが浮かんだのは、気のせいだろうか?
 残された私は、じわじわと耳を熱くして立ち尽くしてしまう。
(も、もう、カイルって真面目そうな顔して、けっこうふざけるよね……!)
 ああ、だめだ。顔がふにゃふにゃにふやけてきてしまう。
 もう一度、じぶんの腕時計を見る。
 カチコチと、秒針を刻んでいる。嬉しくて、気恥ずかしくて、……ぎゅう!と目をつぶってしまう。
「エマ、今カイルに時間を訊かれていました?」
 イリヤ皇子が見ていて、ふしぎそうにされた。
「彼もつけていたのに。カイルは止まった腕時計をつけているのか? そこに聖堂の時計台だって見えている」
「ええ、さあ……」
 私はもごもごとごまかす。
 カイルがどうしてわざわざ私に時間を訊いたのかはあきらかだ。
 事情を知るお嬢さまやガウェインは、ふふぅーんという顔でこちらをにやにや見ている。カイルのほうも、からかい顔のクロードになにか耳打ちされている。私は照れくさいやら、嬉しいやら。
 もう一度、手首の腕時計を見る。
 何度でも見てしまう。
 カチコチ、微かな音をたてつづけている。
 カイルに会うといつだって落ち着かない、私の心臓の音みたいに。