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悪役令嬢の取り巻きAですが、王太子殿下に迫られています。⑦[修学旅行編]上 3

第三話

 


 私たち六班はその後いくつかの旧蹟を巡り、二日目のスケジュールを順調にこなした。移動の合間に討論し、論文のメモも作成しておく。
 最後に、古代衣装体験ができるお店に入った。衣装のまま古都散策もできる。建国当時の文化風俗を学ぶため、ではあるが要はコスプレである。修学旅行ではわりとありがちなイベントだと思うがいかがだろう。
 が、
「私は結構」
 イリヤ皇子は固辞した。衣装はすでに着終わっている。当時の髪型に結う、というのが嫌らしい。
「かつらもございますよ?」
 と店員さんが勧めても、頑なに黙り込んでいる。理由も言わない。珍しいな、アンフェルムのものはなんでも試してみるかたなのに。
 頭に触られること自体に拒否感があるようだ。
「ヅラなんじゃねえの」
 とガウェインの雑すぎるコメント。いやいや……。
 国が違えば常識も変わる。
 他人が頭に触れるのを禁忌とする文化は珍しくない。皇国がそうだとは聞いたことがないけれど、男性は正式には布で頭を覆う。春休みの歓迎式典ではお国の正装だったので、イリヤ皇子も頭に布を巻いていた。綾布に宝石を縫いつけた、冠に準ずる立派なものである。以降はアンフェルムの洋服を着ているし、頭もふつうに晒しているけれど……。
(宗教的な理由かもしれないし、深く突っ込むのはやめておこう)
 皇国は大陸を二分する大河を隔てたむこう側の国だ。大河を境に、気候も文化も国の成り立ちも大きく変わる。私たちからすれば不合理と思えるきまりごとも、その国のひとにとっては生活にしみ込んだほとんど生理的なものだ。逆に私たちの文化も他国からそう見られているかもしれない。
 互いの国の文化習俗を尊重するのは、外交の大前提。しつこく理由を訊くのも失礼にあたる。そっとしておくことにした。
 イリヤ皇子は、初めて見せる気難しげな面持ちで目を伏せていたけれど、
「えっと……、ごめんなさい、空気を悪くして。……空気? 雰囲気?」
「どっちも言いますよ。正しくは雰囲気だけど、若者同士でくだけた場なら空気と言うことが多いかも」
 場を取り繕うようにイリヤ皇子が顔を上げたので、私は微笑んだ。
「じゃあ、空気で」
 イリヤ皇子も微笑む。皇子さまなら、不機嫌なままでも周りが機嫌をとってくれるだろうに。
 彼個人とはもう友人になれたと思うけれど、皇国や皇族についてまだ理解しきれているとは言えない。友人でも踏み込んではいけないことはある。
 いえ、逆だ。友人という、易々と踏み込めてしまいそうな関係だからこそ、より丁寧に接することができる。丁寧というのは、よそよそしいという意味ではない。その人の解像度が上がったということだ。
(ぞんざいに扱うのと、気さくにつきあうのとは、違うから……)
「気にすんなよイリヤ、ヅラだからってさ!」
 いやまあ、こういうタイプの奴もいるけど! というか、
「呼び捨てにしてるの、他国の皇子を!? いつの間に!」
「あっ、私がそう呼んでほしいと言ったのです。お願いして本当に呼んでくれたのはガウェインだけだ。同年代の友だちという感じで、私は嬉しい」
「なー!」
 なーって。皇子殿下の肩に腕を回してるけどもきみ。いやもう、これはガウェインの人徳だろう。
「あ、エマたちだ」
 そうこうしているうちに、日程を終えた班からどんどんやってきた。だいたいどの班も、最後にお遊びイベントを組み込んでいる。声をかけてきたのは、三年生のノエル先輩だった。
「わ、ちょうど時間合いましたね。ニーナちゃんの班もそろそろ……あっ来た」
 去年、ノエル先輩たちの学年は、直前に修学旅行中止となっていた。この地方で大規模な嵐があり、被害状況を鑑みてのことだった。そのため今年一年遅れで、私たち二年生との合同修学旅行と相成ったのだった。
 ちなみにカイルはそのとき、王太子としてこの地に慰問に来ている。新聞に『被災地ニッコリ、王太子とスイカ割り』とか書かれていた。
 今朝この街に到着したときの、地元の人たちの歓迎ぶりといったら! 大勢の群衆が駅舎に詰めかけ、手に手に国旗を振り、よほどその記憶が鮮烈だったのか、カイルはわんさとスイカを貢がれた。ああ私も見たかった、カイルと子どもたちのスイカ割り……!
 丸々と大きく実ったスイカは、復興の証。今では惨事があったとは想像もつかないほどの、この美しい街並み。街も畑もこんなに活力を取り戻しましたよって、みなさん、王太子に見てもらいたかったのだろう。示し合わせたわけでもないのに、大勢が王太子への貢ぎ物として持ってきたのだ。
 地元の知事さんが恐縮し、
『こらおまえら、王太子殿下はご学問中だ。修学旅行中にこんなに重いものを大量にお渡ししてもお困りになるだろう!』
 と叱っていたけれど、カイルは戸惑いもせず受け取っていた。
『ありがとう』『その後どうか』『大事にせよ』と声をかけつつ、受け取ったスイカを隣のクロードやガウェインに渡してはまた受け取り、受け取っては渡し、最終的にクラス三十名がスイカを抱えてた……へんな絵面! この世界に写真機があれば、ぜひ集合写真を撮りたかった。
(カイル、慕われてるのね)
 私は微笑ましくなってしまう。スイカは知事さんが荷馬車を手配してくれたので、今夜の夕餐で生徒たちに振る舞われるだろう。
 もっとも、そのせいで彼のコスプレ、もとい民族衣装姿が見られないのは残念だった。
「あれクロード、王子は? 一緒じゃないの?」
「また市民のスイカ攻めに遭ってる。先に行ってていいとおっしゃるから置いてきた」
 とのこと。きみもけっこう冷たいな!
 そんでカイルわりとそういうとこある。みんなで遊ぶときわりといつも仲間外れになりがち。可哀想。

 


 私たちはめいめい衣装を選んで、お披露目し合った。
「あ、みんな美人だね。まるで五人の女神さまみたいだ。もし私が初代国王なら、どなたの手をとるか千年経っても決められないだろう」
 例によって、中性的な美貌のノエル先輩がナチュラルに褒めてくれた。例によってクロードやガウェインの男子陣は「おい、人の彼女に」という不服顔であるが、例によって私たち女子陣は大照れでぶんぶんと手を振った。
「いえっ、いえいえいえっ!」「ノエル先輩こそ本日も美人さんで!」「そのお衣装もいちだんと見目麗しく!」
「そう? ありがとう」
 ノエル先輩は優雅に衣装をひろげてみせた。嗚呼、お美しい……! 今日は男神の衣装だけれど、一昨年の学園祭での『宵の女神』姿といったら、去年のお嬢さまと並んでいまだに語り草になっている。おなじ月でも、お嬢さまが冴え冴えとした白銀の三日月なら、ノエル先輩は円満な黄金の月。
 通りかかるほかの生徒も口々に褒めそやしていく。そのついでに、
「ノエル、さっきの話先生に交渉してみてくれよ」「ノエルくん、明日のクラス行動楽しみだね!」「ノエル会長、あいつら絶対なんかやらかすぜ」「ノエルっち聞いてよ彼氏がー!」「ノエル、私はどうしたら生徒に好かれると思う……?」
 多種多様な呼ばれ方をしているノエル先輩である。男女問わずどころか生徒教師問わず人望の厚い生徒会長。
「チッ、いつまで二年とごちゃごちゃやってんだよ」
 とそのとき、苛立った声が発された。
 ノエル先輩の班の男子生徒だ。ちょっと怖い見た目の、熊みたいに威圧的な体格の先輩だ。学年は違うけど私も存在だけは知っている。うちの学園には珍しく不良っぽい感じだ。名家の御曹司だがあまりいい噂を聞かない。街中で暴れ馬を走らせて市民に怪我をさせたとか、学園祭でお酒を持ち込んで酒盛りしてたとか。
「待たせてんじゃねえぞコラ」
(こわーい!)
 いきなりオラついてメンチきってくる。まごうかたなき不良である。ガラが悪すぎる。貴族のドラ息子というやつか。
「ハァ?」
 とうちのグループの二大喧嘩っ早いお嬢さまとガウェインが剣呑な顔を返すのを、ノエル先輩はぽんぽんと肩をたたいてなだめ、
「うん、今行く」
 不快そうな顔も見せず、かろやかに微笑んだ。「じゃあみんな、またあとでね」と同じ班の三年生たちと去っていく。
(珍しいな、ノエル先輩にあんな言い方する人なんて……)
 ノエル生徒会長には、学園の誰もがお世話になっている。人望のかたまりのようなひとだ。
「私、あの人嫌い」
 いつになく固い顔で、ニーナちゃんがつぶやいた。ノエル先輩と対になる女神さまの衣装のスカートを、きゅっと握っている。
「ノエル先輩が優しいからって、勘違いしてる。去年から同じクラスなの。素行が悪いからノエル先輩が教師に頼まれて面倒を見てあげているだけなのに、図に乗って。好きで構ってるとでも思ってるのかな? ほんと身のほど知らず」
 身のほど知らず、って。
 私はその強い言葉に違和感を抱く。ニーナちゃんは言って五秒後にわかるような毒舌を吐くことはあるけれど、そういう物言いはしない子だ。
(よほど、日ごろ肚に据えかねてるのかな……)
 そう考えると、ノエル先輩が心配だ。ああ見えて腕は立つのだけれど、不良先輩と比べるといかにも華奢に見える。腕力では敵わないのは一目瞭然だ。
 学年が違うから今まであんまり意識したことなかったけど、ノエル先輩も自分のクラスでいろいろあるんだな。
 ニーナちゃんは大人びたため息をついた。
「ああやって澄ました顔でなんでも引き受けるから、心配よ。それで全部完璧にできちゃうからまた困りもの。兄さまも相変わらずノエル先輩のこと狙ってるし、もう……。ノエル先輩は私が守らなきゃ!」
 ええとニーナちゃんのお兄さまっていうと、冬に仮面舞踏会でもお会いしたかただね。女装の美少年をわんさと侍らせて、でも『俺は性別にはこだわらない主義だ』の。
 ノエル先輩は日中も道を尋ねたり史跡の謂れを訊くのにかこつけて他校の修学旅行生から声をかけられていたようだ。男女比6:4で。ミステリアスな超絶美形のわりに面倒見の良さが滲み出ているのであろう。モテるってたいへんだな……。
「エマ、すこし相談いいですか」
 と、やはり絶賛モテ期驀進中のイリヤ皇子が辺りを窺いながら話しかけてきた。
「困ったことがあるのです。明日の自由行動に十三人の女生徒から誘われているのですが、私はどなたとデートすれば? みんな可愛くて一人に決められない」
 知らんがな。あと増えてる! さっき八人じゃなかった?
「さきほどあなたがたに複数の女性との交際を非難の目で見られ、気づいたのです。せっかく留学してきたのだ、我が国での一夫多妻の常識はいったん置いて、貴国の風習に馴染む努力をしようと。これを機に一人の女性に絞りたいのです。たしかこういうのを……、一棒一穴主義?」
「一夫一妻!!」
 どこでそんな言葉を皇子さま!! 危うく仮想敵国の皇子殿下をどつきそうになるのを、ギリギリこらえた。ていうかさきに一夫多妻という語を口にしておきながら、なぜそっちが出る。
「私に相談されましても……。男子に相談なさったら?」
「いや、私は男子より女子が好きだ」
 おい。堂々とすごいこと言ったな。
「アンフェルム王国に来て初めてこんなにたくさんの女性を見た。女性はみな美しい。ドキドキする。正直スカートをはいていれば誰でも可愛い。みんな違ってみんな好き」
 ……クズかな? と生ぬるい微笑を向けずにはいられない。ふつうに最低である。
「皇国には女性がいなかったんですか」とイヤミを言うと、
「いるにはいたが、生まれてからずっと幽閉されていたから免疫がない」
 すみません! そうでしたごめんなさい! ならしょうがないよね、女子珍しいよね! ドキドキするよね!
「誰に相談するかと考えたとき、イザベラは立派すぎる。あの気高く美しい人に、女好きの優柔不断な男だとは思われたくない」
 はあ。自覚はあるんですね。
「クララは可憐で物静かで、男が気安く話しかけてはいけない気がする。デイジーは熱心に聞いてくれそうだが、あとでイザベラとかガウェインにぺろっと話されそうな気がする。ニーナはミーアキャットだ。一見ちいさくて可愛いが、その牙と爪は切れ味が鋭い。彼女に毒舌をかまされたら私は一生立ち直れないだろう。エマ、ガウェインはなぜまだ生きていられる? というわけで相談相手はエマ、あなたしかいない」
「消去法ですか……」
 なんとなく見くびられた感じ……。
 しかしイリヤ皇子はなかなかよく人を見ていらっしゃる。私は向こうでたむろっているクロードたちを目で示してみた。
「ちなみに彼らはどうですか?」
「クロードは眼鏡だ。ガウェインはデカい。ノエルは美人だ」
 雑ぅ!! さっきと比べて解像度低すぎ! クロードに至っては眼鏡である。本体じゃなく付属物だ。可哀想。でも全員だいたい合ってる! ノエル先輩が美人なのは同意である。
「エマは私がなにを言っても受容してくれそうな気がする。ぬるま湯に浸かっている私に対して、ふわっと真綿のように、けっして否定はせず、オブラートに包んで、きっと良い忠告をくれるだろう」
 それはいつまでもぬるま湯に浸かっていたい宣言ではないかと思うがいいのでしょうか……。皇国の未来はいずこへ。
(ああでも、もし仮にこのひとが皇帝になったら、絶対戦争とか起こさなそうだなあ……)
「あのですね、ひとりに決められないなら、今は誰ともデートも交際もしないでいいと思いますよ。お相手にも失礼でしょう。お独りを通しては?」
 と私は至極まっとうな忠告をした。イリヤ皇子は、
「相談する人選を誤った……」
 と不服そうである。なのでもうひと言。
「初めてのデートや初めて手を繋ぐドキドキは、ほんとうに好きになった人のために大事にとっておくんだ、とお考えになってはいかがでしょう。せっかくの初めての体験を、いちばん純粋な形で、新鮮なままに味わえるように、大切になさったらよろしいですよ。一夫多妻の皇国の風習や皇子のお立場はさておき、私ならそうします」
「なるほど、初めての感動を無駄にすり減らすなということですね。――でも、もし一生そんなひとが現れなかったら?」
「ええ、当然そういうこともありましょう」そのときは社畜処女として一生をまっとうするのもまたロマンチックな生き方ではないでしょうか。
「ふむ……。なんとなくわかってきた気がします。エマとカイルもそうだったのですか? エマは、どうやってカイルがそのひとだと判断できたのです? 後学のために」
「わ、私とカイル王子ですか?」
 水を向けられて急激に照れつつ、ご下問にお答えする。
「え、ええと例えば、いつも自然とその人のことばかり目で追っている、とか。休み時間のにぎやかな教室で、なぜかそのひとの声だけがよく聴こえる、とか。あと……」
 一年前カイルが言ってくれたことをふと思い出して、知らず頬が柔らかくなる。
「雨上がりの五月の朝に正門でそのひとを見かけたら、いつのまにか駆け寄っていた。――とか、そんな感じでしょうか」
 それは、初めてカイルが、私を好きだと自覚した日。そう言っていた。そのまえからなぜか妙に気にかかっていた、とも。
(はあ、照れる……)
 熱くなった頬を両手でぱたぱたと煽いでいると、
「なら、思い当たります」
「え?」
 イリヤ皇子は思わぬことを言った。
「自然とそのひとのことばかり目で追って、耳をそばだてて、自然と寄っていってしまう。います。そういう人なら、ひとり」
「あ、あ、そうなのですか? じゃあそのひとと……、いや待ってください、逆にものすごく不快な人や目障りな邪魔者にも同様のことは起こりますので、そのへんの勘違いは……」
 とムダな恋のから騒ぎ展開をあらかじめ潰すつもりで言うと、
「さすがに取り違えませんよ」
 とイリヤ皇子は苦笑した。まあそうか。
「なにかと口実をつけては、その人にばかり話しかけてしまう。ただそばにいるだけで、心が浮き立つ。でもそのせいで、言わなくてもいいことまで言ってしまう。彼女に呆れられたのではないか、愚かな男だと失望されたのではないかとあとからくよくよする。――合ってる?」
「え、合ってます! わあ、恋じゃないですか皇子」
「ふだん己の容姿などこの白い肌と髪を忌まわしく思うことしかないのに、彼女のまえに出ると急に、彼女の好みはどんなタイプの男か、彼女の好みに合わせて髪を短くしたほうがいいのか、などと男にあるまじきことを考えてしまう。これも恋のせい?」
「わあ恋ですよ皇子! ズバリそれが恋ですよ!」
「彼女とてたぶん、けっして完璧なひとじゃない。だけど私の目には世界一可愛らしい女神に映る。彼女がいるだけで、世界は完璧に美しい」
「わかるぅぅぅぅぅ! 恋だよぉぉぉ皇子!」
「だが反面、彼女がほかの男と話しているだけでその世界が曇る。私にそんな権利などないとわかっているのに、私だけを見てほしいと願う。国や世界を敵にまわしても奪いたいという思いに駆られる。彼女はべつの男を愛しているとわかっているのに」
「わか――! え、奪う……? べつの男?」あ、あれ、彼氏持ち? 彼女の好みに合わせて髪を短く、って……。
「――エマ、これが恋なのだな?」
 じっ、とイリヤ皇子が視線をあててくる。いつの間にか手を握られている。紅く美しい瞳が心なしか潤んでいる。
 え、ええと……? 私は目を泳がせた。
「さ、さあ、邪魔者では……?」
 

 

 

 

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