悪女(と誤解される私)が腹黒王太子様の愛され妃になりそうです!? ~新婚編~ 1
アルディバラ王国の歴史に残る、世にもきらびやかな挙式の夜、若く幸せな新婚夫婦にとっての『日常』が始まった。
窓の外には月がかかり、星がすべてを祝福するようにきらきらと煌めいている。
エルヴァンは寝間着姿で長椅子に腰掛け、膝の上に最愛の妃を座らせていた。
「知っているか、アンジェリカ? 新婚夫婦の一番の健康法は、朝も晩もなく触れ合い続けることらしいぞ」
囁きかければ、同じく寝間着姿のアンジェリカが驚きの声を上げる。
「それは初耳でございます!」
無論エルヴァンも初耳だ。
この話はアンジェリカとイチャつき続けたいエルヴァンの、単なる思いつきなのだから。
「そうか、ならば覚えておけ。お前を抱きしめれば抱きしめるほど、俺は健康になれるんだ。無論お前も元気になる」
「どのような理屈で健康になるのでございましょうね?」
真面目なアンジェリカの問いに、エルヴァンは思わず微笑んだ。
「そうだな、この話は、愛は世界を救うという話に繋がる」
横抱きにしていたアンジェリカが、エルヴァンの顔を見つめて目を瞠る。
「世界を……!」
──お前は賢いのに、なぜ毎回俺の与太話を真に受けるんだ?
ちょっと新妻が可愛すぎるかもしれない。そう思いながらエルヴァンは話を続けた。
「愛はすべてを救うんだ。だから働き過ぎで疲労困憊しているどこぞの王太子や、そいつを支え続けてくれる可愛い妃のことも救ってくれるというわけさ」
「なるほど! そのような理屈なのでございますね」
アンジェリカが素直に目を輝かせる。
こんなに素直で大丈夫か? と問いただしたくなるほどの素直さだ。可愛い。この可愛さだけは誰にも譲らずに一生独占させてもらおう。
「では私、失礼して、エルヴァン様の頭を撫でさせていただいても……?」
突然髪を撫でたいとは可愛い。
どうしたことだろうと思いつつ、エルヴァンは快諾する。
「ああ、もちろん。俺の髪に触れていいのはお前だけだ」
「時々頭痛がすると仰っておいででしょう? ですからこうしてエルヴァン様の健康を祈らせていただきたくて」
アンジェリカの白い指が遠慮がちにエルヴァンの髪を撫でる。優しい手つきの心地よさに、エルヴァンは目を細めた。
幸せとはこの感触であり、愛おしいとは今この胸を満たす感情のことだ。エルヴァンの心に、そんな思いがこみ上げてくる。
「アンジェリカ」
「は、はいっ!」
「頭を撫でてくれるのも効果てきめんだが、口づけしてくれたらもっといい」
「あ……」
アンジェリカが見る間に頬を赤らめる。
「あ、あの、ずっとお膝に私を乗せていて、重くはございませんか?」
アンジェリカが、唐突に話題を変えた。口づけを強請られて恥ずかしくなったらしい。
考えていることが分かりやすくて、本当に彼女が愛おしい。
「なんだ? 今さら口づけくらいで照れるのか?」
「あっ、あの、えと……は、恥ずかしいのは、間違いないかと……」
「唇だって、一応頭にあるだろう?」
「え……ええと……」
そう言うと、アンジェリカは耳まで真っ赤になって俯いてしまった。
──ああ、駄目だ。こんなに可愛かったら俺の頭が溶けてしまう。
「か、かしこまりました……っ!」
アンジェリカは意を決したように言うと、美しい顔を傾けてエルヴァンの唇に、己の薔薇色のそれを押しつけてきた。
──あ、駄目だ、これはもう、勃つ。
エルヴァンは膝の上に無造作に置かれた、アンジェリカのほっそりとした手首をがしりと握った。アンジェリカの華奢な身体がびくんと震える。
「ん……ッ……」
エルヴァンはアンジェリカの手首をとらえたまま、小さな唇に己の舌を割り込ませた。しばらく舌先を絡め合ったあと、唇を離して赤くなった耳朶に囁きかける。
「分かるか? これに触ってくれ」
「っ……は……はい……っ」
アンジェリカは真っ赤な顔のまま、そろそろと腰のそれに手を伸ばしてきた。薄い寝間着越しに陽根を掴まれ、エルヴァンの身体の芯に甘い刺激が駆け抜ける。
うまい。
手淫がうまい。
教えた覚えがないのにうますぎる。
やはり彼女の優しく美しい手は魔法の手なのだ。
──いかん、頭が溶けていてろくなことが考えられない。
「エ、エルヴァン様、これでエルヴァン様のご健康が守られますでしょうか?」
「それどころではなくなった」
とんちんかんで可愛いアンジェリカの問いにそう答え、エルヴァンは膝の上のアンジェリカをひょいと抱き上げた。
動転したらしいアンジェリカが、上ずった声で問いかけてくる。
「あ、あ、あの、今のは触り方がよくなかった、とか……っ!?」
身体が熱い。アンジェリカの白く美しい身体を隅々まで食い尽くさずにはいられない。
「いや、最高だった」
言いながらエルヴァンは、愛しい妻の身体をそっとベッドに下ろす。
「な……なら……ようございました……」
アンジェリカの白絹のごとき肌は、もう首筋まで真っ赤だった。
エルヴァンは彼女に覆い被さると、りんごのような頬に口づける。そして薄い寝間着の上から形良く盛り上がった乳房を吸った。
「んぁ……ッ……!」
アンジェリカが甘い声を漏らす。乳嘴はたちまちつんと尖り、エルヴァンの舌先で存在を主張し始める。
「あ……ッ、エルヴァン様……っ……いや、そこ……っ……」
──そんな声、他の男に聞かせたら許さないからな。
アンジェリカのなまめかしい声に、ことのほか欲情を煽られる。
寝間着を脱ぐ時間も惜しい。
エルヴァンは身体を起こし、寝間着の下腹部をくつろげると、昂る己自身を引きずり出した。
「脚を開け」
「は……はい……」
アンジェリカは従順にそう答え、横たわったままの姿勢でそろそろと膝を立てた。絹の寝間着が白い足を滑り落ち、輝くような太腿を露わにさせる。
「……相変わらずどこもかしこも美しいな、お前は」
エルヴァンはアンジェリカの膝に手を掛け、ぐっと大きく脚を開かせた。
腰の両脇部分を紐で縛られた下着を脱がせ、寝間着をさらにまくり上げる。痩せた下腹部と慎ましやかな銀の和毛が見えた。
「あ……」
アンジェリカが恥じらうように、手の甲を口に押しつける。
膝の裏に手を掛け、小さく口を開けた秘裂に肉杭の先端を押しつける。アンジェリカのそこはすでにたっぷり濡れていた。
「お前の身体はいい匂いがするな」
「じ、侍女たちがお風呂に入浴剤を……ん……は……」
エルヴァンは押しつけた切っ先を、裂け目に沿って擦り付けた。肉杭が滑るたびに、アンジェリカの裂け目がひくひくと蠢き反応する。
「俺は入浴剤の話はしていない」
エルヴァンは身体を倒し、アンジェリカを組み敷いた。
「可愛いことばかり喋るなというのに一向に守らないな。お仕置きだ」
「わ、私は、可愛いことなど何も、っあ!」
大きく脚を開いたアンジェリカの姿は、大輪の花のようだった。これからこの美しい花を貪れるのだと思うと奮い立つ。
くちゅくちゅと音を立てて秘部を弄ぶうち、エルヴァン自身の息も熱く乱れてきた。
「んっ……ふ……っ……あ、いや……」
アンジェリカの声から抑制が失われていく。
エルヴァンはアンジェリカの華奢な手に手を伸ばし、指同士を絡め合うようにぎゅっと握った。
「は……あ……んっ……」
アンジェリカがその手を握り返してくる。たまらない愛おしさを覚え、エルヴァンはゆっくりと身体を進めた。
「挿入るぞ」
「あっ、あぁぁっ!」
じゅぶじゅぶと音を立てて杭を突き入れると、アンジェリカが身をくねらせて抗った。なぜ抵抗ひとつ取ってもこんなにも可愛いのだろう。
「痛かったか?」
「い、いえ、あの、少し……大きく感じて……っ……」
アンジェリカの中は熱く湿り気を帯びていて、エルヴァンのすべてを溶かそうとする。気を抜けば果ててしまいそうだと思いながら、エルヴァンはそっとアンジェリカの頭をかき抱いた。
「エルヴァン様……っ」
「『あなた』と呼んでみろ」
自分で言っておいて猛烈に興奮してきた。
こんな妖艶な美姫に『あなた』なんて呼ばれたら男冥利に尽きる。
そう思っていると、アンジェリカが恥じらうように強く手を握り返してきた。
「そ……そんなこと……できな……っ……」
相変わらず、食べてしまいたいくらい可愛い忠誠心だ。
「呼べ」
ゆるゆると杭を前後させながら再び言うと、アンジェリカが腕の中で愛らしい声を震わせた。
「だ……だって……エルヴァン様が、動いてる、のに……っ……」
そう言いながらアンジェリカがもどかしげに腰を揺らす。
どんな些細な反応もエルヴァンの欲情を激しく燃え立たせるのだ。暴発しないよう心せねば、そう思いながらエルヴァンは身体を浮かせ、アンジェリカの唇に口づけた。
繋ぎ合っていた手がほどけ、アンジェリカのほっそりした手が背中に回る。
「あ……っ……きもちいい、エルヴァン様……っ……」
「『あなた』だ」
「んっ……やぁ……っ……呼べな……」
「呼ばなかったら抜くぞ」
アンジェリカが背中に軽く爪を立てる。
「いじ……わる……っ」
「よく知っているな、俺は意地悪だ」
アンジェリカが可愛くて可愛くてどうにかなりそうだ。ちなみに分身の方もどうにかなりそうである。
妻愛しさで暴発しそうな心身を必死で冷ましながら、エルヴァンは先ほどよりも勢いよく腰を叩きつける。息が乱れ、喉のあたりを汗が伝い落ちていくのが分かった。
「呼んでくれ、さあ」
「あ、だめ、あっ……はぁ……っ」
「アンジェリカ、さあ」
「ん……いや……いっちゃう……っ……」
艶やかな唇から漏れるアンジェリカの声が、なまめかしいことこの上なかった。エルヴァンはその唇を奪いたいのを我慢して、アンジェリカに促した。
「さあ、呼べ」
「あ……あな……た……」
──可愛い……っ……!
エルヴァンの理性が崩壊する。アンジェリカの美しい脚をより大きく開かせ、腰をぐりぐりと擦り付けた。奥を抉る動きに耐えかねたように、アンジェリカがしなやかな身体を仰け反らせる。
「あぁぁぁぁっ!」
「これからは俺を『あなた』と呼べよ?」
「ひ……人前では……んぁ……あぁぁっ!」
アンジェリカの脚が腰に絡みついてくる。身体のすべてを搾り取られそうだと思いながら、エルヴァンは彼女の美しい唇に口づけた。唇を交わし合ったまま、エルヴァンはアンジェリカの奥を繰り返し深く穿つ。
「エルヴァン様……あ、あな……た、あ!」
「そうだ、夫婦になるのだから特別な形で呼び合おう」
「ん、う……いいっ……い、いっ……!」
アンジェリカの隘路がエルヴァンのそれをぐいぐいと締め上げる。もう駄目だ、と思ったとき、アンジェリカの舌先がぺろりとエルヴァンの唇を舐めた。
──無理だ、可愛すぎる……。
エルヴァンはアンジェリカを貪る動きを止め、持て余していた熱情をどっとアンジェリカの中に吐き尽くす。
「……あ、はぁ……っ……エルヴァン様……好き……好きです……」
「そんなことを言われたら、二回戦にもつれ込みたくなるな」
吐精を終えたエルヴァンは、激しく乱れた息を整えながら、アンジェリカの宝物のような髪をそっと梳く。
「綺麗だな……」
「それは、エルヴァン様のことですわ」
アンジェリカがとろりとした目でエルヴァンの頬を撫でる。その仕草までもが愛おしくて、エルヴァンはその手をとらえて掌に口づけた。
「俺は別に綺麗ではないし、そう言われてもなんとも思わないが?」
男の為政者に『綺麗』などという属性が必要なのだろうか。
「私は子どものころから、なんと綺麗な王子様だろうと思っていました」
「そうか、お前がそう言ってくれるのなら耳を傾けよう」
前言撤回だ。アンジェリカが好いてくれるならば自分の容姿を愛そう。今日からさっそく化粧水とやらを塗る。
「はい……エルヴァン様……エルヴァン様のお目はエメラルドのようで、本当に美しくて、大好きです……」
「分かった。今度お前にエメラルドの指輪を贈る」
「話が噛み合っておりません」
「噛み合っているぞ、対になるルビーの指輪も贈ろう、お前の美しい手にぴったりだ」
今度は手の甲にキスをして、エルヴァンはアンジェリカの華奢な身体を抱きしめた。
結婚して良かった。幸せすぎる。
この愛しい妻と生涯を共に出来るのなら、アルディバラという国を背負って歩む重い人生にも、明るい光が差すというものだ。
「……高価な指輪はいらないのです、あ、あなた……あなたが元気でいてくださいませ」
「アンジェリカ……」
腕の中の妻が愛しくて可愛くてなんだかもう訳が分からなくなってきた。
「俺はお前を極上の宝石で飾り立てたいし、もちろん元気でもいてほしい」
「いりません……っ!」
「まったく、贅沢を嫌うのは相変わらずだな。まあいい。お前は装飾品の力など借りなくても十二分に美しいからな」
腕の中の温もりが愛おしくてたまらない。
エルヴァンは薄手の毛布を引き寄せ、アンジェリカと自分の身体に掛ける。
「寝よう。明日の朝、身体を洗ってやる」
「恥ずかしいです。自分で洗えます……」
小声で逆らうアンジェリカの額に口づけ、エルヴァンは笑顔で言った。
「嫌だ。お前の身体くらい俺に洗わせろ」
アンジェリカは恥じらうように身体を反転させ、エルヴァンに寄り添ってきた。エルヴァンは笑いながらアンジェリカに囁く。
「これも継承者の試練だと思え」
「継承者の試練……でございますか……?」
不思議そうに首をかしげるアンジェリカに頷きかけ、エルヴァンは答えた。
「そうだ。アルディバラの玉座を継ぐ夫婦には、結婚してしばらくすると、必ず何らかの試練が降りかかるそうだ」
「初めて聞きました。そんなことがあるのですね」
「ああ、あくまで言い伝えだがな。俺の祖父は挙式後すぐに、他国の姫との重婚を強制され、断るのにそれは苦労したと聞く。父上の場合は突然声が出なくなり、母上に愛を囁けないまま、ふた月もの時間を過ごしたらしいぞ。まあ、その試練とやらも、夫婦の絆が固ければ、乗り越えられるものらしいがな」
そう説明すると、アンジェリカは不安げに眉をひそめた。
「エルヴァン様の御身に何かあったら困ります。どのような試練であれ、私の身に起きてくれれば良いのですけれど」
アンジェリカの性格上、本気で言っていることが伝わってくる。
エルヴァンは片肘を突いて身を起こすと、アンジェリカの小さな唇に自分のそれを押しつけた。
「馬鹿を言うな。お前は俺の側で常に安全で幸福でいろ。そうでなければ許さないからな?」
きっぱりそう告げると、アンジェリカがぽっと頬を染める。
「私とて、同じ気持ちでございます」
「それならば、夫婦の試練なんて軽々と乗り越えられるだろう。まあ、ただの言い伝えだから、気にしすぎるな。寝る前に変な話をして悪かった」
エルヴァンはそう言うと、アンジェリカの唇にもう一度口づける。
こんなに幸せでいいのだろうか。幸せすぎて怖くなる。そう思いながら、エルヴァンはアンジェリカの髪を優しく撫でた。
「眠ろう、お休み」
春の終わりのアルディバラ王宮は、収拾の付かない騒ぎになっていた。
「……まったく」
エルヴァンは軽いため息とともに会議場を見回す。傍らの秘書官がかがみ込んで、エルヴァンに耳打ちしてきた。
「どの親も、我が娘は可愛いということですな」
「まあ気持ちは分かるが、これではいつまで経っても『女神』が決まらない」
エルヴァンの目の前にいるのは、領主貴族の主力の面々だった。
今日は貴族たちを集めての議会が開かれている。
主たる議題は討論し終わり、本日の影の主題である『女神祭の女神役決め』に話題が移ったところだ。
「うちの娘は慈善活動でも社交活動でも、他の令嬢方を上回る成果を上げております」
「いやいや、うちの娘こそ領地一の美少女と評判でして」
「なにを仰いますか、うちの次女は領民はおろか、家畜たちにまで優しい天使のような娘なのですぞ」
──参ったな、親馬鹿品評会が始まってしまったぞ。
誰の気持ちも分かるが、女神役には様々な制約がある。
まず、女神用のドレスは代々伝わる衣装を着用するので、ある程度身長がある令嬢でなければ着こなせない。
それに『女神の祝福』と呼ばれる大々的なパレードが最終日に行われるため、ある程度肝の据わった娘でなければ女神役を務めるのは厳しいだろう。
条件の多い女神役だが、年々志望者が増加しているのには訳がある。
『女神役に選ばれた娘こそが、アルディバラ一の淑女だ』
そんな噂が一人歩きを始めたせいだ。
十年ほど前まで、女神役には『背が高く痩せ型でそこそこ美人、祭りのために多額の寄付ができ、パレードで群衆に囲まれても落ち着いていられる若い女性』が選ばれていた。
選ばれるのは舞台女優や、寄付金を多く出せる富裕層の令嬢がほとんどだったのだ。
だが、この役目に妙な箔付けがされてしまったのである。
──去年は、父上がぎっくり腰を起こされたほど揉めたからな。今年は俺にお鉢が回ってきたか……。
そう思いながらエルヴァンは口を開く。
「皆、女神役は名誉職ではない。祭りの準備期間は長時間拘束されるし、品位を保つためにこちらから行動を制限させてもらう場合もある。立候補の場合は、よく考えてご令嬢を自薦してほしい」
暗に『けっこう面倒な役目だぞ』と匂わせたところで、一度女神役に付けられた『箔』は取れないものらしい。
「うちの娘を結婚前に最高の栄誉で飾ってやりたいのです!」
「いやいやいやいや、うちのは本当に気が利きますし、祭りの準備でもお役に立てることでございましょう!」
どんなに水を撒いても火が消えない。
エルヴァンがため息をついたとき、ふと、傍らでボソリと声が聞こえた。
「うちの娘も美しいのですが」
そう呟いたのは、王太子妃の父にしてこの国の将軍、リッカルト・ブロンナー。別名『実はかなりの親馬鹿かもしれない』男だ。
妻そっくりの美しい銀髪を後ろでひとつに束ねた義父は、氷のような無表情でエルヴァンを振り返った。
「冗談です」
「なぜ冗談を言った」
「エルヴァン様がいい加減お疲れのご様子でしたので。娘婿に早死にされては困りますゆえに……」
「それも冗談か?」
「もちろんでございます。にしても、くだらぬ話ほど盛り上がるという点では、宴席も会議も変わりませんな」
──笑った方が……いいのかな?
エルヴァンは反応に困り、一応愛想笑いを返した。リッカルトは『冗談』を言って満足したらしく、再び正面を向いてしまう。
「しかし珍しいな、お前が会議に顔を出すだけでなく、冗談まで言うとは」
「娘が嫁いで、私も気持ちが変わりました。仕事と子育てしかなかった人生を卒業して、自分を変革せねばならないと」
エルヴァンは耳を疑う。
「お前が……自分を変革……? 石頭の手本のようなお前が!?」
「さようでございますが、なにか?」
なにかと問われては、聞きたいことが大量に湧き出てくる。
「いや、それも珍しいなと思ってな」
「家に帰れば必ず飛び出してきた娘がいないのです、寂しくもなりましょう。これが娘を嫁がせるということなのですな」
そう言われると、途方もなく申し訳ないことをした気分になってしまう。
「すまん」
「いえ、誰もが抱く感傷でございます。エルヴァン様もいつかは姫君を嫁がせ、私めと同じお気持ちになられるでしょう」
「俺が……娘を嫁がせる……?」
真顔でリッカルトにそう言われ、エルヴァンは思わず想像してしまった。
アンジェリカにそっくりな可愛すぎる娘が産まれる喜び。
その娘に『お父様なんて大嫌い』などと言われて寝込む反抗期。
そして『愛する人に嫁げて幸せです』と輝く笑顔を向けられる花盛りのころ……。
──いやいやいやいやいやいや! 止めてくれ、無理だそんなのは!
もしも愛娘が嫁に行ったら寝込むどころの話ではないだろう。リッカルトは超人だ。超人すぎる。なぜ普通に飯を食って仕事をしていられるのか。
──無理だが? 普通に無理なのだが!?
想像して青ざめたエルヴァンが口をつぐんだとき、扉が開いて侍女を従えたアンジェリカが入ってきた。
──相変わらず美しい……!
エルヴァンはアンジェリカの姿に目を奪われる。一瞬、彼女に敵意ある目を向けた一部の貴族たちも、光り輝くばかりのその姿に圧倒されたかのように黙り込んだ。
リッカルトが一礼するアンジェリカを見て低い声で呟く。
「真面目に働いているようでなによりです」
──あれほどの美女を目にしてそれしか言わんのはお前くらいだ。さすがは実父。
妙な感心をしたとき、アンジェリカがしずしずと歩み寄ってきた。
「慈善団体との会議が終わりました。女神祭の女神決めのほうはいかがでしょうか?」
「紛糾している。ところでアンジェリカ、式の翌日からさっそく執務ですまないな」
「いいえ、私がお役に立てるのでしたら……あ」
アンジェリカが何かに気付いたように、会議場に目を向けた。
エルヴァンもアンジェリカと同じものに目を留めた。
とぼとぼと出ていく一人の貴族だ。
──元気がない領主貴族もいるのだな。たいがいは『我が世の春』とばかりに肩肘張っているものだが。
この会議はかなり重要なものだ。中座する場合は事前に報告されるのが常である。しかしエルヴァンはたいして気に留めずに言った。
「次の用事でもあるのだろう。放っておけ」
「いえ、数分だけ外させていただきます。失礼します」
アンジェリカは軽やかに身を翻し、会議場を出て行った。
「あいつはなにが気になったのだろう?」
エルヴァンの問いに、リッカルトが淡々と答える。
「娘は昔から、元気のない人間を気に掛けるたちでございますので」
「……そうだったな」
相づちを打つエルヴァンの耳に、貴族たちの激しい自己主張が飛び込んでくる。
「我が一族の娘が一番女神役に相応しいと思うのですがね!」
──女神役を誰に指名しても恨みを買いそうだ。
頭痛を覚え、エルヴァンは軽くこめかみを押す。
父の去年の悲劇は他人事ではない。
自分まで寝込む羽目にならないようにしなければ。