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けものの花嫁 狼王子は番の乙女を愛し尽くしたい 上 1

第一話

 

 その結婚が決まったと聞かされた時、母は泣き崩れた。
「嘘よ! 嘘です! 陛下。お願いです! 嘘だとおっしゃって!!」
 父は、血がにじむほどに唇を噛み締め、うつむいている。
「嘘であればよいと、余とて、どれほど思ったことか」
 その姿を見れば、もうどうにもならないことは母にもわかったはずだ。だとしても、認められない、認めたくないという思いを捨て切れないでいたのだろう。母はなおも父にすがりついた。
「なぜ!? どうして!? マリオンにはアルベール殿下という許婚がいるのですよ? オルノーブルへの輿入れも目前だというのに、今からでもなんとか断ることはできないのですか?」
 母の必死の言葉に、しかし、父は力なく首を横に振る。
「オルノーブルの国王陛下には、既に、アルベール殿下との婚約を辞退申し上げる旨の書状を持たせて使者を送った」
「そんな……!」
「かの国のことを妃も知らぬわけではあるまい。断ればどうなることか……。かの国の前では我が軍など赤子も同然。戦いを挑んでみたところで一日とて持つまいよ」
 その国タロンは古より戦いに秀でることで知られている。
 兵士たちは、みな、極めて残忍で、圧倒的な暴力により、理屈も道理も、ねじ伏せ、蹂躙し、敵とみなした者を根絶やしにしていくという。
 戦場において一切の容赦もためらいも情けもなく敵を屠るその姿は、もはや人にあらず、おぞましい野獣そのものとまで言われるほどだ。
 いったい、いくつの国が彼らによってむごたらしく歴史から葬り去られたことだろう。
 今や彼らと争うことは死と同義だった。
 どの国も、彼らを恐れ、それ以上に嫌悪した。
 オルノーブルのような洗練された文化はもちろん、まともな文明さえも望めない未開の野蛮な地。
 言葉だって通じない。話はもっと通じない。
 知性も品性もない、獣たちの国。
 マリオンを花嫁にと望んでいるのは、そんな国なのだ。
「だからと言って、なぜ、マリオンが犠牲にならねばならないのです? わたくしたちのかわいい娘が獣どもの生贄になるのを黙って見ていろと陛下はおっしゃるの?」
 母の瞳から新たな涙が溢れ出す。
 取り乱す母の肩をそっと抱き寄せる父の手は震えていた。
「妃よ……。力のない余を許してくれ……」
「ああ。なぜ? なぜ、わたくしたちのかわいい娘がそのようなむごい目に遭わねばならないのです?」
 母の慟哭が王宮に響き渡る。
「かわいそうなマリオン! かわいそうなわたくしの娘! あのような獣の国に嫁がなくてはならないなんて!!」
 マリオンは、ただ立ち尽くして、それを聞いていた。
 それしかできなかった。


  ◇◇◇


 からからと車輪が回る。
 東へ、東へと、自身の運命が運ばれていくのを、マリオンはただ聞いている。
 タロンからマリオンを迎えに来たのは、たった一台きりの馬車だった。
 随行していたのは、御者が三人。
 護衛の騎士はおろか、従者も侍女もいなかった。祖国であるアルトリから連れていくことも許されなかったので、マリオンは、ただひとり、ほとんど身ひとつで車上の人となったのだ。
 あの時のことを思い返すと、今でも憤りがふつふつとこみ上げてくる。
 一応、王族同士の婚姻なのに、ちゃんとした使者のひとりも寄こさないなんて。
(馬鹿にするにもほどがあるわ)
 だが、マリオンはそんなふうに腹を立てた自分を自分で嘲笑(わら)う。
 彼らは獣だ。未開の地の野蛮人なのだ。
 まともな礼儀作法を望むほうがまちがっている。
 何もかもが最悪な旅立ちだが、ひとつだけ救いがあるとすれば、迎えの馬車が思いのほか立派だったことだろうか。
 内装は豪華だし、揺れも少なく、乗り心地はたいそうよかった。
 おまけに、とても速い。
 三人の御者は、いずれも、とても無口でほとんど声を出さなかった。指示をするのも身振り手振りだ。
 目深にフードをかぶっていて顔立ちはよくわからないが、背格好や立ち居振る舞いからして、三人ともまだ年若いような気がする。
 それでも、馬や馬車の扱いに長けていることは確かで、こうして耳を澄ませていても、馬たちの足並みには少しの乱れもなく、たた、ひたすらに、タロンへの道を走り続けていた。
 この分だと、思っていたのよりもかなり早くタロンに到着することになりそうだ。
(最悪……)
 憂鬱が増した。
 馬車の窓は分厚い布で覆われている。開けてはいけないと指示されているわけではなかったが、今は外の景色を楽しむ気にもなれない。
 マリオンは、びろうど張りの広々とした座席に身体を預け、力なく目を伏せる。
 ほんとうなら、今ごろ、タロンではなくオルノーブルに向かっているはずだった。
 アルベールとの婚礼用の衣装も、花嫁道具も、吟味に吟味を重ねてそろえた。荷造りだって終わっていた。
 準備はすべて整い、あとはオルノーブルに出発するだけだったのに。
(全部、無駄になってしまったわ……)
 でも、それでいい。
 アルベールのことだけを考え、アルベールに嫁ぐ日のことを夢見て選んだ婚礼衣装なのだ。
 ほかの誰かとの婚礼のために袖を通す気には到底なれない。
(アルベールさま……)
 重い気持ちが、さらに重くなる。
 アルベールのことを思えば、どうしようもなく思いは乱れた。
 かなうのなら、この馬車から飛び降りてアルベールのところに行きたい。宝石のように青く美しい瞳にやさしく見つめられ、『もう大丈夫だよ』と抱き締められたい。
(お慕いしています。アルベールさま……。マリオンの心は今もアルベールさまだけのものです……)
 だって、ずっと好きだったのだ。
 こうなってしまった今でも、マリオンの心はアルベールの上にある。
 マリオンとアルベールの婚約が成立したのは、マリオンが七歳の時のことだ。
 歴史の浅い小国でありながら、その地の利を生かし豊かな富を得ている商業国アルトリの王女マリオンと、歴史ある大国で、今も芸術・文化の中心地としてその名を轟かせるオルノーブルの第二王子アルベール・オーギュスタン・バルテルミー・ド・オルノーブルとの婚約は、両国にとって大変意義のあることだった。
 ふたりの結婚によって、アルトリはオルノーブルの権威を、そして、オルノーブルはアルトリからの投資を得ることができる。
 互いの国の足りないところを補い合い、双方に利益をもたらすことは明白で、それは、さながら、アルトリとオルノーブルの国と国との結婚だった。
 だが、そんな大人たちの思惑など、七歳のマリオンにとってはどうでもいいことだった。
 マリオンの心を捕らえたのは、アルベールのその美貌だ。
 美しく澄んだ青い瞳。触れたらさらさらと音を立てそうな金糸さながらの髪。滑らかな皮膚に囲われた頬は抜けるように白く、額から続く鼻筋はまっすぐで、口元に浮かぶ微笑みはどこまでも優雅。
 まるで、物語の中の理想の王子さまがそのまま飛び出してきたようだった。そのくらい、アルベールは完璧な『王子さま』だった。
 マリオンはひと目でアルベールに夢中になった。
 アルベールは、幼い少年とは思えないほど洗練された物腰でマリオンの手を取ると、その指先にくちづけをして言った。
『はじめまして。マリオン王女。あなたのように愛らしい方を許婚に迎えることができて大変光栄です』
 その声の、なんと甘く麗しかったことか。
 以来、マリオンはアルベールのもとに嫁ぐ日を指折り数えて待っていた。
 他国の王子であるアルベールと会えるのは、よくて年に一度。どうかすると、全く顔を合わせることなく終わった年もあった。
 マリオンは淋しさを慰めるべく何通も何通も手紙を書いた。
 アルベールは毎回丁寧な返事をくれた。
 アルベールの書く文字は美しく、その言葉には知性が満ち溢れている。
 アルベールからの手紙が届くたび、マリオンはその手紙を抱き締めて眠ったものだ。
 待ちわびて、待ちわびて、やっと会えた日には、会うたびに、背が高くなり、肩幅も広くなっていくアルベールに胸をときめかせた。
 成長と共にいっそう魅力を増していくアルベールのことを、マリオンは益々好きになっていった。
 アルベールに恋をしていた。
 ほかの何も目に入らないほどに夢中だった。
『わたしは幸せだわ!』
 こんなにすてきな人と結婚できるのだもの。
 だから、立派な花嫁になるために努力した。
 肌がきれいになるという薬草はどんなにまずくても欠かさなかったし、髪につやが出るという櫛も素材から吟味してアルトリで一番と言われる職人に作らせた。
 毎日の沐浴で磨き上げた肌にオルノーブルで今一番流行しているというドレスをまとい、これも最新の形に高く髪を結い上げ、きらめく宝石で飾られた靴を履けば、誰もがマリオンのことを褒めそやした。
 もちろん、ダンスも、音楽も、刺繍も、それから、苦手なお勉強も、眠たい目をこすりながらがんばった。
 社交の場での振る舞いを覚えるため、若い娘たちなら誰でもいやがる退屈極まりないおばさまたちのお茶会にも進んで参加した。
 すべてはアルベールに嫁ぐ日のため。
 この大陸一洗練された大国オルノーブルの宮廷で恥ずかしい思いをしないためだと思えば、たいていのことは我慢できた。
 アルベールとの結婚式の日、オルノーブルのどんな貴族の娘にも負けないほど美しく完璧な花嫁となってアルベールの隣に立つ。
 それだけを夢見ていた。
 なのに……。
 マリオンの夢は奪われた。
 タロンから届いた、たった一通の書状によって。
 タロンは大陸の東方に位置する国だ。
 タロンのさらに東には誰も足を踏み入れることができない高い山脈や砂漠が広がっていて、さらにその向こうにはおぞましい蛮族の住む国があると言われている。
 アルトリやオルノーブルといった西方の諸国とはほぼ国交がなく、使用される言語も違っているため、マリオンは、タロンという国があることは知っていても、それがどんな国なのか気に留めたこともなかったが、ただひとつ、これだけは知っている。
 タロンの王家に輿入れする花嫁は、『王子』ではなく『王子たち』の妃となる。
 要するに、タロンの王子たちは、ひとりだけ花嫁を娶って、その花嫁を兄弟全員で共有するのである。
 その話を耳にした時、マリオンは嫌悪のあまり心底震え上がった。
(なんて野蛮なの……!)
 オルノーブルを始めとする大陸の西側では法律で一夫一妻と決まっている。
 もちろん、アルトリでもそうだ。
 心卑しき者たちによる不貞はあるにはあったが、それは当然秘匿されるべきものであり、表ざたになれば謗りを受ける悪事であった。
 姦通罪は重罪だし、重婚に至っては言わずもがなである。
 それを一妻多夫。しかも王族が堂々と。
 想像するだけでゾッとする。
(さすがは、獣の国ね)
 伝説によれば、タロンを建国した初代の王は狼であったという。
 はるか昔、神話の時代のことのようだから、もちろん、ただの言い伝えなのだろうが、獣が作った国は、今も獣らしく、おぞましく忌まわしい因習を受け継いでいるのだ。
 きっと、獣の国の王子は、野蛮で、だらしなくて、毛むくじゃらで、教養なんて欠片もないに違いない。
(そんな男たちにいいようにされるなんて、タロンに嫁ぐ姫はほんとうにお気の毒としか言いようがないわ)
 マリオンは、タロンの王家に嫁ぐ花嫁に心から同情したけれど、それ以上深く考えることはしなかった。
 だって、そんなの、マリオンには関係のないお話。
 それよりも、自分のことのほうが、ずっと、ずっと、大事だ。
 すぐに、マリオンの頭の中からはおぞましい獣の国のことなど消え去って、代わりにアルベールのことでいっぱいになった。
 自分の許婚が、タロンの王子たちとは裏腹に、世界で最も洗練された国の優雅で麗しい王子であることが誇らしくてたまらなかった。
 なのに、まさか、自分自身がそのかわいそうな花嫁になってしまうなんて……。
 父も母も旅立つマリオンの手を握って涙した。
『よく覚悟をしてくれた。おまえの勇気に感謝する』
『あなたは立派な姫ですよ』
 ほんとうは少しも覚悟なんてしていない。
 国のことも、国民のことも、何もかも放り投げて逃げ出してしまいたかった。
 だからといって、そうするのも怖かった。
 自分が逃げたせいでアルトリがタロンに滅ぼされたらと思うと、身も心もすくみ上がった。
 結局、マリオンにできたのは泣くことだけ。
 泣いても泣いても涙は涸れなかった。
 今だって、必死になってこらえている。胸の奥からこみ上げてくるものが今にも堰を切って溢れ出しそうだ。
 マリオンは心の中でいとしい面影に呼びかける。
(助けて……。アルベールさま……)
 今のマリオンには、ほかに頼れるものは何もない。
 父にタロンへ嫁ぐよう言われてから、あまりにあわただしくゆっくり手紙を書いている暇もなかった。
 なんとかしたためた走り書きのような手紙には、この結婚は不本意であり、今でもアルベールだけを愛していると記した。
 手紙を読んだアルベールはどう思うだろう?
 悲しんでくれるだろうか?
 もしかしたら、事情を知って助けに来てくれるかもしれない。
 自分の大切な婚約者を獣に奪われるなんて許せないと、今ごろ、大軍を率いてこちらに向かっているところかも。
 なんといっても、オルノーブルは大国だ。
 いくらタロンの兵士たちが戦闘力に秀でているといっても、オルノーブルの最新式の大型兵器にはかなうまい。
 アルベールなら、あんな獣の国には負けない。
 きっと、マリオンを守ってくれる―――。
 そう思うと、凍えて硬くなった心が、ほんの少しだけ、ふわり、とやわらいだ気がした。
 わかっている。こんなのただの空想だ。現実には起こりえない。
 それでも、何かしら自分を慰めていなければ、頭がどうにかなってしまいそうだ。
 東へ。東へ。
 馬車は国境をいくつも越えていく。知らぬ間にタロンへ入り、やがて、その歩みを止める。
 馬車から降ろされた時、マリオンは、長旅の疲労と、それ以上に、これから起こることへの緊張とで半ば意識朦朧としていた。
 あたりは宵闇に包まれている。
 紫に染まる空には王宮の影が黒い切り絵のようにくっきりと浮かび上がっている。
 三人の御者は、無言のまま、マリオンを王宮へといざなう。
 ともすればもつれそうになる足をなんとか動かしながら、マリオンは、彼らに案内されて回廊を抜け、いくつもの角を曲がり、階段を降りていった。
 どうやら、王宮の中でもかなり奥深い場所へと向かっているらしい。
 出迎えてくれる者は誰もいなかった。
 通路は薄暗く、御者のひとりが手にしている手燭のほのかな明かりだけが頼りだ。
 次第に恐怖がこみ上げてくる。
 きっと、もうすぐやって来る。
 獣たちがマリオンを地獄へと突き落としに来る―――。
 怖い。怖い。怖い。
 タロンの野蛮な王子たちは、自分をどのように扱うだろう?
 獣のような下品な目つきでじろじろ見られたり、汚らしい手で肌に触れたりされて、悲鳴を上げずにいられるだろうか?
 怒鳴りつけられたら泣いてしまう。
 もしも、暴力を振るわれたら……。
 ゾク、と恐怖が背筋を這い登る。ゾクゾクとあとからあとから震えが立ち上って、歯の根がカタカタと鳴る。
(いやよ……! 帰りたい……!)
 夜の王宮は恐ろしいほどに静まり返っている。
 胸の鼓動どころか、まばたきや、額に落ちる後れ毛の音さえあたりに響きそうな静けさだ。
 この静寂を壊すことが怖かった。
 物音を立てた途端、何かよくないことが起こりそう―――。
 極限まで緊張が高まったその時、ふいに、御者のひとりがマリオンの肩に手をかけた。
「ひぃっ……」
 マリオンは、引きつれたような悲鳴を上げ、その手を思い切り振り払う。
「何をするの!? 下がりなさい!! この無礼者!!」
 全身が、がたがたと震えていた。
 顔から血の気が引いているのが自分でもわかる。唇も指先も氷のように冷たい。
 御者のひとりが苦笑した。
「無礼者? 無礼者とは、また、なんとも……」
 タロンの言葉ではなく、大陸の西側諸国で使用されている共通語だった。訛りなど微塵も感じさせない美しい発音だ。
 別のひとりも笑っている。
「思っていた以上に気丈なお姫さまだね」
 最後のひとりが文句を口にした。
「ふたりとも、何くっちゃべってんだよ! 儀式は『神聖』じゃなかったのか? 僕には絶対に口を開くなって言ったくせにー」
 おそらく、この男が一番年下なのだろう。いささか子供じみた言い草に、先のふたりが、顔を見合わせ、くつくつとひそやかに笑った。
 胸の奥から感情が湧き上がってくる。
 いっぱいに満たされた恐怖を割り開くようにして、一気に噴き上がってきたのは目もくらむような怒り。
(馬鹿にして! 馬鹿にして!)
 彼らが礼儀知らずの野蛮人であることなど最初からわかっていた。何も期待してはいけないと自分を戒めたはずだったのに、それでも、実際、こうして蔑ろにされると気持ちは荒む。
 だが、こんなのは、きっと、まだ序の口。洗礼を受けたとさえ言えない。
 ここは獣の国なのだ。
 この国の民はマリオンを育んできた文明社会とは全く別の時空を生きている。
 マリオンは、意識して深い息を吐き、なんとか怒りをのみ込むと、三人の御者を冷ややかな目で見返し、自分としてできる限りの毅然とした態度で言った。
「わたしはアルトリの王女です。それにふさわしい待遇を要求いたします」
 最初に『無礼者とは』と言って苦笑した男が口を開いた。
「ふさわしい待遇? たとえば?」
 どうやら、この男が一番年かさらしい。言葉からも物腰からも余裕と落ち着きが感じられる。
「……たとえば……」
 マリオンは言葉を探す。こんなふうに聞き返されるとは思っていなかった。
「たとえば、王子さま方はどうしておいでなのです? わたしはタロンの王子さま方の妃となるためにはるかタロンまでまかりこしました。妃となる者が到着したのです。出迎えるのが当然ではありませんか? いくらあなた方でも、そのくらいの礼儀はわきまえておいででしょう?」
 最後は、つい、本音が出てしまった。
 皮肉めいた言葉が彼らの怒りを呼んだらどうしようと、一瞬、ひやりとしたが、返ってきたのは爽快な笑いだった。
「確かに……。確かに、我らが花嫁の言うとおりだ」
 腹の奥まではっきりと響き渡るほど歯切れのよい声だ。そのくせ、夜の闇をベルベットにしたような深みがあり、しっとりと耳になじむ。
(いい声だわ……)
 演説をさせたら、あっという間に大勢の聴衆の耳を虜にしそう。
 男は、笑いを収めると、マリオンに一歩近づき目深にかぶっていたフードを後ろに下ろした。
 現れた顔を見てマリオンは息をのむ。
 美しい。
 波打つ黄金の髪。薄闇の中でさえ鮮やかに輝く瞳も黄金の色だ。秀でた額。そぎ落とされたような頬。まっすぐな鼻筋も、力強い口元も、まるで、彫刻に刻まれた美神のよう。
 その美貌の男はゆっくりと口を開いた。
「我が名はレヴァン。タロンの一の王子だ」
「……え……?」
 この男が王子? ただの御者ではなかったのか。
 では……。
 はっとしてマリオンが視線を巡らせると、『気丈なお姫さま』と笑った男がレヴァンに続きフードを後ろに下ろす。
「俺はノア。二の王子だよ」
 兄よりもいくぶん細身の男の顔が現れる。絹糸のようにまっすぐな銀の髪に、同じく銀の瞳と、色合いは少し違ってはいるが、驚くほどの美貌の持ち主であることは変わりがない。
「そして、この子が、三の王子のザザ」
 ノアがそう言うと、一番年下だと思われる男もフードを後ろに下ろした。
 まず、目を奪われたのは、兄たちとは全く異なる色合いだ。髪も瞳も闇夜に溶けてしまいそうな漆黒で、髪は、兄たちとは違い、すっきりとした短髪だった。
 声は言葉から感じた印象の通りまだ少年らしさを随所に残してはいるが、ふたりの兄よりも精悍な顔立ちは、いずれ、彼が兄たちとは違った類の美丈夫に成長するだろうことを予感させた。
「……あなたたちが……? 王子……?」
「そうだよ」
「なぜ、御者の真似ごとなんか……」
「だって、マリオンに一刻も早く会いたかったんだもん!」
 弾んだ声で答えたのはザザだった。そのあまりの屈託のなさには唖然とするほかはない。