君と最初で最後の恋をする 有能執事は人形姫を一生愛し尽くしたい 3
部屋に入った途端、まず目についたのは招待したイルヴァではなく、その後ろにいた異国の匂いを纏った美丈夫だった。
艶やかな黒髪に、逞しい身体と年上の色気溢れる切れ長の目。
佇まいは洗練されていて、平民だと知ってもなおどこかの国の貴族なのではと疑ってしまった。
イルヴァとキースの大恋愛の話は楽しかったが、レティシアの関心はどうしてもヴァイスのほうに向く。
どうしても彼の話が聞きたくて、はしたないのを承知で同じテーブルにつかせ、無理やり彼の口を開かせた。
(どうせ私の評判がこれ以上下がることはないのだし、ちょっとくらい強引でもいいわよね)
と、胸の裡(うち)でひっそりと言い訳しながら。
そして、彼の話を聞けば聞くほど、レティシアには納得ができない想いが膨れ上がっていった。
(どうしてこんなにも素敵な人が傍にいたのに、イルヴァは彼を愛さなかったのかしら……? 兄妹のようなものだと言っても、結局は他人なんだから、成人した男女なら意識しないはずがないのに……)
しかし、そう考えたあとで自分の考えを否定する。
レティシア自身、いくら見目麗しい男が近くにいたからといって、簡単に恋に落ちるものではなかったからだ。
むしろ、レティシアは初恋すらしたことがない。
母である第二側妃に呼ばれて茶会に来る令嬢たちは、ダリオを素敵だと言う。あんなにかっこいい御仁の妻になれるなんて羨ましい、と。
ときめけるものならとっくにときめいている。
だが彼の醜い正体を知ってしまっているから、恋などできるわけがなかった。
(イルヴァとヴァイスにも、私の知らないそんな面があるのかしら。お互いに恋には落ちないような酷い面が……。でも、もしそうだとしたら、あんなに信頼しきった関係を築けないはずだから、それはないと思うんだけれど)
そしてしばらく「うーん」と唸りながら思考を巡らせ、思いつく。
(これは、ヴァイスの片想いってこともあり得るわよね!?)
イルヴァにはキースがいたからヴァイスとは恋に落ちなかった。
だが、好きな人のいないヴァイスは――?
身分差もあるし、従僕だからと恋心をずっと胸に秘めていて、イルヴァの幸せのために堪えているのだとしたら、なんて実直で一途な男なのだろう。
今日話した限りでは、警戒心はあれど、レティシアを馬鹿にするような態度を表面には決して出していなかった。きっと事前にいろいろ調べて、レティシアは無能で子どもっぽいという噂は掴んでいるだろうに。
ヴァイスに醜い本性があるようにはとても見えなかった。
むしろ、身分のせいで窮屈な思いをしているのだとしたら――……。
(私と同じなのかしらね)
身分は高くとも自由のない自分と同じで、やりたいこともできない、そんな環境にいるのかもしれない。
もし彼が爵位を持った貴族であったのなら、イルヴァを諦めずに済んだかもしれないのに。
そんな彼が好きになるほど、イルヴァも魅力的な女性だった。
茶会の令嬢たちとは違ってレティシアをまるで子ども扱いしなかった。難しい言い回しを使ったあとでも、「わかりますか?」など、わざと作った困った顔で訊かなかった。
ラインフェルトに連なる者たちがグレイストン公爵家とべつの派閥であることは知っている。
しかし、対等に話をしてくれるのは彼女たちだけだという確信がレティシアには芽生えた。
もう恋の話は聞いてしまったけれど、ほかの話だってしたい。
ヴァイスに対する興味も、ますます膨らんでいく。
「また、招待しようかしら」
ぽつりつぶやいたレティシアに、近くにいたサーニャが微笑んだ。
「今日は随分楽しそうでしたからね。レティシア様が笑顔になられることは大変喜ばしいことでございます。時間をつくってラインフェルト伯爵夫人と茶会ができるように調整いたしましょう」
「ありがとう、サーニャ」
鼻唄交じりで礼を言い、レティシアはベッドへと横になる。
もうすぐ結婚してしまうのだ。
政治の駆け引きがどうだとか、そんなものよりも最後くらい好きなことがしたい。気に入った人と仲良くなって、他愛のないお喋りをするくらい、ダリオも許してくれるだろう。彼はレティシアが何かを画策しているとは絶対に思わない。
そして同時に、ラインフェルト伯爵家がレティシアを通じて何かできるとも思っていない。レティシアにはそれだけの価値もないと侮っているからだ。
「無能のふりが役に立ってよかったわ」
ふふっと思わず笑みが零れる。
いてもたってもいられず、レティシアは勢いよく起き上がると、さっそくイルヴァ宛の手紙をしたためはじめた。
あの茶会以来、イルヴァの元にレティシアから頻繁に手紙が届くようになった。そして三通に一通は茶会の招待状で、毎週のように帝城へと呼び出されている。
護衛を任されているヴァイスも同行しているわけだが、レティシアへの評価は日に日に変わってきているというのが本音だ。
「ねえ、ヴァイス。レティシア様って案外博識だと思わない?」
今日も帝城へ向かう馬車に揺られながら、イルヴァが言った。
「……そうだな。俺たちの話に問題なくついて来られてるしな。ただの一度もわからない素振りは見せなかった」
それに、ふいに出る所作は洗練されていて美しく、見入ってしまいそうになるときがたまにある。だが、すぐにきゃぴきゃぴとした若い女性にありがちな仕草に戻るので、偶然かとも思っていた。
しかしイルヴァもそう感じているのなら、レティシアには何かわけがありそうな気がする。
「帝国内の流行についてお詳しいし、それだけじゃなくて外国のことに関してもきちんと把握していらっしゃるようだし……」
ドレスや宝石について詳しいのは年頃の娘だからかと思っていたが、素材の原産国や各国の貿易の内情まで知っていて、知性の片鱗がそこかしこにちりばめられているような感覚になるのだ。
「何か試されている、とか……?」
イルヴァが首を傾げてつぶやいた。
「さあな。だが、ラインフェルトをグレイストン公爵家に取り込もうとしている動きには到底見えないな」
「慎重にべつの人格を演じていらっしゃるような、そんな違和感があるのよね」
「確かに……」
イルヴァの意見は言い得て妙だ。
レティシアにはちぐはぐさがある。
「だからと言ってレティシア様から敵(てき)愾(がい)心(しん)も感じなかった」
茶会を楽しみにしている様子だし、イルヴァに対しては純粋な好意を抱いているように見える。ひと回り年上のイルヴァを姉のように思っている節さえ見受けられた。
あと、同席させているヴァイスには、なぜか憐れみのような目を向けてくるのも疑問だった。
「なんなんだろうな……」
考えれば考えるほど、霧を掴んでいる感覚に陥る。
「もしレティシア様に何かお考えがあるのなら、それを打ち明けてもらえるほどまだ信用されていないということなんじゃないかしら」
イルヴァの言葉に頷きつつも、妙な据わりの悪さを感じ、ヴァイスは窓の外に目を遣った。馬車のガラス窓からは、聳(そび)え立つ帝城が見える。
本来ならヴァイスごときが足を踏み入れられない場所だ。そこで平然と微笑んでいられるなんて、レティシアはどれほど恵まれた生活を送っているのか想像もつかない。皇太子と第二皇子に随分と可愛がられているというし、何も考えなくてもきっと周りがすべてやってくれているのだろう。
蝶よ花よと育てられ、人形姫という大層な賛辞も贈られ、嫁ぎ先はよく知らない国外ではなく国内の公爵家。
礼儀作法もさして勉強せずとも、責任を負う立場ではない。
ただそこに居さえすればいい、そんな存在。
最高の環境が揃っている。
無邪気で可愛らしい無知で無学のお姫様でいられるのも納得だ。
それなのに、どうして自分もイルヴァも彼女に対して引っかかりを覚えているのだろう。
「いらっしゃい、イルヴァ、ヴァイス!」
今日は庭のガゼボでお茶会らしく、レティシアのほうが先に来て待っていた。ヴァイスたちの姿が見えるとひらひらと手を振って出迎えてくれる。
「ご招待ありがとう存じます、レティシア様」
イルヴァがカーテシーを見せ、それに倣ってヴァイスも頭を下げる。
「挨拶はいいから早く座って頂戴。ヴァイスはここね」
ポンポンと自分の隣の席を叩き、レティシアが言う。
ヴァイスがただの護衛だということは彼女の頭の中から抜け落ちているらしい。当然のように毎回同席を求められる。何度か断っていたが、レティシアが決して折れないのを悟ってからは抵抗せずに席に着くようにしている。
「今日はなんの話をしましょうか」
上機嫌に言い、レティシアはティーカップを両手で持ち上げた。可愛らしい仕草だが、マナー的にはアウトだ。
むずっとヴァイスの中の教育心が顔を出したものの、皇族に注意など気安くはできない。
「隣国のガルヘイズ王国のお話はいかがですか?」
イルヴァが言い、紅茶を啜る。
「そういえばあなたたち、数ヶ月ガルヘイズ王国にいたんだったわね」
キースに迷惑はかけられないからと、ロランが彼の子だとばれたあと、三人は逃げるようにガルヘイズ王国の小さな村に移住した。
そこでは夫婦として過ごし、小ぢんまりとした家に同居していた。
(それを詳しく話すとまた変な勘繰りを入れられそうだけどな……)
ヴァイスはそう危惧したが、イルヴァとレティシアが盛り上がったのはガルヘイズ王国の料理についてだった。
レティシアは平民の食事についても興味津々で、屋台の料理を一度でいいから味わってみたいとため息をついた。
「ここではほとんど冷めた料理しか食べられないもの」
「そうなのですか?」
「ええ。毒見係がすべてチェックしてから食べはじめるから、スープなんて温くて美味しさが損なわれてしまっているの」
皇族ともなれば、厳重にしなければならないのはわかるが、普通そこまで冷めるものだろうか?
「なぜ冷めるほどまで時間がかかるのです?」
遅効性の毒の心配なら、そもそもしなくていい。現在帝国内で発見されている毒は、即効でなければ致死性はない。毒見係が食べて数分でレティシアも食べられるはずだ。
ヴァイスはラインフェルト伯爵家の料理の毒見もしていたことがあったが、料理が冷めるほど待たせたりはしなかった。
ヴァイスの質問に、レティシアが一瞬「しまった」という顔をした。ヴァイスが毒の知識を持っていることに気づいたようだった。
やはりレティシアの頭の回転は速い。
馬鹿を装っていても、ところどころ綻びが生まれてしまっている。本物の馬鹿を何人も見てきたヴァイスの目はごまかせない。
そして冷めた料理についての疑問に、あるひとつの答えが導き出されてしまった。
(料理が冷めるほど毒見に時間がかかるのではなく、わざと冷めた料理を食べさせられている……?)
その考えに至り、ヴァイスはレティシアを不躾に凝視した。
「まさか、殿下は……」
しかし、それを遮るようにレティシアがヴァイスの唇に人差し指を当てた。
「気のせいよ」
その指の冷たさに、どきりと心臓が高鳴る。
「……っ」
女の手など慣れているはずなのに、不覚にも身体を跳ねさせてしまった。それが恥ずかしくて、止めようと思っているのにじわじわと顔が赤くなっていく。
ヴァイスの反応に、レティシアまで耳の端を真っ赤に染めた。
白い肌に朱が差すだけのことなのに、色づくそこから目が離せない。
ごほんっと、イルヴァが咳払いをするまで、ヴァイスは互いに見つめ合っていたことにさえ気づいていなかった。
「申し訳ございません。少々離席させていただきます」
いつものように平常心でそう口にしてから、ヴァイスは席を立った。離れたところにいたアイザックに目配せし、もう少しふたりに近づいてもらうことにして、ヴァイスは屋内に戻って手洗いに向かう。
「何をやってるんだ、俺は……」
ひと回りも年下の少女に、うっかり照れてしまうなんて。
確かにレティシアは見たこともないほど美しく、力を籠めれば折れてしまいそうなほどたおやかで、庇護欲はそそられる。
だが、それだけだ。
特別な感情は抱いていないし、そもそもそんな目で見ることさえ憚(はばか)られる存在だった。
まるで自分が意識しているような反応を見せてしまって、警戒されないだろうかと不安になる。
もし毛嫌いされてしまったら、もうイルヴァの護衛としてここに来ることはできなくなるだろう。それだけはなんとしても避けたい。
イルヴァは大切な存在だ。
キースならまだしも、帝城という魔窟に行くのにほかの誰かにイルヴァを任せるのは不安で仕方がなかった。
側妃宮の使用人に案内され、手洗いで顔を洗う。
金細工で縁どられた鏡の中に映る自分を見て、ヴァイスは気合いを入れ直した。
「大丈夫。俺の心は乱れない」
言い聞かせるようにつぶやき、ハンカチで丁寧に水滴を取り払って髪を整えてから、庭に戻ることにする。
しかしその途中、コソコソと人目を忍んで歩くドレス姿の女ふたりに出くわしてしまった。ふたりはヴァイスを見た途端、はっと息を呑み、はにかみながら近づいてきた。
(うわ、最悪だ……)
ふたりともそこそこな見た目をしているが、レティシアやイルヴァに比べたら天と地ほどの差があった。それ以前に、ヴァイスを見てこの表情をしている女には碌(ろく)な目に遭ったことがない。
しかも、この側妃宮を自由にウロウロできる人間など、限られている。第二側妃か、あるいはそれ以上の身分の者だけだろう。
第二側妃にしては若いので、おそらく彼女たちは――。
「あら、側妃宮は随分と派手な男を雇ったのね」
ヴァイスはさっと頭を下げ、許しがあるまで沈黙を貫くことにした。
「異国の者かしら。あの女も物好きね」
馬鹿にしたような物言いに、ヴァイスはぴくりと眉を動かした。
(あの女……? 第二側妃のことか? それとも第三皇女のことか?)
「お父様が寝込んでいるというのに、自分は見目のいい若い男を侍(はべ)らせているだなんて、本当に下品よね。見た目だけが取り柄で中身は本当に下劣なんだから」
「あら、でもこの男、本当に美しいわよ。私のところに欲しいくらい。無能なレティシアなんかにはもったいないわ」
ヴァイスが頭を下げ続けているというのに、ふたりは許可も出さずにベラベラと喋り続けている。これでは庭に戻るのに時間がかかりそうだ。
(それにしても、お父様が寝込んでいるってのはどういうことだ?)
おそらく、目の前にいるのは正妃の子である第一皇女と第二皇女だろう。だからお父様というのは皇帝を指す。
(皇帝陛下が寝込んでいるなんて聞いていないぞ。まあ、そんな弱味は簡単に周知しないか……)
まだ皇位を退(しりぞ)くには若い。第一皇子が立太子を済ませているとはいえ、跡を譲るのはもっと先だと思っていたのだが。
(しかし、そんなやばい情報を見ず知らずの使用人にベラベラと喋るなんて、阿呆な皇女だな)
ヴァイスが諜報員(スパイ)だったのならとんでもないことになる。
皇室が不安定とわかれば、これを好機とよからぬことを企む人間が帝城内に入り込んでくるだろう。
それもわからないほどの頭なのかと、ヴァイスはひっそりとため息をついた。
(第三皇女のほうが随分マシだな)
彼女は無邪気に振る舞っていても、不用意なことはこれまで喋ったりしなかった。
もちろん皇帝が臥せっていることも知っているだろうに、一言だって口にしなかった。
ヴァイスの中で、レティシアに対する評価が、確信をもって形作られていく。
同じ皇女という立場でも、やはりレティシアはこの女たちとは違う。本物の馬鹿はこういうヤツらなのだと、はっきりと理解した。
レティシアは決して噂どおりの馬鹿ではない。そう振る舞わざるを得ない何かがあるのだ、と。
「ねえ、あなた、名前はなんていうの?」
ようやく口を開く許可が下り、ヴァイスはにっこりと微笑みながら顔を上げた。
「ヴァイス・ヒノヤと申します。ラインフェルト伯爵家の執事を務めております。本日は主(あるじ)の付き添いで登城いたしました」
「あら、そうだったの……」
身元を明かすと、彼女たちは目を泳がせた。
「さっきのことは誰にも言わないで頂戴ね」
手に持っていた扇子でヴァイスの胸をパチンと叩き、言う。
「畏まりました。決して他言いたしませんので、ご安心ください」
「絶対よ!」
そう言い残し、そそくさと去っていく。ふたりを見送ったあと、ヴァイスはぽつりと独り言(ご)ちる。
「他言するに決まってるだろ、馬鹿が」
叩かれた胸をパンパンと払い、ヴァイスは再び歩き出す。
皇帝の病気も気になるところだが、それよりもあのふたりのレティシアに対する態度のほうが今は気にかかる。
皇太子と第二皇子はレティシアを可愛がっているのに、彼女たちは違うらしい。それに、わざわざ側妃宮までコソコソ出向いて一体何をしているのだろう。仲が良く頻繁に出入りしているというのならまだわかるが、どう見たってそうではない。
――冷めた料理に、意地の悪い姉たち。
これらが何を意味しているのか、余程の阿呆ではない限りわかる。
ぬくぬくと温室で育ったと思っていたが、レティシアの置かれている状況は想像とは真逆なのかもしれなかった。
(だから、わざと馬鹿のふりをしているのか……?)
あれほどの美貌だ。
それだけで姉たちから疎まれる理由にはなる。
さらに頭まで良ければきっと――。
「もっとよく調べてみるか」
胸の奥で、ふわりと小さな火が灯った気がした。
お節介なのはわかっているし、ヴァイスが調べたところでどうにかなるものではないだろう。
だが、知りたくなった。
そしてせめて、イルヴァや自分の前では、本来の彼女の姿でいられるようにしてやりたい。
たった数回、数時間をともにしただけなのに、そんな衝動に突き動かされる。
庭に戻ったヴァイスを、いつもどおり笑顔で出迎えてくれたレティシアに、ヴァイスは気づかないうちに微笑み返していた。
------
ご愛読ありがとうございました!
この続きは2月27日発売のe-ティアラ『君と最初で最後の恋をする 有能執事は人形姫を一生愛し尽くしたい』でお楽しみください!