圧迫面接を突破し王太子妃に内定しましたが、全力辞退したらノンデリ殿下になりふり構わず追われてます! 1
『仮初め』と銘打ったこの婚約には、守るべきルールがあった。
それは、「彼の恋人に危害を加えてはいけない」というもの。つまるところ、この婚約に愛はなく、自分は単なるお飾りの妃に過ぎないのである。
日当たりが悪く、昼下がりでもほの暗い寝室で、マルティナ・ゲルダ・ツァンパッハはベッドに押し倒された。王宮の一室とは思えない粗末な寝室が、『仮初めの妃』である彼女の待遇を物語っている。
「毒婦め……! ヨゼフィーネになにをした……!?」
メガネの奥で夜空色の瞳を歪め、婚約者であるラインハルト・コストゥス・ミュンハイムは、つかんだ細い手首をシーツの上に縫い付けた。マルティナの祖国・ブレーデンの同盟国として知られるミュンハイムの王太子だ。
数日前、夜会で目にした理性的な姿とはかけ離れた激昂ぶりに、マルティナは思わず息を詰めた。彼から見れば一番の禁忌を犯されたのだから、怒り狂うのも無理はない。しかし、こちらにも言い分はあった。
「天に誓って、なにもしておりません……!」
くびり殺さん勢いの双眸に怯みかけるも、マルティナは毅然とした態度で言い返す。黒い短髪と同じ色をしたメガネフレームの奥には、あの日の星空を切り取ったような双眸がちらついている。
――僕は将来、父の跡を継いでこの国の王になる。そのためには、「優秀な人材」を妃として娶らねばならない。家柄や表面的な肩書きだけでは測れない、人間性を兼ね備えた女性を……!
パーティ会場の喧騒を背に、夜の静寂に包まれたバルコニーで空を見る横顔が脳裏に浮かぶ。
冷徹を絵に描いたような人物だが、国を想う真剣さに心惹かれた。マルティナよりひとつ年上の二十七で、そろそろ世継ぎを考えねばならないのだという。
彼の言う『優秀な人材』に自分は相応しいのか、マルティナには分からない。
とはいえ、妃候補として居城に住まわせられているということは、それなりに認められているはずだ。あの日の夜だって「毒婦」の汚名を知りつつも、彼はマルティナの人柄を評価した。それなのに。
「白々しい嘘はよせ……! ヨゼフィーネ本人だけでなく、侍女たちまで言っていたんだぞ? 君が車椅子ごと彼女を階段から突き落とした、とな……!」
吐き捨てるように切り返すラインハルトに、マルティナはヒュッと喉笛を鳴らした。
事故当時、あそこにはマルティナと彼の内縁の妻・ヨゼフィーネしかいなかった。大方、彼女を慕う使用人らが、口裏を合わせて虚偽の証言をしているのだろう。
ヨゼフィーネは幼少から長きにわたり、ラインハルトの話し相手として寵愛を受けてきた。とはいえ、生まれつき体が弱いため、妃の器とは言い難い。
正妃になれば、世継ぎを産むのはもちろん、王太子妃として公務をこなす必要がある。当人らは愛し合っていても、周囲がそれを許さない状況だ。
結局、ラインハルトはヨゼフィーネとは別に正妃を娶らねばならなかった。彼としては、断腸の決断だったに違いない。
「命に別状はないものの、一歩間違えば死んでいたかもしれないんだぞ!?」
己の非を認めないマルティナに業を煮やしたのか、ラインハルトは鬼気迫る表情で声を荒らげた。
淡雪を彷彿させる儚い見た目も相まって、彼はヨゼフィーネを「虫も殺さぬ可憐な乙女」だと思い込んでいるようだ。しかし、それはあくまで王太子に向けた表向きの態度であり、マルティナが目にしてきたものとは大きく異なる。
――この意地汚い泥棒猫! 私からラインハルト様を奪うつもり!?
――ああ、臭い! 芋臭いブレーデン女のせいで、鼻がもげてしまいそうだわ!
――ラインハルト様は世継ぎが産めれば、誰でもよかったんですって! アンタなんか、替えの利く家畜と一緒よ!
浴びせられる暴言の数々に、まだ数日にもかかわらず心が折れてしまいそうな勢いだ。女性向けの恋愛小説ではよくある展開だが、現実の世界でもこうした不運に見舞われるとは予想だにしなかった。
いきり立つラインハルトのかたわら、マルティナはどうしたものかと口を引き結んだ。
目の前の王太子はおろか、使用人たちもヨゼフィーネの味方をしているのだ。四面楚歌のこの状況では、身の潔白を証明することなど不可能に近い。特に、一部の侍女らは正妃になれないヨゼフィーネを哀れんで悪事の片棒を担いでいるのだから、なおさら。
事実、今回の騒動に限らず、ヨゼフィーネはことあるごとにマルティナに嫌がらせを仕掛けては、濡れ衣を着せてきた。
はじめは王太子妃になれないジレンマに苛まれ、荒んでいるのだろうと受け流していた。
相思相愛にもかかわらず、結婚を許してもらえない――その辛さはきっと、常人には計り知れないものだろう。ぽっと出のマルティナを快く思わないとしても、無理はない。
いずれにせよ、時間が解決してくれるはず。
ある種の楽観とは裏腹に、嫌がらせは日に日にエスカレートしていった。国の未来のため、優秀な女性を娶りたいという彼の心意気に共感しただけだというのに、裏にこんな複雑な人間関係を抱えているだなんて、トラップにもほどがある。
普通の貴族令嬢なら、とっくに三行半を突き付けているところだ。しかし、マルティナが敢えてそれをしないのは、彼女にも相応の事情があるからに他ならない。
「なんとか言ったらどうだ! 婚約破棄歴十三回の毒婦め!」
「それを引き合いに出されると、こちらとしてはなにも言い返せませんわ……」
決まり悪く目を伏せ、聞こえるかどうかの声でつぶやいた。縁談を受けるたび、「重い」だの「可愛げがない」だの言われ、相手に浮気されてしまうのだ。
はじめはマルティナに同情していた社交界も、破談の回数が増えるにつれ、彼女に非があるのではと疑うようになっていた。かくして、名門・ツァンパッハ家の一人娘は、「毒婦」の汚名を着せられるようになったのである。
――それでも、「気にしない」とラインハルト様は言ってくれた……。
これが最後のチャンスと参加した妃選びのパーティで、ラインハルトに見初められたことを思い出す。
その際、十三回も男に捨てられた自分でいいのかと、半信半疑で念を押した。どうせ断られるだろうと悲観するマルティナに、彼は「大事なのは人柄だ」と微笑んだ。周囲が公爵家令嬢という肩書きや「毒婦」の異名ばかりに目を向けるなか、こちらの内面を見ようとしてくれた初めての人だった。
殺気立つラインハルトを見つめ、マルティナは口の端を震わせた。
婚約破棄という汚点を受け入れ、愛してくれるものだと思っていた。しかし、彼の本命はヨゼフィーネだという事実に、そうした理想は脆くも崩れ去る。
世継ぎさえ産めれば、本当に誰でもよかったのだろうか――ヨゼフィーネから浴びせられた暴言を頭の中で反芻しながら、口には出さず問いかける。正妃としての責務を全うし、愛人がいる状況に不満を漏らさなければ、他の令嬢でも良いはずだ。
耳底から湧く心の声に、胸の奥処がズキンと痛んだ。
あの日の夜、彼は二人きりのバルコニーで「君のような人を探していた」とはにかんだ。共に国を支えるパートナーとして、マルティナに惹かれたのだと。
その言葉があったからこそ、ここ数日の冷遇生活にも耐えられた。愛がなくても、人柄を評価してくれた恩義に報いたい一心で、自分を奮い立たせることができたのだ。
しかし、ヨゼフィーネを庇う彼を見て、さすがに心が折れてしまった。利用されているだけだと、思い知らされてしまったから。
妃候補といえば聞こえはいいが、しょせんは替えの利くパーツでしかない。婚約破棄十三回の毒婦としては、お似合いの末路だとしても、虚しい気持ちは降り積もっていく。
ラベンダーによく似た薄紫色の瞳が絶望に染まりかけた刹那、花の香りが鼻腔に触れた。
身に覚えのある匂いに、マルティナはハッとした表情で顔を上げる。視線の先には、王族然とした上着を羽織る彼の胸元が映っていた。
「なにをジロジロ見ている」
当然、ラインハルトに訝しまれ、マルティナは「申し訳ありません」とピンクブロンドのロングヘアを揺らした。
間違いない。二日前に彼に渡した手作りのポプリの香りだ。
多忙で眠れない日が続いているというから、安眠効果のあるハーブを調合して中に詰めたのだ。ふわふわと漂う清涼感のある芳香に、彼女は目を泳がせる。
「あの……それ、まだ持ち歩いてくださってるんですね……」
こんなことを訊ねている場合じゃないことは分かっていたが、どうしても聞かずにはいられなかった。
ラインハルトからしてみれば、マルティナは愛しの恋人・ヨゼフィーネを害する憎き毒婦だ。
そんな女の手作り品を持ち歩くなんて、なにかの間違いに違いない。本来であれば必死に身の潔白をアピールすべき局面なのだろうが、場違いなポプリのせいで緊張の糸がゆるんでしまった。
「ああ、これか」
困惑するマルティナのことなど知る由もなく、彼は自身の懐に手を遣った。そして、彼女の瞳と同じ色をしたハート型のマスコットを取り出し、花が綻ぶように破顔する。
「そりゃ、持ち歩くに決まってるだろう……。君がくれた『宝物』なんだから……!」
当然とばかりに切り返され、マルティナは目が点になった。これまでの話の流れをぶった切るかのような言い草だ。どう解釈すればいいのか分からずに狼狽えるも、こうした言動はこれが初めてのことではなかった。
――ありがとう……。『宝物』にする……。
中耳に響く声に耳を傾け、数日前の出来事を想起する。あの時も、ラインハルトはマルティナを探してこの部屋を訪れた。その際、ラベンダーのポプリを手渡すに至ったのだ。彼が「欲しい」と口にしたから。
――まさか、これをあげたのが良くなかったんじゃ……。
車椅子もろとも階段から転げ落ちるヨゼフィーネを思い出し、マルティナは人知れず頭を抱えた。今日はいつにも増して気合いの入った嫌がらせをしてくると思っていたが、彼女の立場で考えれば合点がいく。
最愛の恋人であるラインハルトが、自分から妃の座を奪った憎き女の作ったポプリを持ち歩いているのだ。今度こそ略奪されたと早合点して、目にもの見せてやろうと決心したに違いない。
まさか、濡れ衣を着せるためだけにここまで体を張ってくるとは、夢にも思わなかったが。肉を切らせて骨を断つという言葉は、彼女のために生まれたのだろう。
頭の中で複雑怪奇な相関図を描きつつ、マルティナは心の中で阿鼻叫喚した。こちらに非はないとはいえ、かなりややこしい状況だ。
あまりの不条理にげんなりしていると、そもそもの元凶であるラインハルトが痺れを切らしたとばかりに目を吊り上げた。
「反省するつもりがないなら、体に言って聞かせるしかないな……!」
そう言って、ドレスの裾に手を伸ばす。みなまで言われずともその真意を察し、マルティナはサッと蒼褪めた。
「やっ、やめてください……!」
「今さら無駄だ……! 女であることを後悔するくらい、辱めてやる……!」
そう言って、彼は獲物を前にした獣のごとく舌を舐めずる。
明らかに断罪の仕方が間違っている。嗜虐的に光るメガネを前に、マルティナはまたしても危機感を覚えた。たとえ凌辱だとしても、加害者――実際は濡れ衣――であるマルティナとベッドインしては、ヨゼフィーネの感情を逆なでしかねない。
「いけませんっ……! 話が余計に拗れますわ……!」
逡巡することなく、マルティナはラインハルトを突き飛ばした。とは言っても、運動の習慣がない貴族令嬢の力なんてたかが知れているため、実際は軽く押し退ける程度に過ぎないのだが。
よろめくラインハルトに決まり悪さを覚えつつ、彼女は意を決して進言した。
「今ここで安易に私と関係を持てば、殿下を慕うヨゼフィーネ嬢が傷つきますわ……! どうしても罰したいとおっしゃるなら、どうか別の方法をご検討くださいませ……!」
慎重に言葉を選びつつも、毅然とした態度は崩さない。
このままでは「ラインハルトが自分以外の女と寝た」と言って、ヨゼフィーネが憤死しかねないのだ。
妖精を思わせる外見とは不釣り合いな鋭い八重歯を思い出し、マルティナは額に冷や汗を浮かべた。
儚い雰囲気を演じているが、顔のつくりそのものは快活だ。その容姿で凄んでくるものだから、迫力がありすぎて毎度泣きそうになってしまう。これ以上、理不尽に八つ当たりされるのはご免被りたかった。
ラインハルトが知らないであろうヨゼフィーネの一面に想いを馳せ、マルティナはさらなる苦言を呈する。
「それから……そのポプリ、持ち歩かない方がいいと思います……」
「な、なぜだ……!?」
心外とばかりに目を見張る彼の姿に、開いた口が塞がらない。しかし、いつまでも黙っていられないため、なんとか堪えて理由を伝える。
「『なぜ』って……。他の女性からの手作りを持ち歩くのは、ヨゼフィーネ嬢からしてみれば、浮気しているように見えますでしょう……?」
「なるほど……言われてみれば確かにそうだ……。あれは単なる『圧迫面接の仕掛け人』だから、そこまで考えていなかった……」
「え、あっぱく……?」
急な話に理解が追いつかず、マルティナは反射的に聞き返した。
そんなことなどお構いなしに、彼は得意満面にメガネをクイッと押し上げる。次いで体を起こしては、ごそごそと懐を探り始めた。今まで怒り狂っていたのが嘘のような変わり身の早さに、マルティナは目が点になる。
「よくぞ、脱落者多数の『二次選考』を突破してくれた! いやあ、流行りの恋愛小説から着想を得て冷遇生活によるストレス耐性を見ていたんだが、君以外の候補者は全員リタイアしてしまってな!」
取り出したレジュメをマルティナに渡し、体を起こすのを手伝いながらつらつらと語る。受け取った書類のタイトルには、『王太子妃選出における活動方針』の文字が綴られていた。嫌な予感がしつつも、彼女は手にした書類に目を通す。
その内容は、庶民の間で話題の就職活動を彷彿させた。
公爵令嬢であるマルティナには縁遠い話だが、近年編み出された雇用試験のようなものだと、父から教わったことを思い出す。候補者が職場に適した人材かどうか確かめるべく、面接や書類審査を行うのだという。
「城の使用人を採用する時のプロセスを、貴族向けにアレンジしたんだ」
ラインハルトはマルティナの隣に腰かけ、彼女が手にした書類を覗き込んだ。そのなかの一節を指し示しながら、とっておきの秘密を打ち明けるみたいに鼻息を荒らげる。
「ただ漫然と独身令嬢をパーティに集めたのでは、その人の本性なんて見抜けないからな! 敢えてプレッシャーを掛けることにより、より深い人間性を探ることにしたんだ! 業界ではこれを、『圧迫面接』と呼ぶらしい」
「へえ……」
渡された計画書を手に硬直したまま、マルティナは虚無顔で相槌を打った。目は文字を追っているものの、内容が頭に入ってこない。
要は茶番だったのだ――そう結論付けた途端、徒労感が押し寄せてきた。
ラインハルトの辛辣な態度も、ヨゼフィーネによる嫌がらせや暴言も、あれもこれも全部嘘。彼はただ、苦悩するマルティナを他の令嬢と比較しながら、手のひらで転がしていただけ。
一方、面接官気取りのラインハルトは、呆然とするマルティナに気付くことなく相好を崩した。最後の一人が決まり、ご満悦といったところか。
「君は人を思いやる能力に長けている。現に今だって、ヨゼフィーヌを気遣い、僕に注意してくれただろう? あれだけの嫌がらせをしてきた相手にもかかわらず、君は至って公平だ」
「お言葉ですが殿下、ヨゼフィーネかと……」
「ああ、そうだった……。恋愛小説を参考に作った『設定』でしかないから、あの女自体には大して興味がないんだ。もちろん、僕には内縁の妻なんていないから安心してくれ。君をベッドに押し倒したのも、『圧迫面接』における演出に過ぎない」
自身が腰かける寝台を一瞥してから、ラインハルトは先回りするかのように弁明した。そして、資料の下方に記されている箇条書きを指差しながら、早口でべらべらとまくし立てる。
「この『圧迫面接』は第三者委員会監修のもと、コンプライアンスに問題のない範囲を定義したうえで、疑似的なハラスメント環境下にて実施された。しかし、精神的なトラウマや疾患が誘発される可能性は否定できない。その場合、こちらが用意した専門の医療チームが治療する手筈になっているから、次ページを参考に手続きを踏んでくれたまえ」
「すごい、アフターフォローが抜かりないですわ……」
「当然だ。僕は合理的かつ理性的な人間だからな! なんの保証や対策もなく、人を騙すようなマネはしない!」
「ああ、騙している自覚はあったのですね……」
皮肉交じりにまぜ返すも、当の本人にはいまいち通じていないらしい。鼻白むマルティナのかたわら、ラインハルトは一点の曇りもない笑顔で「悪気あってのことではない」と弁明する。
「将来、王太子妃として国を背負う女性を選ぶんだ。これぐらいして当然だろう? むしろ、よく知りもしない娘をやれ『一目惚れだ』、『運命だ』、『君以外考えられない』などとのたまって即決する方が、国民に対して不誠実だと僕は思う」
「なぜでしょう……? 正論なのに、しばき倒したい……」
聞こえるかどうかの声で独りごち、マルティナは首を傾げた。
筋は通っている気がするのだが、根本的なところがズレている。そうした違和感の正体を探る暇さえ与えず、ラインハルトはどんどん話を先に進めていく。
「君のことは『一次選考』――以前に実施されたパーティ形式の『集団面接』をそう呼んでいるんだが、その時からずっと、個人的に評価していたんだ。だから、こうして最後まで残ってくれて嬉しいよ!」
「情報量が多すぎて、内容が入ってきませんわ……」
彼と初めて出会った日のパーティを思い浮かべ、マルティナは困惑の表情を見せた。妃選びと銘打ったあの夜会から既に、『面接』は始まっていたのだという。
思えば確かに、トラブル続きのパーティだった。妙なドレスコードがあったり、やたらと喧嘩っ早い令嬢がいたりと、通常の社交界では考えられない事態が多発していた気がする。
あれも、『二次選考』におけるヨゼフィーネ同様、候補者の人間性を引き出すための『仕掛け』だったのだ。ここを通過した者だけが、『仮初めの妃』として次なるステージに駒を進めることができるらしい。
「どうやら、だいぶ前から罠にかけられていたのですね……。まさか、あのパーティから始まっていたなんて……」
もはや諦めの境地といっても過言ではない表情でつぶやくと、ラインハルトは「それは違うぞ!」とにこやかに遮った。次いで、懐から一通の文書を取り出し、マルティナに向けて広げてみせる。
そこに並んだ見覚えのある書き文字に、彼女はハッと息を飲んだ。なにを隠そう、マルティナ本人の直筆だ。
「正確には、招待状(エントリーシート)の時からだ! 出席するかどうか記入する以外にも、『志望動機』や『デビュタント時に力を入れたこと』を記述するスペースを設けておいた!」
「ああああ……! 『なんかヘンだな』って思いながら書いたやつですわ、それぇ……!」
「ちなみに、ここに『王太子妃採用における免責事項』に同意する署名もあるぞ!」
「わあ……。これ、悪徳商法の契約書みたいに分かりにくくしてありますわね……」
飾り枠の模様に紛れるように記載された『免責事項』とやらに目を落とし、マルティナは薄ら笑いを浮かべて言った。自身を含め、サインした令嬢たちはまさかこれが『圧迫面接』の同意書だなんて、夢にも思わなかっただろう。
「まあ、それはさておき」
ラインハルトは上着のポケットから小さなケースを取り出し、芝居がかった素振りでベッドから降りてひざまずいた。向かい合う格好でリングケースを開くその姿は、恋愛小説に出てくるワンシーンそのものだ。
「マルティナ、君は僕の伴侶に相応しい女性だ……! よって、王太子妃の『内定』を授けよう……!」
黒縁のメガネをクイッと押し上げ、彼は大粒のダイヤモンドが光る指輪を差し出した。
「この『内定証(エンゲージリング)』を、どうか受け取ってくれ……!」
日当たりが悪く、薄暗い部屋にもかかわらず、眼下の宝石ははち切れんばかりの光を放っていた。「うるさい」と形容せずにいられないその輝きは、ラインハルトの自意識を体現しているかのようだ。
ふわりと漂うポプリの香りに気持ちが揺らぎつつも、マルティナは黒縁のメガネをねめつけた。これほどまでに気持ちが冷めるプロポーズは、後にも先にもないだろう。
すべて嘘だったのだろうか。
彼との思い出を振り返り、マルティナは苛立ちを押し殺した。この国を想って真剣に妃を探していることも、『毒婦』の汚名を持つマルティナの内面を見てくれたことも、手製のポプリを『宝物』だと言って受け取ってくれたことも、全部。
「――謹んで、お断り申し上げますわ」
あくまで事務的な口ぶりで、マルティナはにべもなく言い切った。虚を突かれたとばかりに呆けるラインハルトを尻目に、さっさと部屋を後にする。
「ま、待ってくれ!」
背後から困惑の声が飛んでくるも、ピンクブロンドの巻き髪を揺らす後姿が立ち止まることはない。鼻腔に残り続けるラベンダーの香りに胸がささくれ立つのを感じつつ、マルティナは王宮の長い廊下を歩き続けた。