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圧迫面接を突破し王太子妃に内定しましたが、全力辞退したらノンデリ殿下になりふり構わず追われてます! 2

第二話

 

 

 件のとち狂った『内定』を辞する一か月ほど前、マルティナはブレーデン王国の国境付近に位置するツァンパッハ領の生家にて、十三回目の婚約破棄を言い渡されていた。
「俺が思うに、お前は一人で生きていけるんだ。バルバラと違って」
 そう言って、客間のソファに腰かけるマルティナの婚約者・アロイツは、これ見よがしに隣に侍らせた貴族令嬢らしき女を抱き寄せた。
 じゃがいもにドレスを巻き付けたような太り肉と、ことあるごとに前髪を整えるもやし男の組み合わせに、向かいに腰かけるマルティナは開いた口が塞がらない。
「貴族の婚約はいわば家同士の結びつき……。一個人の恋愛感情で、反故にしていい問題では……」
 人目も憚らず睦み合う二人に圧倒されつつ、彼女は事務的な口ぶりでたしなめる。この手の申し出はこれが初めてではないため、皮肉にも対応には慣れている。それが面白くないのか、アロイツは露骨に顔をしかめた。
「そうやってすぐに正論振りかざすの、可愛げがねえんだよ。『マウント』ってヤツ? 『私、デキる女なんです~』みたいな?」
「別に、そういうつもりは……」
 言い争ったところで泥仕合になるのは火を見るより明らかだ。そう思ったマルティナは無言のまま立ち上がり、サイドテーブルに並んだ茶器を手にした。
 この場に相応しいハーブを自ら煎じ、気を紛らわそうという作戦だ。そうしてできあがったハーブティーを三人分のカップに注いでいると、アロイツが小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「その、なんでもこだわる癖、前から鼻についていたんだ」
「と、言いますと?」
「先月、『屋敷で晩餐会を開く』って声を掛けたろ? そしたらお前、先回りしてうちの料理長と一緒に新作メニューを考案してたじゃないか! 主催の俺そっちのけでさ! それだけじゃない! 『部屋の模様替えをしたい』と漏らせば、頼んでもないのに刺しゅうがびっちりのカーテンとか作ってくるし……!」
「やだ~! こわーい、重すぎぃ~!」
 隣で聞いていたバルバラが、鼻にかかった声でアロイツに抱き着いた。恰幅の良い彼女の体を受け止めきれず、彼は「うっ」と盛大によろめくも、その表情は心なしか幸せそうだ。
 マルティナは冷めた紅茶と淹れたてのハーブティーを取り換えながら、「不快だったのであれば申し訳ありません」と形式的に頭を下げた。とはいえ、名門・ツァンパッハ家の一人娘として相応しい振る舞いをしたまでだ。席に戻った彼女は、滔々と切り返す。
「近年、バロリング領では鹿の異常繁殖による食害が問題視されていたでしょう? なので、活用の手段を模索させていただいた次第です。新メニューとして晩餐会で振る舞えば、地産地消を促進できて一石二鳥ですわよね? それから、カーテンの刺しゅうに関してですが、こちらはバロリング家設立七十年を寿ぐべく、歴代当主様の紋様を鏤め、それぞれの業績をイメージしたモチーフを――」
「なんで俺より俺んちに詳しいんだよ、お前!」
「なぜと言われましても……。嫁ぎ先のことを学び、領地の問題解決に尽力するのは貴族として当然なのでは……?」
「誰もそこまで頼んでねえよ!」
 アロイツは肩をそびやかし、声を荒らげた。頼りない貧相な体つきも相まって、その姿はキャンキャンとよく吠える小型犬のようだ。彼はフー、フーと威嚇するようにこちらを睥睨しながら、怨嗟の言葉を並べ立てる。
「お前のせいで、俺は父上や領民から舐められるようになったんだ……! お前がいつも、知識や能力を当てつけのようにひけらかすから……! お前も内心では、俺のことを見下しているんだろう!?」
「いえ、そんなことは――」
 そこまで言いかけ、マルティナは出かけた言葉を飲み込んだ。ここで安直な言葉をもって慰めたところで、「馬鹿にしているのか!?」と逆上されるのは目に見えている。現に、過去の縁談ではそれが決定打となり、終焉を迎えた。
 浮気相手を連れて来た以上、関係の回復は不可能に近いが、最後まで諦めずにベストを尽くすのがツァンパッハ家の美徳だ。
 たとえ逆風が吹き荒れていようと、思いつく限りの手は尽くしておきたい。第一、ここで匙を投げれば、またしても両親の期待を裏切る格好になってしまう。
 アロイツと過ごした日々を振り返り、マルティナは慎重に言葉を選んだ。出涸らしのアブラナからさらなる油を搾る要領でセリフを組み立てては、意を決して顔を上げる。
「アロイツ様は私なんかよりずっと、ユーモアセンスに長けていらっしゃいます。この間だって、新人のメイドをあげつらい、周囲の笑いを誘っていたではありませんか。人として疑問を抱く物言いではありましたが、時と場合によってはあのような笑いも必要悪になることを学ばせていただきました……。そうそう、件の新人メイドですが、私が責任をもって個別にフォローしておきましたのでご安心くださいませ」
「やっぱり馬鹿にしてるじゃねえか、お前!」
「誤解です! してません、してませんわ!」
「つらつらと淀みなく話すところが、余計に嘘臭えんだよ!」
 ひとしきり吠えた後、アロイツはバルバラに向き直った。そして、でっぷりとしたあご肉の感触を楽しむみたいにタプタプと揉みしだき、「なあ」と猫撫で声を発する。
「バルバラは俺のどこが好きぃ~?」
「んーとね、ごはんの時に『胃もたれするから』ってお肉の脂身分けてくれるところとぉー、面白いとこぉー。昨日、メイドにティーカップ投げつけてんのとか、めっちゃ笑ったぁ~!」
「バルバラああああ――――――っ! お前だけだよ、俺の味方してくれるの!」
「……私はいったい、なにを見せられているのでしょう…………?」
 熱い抱擁を交わす二人を見るでもなく眺め、マルティナは虚無顔で独りごちた。何度も辿った顛末に、胸がズンと重くなる。
 これまでの婚約者たちも、出会った時は全員まともだったのだ。
 しかし、関係が深まるにつれ、いつも様子がおかしくなってしまう。彼らは一様にマルティナのせいでプライドが傷ついたとのたまっては、どこの馬の骨とも知らない女性と結ばれていった。
 ――今回はあまり出しゃばらないように気を付けたのだけれど、ダメでしたわ……。
 わずか半年の婚約期間を振り返り、マルティナは物憂げな表情で視線を落とした。またしても同じ轍を踏む自分に、いい加減嫌気が差してくる。
 良かれと思って気を回せば相手のコンプレックスを刺激し、触発しないよう下手に出れば「裏で馬鹿にしている」と言いがかりをつけられる。
 公爵家の名に恥じぬよう、幼い頃から勉学に励んできただけなのに、なんとも肩身の狭い話だ。子どもの頃は神童と崇められてきたのだが、結婚適齢期に差し掛かった今では「秀才」が足枷となっている。
 貴族の女はいくら優秀でも、それを活かす場所がないのも生きにくい要因のひとつだった。男性のように事業を起こすことは推奨されていないため、残す道は結婚しかない。
 リラックス効果の高いハーブティーでくちびるを湿らせ、マルティナはがっくりと肩を落とした。
 大人の期待に応え続けた半生だったから、親世代などの「目上の人」に評価されるのは比較的得意なのだが、その器用さをプライベートな人間関係に活かすことができずに燻っている。
 縁談に限らず、友人関係においてもそうなのだ。なにをしても「いい子ちゃん」として受け取られ、関係を深めるには至らない。どうやら、自分は横の繋がりにめっぽう弱いらしい。こうした同世代ウケの悪さが、毒婦の汚名にも関係していた。
「とにかくだ。お前といると、俺は気が休まらないんだよ……! 常に監視され、粗探しされている気分になる……!」
「そうですか……」
 関係の修復は絶望的であることを悟り、マルティナは静かにカップを呷った。こちらからしてみればアロイツが勝手に気負い、被害者妄想に取り憑かれているだけなのだが、指摘したところで無用な恨みを買うだけだ。
「その点、バルバラは広い心で俺を包み込んでくれるからな! お前も少しは見習ったらどうだ?」
 言い返されないのをいいことに、アロイツは嘲笑交じりに言葉を続けた。マルティナが見ている前でバルバラに抱き着いては、人目も憚らずねちゃり、ねちゃりと汁気の多いキスを交わしている。敢えて見せつけることにより、マルティナを馬鹿にしているのだろう。
 程度の低い人間に限ってプライドが高く、他者を見下さずにいられないのだ。そのことを、マルティナは十三回の破談を通じて学習していた。
 ――アロイツ様、物理的にも包み込まれて幸せそうですわ……。傍から見たら、埋まってるように見えるけど……。
 バルバラは普通体型の女性三人分はある横幅をもぞもぞと揺すり、アロイツをぎゅっと抱きしめた。その拍子に、胸か腹か区別のつかない肉が彼の顔面に圧し掛かる。
「息、できているのかしら……?」
 その様は、産卵を控えた雌カマキリが雄を捕食しているかのようだ。ある種のグロテスクさを孕んだその光景に、マルティナは人知れず固唾を飲み込む。十三回目の破談による悲しみよりも先に、元婚約者の安否を案じずにはいられなかった。

「マルティナ、ちょっと今回は酷いわよ……?」
 アロイツと入れ替わりにやってきた実母・マクダレーネに詰め寄られ、マルティナはソファの上で縮こまった。淹れ直したハーブティーが一瞬にして冷めてしまいそうなほど、周囲の空気は張り詰めている。
 彼女はマルティナによく似たピンクブロンドの髪を掻き上げると、魂が抜け落ちそうなほど深いため息をついた。
「今度こそは上手くいくと思ったのに……。婚約破棄を言い渡されるどころか、アロイツ様、窒息してのびちゃったんでしょう? 浮気相手と乳繰り合いながら……」
「……その通りですわ、お母様…………」
「お母さんね、その話を聞いた時、あまりにも意味が分からなすぎて、裸足でお医者様呼びに行っちゃったのよ? 仮にも公爵夫人だっていうのに。こんなんじゃ、領民(ごきんじょさん)に笑われちゃうわ?」
「面目ありません……」
 顔を上げることもままならず、マルティナはただただこうべを垂れるばかりだ。
 その後、バルバラと熱い抱擁を交わしたアロイツは呼吸困難に陥り、泡を吹いて倒れてしまった。現在は駆けつけた医師に引き渡され、診療所で治療を受けている。命に別状はないものの、マルティナとの関係はご臨終と相成った。
「もう、なにをどうすればこんな結末になるの……! アロイツ様だって、初めてお会いした時はもっとまともそうだったでしょ……? ねえ、マルティナ。あなた、私たちに内緒で『びっくり婚約破棄選手権』にでも参加しているんじゃないでしょうね? もう、そうとしか思えないわ……!」
「いえ、お母様……毎回真面目に取り組んでこの有り様なのです……」
 そもそも『びっくり婚約破棄選手権』ってなんだよ、というツッコミはさておき、マルティナは申し訳なさそうに頭を下げた。
 毎度パンチの強いフラれ方をしているとはいえ、今回は特に酷かった。もし本当に『びっくり婚約破棄選手権』なるものが開催されたら、ぶっちぎりで優勝しそうな勢いだ。
 そんなくだらないことを考えながら、彼女は恐る恐るお茶をすすった。すっかりぬるくなったハーブティーが、腹の底にヒヤリと沁みる。どうして、自分だけ上手くいかないのだろう。
「私には、向いていないのかもしれませんわね……」
 ソーサーをテーブルに戻し、マルティナは苦く微笑んだ。何度もチャンスをくれた両親には申し訳ないが、これ以上、異性と良好な関係を築ける気がしない。何度繰り返したところで、半年も経たずに終焉を迎えるのがオチなのだ。
 だからといって、いつまでも未婚のまま実家に居続けるのは、貴族の女としてこの上ない不名誉だった。
 彼女も今年で二十六。そろそろ『令嬢』ではなく、『夫人』と呼ばれるべき年齢に差し掛かっていた。十八のデビュタントで初めて婚約を結んで以降、かれこれ八年もの月日が経過していたことになる。
「このまま家名を貶めるくらいなら、いっそツァンパッハの籍を抜け、修道院に入った方が良いんじゃないかと……」
 マルティナは意を決し、以前から考えていたことを母に伝えた。
 俗世を捨て、神に仕える身となれば、婚約関係に悩む必要はない。幸い、十三回の縁談はどれも短命に終わっているため、純潔はいまだ守られている。我ながら冴えた案だと思ったが、案の定反対された。
「そんな、修道院だなんて! 早まらないでちょうだい、マルティナ!」
 マクダレーネはこぼれんばかりに目を見開き、ばね仕掛けよろしく立ち上がった。そしてマルティナの隣に腰を下ろすと、幼子を扱う素振りで抱き寄せ、頬ずりを繰り返す。
「こんな可愛い一人娘を、あんな山奥にやるもんですか! お母さん、縁談ならいくらでも用意するから! 家名がどうこうとか、あなたは考えなくてもいいのよ!」
 俗世から切り離されれば、生涯修道院からは出られない。それを厭って、彼女は次から次へと婚約者を連れてくるのだった。
 そうした『母の愛』が、事態を悪化させる元凶のように思えて、マルティナは貝のごとく押し黙る。一方、マクダレーネは愛娘が憂慮していることなどつゆ知らず、妙案を思いついたとばかりに言葉を継いだ。
「そうだわ、次は上昇婚にしましょう! 俗にいう、『玉の輿』ってやつよ! 性格さえ良ければ爵位なんて関係ないと思っていたけど、下方婚は男が卑屈になって駄目だわ! できの悪い殿方ほど、優秀な女を目の敵にするんですからね!」
「いや、ですがお母様。公爵令嬢(わたし)より身分の高いお方はもう、王族くらいしかいないのでは……?」
「いいじゃない、王族! ロイヤルファミリーの仲間入りよ!」
「その『ロイヤルファミリー』が、婚約破棄十三回の女を娶りますかね……?」
「ちょっとお母さん、そこまでは分からないけれど……」
 痛いところを突かれ、マクダレーネはハトが豆鉄砲を喰らったみたいな顔でこちらを凝視した。そのまま母娘で見つめ合っていると、騒々しい足音に続いて客室の扉がバン、と開かれる。
「――マルティナ、無事か!?」
 悲鳴のような声に続き、父・レオナルトが武装した男を複数人連れて部屋に飛び込んできた。
「客間から侵入したクマに襲われて、アロイツ君が瀕死の重傷なんだって!? お父さん、大慌てで衛兵を連れてきたからな!」
「なにをどう聞き間違えたのですか、お父様……?」
 フルプレートアーマーの武装集団の迫力に気圧されつつも、マルティナは嘆息交じりに事の経緯を話して聞かせた。浮気相手と抱擁を交わすさなか、脂肪に包み込まれて窒息という、説明しているこちらまで頭がおかしくなりそうな内容だ。
「なんだ、また駄目だったのか……」
 すっかり落胆したレオナルトは兵士らを下がらせ、自身もソファに腰を下ろした。そして懐をがさごそやりながら、箔押しの封筒をこちらに差し出す。
「婚約中のマルティナには関係ないと思って渡さないつもりだったが、皮肉にも役に立ちそうだな……」
 中身を検めるよう勧めながら、彼はついさっきこの手紙を受け取ったことを打ち明けた。隣国ミュンハイムで開催される、王太子妃選出のパーティの招待状らしい。
「多くの参加者を募るべく、未婚の貴族令嬢に手当たり次第送っていると聞かされた。招待客が多ければ選ばれる可能性は低いだろうが、行ってみる価値はあるんじゃないか?」
「いいじゃない、マルティナ! ロイヤルファミリーよ! ミュンハイムって言ったら、大陸でも指折りの大国でしょう? そんなところに輿入れだなんて、お母さん鼻が高いわ!」
「ですがお父様、お母様。この招待状、なんか少しおかしいですわ……」
 返送用の書類に目を投じ、マルティナはふと眉をひそめた。通常は参加の可否と署名くらいなものだが、それ以外の記入事項がやけに多い。志望動機や経歴、資格の有無に至るまで、とにかく詳細に書かせようとしている。
「妃選びのパーティですもの。どんな人か、あらかじめ知っておきたいんでしょ?」
 マクダレーネは用紙を一瞥し、短絡的に結論付けた。父親も別段訝しむでもなく、妻の意見に同調している。
「隣国に送り返すことを考えると、今すぐ書いた方がいい。輸送に時間がかかるからな」
 マルティナにペンを持たせ、レオナルトは言外にせっついた。二対一の構図だ。両親の圧力に屈し、彼女は筆を走らせる。
 ――これが最後のチャンス。ダメだったら、反対を押し切ってでも修道院に入りましょう……。
 そんなことを考えながら、マルティナは用紙に署名を記した。その文面が、後の『圧迫面接』で利用されるとも知らずに。

  ◇

 妃選びのパーティの参加表明を示してから半月が経ち、マルティナは馬車に揺られてミュンハイムの王宮を訪れた。
 志望動機や経歴をびっちり書いた件の書類が受理され、正式な参加証が屋敷に届いたのだ。
 参加できるのは申し込みをした本人のみと記されていたため、遠路はるばる一人で長旅をすることとなった。ツァンパッハは国境付近に位置しているとはいえ、それでも移動するとなれば六時間はかかる。
 そうした背景により、会場に着く時分には辺りはすっかり暗くなっていた。出迎えの執事に参加証を提示すると、年老いた男はうやうやしい素振りでマルティナを案内する。
「こちらが会場でございます」
 深々と頭を下げる老人に対し、マルティナは「ありがとうございます」とにこやかに目礼した。隣国ではあるものの、実際に訪れるのは初めてなので緊張が拭えない。同じ言語を使っているから、意思疎通の問題はないのだが。
 会場の入り口で軽く深呼吸したのち、彼女はドレープをふわりと揺らして歩いた。
 自身の瞳と同じ色をした、薄紫色のドレスだ。デビュタントのお祝いに両親から贈られて以降、流行に合わせて形を仕立て直しながら繰り返し着用している。他にも晴れ着は持っているものの、この衣装を着た時の自分が一番好きなのだ。
 ――王太子妃になんて選ばれるわけないでしょうけど、最後にこのドレスを着る機会をもらえたのは嬉しいですわね。
 知り合いのいない会場で、マルティナは口には出さずに自分を鼓舞した。しかし、ほくほくとしたその表情も、一瞬にして蒼褪める。
 それもそのはず。見渡す限りの赤、赤、赤。まるで事前に示し合わせたかのように、辺り一帯すべて同じ色のドレスで埋め尽くされている。
「あら見て! 場違いな服装の女がいるわ!」
「本当! 常識ってもんがないのかしらね? 恥ずかしいったらありゃしない!」
 周囲から聞こえてくる嘲笑交じりの野次に、早くも心が折れかかった。聞こえないフリに徹しつつ、マルティナは震える手で参加証を検める。そして、なにかの間違いではないかと祈る気持ちで、紙面の文字を目で追った。
 てっきりドレスコードの指定があるのだと踏んだのだが、そのような記載はどこにもない。むしろ、「自由な服装でお越しください」と書かれている。
「どういうことですの……?」
 参加証に手汗がぐっしょり滲んでいくのを感じながら、マルティナは声を震わせた。まだ王太子であるラインハルトに挨拶すらしていないのに、早くもなにかをやらかしてしまっている。
 このままでは理由も分からずに強制退場になりかねない。
 さっそく風前の灯火となった「最後のチャンス」に困り果てていると、悪役じみた高笑いが耳を突いた。引き寄せられる格好で顔を上げた刹那、真っ赤なドレスをまとう金髪の令嬢と視線が交わる。
「ごきげんよう。世間知らずのおバカさん?」
 そう言って、彼女は意地の悪い笑みを浮かべた。真っ赤な口紅で彩られたくちびるからは、鋭く尖った八重歯がちらりと覗く。
「私はガブリエラ。ミュンハイムでも名高いヨーゼンハイン領の生まれですの」
「ブレーデンはツァンパッハから参りました、マルティナです」
「あら、ブレーデン? 『ミュンハイムの食糧庫』と言われている、田舎の?」
 真っ赤な扇で口元を隠し、ガブリエラは聞こえよがしに声を張り上げた。そうして、ぐるりと周囲を見回すと、取り巻きらしい赤いドレスの集団が一斉にクスクス、クスクスと互いに顔を見合わせて笑う。
 実際、ブレーデンの主要産業は農業をはじめとする一次産業であり、その最大の輸出国は隣接するこの国だ。しかしながら、持ちつ持たれつの友好関係にあると耳にしていたため、あからさまな悪口に面食らわずにはいられなかった。
 困惑するマルティナを見て少し満足したのか、ガブリエラは肩越しに振り返り、「ダメよ、あなたたち。笑っちゃ可哀想でしょ?」と、わざとらしくたしなめた。
「知らないようだから教えて差し上げるけど、妃選びのパーティといったら、真っ赤なナイトドレスを着るのが常識ではなくて?」
 初耳である。マルティナはあんぐりと口を開けてから、「え、でも参加証には……」と口を挟んだ。何度読み返しても、「好きな格好でいい」としか書かれていない。そうした疑問を見透かすように、ガブリエラは言葉を遮った。
「そりゃ、主催者側は社交辞令でそう言うでしょうけど、真に受ける人なんてどこにもいないわ? 『平服でお越しください』も『服装の指定はございません』も『ラフな格好でオッケーです』も、意味は全部『赤のナイトドレス』よ? 言葉の裏を読めないバカを弾くための、引っかけに過ぎないんですからね!」
「そ、そんな暗黙ルールが……!」
 八重歯を見せてケラケラ笑うガブリエラを前に、マルティナは声を震わせた。出かける前にミュンハイムの文化について調べてきたが、まさかそのような常識があったとは。
「どうしましょう……。『知りませんでした』って謝ればセーフなのかしら、これ……」
 普段、この手のマナーで外したことがないマルティナは、あまりにも理不尽なトラップに狼狽えた。国が違えば礼節の方法も異なる。そう考え、抜かりなく下調べしてから屋敷を発っただけに、衝撃は計り知れない。
 ――いや、ですが……これはもはや『事故』ですわ。とりあえず、服装を間違えたことを素直に謝罪しながら、殿下にご挨拶しましょう……。
 長年大切にしてきたドレスが色褪せて見えてくるも、気を取り直して自分を律した。多少のミスはあれど、マナーは心が大切なのだ。まずはパーティに招待してくれたことへの礼を伝えなければ。
「お恥ずかしながら、無知ゆえに存じませんでしたわ……」
 居丈高に金色の巻き髪を掻き上げるガブリエラに対し、マルティナはドレスの裾を持ち上げて目礼した。親切とは言い難い態度だが、教えてもらったことに変わりはない。
 そうした感謝を述べようとした刹那、二人分の金切り声が背後から飛んできた。
「なによ、そんな意味分かんないルール、知ってるわけないでしょう!?」
 振り返れば、水色のドレスに身を包んだ貴族令嬢らしき娘が、ガブリエラとは異なる赤装束の女といがみ合っている。こちらもマルティナ同様、参加証の文言を真に受けてしまったのだろう。
 自分だけじゃなかったことにマルティナは安堵するも、殺気立った雰囲気に胸がヒリリと焼け付いた。水色ドレスの令嬢の言葉に腹が立ったのか、赤い衣装の女はますますヒートアップして茶色のロングヘアを振り乱している。
 あまりの剣幕にマルティナはもちろん、周囲の赤ドレス集団も若干引いているようだ。舌戦を繰り広げる二人を遠巻きに眺めては、仲間同士でひそひそと耳打ちをしている。
「あれ、ヤバくない? 台本のセリフ、アレンジしすぎでしょ」
 先ほどよりも砕けた物言いで、ガブリエラは取り巻きらしき令嬢にささやいた。それを受け、彼女も貴族らしからぬ口調で赤いスカートを揺らす。
「役に入り込んじゃったのかな……? 役者の職業病だよねぇ……」
「止めに行く? でも、あーしらが『仕掛け人』って、さっきの子にバレたらマズいし……」
 二人でちらちらとマルティナに目を遣っては、表情に不安を滲ませる。ドレスコードについて得意げに語っていた時とは大違いの振る舞いだ。
 いったいなにを話しているんだろう――話の内容が理解できず、マルティナは怪訝そうに顔をしかめた。直後、ひときわ大きな怒声が響き、すぐさま視線を背後に戻す。絶賛口論中の水色と赤色は、今にも取っ組み合って喧嘩しそうな勢いだ。
 そうした予感はすぐさま的中し、赤ドレスの女は乱れた茶髪を整えもせずにグラスをつかんだ。当然、中は葡萄酒で満たされている。
「その貧相な水色、今すぐ赤色に染めてやるわよ!」
 啖呵を切り、喧嘩相手に向かってグラスを振り上げた。女性向けの恋愛小説でよくある流れだ。先の展開が読めたマルティナは、考えるよりも先に仲裁に入る。
「い、いけませんわっ……!」
 この水色衣装の令嬢もマルティナ同様、お気に入りの服を着て来たに過ぎないのだ。ドレスコードを知らなかったからといって、こんな形で汚されては、いくらなんでも可哀想ではないか。
 脇目も振らずに駆け寄り、身を挺して庇った。これでは自分が水浸し――もとい、ワイン浸しだ。淡い後悔が頭をよぎるも、足が動くことはない。
 両親からもらった思い入れのあるドレス。流行に合わせ、手直しをしながら愛用していただけに、名残惜しさが拭えない。ワインまみれになった自身を想像し、マルティナは顔を歪める。
 そんな姿で、王太子殿下の前に立てるわけがない。
 挨拶しに行かなければ顔を覚えてもらうこともないだろうし、妃に選ばれることもない。これが最後のチャンスだと思っていただけに、ざらついた悔恨が胸に残った。
 ――ヘンですわね。こんなに大勢の中から選ばれるわけないって、最初から分かっていたのに……。
 頭に声が響くと同時に、マルティナはまぶたを固く閉ざした。次いで、液体のかかる音がピシャリと聞こえる。にもかかわらず、濡れる感触はいつまで経っても訪れない。
 不審に思って目を開けると、長身の男がこちらに背を向けて立ちはだかっていた。まるで、マルティナを庇うような素振りだ。実際、彼の足元には深紅の水溜まりが広がっており、しずくがポタポタと滴っている。
「ヒィ……! で、殿下……!」
 掃除のために駆けつけた使用人たちのかたわら、ワインをかけた赤ドレスの茶髪令嬢は盛大に顔面を引きつらせた。恐らくこの人物こそが、ミュンハイム王太子――ラインハルト・コストゥス・ミュンハイムその人なのだろう。
 彼は後ろを向いているため、マルティナからは表情をうかがえない。しかし、殺気は充分に伝わってくる。彼は無言で赤ドレスの令嬢をねめつけたかと思いきや、険のある口調で切り出した。
「コンプライアンス違反だぞ、貴様ッ……!」
 開口一番のセリフにマルティナは違和感を覚えるも、周囲にならって息をひそめる。誰もツッコミを入れないことから、これがこの国の常識らしい。一方、叱られた令嬢は「で、でも……!」と声を震わせた。
「最近、こういう展開、流行ってますし……。恋愛小説で……」
 そう言って、ワインをかけるジェスチャーをする。確かに、女性向けのロマンス作品では頻出のパターンだ。悪役令嬢が主人公をやっかみ、大事なドレスに飲み物をかける――そんなシーンを、マルティナも小説の中で繰り返し目にしてきた。
 とはいえ、実際にやっていいわけではない。ラインハルトも同じ意見なのか、先ほどよりも厳しい口ぶりで相手をなじる。
「フィクションと現実を一緒にするな! 昨夜の講習で、禁止事項は散々説明しただろうが!」
「も、申し訳ありません……!」
 話の内容が理解できないが、ひとまずは解決したらしい。茶色の前髪を震わせて縮こまる赤ドレスの令嬢に対し、彼は吐き捨てるように言葉を継いだ。
「お前はクビだ。荷物をまとめて、さっさと城から出るように。給金の支払いは追って通達する」
「はい……」
 がっくりと肩を落としたまま、彼女は茶色のロングヘアを揺らして会場を後にした。その後姿を見届けてから、ラインハルトはこちらを向いた。
 黒髪と同じ色のメガネが特徴的な、知的な印象をまとった青年だ。勉学だけではなく、武道にも造詣が深いことが、引き締まった体格から見て取れる。たとえ、ジャケットにワインがべったりついていたとしても、クールな佇まいは変わらない。
「すまない。嫌な思いをさせてしまった」
 そう言って、ラインハルトはメイドの一人を呼びつけた。ワインの飛沫がかかっていないか、マルティナのドレスを細かく確認させている。
 ややあって問題ないことが分かると、彼はかすかに安堵の息を漏らした。しかし、すぐさま仏頂面を取り繕い、マルティナに手を差し出す。
「ミュンハイムの王太子、ラインハルトだ。先ほどの行動には、ぜひとも賞賛を贈りたい。君は確か……ツァンパッハ公爵がご令嬢、マルティナ嬢だな?」
「わ、私を知っているのですか?」
 マルティナは驚嘆しつつ、握手に応じた。手のひらにワインがついたことに気付き、さりげなくハンカチで拭い取る。
「パーティの主催として、ゲストの顔と名前を覚えるのは当然のことだ。よければこの後、二人で話したいのだが?」
 それにならって自身もハンカチで手を拭きながら、彼はキリリとした表情でエスコートを申し出た。赤いドレスという暗黙ルールを破ったものの、そのおかげでチャンスが巡ってきたのだ。幸い、彼は暗黙ルールを知らないのか、マルティナの服の色に言及する素振りはない。
 思わぬ僥倖に面食らいつつ、彼女は決まり悪そうに目を泳がせた。上着に沁み込んだワインの匂いが、プンと周囲に漂っている。
「その前に、お召し物を変えられた方が……。濡れたまま外に出ては、風邪をひいてしまいますし……」
 こういうことを言うから、「可愛げがない」と怒られてしまうのだ。言ったそばから歴代の婚約者たちの顔が頭に浮かび、マルティナは苦虫を噛み潰す。
 正論よりも、その場の雰囲気。
 せっかく誘ってくれたのだから、まずは乗り気であることを示すべきだろうに。理屈では分かっているのだが、どうしても実践できない自分に嫌気が差した。黙っていようにも、気になって仕方ないのだ。
 頭の中で反省会を繰り広げていると、ラインハルトは「確かに!」と力強くうなずいた。予想とは異なる反応に、マルティナは目を丸くする。
「君は細かなところに気が付くな! ますます気に入ったぞ!」
 仏頂面のまま声だけを弾ませ、彼はさっさとその場を後にした。大急ぎで着替えを済ませ、戻ってくるつもりなのだろう。メガネの奥でかすかに上気していた頬に、マルティナは赤くなる。
 ――むしろ、褒められましたわ……。
 彼が去った後も、呆然とその場に立ち尽くした。これまでの男性とは異なる態度に、胸の高鳴りが抑えきれない。
「そうですわ! ガブリエラ嬢にお礼……!」
 暗黙のドレスコードを教えてもらったことを思い出し、マルティナはきょときょとと周囲を見渡した。「ありがとう」と言いかけ、ワイン騒動の仲裁でそれどころではなくなってしまった。
 改めて話をしようと彼女を探すも、それらしき姿はどこにもない。金髪に特徴的な八重歯の女性だから、会場が赤いドレスで埋め尽くされていても、ある程度は見分けがつきそうなものだが。
「どこに行ったのでしょう……?」
 方々探したのち、近くの給仕に訊ねてみるも、全員首を傾げるばかり。途方に暮れたマルティナは会場の隅で大人しく、ラインハルトの着替えを待つのだった。