圧迫面接を突破し王太子妃に内定しましたが、全力辞退したらノンデリ殿下になりふり構わず追われてます! 3
「なかなか、いい眺めだろう?」
月明かりが周囲を優しく照らすなか、ラインハルトはバルコニーの柵に手をついた。
先ほどからずっと、「人を寄せ付けない冷徹な王太子」として振る舞っているらしいが、メガネの奥から覗く瞳はどこか優しい。そうしたある種のちぐはぐさが、マルティナの心をかき乱す。
「そ、そうですわね……」
彼の隣に立ち、うつむきがちに答えた。かすかに漏れ聞こえる会場の喧騒が、静寂の夜を強調している。それなのに、心臓の音がやけにうるさい。
考えあぐねた拍子に肩口がわずかに触れ、マルティナはそそくさと半身をずらした。別段やましいことなんてないのに、目のやり場に困ってしまう。
どこを見たらいいか分からず視線を泳がせていると、そのまなざしを追いかけるようにラインハルトが顔を寄せた。かすかに漂う着替えたての衣服の匂いが、なぜだか少し照れ臭い。
「あのバラ園が気になるのか? 父上もよく、眺めながら茶菓子を嗜んでいる」
眼下に広がる深紅の花々に目を遣り、彼が言った。その言葉で庭園の存在に気付いたマルティナは、一面に広がる美しい光景にため息をつく。
「確かに、この景色を見ながら飲むお茶は格別でしょうね……」
偉大なる国王の意外な一面に、マルティナは小さく笑みをこぼした。実際に会ったことはないものの、肖像画は目にしているため、威厳に満ちた見た目だということは既に知っている。
ラインハルト同様に背が高く、体格の良い初老の男性だ。強面の佇まいからして、バラを愛でるようなタイプだとは思ってもみなかったが。
人は見かけによらないことを改めて実感しつつ、マルティナは微笑ましさに頬をゆるめた。屈強な大男が甘いお菓子と共に庭園を望む姿に、自ずと親近感が湧いてくる。
手入れが行き届いたバラ園を前に、胸をあたたかくしていると、自分のものとは異なる指先が頬に触れた。自身の方を向くようラインハルトによって促され、マルティナは息を詰まらせる。
「ドレス……目の色と合わせたんだな」
顔に触れたまま、彼はマルティナの顔を覗き込んだ。その際、メガネの奥で光る双眸が頭上の星空と同じ色味であることに気付き、体の芯が熱くなる。
「え、ええ……。デビュタントの際、両親が見立ててくれたものなのですが……気に入っているので手直ししながら着続けていて……」
相手の目の色が色移りしそうな距離感に声を上擦らせつつ、マルティナは決まり悪く視線を下げた。
流行に合わせて仕立て直しているとはいえ、八年前のドレスをいまだに愛用しているだなんて、公爵令嬢のくせにみすぼらしいと思われやしないだろうか。
若干不安になりつつも、恐る恐る顔を上げる。しかし、視界に飛び込んできたのは、メガネの奥に灯る星空色のきらめき。
「なるほど。気に入ったものは長く使いたいタイプなんだな……! 僕と同じだ」
そう言って、ラインハルトは子どものように目を輝かせた。次いで、自身の右足を軽く持ち上げ、あごでしゃくる。
「かくいう僕も、ずっと同じ靴下を履いているんだ。毎日洗っているから問題ないはずだが、『穴が開きそうだから新調しろ』と執事たちがうるさくて敵わない」
「それはさすがに……替えられた方が……」
スラックスの裾から覗く紺色の靴下に目を投じ、マルティナは苦笑した。物持ちが良いという共通点に気持ちが高揚し、打ち明けてくれたのだろうが、きらびやかな王太子のイメージとはあまりにもかけ離れている。
一方、ラインハルトは面食らうマルティナのことなどお構いなしに、「分かってないな」と小鼻を膨らませた。
「他の靴下じゃダメなんだ。これじゃないと、なんか……しっくりこない!」
「ああ……。ありますわね、そういうの……」
「だろう!?」
ラインハルトは前のめりでマルティナに詰め寄り、メガネをクイッと押し上げた。初めて共感してもらえて嬉しいと言わんばかりの態度だ。彼は両手でマルティナの手をつかんでぶんぶんと振った後、急に冷めた口調で言葉を継いだ。
「僕はこれで充分だと言っているのに、執事たちが毎回新しい靴下を買ってくるんだ……。あんなにたくさん、履ききれるわけないじゃないか……。しかも、全部ゴワゴワしてて履きにくい……」
「心中、お察ししますわ……」
悲嘆に暮れるラインハルトを見下ろし、マルティナはなんとも言えない表情でつぶやいた。彼の世話をする使用人たちの気持ちも理解できるため、不要な言及は憚られる。
そうした素振りを肯定だと捉えたのか、彼は弾かれたように顔を上げた。黒縁メガネに彩られた双眸は、子どものように輝いている。
「価値観が合うな、僕たち! 穴があくまで同じ靴下を履く僕と、擦り切れるまで同じドレスを着続ける君……! 二人とも、見栄より快適さを追求する合理性を持ち合わせている! 君のような女性を探していたんだ!」
「そ、そうなのでしょうか……?」
マルティナは飲み込めないと言わんばかりに小首を傾げた。雑に話をまとめられているような気がして釈然としないが、わざわざ異を唱えるほどでもないため口をつぐんだ。
対するラインハルトは感激したのも束の間、急に顔を曇らせた。月明かりを弾くメガネのレンズには、ラベンダー色のドレスが映っている。
「そんな大切なものを、危うく汚してしまうところだった……。僕としたことが……。なんて詫びたらいいんだ……」
そう言って、彼は黒い短髪で覆われた頭を抱える。自分の靴下に置き換え、マルティナの身に降りかかった災厄を思い返しているのだろう。先ほどの高揚した様子とは真逆の態度に、マルティナは慌ててかぶりを振った。
「いえ! 別に、殿下が悪いわけでは……!」
会場を追い出されたワイン騒動の赤ドレスを思い浮かべ、ラインハルトに非がないことを強調する。もとを正せば、件の令嬢が勝手にやったことだ。主催者だからといって、彼が負い目を感じる必要はない。
そのことを伝えるも、彼は「いや、しかし……」と食い下がった。よほど責任感が強いのだろう。会場では冷徹な人柄を演じていたわりに、ひょうきんで義理堅い一面があるようだ。垣間見えた王太子の素顔に、マルティナは思わず苦笑する。
「いいのです。殿下こそ、私の代わりにワインを被ってくださったではありませんか」
「当然のことをしたまでだ。主催者として、僕は会場の指揮と統制を図らねばならないのだから……」
「ふふ。パーティというより、組織を相手取っているみたいな言い方ですわね……!」
「もちろんだ! なんたって、僕はこの『集団面接』における……いや、なんでもない」
途中まで言いかけ、ラインハルトはそそくさと発言を取り消した。その振る舞いに疑問を抱きつつも、マルティナはきょとんと小首をかしげる。きっと、口外できない事情でもあるのだろう。
しつこく問いただせば、またしても「可愛げがない」と疎まれてしまいかねない。過去十三回の破談により、行き過ぎた干渉は関係の終焉につながることを彼女は熟知していた。深く考えるのをやめ、素知らぬふりで言葉を継ぐ。
「……お優しい方なのですわね」
「『優しい』……? 僕がか?」
訝しげに聞き返すラインハルトに、マルティナは「ええ」とうなずく。できることなら打ち明けたくなかったが、妃選びのパーティである以上、己の瑕疵は前もって伝えておかなくてはならない。
「十三回も破談を言いつけられた私を、こうして気遣ってくれるのですから……。殿下はお優しい方ですわ……」
「え……?」
思いもよらない事実に面食らったのか、ラインハルトはメガネの奥で目を見開いた。招待状を返信する際、婚約破棄のことについては記しておいたものの、見落としている可能性もあるため、直接伝えることにしたのだ。
これで妃として選ばれる可能性は潰えただろうが、遅かれ早かれバレることを考えたら、いちいち隠すのは不誠実だ。マルティナはピンクブロンドの前髪を掻き上げ、言葉を継ぐ。
「『可愛げがない』って、よく言われてしまうんです。よかれと思っての指摘や振る舞いが、殿方の不興を買ってしまうらしくて……」
歴代の婚約者らを罵っていると受け取られないよう、慎重に言葉を選びながら、ラインハルトに事情を話した。
婚約破棄の経験があることを理由に、こちらを見下してくる男性も数多く存在するのだ。目の前の王太子がそうでないことを人知れず祈るも、胸の奥が締め付けられた。
決まり悪く口を引き結び、マルティナは逃げるように視線を逸らした。同時に、優しい夜風が二人の間を通り抜ける。
頬に触れる空気が、やけに冷たくて凍えそうだった。まるで、そこだけ濡れているみたいだ。
「も、申し訳ありません……」
無意識に涙していたことに気付き、マルティナは咄嗟に手の甲で目元を覆った。
無念さが極まったとはいえ、これでは被害者ぶって泣きついているようではないか。込み上がる羞恥心をやり込め、空元気で声を弾ませる。
「ワインの件でお気に掛けてくださったのは嬉しいのですが、私のような『毒婦』では、正妃なんて務まりませんわ……! 今日は素敵なひとときをありがとうございました。お話しできて、楽しかったです」
愛想のいい笑顔で淀みなく言い切り、泣き顔を誤魔化すように踵を返した。刹那、彼に腕をつかまれる。
「勝手に話を終わらせるな……!」
引き寄せられた拍子にバランスを崩し、マルティナは後ろに倒れ込んだ。ふわりと舞う薄紫色のドレープを、ラインハルトが受け止める。
「で、殿下……!」
反射的に体を引きはがそうと身をよじるも、ラインハルトがそれを阻んだ。後ろから抱き着く格好で、彼はマルティナの肩口に鼻先を埋める。
「人間の本性は、窮地に陥った際に出るものだ。君は『暗黙のドレスコード』という想定外の事態に見舞われてもなお、同じ境遇の他者を庇った。思い入れのある大切なドレスが、駄目になってしまうにもかかわらず」
そこまで言うと彼は腕をゆるめ、マルティナを自身の方に向かせた。生まれて初めて異性と抱擁を交わし、彼女は頬を染める一方、ラインハルトは「急に抱き着いてすまない」と視線を下げる。
「僕は将来、父の跡を継いでこの国の王になる。そのためには、『優秀な人材』を妃として娶らねばならないんだ。家柄や表面的な肩書きだけでは測れない、人間性を兼ね備えた女性を……!」
力強い口調と共に、彼はまっすぐにこちらを見つめた。黒縁のメガネから覗く双眸が、頭上に広がる星空のごとく輝いている。
その真剣なまなざしはマルティナを通り越し、ミュンハイムの国民一人一人にまで向けられていた。そうした志の高さに、ドレスと同じ薄紫色の瞳が揺れる。
「君が言う『可愛げがない』の意味はよく分からんが、僕に相応しい女性であることは理解している。婚約破棄の回数など、表面上の数字でしかない」
「殿下……!」
「マルティナ、と呼んでも?」
「ええ、もちろんですわ……!」
柔和に微笑むラインハルトに、マルティナは頬を赤らめ、うなずいた。一国を担う王太子として真剣に妃を選んでいるというだけでも関心に値するのに、まさか自分がその対象として抜擢されるなんて。
気に入ったものは長く使い、民に対しても誠実で、マルティナの破談も受け入れてくれる広い懐を持つ男性。第一印象は取っ付きにくい冷たさがあったものの、本当は優しくて気さくな一面を持っている。
――そんなお方が、私に手を差し伸べてくれるなんて……。
流行りの恋愛小説さながらの展開に、マルティナは胸の高鳴りが隠せなかった。
一時は貴族令嬢の身分を捨て、山奥の修道院で神に仕えることも視野に入れていただけに、その喜びはひとしおだ。
しかし、舞い上がるマルティナとは裏腹に、彼は無表情でメガネのフレームをクイッと押し上げた。値踏みするような目つきでマルティナを上から下まで凝視したのち、「……と言うわけで」と切り出す。
「仮初めの妃として、関係を結んでほしいんだ」
「え、あ……。仮、ですか……?」
想像していたのとは異なるセリフに、有頂天のマルティナは一気に現実に引き戻された。一瞬、自身の聞き間違いを疑うも、ラインハルトは曇りなき眼で「ああ、そうだ!」と力強くうなずく。
「いきなり本採用ではミスマッチングが生じかねないからな! まずは試用期間を設けたい!」
「ああー……。なるほど……」
呆気に取られたまま、マルティナは曖昧に相槌を打った。王太子として妃選びに失敗できない以上、有効な手段だと頭では理解できても、感情の方は追いつかない。
「なんていうか……すごい、合理的な方法ですわね……?」
「だろう!?」
食い気味に応じるラインハルトを、マルティナは生温かい目で見つめた。形容し難い不安を覚えるも、理屈は通っているため言い出せない。国を想う熱意だと主張されれば、反論の余地などないだろう。
王太子としての立場に、並々ならぬ責任を抱いているだけ――そう自分に言い聞かせ、マルティナは彼の申し出を受けることにした。まさかこうしたやり取りが『採用活動』の一環だなんて、この時は予想だにしなかった。
◇
「陛下は件の『圧迫面接』、上手くいくと思いますか?」
柔らかな陽光が心地良い昼下がりのバルコニーで、ミュンハイム王国が宰相・ゲルストナーは自らの主君であり、茶飲み仲間でもあるヨナタンに疑問を投げかけた。
向こうは初老とは思えない逞しい体つきであるのに対し、こちらは年相応の小柄な体型。ガーデンテーブルを挟んで対峙すると、本当に同い年なのだろうかと疑ってしまう。
「ラインハルトの『妃選び』か」
ヨナタンは厳つい顔でティーカップに浮かんだバラの花びらを見つめ、ずずっと淹れたての紅茶をすすった。
公務の合間に執務室を抜け出し、こうして眼下のバラ園を望むのがなによりの楽しみなのだ。時折花を愛でるのに夢中で、仕事を忘れるのが玉に瑕だが。
これだとただの道楽爺に見えるが、彼は大陸内でも屈指の賢王として、その名を世に轟かせている。
周辺国が群雄割拠の争いを繰り広げるなか、唯一ミュンハイムの平和を貫いているのが最たる理由だ。そして宰相であるゲルストナーは、賢王の右腕として今日も職務――もとい、茶飲み話に勤しんでいる。
「無礼を承知で言わせていただきますが、私にはあの『採用活動』、とてもじゃないですが成功するとは思えません……」
馥郁たる花の香りが立ちのぼるティーカップに口をつけ、ゲルストナーはためらいがちに進言した。
バラを愛でている時は比較的機嫌が良いものの、表情に乏しい強面と元来の不愛想が相まって、目の前の偉丈夫はなにをしても怒っているようにしか見えない。
不興を買うまいと恐縮するゲルストナーのことなど知る由もなく、ヨナタンはテーブル中央に設置されたケーキスタンドに手を伸ばした。庭園のバラを練り込んだ焼き菓子を惜しげもなく口の中に突っ込んでは、「失敗するわけなかろう」と切り返す。
「あれは余が第三者委員として監修しているのだ。コンプライアンス対策に抜かりはない」
「食べるかしゃべるか、どっちかにしてくださいよ……」
ゲルストナーは嘆息交じりに鼻白むも、注意するのが遅かったのか、ヨナタンは盛大にむせかえった。口に菓子を詰めすぎたのが良くなかったのだろう。冬眠前のリスでも、ここまで頬に食べ物を溜め込まない。
宰相は慌ただしくティーセット用のワゴンに向き直り、グラスに冷水を注いでヨナタンに手渡した。彼はそれを勢いよく飲み干した後、地鳴りさながらの長大息と共に続ける。
「窮地に立たされた時こそ、人は本性を現すのだ。余の跡を継ぐラインハルトの妃は、己の感情に流されず、コミュニケーション能力に優れ、レジリエンスの高い人材こそが相応しい……」
「商業ギルドの新人採用担当者みたいなことを言ってる……」
聞き慣れない横文字に困惑しつつ、ゲルストナーは懐に手を遣った。件の『採用活動』の計画書をねめつけ、どうしたものかと腕を組む。
理屈っぽい父王の影響を受け、息子である王太子も頭でっかちに育ってしまった。そのせいで、ヨナタンはいまだに子離れができていない。なまじ価値観が似ているせいか、ついつい話が弾むらしい。
つい最近も、「庶民の『就職活動』に着想を得た」だのと言い、親子そろってこんな無茶な計画を実行してしまった。これで本人らは「そりが合わない」と互いに敬遠し合っているのだから、周囲は困惑するばかりだ。
「ですが陛下。このスケジュールでは、ラインハルト様のご負担が大きすぎるのではないでしょうか? 書類選考を通過した候補者らを十名ずつパーティ会場に呼び込み、そのなかから優れた一人を選出するんですよね?」
「ああ。書類を通った者は百人いるから、候補者を入れ替えて十回行う計算だ」
「ラインハルト様、同じパーティを十回もやるんですね……」
「ちなみに、その資料の端に記載されている赤ドレスの女は、令嬢らにプレッシャーをかけるための舞台装置(エキストラ)だ」
「城下町の劇団に赴き、女性俳優を搔き集めたんですっけ……」
「面接対象の十人だけでは、会場がスカスカになってしまうからな。これではパーティっぽさが出ない」
『一次選考』と銘打ったパーティ形式の『集団面接』を思い返し、ゲルストナーは渋面で資料を眺めた。現在はすべてのパーティが完了し、次なる『二次選考』に駒を進めている。
候補者たちは『仮初めの妃』として王宮の一画に迎え入れられた後、あの手この手でいびり倒される、という内容だ。流行りの恋愛小説を参考にしているせいか、恋敵として登場する仕掛け人・ヨゼフィーネの設定が妙に作り込まれている。
そのため、候補者同士が互いに顔を合わせないよう、細心の注意を払う必要があった。王宮の各所に十のエリアを設置し、そこに一名ずつ『仮初めの妃』として選出された令嬢らを配置しているのだ。
「これ、ヨゼフィーネや使用人たちも、候補者の人数分用意しなければなりませんよね?」
「左様。つまり、この城には今、十名のヨゼフィーネが存在する……!」
「想像するだけでややこしい……」
「案ずるなゲルストナーよ。ヨゼフィーネは役者を使えば、いくらでも増やせるんだ。それより問題はラインハルトだ。不運なことに、あいつは一人しかいないからな……」
「候補者が暮らす十のエリアをそれぞれ行き来しながら、『面接』する必要がありますね……」
「通常の公務と並行でこれらをこなすなど、気が狂っているとしか言いようがない」
「いや、第三者委員として協力しているのですから、計画段階で止めてあげてくださいよ……」
分刻みのスケジュール表を一瞥し、ゲルストナーは苦言を呈した。短期間に十回ものパーティをこなすだけでも重労働なのに、『二次選考』では多忙に拍車をかけている。
このままではいずれ、王太子が過労で倒れてしまいかねない。予想では一週間程度で妃が決まるらしいが、それまで彼の体力が持つかどうか。
「だから近頃のラインハルト殿下、生気がなかったのですね……」
「フン、頭でっかちな合理主義者の末路よ」
「陛下も人のこと言えませんよ……」
ぬるくなった紅茶で口を湿らせ、ゲルストナーは苦言を呈した。いずれにせよ、賽は投げられてしまったのだ。こうなったら最後、ミュンハイムの宰相として『圧迫面接』の成功を祈るより他ない。
声には出さずに願掛けをしてみるも、やっぱり嫌な予感しかしなかった。
候補者である令嬢は王宮での冷遇生活を必死に耐え忍んだにもかかわらず、すべては茶番だと打ち明けられる運命なのだ。窮地に陥った際の本性を知るためとはいえ、少々人の気持ちを踏みにじりすぎではなかろうか。
自分がもし、騙された側の令嬢だったら。宰相は持ち前の想像力を働かせるも、邪念を払うがごとくかぶりを振った。
これ以上は考えるべきでない――種明かしをされた際の憤りから目を逸らし、彼は深紅のバラ園をじっと見つめる。
◇
子どもの頃、木に登って足を滑らせた。
それを見た大人たちは、外遊びを禁じた。王太子ともあろう者が、怪我をするなど言語道断だ、と言って。
『だが、来月は隣国の要人が家族を連れて訪問してくるのだろう? 先方のご令息を退屈させないよう、王太子として体を動かす遊びを覚えなければ』
幼顔でメガネをクイッと押し上げ、まだ少年のラインハルトは反論した。これも外交の一環――そういうことにしておけば、大抵の要望は通ると学んだのはこの頃だ。
たまに言い負かされても、その時は自身の主張が至らなかったのだと素直に認めた。希望を叶えたいなら、相手よりも優れた持論を展開すればいい、と。
幼いラインハルトにとって、合理性は窮屈な王宮生活における処世術だった。
なにをするにも正当な理由がなければ、「子どもの戯言」として聞き流される。しかし、「王太子として」という大義名分を掲げた途端、自身の発言は神童のそれへと生まれ変わった。
『さすがはミュンハイムの賢王が誇るご子息! これで、我が国は安泰だ!』
もっともらしい理屈で切り返すたび、周囲は太鼓判を押してくれた。やはり、自分には知力や頭脳が求められているのだ。まだ子どもだったラインハルトは、そうした思い込みを強化していく。
無論、私情が許されない公務の場において、この手の姿勢は大いに役立った。
特に外交の場においては、自国が優位に立てるよう計算したうえで条件を提示しなければならない。これらの成功体験ですっかり味を占めた彼は、次第に自身の考えを過信するようになっていく。
そうしたツケが回ったのか、プライベートでの人間関係は少しずつ軋轢が生じるようになっていった。
当然だ。論理だけを追い求め、相手のニーズや感情の機微や揺れをまるっきり無視しているのだから。結婚適齢期を迎えてもなお、縁談がまとまらないことに危機感を覚えた彼は、パートナー選びの抜本的改革を図るようになる。
――家柄や身分だけのマッチングでは、「価値観の相違」という脆弱性を払拭できない。やり方さえ変えれば、僕に見合った人物が見つかるはず。
配慮やデリカシーに欠けるという理由で自身のもとを去っていく妃候補らを尻目に、ラインハルトはなにか良い方法はないか考えた。
気付けば二十七となり、世継ぎを急かされるようになっていた。次期国王として国を担う立場にある以上、独身を貫くことは許されない。なんとしてでも、王太子妃に相応しい女性を探さなければ。
そうした背景により、彼は父王の助言を参考に、庶民の就職活動から着想を得た『圧迫面接』の実施に至った。
これなら客観的指標で候補者らを選別できるし、成婚後に「思っていたような人じゃなかった」と後悔するリスクも小さい。貴族令嬢は大抵、外面だけはいいので、本性を見分けるのは容易ではないのだ。
――ストレス状態においても感情的にならず、冷静で公平な判断ができる妃がいい。もちろん、知性や教養も欲しいところだ。加えて、細やかな気遣いができれば、僕の右腕として外交の場にも登用できるぞ……!
理想をいくつも挙げながら、『採用活動』における方針を練った。ラインハルトは外交の場においても気を利かせるのが苦手な傾向があるから、そこをサポートしてくれる女性が望ましい。
これまでの縁談相手とは真逆の性質――聡明で理解力があり、感情に振り回されない理性的な令嬢。そんな人なら、自分とでも上手くいくはず。
『圧迫面接』の準備に取り掛かりつつ、ラインハルトは期待に胸を膨らませた。はじめからこうすれば良かったのだと、失敗続きの縁談を振り返る。
しかし、彼は肝心なことを見落としていた。
どんなに理性的であろうと、人間は己のエゴから逃れることはできないのだ。たとえ大陸随一の頭脳を持ち合わせていても、こと恋愛においては誰しもが『非合理』に振り回される。
それは、ラインハルトとて例外ではなかった。
無論、ご自慢の『圧迫面接』で選んだ妃候補も。人にはそれぞれ、「頭では納得しても、感情では許せないライン」というものが存在するのだ。
そうとは知らず、彼は鼻歌交じりに計画書を作り上げた。
まだ見ぬ「同じ価値観を有した貴族令嬢」と睦み合う自身を想像しながら。まさか、理想通りの女性にすらフラれるなど、夢にも思わず。
ラインハルトは愛用の懐中時計を手に所定のエリアへ駆け込むと、なかば倒れ込む格好で仕掛け人用の控室に入った。黒縁のメガネが光る端整な顔には、真っ赤な紅葉模様が刻まれている。
先ほど、第二ブロックの候補者に『不採用』を告げた際、思いっきり頬を引っ叩かれたのだ。これまでの冷遇生活はすべて茶番だと伝えるたびに、こうして逆上されてしまう。
「うわ、痛そ……」
扉の音に気付いた仕掛け人の一人が、怪訝そうに顔をしかめた。引きつった口元からは、特徴的な鋭い八重歯が見え隠れしている。
候補者らに嫌がらせをしてプレッシャーを掛ける舞台装置(エキストラ)の一人だ。彼女は駆け出しの女性俳優で、『一次選考』の時からずっと協力してくれている。
名は確か、エーファといったか。
舞台用の化粧道具を手にこちらへ駆けてくる姿を見るでもなく眺め、ぼんやりと記憶を手繰る。演技が得意な庶民の女を大量に雇っているため、名前なんかいちいち憶えてられないのだ。
そうした背景により、ラインハルトは仕掛け人らを役名で呼び分けるようになった。
この女はここ、第三ブロック担当のヨゼフィーネだから、「ヨゼフィーネ三号」といった具合だ。過密スケジュールのせいで疲労はピークに達しているため、余計なことに頭を使いたくなかった。
「礼を言うぞ。ヨゼフィーヌ三号」
「その呼び方、マジで人として終わってんね? あと、ヨゼフィーネだから!」
濃い目のドーランでビンタの跡を塗りつぶしながら、エーファは額に青筋を浮かべた。庶民出身のせいか、誰に対してもざっくばらんな口ぶりだ。はじめこそは注意していたものの、そのうち指摘するのも面倒になり、今は完全に黙認している。
ちなみにこの女、『一次選考』の時は「ガブリエラ四号」だった。高圧的な態度で、パーティに参列した令嬢たちに理不尽極まりない『ドレスコード』を教えるのがその役目だ。
「別に……終わって、など……」
「ああ~! ダメダメダメ、寝落ちしちゃ! 白目剥かないでよ、もぉ~!」
乱暴に肩を叩かれるも睡魔には抗えず、ラインハルトはこっくり、こっくりと体を揺らした。『二次選考』開始から四日目にして、早くも体力の限界だ。通常の公務と並行して面接官を務めているのだから、無理もない。
しかも、候補者の居住エリアが互いに隣接しないよう、てんでんばらばらの位置に設置しているため、移動に手間がかかるのだ。ここの『面接』が済んだら、休む暇なく次のエリアへ赴かなくてはならない。さらに、夕刻からは他国の要人との会談を控えているという多忙ぶり。
考えただけで頭が痛くなってきて、陰鬱とした気分になってきた。日を追うごとに荒れていく候補者の令嬢らを想像するたびに、すべて投げ出したい衝動に駆られる。
『圧迫面接』というだけあって、彼女たちは常にプレッシャーをかけられているのだ。そのせいか、はじめは愛想よく振る舞っていたくせに、次第に本性を現すようになっていた。
「嫌だっ……! またヒステリックに喚き散らされたり、終わりのない愚痴を延々と聞かされたりするんだっ……! 怖い、行きたくないっ……! おうちに帰りたい……!」
「ウケる。自分が『圧迫』されてんじゃん。そんな嫌なら、全員失格にすればいいのに」
「駄目だ。僕個人の意見だけでは、公平な判断を下すことができない。父上が率いる第三者委員会に報告し、承認印をもらってから『不採用』を通知しないと……」
「よく分からないけど、要は自分で自分の首を絞めてるってわけね」
エーファは呆れきった表情でラインハルトの顔色を整え、舞台化粧の道具一式を戸棚に戻した。そしてこちらを一瞥し、「残念だな~」と聞こえよがしに嘆息する。
「マルティー、ハルっちに会いたがってたのにぃ~」
「なに、それは本当か!?」
一気に頭が冴え渡り、ラインハルトは弾かれたように顔を上げた。それを見たエーファは、「分かりやすっ」と顔をしかめる。
「もうマルティーでいいじゃん! やめようよ、こんな不毛なこと!」
「馬鹿を言うな! ミュンハイムの王太子として始めた一大事業を、いい加減な気持ちで投げ出して堪るか! 後の国母となる女性なのだから、然るべき手順を踏み、正当に評価したうえで選出するんだ!」
「アホくさ。そんなこと言って、マルティーに愛想尽かされても知らないから!」
「君のような単細胞と一緒にしないでくれ! 彼女はそんな短絡的な人間じゃないんだ。っていうか、さっきからなんなんだ『マルティー』って! 勝手にあだ名をつけるな! 無礼だぞ!」
「自分が『ハルっち』って呼ばれるのは気にしないくせに……」
憤慨するラインハルトをよそに、エーファは露骨な態度で鼻白んだ。無論、ラインハルトとしては自分のことも愛称で呼ばれたくないのだが、言ったところで聞く耳を持たないだろうから、とうに匙を投げている。
「こんなところで油を売っている場合ではない……! 早く、マルティナのもとへ行かなければ……!」
手中の懐中時計に目を落とし、ラインハルトは颯爽と控室を後にした。日を追うごとに殺伐としていく『圧迫面接』のなかで、良識ある彼女だけが唯一の癒しだ。
面接官という立場上、仕方なく素っ気ない態度に徹してきたのだが、彼女はそれでもこちらを気遣ってくれた。きっと、聡明で優しい女性なのだろう。そうした懐の広さは、赤ドレスでお馴染みの『一次選考』の時から発揮されている。
まさに、王太子妃に相応しい器だ――そう考えると同時に、ラインハルトは良心の呵責に苛まれた。面接官として辛辣に接するたびに、彼女を悲しませているからだ。
人間性を試すべく、酷い扱いをしているのだから当然なのだが、心を痛めずにはいられなかった。きっと、たくさん傷ついているだろうに、それでも微笑みを絶やすことなく接してくれる。そんな健気な姿が、ラインハルトをますます燃え上がらせた。
――『内定』が決まったあかつきには、世界で一番幸せにしてみせる……!
脳裏に焼き付いた物憂げな表情に、人知れず誓いを立てた。王太子妃に相応しいか試すためとはいえ、何度も何度も虐げてしまったのだ。『圧迫面接』が終わったら、なんとしてでも埋め合わせをしなければ。
とは言うものの、ラインハルトはあくまで楽観的に考えていた。
ゆくゆくは国母として、ミュンハイムを支える女性だ。多少気持ちを踏みにじったとしても、事情を説明すれば理解してくれるはず。何度言っても話を聞かず、怒り狂ってビンタをお見舞いしてくるような、他の令嬢たちとは違うのだ。
「早く会いたい……」
目を皿にしてピンクブロンドの後姿を探しつつ、聞こえるかどうかの声で独りごちた。
途中で『選考』を投げ出さないということは、向こうもこちらを少なからず慕っているはず。ならば、『内定』さえ出せば、その後は大団円に違いない。
方々探し回った末、寝室代わりに当てがった物置き部屋を覗くと、彼女は日当たりの悪い窓辺でせっせと縫い物をしていた。よほど集中しているのか、ノックをしても気付く素振りはない。
「――マルティナ」
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