戻る

占い師に国王への恋心を相談したら女装した本人でした!? 秘密の官能レッスンでとろとろに手なずけられてます 3

第三話

 

「礼儀作法は問題なさそうね」
 貧乏貴族とはいえ、頭の先からつま先までしっかりと意識が行き渡っている。
 自分の行動がどのように他者の目に映るのか、幼いころから身体に叩き込んであるためだ。
「マダムにそう言っていただけると心強いですわ」
 レティシアは笑顔が人を癒す効果があると父から褒められたことを思いだし、それを前面に押し出す。
(陛下にお目にかかるにはまずマダムのお眼鏡に適わなければいけないということね)
 できるだけ優雅に見えるように、レティシアは細部にまで気を配った。
 ただお茶を飲むのにも緊張が付きまとうレティシアと違い、マダム・ノワリスは非常に優雅で身に付いているというよりも、呼吸するようにできている。
 無理がなく、それでいて人の目を引き付ける魅力のようなものが身体から滲み出ていた。
「マダムって、お美しいんですね……」
「え?」
 思わず零れたレティシアの言葉に、マダムが黒いベールに触れた。
 その仕草から顔を見られたくないのだと悟ったレティシアは、慌てて弁解する。
「あ、見えたわけではありません。マダムの所作があまりにも自然で美しかったので、表情にお人柄が表れるって言うでしょう? だからお顔もお美しいのだろうと……人の容姿に対して不躾に発言して……すみません」
 こんなことでは国王に会わせてもらうなんて無理だと思ったレティシアはがっくりと肩を落とす。
 言葉にせずともレティシアの絶望が手に取るようにわかったのか、マダムは肩を揺らして笑う。
「ふ……っ、はは……! いえいえ、お気になさらずともよろしいですよ。私の所作をほめてくださったのですから、お礼を言わなければ。でも顔を隠すのは必要なことなので……」
 意味ありげに濁されると、レティシアは恐縮して縮こまる。
「もちろん、ベールに包まれたマダムはとても神秘的です! でもお顔だけではない、滲み出るような美しさがマダムにはあるのです!」
 本気だと思ってもらえるように力を込めて告げたレティシアの言葉に、マダムは顔を綻ばせる――もちろん彼女には見えないが。
「ありがとう、あなたにそう言ってもらえると嬉しいわ」
 マダムは優雅に小首を傾げた。
 彼女が気にしていない様子を確認して、レティシアはようやく安堵してお茶を口にした。
(いけないわ……マダムの前では心も口も緩んでしまう)
 本来のレティシアは臆病ゆえに警戒心が強い。
 おっとりとした顔の造作に相殺されて気が付かないが、レティシアは慎重に人の顔色を読んで行動している。
 幼いころに優しい言葉をかけてくる人はみんないい人と思い込んで、痛い目を見たことがあるからだ。
(人は注意深く目を見ていればわかるもの……でもマダムはベールをしているからわからない……それなのにわたしに好意的なことがわかるのはなぜ? わたしの期待が籠もっている? 期待……わたしはマダムに好かれたいの?)
 倒錯的な妄想が頭を過ったレティシアは慌ててかぶりを振り、邪な気持ちを追い出す。
(憧れよ……年上の方に対する尊敬と憧れ……だって国王陛下に対する気持ちと全然ちが……待って、結構似ているわね?)
 レティシアは胸に手を当てて考える。
 心の中のアレクシスに対する気持ちのすぐ隣にマダム・ノワリスに対する気持ちがある。
 それは色も形もとてもよく似ていて、ただほんの少しアレクシスに対するものの方が熱い。
 レティシアはその事実にほっと安堵の息をついた。
(よかった……それにしてもわたしって結構惚れっぽいのね)
 そう思いながらマダム・ノワリスとのおしゃべりに興じるのだった。

■■■ ■■■

 和やかに談笑している途中で、急にレティシアが自分の胸を触り始めたので、アレクシスはベールの向こうで顔を強張らせた。
(な、なにをしているのだレティシア・ヴィレル! それとも親しい女性同士ならそういうことは普通なのか? 私もせねばならぬのか?)
 見当違いの煩悩に襲われたのはレティシアが胸に触れたときに、その大きさや柔らかさを想像してしまったからだ。
 これまでレティシアの胸に意識を向けたことがなかったアレクシスだったが彼とて健全な男子、異性の身体には興味がある。
 それは自分に群がる下心を持っている女性を忌避してなお本能に根付いたものだ。
 葛藤するアレクシスは、気持ちを落ち着かせるためにアスターが淹れてくれたお茶を一息に呷って噎せた。
「ごほ、ごほっ!」
「まあ、マダム大丈夫ですか?」
 素早く近寄ってきたレティシアからは、仄かに花のようないい香りがした。
 自分のハンカチを差し出すレティシアの胸ばかり見てしまうアレクシスは、自分の横っ面を殴りたかった。
(情けない……っ、一国の王たる私がこんな体たらく……! だがレティシアだっていけないのだ! こんなやわらかそうな胸で……いい香りがするなんて! しかしどうもレティシアの前だと気持ちが浮ついてしまう)
 ハンカチの礼を言い、浮かれてボロを出さぬよう当たり障りのない話で繋いでいると、向かいのソファに座ったレティシアがそわそわしだした。
「どうしたの? なにか聞きたいことでも?」
 水を向けるとレティシアは上目遣いにアレクシスを見たあと、視線を反らした。
「あの、マダム・ノワリスは陛下の恋愛遍歴はご存じですか?」

■■■ ■■■

 自分の発言が一足飛びになってしまったことを、レティシアは理解していた。
 しかしマダム・ノワリスと話していると自分の中の好奇心が抑えきれなくなってしまう。
 もっと、もっと知りたい話したいと思って余計なことを口にしてしまうのを止めることができない。
 普段ならもっと分別ある会話ができるレティシアは、自分がどうしてこんなふうになってしまっているのか理解できずに混乱のまま口を動かし続ける。
「あの、こんなことを言って変に思われるかもしれませんが……女性は誰だって好きな人の過去のことが気になって仕方がないのです。その思いが叶わないとわかっていても少しでも好みに近付けて嫌悪感を軽減したいじゃないですか」
「嫌悪感?」
 オウム返しにされたレティシアは懸命に説明を試みる。
「そうです! たとえ知らない相手でも、それが自分の好みをちょっとでも掠っていれば話を聞いてもらえる確率が高まるじゃ……」
 レティシアは最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
 素早く動いたマダム・ノワリスがレティシアの顎を捉えて上向かせる。
 白く細い喉が露わになり、ぽってりとした唇にマダムの黒いベールが触れた。
「……君のその美しい声が聴けるなら、世の男どもは挙って君の前に跪くだろう。君の視線を独占できるならどんな道化にだってなるし、この甘い果実のような唇に自らのそれを重ねて何度でも貪りたいと――……」
 マダム・ノワリスはそこで言葉を止めると、ふう、と息を吐いた。
「ごめんなさいね、やりすぎちゃったかしら。でもあなたは魅力的なのだからそんな心配はしなくてもいいのよ」
 そう言って解放されたが、ベールを通して彼女の吐息に触れたレティシアは頭の中が茹だるように火照っていた。
(なに? なに今の? マダム・ノワリスが……あんなことを言うなんて……すごい迫力と色気! 蕩けちゃいそうだったわ……! それに……)
 ベールが触れるほど近付いたお陰で、ベールの中のマダム・ノワリスの顔の輪郭が見えた気がした。
 すっきりとした顎のラインが、思わず触れたくなるような精悍さを持っていた。
(せ、精悍だなんて……品があるマダムに対して失礼な感想じゃないかしら!)
 レティシアは自分に対して憤慨すると、妙な空気を追い払うようにさきほどよりも話を盛り上げるよう努めた。

 そんな交流が数度行われ、場所はいつも『黒猫姫』だった。
 お陰でアレクシスとレティシアが来る日は定休日のようになってしまっている。
 最初こそあらゆることを心配していたマダム(本物)が近くに控えていたのだが、その心配がないということを理解し馬鹿らしくなって心を砕くのをやめ、その日はアスターをお供に外出するようになった。
 マダム・ノワリスとレティシアは距離を縮め、母と子ほどの年の差(があるとレティシアは信じている)を超えた友人のような関係になった。
 以前は向かい合って適切な距離を保っていた二人だが、今では同じソファに隣り合って座ることも珍しくない。
 社交をあまり積極的にしてこなかったレティシアにとって、特に年代の違う女性と会うことは緊張を強いられることだったはずなのに、マダムとはそんなことがないのが不思議だった。
(きっとマダムが安心できる雰囲気を作ってくださっているから……だからわたしも無知だと笑われるのを恐れずになんでも尋ねられるのだわ)
 マダム・ノワリスは貴族社会について詳しく、また諸外国の歴史にも精通していた。
 こと王宮ではそれが当然の教養として扱われる。社交に疎く表面的なマナーしか身に付けていないレティシアにとって、マダムとの時間は金や宝石よりも価値があった。
「マダムのお陰で、陛下の前に出ても恥ずかしくないレディに近付ける気がします」
 笑顔と共に心からの感謝を述べると、マダムが僅かに首を傾げる。
「あなたはすでに完璧なレディで、いつ陛下の前に出ても問題ないわ。ただ、このレッスンは小うるさい蠅の口を塞ぐのに有効というだけ。レティシアになんの不足もない」
 全面的に肯定されたレティシアは嬉しさと照れが大波のように襲ってきて頬を赤らめた。
(もう……、マダムったらお言葉がいちいち甘くてまるで口説かれていると勘違いしそう……男性にだってこんなこと言われたことないわ)
 気持ちを落ち着かせるためにレティシアがお茶で喉を潤すと、マダムは脚を組み替えた。
 仕草は優雅だったが、その中に決意のような覚悟のようなものが滲んでいたことに、レティシアは気付かなかった。
「……ねえ、もし陛下があなたの告白をお聞きになって、その気になったらどうするの?」
「ふぁ!? その気? その気って……?」
 驚いてカップをソーサーで受け損ね、ガチャンと嫌な音がした。
 レティシアは破損を心配したが、それは杞憂だった。
 安堵の息をついたレティシアに、マダム・ノワリスが顔を近付ける。
「その気とは、こういうことよ。陛下だって健全な男だもの。可愛らしいあなたから想いを告げられたら気持ちが昂るかもしれない」
 そう言うと黒いレースに覆われたマダムの手が、レティシアの頬を撫でた。
 妙に扇情的な指の動きに、レティシアは小さく呻く。
「……お戯れは、おやめください……」
「そんなことで発情した男が止まるとでも? ますます思うつぼだわ」
 マダムは膝の上に揃えられたレティシアの手を覆うように握った。
「マナーは完璧でも、こっち方面は履修していないのね……そこが初心で可愛いけれど。レティシアは『練習』しないと心配じゃない?」
 練習? と首を傾げると巧みな動きでマダムがレティシアの手を開かせ交互に指を絡め握り締める。
「ひゃっ?」
 指の股を擦り合わせたりギュッと強く押し付けたりされるうちに、それがなにの隠喩なのか悟った。
(え、でも……マダムがどうして? これはどういうことなの?)
 強引に事を進められているのに、どうしてか嫌悪感が湧かない。
 それどころかレティシアの身体は激しい鼓動に呼応して発熱しているようだった。
 このままでは心臓が肋骨を突き破ってしまうのではないかと思うほどに動悸がする。
(なんで……なんでわたし逃げないの? しようと思えば拒否できるはずなのに……)
 混乱するレティシアにマダムが深い声音で囁く。
「レティシアは他者と触れ合うことに慣れましょう? まずは手を繋いで、次は軽いハグを。そしてその次は……」
 マダムは握っていない方の手で顔にかかったベールをほんの少しだけ持ち上げる。
 そうすると形のいい口元とすっきりした喉元が露わになった。
 普段隠されたところが晒されたことにドキリとすると同時に、なにか違和感めいたものが過った。
(あれ、なにかしら……?)
 よくわからない感覚に眉根を寄せそうになるが、すぐにマダムの唇に視線が吸い寄せられる。
 口紅が塗られていないにもかかわらず艶やかなマダムの唇は、女性にしては薄い。
 その唇が薄く開かれ、レティシアの視線が注がれているのを承知しているはずなのに、中から舌が覗きぺろりと唇を湿らせた。
「ふわぁ……っ!?」
 その瞬間、レティシアの身体の中を雷が走り抜けた。
(えっ? なに今の?)
 自分でもわからない自分の反応にレティシアは疑問符が頭からはみ出すような感覚を覚えるのだった。
 そんなレティシアを見て、恐らくマダムはひっそりと笑ったのだろう。
 柔らかなベールがさらりと揺れた。
「こんなことで動揺していて大丈夫かしら? まずは考えてみて。陛下の腕があなたの腰に回され、逃げられない……」
 レティシアの細い腰にマダム・ノワリスの手があてがわれる。
 彼女が言うように逃げられないわけではない、ただ、軽く手を添えられただけだ。
 それなのにレティシアは雷に打たれたようにびくりと身体を戦(おの)慄(の)かせてしまった。
「ひゃう!」
「ふふ……、そうね。もしかしたらハグされるかしら。例えば『勇気を出して気持ちを伝えてくれてありがとう。とても嬉しいよ』とか」
 マダムは声色を低く変えて囁く。
 すると本当の男性のように、身体の奥に響くような心地がしてレティシアはまた身体を戦慄かせる。
「ひん!」
 思わず自分自身を抱きしめ身を縮こまらせる。
 しかしどうしてだか、マダムの手を振り払ったりはしなかった。
「ぎゅうっと抱きしめられたら、きっと陛下の声や息遣いが耳元で聞こえるわね」
 マダムがさらに身を寄せてレティシアの耳に直接息を吹き込むようにした。
 すべての神経が耳に集中したかのような感覚に陥り、レティシアはビクビクと身体を震わせる。
「『君の名前を訊いてもいいかい?』って言われたら?」
 マダム・ノワリスの声に脊髄反射で名乗ろうとしたレティシアだったが、その口から出たのは、まるで聞き取れないものだった。
「ふぁい! わわ、わたくひのなみゃえは、れてぃし、あ……っ」
 ふにゃふにゃの噛み噛みになってしまったレティシアは顔を真っ赤にして言葉を失った。
 自分のあまりに不甲斐ない様子を思い知って、恥ずかしくて消え去ってしまいたいという気持ちが爆発する。
「すみません、わたし……自己紹介くらいちゃんとできなければ……とても陛下の御前に出るなんて……っ」
 とうとう両手で顔を覆ってしまう。
 そんなレティシアの細い肩を、マダム・ノワリスは優しく抱く。
「大丈夫よ、私が練習に付き合ってあげるから。それにさっきのも可愛らしかったわ」
 マダムの軽口にレティシアは涙目になった顔を上げた。
「うう……っ、お世辞はいいです。きっと不細工だったに決まっています!」
 本気で怒っていないレティシアの拗ねた表情は可愛らしいだけである。マダム・ノワリスは咳払いをして気持ちを切り替える。
「フフフ、冗談よ。でも動揺しても名乗りくらいはできるように練習しましょうね」
 冷静に告げたマダム・ノワリスだったが、ベールの下のアレクシスは動揺していた。
(危なかった……本当に手を出してしまうところだった)
 咄嗟に取り繕ったが、気持ちの上ではレティシアを抱き寄せ口付けしていた。
 こんなにあっさりぼろが出る自分が信用できない。
(この件は早々に決着をつけなくては)
 そうでなければ誰よりも純真で清らかなレティシアを、他ならぬ自分が穢してしまいかねない――そう考えたアレクシスだったが、レティシアは違うことを考えていた。
「マダム。わたしにそっちのレッスンもつけてくださいませんか」
 疑問の形を取っているのに、彼女の言葉には固い決意が滲む。
 まるで自分の心を読んだような発言に、アレクシスは動揺を隠しきれない。
「そ、そっちのレッスン――とは?」
 思わず地声が覗いたが、レティシアは気付かなかった。
 予想はついているが間違っていたら取り繕うこともできない失態になってしまうため、アレクシスは慎重に尋ねる。
「わたしを一人前の女性にしてください。万が一陛下に望まれたときに狼狽えないよう」
 一人前、万が一。
 自分で口にしていて、レティシアは顔から火が出るほどに恥ずかしかった。
 浅ましい己の心の裏側を開示してしまうのは、物心ついて初めてのこと。
 他人に言ったら『絶対にそんな心配はない』とせせら笑われてしまうくらいに自分を過大評価したもの。
(でも、マダムなら受け止めてくださる)
 この数週間でレティシアはマダムに対する信頼を深めていた。
 思慮深く、こんな考えの拙い小娘の言うことを真摯に受け止めてくれる素敵な大人の女性。彼女にだったら気持ちが通じているはずだと信じている。
(破廉恥な気持ちではないの。陛下に対する気持ちは、もっとシンプルなの)
 レティシアはマダムの顔の前にあるベールを見つめた。
 本当なら彼女の瞳を見つめたかったが、それは叶わない。
 マダムが頑なに素顔を晒そうとしないことは彼女にとって寂しいことだったが、相手を尊重することは信頼の最低条件だ。
 それに、ベール越しでもマダムはいつもレティシアの気持ちを汲んでくれる。
 本気だということは伝わるはずだった。

 アレクシスは生唾を呑みたいのを我慢していた。
 耳が痛いほどの静寂の中、そんなことをしたら喉が鳴ってしまう。
 まるで自分がレティシアを欲しがっている我慢の利かない男のように思えて、それは避けたかった。
 アレクシスは慎重に言葉を選ぶ。
 表情からレティシアが本気なのはわかるが、自分が意味をはき違えていては大変な事故が起きる。
「言葉の意味は、わかっているの?」
 責める声色が混じらないように、アレクシスはゆっくりと尋ねた。
「はい、わかっています。でも、マダムが断る権利を損なうものではありません。駄目なら他の方にお願いします。マダムにはもう十分お世話になったので、あとは陛下と謁見をお願いできれば……」
 レティシアの決意は固い。
 少しの淀みもなく言い切った彼女に、アレクシスの心は決まった。
(レティシアに他の男を近付けさせたくない。そんなことをするくらいなら私が……)
「いいわ、私があなたの希望を叶えてあげる」
 マダム・ノワリスの言葉にレティシアの表情から強張りが消え、明るくなる。知らぬうちに気持ちを張りつめていたのだ。
「マダム、ありがとうございます!」
 安堵が心の中に満ちた。
「でも、ここじゃ駄目ね」
 マダムの言葉にレティシアは眉を顰めた。
 マダム・ノワリスの城たる『黒猫姫』以外のどこで会うつもりなのかわからなかったのだ。
 その疑問にはマダムがすぐに答えを出す。
「ここは仕事場だから……あなたが本気ならここから先は別の場所でレッスンをするわ」
 アレクシスはレティシアに自分の隠れ家の一つを教えた。
 そこは『黒猫姫』よりも王城に近い。
「あなたに残された時間はあとひと月と短いから、みっちりやるわ。必要ならそこに住んでもいい。私は毎日じゃないけれど、時間ができたらそこに帰るから。夜ならほぼいられるはず」
「す、住む? よよよ夜?」
 突然のマダムの言葉にレティシアは動揺を隠せない。
「手を握ったり腰に触れたりしただけでそんなに照れてしまうのは経験がなさすぎるわ。そんな調子じゃ陛下に想いを告げるなんて無理よ。もっと人馴れして接触があっても過剰に動揺しないようにしなければ」
 マダム・ノワリスは人差し指を立てて懇々と諭す。
 確かに同じ女性であるマダム・ノワリスに触れられただけで真っ赤になってしまうレティシアは、アレクシスの前に出たらなにもできないだろう。
 マダムはそれを特訓してくれると言っているのだ――自分の時間を犠牲にしてまで。
「でも、強制じゃないわ。正直そんなことを教えるなんて、初めてだからうまくできるかわからないし、あなたは満足しないかもしれない」
 マダムはゆっくりと言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
 その言葉に思いやりが溢れていることを感じ取ったレティシアは胸が熱くなる。
 マダム・ノワリスはどこまでも自分を尊重してくれているのだ。
「ぜひ、お願いします! わたしを素敵なレディにしてください!」
 彼女はレティシアを見捨てたりせず、さらに深く寄り添おうとしてくれているのだ。
 まるで無償の愛だ。
「女神様……っ」
 レティシアの中でマダム・ノワリスの格がまた一つ上がり、そのうち後光が差すのではないかというほどになった。

■■■ ■■■

「俗物ねえー」
 本物のマダム・ノワリスはソファの端ギリギリに尻を載せて、背もたれにだらしなく身体を預けた。
 家主だからこそ許される格好だったため、アレクシスは異議を唱えなかった。
「これからはあまりここを使うことはないだろう。だが、万が一のときはレティシアの力になってやってほしい」
 アレクシスが頭を下げようとしたのを見てアスターはギョッとし、マダムはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「いいわ、どうせ暇だし。来世のためにせいぜい徳を積んでおくわ。それにこのソファであれこれされても困るしね」
 揶揄う気しかないマダム・ノワリスにアレクシスは真顔で答える。
「誓ってここでいかがわしいことはしていない。だが、使わせてもらった謝礼としてこれは取っておいてくれ」
 ごとり、と重そうな音を立ててテーブルに置かれたのは、精密な細工がなされた宝石箱だった。
 遠慮なくマダム・ノワリスがそれを開けると、中には一揃いのアクセサリーが入っていた。
 マダムによく似合いそうなブラックオパールを使ったネックレス、イヤリング、そして指輪は同じ意匠で、小さなダイヤモンドで囲まれたブラックオパールは光を吸い込むように輝き、まるでダイヤモンドを引き連れる夜の女王のようだった。
「まあ、結構なものを。ありがとうございます」
 気取った様子で礼を言ったマダムは、静かに宝石箱の蓋を閉じるとそれをアスターに任せた。
 彼は恭しくそれを受け取ると静かに部屋を出ていく。
「……でも一つ約束してほしいの。傍から見てもあの娘はいい子よ。本来であれば幸せな結婚をして子供を産み、いい母親になってなんの苦しみもなく生きるのが似合う娘なのよ」
 マダム・ノワリスはレティシアに対して負い目のような気持ちを抱えていた。
 そんな普通の娘が、若き国王に憧れを抱くのはよくあることだ。
 だが、偶然訪れた『黒猫姫』がたまたまアレクシスがお忍びでやってくる店で、たまたまメテオルが逃げ出しマダムたちが留守にしたところ、うっかりそのあとの予約を失念していたため、たまたま居合わせたアレクシスがレティシアに対応することになった。
 これだけ偶然が重なると、それは『縁』があったのだと占いでは解釈する。
 だがそれはレティシアにとって良かったのか悪かったのか。
 マダム・ノワリスは手元にある水晶玉に触れようとして、それをアレクシスに止められる。
「マダム、私とレティシアのことは占わないでくれ」
「――どうして?」
 マダムの瞳が真実を暴くようにきらりと光る。
 アレクシスは数秒マダムと視線を合わせたが、横を向いて視線から逃れる。
 これしきの圧に負けたわけではなかろうに、とマダムが片眉を上げるとアレクシスがぼそりと呟いた。
「悪い結果が出たら、私が落ち込むだろうが……」
 それは精悍さと同時に恋に悩む青年の横顔に間違いなく、マダム・ノワリスはまたしても『にちゃあ』と嫌な笑みを浮かべるのだった。

 

 

------
ご愛読ありがとうございました!
この続きは7月24日発売のe-ティアラ『占い師に国王への恋心を相談したら女装した本人でした!? 秘密の官能レッスンでとろとろに手なずけられてます』でお楽しみください!