悪役令嬢の取り巻きAですが、王太子殿下に迫られています。⑧[熱砂の皇子編]下 3
「とはいえ――……」
と、イスファランはかるく咳払いをした。すこし顔を赤らめ、釘を刺す。
「協力するのは構いませんが、あまり、華やかな話題になるのは困りますよ」
「は」
「その、つまり……、褒美を要求したのはいいとして、優雅なお辞儀はいいとして、胸に挿すのもいいとして、その……、花に口づけるというのは、やりすぎです。わたくしはまがりなりにも皇妃。亡くなったとはいえ、先帝の妻なのですから……」
「ああ。すみません」
「わたくし、びっくりしたわ。あんなことなさると知っていたら花など差し上げなかったわ。アンフェルム王国では、よほどふつうのことなの?」
「いえ」
とカイルは至って生真面目な顔で言った。
「見物の女性たちが喜ぶかなと思いまして」
「…………。カイル皇子は、お変わりになったわ。子どものころは、そんなこと思いつきもしない少年だったわ」
「それはそうだ」
カイルは笑った。イスファランは、もう……とますます顔を赤らめた。
あの献上品が、彼女への求婚の贈り物だと噂されているのは薄々知っている。じぶんとイスファランが恋仲だと噂されているのも。
「あれは、兄代わりの者に教わったのです。じぶんに不利な場で手っ取り早く己の存在を誇示したいならば、男には武を、女には色を見せつけることだ、と。本能への威圧はたやすく恭順と賞賛、憧憬に転ぶのだと申しておりました。そう上手くいくものだろうかと半信半疑でしたが」
つねの彼らしからぬあの少々面映ゆいようなパフォーマンスは、そのためだった。
実際、辺境伯の子息テオドールは冬の王城でそう振る舞い、数年ぶりに登城した地方貴族というハンデを悠々と乗り越えていた。
「兄代わり。『テオ』ですね? ふふ、悪い兄上だこと」
「よく覚えておいでですね」
カイルはすこし驚いた。十年前に話しただろうか?
「だって、とても楽しいお話でしたもの。後宮の外のことはわたくしにはなんでも興味深かったけれど、少年のカイル皇子が話してくださったことは、ひとつ残らず覚えています。それに、王城の友だちの『クロード』と『ガウェイン』もね。彼らとは今も仲がおよろしいの? テオ殿は、じつの兄たちより親しく、弓の名手なのよね? 先日の弓術も、彼の教えの賜物? テオ殿とは今もお会いになりまして?」
「テオドールとはここに来る途中、彼の辺境伯領で会いました。彼は私に罰され、謹慎しています」
「え?」
「クロードとガウェインも、いまは牢です」
「…………?」
なにかの冗談だと思ったらしく、イスファランは曖昧に笑った。
カイルも薄く笑った。
そのとき、侍女が戻ってきた。
「皇妃さま、おかわりのサラム水をお持ちしました。それから次の間に、父をはじめお約束のかたがたがお待ちです」
「ありがとう、メヒェム。お通しして。いえ、まずはわたくしが次の間で会いましょう。カイル皇子、少々お待ちを。さきほど申し上げた皇統派の面々ですわ」
イスファランが立ち上がり、出ていった。そのあいだに、侍女たちがほかにも数人入ってきて、部屋を整える。
皇妃の侍女たちは慎ましく、よく躾けられているものの、若い娘の好奇心は抑えきれぬようで、ちらちらとカイル皇子へと視線を向けては、自戒して慌てて目を伏せる。頬が上気し、瞳が潤んでいた。
競射の遊宴以来そうした視線はますます熱を帯びていたのだが、カイルはさして気にも留めず、皇統派の重鎮たちを待った。
侍女のひとりが、カイルの杯にあたらしいサラム水を注いだ。
先ほどメヒェムと呼ばれていた侍女だ。
こちらへかがみ込んだとき、彼女の髪がふわりと香る。妙に距離が近い。
カイルはかすかに違和感をもったが、黙って座っていた。
だがサラム水を注いでいるあいだ、メヒェムは唇こそ慎ましやかに閉じているものの、おおきな瞳はなにごとかを伝えるようにきらきらと輝き、カイルをひたと見つめていた。
それに気づいたカイルと目が合うと、艶やかに微笑む。
「どうぞ」
杯を差し出すとき、彼女の手が、カイルの手にかるく触れた。
「ほかに、わたくしにお望みのことはございませんか?」
誘うように、艶っぽく瞳をあててくる。
カイルは内心眉をひそめた。
「メヒェム皇女、いつまでいるの。お注ぎしたなら出てゆきなさい」
戻ってきたイスファランが気づいて、すこし厳しい声で命じた。侍女はおとなしく従い、お辞儀をして出ていった。
「皇女?」
「先々帝の皇弟である大宰相の、ひとり娘です。彼もいま隣室に来ております。正式な侍女ではなく、わたくしの話し相手として後宮にあがってくれているのですが……。本来は給仕などする身分ではありませんから、不慣れだったかもしれません。ごめんなさい、無作法をしましたかしら」
「いえ」
告げ口するほどのことではない。
仕える者の不行儀を咎めれば、あるじであるイスファランに恥をかかせてしまう。
「やあやあカイル皇子、先日の競射の遊宴はみごとであられたな!」
そこへ、十人ほどの男たちが入ってきた。いずれも立派な身なりの、ひとかどの人物であろうと知れる面々である。カイルとおなじく、全員が褐色肌だった。
「我々はあなたを同胞の皇子として歓迎する」「ああ、やはりアーシェラ=オミ皇女に似ている」「特に目元に面影があるな。母御は元気かな」
「は、おかげさまで……」
じぶんを取り囲むオル=フュゼウス皇国の人々が、濃淡こそあれ、皆じぶんとおなじ肌の色であることに、カイルは今さらながら胸を打たれる心地がした。
アンフェルム宮廷では、褐色肌は母を除けばカイルひとりだった。それは目にもあきらかな特徴であるため、良くも悪くも、つねに特別視された。カイルはおくびにも出さなかったが、幼いころから居心地の悪い思いをしたことは数知れない。
だがこの国の宮廷では、褐色肌はふつうのことなのだ。
同胞という言葉に、我知らず、感慨を覚えずにはいられない。己の身に流れるルーツの半分は、この国にある。熱砂とオアシスの国。
彼らは、カイル皇子とイスファラン皇妃を囲むようにして席についた。
「皇子カイルよ、あなたがこの皇宮でなに不自由なく暮らせるよう、我々はいかなる援助も惜しまぬつもりだ」
「うむ、カイル皇子はそれだけのものを我らに証明してくれたゆえな」
「ありがたきお心遣い」
カイルは控えめに頭を下げた。
「さっそく皇子としての体面を整えねばな。まずは、後宮をもたれるとよい」
「…………後宮?」
思ってもみなかった言葉に、カイルは訊き返した。
彼が欲しいのは、拠点となる皇宮内の部屋、それに皇国の事情に通じたこの国の使用人、また皇宮内を自由に行き来できる権限、などであり、そんなものではない。
「せっかくのご厚意ですが、私には必要ないようだ」
「なにを言う、大勢の女人や召使いを養うのは、この国では男の義務ですよ! 富ある者は、そうでない者を養わなければならない。皇子となればなおさらだ」
「ご心配なさるな、カイル皇子の後宮ならばぜひにという皇女や令嬢たちが、わんさといるのだ。競射の遊宴での凛々しくも華やかなお振る舞いがまるで物語の皇子のようだと、女たちはみな胸をときめかせている。カイル皇子はいつ後宮をもつのか、ほかの縁談はすべて断わってくれと、みな後宮入りを待ち遠しくしているのですよ」
「…………」
カイルは答えようがなかった。ああいうことをすれば、こういうことにもなるのか。
身から出た錆としかいいようがなかった。慣れぬことをするものではない。
「ま、正式な妃や側妃は追って考えるとして、だ。ひとまずは今夜の伽だな」
と、ひとりが口ひげをひねりながら言った。
「夜伽の女人を、すでに見つくろってある。今宵の晩餐のあと、カイル皇子の御前で舞を披露させるので、そのなかからお気に召した女をひとりでもふたりでも、何人でもお召しになるといい」
「カイル皇子は、皇国に来てからというもの、独り寝つづきであろう。これほど若く雄々しい肉体なのだ、さぞ毎晩持て余しているであろう」
「いや、私は……」
カイルは困惑した。
皇国の男女の文化は慎ましいものであると聞いていたが、反面、裏にまわればずいぶんとあけすけらしい。女を抱くことが恋愛ではなく、義務という体裁をとるからだろうか。いかにも男に都合の良い『義務』だが。
女性を語る口ぶりも、どこか品物のようで、アンフェルム育ちのカイルには不快だった。彼らに悪意や揶揄はなく、若い皇子への好意や男同士の連帯に満ちているのが、より戸惑う。
女性であるイスファランは不快ではないのだろうか。と、じぶんの隣に座っている彼女を窺うと、
「皆、会うなりいきなりそのようなことを……。カイル皇子がお困りではありませんか。もっとほかに話し合うことがあるでしょう」
そう苦笑して、助け船を出してくれた。
「それにカイル皇子はたしか、お国に婚約者がいらっしゃるのではなくて?」
「――――」
カイルは顔を硬くした。
エマ。
俺のもとを去った婚約者。
そのことはまだ皇国には伝わっていないらしい。婚約破棄についての正式な手続きは、カイルが皇国に来たことでうやむやになっていた。また、そうするために急いで出てきたのだ。
(俺は、きみが去ればほかの女を抱くことになると言ったのに、きみは去った)
カイルは伏せた眼を昏くした。
あの日以来消えぬ、胸の燻り。黒く煮え滾る思いが、身内から彼を炙りつづけ、業火のように燃やし尽くしそうだった。
その炎を、かろうじて体内に抑えている。
だが火の気配は外に漏れ出て、アンフェルム王国からつき従ってきた臣下たちは、カイルに対し腫れものにさわるような扱いだ。
カイル殿下のご様子がおかしい、と一部の近侍が囁き交わしているのは知っていた。
アンフェルム王国から皇国までの異常な強行軍にしても、そうだった。
王太子の使節団となれば、その人員は二百人にもふくらんだ。それほどの大所帯の長距離移動でありながら、通常一ヵ月はかかるところを二十日足らずで着いてしまった。
その凄まじい強行軍に、途中、脱落する者が後を絶たなかった。体力がもたなかった者、気候の変化に適応できなかった者、風土病にかかってしまった者などだ。
カイルが臣下を思いやって無理のない行程をとっていれば、避けられたことだ。護衛官のトールをはじめ、臣下から何度か苦言を呈されもした。
だがカイルは耳に入れなかった。
ついて来られる者だけついて来い、遅れる者はあとから来い、病の者は帰国して養生せよ。無慈悲にそう命じただけだった。
外交使節団は、皇国到着時には七割までに減っていた。国王より預かった臣をそのように無駄にすることも、王太子としての責任問題である。
随行してきた臣下たちは今や、カイルに話しかけるどころか、彼の視界に入ることさえ避けるようになった。
怒鳴ったり物に当たったりするわけではないが、つねにピリピリと神経が張り詰め、そばにいるだけで、息が詰まる。
臣下たちは、緊張を強いられている。
しぜん、カイルのそばからは人が遠ざかった。カイルはどんどん孤独になった。命令するとき以外、誰とも口をきかない。
清々する。
誰にもそばにいてほしくない。
誰がいても疎ましく、目障りだ。
生まれ落ちてからつねにひとに囲まれてきた王子は、初めてひとを煩わしいと思った。独りになりたい。おまえらの視線すら厭わしいのだ。
「せめてクロードさまかガウェインさまがいてくだされば……」
と零す声も聞かれたが、いま最もいてほしくないのは彼らだった。
俺とエマのあいだになにが起きたのか、俺の心情を察する視線、言葉、顔色、すべてが厭わしかった。かつて俺とエマがどんなに幸せだったかを、最も間近で見、知っている親友。
だから、置いてきたのだ。アンフェルム王城に。
ガウェインは一緒に行くとごねたし、クロードは言を尽くして俺を説得しようとした。だがカイルはその一切を聞かなかった。彼らの友情が、心底鬱陶しかった。
ついてくるなと命じ、逆らえば不敬罪で西の嘆きの塔行きだと怒鳴りつけた。
あまりに理不尽な命令だった。暴君そのものだ
ふたりは王太子に逆らい、激昂した。カイルはいくつかの言ってはならぬことを口にした。
カイルを殴ったのは、クロードだった。
カイルはふたりを不敬罪で投獄した。
出立の日はノエルだけが、見送った。私は殿下のご命令に従います、とそう言った。
「ですが私どもが必要になったときは、お呼びつけください。いつなりと。それだけは、どうぞお約束を」
ひとつ年長でお目付け役のノエルにはさすがに怒鳴りつけることもできず、ぞんざいに肯(うべな)った。馬車が出てしまえば、彼女のいかにもものの分かったような顔も見ずに済む。
呼ぶつもりなどあるはずもなかった。
誰からも遠く離れたかった。
誰からも。
なら俺は、本当にエマを捕まえようとしたがっているのだろうか?
今はもう、エマさえも見れば疎ましいのではないか? 俺を捨て、傷つけ、苦しめ、愛さない女を追いかけて、どうするのか。
カイルはフューさえも捨ててきたのだ。
フューは、カイルが遠出をするのだ、長く帰らないのだとその様子から敏感に察知して、出立の準備をするカイルの足もとをいつまでもうろうろしていた。
くうん、くうんとしきりに鳴く。
見上げてくる濡れた黒い目が、カイルを責めている気がした。
王子、どこに行くの?
またぼくを捨てるの? 昔みたいに?
「フュー」
そのときばかりは、凍りついたカイルの心は引き裂かれるように痛んだ。
だが結果はおなじだった。
フューは置いてきた。
むざむざエマの国境突破をゆるしたテオドールには、罰を与えた。テオは顔面蒼白だった。過剰な罰だとやはり護衛官のトールが諫めたが、カイルは聞かなかった。テオはカイルが与えた罰以上の罰を己に課し、今も謹慎している。
そうして親しい者、愛する者たちをすべて切り捨てて、どこへ行くのか。
なんのために皇国入りし、皇子としての存在感を人々に示し、そうすることで皇宮での立場を築き、ここでの勢力と権力を得て、ヴァレリウスを倒し、イザベラを取り戻さねばならぬのか、カイルにはもうわからなくなっていた。
その先にほんとうにエマがいるのか。
皇国では表向き華やかに振る舞いながらも、四六時中、心臓が焼けつくような痛みがある。その炎はおさまるどころか、より大きく、よりドス黒く、彼を炙る。
エマ。
きみに会いたい。
会って、きみを痛めつけてやりたい。俺が味わいつづけている苦しみを、きみに思い知らせてやりたい。
なのに、見つからない。
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