俺様王太子に嫌われようと精いっぱい悪女を演じましたが逆効果のようです!? 1
長い冬が明けて、少しずつ春の訪れを感じはじめた頃。
ミルカ王国の第一王女であるエヴェリーナ・ユリア・ミルカは、めでたく十八歳の誕生日を迎えた。
この国の成人年齢は十八歳である。未成年のため制約が多かったこともすべて解除され、エヴェリーナは大人の仲間入りを果たす。
「これでお兄様たちの許可を得なくても、閲覧制限のある禁書が読み放題ね」
大人の仲間入りを果たしてから一番楽しみにしていることは、年齢を理由に立入が禁止されている書庫への入室許可を得られることだった。
一般書庫にある面白そうな本はすべて読破している。
新しい知識との出会いにわくわくするが、侍女のセルマが静かに諭す。
「姫様、大人になるということはすべての責任をご自身で背負うということですよ。自由には責任が伴うことをお忘れなく」
今までは過保護気味な兄たちが対応してくれたことも、今後はエヴェリーナが頑張らなくてはいけない。当然、夜会への参加や社交の場も増えるだろう。
引きこもりがちな王女で許されていたのは未成年だったから。成人したら縁談も舞い込むかもしれないと言われ、エヴェリーナは顔色を曇らせる。
「一応、お父様たちからは政略結婚をさせるつもりはないって言われているけれど、もう本格的にお相手を選びはじめていたらどうしよう……」
「姫様はどのような男性がお好みなのですか」
──好みの男性?
初恋も未経験だ。理想の男性像など考えたこともなかった。
「そうね……わからないけれど、私を甘やかしてくれる人とか?」
「王族としては少々問題のある発言ですが、突き詰めるとそれが女性の理想かもしれませんね。では、苦手な男性は?」
エヴェリーナは自分とは真逆な人間を想像する。
「ええっと……すごく存在感があって華やかで、どこにいても注目の的で、太陽みたいな人かしら……一緒にいたら目立ちそうで嫌かもしれない」
エヴェリーナは目立つことが嫌いだ。
第一王女だが性格は気弱で小心者。静かで落ち着く空間が好きで、大人数より一対一の交流を好む。
三人の兄たちも基本的な性質は同じだ。外交は最低限で、好きな研究などに励みたい学者気質とも言える。
ミルカの王族はあまり社交の場に出たがらない。舞踏会への参加も必須なものだけには顔を出すが、基本的に大勢が集まる場が苦手である。
長兄の王太子は立場上引きこもりが許されないが、第二、第三王子と、第一王女であるエヴェリーナは、最低限の義務を果たすだけで許されていた。兄妹は皆、薄暗い部屋で読書やチェス、ボードゲームを嗜むことが多い。
──だから結婚するなら、私と近い性格の人がいいわ。
太陽より月明りが似合うような、落ち着いた空気感の男性と相性が良さそうだ。年齢は年上の方が包容力もあっていいかもしれない。
四人目の兄と呼べる異性となら、穏やかで素敵な関係が築けるのではないか。
……なんて、のんきにそんなことを考えていたら、エヴェリーナは予期せぬ報告をされた。
家族全員が集まる朝の食堂で、誕生日の祝いの言葉を貰った直後のことである。
「お前に縁談が来ている。お相手はゼディア王国の王太子、ジャレッド殿下だ」
「……はい?」
果物がたっぷりのった甘いパンケーキを食べる手が止まった。
嘘を好まない父親が冗談を言うはずがないが、言われたことが衝撃的すぎた。簡単に信じられる話ではない。
「ゼディア王国のジャレッド王太子殿下……って、なにかの間違いですよね?」
近隣国にもその名が轟くほどの有名人だ。自国には王太子の信者が大勢いるという噂を耳にしたこともある。
「間違いの可能性は何度も考えたが、残念ながら違うようだ」
家族全員が重苦しい息を吐いた。誕生日の朝には似つかわしくない辛気臭い空気に包まれる。
──これは本当の話だわ……焦げ臭くないもの。
エヴェリーナは昔から、誰かに嘘をつかれると焦げたような臭いを感じることがあった。特異体質なのだろうと思っているが、今のところその直感が外れたことはない。
隣国のゼディア王国は大国である。ミルカは海と三か国に囲まれた小さな国だ。
人口、国力、軍事力は、どれもゼディアとは比べ物にもならない。大国の王太子に婚姻を望まれたら、立場上ミルカは断ることができなくなる。
「無理ですわ……私が大国の王太子妃になんて、あまりにも無謀です。考えただけで私、溶けて消えちゃう!」
大国に嫁ぐなど、責任と重圧が凄まじい。それに王太子の輝きが眩しすぎて消滅してしまうかもしれない。
ジャレッドについては噂しか聞いたことがないが、そのときも「関わりたくない」と思ったのだ。
──確か諸外国にまで知れ渡るほどの美男子で、性格はわがままで傲慢だとか……私がそんな人の妻に? 絶対嫌よ!
目立ちたくない。注目を浴びたくない。今までは他国に嫁がせるつもりはないと言われていたのに、あんまりだ。まさか大国から望まれるなんて想定外すぎた。
──でも、お父様がこうやって報告するってことは、もう決定事項なんだわ。
「うう、ひっく……」
泣きながらパンケーキを食べる。今日は三枚しか喉を通りそうにない。
三人の兄たちは同情的な眼差しを向けた。
「大丈夫だ、リーナ。ジャレッド殿下は目を瞠るほどの美男子で我々には近寄りがたい男だが、今はまだ婚約段階で婚姻ではない。王太子妃になる前に、お前がジャレッド殿下から嫌われてしまえばいい」
「兄上の言う通りだ。お前はわがままな王太子よりも、さらに上を行くわがままな悪女を演じて帰っておいで」
「……え?」
長兄と次兄が斜め上の提案をした。気弱で小心者な王女に大国の王太子妃は務まらないと、家族全員が思っているようだ。その通りなので、エヴェリーナは素直に聞き入れる。
──……そうだわ。私が嫌われたらいいんだわ。
嫌な女だと思われたとしても、エヴェリーナは同盟国の王女だ。無体なことはされないだろう。せいぜい婚約を解消されて母国に帰されるだけである。
エヴェリーナの瞳に希望の光が宿る。
「そっか……そうですね。私、なんとしてでもジャレッド殿下に嫌われて、ミルカに帰ってきます」
大好きな家族の元へ帰ってくるために、大国の王太子から嫌われる。自分と真逆の人物を演じるなど難題だが、やらなければ王太子妃になるしかない。
「その意気だ、リーナ」
過保護な兄から声援を受ける。
エヴェリーナは不本意ながら、わがままな悪女を目指すことにした。
縁談の報告から一か月が経過した。
話はとんとん拍子に進み、エヴェリーナは侍女のセルマと共に、ゼディア王国に滞在することになった。
もちろん、ジャレッド王太子の婚約者としてである。
婚約式は行っていないが、書面では正式に婚約が成立している。
まさか婚約早々にゼディアに呼ばれるとは思っておらず、エヴェリーナは王城に到着するまで不整脈が止まらない。
これまで一度もミルカから出たことがないのだ。悠長に海外旅行を味わえる余裕はなかった。
「早く帰りたいわ……もう緊張しすぎて吐きそう」
隣国に侍女とふたりで赴くなど大冒険だ。
冒険譚は読書で楽しむだけでいい。自ら体験したいと思ったことは一度もない。
「姫様、今からそんな状態でしたら倒れますよ。深呼吸して落ち着きましょう」
「……逆にどうしてセルマはそんなに冷静でいられるの。あなただって子爵令嬢なんだから、私についてこなくてもよかったのよ?」
セルマは二歳年上の二十歳だ。結婚適齢期の貴族令嬢であり、王女の侍女をしていたのもより良い嫁ぎ先を見つけるためである。
だがエヴェリーナと共に隣国へ渡れば彼女の婚期も遅れるだろう。もちろんエヴェリーナは、本心を明かせる相手が傍にいてくれて心強いが。
「私のことはご心配なく。あわよくば姫様のおこぼれで私好みの殿方を見つけたいと思っていますので」
「……逞しい。ぜひ頑張って」
前向きでやる気に満ちている侍女が少し眩しい。向上心のある彼女を見ていると、後ろ向きになりがちな自分が情けなくなる。
「もうそろそろ到着よね……なんだか酸素が薄くない? 標高が高いのかしら」
「むしろミルカより低いですね。姫様、王太子殿下と対面したときの挨拶は大丈夫ですか?」
エヴェリーナは意識的に深呼吸を繰り返しながら、何度も脳内で繰り返した挨拶を思い出す。
「第一印象が大事だってお兄様たちに言われたわ。確か、最初に悪女っぽく高笑いをしてから高飛車に聞こえる台詞を言うのよね?」
「はい、その通りです。『へえ、あなたがわたくしの婚約者? 悪くない顔ね』と、嫌味っぽく言えばよろしいかと」
婚約者であるジャレッドは精悍な顔立ちをした美男子だと言われている。自信に溢れた笑顔と人目を惹きつけるカリスマ性で、国中の人間を虜にしているらしい。
──嫌だわ、噂でもうお腹がいっぱい……。
国民の注目の的に近寄るなど、周囲からどんな目で見られるか……考えるだけで苦痛だ。地味で目立たず、静かに暮らしたいという理想とは真逆ではないか。
「ジャレッド殿下が根暗で非力な男性だったらよかったのに……」
「逆にお訊きしますが、そのような男性のどこに魅力があるのでしょう? 頭脳明晰ならわかりますけど」
「それはまあ、そうなのだけど」
男性的な魅力に欠けていても、一緒にいて落ち着く相手がいい。
エヴェリーナは喉の調子を整える。
「とりあえず高笑いの練習をしてみるわ。馬車の外に聞こえない程度の声量で」
「涙ぐましい努力ですわ。方向性がアレですが」
セルマの冷静な意見は聞き流して、悪女らしい笑い声を出してみる。
「おほほ……おっほほほ、ほ……っ、ごほっ」
気管に空気が入った。盛大にむせこんで息が苦しい。
セルマはエヴェリーナの背中を撫でながら、水を差し出す。
「……普段から喉を大きく開いて笑っていないのですから、むせると思いました。姫様、人には向き不向きがあるのをお忘れなく」
「けほ……っ、それ、最初に忠告してくれない? 一応聞くから」
それでも試すのがエヴェリーナだと言われると口をつぐむしかない。一度試してから無理だと判断するのがミルカの王族なのだ。
「でも今やっておいてよかったですね。王太子殿下と初対面のときにこのような醜態を晒したら、きっと姫様は三日三晩寝室にこもるでしょうから」
「冷静に分析しないで……その通りだと思うけど」
いつもより少し大きな声を出したおかげか、心臓は落ち着きを取り戻している。
──急にゼディア王国に行くことになったから、準備で忙しくてわがままな悪女の練習ができなかったんだもの……不安にもなるわ。
急遽入手できた悪女の教本は、巷で流行っている大衆向けの娯楽本だけだった。そこに出てくる嫌な女性を手本にしてみたのだが、元々エヴェリーナは気が弱い。真逆に振舞おうとしても難しい。
「セルマ……婚約者に嫌われるにはなにをしたらいいのかしら」
「人によりますが、一般的には目を合わせない、好意的に笑わないとかでしょうか。ですがミルカの王族の皆様は、見目が麗しいですから」
月光を集めたかのようなプラチナブロンドに、アイスブルーの瞳。王族は皆、この色を受け継いでいる。
ミルカは小国ながら古い歴史のある国だ。妖精の逸話が数多く残っているため、王族は妖精の血を引いているのではないかと囁かれるほど整った顔立ちをしていた。
そしてエヴェリーナはほとんど社交の場に出ない。そのせいで「妖精姫」の異名を囁かれることもある。だが、実際はただの引きこもりな小心者なので、その二つ名は気恥ずかしい。
ちなみに三人の兄たちも同じ色を受け継ぐ線の細い美形だが、性格はやや後ろ向き。慎重で用心深く腹黒で、爽やかさの欠片もない。
「笑わなくても、それはそれで好感を持たれそうですね……すまし顔も妖精姫の名にふさわしいと思われるかと」
「それじゃあどうしようもないじゃない。笑っても黙っていてもダメって、私の顔が可愛いせいで困るわ」
「普通の人がその台詞を言うと袋叩きに遭うのですが、姫様は本当のことなのでイラっとしませんね」
唯一の王女として育てられたエヴェリーナは、両親と兄たちにたっぷり可愛がられてきた。ミルカに王女が生まれたのも百年ぶりで、余計過剰に褒められたのだろう。
目立つことは嫌いだが、褒められることは嫌ではない。兄たちに「可愛いリーナ」と言われすぎたせいで、エヴェリーナの自己肯定感は安定している。
だが、多少見目が良かったことと、妖精姫の二つ名があることのせいで、大国の王太子に目をつけられたのなら話は別だ。
「……悪女路線は難しいかもしれないから、臨機応変に頑張るわ。とにかく、殿下よりもわがままになって、陰口を叩かれるようにするから」
本来なら、周囲から好意的に見られるように頑張るところだが、今回ばかりは仕方ない。望んだ縁談ではないのだから、全力で嫌な王女を演じたい。
幸い家族から了承を得ている。両親も含めて、皆エヴェリーナに大国の王太子妃は荷が重いと思っているのだ。
──母国の評判を下げない程度に嫌われるのも難しそうだけど……。
そしてゼディアで唯一の味方のセルマには申し訳なく思う。
国から連れてきた侍女は彼女だけだ。肩身が狭い思いをさせるだろう。
「私のことはご心配なく。予定通り、三か月以内にミルカへ帰国できるといいですね」
「ありがとう。セルマは本当に頼もしいわ」
婚約したばかりで解消となれば、双方にとって傷は浅くて済む。ジャレッドに「思っていたような王女ではなかった」と思わせたらエヴェリーナの勝ちだ。
「お化粧でそばかすを描いてみたらどうかしら」
「姫様の肌にそばかすは浮くと思いますよ。その肌の白さを隠すとしても、毎回首の下まで念入りなお化粧ができますか?」
相手と会うたびに手間がかかることを考えると現実的ではない。
引きこもりが趣味なエヴェリーナの肌は日焼け知らずで、肌理が細かい。最低限の化粧で充分素材の良さが引き立つ。
「気が強そうなお化粧も、案のひとつとしてはよさそうですが、王太子殿下がそのような美女も好きだとなると逆効果ですね……」
「殿下の情報が少なすぎるわ。こればかりはお会いしてから情報収集をしないと」
やはり本人と対面して計画を微調整するしかなさそうだ。
予定よりも少し早くゼディアの王城に到着した。
エヴェリーナの蚤のように小さな心臓が緊張感のある音を奏でる。
「ああ……着いちゃったわ。私はもうおしまいよ……」
「気を確かに、姫様。嫌われたいのですから好きに振舞っていいんです。普段はできないことを楽しみましょう」
セルマに励まされながら、エヴェリーナは馬車を降りた。
早速ゼディアの王族と謁見があるのだ。簡単に身だしなみを整えてから、謁見室へ案内される。
──帰りたい、帰りたい……おしっこちびったらどうしよう。
人は緊張しすぎるとなにを言い出すかわからない。謁見室の扉はエヴェリーナしかくぐれないため、セルマとは一旦お別れだ。
侍女から力強い眼差しを受けた。頑張れという励ましだろう。
──そう、そうよね。頑張って嫌われる悪女にならないと。
気弱な姿勢は似合わない。エヴェリーナは背筋を伸ばして、部屋の中へ入る。
謁見室の奥にはゼディアの国王と王妃、そしてエヴェリーナの婚約者である王太子が待ち構えていた。
──すごい。遠目からでも存在感がわかるくらい眩しい……。
黄金色に輝く髪と海を思わせる青色の瞳。ジャレッドが噂以上の美男子で唖然とする。
自信に満ちた表情と、力強い眼差しが印象的でエヴェリーナとは正反対である。堂々とした立ち居振舞はまさに王の素質だろう。
「来たな。ミルカの妖精姫」
「……っ」
エヴェリーナは一歩後退りたくなった。
顔がいいだけでなく声まで極上だ。勘弁してほしい。
微笑みひとつで財が築けるのではないか。彼の気に呑まれないように、エヴェリーナは表情筋を引き締めて淑女の礼を披露する。
「お初にお目にかかります。ミルカ王国の第一王女、エヴェリーナ・ユリア・ミルカと申します」
ダンスは不得意だが、挨拶だけは得意なのだ。皆が見惚れている間にそそくさと逃げられるよう、社交界デビューをする前に習得したのである。
悪女らしい振舞の第一歩は、臆さずに胸を張ることだろう。物語の中の悪女は常に自信に溢れている。
──挨拶と礼節は大事だわ。嫌われたいけれど、お父様とお母様が悪く言われたら嫌だもの。
「ほお、美しいな」
ジャレッドと国王夫妻から友好的な笑みを向けられた。
掴みは上々らしい。次は一度上がった好感度をなんとか落としたい。
「俺がジャレッド・ジュエル・ゼディアだ。以後よろしく、婚約者殿」
「……っ!」
ジャレッドはエヴェリーナの顎を軽く掴んだ。さりげなく視線を逸らしたエヴェリーナに無理やり視線を合わせている。
──怖いわ……目が潰れるっ!
深い海のような青い目と黄金色のまつ毛。高い鼻梁と弧を描く口元。顔のすべての主張が強くて、エヴェリーナは息が止まりそうになった。
明らかに気圧されている。獰猛な肉食獣に挨拶をされた小動物の心境だ。
「ジャレッド、不躾に女性に触れるものではない。すまない、エヴェリーナ姫」
「失礼、あまりの美しさに本当に妖精なのではないかと確かめたくなってしまった」
国王に注意をされたジャレッドは、意外なことに素直に謝罪をして手を放した。
わがままな王太子だという噂はあるが、他者の意見を聞かないわけではないようだ。
──嘘の臭いはしない……意外と素直なのかも。
「気にしておりませんわ」
エヴェリーナは余裕の笑みを浮かべる。こういうときは悪女らしく激昂するべきなのかとも思ったが、微妙な空気が流れた方が心臓の負担になりそうだ。
──ここは「謝罪は贈り物で示してくださる?」なんて言ってみる? 悪女らしい台詞だと思うけど。
心臓が凄まじいほどドキドキしている。堂々と笑顔で贈り物を要求できるほど、一時的に精神が逞しくなりたい。
呼吸を落ち着かせて口を開こうとしたとき、ジャレッドはエヴェリーナに向けて予想外のことを口にした。
「俺の九百九十九番目の宝物にしてやろう」
──……はい?
宝が九百九十八個もあるらしい。ジャレッドが長年かけて集めてきた品なのだろう。
長年の癖で鼻に意識を集中させるが、ここでも焦げつくような臭いは感じなかった。つまり、本当にそれだけの宝があるのだ。
さすがわがまま王太子と感心するべきか一瞬悩んだが、その末端にエヴェリーナを加えようという台詞は聞き間違いであってほしい。国王夫妻も固まっている。
──あ! これは悪女らしい台詞を言ういい機会だわ!
動揺してはいけない。腹の内を見せてもいけない。
エヴェリーナは微笑みを浮かべたまま、わずかに首を傾げる。
「王太子殿下は面白いことを仰るのね。でも、私がじゃなくて、あなたが私のコレクションになるんでしょう?」
──……本当に、大胆なことを言っちゃった!
小さな心臓がバクバクしている。あちこちから汗が噴き出そう。
だが、一度言ってしまったものは取り消せない。今から目指すのは無邪気な悪女である。
「だって結婚したら、夫のものは妻のものになるんですもの」
くすくす笑う。もちろん本心ではそんなことを思っていない。
小心者すぎてすぐに後悔しそうだ。発言を撤回したくなるが、もう手遅れである。毅然とした態度を貫き通すしかない。
相手は嫌な気分になったはずだ。不快感を露わにしているかもしれない。
「ははは、違いない」
──え?
ジャレッドは怒るどころか笑っていた。
「俺が君のものになるのか。それはいい響きだ。そそられるな」
自分が集めてきたすべての宝がエヴェリーナのものになることも、自分自身がエヴェリーナのコレクションに加わることも笑顔で肯定している。
──嘘ぉ……予想外すぎるわ……。
表情を固定したまま、エヴェリーナは内心慄いていた。胆力の強さと度量の広さを見せつけられたら、張りぼての虚栄心が一気にしぼむ。
心が広い人なのは好感度が高いが、今は困る。エヴェリーナは嫌われるために嫌な発言をしているのだから。
「どうやらふたりとも気が合うようだな」
「ええ、よかったわ。相性はどうなのかしらって心配していたもの」
国王夫妻に安堵の息を吐かれた。一体どこを見たらそう思えるのだと問いたいが、ここで反論できる空気ではない。
──どうしよう、セルマ。私、なにかを間違えた気がするわ……。
涙目になりそうなのを堪えて、その場では穏やかに微笑むことしかできずにいた。