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この溺愛は政略です! 「貴女を愛することはできません」と言った冷徹宰相に毎晩めちゃめちゃ甘く抱かれてます 下 3

第三話

 

 今夜はとうとうイヴァンゼリンを妻として正式にお披露目する夜会当日である。
 まだ夜会は始まっていないが、メインゲストの王太子とヴィクターはすでにケイン公爵家に来ていた。結婚を取り持った本人と、イヴァンゼリンの肉親なので、ここにいても違和感はない。
 二人はセオドアと共に応接室でのんびりとくつろいでいる。ちなみにイヴァンゼリンは仕度のために席を外していた。
 ソファセットに腰かけ、テーブルに広げられた軽食を肴に会話に花を咲かせていたが、間もなく夜会開始の時間である。
 パーティーが始まる前から酒杯を傾けているヒューバートはご機嫌だ。それもそうだろう。これまでの活動が実を結び、可決が困難とされた税制改革をついに実現させたのだから。
 この国は王政ではあるものの、貴族会議の反対票が多ければ押し通すことは難しい。だからこそ、セオドアのわずかばかりの葛藤を犠牲にして意見がまとまったのは僥倖であった。
 国王派筆頭のセオドアが元貴族派のイヴァンゼリンとイチャイチャすればするほど、なぜか感化されて貴族派が国王派に傾く。
 この国の貴族たちはノリで生きているのだ。実に謎だが、ヒューバートたちにとってはありがたい限りである。
「それにしても、セオドアが夜会を主催するなんて夢にも思わなかったなあ」
「婚約式もしていませんでしたからね。こういうことはきっちりしておかねばなりません」
 しみじみと呟くヒューバートに、はきはきとセオドアが言う。
「で、本音は?」
「イヴが私の妻だと改めて見せつけるためです」
 きりっと答えるセオドアに、ヒューバートがぶふっと吹き出す。
「こりゃまた……この間まで自覚がなかったのに、ずいぶんと開き直ったね?」
「セオドアって、ときどき頭がいいのか馬鹿なのかわからなくなるよな」
 ヒューバートとヴィクター、それぞれの感想を聞いたセオドアは首を振った。
「これは極めて合理的な話ですよ。この夜会でケイン公爵夫人として正式にイヴを紹介し、彼女との仲を見せつけることで、アリス家が国王派になったことがより強く印象づけられます。それに彼女をいまだに狙う不届き者につけ入る隙などないとわからせることができるのですから。一石二鳥です」
 真面目にセオドアが解説すれば、ヒューバートは楽しそうに酒を呷る。だがヴィクターはジト目になった。
「つけ入る隙があるかどうかは、イヴ次第だろう。あいつが他の男を好きになったらどうするんだ?」
「何を言ってるんです? そんなことありえませんよ?」
「いやいや、あいつだって女だからな」
「イヴが女性? そうですね……?」
 きょとんとしたセオドアに、ヴィクターは真顔で黙りこむ。二人は互いに言わんとしていることがわからないらしい。
 そこにヒューバートが助け舟を出す。
「ヴィクターはこう言いたいんでしょう? イヴァンゼリンは政略結婚の重要性をわかってくれてはいるからね、よっぽどそんなことはないだろうけど……彼女だって一人の女の子なんだから、責務を忘れて他の男を好きになることもあるかもしれないって。ヴィクター、合ってる?」
「そういうことだ」
「はあ」
 セオドアは渋面を作って気のない返事をする。
「いくらお前がイヴを大事にしてても、気持ちが一方通行じゃあな」
 ヴィクターのこの台詞で、ようやくセオドアはピンときたような顔になった。
「何を言っているのかと思えば。前提が違いますよ」
「うん?」
「私とイヴは両想いですから」
 わずかに笑みを浮かべて、しかし揺るぎない確信に満ちた顔で、セオドアは言う。
 シスコンのヴィクターに対する勝利宣言である。
「は……?」
 セオドアの期待通り、ヴィクターは目を丸くして固まる。だがすぐに首をぶんぶんと横に振った。
「いや待て、だって、あいつ」
「先日、告白しました。イヴもはっきり好きだと言って受け入れてくれましたから。もうこの結婚は政略結婚ではありませんよ」
 自信満々である。一体どんなことがあれば、こうまで言い切れるのかというくらいの自信だ。
 先日、告白してイヴァンゼリンが『好き』だと答えてくれたことで、両想いになったと彼は言っているのだ。
 イヴァンゼリンはあんなにとろけて可愛らしい顔で愛に応えてくれたのだから、想いが通じたのだと勘違いしてもおかしくない。何しろ彼女だって本音で好意を口にしているのだから。
 とはいえ、セオドアは重大なことを一つ失念している。
 残念ながら一番大事な誤解を解いていないのだ。
 好きだという気持ちが極まりすぎて告白を先走ったせいで、彼は自分の過ちを弁明するのを忘れていた。もちろん、好きだという言葉は嘘ではないとは告げている。だが伝わりきっていない。
 それもこれも、結婚する前から好きだったことを伝えていないせいだ。そして一番肝心な、無自覚だったときに告げた『愛することはない』という宣言を撤回するのを忘れている。
 だがもう両想いだと思いこんでいるので、彼の頭の中はお花畑である。仕事での辣腕ぶりが、なぜだか恋愛ではおかしな方向に暴走するのだから困ったものだ。
「本当か……?」
 セオドアの言だけでは疑わしい。ヴィクターは追及の目を彼に向ける。だが、その言葉を裏付ける根拠がやってきた。
「失礼いたします」
 ノックのあとに入室許可を得て入ってきたのはイヴァンゼリンである。
「イヴ」
 途端に、セオドアの相好が崩れる。
「今日は一段と綺麗ですね。私の色に染まった貴女を存分に自慢できそうです」
 ぱっとソファから立ち上がって、セオドアがドアの近くまで彼女を迎えに行く。
 彼の言葉通り、今夜イヴァンゼリンが纏っているのは青色のドレスだった。
 裾のほうから胸元にかけて、絶妙なグラデーションに染め上げた生地に、いくつものビジューを縫いつけ刺繍で仕上げてある。婚礼用の衣装だと言っても頷けるようなこの豪奢なドレスは、結婚後すぐに商人を呼んだ際に仕立てたものだ。
 通常であればこんなに手のこんだドレスは完成に半年以上は時間がかかるが、そこは金にものを言わせて早く仕上げさせている。
 ちなみに、セオドアが想いを自覚するよりも前に、彼が特にこだわって選んだデザインである。つまり自分色に染めたいという願望丸出しだったことすら、無意識だったのだ。
 むろん、イヴァンゼリンはそれですら政略結婚を欺くためのセオドアの巧妙な作戦だと思いこんでいるのだが。
「困りましたね。自慢したいのはやまやまですが、こんなに綺麗な貴女を他の男に見せるのも惜しい」
「そんなことをおっしゃって……」
 かあ、とイヴァンゼリンは頬を赤らめた。その顔はどう見ても恋をしている乙女そのものだ。
 なるほど、相思相愛だとセオドアが訴えるのも無理からぬことだろう。
「わざわざ迎えに来てくれたんですか? メイドに申しつけてくれれば、私が行ったのに。次からは私を呼んでくださいね。貴女を一人では歩かせられません」
「まあ。どこでもわたくしの移動について回るおつもりですか?」
「当たり前です。イヴをエスコートするのは私の役目なんですから」
 くすくすと笑ったイヴァンゼリンに対し、セオドアはどこまでも真剣である。
「それではセオはお仕事ができなくなってしまいますわね。でも働いていただかなくては。さっそくお仕事がございますのよ?」
「なんでしょう?」
 セオドアが首を傾げると、イヴァンゼリンは入室時から後ろに控えていた家令に目をやった。
「旦那様。少しご確認をいただきたいことが……」
「わかった」
 家令に短く返事したセオドアは、イヴァンゼリンに向き直る。
「一度行ってきます。すぐに迎えに来ますからここでイヴは待っていてください」
「わかりましたわ」
 答えたイヴァンゼリンの頬に軽く口づけを落として、セオドアは応接室から出ていった。人前でのスキンシップはちょっぴり恥ずかしい。しかし、照れながらもイヴァンゼリンは拒んでいないのだ。
 それらのやりとりを、ヴィクターが目を丸くして見ているのもセオドアはお構いなしだった。
 固まってしまった兄の気持ちを代弁するように、ヒューバートがのんびりと話す。
「驚いたねえ」
 ヒューバートの声にはっとして、セオドアを見送っていたイヴァンゼリンはようやく彼らのほうを向いた。
「ご挨拶もせず、失礼いたしました。王太子殿下」
「ん、気にしなくていいよ。らぶらぶな新婚夫婦の前じゃあ、王族なんてゴミくずみたいなものでしょう」
 くすくすと笑って、ヒューバートはさらに酒を呷る。
「ヒューバート、まだ夜会前だぞ。そのくらいにしておけ」
 眉間に皺を寄せたヴィクターが止める。だがヒューバートは気にせず酒杯を傾けている。
「ゴミくずは言い過ぎだが、お前があんなにセオドアと……その、いちゃつくとは思ってなかった……まるで、本当の夫婦みたいな……」
 ヴィクターは言葉を濁そうとしているようでいて直球だ。
 密談をするからと人払いをしたため、この部屋には給仕のメイドもいない。だからここで聞かれて困るような話題は何もなかった。
「そんなふうに見えましたか?」
「うん。完璧にらぶらぶの新婚! って感じだったね」
 ヒューバートが頷くのに、イヴァンゼリンはほんのりと微笑んだ。
「そのように見えたなら、演技の練習の成果が出ておりますわね」
 氷の侯爵令嬢の微笑みだ。完璧な作り笑顔は、先ほどセオドアに見せていたのとはまったく違う。
「演技? さっきのが……? セオドアは両想いだって言ってたぞ?」
「まあ。お二方の前でも演技をやめないなんて……セオドア様は徹底してらっしゃいますわね……」
「どういうことだい?」
 イヴァンゼリンは首を傾げる。
「言葉の通りですわ? わたくしたちは恋愛結婚でないといけませんでしょう? ですが、人前に出るときにだけ演じていては、ぼろが出ることがありますもの」
 よどみなく話すイヴァンゼリンに対し、聞いている二人は理解不能なものを見つめる顔になる。だが、彼女の説明はさらに続く。
「ですから、セオドア様が普段から好きだと言い合おうと……名前も愛称で呼ぼうとおっしゃったのですわ」
 うっすらと笑みを貼りつけていたイヴァンゼリンは、ここでようやく困ったような顔になった。
「お兄様たちの前でまで溺愛のふりをされるのはちょっと驚きましたけれど……この政略結婚のためにはよいことなのではないでしょうか?」
「うーん?」
 首を傾げたヒューバートは、それ以上の言葉を重ねない。代わりにわなわなと震えたヴィクターが信じられないものを見るかのようにイヴァンゼリンの手を取った。
「待ってくれ、イヴ……お前は、セオドアのことが好きなんじゃ、ないのか……?」
「好きですわ?」
 これには即答である。だが、その顔には再び氷の侯爵令嬢の笑みが貼りつけられた。
「セオドア様は、大事なビジネスパートナーですもの」
 にっこりとイヴァンゼリンが言う。
 それは、彼女がここのところくじけそうになったときに、たびたび自分に言い聞かせている言葉だった。
 セオドアの態度や言葉が本音だと勘違いしそうになったとき、期待しすぎないように戒めているのだ。もちろん、日々囁く好きだという言葉は彼女の本心である。
 けれど、セオドアには伝わっていないと思えるからこそ言える言葉でもあった。
 二人は夫婦で、これから肌を許す相手だって、お互いしかいない。それでも、愛することはないと言い放ち、好きだと言いはじめる前に演技だと念押しをしたセオドアにあるのは、責任感だけなのだろう。
 そう思えば、イヴァンゼリンは侯爵令嬢としてこの結婚を受け入れた責務を果たさねばならないと考えている。
 そんな彼女のことを、ヴィクターとヒューバートはなんとも言えない様子で見て、顔を見合わせた。
「……そうか」
 たったそれだけを答えたのは、セオドアに対するヴィクターなりの情けなのかなんなのか。わざわざ溺愛を見せつけるような場を設けられてなお、イヴァンゼリンはすべてを演技だと思いこんでいる。
 それもこれも過去の無自覚なセオドアが招いたことなのだろう。
 元侯爵令嬢としての矜持で『ビジネスパートナー』と言い切るイヴァンゼリンも、仕事はできるのに誤解を解くという基本的なことを忘れているセオドアも、どっちもどっちの恋愛下手である。
 どこからどう見ても両想いなのに、イヴァンゼリンだけがそう思っていないのだ。
「堅物宰相様ってば、不器用で不憫だねえ……」
 小声で言ったヒューバートの言葉を、イヴァンゼリンは聞き取れていないのだった。

 そして、今この部屋にいた誰もが気づいていなかっただろう。
 言伝てを一つ忘れていたセオドアがすぐに引き返してきていたことも、ドアの外で思いがけず三人の会話を聞いてしまったことも。
 セオドアはこのときになって初めて、イヴァンゼリンの思いこみを知ったのだ。
 自分たちが両想いでなんかなかったということを。そして、自分の気持ちがちっとも伝わっていなかったことを。
 さらには自分の重ねてしまったもう一つの過ちに思い至る。
「謝って、いませんでした……」
 イヴァンゼリンに、『愛することはない』なんて酷い言葉を浴びせてしまったことも、重ねて演技をしようなんて馬鹿なことを言ったことも。
 好きだと返してもらえたことに舞い上がりすぎて、両想いだという勘違いで頭からすっ飛んでしまったのだ。
 本当に、可哀想なほどに初恋に浮かれた男なのだ。セオドアという男は。それもつい先ほどまでの話ではあるが。
「……両想いだと思ってました……」
 呟いたセオドアは、ふらふらと応接室の前から去っていった。

***

 その後、セオドアのエスコートで会場に入り、夜会は一見して和やかに開始した。けれど、なんだかセオドアの様子がおかしい。
「……もしかして、今日は体調がすぐれませんか?」
 挨拶をしてくる人の波が途絶えたころに、イヴァンゼリンはこそっとセオドアに小声で話しかける。
「いいえ。問題ありませんよ」
「では、お疲れなのではありませんか? セオドア様はいつもはこんなに社交でお話しになられないでしょう?」
 今日は夜会のホストだ。だからこそ、いつもなら社交の場で必要最低限しかやりとりをしないセオドアが、積極的に会話に応じている。
 普段の夜会と同じく真顔のままではあるものの、会話をすぐに打ち切らない時点で疲弊しているに違いない。イヴァンゼリンはそう思ったのだが。
「いえ。それも大丈夫です」
「ですが……」
 それにしては、ちっとも笑わないではないか。
「イヴ、呼び方を間違えてますよ」
「ごめんなさい、セオ」
 イヴァンゼリンが謝罪して名を呼んだ途端に、セオドアはぴくん、と眉を動かした。青い瞳が一瞬イヴァンゼリンを見つめる。だがすぐに逸らされた。
「いえ……謝ることではありませんよ。イヴ」
(まただわ)
 違和感があるのは、これだ。
 社交の場で、他の者と接しているとき、セオドアはいつも渋面か真顔だ。それは今でも変わらない。
 けれど、イヴァンゼリンに話しかけるときには、このところはいつだって目元を緩ませて微笑んでくれるのに。
 夜会が始まってからというもの、目すらろくに合わせてくれない。
(疲れてらっしゃらないなら……わたくしのせい、かしら……)
 閨では『セオ』と呼び続けてしまうのを、あえて心の中ではセオドア様と呼び続けるのは、彼女なりの線引きだ。
(気を抜くと、セオドア様のことを好きな気持ちに歯止めがかからなくなるもの)
 セオドアの態度はすべて、政略のための徹底した演技だと思っている。なのに彼から甘い言葉を囁きかけられるたびに、イヴァンゼリンの心は勝手に期待してしまう。そしてもっと彼を好きになるのだ。
 せめて内心で呼び方だけでも線を引いておかなければ、恋に溺れて政略の目的を果たせなくなることがあるかもしれない。
 この結婚は政略目的であって、いつ状況が変わるとも限らないのだ。もちろん、国王派の状況を考えれば、この宰相夫妻いちゃらぶアピール作戦が終わることはないのだろうが。
 ありていに言って、演技であると再び突きつけられたときに傷つかないように、イヴァンゼリンは逃げているだけである。
(わたくしがいつまで経ってもうまくできないから、セオドア様も呆れてしまったのかしら……そんな方じゃないと思うけれど)
 ふるふると首を振って、イヴァンゼリンは気を取り直す。
(役目はしっかり果たさなくちゃ)
「他の方がいるときには呼び方を間違えないように徹底しますわ、セオ」
 淑女の微笑みを浮かべてそう言えば、セオドアは渋面になる。
「……謝らなければならないのは、私のほうなんです。貴女がいつまでもその呼び方なのは、私が悪いんですから」
「セオが?」
 今の流れでセオドアが悪いことなどあっただろうか。そう思うイヴァンゼリンである。
「やっぱり少しお疲れなのではありませんか?」
「……私は大丈夫です。イヴ、この夜会が終わったら、話があります。時間をもらってもいいですか?」
「ええ、もちろんですわ」
「ありがとうございます」
 セオドアは頬に口づけを落としたものの、ぱっと顔を遠ざける。いつもなら、名残惜しげにゆっくり離れるというのに。しかもセオドアは渋面のままだ。
 イヴァンゼリンは言下に承諾したものの、なんだか胸騒ぎがした。
 会話なんていつだってしているのに、改まって話があるだなんて。先ほど考えないようにした不安の芽がまたすぐに顔を出す。
 だが、いつまでも思案にふけってなどいられなかった。

 


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