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巫女姫は結婚したい! 精霊が激推ししてくる騎士王子は運命の人らしい!?

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書籍紹介

無垢なおまえの乱れた姿がみたい

王女ティア=メイを危機から救ってくれたのは旅人に扮した精悍な騎士ヴェンス。気品のある仕草や優しい微笑みにキュンとする! 二人きりになれば「おまえの知らないコト、教えてやる」低く色気のある声で囁かれて唇が重なり――。彼の長い指で脚をなぞられ、下腹部を刺激されると初めての快感ではしたない喘ぎが漏れてしまう。うぶな巫女姫×オトナな騎士王子の蜜愛☆結婚物語。

ジャンル:
西洋 | ファンタジー
キャラ属性:
王子・王族・貴族
シチュエーション:
甘々・溺愛 | 幼馴染・初恋の人
登場人物紹介

ヴェンス

ティア=メイを助けた旅人。気さくだけど誇り高く、どことなく気品がある。明るく飄々とした性格で、すぐに島になじんだ。ティア=メイと良い雰囲気。

ティア=メイ

妖精のような容姿に朗らかな性格の島国イァムアルト王女。ヴェンスに恋しており、叶わないと内心思っていたが、精霊が協力してくれて……

立ち読み


 ──別れの刻が、近づいている。

 海は哀しいまでに穏やかで、翠珠色は朝の太陽の光を湛えながら、遥々と豊かに広がっていた。沖に立つ白波もやさしく、今日が最良の船出日和であることを告げている。
 出航の準備ができたようだ。船長がこちらに近づいて来る。
「いいぜ、乗りな、ヴェンス。特別にいちばん上等の部屋を用意してやったぞ。相部屋はネズミだけだ」
「それって船底の貨物置き場じゃないだろうな?」
 そう軽口を叩き合うヴェンスは、この国の者たちともうこんなにも親しく交わるようになったというのに、誰の見送りもいらないと、皆には告げずここを発とうとしている。
「船長、どうぞよろしくお願いいたします。彼は我が国の恩人です。大陸まで無事、送り届けてあげてください」
「お任せください、姫さま。このぶんじゃ向こう三日は良い波です、赤ん坊の揺り籠を運ぶみたいな船旅になりますよ」
 そう頼もしく請け合うと、船長は先に船に戻って行った。
 波打ち際に残されたふたりは、けれど別れの言葉は、すでに済んでいる。向かい合い沈黙するふたりのあいだには、ただ波の音だけが、寄せては返す。
「じゃあ」
 ヴェンスが、浜辺に置いていた荷物を拾い上げ、肩に掛けた。荷の底から、ぱらぱらと淡い色の白砂が落ちる。
 ヴェンスのいた夏のひとつき足らずが、いま、終わろうとしている。
 ある真夏の太陽の輝く日、この浜辺で、ふいにティア=メイの前に現われた、旅人の彼。旅の疲れを癒すため、しばらくこの小さな小さな島国に滞在することになった。
 白露の光る道を散歩していた早朝、水を汲みにいく彼に偶然行きあった。ほんのすこしだけ立ち話をした。
 青い空に白い雲が湧きあがる昼、遠浅の海で里の子らに懐かれている彼に輪の中に引っ張り込まれ、水かけ遊びをした。子どもに戻ったみたいに、涙がでるほど笑いながら。
 燃えるような緑の草原へ、こっそり馬で遠駆けに連れ出してくれた。樹からもいだ葡萄は酸っぱすぎて、ふたりで顔をしかめて、笑い合った。
 お礼に旅の外套が破れたままだったのを縫い直すと、ひどく驚かれ、なんだかくすぐったかった。
 洪水があった日、濁流に巻き込まれた人の腕を掴んで離さない彼の張り詰めた背中も今にも呑み込まれそうで、息ができなかった。
 家臣らと共に国を案内して、物見の塔から、里に落ちゆく夕焼けを彼のとなりで眺めた。
 星降る夏の夜、祭りの妙なる音楽を目を閉じて聴いている彼しか、目に入らなかった。
 そんなできごとがいくつもいくつもあって、いつしかティア=メイは、いつでもどこにいてもヴェンスの姿を探している自分に気がついた。
 けれど彼は、この国の人ではない。
 たまたまこの島を訪れた旅人で、身体を休め終えた彼は、今日、ここを去っていく。もと在た、大陸へと。
「あの、先日家臣たちの言ったことは」
 ティア=メイは、追い縋る心を体に閉じ込めて、三番目に伝えたかったことを、切り出した。
「非礼を、心からお詫びします。ただ、彼らは、私を思ってあんな申し出をしたのです。どうか、この国の者たちが私を蔑ろにしていると思わないで。彼らが」
 ティア=メイは、続きを口にすることを躊躇って、言葉を切った。けれどヴェンスの琥珀色の眼が、その件だけは未だに事情が分からないんだというように、訝しそうに先を促している。
「彼らがあなたへの褒美として、あんなことを……、王女を、私を与えようなどと言い出したのは、つまり……私が……、その…………、あなたに、恋心を抱いていると、そう誤解しているのです。だから、私たちを結婚させようなどと、あんなことを」
「え? ──ああ」
 ヴェンスの目が不意打ちの事実に軽く見開かれ、それから拍子抜けした声を出した。
「なんだ、そうだったか」
「あの、でも誤解なの、それは。あなたはその場ですぐにはっきりと断ったのだから、もう関係ない話だけれど、もしかしたら、ひどい家臣たちだと心配してくれているのではと思って」
「うん、そうか。ようやっと分かった。変だと思った。そういう事か」
 ヴェンスはおかしそうに笑う。
「良かった。ここを発つ前に気掛かりが消えて」
「ヴェンスのことは、とても感謝してる。異国の勇敢な恩人をお慕いしているのも本当です。でもそれは、そういう事ではなくて。全然、好きとかじゃなくて。そういう種類の好意では、全くなくて。本当に、ただの誤解で」
「分かってるって。そう強調されると傷つく」
 くだけた口調で、明るい笑顔で、ヴェンスはそんな冗談を言う。けれど彼は実際には傷ついてもいないし、家臣らの“誤解”を聞かされたところで微塵も意識などしない。ただ無頓着な親切さで、
「ティア=メイがこの国の奴らに本当に大事にされてると確認できて、安心した」
 心底ほっとしたように笑う。
「敵国に連れ去られそうになっていた私を救ってくださって、心から感謝しています。あなたはこのイァムアルト国の恩人です。いくら言葉で感謝を述べても、とても言い尽くせない。本当に、本当にありがとう、ヴェンス」
 ティア=メイが、二番目に伝えたかった事を口にすると、彼はそれにも軽い口調で、
「ああ。もう攫われたりするなよ。この国に着くなり偶々あんなところに出くわして、驚いた」
「もう、あんな事はないわ。災厄は去りました」
「かもしれないけど、里娘みたいにそう一人でふらふらうろつくな、王女が。──待たせてるな」
 ヴェンスが船のほうを見遣って言う。解いた帆の端が軽やかに風にはためき、早く大海原に出たいと逸っている。彼の心を映すかのように。
「もう行く」
「ええ」
「皆には世話になった。良い国だった。このうつくしい島国のことは忘れない。この」
 と、ヴェンスはティア=メイの瞳をしずかに見つめた。
「海の色も」
 彼女の瞳は、いまそこに広がる夏の海と同じ色の、やさしい翠珠色だった。
「元気で──ティア=メイ・オルラン・イァムアルト王女殿下」
「あなたもどうかお元気で。航路の無事を毎日、海の精霊、風の精霊、イァムアルトの神にお祈りします。良き旅になりますよう」
 ──行かないで。
「ああ。ありがとう」
「さようなら、ヴェンス」
 ──行かないで。
 ヴェンスが力強い足取りで船のほうへと踏み出す。砂浜に足跡が、遠ざかる方向に伸びていく。逞しい背中が、小さくなっていく。
 船に乗り込む際に彼は一度だけ、振り向いた。大きく手を振る。ティア=メイも振り返した。柔らかな絹の袖が別れの仕草にはためく。
 一番伝えたかったことは、そのうつくしい袖に閉じ込めた。
 ──行かないで。行かないで、ヴェンス。
 白い帆が張られる。風を受けて大きく膨らむ。船がゆっくりと動き出す。沖の白波が立つ。
 ぽつり、と頬に水滴を感じた。
 涙かと、思った。
 ぽつり、ぽつり、としかしそれは数を増し、勢いを増し、留まるところを知らず、みるみるうちに天からばらばらっと降ってきた。
「え、どうして急に──、い、痛っ」
 あっという間に激しさを増した雨粒は、石礫のごとき勢いで地上に降り注ぐ。ティア=メイの頬や肩や頭を、容赦なく撃ちつけた。さっきまでの青空は跡形もない。
 空には暗雲が立ち込め、雷鳴がごろごろと轟き、海は墨色になり、海面は荒れ踊り、沖の波は逆巻き、砂浜には無数の穴が穿たれる。
「ちょっと、いた、痛い、なに、これ、ちょっ──」
 そう惑う口のなかにも次から次へと雨粒が飛び込んできて、ティア=メイは慌てて口を閉じた。まぶたや睫毛に雨が溜まり、瞬きしても追いつかない。目が開けていられず、滝に打たれているかのように体がよろける。辺り一面、雨飛沫で視界が真っ白になっていた。
「姫さま、こりゃいかん。中止中止。おおい、早く艫綱を掛けろ、沖に持ってかれちまうぞ」
 船長が頭の上で大きく両腕を交差させる。泡を食った乗組員たちが荒波をかぶりながら大慌てで帆を畳み綱を引く。
 空の底がすっぽ抜け地上をぐさぐさ貫かんばかりの豪雨の中、痛い痛いと泣きそうになっているティア=メイの頭の上に、傘代わりに片手がかざされた。
 溺れた者のように頭から足の先までぐっしょりと濡れ鼠のヴェンスが、ひどく情けなさそうに立っていた。
「すまん、もうちょっと、世話になる」

 ──別れの刻は、まだほんの少しだけ、先のようだ。

 

 

 

 うつくしい海に囲まれた小さな島国であるイァムアルト国の王宮は、緑の丘に舞い降り羽根をやすめた白鳥のごとき佇まいと謳われる。
 その白亜の宮殿を東門から出ると、晴れた空の下のどやかに広がる野の道は、シロツメクサの小さな花々に縁取られながらどこまでも続いている。右手にはサンザシの繁みの向こうに初秋の碧い海がついてきていて、心地よい風が潮の香りを運んでくる。
 澄んだ空気は昼どきの陽光を、白金色の髪にまばゆく散らした。絹のごとき髪はゆるやかにひとつに編まれ、左肩から前に垂らされている。
 その髪型も身にしている若草色の服も飾りけのないものだが、すっきりあらわになった白く陶器のような首は楚々と優美に伸びて、あたかも一輪の百合か白水仙が歩を進ませてゆくかのようだった。
 途中途中で、田園に腰を屈め農作業をしていた者らや、盥に染めの草木を踏む者ら、切り株で目を瞑り思索中の者が、何かを聞き留めたふうにあるいは顔を上げ、あるいはこちらを振り向き、あるいは閉じていた目を開ける。
「ティア=メイさま、こんにちは」
「ご機嫌うるわしゅう、姫さま」
「いいお天気ですね。今日はどちらへ?」
 そうやって声をかけてから初めて、腕に大ぶりな籠を提げている彼女の姿を認める。白いモスリンの端からは、香ばしい焼きたてのパンの香りがほのかに立っている。次いで、この道の先の松林を見遣る。そして、心得顔に笑みを深くする。なかには、「どうぞごゆっくり」「姫さま、がんばって」などと口にする者までいる。
「違うのです、これは、厨房の者たちが皆忙しいと言うから、今日は誰も届けられる者がいないって言うから、だから」
 と、森深くの静謐な泉のように気品に満ちた面が、途端に歳相応の若い娘のものになって、慌てて否定する。
 けれどティア=メイがいくら事情を説明しても、皆にこにこして頷いているだけである。それでティア=メイはただいつものように、水色がかった翠珠色の瞳を穏やかにさせて気を取り直し、
「それより、皆さんはご機嫌いかがですか。なにか変わったことや、困ったことはありませんか?」
「変わったことと言えば姫さま、最近心なし母の顔色がすぐれないようなんです。本人は何ともないと言い張るんですが、どうにも辛そうに見えて」
「まあ、あんな働き者の人が辛そうというのは、よほどのことです。それとなく、お医師と一緒に私もお見舞いにうかがいましょう。必要なら王宮の薬庫から、お薬を」
「ティア=メイさま、この前の件ですが、やっぱり橋桁でした。おかげさまで事故が起きる前に直せました」
「そう、よかった。いい機会だから、手分けしてほかの橋も点検するようお願いできますか」
「王女さま、隣国から取り寄せてくださった脱穀機、あれはいいですね。うちでも自前で造ってはいかがでしょう。技術者を招けますか?」
「では戻ったら大臣に伝えておきますので、明日にでも王宮に来て担当官と相談してみてください。これで作業がらくになるといいですね」
 そうして、
「──今日いちにち、神の御恵みがあなたに降り注ぎますよう」
 と祈りの言葉を与えて、あとはもうなるべく早く辿り着くよう、ひたすら道を進んでいく。さらさら、しゃら、という音が、ついてくる。こうして歩を運ぶだけで、自分がこれからどこに行くのか、誰に会いに行くのか、国中に宣伝しているようなものだ。皆が自分に気づいて振り向いては、あるいはにこにこと、あるいはにやにやと、笑顔を向けてくる。
(ああ……、もう……)
 そういうのじゃないのに。
 ゆるやかな登り坂になった道を抜けると、やがて辺りは、きりっとした松柏の香りに包まれた。さらに進んでいくと眼下に海を見晴るかす芝地の岬に出るけれど、その小ぢんまりした館は、もう、すぐそこだ。
 数代前の王が隠居後はささやかに暮らしたいとあえて質素に、しかしイァムアルトの伝統的に風雅な造りで建てた館だった。崩御後はたまに掃除をするくらいで、誰も日常的に住む者はいなかったのだが。
「ヴェンス。いる?」
 戸の外から声をかける。閑静な庭に、木々のささやきや鳥の声、小川のせせらぎが耳に染みとおる。
「ヴェンス」
 再度声をかけるが、返事がない。どうしようかと迷っていると、虫の知らせというのか、ふと風がそちらへ流れた気がして、館の裏手へとまわってみた。
 ヴェンスはそこにいた。
 こちらに背を向けて地面に座り、武具の手入れをしているようだった。鞘が傍らに置かれ、器と砥石、それに少し離れた所に水甕が転がっている。剣に新しく塗った油を、厚手の布で拭き取ったところだった。
 その一見何気ない手つきの、けれどどこか剣舞をも思わせる涼しげな所作に、ティア=メイは目を奪われる。男らしい手首や、手の甲や、尖った肘、袖から覗いた引き締まった二の腕が剣身に沿って持ち上げられると、服越しにも広く逞しい背に肩甲骨が浮き上がるのが見て取れた。首の後ろには、革紐がのぞいている。
 けれど、見惚れていられたのは一瞬のことだった。ヴェンスは何かを聞き留めたようにわずかに身じろぎし、振り向いた。
 凜々しくすっきりと端整な顔立ちに、無造作な短い黒髪。野性味と知性とをそなえた琥珀色の眼が、こちらを捉える。
「ああ、ティア=メイか」
「ヴェンス、あの、お昼ごはんを持ってきたの。今日は厨房の者たちがみな忙しくて、どうしても誰も届けられる者がいないって言うから、それで代わりに」
「ありがたい、すごく腹が減ってたんだ。すぐ行くから、入って待っててくれ」
 届けたら、すぐ帰るつもりだったのに。帰路が遅くなれば、皆がどう想像するかわからない。
 逡巡して、けれど結局、ティア=メイは家の中に入ると土間の竈に火を熾し、戻ったら彼がすぐに食べられるよう、素焼きの壺に入ったスープを温め直して待った。
 ダイニングを兼ねた居室は窓から明るく陽を取り込み、柱や腰壁や廻り縁、それにどっしりと重々しい紫檀のテーブルや椅子などの調度には、植物を象った伝統的な装飾が施されている。間取りはほかに、寝室と書斎と浴室があるきりだ。それぞれがゆったりとした空間を持っているが、使用人を置くような部屋はない。
「いい匂いがする。ティア=メイも食べていくだろ?」
 そろそろ火を弱めようと竈を覗き込んだところで戻ってきたヴェンスは、すでに勝手知ったる家といったふうに悠々と寛いだ足取りで入ってきて剣を壁に立てかけ水甕を土間に置くと、一切途切れのない動作でそのまま食卓の椅子を引いた。ここに座れということだ。
「いえ、私は宮殿のほうに用意されて」
「でも二人分ある」
 ヴェンスはリネンのナプキンに包まれていたカトラリーを取り出して示した。左右の手にナイフとフォークとスプーンが、それぞれ一セットずつ。
「………………」
(やられた……)
 内心で、がくりと膝をつく。道理で、一人分にしてはやたら重いなとは思ったのだ。でも若盛りの男の人はこのくらい食べるのかな、とも納得してしまっていた。
 もう、なんなのだうちの民は、みんなして。
 自分とヴェンスに、何が起こると期待しているのだ。そういうのじゃ、ないのに。もうとっくに、振られたようなものなのに。ただの「いいお友達」なのに。
 ティア=メイがひとり打ちひしがれている間にも、ヴェンスはさっさと籠から、パンやチーズ、トマトとセロリのサラダ、鰊のキッシュ、くるみとレーズンの鶉肉詰めなどを陶器の皿に並べ、野菜と茸のスープを火から上げて、食卓の傍らに立つ。
「おい、腹が減ってる」
 女性であるティア=メイが座るまで、ヴェンスは座らない。
 無頼の者みたいなぞんざいな口の利き方をするくせに、なぜかそうした大陸風の貴族のような振る舞いをする。
 ティア=メイがよろよろと食卓につき腰を下ろすのに合わせて、紫檀の椅子を押してくれる。椅子の背もたれは高く、精緻な透かし彫り細工が施されている。ヴェンスはそれからやっと自分も向かいの席に座った。
 ティア=メイが祈りの言葉を古語で唱えると、ヴェンスもこの国の風習に合わせて、たどたどしいながらも復唱してくれる。ふだんの会話は公用語で事足りるが、イァムアルトでも日常あまり使われなくなった古代語は、発音がすこし難しい。
「ハマ=ヤン・ヌのつくるメシはうまいからな。イァムアルトは魚介が有名とは聞いていたが、山のものも何でも滋味があって、ほっとする。この前までいた国は香辛料が強くて、うまくはあったけどさすがに毎日は食えなかったな。ここのメシは一生食えそう」
 ぴくり、とティア=メイのスープを掬う手が奇妙に揺れる。一生……いてくれていいのですよ? と、つい期待してしまう。あまり罪な事を言わないでほしい。
 ヴェンスは自分の発言がティア=メイにどんな影響を与えるかなど全く気づいていないふうで、それにしても今日はなんだかやけに豪勢だな、と首をひねりながらも、ティア=メイのゆうに倍以上を食べ進めていく。若者らしい旺盛な食欲の、その仕草の端々にはやはりどことなく品がある。
 彼がその腕を誉める王宮料理長ハマ=ヤン・ヌは、ティア=メイをここに寄越した張本人である。
 ヴェンスに今日まだ昼食が届けられていないことを知ったティア=メイが、用意されたきり厨房に置かれたままになっている籠をそわそわと入り口から覗き込んでは、「まだ持って行きませんか?」「午前中、若い衆らに交じって剣の稽古をしているのを見ました。お腹を空かせているのじゃないかしら」「冷めるから、スープはいったん鍋に戻す?」などと気を揉むのにさも業を煮やした様子でふくよかな体を揺らし、
「ティア=メイさま、今日は皆忙しくて、てんてこまいなのです。そんなにお気になさるなら、ご自分で持って行ってやってくださいな。なんと言ってもヴェンスは国賓待遇ですから、王女殿下御自らがお届けしても、そうおかしなことはないでしょう。さあ、どうぞ」
 八人の子を女手ひとつで育てる逞しい母でもある王宮料理人は、大ぶりな籠を取り上げるとにっこりティア=メイに押しつけ、「よろしくお頼み申しましたよ。ヴェンスは舌が焼けるくらい熱いのが好きですからね」と王宮内の厨房から押し出したのだった。思い返してみれば、そういえばほかの料理人たちもこちらを見て、妙にあたたかい笑みを浮かべていた気がする。
(もう振られてるのに……振られてるのに……)

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