新しくカートに入れた電子書籍 すべて見る
カートを見る 合計金額(税込)0円
新しくカートに入れた電子書籍 すべて見る
カートを見る 合計金額(税込)0円

こじらせ竜騎士王子の溺愛指南

本を購入

本価格:737(税込)

カートに追加しました
電子書籍を購入

電子書籍価格:737円(税込)

獲得ポイント:7pt
電子書籍を閲覧するにはビューアアプリ「book-in-the-box」(SHARP)をインストールしてください。
書籍紹介

おまえのことを好きになったから、責任とって結婚しろ!

「おまえの罪は、俺をここまで本気にさせたことだ」偏屈で偏狭な王太子アヴェンの居丈高なプロポーズ。罪人の子という身分を偽り侍女になったファリスは、彼を慕いながらも頷くことができない。けれど彼は全てを知ってもなお真摯に向き合ってくれる。「ずっと俺の傍にいろ」
優しい手つきで脱がされ、甘く淫らに乱されて、愛される悦びを知り――。身分も過去も乗り越えた幸せ婚!

ジャンル:
西洋 | ファンタジー
キャラ属性:
王子・王族・貴族
シチュエーション:
玉の輿・身分差 | 幼馴染・初恋の人 | 甘々・溺愛
登場人物紹介

アヴェン

レスヴィアーザ王国王太子にして、水竜キアレアを盟友とする竜騎士。従兄への劣等感からひねくれた言動をしがちだが、根は優しい。

ファリス

両親を喪い家もなく、偽名を使い平民として下働きをしている元伯爵令嬢。職場を追い出され泣いていたところをアヴェンに拾われて……。

立ち読み

 雨に煙る墓地に、弔鐘が打ち鳴らされる。
 棺の上に濡れた土がかぶせられるのを、ファリスは茫然とみつめていた。
 半年の間に、こうして親を見送るのは二度目──彼女は両親を喪ったのだ。
 葬儀に参列しているのは、ひとり娘のファリスと、儀式を執り行ってくれている司祭、国王の代理でレスヴィアーザ王国の土地管理をしている中年男の三人きりという、寂しいものだった。
 葬儀が終わり、悄然としているファリスに司祭は一礼すると、踵を返して神殿へ戻った。
 残されたファリスの顔を覆う黒いベールの下からは、雫がぽたぽたと落ちていたが、雨に濡れているせいで、泣いているのかどうかは判然としない。
 困り顔の中年男は、止まない雨を振り仰いだ。
「……お嬢さん、この度はなんと申し上げてよいか」
 埒が明かぬとばかりに切り出され、ファリスはうつむけていた顔を上げた。
「一緒に母を見送っていただいて、ありがとうございました……」
 消え入りそうな声は、雨音に半ばかき消される。雨は先刻よりもだいぶ強くなった。
「とりあえず、屋根の下に移動しましょう。お話は、そこで」
 促されるまま礼拝堂の軒先に移動すると、彼はさっそく切り出した。
「このようなときに申し上げるのはまことに心苦しいのですが……」
「はい、邸を出て行けということですね」
 か細い声で彼女が言うと、男はますます困った顔で笑った。
「大変、恐縮です。あの邸はヴィシュト子爵家の持ち物ではあるのですが、子爵ご夫妻はすでに亡くなり、王国側が接収することが元々決まっていたのです。ただ、此度の災難により、特別な温情でヴィシュト子爵家のお嬢さん──あなたのお母さまに貸し出されていただけですので……」
「わかっています。ですが……私は、どうすればいいのでしょう……」
 半年前に父を喪い、心労で倒れた母もこのとおり墓地に埋葬されたばかりだというのに、彼女は明日から身ひとつで生きていかなければならない。
 ほんの半年前まで、彼女は伯爵令嬢として大きな邸で優雅な暮らしをしていて、それは永遠に揺るがないものだと信じて疑わなかった。なのに、今は明日をも知れぬ身の上だ。
 父は、彼女が社交界にデビューする直前にあのようなことになってしまったので、ファリスを助けてくれる存在はこの国に存在しない。
 それどころか、今や国中が彼女を指さし、白い目で見て、嘲るだろう。
 伯爵家の一粒種として育った十六歳のファリスに、あまりに現実は冷たかった。
 それまで堪えていた涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。
「……私としても、お若いお嬢さんにあまりな仕打ちであることは承知しています。そこでひとつご提案なのですが」
 男は懐から封書を取り出すと、ファリスの前に差し出した。
「これは仕事の紹介状です。今ちょうど、城で料理番やら洗濯係、厩や竜舎の掃除などの下働きを募集しているのですよ。住み込みならば、ひとり部屋ももらえます。元伯爵令嬢のあなたには屈辱かもしれませんが、そうも言っていられないでしょう?」
 ファリスはベール越しにその封書をみつめた。
「身を売る羽目になるより、いくらかマシかとは思いますが」
「わ、私は……お料理もお洗濯も、お掃除もしたことがありません……」
「そうでしょうが、まあ仕方ないでしょう。ですが、この紹介状を見せれば無下にされることはないと思います。仕事は、やって覚えればいいのですから」
「…………」
 おずおずと手を伸ばし、ファリスが書状を受け取ると、男はほっとしたようだった。
「若いお嬢さんを街中に放り出すのは、私も寝覚めが悪いですからね。がんばってみてください。明日にでも城を訪ねてみるといいでしょう。邸は、申し訳ないが明日中に明け渡していただきます」
「明日……」
 母の死を悼み、悲しみに暮れる暇もない。
 男は帽子を外して一礼すると、ふたたびそれを被りなおして、雨の降る墓地を足早に出て行った。
 彼を無言のまま見送って、ファリスは書状を胸元で握りしめる。
「お母さま……どうして、こんなことになってしまったのでしょう……」
 それまで、順風満帆な日々を過ごしてきたのに。
 父は、かわいいひとり娘を王太子妃にするのが夢で、認めてもらえるように一生懸命働いていた。
 それなのに、半年前のある日、父は城の塔から落ちて死んだ。
 ──父のルーシュウス伯爵が違法に竜を売買し、それを王太子に譲り渡した。
 あまつさえ、違法売買の罪を隠すため、王太子の従兄にして王国の重鎮ヴァリレエ公爵殺害まで企てたというのだ。
 事件を知らされた翌日、伯爵夫人とひとり娘のファリスは、ルーシュウス伯爵家を文字通り逃げ出し、今は誰も住んでいない夫人の実家に隠れ潜んだ。そこで、息を殺しながら過ごしてきたのである。
 だが、根っからの貴族である母娘にとって、使用人のひとりもいない生活は想像を絶する過酷さだった。
 くわえて、信じていた夫が反逆ともいえる罪を犯し、伯爵の称号を剥奪され、財産も没収されたその事実に、母の心はついていけなかったのだ。
 三ヶ月も経つ頃にはベッドから起き上がれなくなり、あの悲劇の日から半年、ついに還らぬ人となってしまった。
 もう、ファリスは貴族の令嬢ではなかった。
 ルーシュウス伯爵家は没落し、身ひとつで投げ出されたのだ。
 もらった紹介状を懐にしまい、ファリスは雨脚の強まる墓地にもう一度向かうと、墓碑に取り縋って泣きじゃくった。
「お母さま……お父さま……」
 父母を思って泣けるのは今日までだ。
 明日から彼女は、身分も名前もない一平民として生きていかなければならないのだから。

 

 

 

「さあ、一休みしようかね。フィーア、クッキーを焼いたから、お茶を淹れておいで」
「はい!」
 フィーアは台所係のおばさんに誘われて、裏庭の小さなテーブルにポットを持ち込み、仲間の分まで手早く紅茶を淹れていく。
 彼女が城の下働きとして雇われて二年が経った。
 ここへやってきた十六歳当時は、料理どころかお湯を沸かすことすらうまくできなかったが、みんなが懇切丁寧に、辛抱強く仕事を教えてくれたので、なんとか足手まといにはならずにこなせるようになった。
 現在は、元伯爵令嬢という身分はひた隠しにしている。彼女を「ルーシュウス伯爵の娘」として記憶している人がいないとも限らないからだ。
 そこで、城で働きはじめるときに本名のファリスではなく「フィーア」と偽名を使い、身寄りのない街の娘と触れ込んだ。
 親を亡くして行く当てのないことだけが事実だ。
 でも、ここで働く人々はみな気のいい人ばかりだった。
 はじめは激変した自分の環境についていけずに泣くことも多かったが、誰もが親を亡くしたばかりの彼女を慰めてくれ、仕事に失敗してもやさしく教えてくれた。
 レスヴィアーザの王城では、ビアレンの街に住む平民も多く働いている。そういった人たちが彼女に同情的に接してくれたので、ずいぶん救われた。
 自分の置かれた環境に馴染み、明るく笑えるようになったのは一年が経過した頃だった。
 ちゃんと働けば寝食に困ることはない。それが今は、噛みしめるほどにありがたい。
 職場には、街から通う人もいれば住み込みで働く人もおり、フィーアも狭いながらに一室を与えられている。
 伯爵家の彼女の部屋とはまるで違って粗末だが、すこしずつ増えていく持ち物は、労働の対価として得たお金で買ったもので、フィーアにはそれが誇らしかった。
 今までは貴族の令嬢として、欲しい物は親に言ってかんたんに手に入れてきたが、自分で稼いだお金で得た物は、何ものにも代えがたい宝物だ。
 それに、台所で働くおばさんたちに囲まれて、仕事の合間にクッキーをつまみながら談笑する。こんな平和な日常に、今はとても幸せを感じている。
「フィーアはもう十八歳なのかい。もうあれから二年も経つのねえ」
「そろそろ結婚なんてことになってもおかしくないわね」
 世話焼きおばさんたちの話題に、フィーアの結婚が上るのはわりとよくあることだ。彼女は笑って紅茶を飲んだ。
「知ってるかい? 竜舎係のマトスがフィーアに相当なお熱らしいよ」
「やだ、ミーナおばさん。そんなはずないわ」
「マトスの家は革細工屋でねえ、竜の鞍だとか、竜騎士のマントにつける小物だとか、いろいろ請け負っているから、家業は右肩上がりっていうしね! 狙い目よ」
 フィーアは笑って流したが、内心穏やかではいられなかった。
 竜騎士という言葉に、心臓が早鐘のように鳴り出す。
 彼女の父親は、竜騎士になりたいというアヴェン王子の心を利用し、竜を違法に手に入れて王子に差し出したのだ。
 アヴェン王子は巻き込まれたとはいえ、自分で竜を狩ったという嘘を公然とつき通していたので、いわば共謀であり、自業自得という面は確かにある。
 しかし、その悪事が国王自身の手で暴露されると、アヴェン王子の名声はたちまち地に堕ちた。一時期は、彼を王太子とすることをよしとしない声も多く上がっていたほどだ。
 父が違法な手段を使わなければ、アヴェン王子がそれに乗ることはなかった。そして、父は死んで終わったが、若い王太子はこの先も針の筵で生きていかなければならない。
 アヴェン王子とは会ったことも話したこともないが、彼の置かれている状況がどれほどの恥辱なのか、想像しただけで心が苦しくなる。
 だが現在、王子は自分で捕まえた大きな青い竜に乗っていて、王国の人々も今ではそれを誇りに思っている。彼は過去の汚辱を自ら雪いだのだ。
 それはフィーアにとっても救いだった。今でも王子が人々に悪く言われていたとしたら、呑気に城で働いてなどいられなかっただろう。
「そうだ、このクッキーを竜舎まで持っていくといいよ、たんと焼いたからね! マトスにあんたの存在を印象づけておいで」
「わ、私は別に……」
 竜舎係のマトスに特別な感情を抱いているわけではないのだが、気のいい──おせっかいなおばさんたちに半ば強制的にクッキーの入った籠を持たされ、フィーアは仕方なく竜舎へと足を向けた。
 裏庭から竜舎は近く、進行方向の空に二頭の竜が優雅に飛んでいるのが見える。
 今、王国の竜舎には八頭の竜がいて、その陣頭指揮をとるのが竜騎士団長のヴァリレエ公爵──フィーアの父が手にかけようとした相手なのだ。
 社交界にデビューしていなかった彼女は、ヴァリレエ公爵とも面識はないが、その名を聞くだけで胸が詰まる。
 フィーアにとって、竜舎は最も足を向けたくない場所だった。
 ただ、ヴァリレエ公爵は自邸に竜舎を持っているので、公爵がこの竜舎を訪れる機会はあまりないらしい。それが救いだ。
 そっと竜舎の門をくぐって、竜舎係たちがいる建物へ寄る。今は竜がすべて出払っているらしく、ここで働く人たちも休憩中のようだ。
「こんにちは──」
 そっと扉を開くと、中には体格の良い男たちが十人ほど、談笑しているところだった。
「あ、フィーア!」
 彼女にいち早く気づいたのは、件のマトス青年だ。力仕事の多い竜舎ではずいぶん細腕な若者だが、竜が好きで仕方がないらしく、家業もそっちのけで城勤めをしているそうだ。
「フィーア、どうしたの?」
「え、ええ。クッキーをたくさん焼いたので、お裾分けに……」
 フィーアが籠を差し出すと、休憩中の男たちから歓声があがった。
「そうなんだ、ありがとう! みんな甘いもの大好きだからさ、フィーアも一緒にどう?」
「でも、もう仕事に戻らなくちゃいけないから」
「そっか、残念」
 ぺこりと頭を下げて辞去しかけたとき、大きな窓の外が翳った。反射的にフィーアがそちらを見ると、竜舎の広場に一頭の竜が降り立ったところだった。
「アヴェン殿下のお戻りだ。フィーア、ありがとな。あとでいただくよ」
 マトスも他の竜舎係たちも、アヴェンの騎竜を見ると腰を上げ、なんだか楽しそうに外へと出て行く。みんな本当に竜が好きなようだ。
 しかし、フィーアは平静ではいられなかった。
 アヴェン王子には一方的に引け目を感じているから、顔を合わせたくない。合わせたところで、王子は彼女の存在を知らないので、何が起きるわけでもないのだが……。
 人がいなくなった休憩室を後にして、フィーアはそっと竜舎から出たが、つい気になって振り返ってしまった。
 青い大きな竜の前に、すらりとした立ち姿の金髪の青年がいた。竜と対比すると小さく見えるが、傍にいる竜舎係の男たちと比べると飛び抜けた長身だ。
 王子は手を伸ばし、竜の頭を撫でている。
 遠目なので顔まではよくわからなかったが、心からうれしそうに竜を撫でる様子は伝わってきた。二年以上前の事件など、とうに王子は吹っ切っているのだろう。
(よかった……)
 アヴェン王子が元気でいるのならば、フィーアが感じる負い目もすこしは軽くなる気がした。自分がほっとするから、王子には元気でいてほしい。そう思っている。
(私、いやな人間だ)
 安堵する反面で自己嫌悪も感じ、フィーアは足早に竜舎から離れた。
 あの事件そのものに、彼女が関与しているわけではない。
 だが、父は娘を王子の妃にしたいがために法を犯したのだ。自分は関係ないと、胸を張って言うことはできなかった。

   *

 いつもの持ち場に戻ると、さっきまでの休憩など嘘のように忙しく、ばたばたしていた。
 今夜は国王主催の夜会があるので、台所は朝からてんやわんやなのだ。フィーアも忙しく野菜の皮を剥いたり茹でたりと、下ごしらえを進めていく。
 裏庭にはたくさんのワイン樽が運び込まれ、男たちが階上の広間へと移動させる。
 あんな事件がなければ、自分も今頃はドレスで着飾り、両親──もしかしたら婚約者と一緒に、夜会に出席していたかもしれない。
 ふっとそんな埒もないことを考えてしまうが、それこそ夢物語だ。今だって、十分すぎるほど幸せなのだから。
 夕方になって夜会がはじまると、料理が行き交い、片端から交換されるワイングラスを洗って戻し、台所はちょっとした戦場になる。
「これ、急いで持って行って!」
「はい!」
 フィーアも言われるままに料理を運び出し、配膳用の台車に載せる。彼女の仕事はここまでで、下働きの人間が会場に赴くことはないのだが、侍女にそれを持っていくように言いつけられてしまった。
 他に人がいないので、仕方なく夜会が開催されている広間までそれを運んだ。
 侍女はほとんどが中級以下の貴族令嬢で、行儀見習いとして城に上がることが多く、結婚が決まると城を下がる。
 ちょうど先日、多くの侍女が城下がりをしてしまったという噂だけは小耳に挟んでいたので、人手不足なのだろう。
「お料理運んできました。こちらに置いておけばいいでしょうか」
 給仕たちの控室に入ると、みんな目が回る勢いで行き交っており、フィーアを気にかける人は誰もいない。しかし、料理をここに放置しておいてよいものか迷う。
「その料理! 一番手前のテーブルに並べてきて!」
 控室に戻ってきた給仕の侍女がフィーアに指示した。彼女自身は空っぽの皿を大量に抱えており、すぐに奥に引っ込んでしまう。
(料理を並べるだけなら、大丈夫かしら……)
 この夜会に、彼女のかつての友人たちが参加していないとも限らない。
 だが、今のフィーアは地味に髪をひとくくりにして、カチューシャで留めているだけだ。何年も会っていない友人に気づかれることは、間違ってもないだろう。そもそも、貴族は給仕する人間の顔など見ていない。
 フィーアはそそくさと広間に入り、邪魔にならないように手早く料理を並べ、大急ぎで空っぽの台車ごと控室に戻ってきた。
「ちょうどいいわ、このお皿も戻してきてくださる?」
「かしこまりました」
 たくさんの侍女や従僕が行き交う中から抜け出し、無事に役目を果たせたことにほっとする。横目にしか見ていないが、あんなに広い会場で何百人もの人がいるのに、知り合いに出会うことなんてまずないだろう。
 台所に戻るために薄暗い廊下を進んでいると、ふたりの貴婦人が廊下の向こうから談笑しながらやってきたので、フィーアはあわてて端によけて頭を下げた。
 すると、すれ違いざま、手前にいた貴婦人がフィーアを見て「お仕事ご苦労さまです」と声をかけてくれた。
 この仕事に就いて二年、貴族に労いの言葉をかけられたことなんて一度もない。
 一瞬、何が起きたのかわからず、目をぱちくりさせて顔を上げると、びっくりするほどに華奢で美しい女性が、フィーアを見て微笑んでいた。
 結い上げた白金色の髪の後れ毛が、彼女の細いうなじにかかっている様子が見えて、どぎまぎしてしまう。
「あ、ありがとうございます、奥さま」
 頬を赤らめて礼を言うと、にっこり笑われてますます緊張する。すると、同行していた女性が彼女を呼んだ。
「シルフィアさま、あそこにご夫君がいらっしゃるわ」
 廊下をずっと行った先に男性が立っていて、シルフィアと呼ばれた女性を見つけると、手を振った。
「リューン!」
 彼女はうれしそうに彼の名を呼び、小走りになった。なんともかわいらしい女性だ。
 だが、頭を下げてふたたび歩き出したフィーアは、台車を持つ自分の手が小さく震えていることに気がついた。
 シルフィアにリューン。レスヴィアーザにいて、その名を知らない人間はいないだろう。
 この国に、絶滅のささやかれていた竜をふたたびもたらした英雄と、初代竜騎士の子孫と言われる、竜守の娘。
 フィーアの父が殺害しようとした、ヴァリレエ公爵夫妻だった。
 聞くところによると、父はヴァリレエ公爵の妻──当時は結婚していなかったが──シルフィアも一緒に殺そうとしたという。あんなにやさしそうな女性を、父は手にかけようとしたのだ。
 申し訳なさでいっぱいになり、フィーアは足早にその場を立ち去った。
 だが、人いきれの台所に戻るのが億劫になってしまい、中庭に出ると、噴水の縁に腰を下ろし、ため息をつく。
 父の犯した罪はすべて他人から聞かされたことで、俄かには信じがたいが、みんなが同じことを言っている。現場を目撃していた騎士も大勢いるのだから、事実なのだろう。
(お父さま、どうしてそんなことをなさったの……)
 ひとり娘を王太子妃にするため、王子の歓心を買うため父は悪事に手を染めた。
 以前は、子供の頃にファリスが言った「王子さまと結婚するの!」という幼い一言を真に受けた父が、それを実行するためにがんばってくれているのだと単純に思っていた。
 だが、そうではないのだ。
 ファリスが王太子妃になれば、父は将来、王妃の父という確固たる地位を築くことができる。父は家ではやさしい人だったが、野心家だったのだ。
 本気で王太子妃になりたいなんて、ファリスは思っていなかった。伯爵家の娘といったって、ルーシュウス伯爵家は中堅だし、王子の周囲にはもっと地位も教養も美貌も兼ね備えた女性が大勢いる。
 自分が凡庸な娘であることはよくわかっていたから、彼女たちを押しのけて、自分が王太子妃にと名乗り出るつもりなんて、これっぽっちもなかった。
 しかし、ファリスが何を言おうが言うまいが、父はきっと同じことをしただろう。
 それでも、彼女は父を憎んだり恨んだりする気になれなかった。ただ、「どうして?」だけが頭の中をぐるぐる巡る。
「ああ……」
 頭を抱えてうずくまったときだった。
「ファリスさま?」
 二年前に捨てたはずの名を呼ばれ、フィーアは心臓に杭を打たれた気分で顔を上げた。
 そこにはフィーアと同年代の令嬢が三人、美しく着飾って彼女を取り囲んでいる。
「やっぱりファリスさまよ! お久しぶりね、そんな恰好をして、どうなさったの?」
 とっさに顔と名前が一致しなかったが、幼少期に友人付き合いをしていた娘たちだった。
 フィーアの父があんなことになって、夜逃げ同然に邸を出てから、当然一度も会っていないし連絡さえ取り合っていない、今となってはただの顔見知りだ。
 真ん中のひときわ美しい令嬢の名前だけは、すぐに思い出した。
 ラクシュス伯爵令嬢リエッタ。ラクシュス伯爵は隣国との国境に領地を持ち、軍事力も経済力も兼ね備えているため、国王家からも一目置かれている。同じ伯爵号ではあってもルーシュウス伯爵家など足元にも及ばなかったのだ。
 フィーアは反射的に立ち上がったが、お仕着せ姿を見られてしまったことに気づき、頬を赤らめた。
 かつては、彼女たちと同様にドレスを着て、互いの家を行き来していたことがある。この凋落ぶりを見られるのは、たまらなく恥ずかしかった。
「それ、城の下働きの人たちが着る服よね? 台所の人が着ているのを見たことがあるわ。ファリスさまがどうしてそんな恰好……」
 言いながらもくすくす笑っている。もちろん、彼女たちはファリスの現状を理解した上でそう言っているのだ。
「おやめなさいよ。ファリスさまはもうおうちがないのだから、働かなくては生きていけないのよ」
「でも、まさかお城で働いているなんて思いませんでしたわ。だって、この方のお父さまは王太子殿下を陥れて、ヴァリレエ公爵閣下を殺害しようとした重罪人ですのよ? そんな人の娘が城で働いているなんて、ありえないと思いません?」
 それに反論する言葉は出てこなかった。
 すべてが事実で、彼女は身分と名前を偽ってここにいるのだ。
「ファリスさん、ちゃんと責任者の方は、あなたの正体を知っているの?」
「どうしたの? お口が利けなくなってしまったのかしら」
「……わ、私は」
 どうやって言い逃れよう。必死に考えたが、何も思いつかなかった。心臓がバクバクと音を立てて手は震え、冷たい汗が流れ落ちる。
 何も言い訳が思いつかないうちに、事態はもっと最悪な方向に進んでしまった。
「フィーアっ、どうしたの!?」
 彼女の戻りが遅かったので、ミーナおばさんが捜しにきたのだろう。中庭でフィーアが貴族の令嬢に囲まれているのを見て、血相を変えて飛んできた。
「お、お嬢さま方、この子が何か失礼をしでかしましたでしょうか!?」
 ミーナは下働きの人々のまとめ役ではあるが、平民だ。相手が若い娘たちとはいえ、貴族の前に出るなんて恐ろしいに決まっている。顔は青ざめ、唇が震えていた。
「フィーア?」
 令嬢たちが顔を見合わせ、非難の目でファリスを──フィーアを見た。
「あなた、下働きの責任者の方? 彼女はフィーアなんていう名前じゃないわよ」
「……どういうことでしょう」
「彼女の本当の名前は、ファリス・ルゥ・ルーシュウス。あのルーシュウス伯爵のひとり娘だわ」
 ミーナはぽかんと口を開け、令嬢たちとフィーアを見比べた。
「ル、ルーシュウス伯爵というと……あの?」
 竜にまつわる事件のことは、城に勤めている者なら誰でも知っている。王太子とその従兄であるヴァリレエ公爵が巻き込まれたのだから。
 その後、王太子の評判ががた落ちになったのも、本人に責ありと言えど、本を正せばルーシュウス伯爵が責任の一端を担っている。
 ルーシュウスという名が、すべての元凶なのだ。
「重罪人の娘を雇っているなんて知れたら、大変なことになりますわ。今日、ここで見聞きしたことはわたくしたち、黙っていてさしあげますから、対処なさったほうがよろしくてよ」
 彼女たちは目配せし合うと、スカートをつまんでくすくす笑いながらその場を立ち去ってしまった。
 残されたフィーアは何も言えずにうつむき、ミーナはなんと声をかけていいのかわからない様子で、じっと彼女を見下ろしている。
「……今の話は、本当のことなの?」
「…………」
「否定してくれないと困るわ、フィーア」
 口を開きかけたものの、やはり何も言葉は出てこなくて、フィーアは唇を噛んだ。
「そう──あんたが、王太子殿下の妃の座を狙って、結果、殿下の評判を悪くした張本人なのね。それどころか、竜騎士団長さまのお命まで奪おうと……」
「…………」
 彼女は何も知らない。でも、結果だけ見るとそのとおりなのかもしれない。
「あの罪人の娘を雇っていたなんて上に知られたら、私たちも大変なことになっちまうわ。今夜中に荷物をまとめてここを出て行ってくれないかい」
「ミ、ミーナさん、それは──!」
「わかるだろう? 私たちが口裏合わせてあんたを雇っていたなんて思われたら、全員仕事を失くしちまうんだよ。あのお嬢さま方はあんたのことを知っている。それだけで本当に危険なことなんだよ。わかったね!」
 これまで、あんなにやさしくしてくれていた人が、彼女の正体を知った途端に豹変し、冷ややかな目で睥睨するようになった。
 悪夢だ。このままずっとあそこで働いていれば糊口をしのぐことはできたのに、こんな形で放逐されてしまうなんて。
 すこしくらいの蓄えはあったが、行く当てはないし、城を追い出されたら本当に路頭に迷ってしまう。
 でも、置いてくれとお願いすることもできなかった。もう、フィーアの正体は知られてしまったのだ。このままでは、また人に迷惑をかけてしまう。
 どこへ行っても、罪人の娘は罪人の娘なのだ。
 フィーアに背中を向けると、ミーナは置きっぱなしになっていた台車を押して、すぐに立ち去ってしまった。
 まるで、彼女と関わりを持ったことを悔いているような後ろ姿だ。
(もう、出ていくしかない……)
 ふらふらと歩き出してフィーアは自分の部屋に戻ると、荷物をまとめはじめた。
 私物は少ないとはいえ、すべて持ち出すことはできない。わずかの着替えを鞄に詰め込み、唯一、母の形見であるペンダントを抽斗から取り出すと、それを首にかける。
 まだ夜会は盛況で、下働きの人々が部屋に引き揚げてくるまで時間はある。親しい人々に蔑みの目で見られるくらいなら、早いところ自主的に出ていくべきだろう。
 これ以上、心を傷つけたくなかった。

おすすめの関連本・電子書籍
電子書籍の閲覧方法をお選びいただけます
ブラウザビューアで読む

ブラウザ上ですぐに電子書籍をお読みいただけます。ビューアアプリのインストールは必要ありません。

  • 【通信環境】オンライン
  • 【アプリ】必要なし

※ページ遷移するごとに通信が発生します。ご利用の端末のご契約内容をご確認ください。 通信状況がよくない環境では、閲覧が困難な場合があります。予めご了承ください。

ビューアアプリ「book-in-the-box」で読む

アプリに電子書籍をダウンロードすれば、いつでもどこでもお読みいただけます。

  • 【通信環境】オフライン OK
  • 【アプリ】必要

※ビューアアプリ「book-in-the-box」はMacOS非対応です。 MacOSをお使いの方は、アプリでの閲覧はできません。 ※閲覧については推奨環境をご確認ください。

「book-in-the-box」ダウンロードサイト
一覧 電子書籍ランキング 一覧

ジャンル・シチュエーション検索

 

ジャンル

キャラ属性

シチュエーション