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身代わり魔女は魔王さまの夜伽で永遠の愛を刻まれる 2

第二話

 

 ルイスと名乗った少年の手を握ると、マリリアの周りにあった空間が、ざああっという音とともに動き出す。
 あたりは白い霧のようなものに変わり、そこを進んでいくと……。
「ここは?」
 いつのまにか明るい草原に立っていた。なだらかな草地が遠くまで続いていて、その先に緑の森や湖が見える。
「魔界だよ。魔王が棲む世界だ」
「この明るい草原が魔界なの? なんだかわたしの世界と変わらないわ」
 マリリアの周囲には草原が広がり、かわいらしい花が咲いていた。鳥の声が響いていて、綺麗な蝶が飛んでいる。
 魔王が棲むとは思えないほど、美しい風景が広がっていた。
「地上界は魔界を模して造られているからね。ほら、あそこが魔王の城だ」
 ルイスがマリリアの背後を指す。
「魔王の……お城?」
 振り向いたマリリアは目を見開いた。
 小高い丘の上に、白くて大きな城が建っている。城は青色の尖った屋根を持つ塔に囲まれ、白壁に瀟洒な窓が並んでいた。その中央下部には、黄金色の扉を持つ城門が輝いている。
 ルイスに先導されて城門をくぐると、エプロンドレスの女性がずらりと並んでいた。若い女性から老女までいる。
「魔王の妃を連れてきたよ」
 ルイスが告げた。
「魔王さまのお妃ですって?」
 全員が驚いた表情でマリリアを見る。
「そうだよ。地上界から悪い魔女が戻ってきた」
 更にルイスが付け加えると、真ん中にいた女性が前に出た。
「あのでも、以前いらした悪い魔女の方とは風貌が違うようですが?」
 おずおずとルイスに問いかける。
「あの魔女の代わりだ。ほら、悪い魔女の刻印がある」
 マリリアの腕を取り、少年が手首を示す。
「まあ、本当に……」
「あの印が……」
「ああ恐ろしい」
 くっきりと浮き出たコウモリの印に、女性たちがおののきの声を発した。
「わ、わたしは悪い魔女ではありません。継母に騙されて、印を付け替えられてしまったのです」
 即座にマリリアが事情を話す。
「そうでございましょうねえ。こんな大人しそうなお嬢さまが……悪い魔女とは思えませんわ」
 年配の女性の言葉に、他の女性たちもうなずいた。
「騙されてはいけない。おまえたちは以前それで、悪い魔女を逃がしてしまったのだからね」
 厳しい口調でルイスが告げると、女性たちはしゅんっとしてうつむいてしまった。
「それは……そうでした。あの方が初めてここにいらした時、とても悲しそうに泣かれていて……ひとりにしてほしいとおっしゃられ、わたくしたちが目を離した隙に逃げてしまわれました」
 重々しい口調で年配の女性が告げた。
「とにかく、この悪い魔女がここで魔王の妃となり、贖罪を終えるまで気を抜いてはいけない」
「はい。かしこまりました」
 女性たちがルイスに頭を下げた。
「待って、違うの……わたしは本当に悪い魔女などではないわ」
 マリリアが焦って訴える。
「その印がある限り、あなたは悪い魔女なんだよ。魔王の妃になってここで贖罪し、刻印が消えれば元に戻る」
『罪のコウモリ』を指してルイスが言った。
「元に? 贖罪すればわたしのいた世界に戻れるの?」
 ルイスの返事にマリリアはぱっと表情を明るくする。
「消えればね」
「コルネリア伯爵家にも戻れるのね?」
「そうだよ」
 もう戻れないと思っていたので、ほっとする。
「妃になって贖罪を終えたあとなら、魔王はどんな願いでも叶えてくれるはずだ」
「わたしのお父さまも、魔王さまは助けてくださるかしら?」
「もちろん」
 ルイスはうなずきながらマリリアに答えた。
「そう……お継母さまの言葉は本当だったのね」
 嘘つきでマリリアを騙した継母だが、そこまで悪人ではなかったらしい。胸を撫でおろしたマリリアに、年配の女性が近づく。
「わたくしは侍女長のエマと申します。わたくしたちの仕事は、魔王さまが天より遣わされたお妃さまのお世話をすることでございます」
 マリリアに告げると頭を下げた。
「侍女長?」
「はい。わたくしの後ろに控えている者たちはここで働く侍女でございます。あちらに控えております男性は、使用人になります」
 顔を上げてエマが説明する。
「侍女と使用人……地上のお屋敷と同じなのね」
 地上が魔界を模して創られているのだから不思議はないのだが、マリリアの想像する魔界というのは、獣の姿の兵士や鳥の頭をした侍女などが徘徊しているもっと禍々しいものだった。
「わたくしどもになんなりとお申し付けくださいませ」
 再びエマが頭を下げ、他の者たちも倣って腰を折っている。
「ありがとう……よろしく……。あの……それで、魔王さまはどちらに?」
 見渡す限り、それらしき人物はいない。
「魔王は夜しかいないよ。昼の世界には来られないんだ」
 ルイスが口を挟んだ。
「わたくしどもも、魔王さまにお会いしたことはございません」
 エマの答えにマリリアは首をかしげる。
「え……? 主人である魔王さまに会ったことがないの?」
 彼女たちは魔王の妃のお世話をするのが仕事なのだ。なのに、主人を知らないというのは、なんだか奇妙である。
「詳しいことは夜になればおわかりになるでしょう。それより、中にお入りになってくださいませ」
 エマがルイスとともにマリリアを城内にいざなう。
「え、ええ……」
 不安に思いながらもエマについて歩き出した。
「ほんにおかわいらしい。天使のようなお妃さまですわね」
「綺麗なストロベリーブロンドですこと」
「瞳が紫の宝石色ですわ」
「ここではゆったりお過ごしくださいませね」
 侍女たちは膝を折り、通り過ぎるマリリアに笑顔を向けて声をかけてくる。皆とても優しそうな女性だ。
「あ、ありがとう……」
 容姿を褒められたことがないので、戸惑いながら挨拶を返す。
 赤毛で色白のマリリアは、子どもの頃はそばかすだらけだった。痩せていたこともあり赤い箒みたいだと笑われたこともある。貴族の学院に入学した当初もそれでからかわれたので、極力目立つことをしないようにしていた。
 マリリアは緊張しながら皆の前を歩く。
(魔王さまってどんな方なのかしら……きっと、恐いわよね? 黒い大きな怪物だったらどうしよう)
 あの傲慢な継母が逃げだすほどなのだ。恐ろしい姿をしているに違いない。
 とはいえ……容姿のことを思ってマリリアははっとした。
(そうだわ……)
 本来の悪い魔女である継母は、グラマラスな美女だ。その代わりに貧相なマリリアが妃として来たら……。
 魔王は激怒するかもしれない。けれど、今のマリリアに他の道はない。
(これを消して、お父さまの命を助けてもらわなくては)
 手首の印と臥せっている父親のことを思えば、恐がっている場合ではない。ルイスと一緒に城の中を歩きながらマリリアは唇を噛みしめる。
(そういえば……この少年は何者なの?)
 煌めく金色の髪と晴れた青空のような瞳、白磁のような肌は艶やかで、彫像のように整った顔をしている。少年であっても、ドキッとするほど美しい。
「ルイスもここで暮らしているの?」
 彼を見下ろして問いかける。
「うん。僕は……この城の管理人みたいなものだよ」
 つまらなそうに答えた。
「子どもが管理人なの?」
 マリリアは怪訝な目を向けた。
「この城は上層階と下層階に分かれている。上層階は男子禁制で、女性か子どもしかいられない。だから、上層階のとりまとめは僕がしなければならない」
 うんざりした表情で言い返される。あまり楽しい仕事ではないようだ。
「そう……」
 マリリアの世界にあった国王のための後宮に近いなと思う。
「ここがあなたの部屋だよ。この城の主が住む場所だ」
 ルイスは廊下の最奥にある大きな白い扉を指した。近づくと廊下に控えていた侍女が扉を開く。
「ようこそお妃さま。お待ち申し上げておりました」
 扉の向こうに侍女たちが並び、マリリアに頭を下げている。
「よろしく……」
 ぎこちなく挨拶を返しつつ、中に入った。
「まあ……!」
 部屋の中を見てマリリアは声を上げる。
 そこは明るい光で満たされていた。
 サーモンピンクの壁を白い柱が囲み、レリーフが施された天井や黄金色の縁取りがされた家具調度品が並んでいる。ティーテーブルにはダリアに似た大きな花が豪奢に生けられていて、良い香りが漂っていた。
 ため息が出るほど美しい部屋である。
「足りないものや欲しいものは侍女たちに言えば用意してくれる」
 背後からルイスが告げた。
「とても素敵だけれど……このお部屋で、わたしは何をしていればいいの?」
 振り向いて問いかける。
「……」
 ルイスが無言で窓際を指した。
「……え? あれは……鏡?」
 楕円形のものが窓の横の壁に立てかけられている。
「そう……地上界を映す鏡だよ」
「そんな不思議なものが……? それを何に使うの?」
「近くに行けばわかる」
「でもルイスさま! そのままでは危険です。もしまた、前の方のように……」
 侍女のひとりが声を上げた。
「魔封じの輪をご用意いたしますので、いましばらくお待ちを!」
 困惑の表情で侍女が訴えている。
「大丈夫だよ。このひとは悪い魔女の刻印が付けられている身代わりで、本当の魔女ではない。逃げる力はないんだ」
 ルイスの答えに、侍女たちはほっとしたような、戸惑ったような表情を浮かべた。
「どういうことなの?」
 マリリアはルイスに問う。
「魔女はあの鏡から別の世界に向けて逃げたんだ。悲しそうに泣いていて、ひとりになりたい、化粧を直したいと侍女たちを騙して鏡の前に立ち、そのまま向こう側に抜けていった」
「鏡を……抜ける?」
「あれは特殊な鏡なんだ。とにかく見てごらんよ」
 ルイスにうながされてマリリアは鏡の前に行く。楕円形の鏡は煌めく黄金の縁に囲まれていて、マリリアの肩くらいの高さがあった。
「大きな鏡ね。……でも、何も映っていないわ」
 鏡を覗き込んでマリリアは首をかしげる。白く曇っていて、前に立つマリリアの姿さえ映さない。
「手を当てるんだよ」
 ルイスが手のひらをマリリアにかざしてみせた。
「こう?」
 言われた通り手のひらを鏡に当ててみる。
「あ……映ったわ」
 鏡の向こうに、緑の森と集落が浮かび上がった。
「どこかしら? 異国?」
 臙脂色の屋根を持つ瀟洒な家が連なっている。けれど、マリリアの国では見かけない家の形だ。
「魔界が支配する地上界のひとつだよ。触れたまま指を開くと景色が大きくなる」
「指を開く……? あら!」
 マリリアの指の間にある風景が拡大された。何度も繰り返すと、指の間にある家がどんどん近づき、大きくなっていく。
「すごいわね。屋根の瓦まではっきりと見えるわ」
「そこの赤黒いところを、指先で二度叩いてみるといいよ」
「二度ね。あっ!」
 人差し指で屋根を叩くと、突然風景が家の中になった。
 素朴な木のテーブルに、ガラスの水差しや盥などが載っている。壁際にかまどがあり、鍋が火にかけられていた。
 どこかの家の台所らしい。
「向こうに何かある?」
 半分扉が開いていて、指を動かすとそこの中が見えた。
「あれは……」
 窓際にベッドが置かれている。
 更に拡大すると、五歳くらいの女の子がそこに寝ていた。頬は赤く、見るからに息が荒い。音声は聞こえないけれど、とても苦しそうな表情だ。
 女の子の傍らに母親らしき人物がいる。床に膝をつき、心配そうに顔を覗き込んでいた。彼女の後ろに立っている老齢の男性が、首を振って部屋から出ていく。
「あの子……病気なのね。出ていったのはお医者さまだわ」
 つぶやいたマリリアに、そうだよ、とルイスが言った。
「医師では治せない病気だ。悪気に冒されている」
「悪気?」
「呪いだよ。人の持つ悪感情が呪いに姿を変えて身体に取り憑き、宿主から生気を奪っていく。意識がなくなり、寝たきりになるんだ」
「それって……わたしのお父さまと同じだわ。ということは、お父さまも悪気に冒されているの?」
「原因不明であの状態になっているのなら、そうだと思う」
「……あの子はこれからどうなるの?」
 鏡に顔を向けてマリリアは問いかける。鏡から手を離しても彼らの姿は映っていた。
「ゆっくりと衰弱していって、いずれは命が消える……」
 死んでしまうのだと告げられる。
「そんな……」
 つまりマリリアの父も死ぬしかないということだ。
「どうすれば助かるの? ……た、助けてあげることは、できるの?」
 青ざめて質問する。唇が震えてうまく言葉が出なかった。
「ここから魔力を送って、悪気を消せばいい」
「魔力……で?」
「そうだよ。でも、悪気を消す魔力は、魔王しか持っていない」
 ルイスは金色の髪を揺らして首を振った。
「魔王さまに頼めば、あの子は助かるのね」
「うん。でも、魔王は夜にしか現れない。そして会えるのは……妃だけだ」
 ルイスがマリリアの顔を見上げる。
「わたしなら会えて、あの子を助けるようにお願いできるということ?」
 ルイスがうなずいた。
「会うだけでなく、妃になることが必要だよ」
 畳みかけるように言われる。
「……ええ」
 魔王の妃になるということがどういう意味なのかよくわからない。だが、妃というからには、それなりのことをしなければならないのだろう。不安と恐ろしさを覚えるけれど、あのかわいそうな女の子と自分の父親を救うにはそれしかない。
(そのためなら……)
 マリリアは鏡の中の女の子に目を向けると、意を決したようにうなずいた。