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憎しみよりも深く、きみを想う 隻腕の騎士と宝石乙女 2

第二話

 

 エレンは七歳まで、平凡な娘として育った。
 母はエレンが赤ん坊の頃に病で亡くなり、父と二人の生活だ。けれど、近所の人たちの親切にも助けられて、穏やかな日々を過ごしていた。
 この国の民は、五歳になると自分の属性を調べるために教会で魔力判定を行うのが慣わしだった。
 人は微量であっても、ほとんどの者が魔力を持っている。
 男爵家の生まれである父は、簡単な水属性の魔法を扱える騎士だったため、エレンにもきっと同じような才能があるはずだと秘かに期待していた。
 残念なことに判定の結果は「魔力なし」――何万人に一人というレベルの落ちこぼれだった。
 けれど父は、才能を引き継がなかったエレンを邪険にせず、変わらず愛しんでくれた。
「お父さん……私って魔力がないのに、どうして誰かの魔力が見えるのかしら?」
 六歳の頃、エレンはずっと疑問に思っていたことを父に話してみた。
 一般的に魔力は目に見えないものだとされているのだが、比較的魔法の才能に恵まれた者はその流れを感じ取れるという。
 エレンは魔力なしだというのに、なぜか父が魔法を使うとき、光の粒が舞っているように見えていたのだ。
「エレン、なにを言っているんだ……?」
 最初は半信半疑だった父だが、エレンが必死に説明すると信じてくれた。
 そしていろいろな文献を漁って判明したのが、教会では調べられない無属性の魔力をエレンが持っているという事実だった。
「いいかい、エレン。……その力は誰にも知られてはいけないよ」
 騎士だった実父の命令を、素直なエレンはきちんと守ってきた。
 能力を知るために魔晶石を作ってみたが、激痛を伴うので一度でやめてしまった。
 魔晶石を生み出さず、魔力を見る瞳を持っている事実を黙っていれば、エレンはただの魔力なしの少女だった。うまく隠しとおせるつもりでいたのだが、エレンの穏やかな生活は父の死によって一変した。
 父が騎士の任務で死亡したあと、遺品を整理していた伯父に魔晶石を見られてしまったのだ。
 伯父は、万が一にも攫われたら大変なことになると言って、エレンを離れに閉じ込めた。
 そこでの生活は、もしかしたら生家よりも裕福な暮らしだったのかもしれない。そうだとしても、エレンは少しも楽しくなかった。
 痛みを伴うというのに、魔晶石を生み出すようにと強要されたときは目の前が真っ暗になる感覚がした。
 痛い、つらい、どうしてもできない――泣いて懇願しても、伯父は決して許してくれなかった。
「エレンよ。その力を持つ者は、人々のために魔晶石を生み出す義務があるんだ。……おまえの父親は、娘がかわいそうだと言って隠していたようだが、それは間違っているんだよ。怠けてはいけない」
 誰しも人は義務を果たすのだと伯父は言う。
 医者は皆を助けるために、遊ぶ時間などなしに勉学に勤しむ。
 騎士は生傷が絶えなくても決して弱音を吐かない。
 そして魔力を持つ者は、その力を国のために役立てなければならない。
 無属性の魔力所有者は魔法が使えないのだから、魔晶石を生み出すことでしか義務を果たせないのだ。
「でも、痛いの……伯父様……許してください……」
「いいかい、エレン。『魔法は己のためにあらず』だ。魔力を持つ者が最初に習う言葉だよ。弟は、それすらおまえに教えなかったのか……。嘆かわしいことだな」
(お父様が悪いの……? 私と、お父様が間違っていたの?)
 当初、父が間違っていたと語る伯父に、エレンは反発した。
 けれど、何度も「義務を果たせ」「怠けるな」と言われるにつれ、本当に父が間違っていたと思うようになる。
 少なくとも、働かずに食事がもらえるというのはおかしな話だという部分はそのとおりだと思った。
 伯父も、ばあやも、大人たちが皆同じことを言うのだから、エレンが怠け者だったのだ。
 それからエレンは伯父に従い、外に出たいとも言わなくなったし、週に一度の義務をきちんと果たすようになった。
 男爵邸の離れで暮らしはじめてからしばらくは、義兄のネイサンが遊び相手になってくれたのに、ある日パタリと彼の訪れもなくなった。
(どうして? 伯父様は、ネイサンお兄様にも宝石乙女のことは秘密だって……。私がいい子にして約束を守っていたら、お兄様だけはずっと遊び相手になってくれるって言っていたのに……)
 通いでやってくるばあやは、朝になると現れて、エレンに手習いを教えたあと午後には帰ってしまう。
 淡々と役割をこなすだけで、あまり雑談には応じてくれない人だった。
 食事は三食。決まった時間になると、エントランス横にある差し込み口に置かれている。
 庭にいるときにたまたま聞こえてきた会話から、どうやら使用人たちは、離れには病気で療養中の娘が住んでいると思っているのだと知った。
 本邸で作られた食事を毎回運ぶだけで顔すら合わせない状況も、感染する可能性のある病気だから……と説明されたら納得してしまうのだろう。

   ◇ ◇ ◇

 一切の変化がない生活が続いて、十八歳になった春の初め。
 エレンはばあやが食器棚の高い場所に鍵を隠していることに気づく。
 一人になった時間に試してみると、それが裏口の扉を開けるための鍵だとわかった。
(これを使ったら、こっそり外に出られるんじゃ……?)
 見つかったら怒られると予想がついたけれど、外への興味が抑えられず、エレンは久々に街へ出かけることにした。
 これでも七歳までは町娘として育ったので、一応の常識はあるはずなのだ。
 いくつか換金できそうなものを質屋に持っていき、買い物ができるくらいの小銭を用意するつもりでこっそり外に出た。
 けれどエレンは、街にたどり着いて真っ先に入った質屋の店主にこんなことを言われてしまった。
「どう考えても貴族のお嬢さんのお忍びだろう? ……悪いことは言わないから早く帰りなさい」
「違います! どうして私が貴族だなんて」
 エレンは実際、自分が貴族という扱いになっているのかどうかも知らない。
 伯父からは、爵位を継承できないエレンの実父は、正確には貴族ではないと聞かされていた。
 それなのに男爵家に引き取られたのだから、エレンは幸福な娘だ――と言うのだ。
 貴族の伯父や義兄と一緒に暮らしていたわけではないし、手習いも最低限だったから、エレンは店主の指摘に驚く。
「綺麗な銀髪に青い瞳が目立つし、見たこともないほどのべっぴんさんじゃないか。肌も真っ白で、到底町娘には見えないよ」
 エレンは美人だったのだろうか。
 子供の頃は確かに、可愛いとよく言われたのだが、男爵家で暮らすようになってからは容姿について誰もなにも言わないからわからなかった。
 昔、同世代の子供たちと近所を駆け回っていたから、今でも市井に馴染めると思っていたが、甘かったようだ。
「でも……私……」
 宝石乙女が捕まったらひどい目に遭うということは、実父からも伯父からも言われていたので、恐怖心もある。
 それでもせっかく外に出られたのに、このまま帰りたくはなかった。
「仕方がないなぁ。ほら、せめてその髪はかつらとフードで隠しなさい。服ももっと地味なやつがいい。……もちろん査定額から差し引いておくからな。……まったく多いんだよな。訳ありの客……」
 ブツブツと言いながらも、店主はエレンに地味な薄茶色のかつらと簡素なワンピース、そしてフード付きの外套を売ってくれた。
「ありがとうございます!」
「くれぐれも気をつけるんだよ」
 着替えの場所まで提供してもらい、街に馴染む格好になった。
 それでようやくエレンは、久々の外の世界を満喫することができたのだ。
 けれどしばらくして、甘いものでも買おうかと屋台を覗いていると、ずっとあとをつけている者たちの存在に気がついた。
(誰? 目立つ髪は隠しているのに……)
 エレンの能力が外見だけで露見してしまう可能性はないと、七歳までの生活から信じていたのだが、とにかく危険だと主張する伯父のほうが正しかったのか――。
「可愛いお嬢さん、お菓子が食べたいなら買ってあげるよ」
 屋台が並ぶ通りで、三人の男たちが近づいてきた。
「いいえ、自分で買うので結構です」
 エレンはきちんと断り、彼らから距離を取るために早足で進んだ。けれど、男たちが左右と背後を取り囲み同じ速度で歩くものだから、離れられない。
「あの、ついてこないでください。そういうの、嫌いです!」
 エレンはここ何年ものあいだ、人とあまり会話をせずに過ごしていた。
 とくに伯父以外の男性と接する機会がなく、男というだけで萎縮しそうになる。
 けれど、はっきり言わないと伝わらないとわかっていたから自分を奮い立たせた。
 父と一緒に暮らしていた頃、近所の少年が同じように絡んできたことがあった。そのときに年上の少女から「泣いたらあいつを喜ばせるだけ。ビシッと断るのよ!」と助言をもらっていたのだ。
 その言葉を思い出し、気丈に振る舞う。
「へぇ……『嫌いです!』だって。……ハハハッ、可愛いなぁ」
 男たちはエレンのはっきりとした拒絶に機嫌を悪くするでもなく、ニヤニヤと笑っているだけだった。
「ほらほらぁ、なにが食べたいのかな?」
 男の一人がエレンの肩に手を置く。
 とにかく不快で、ゾワリと鳥肌が立つ。
「どうしてわざわざ女性に嫌われるようなことをするんですか? 大人なのに、とっても変ですよ。……皆さん、私より年上ですよね?」
 エレンがそう言うと、ドッと笑いが起きる。
 今度は絡んできた男たちからではなく、通行人や屋台の店主からだった。
「おいおい、兄ちゃんたち。いい加減にしろよ。めちゃくちゃ格好悪いぞ」
「相手にされてないって、わかるだろう?」
 野次のようなものが飛び交うと、男たちの顔が真っ赤になり、次いで目つきが険しくなった。
「この女!」
「ちょっと顔がいいからってお高くとまりやがって」
 肩を掴んでいた手に思いっきり力が込められた。
「痛、い!」
 そのまま一人の男がエレンを羽交い締めにする。正面に回り込んだ別の男が、指をポキポキと鳴らしながらいやらしい笑みを浮かべ近づいてきた。
(なに? どうして……? 嫌だって断っただけなのに……)
 彼らがエレンに暴力を振るう気なのは明らかだ。
「おい! 女の子になんてことを……」
「殴られたくなければ黙ってろ!」
 初老の男性が止めに入るが、男の言葉にビクリとなって、それ以上は近づけそうになかった。
「放して……」
 腕に力を込めても、足をバタバタとさせても、逃げられない。エレンはギュッと目をつぶって耐えることしかできないのだ。
 すると突然、ドン、という衝撃と同時に身体が自由になった。
「痛っ! なにしやがるっ。……ウッ」
 地面に膝をつき振り返ると、エレンを羽交い締めにしていた男が倒れ込むところだった。
(誰?)
 男の背後にいたのはやや癖のある黒髪にダークグレーの瞳をした青年だった。
 精悍な印象のその人が、男をエレンから引き離してくれたのだ。
「往来で女性に暴力を振るうなど、なんと愚かな」
 青年は、片腕でエレンを抱き起こすと男たちから隠した。
(この方は……)
 かなりの長身で、騎士だったエレンの父よりもさらにたくましい人だが、どこかに違和感があった。
 しばらく観察していると、姿勢と腕が不自然だと気づく。
 動いたり、風が吹いたりすると左側の袖がヒラヒラと舞う。隻腕で、腕を庇うようにしているため姿勢もほかの人と少し違うのだとわかった。
「はぁ!? なんだこいつ。腕一本で俺たちに向かってくるつもりか? 笑わせてくれる!」
 男たちも気づいたようだ。
「これでも騎士だ。……今日は非番だが……」
「騎士ぃ? これは傑作だ! その腕で、誰を取り締まろうっていうんだか」
 最初に転ばされた男も立ち上がり、一対三になる。
 けれど騎士に動じる様子はない。
「今、退いてくれるのならば自警団に突き出しはしない」
「アハハハッ! 要するに勝てないってことだろうに」
「虚勢も大概にしろよ」
 三人の男たちも体格がよく、どう考えても騎士のほうが不利に思える。
「……はぁ……仕方ないな」
 騎士はため息をついてから一人の男と距離を詰めた。
 殴りかかろうとする男の腕を捕らえ、ひねりながら足をかけ、転ばせた。
 一対一では分が悪いと悟ったのか、残りの二人が一斉に飛びかかる。
 けれど騎士はサッとかわして、片方の男の背後に回り込み、一瞬で伸してしまう。
(あっ! 魔法を使っているんだ)
 彼はエレンの目でも捉えにくいほど、繊細な魔法を使っていた。
 男が勢いに任せて騎士に拳を向けても、こっそり風圧で逸らされている。それに、青年の打撃には別の力が加わっているように見える。
(風、雷……それから……)
「ひっ!」
 最後の男は勝てないと悟ったのか、尻もちをつき後ずさる。
 ちょうどそのとき、街の自警団員が数名駆けつけてきた。彼らは手慣れた様子で男たちを押さえつけ、拘束していく。
 騎士は、自警団員が男たちを縄で縛り上げるのを待ってからエレンに向き直った。
「この男たちは知り合いだろうか?」
「いいえ、お菓子を買ってあげるってしつこく声をかけてきて……」
「悪質な軟派だな。わかった」
 どうやら三人の男たちは、このあたりで様々な騒動を起こすことで有名だったらしく、「またおまえたちか!」と自警団員にあきれられながら連行されていった。
 その場には騎士とエレンだけが残される。
「ありがとうございました、騎士様」
 エレンはペコリと頭を下げた。
「あ……あぁ。どういたしまして。ところで君は、供もつけずに出歩いていい身分なのだろうか?」
「はい! もちろんです」
 供をつけて出歩く立場というのがどんな人を指すのかいまいちわからないエレンだが、実父と暮らしていたときは一人で歩いていたし、この通りには買い物を楽しむ十代の町娘がたくさんいる。
 宝石乙女であることさえバレていなければ、エレンは彼女たちと同じ立場のはずだった。
「……いや、絶対におかしいだろう? どこのご令嬢だ」
「ご令嬢ではありません。……このあたりを歩くのが初めてだっただけで。私ってそんなに浮いていますか?」
 髪の色や服装が目立つと指摘され、そこは改善してあるはずだった。
 見た目以外に、どこが不自然なのかエレンにはよくわからない。
「家はどこだ? 送っていく」
 騎士はエレンの質問には答えず、とにかく帰れと促してくる。
 せっかく外に出る方法を知ったのに、このまま屋敷へ戻るなんて到底納得がいかない。
「帰りたくありません! まだ、本屋さんにも行ってないですし、お菓子も買ってな――」
 ギュウゥ、とお腹が鳴る音によって、エレンの言葉は遮られた。
(恥ずかしい。……今の聞こえちゃったかしら……?)
 おそるおそる様子をうかがうと、騎士が唇の端をわずかに震わせて、必死に笑いをこらえている姿が見えた。