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憎しみよりも深く、きみを想う 隻腕の騎士と宝石乙女 3

第三話

 

 エレンが頬を膨らませると、彼はとうとう我慢ができなくなったのか、声を出して笑い出す。
「……そんなに笑わなくてもいいのに」
「すまない、つい。……とりあえず、なにか食べようか?」
 このあたりには屋台がたくさんある。エレンは成り行きで騎士と一緒に揚げパンや串焼きを買って、広場のベンチに座り、それらをいただくことにした。
 彼は隻腕に慣れていないのだろう。片手でパンと串焼きを抱えるところまではよかったが、どちらか一方だけを口まで運ぶことが難しいようだった。
 エレンが一旦パンだけ預かることで解決したが、かなり不便そうだ。
(さっきは片手でもあの悪い人たちを軽々倒していたのに、細かい作業は苦手なのかしら?)
 しばらく淡々と食事をして、一息ついたところで騎士が改めて口を開く。
「そういえば、名前も聞いていなかったな」
「ええっと、エレンです」
 苗字はあえて名乗らなかった。バークリー家は貴族で、騎士が家名を知っていたならどこの家の娘かわかってしまうからだ。
「エレンか。……私はカーティスという」
 彼も名前だけにしたのは、エレンがどこの誰なのかを深く追及しないでいてくれるという意味に思えた。
「一つ聞きたいのだが、私があの男たちと同じ目的で君に近づいたとは思わないのか?」
「ええっと、気になる女の子をいじめたいってことですか? カーティス様は私をいじめていないので、あの人たちとは違うと思います」
 先ほどの男たちはお菓子を買ってくれると言いながら、嫌がらせをした。
 昔近所に住んでいた意地悪な少年と言動が似ていたから、一応好意があるのは伝わっていたが、無理矢理従わせようとしても相手に好かれないことなど、十代中頃の少年だってわかっているだろうにとエレンは思う。
 そして彼らとカーティスは真逆の存在で、「同じ目的」の意味がまったくわからない。
「……いや、そうではない。君と親しくなりたくて優しくしているとは思わないのか?」
「親しくなりたいなら、優しくしますよね? 優しい方は好きです」
 エレンが自信を持って断言した。
 カーティスが友好を深めたくて優しくしてくれるなら、それは喜ばしいことだ。
 もしかしたら、十年ぶりくらいに友人ができるかもしれないのだ。
 けれど、カーティスの顔は浮かない。それどころか盛大なため息をついた。
「どうかしましたか?」
「いいか、エレン。男に対して、簡単に『好き』だなんて言うものではない。……要するに君は裕福な家庭で育ったお嬢様に見えるんだ。それはわかるな?」
「……はい」
 質屋の店主からも指摘されていたから認めるしかないのだろう。
「あの男たちのように、無理矢理人を従わせようとする者は論外だ。……だが、優しい言葉で声をかけてくる者も信用してはいけない。例えば、不埒な行為が目的だったり、誘拐してお金を奪う目的だったり……そういう者は好意的な態度で近づいてくるものだ」
 エレンはうんうん、と頷いた。
 不埒、というのはよくわからない言葉だったが、誘拐やお金を奪う目的で近づく者がいるかもしれないという説明は理解できた。
「でもカーティス様は違うと思います。……本当に悪い人なら、自分だけは信じてほしいって言うのではないでしょうか?」
「まあ、そうだが」
「わかりました! ご忠告はありがたく聞いておきます。……親切そうな人が近づいてきても、これからは逃げるようにしますね」
 エレンは立ち上がり、スカートのほこりをサッと払った。
 太陽が高いうちにやりたいことをすべて終わらせなければならないのだから、忙しいのだ。
「いや、待て……」
「……はい?」
 しばらくためらう様子を見せてから、カーティスも立ち上がった。
「これから義手を取りに行くつもりだったんだ。本屋もそのあたりにあったから、とりあえず一緒に行こう。一人ではまた同じ目に遭う。騎士としての直感が、君を一人にしたらだめだと告げている」
「……私、そんなに変ですか?」
「変というか、危なっかしくて見ていられない」
「そうなんですね……。ではすみませんが、よろしくお願いします」
 カーティスが同行してくれるならばこれほど心強いことはない。
 エレンが育ったのは、都から馬車で半日ほどの距離にある小さめの町だった。
 その町とこの都とで常識や文化の差はないような気がしていたし、七歳まで普通に暮らしていたのでやはり納得はいかないが、すでに二人から指摘されているから不安だ。
「ああ、お安いご用だ」
 この日からカーティスとの交流は始まった。
 武器などの金属加工品や革製品を取り扱う店でカーティスの義手を受け取ったあと、本屋と菓子店に立ち寄っただけだが、なにせ十年以上外に出ていなかったエレンにとってはなにもかもが新鮮で、楽しく感じられた。
「君の事情を詮索するつもりはないが、一人で街へ出かけるのは本当にやめておいたほうがいい。絶対に攫われる」
「でも、私……」
 エレンには頼れる人など誰もいない。それでも、一度外の世界を知ってしまったら、鳥籠の中だけの生活には戻れない気がした。
 エレンが忠告を聞く気がないと察したのだろうか。カーティスが苦笑いを浮かべた。
「次は、いつ外出するつもりなんだ?」
「ええっと、一週間後にしようと思ってました」
 ここ何年も伯父が魔晶石を回収しに訪れる曜日も、その後出かける曜日も変わっていない。だからエレンは来週も外に出られるはずだった。
「一週間だと休暇の調整がつかない。……二週間後まで待てないか?」
「え?」
「つき合ってやるから、一人で外出するのは控えたほうがいいと言っているんだ」
「本当ですか? ……嬉しい!」
 やはりカーティスは素晴らしい騎士だった。怖い人もいるけれど、親切な人もいるとわかったことが今日のなによりの収穫だろう。
 それから、二人のあいだでいくつかの約束が交わされた。
 出かけるときは目立たない服を着ること。待ち合わせはカーティスが行きつけのカフェにすること。寄り道をせずにまっすぐカフェまで来ること。もし急に約束が守れないことがあったら、遅れてもいいからカフェの店主に手紙を預けること、などだ。
 その日からエレンは、彼に会える日だけを楽しみに日々の生活を送るようになった。
「君はとにかく常識がないな」
「本当に十八歳か? かなり子供っぽいぞ」
 時々そんなふうにからかわれたが、カーティスがエレンに常識を教えようとしてくれているのが伝わっていたから、少しも嫌ではなかった。
 彼は真面目で、それゆえに不器用な部分もある人だ。
 エレンの前では笑っていることが多かったが、ふとした瞬間なにかに思い悩んでいる顔をするときがあった。
「どうしたんですか? カーティス様」
「……あぁ、すまない。騎士として、これまでのように剣を構えられない私は、役立たずだと思って……」
 カーティスは、左腕の義手に触れながら、寂しそうに笑った。
「剣ですか?」
「そうだ。以前なら勝てていた相手に、試合で勝てなくなってしまった。……わかっていたことだが、さすがに落ち込む」
「でも、私を助けてくださったとき……すごく強かったです。魔法をいくつも使って」
「魔法……? 気づいていたのか?」
 カーティスが訝しげな顔をした。
「え、ええっと……なんだか動きが不自然だったというか。魔法じゃなかったら、説明がつかないというか……」
 エレンは今の発言がはあまりよくなかったと気がついて、咄嗟にごまかした。
 魔力の流れが見えるのは、ある程度魔法の素質を持つ者だけだ。無属性の魔力保有者だとは当然打ち明けていないが、魔法に詳しいと不自然かもしれない。
 エレンは、彼の前ではどうしても油断してしまう。
「そうか。……だが、エレン。純粋な剣術の試合では魔法の使用は禁止されているんだ。併用すれば確かにまだそれなりに戦える自信はあるんだが……」
 その純粋な剣術の試合に、どれほどの価値があるというのだろう。なぜ魔法を併用してはいけないのだろう。
 エレンにはカーティスの語る強さの基準がいまいちわからなかった。
「カーティス様は、騎士様ですよ! 弱い者を守ることが一番のお務めですよね? 私はあなたに助けていただいたんです。……カーティス様にとって試合が一番大切なんですか?」
 エレンはよくわからない強さの基準に腹立たしくなり、思わず力説する。
 試合で勝ってもそれだけで誰かを救えるわけではない。エレンを助けてくれたのは、ほかの誰でもないカーティスだ。
「……ハハッ」
 急にカーティスが笑い出す。エレンはまた常識のない発言をしてしまったのだろうかと思い、不安になった。
「ご、ごめんなさい。よく知りもしないのに」
「いや、君のほうが正しい。……私は君を救ったんだったな?」
 そのとき向けてくれた笑みが眩しくて、エレンの心臓がドクンと音を立てた。
 それはたぶん、初恋だったのだろう。