このたび、ゼロ日婚いたしました。2 蜜月な冒険者夫婦は運命を知る 2
晴れ上がった青空は広がっている。花が咲く美しい季節だ。
暑すぎず寒すぎず、雪や雨で道がぬかるんでいることもない。
徒歩にしろ馬にしろ、旅にはこのうえない気候だ。
ヒルダはオズワルドと、そして精霊のティティを連れて故郷を目指した。
「……徒歩でよかったのに」
ゴトゴトと揺れる馬車のなか、ぽつりとヒルダはつぶやいた。
「馬車のほうが楽だろう」
「それはそうだけど……お金が」
朝起きて支度をして弁当を受け取り、さあ徒歩で出発だと気合いを入れていたところ、マガリ亭の前に馬車が停まっていた。
短距離を移動する辻馬車ではなく、一日がかりで移動するような距離に使うもので、それなりの料金がかかる。
呆然としたヒルダは、オズワルドに手を引かれて馬車に乗せられてしまった。ティティはというと、馬車の屋根で今はのんびり昼寝中だ。
「俺の持ち金だ。何より身体が資本なのだから、楽をできるならしたほうがいい」
「……なるほど」
呆れたわけではない。なんでも自分の身一つでやろうとするヒルダにとって、そういう考えは新鮮なのだ。
「ありがとう」
「なぜ礼を?」
「だって、馬車を用意してくれたわけだし」
「気にする必要はない」
少しだけ、オズワルドの頬が赤くなったように見えたが、気のせいだろうか。
「──医者を同乗させてもよかったんだが」
オズワルドが考え込むように、顎をさすった。
母が病に臥せっていることは、すでに伝えている。ヒルダが冒険者をしているのも、母の治療費のためだ。
高名な医者もいろいろ探してはみたが、コネはなかなか作れなかった。
やっと紹介してくれる人を見つけて会いに行っても、首を横に振られた。
医者は魔法使いを兼ねているケースも多い。
彼らは、ヒルダに魔法適性がなく、回復効果を受けられないのを知って、その母親も同じではないかと思ったのだろう。
ワグテイル伯爵も、別邸の一室と使用人を貸してくれたが、彼のかかりつけ医やその知り合いの医師もみな、匙を投げた。
ワグテイル伯爵からは「こんなことしかできず、すまない」と詫びられた。
しかし部屋と使用人を用意してもらった時点で、すでに充分すぎるほどの恩を受けている。
ここまでしてもらえる義理を疑うほどだったが、正直ありがたくて、その厚意に甘えることにした。
だから、医者を探して治療費を払うのは自分の役目だと、ヒルダは自負している。
「私だけが特殊なの。母までそうとは思えないんだけど」
母自身が魔法を使っているところは、見たことはない。
だが、ヒルダのような体質ではないはずだ。母が黙っていたとしても、生活していればおのずと知れてくる。
そのため、魔法による治療を受けられると思っていいはずなのだが──。
「まずは、俺が様子をみよう。医者ではないが、治癒魔法は使える。婚姻のリングを通して君にも効果があったのだから、もし効きにくいとしても試す価値はある」
「ありがとう!」
ぱあっと、目の前が明るくなった気がした。
冒険者になったのは、母の治療費のためだ。
しかし、それ以上に──二十年以上前に倒された魔王の遺した、『秘蹟』と呼ばれるアイテムを手に入れるためだ。
それを使えば、どんな病もたちどころに治る。
しかし、さすがのヒルダも一人では魔王の遺跡の奥深くまでは潜れない。
そんなもどかしい日々のなかで出逢ったのが、オズワルドなのだ。
ヒルダは思わず、オズワルドに抱きついた。
「おっと」
その瞬間、ガタンッと馬車が揺れた。
道のせいではない。ヒルダが勢いよく飛びつくようにアタックしたせいだ。
外で、ぼてんっと何かが落ちた音がした。
「なんやなんや!」
屋根で寝ていたティティが落ちたらしい。鳴き声が聞こえてきた。
「……まだ俺は何もしてない」
受け止めてくれたオズワルドがため息をつきながらも、ヒルダの背をそっと撫でてきた。
落ち着け、といわんばかりに。
「ごめんなさい」
「──謝るのも、しなくていい」
「うん……」
ヒルダはそのまま、オズワルドの逞しい胸に身をゆだねた。
魔法使いなのに、オズワルドは前衛で武器を振るうタイプの冒険者たちに引けを取らない体格をしている。
魔法使いは基本的に、どんなに熟練の者でも詠唱中は無防備になる。つまり鍛えても、あまりメリットがないのだ。
離れがたいが、向こうが離そうとすれば、それに従おうと思った。
だが、オズワルドは腕を下ろそうとはしなかった。
「この先も揺れる」
「う、うん」
先ほど馬車がぐらついたのは、自分のせいであるが、それについてヒルダは言及しなかった。
「しばらく、こうしていよう」
「し、しばらくって?」
「……着くまででもいい」
耳元に囁かれた言葉に、ヒルダはしばらく瞬きを繰り返し、ようやく一度だけ頷いた。
顔が、熱くてたまらない。
「待ってや~~!」
ティティの声がこだまする。
ぴゅーっと飛んで追いつこうとする姿を、見つめる影があった。
***
ワグテイル伯爵領に隣接する山村・レープクルク。
ここは元々領主が別にいたものの、相続問題で長らく揉めていた。
今は、その正式な相続者が不在となってしまい、かれこれ三十年ほどワグテイル伯爵家が領主代行として管理している。
農耕に向かない土地ではあるが、その代わり林業が盛んである。
木材そのものを薄利で大量に売るのではなく、それらを炭や家具に加工して都の市や商家に卸している。
木を伐採するだけでは、いずれ資源が底をつく。
そう考え、加工技術を村民たちに習得させたのが、今のワグテイル伯爵だった。
複雑な事情があって、未だ伯爵領とはなっていないが、村人は皆、ワグテイル伯爵が真の領主だと思っている。
ヒルダにとっても、領主はワグテイル伯爵以外に考えられなかった。
「ここが、君の育った村か」
「そうだよ」
小川が流れ、民家のほかは畑とごく小さな牧場があるが、何より目立つのは建ち並ぶ炭焼き小屋だった。
村の背後には、緑深い山々がそびえている。
陽気に満ちた季節だと、山から吹く風が心地よい。
「といっても、私とお母さんは麓じゃなくて、山に入ったところの家に住んでたんだけどね」
昨晩は最寄りの宿に泊まり、そこで馬車を帰して、ここまでは徒歩できた。
日が昇ってから歩いても、正午になる前に着く距離だった。
「……馴染まなかったのか?」
「ううん。お母さんがそうしてただけ。でも普通に麓まで必要なものを買いに行ってたし、お祭りのときも参加してたし、みんな別に私たちを仲間はずれにしなかったよ」
思えばふしぎな話だ。
麓で家を構えても問題はなかったはずだが、母はそうしなかった。
交流を嫌っている様子もなかった。ヒルダはよく山を下りて麓の子らとも遊んでいた記憶がある。
それでも、日が落ちる前には家に帰っていた。
馴染んでいるといえば馴染んでいる。しかし、そうといいきるには、ふしぎな環境だったかもしれない、とヒルダは改めて思った。
「お、もしかしてヒルダちゃんかぁ」
「ヒルダ、帰ってきてたの?」
「ヒルダおねーちゃんだー!」
道々で声をかけられるたび、ヒルダは「ただいま」と手を振り返した。老若男女、みな久方ぶりの帰郷を歓迎してくれた。
「おー、その後ろのが旦那さんかい?」
「えっ、なんで知ってるの」
白髪の男に問われて、ヒルダは驚いた。
すでに手紙で母には知らせているし、世話をしてくれているワグテイル伯爵の使用人たちも母に読み聞かせているだろうから、知っているはずだ。しかし、村の人にまで知られているとは──。
「そりゃあ、男を連れて帰ってきたらそう考えるもんだろ、ヒルダちゃん……」
確かにいわれてみれば、見知らぬ男を連れていれば、至極当然の言葉だ。
「へええ、なかなかいい男じゃない」
「あらま、お兄さん背が高いねぇ」
「まーっ、目つき悪いっ、でも美形!」
オズワルドが、村の女性たちに囲まれてしまった。
「ちょ、ちょっとみんな! やめてよ!」
ヒルダが慌ててブロックすると、みんなはケラケラと笑った。
「大丈夫、とらないよぉ」
「とるとかじゃなくて」
「あっはっは、お兄さんごめんねぇ、この子が旦那さん連れて帰ってくるなんて、思いもしなくてね」
女たちはみな楽しげだ。
彼女たちに悪気がないのは、ヒルダもわかっている。しかしながら、オズワルドをいじられることはモヤモヤする。
「ヒルダちゃん、結婚したから冒険者やめて帰ってくるのね」
「え……」
思いがけない言葉に、ヒルダは戸惑った。
やめるつもりはない。
だが、夫となる男性を連れてきたということは村に戻って生活することを示していると、彼女たちは疑っていないのだろう。
「失礼。先を急いでいるので」
オズワルドはそれだけ告げると、ヒルダの手を握った。
「えっ、オズワルド」
ぐいっと引っ張られ、ヒルダは困惑しながらも彼についていった。背後からは「仲良しね」とひやかす声が聞こえてきた。
かしましい笑いを背に受けながらも、オズワルドは歩みを止めない。
「あ、あの、オズワルド……」
「賑やかなのはいいが、うまくあしらわんとな」
「……うん、そうだね」
ついつい、彼女たちの勢いに気圧されてしまう。
「冒険者は続けるのだろう」
「え、うん。だって私は」
魔王の城を目指したいし、『秘蹟』を手に入れたい。
そのためにも、やめるわけにはいかない。
(でも、それ以上に──私、この村に帰ってきていいのかな……)
いつか、冒険者を引退したら、自分はどこで暮らすのだろう。母の病が治りさえすれば、また元の生活に戻るだろうと漠然と思っていた。
しかし久しぶりの帰郷で、どことなく居心地の悪さを感じる。
小さい頃から、村を出るまでは無自覚だった。馴染んでいると思っていたのに、今はこの村に馴染んでいないと感じる自分がいる。
「──付き合うさ」
「え?」
「君の冒険が終わるまで。そして、終わっても、俺はそばにいよう」
「……オズワルド……」
オズワルドは前を歩いているので、ヒルダからは彼の顔は見えなかった。
だが、覗き込むまでもなかった。
握られている手が、とても熱かったから。
「……そうできればいいと、思っている」
「うん! ありがとう!」
きっと照れ隠しなのだろう、オズワルドがぽつりと漏らした呟きに、ヒルダは元気よく頷いた。
「山のほうにある家でなく、ワグテイル伯爵の別邸へ、だな」
「そうそう。えーと、向こうの丘に建ってるのがそうだよ」
繋いでないほうの手で、ヒルダは指さした。その方向に、ほかの民家よりも立派な館があった。
小さい頃は、これぞ貴族の邸と思っていた。
しかしいざ自分が都近くの街で二年間過ごしてみると、あくまで比較基準が村のなかだけだったのだと思い知った。
それでも塀を這う蔦の葉は枯れておらず、門から見える薔薇も綺麗に咲いていた。
きちんと庭師が手入れしている辺り、やはり貴族の持ち物だとわかる。
「お祭りのときだけ伯爵様が使っていらっしゃるんだけど、普段は管理人のラウラさんが住んでいて……今は、お母さんが一室使わせてもらってる」
ヒルダがジルヴェットへ向かった頃は、母はまだ家にいたが、世話役としてやってきていたワグテイル伯爵家の使用人が、主人に願い出てこの別邸へ移してくれたのだ。
そして今は、ほとんど寝たきりになってしまった。
門の近くに人がいた。四十ぐらいの、白髪交じりの茶色い髪を一つに束ねた女性だった。ヒルダは手を振った。
「ラウラさん、お久しぶりでーす!」
ヒルダが挨拶をすると、彼女は頭を下げた。
「お待ちしておりました、ヒルダ様、オズワルド様」
オズワルドと結婚したことはすでに手紙で書いている。受け取っているラウラも、すでに把握している。
「あの、母は……」
「お手紙でお知らせしました通り、時折、目を開けられて食事をとるのが精一杯で……ここ数日は、お目覚めになっておりません……」
「そう……ですか……」
そんなに悪化していたのか。
最近届いた手紙では、眠っている時間が長くなったが、朝には少し目を覚ましているとあったのに。
「今すぐ、ご案内いたしましょうか?」
ヒルダは、ちらっとオズワルドのほうを見た。
彼が頷いたので、ヒルダは「お願いします」とラウラに告げた。
「よっし、行こう」
あえて明るい声でいった。
「……って、ティティがいない?」
きょろきょろとヒルダは周囲を見渡したが、どこにも姿はなかった。
「あれ? ついてきていると思ったのに」
「捜すか?」
「うーん、ティティも何回かこの近くまで来ているから、場所は知ってると思うけど」
「……」
ふと、オズワルドが沈黙して、目を閉じた。
「──? この村にはいるようだが、それ以上の気配は辿れんな……」
「え? そういうのわかるの?」
「追跡魔法だ。ただ、人間には使いやすいんだが、精霊相手は不慣れだ……あとで、ティティに印でもつけておくか」
「しるし……ペンで模様でもつけるの?」
なかば冗談めかして尋ねると、オズワルドは「そうだ」と答えた。
「間違ってはいない」
「そ、そうなんだ。まぁ、居場所がわかると便利だよね」
ティティは嫌がりそうだなと思いつつ、ヒルダは己の左手薬指を見た。
「この婚姻のリングと同じ効果なのかな」
「リングのほうは効果範囲が決まっている。せいぜいこの村のなかぐらいまでの範囲だろう」
「オズワルドの魔法だったら、ちゃんと魔印つければどれぐらい辿れるの?」
「そうだな。試したことはないが──この大陸の果てまで」
「えっ」
思わずオズワルドの顔を見上げた。彼は不敵に笑っていた。
その笑みに、ドキッと胸が鳴る。呼吸を止め──……た瞬間に、ラウラに声をかけられてしまった。
「あ、い、行かなきゃね」
「そうだな」
今度はヒルダが、オズワルドを引っ張る形で歩き出した。
***
ワグテイル伯爵の別邸は、いつ来てもいい匂いがする。
玄関に新鮮な薔薇が飾られているからだろうか。シックで落ち着いた内装だが、掃除が行き届いていて清潔だ。
母・マリーネにあてがわれているのは、客室のなかでも最も日当たりのいい部屋だという。
ヒルダ自身は、この部屋に来たのは初めてだった。
「────……」
「オズワルド? どうしたの?」
扉の前で、オズワルドが神妙な顔をしていることに気づき、ヒルダはなかに入る前に声をかけた。
「ヒルダ、御母堂は病と聞いたが、原因はわからんのだな?」
「うん、そうだけど」
なぜ今聞くのだろうと思っていると、オズワルドが眉根を寄せた。
「……いや、まずはお会いするのが先か」
ラウラがドアを開ける。
中央には白い布のベッドがあった。
そこに寝かされているのが、母・マリーネだった。
「う……お母さん……」
ヒルダはそっと、ベッドに近づいた。
「お母さん、私だよ。ヒルダだよ……帰ってきたよ」
耳元に顔を寄せて、静かに囁いてみた。
娘の帰還に反応する様子はなく、彼女は小さな寝息をたてていた。
一応、生きてはいる。でも頬から血の気が引いて、まるで死んでいるようだ。
「これは……」
オズワルドが少し呻くような声を出した。
「あの、オズワルド……お母さんに何か?」
とんでもないものを見たといわんばかりの顔をしているので、ヒルダはおそるおそる訊ねた。
「ヒルダ、これは──病ではないぞ」
「え……っ!」
突然の言葉に驚いているあいだに、オズワルドがつかつかとベッドへと歩み寄った。
そして手をかざすと、母の周囲に靄のような光が見え始めた。
「なにこれ……」
「君にも見えるようにしてみたが……これは魔力の過剰放出による昏睡だ」
「ええっ」
驚きを隠せずにヒルダが声をあげた。
ラウラもそばで目を剥いている。彼女にも、この靄が見えているようだ。
(どういうこと? 魔力放出って……私が、魔法適性がなかったから、気づかなかったの?)
もしもそうなら、母がここまで弱ってしまったのは自分のせいではないか。
「しかし、どうもこれは……」
考え込むオズワルドの外套を、ヒルダはしがみつくように握った。
「オズワルド、お母さんを……助けられる!?」
「わからん。が、これなら対処できるかもしれん……試していいか?」
ヒルダは、こくこくと何度も頷いた。
母が助かる──かもしれない。
オズワルドの治癒魔法に期待していたのは確かだが、彼自身も成功するかの確証はない様子だった。
突然のことに動揺を抑えきれない。
「少し離れていろ」
そう指示されて、ヒルダは外套から手を離し、ラウラをかばうような形で後ろに数歩下がった。
「────」
オズワルドが低い声で何かを唱え始めた。
(詠唱……オズワルドが?)
本来魔法使いは、詠唱を行うことで術を発動させる。だが、熟練になればなるほど、詠唱は短いものになっていく。
そうすることで、発動までの時間を縮めることができる。
これまで、オズワルドは滅多に詠唱をしなかった。
攻撃や付与など、さまざまな魔法を即座に行使できるはずなのに今は違う。
それだけ、母の状況が悪いということなのだろうか。
あるいは特殊な魔法なのだろうか。
呪文についてはヒルダはよく知らないが、その詠唱は、まるで無限の時間のように感じる長さだった。
ぶわっと光が増していく。煌めく粒が舞い、それが七色に瞬いている。
だんだんと目を開けていられなくなるのを、細いながらも視界を保ちながら、ヒルダはオズワルドの背中を見つめ続けた。
(お母さん……っ!)
数年前から体調を崩していた母が、もはや寝たきりになってしまったと知らされたとき、ヒルダは帰るのが正直怖かった。
治療費さえ稼げば、母の病は治り、また元の生活に戻れると信じたかった。
思いもよらなかったとはいえ、まさか母の身体が倒れた原因が魔力を放出していたせいだったとは。
そのことに、もっと早く気づいていれば。
現実を見ないようにしていた自分の弱さへの、しっぺ返しなのかもしれない──。
そんなことを思っていると、部屋に満ちた光が一気に収縮し、母の身体を包み込んだ。
しばらく光をまとった後、眩い輝きは母に溶け込むように消えていった。
「──オズワルド、終わったの?」
「ああ。これで目覚めれば、大丈夫なはずだが」
オズワルドも自信満々というわけではないらしい。
緊迫したように張り詰める空気のなか、ヒルダはゆっくりとベッドに近づいた。オズワルドが入れ替わるように、後ろに下がる。
母は、ヒルダが旅立った二年前と変わらぬ姿をしていた。
むしろあの頃よりも血色がよく見えるほどだった。
そして、都近くの都市で過ごしたヒルダには、改めてわかったことがあった。
(お母さん、こんなに若かったっけ)
この村には働き者の女性が多く、若々しい者もいるので、あまり気にしなかった。
だが、多くの人が暮らす街から戻ると──母は、自分のような二十歳を超えた娘を持つ女性にしては、見た目が若すぎる。
それともこれは、オズワルドの魔法のおかげなのだろうか。
「ん……」
ほんの微かにだが、母の唇が動いたのを、ヒルダは見た。見間違いかと思ったが、次ははっきりと、ふるりと長いまつ毛が震えた。
どくん、どくん、と、激しく心臓が鳴り始める。
ゆっくりと、母の瞼が開かれていく。
自分と同じ紫の瞳が揺れ、そして視線が合う。
「ヒ……ルダ……?」
掠れ気味であったものの、澄んだ優しい声が娘の名前を呼んだ。
「あ……お……お母さん!」
ヒルダは、自分の力が強いことを思い出して躊躇ってから、それでも抑えきれず、母の細い身体を包み込むように抱きしめた。
「ごめん、ごめんね、全然帰ってこなくて」
「……どうして、謝るの……」
「だって、だって……!」
「もう、まだまだ子どもね……いいのよ、おかえりなさい」
ゆっくりと上がった手は、頭には届かなかったものの、ヒルダの背を穏やかな動きで撫でた。
耐えきれず、ぼろぼろと涙が溢れてきた。
もっと早く帰ってきていれば。
オズワルドに早く、会わせていれば。
母はここまで、弱ったりしなかったかもしれないのに。
(でも治ったみたい。よかった、本当によかった)
涙でぐしゃぐしゃになった顔を、なんとか袖で拭いてから、ヒルダは顔を上げた。
「ただいま、お母さん。あのね」
「ん……?」
「私、結婚したんだよ。紹介するね」
ヒルダはオズワルドのほうに顔を向けて、ちょいちょいと手招きをした。そして立ち上がると、歩み寄ってきたオズワルドの隣に並んだ。
「オズワルド・オハラ・ウェッジウッド。私のパートナーだよ」
「──どうも」
表情の変化は乏しいながら、どこか照れ臭そうな顔でオズワルドが頭を下げる。
「オハラ……」
ぽつりと、母が呟いたのは、オズワルドのミドルネームだった。
みるみるうちに、自分と同じ色をした紫の目が大きく見開かれていく。
「お、お前は……あのときの!」
母がバッと起き上がろうとして、よろめいた。反射的にラウラが支える。
「お、お母さん?」
困惑したヒルダは、母に対してすぐに手を添えられなかった。
「──出ていきなさい」
「え……?」
ぞっとするほど冷たい声だった。
一瞬、誰の言葉かわからなかった。しかし、それは確かに、血色の戻った母の唇からこぼれたものだった。
「私の娘に近づかないで──出ていって!」
鬼の形相となった母の叫びに、ヒルダは硬直した。
そしてオズワルドがどんな顔をしているのか、恐ろしくて見上げることができなかった──。