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処女令嬢は最強ユニコーンの激重執着愛から逃げられない 2

第二話


(熱い……っ)
 リゼットがそう思ったときだった。
 傷が癒えるときと同じくふわりと光が溢れ、それから少しずつその光が何かを象っていく。
「あ、これって……」
 目の前にできあがったのは、絵本で見るような小さな人型の妖精だった。しかも、顔がリゼットそっくりだ。
「新しい眷属を作ってみたんだけど、どうかな? 森の妖精が君を気に入って、森の出来事を話したことにすれば、火事を知っていても不自然じゃない」
「そう……かしら?」
 しかし、妖精もユニコーン同様おとぎ話の中の架空の存在ではなかっただろうか。それに、自分と同じ顔の妖精なんて、少し気恥ずかしい。
 リゼットが微妙な表情を浮かべると、ルロワは残念そうにため息をつき、妖精をただの光に戻してしまった。
「気に入らなかったか……。わかった。じゃあ、こうしよう」
 そして次の瞬間、光はまた形を変え、今度は真っ白な猫になる。
「わあ! 猫さんだ!」
 すらりとした体躯をしならせ、猫はリゼットの肩へと飛び乗った。しかし本物の猫のような重さは感じない。
「これなら精霊として人間も受け入れられるんじゃない?」
 聖獣や妖精は架空の存在だと思われているが、精霊はべつだ。
〝精霊のいたずら〟と人間の魔法では起こりえない事象のことを呼んでいて、精霊の存在は広く知れ渡っている。
 それに、よほど精霊に気に入られれば、加護を与えられることもあるという。この国の初代国王や、現在の王立魔法機関の長も精霊から加護を与えられたらしい。ほかにもぽつぽつ噂を聞くので、ないことではない。
 それならリゼットが精霊を連れていたっておかしくはない。
「夜中に窓から入ってきて、君に懐いたっていう設定で。名前はそうだな……、リヒトとでもしておこうか」
「リヒト!」
 リゼットが呼ぶと、猫らしく「にゃあん」と返事をした。
「この子は僕との連絡係も兼ねているからね。何かあったらこの子に言えば、僕に伝わる。リゼットのピンチにはいつでも駆けつけられるよ」
「ありがとう。ルロワはすごいわね……。こんな眷属まで作れちゃうんだから。それに比べて、私の魔法はまだまだね」
 はあ、と肩を落とすリゼットに、ルロワがやさしく身体を擦りつける。
「僕はユニコーンだから、魔法が得意なのは当然だよ。その代わり、君の可愛らしい手のように器用じゃないし、クッキーだって作れない。僕には僕の、そして君には君のいいところがある」
 懸命に励ましてくれているのだろう。それを感じ取り、リゼットはいつの間にか俯けていた顔を上げた。
「そうね。落ち込んでないで、今はできることをやらなくちゃ」
「ああ。君の領地に幸あらんことを」
「ありがとう、ルロワ!」
 別れを告げ、リゼットはこっそり屋敷へと戻った。
 そしてたった今起きたふりをして、両親の寝室へと駆け込んでいく。
「お父様、お母様、大変です!」
 リゼットの声に飛び起きた両親が、何事かとすぐに灯りをつけた。
「こんな夜中にどうしたんだ、リゼット」
 しかし、リゼットが説明するより先にふたりは肩に乗っているリヒトに気づき、驚いた顔をした。
 寝ていたら窓から猫の精霊が入り込み、北の森の牧場付近で火事が起こっていると教えてくれた――とルロワとの打ち合わせどおりに説明する。
「……っ、急いで消火活動の準備だ」
 リヒトがいてくれたおかげか、父はすんなりとリゼットの言うことを信じ、動きだす。
「水魔法が得意な者を連れていく。至急集めろ」
 父が着替えながら執事に命令する。
「私も手伝いに行きます!」
 リゼットが名乗りを上げると、父は「駄目だ」と一蹴した。
「どうして? 私、水魔法なら少しだけど使えます!」
 ルロワに教わって、光魔法以外も少しずつだが覚えていた。バケツに水を貯めるくらいは手伝えるはずだ。
「どの程度の規模の火事かもわからないんだ。そんなところに可愛い娘を連れていけるはずがないだろう」
「そうよ、リゼット。大人がなんとかするから、あなたはここで私とアルチュールとお留守番よ。それに……」
 母が父を見上げ、互いに頷き合った。そして、リゼットに向き直って言う。
「あなたは精霊様のご加護を受けた特別な子になったの。そんな子を危険な目に遭わせたら、精霊様がお怒りになるわ」
「でも……」
 現場に行く父だって危険には違いない。
 だが、そのときリヒトが「にゃあっ」とひと鳴きし、手のひらに乗るほどの小さな光の玉を作り出した。それは見る見るうちに膨らんで猫の形になり、父の肩へと飛び乗った。
『リゼットの代わりにこの子に行かせる。水魔法も使えるから、消火はこの子に任せたらいいよ。これで君の父親の心配はしないでいい』
 リヒト――いや、ルロワの声が頭に響く。
「その子が水魔法を使って消火してくれるって言ってます」
 聞こえないふたりに通訳すると、ふたりはまたも驚いて、息を呑んだ。
「……感謝します、精霊様。それに、リゼットにも」
「お気をつけて、お父様」
 父を見送り、眠れないまま朝を迎え、母とアルチュールとともに礼拝に向かった。帰ってこない父のためにといつもどおり、いや、いつも以上に祈りを捧げ、昼前に屋敷に戻ってきた。
 するとしばらくして、早馬が鎮火の知らせを持ってやって来た。
「無事に収まったって! 誰ひとりとして怪我はないそうよ」
 母が手紙を読んで嬉しそうに言い、リゼットとアルチュールをやさしく抱きしめる。
 それから半刻もしないうちに父や消火活動を手伝った使用人の皆が帰ってきた。もちろん、リヒトの分身も一緒だ。帰ってくるなり、分身はリヒトの中にすうっと戻っていった。
「精霊様はすごかったぞ、リゼット! 大量の水であっという間に火を消してしまったんだからな」
 父が興奮した面持ちで言い、その場で膝をついた。そしてリゼットの肩に居座り続けているリヒトに向かって、祈りのポーズを取る。後ろの使用人たちも同様に膝をつき、祈りを捧げはじめてしまった。
(これじゃあ、私が祈られてるみたいじゃない……?)
 気まずさを感じつつ、リゼットはゴロゴロと喉を鳴らし額をぶつけてくるリヒトを撫でた。
 これでひとまず、一件落着だ。

 それからも、ガルニエ領の森で起こる異変について、盗賊が森で何やら画策しているようだとか、魔物が街へ行きそうだとか、雨が続いて水害が起こりそうだとか――リゼットはルロワとリヒトを通じて知ることとなった。
 だが、精霊の加護をもらったなどということが知れ渡ったら余計な陰謀に巻き込まれかねないと、両親は屋敷の者に箝口令を敷くことにした。
 もちろん国に対しても、だ。
 訊かれたら答えはするが、黙っている分には罪にはならないのだという。
 ――精霊のことは誰にも言ってはいけない。
 ――なんでもかんでも精霊を頼りにしてはいけない。
 父はリゼットにもそう言い聞かせた。
「君の父親はかなりの慧眼を持っているようだね」
 ルロワにその話をすると、彼は感心したように頷いた。
 そよそよと吹く風は、もうすぐ冬だというのに暖かい。泉の周りには、いつも心地いい空気が漂っている。
 リヒトは少し離れたところで眠っていた小鳥を起こしてじゃれついている。
 ルロワのたてがみが風になびいて、キラキラと月明かりに光って見えた。そこに指を挿し入れ、リゼットはやさしく梳く。
「やっぱり精霊のことは隠しておいたほうがいいの?」
「特別なものというのは狙われやすいんだよ」
「でも、すごいのは私じゃなくてリヒトとルロワなのに」
 火事を消し止めたのも、異変を事前に察知したのも、リゼットの手柄ではない。それをさも自分がすごいことをしたかのように振る舞うには、リゼットは賢すぎた。
「他人から見れば精霊と共鳴するだけでもすごいことなんだ」
「そんなものかしら」
「そんなものだよ」
 じっと見つめ合い、どちらからともなく吹き出して、ごろりと横になる。
 ルロワがふんふんと鼻をひくつかせ、匂いを存分に嗅いでから、少し膨らみかけたリゼットの胸にそっと顎を乗せた。
「くすぐったい!」
「でも、とってもいい匂いがするんだもん。それに柔らかいし」
 普段は大人っぽい喋り方をするのに、甘えるような口調で言い、ルロワは頬をそこへ擦りつける。
「はあ……。リゼットは気持ちいいね」
 人間の男の子相手なら恥ずかしがったり怒ったりするかもしれないが、ルロワはユニコーンだ。その辺の犬や猫と同じ扱いは失礼だとは思いつつ、ルロワにならどこに触れられようが気にはならない。
(人間だったらこういうの、変態臭いっていうのかしら……? でもまあ、ユニコーンにはそういう感情、きっとないわよね)
 おとぎ話の中だと、ユニコーンは純潔の乙女が好きとされている。つまり、清らかなものが好きで、いやらしいものは嫌いだということだろう。
 まだ十歳のリゼットには具体的なことはわからないが……。
「もう、仕方ないなあ」
 呆れたため息をつきつつ、リゼットはルロワのたてがみを撫でる。
「ここも触って」
 しばらくすると、ルロワが首を傾けて額を示した。角の周りも撫でてほしいらしい。
 角は神聖なものだからと、リゼットは安易に触れないように慎重にルロワの額を掻く。
「ん、そこ、気持ちいい……」
 うっとりとルロワが囁く。
 少し大きくなって、最近のルロワは声まで大人っぽくなってきた気がする。
 ユニコーンにも声変わりがあるのか知らないけれど、昔のような性別不明の高い声ではなく、ちゃんと男の子の声だ。
 だからだろうか。
 ユニコーン相手なのに、甘い声を出されたら、何かいけないことをしている気分になってしまう。
(胸の奥がざわざわする……って、こんなふうに思うほうが変態っぽいのかもしれないわね。ダメダメ!)
「リゼット? どうかした?」
 止まってしまったリゼットの手に不満を覚えたのか、ルロワが薄目を開けて訊く。
「ううん、なんでもない」
「本当?」
 疑うように眉間にしわを寄せ、それからドスンと右前脚までリゼットの上に乗せてくる。
「ちょっと、ルロワ、重いわよ」
「体重かけてないから平気でしょ? それとも、リゼットは僕とくっつくの嫌?」
「嫌じゃないけど……」
 ちょうど蹄がへその窪みのあたりに引っかかって、くすぐったい。
「ふふっ」
 リゼットが笑うと、ルロワはようやく前脚を退けた。
「そういえばリヒトから聞いたけど、近々リゼットの家でお茶会っていうのを開くんだって?」
 ふいにルロワが訊いた。
「え、ええ。そうだけど……」
「お茶会ってどんなことをするの?」
 なんでも知っていると思っていたが、ルロワにも知らないことがあるのは驚きだった。リゼットは再び彼の額を撫でながら答える。
「いろんな人をお屋敷に招いて、一緒にお喋りしたりお菓子を食べたりするの。社交を身につけるためだってお母様は言ってたわ」
「どんな人が来るの?」
「えっと、このまえ招待状を送ったのは、隣の領のハニエット子爵家の長女と長男次男と、オリヴァ男爵家の次男と、アイアン商会の兄妹――だったかしら。お母様がほかにも招いているかもしれないけれど」
 そこまで大きな規模の茶会ではなかったはずだ。これまでも何度か母に連れられ他家の茶会には参加したこともあるし、緊張はさほどしていない。
 だが、今回はガルニエ子爵家主催の茶会だ。
 子どもたちのもてなしは、すべてリゼットに任されている。
 招待客のときとは違い、皆を平等にもてなさないといけないため、うまくやれるか、それだけが気がかりだった。
「……男の子も来るんだね」
 ルロワがそう呟いた途端、心地よかった空気がひんやりと冷たくなった気がした。
「え?」
 ぶるりと身を震わせ、リゼットが手を止めると、何事もなかったようにルロワがリゼットの胸に頬を擦りつけてきた。
「あんっ」
 膨らみの先端を彼の唇がかすめ、思わずあられもない声が出てしまった。慌てて口を塞ぐが、ルロワが何か言いたげにじっと見つめてくる。それと同時に冷たかった空気も元に戻った。
「あまりほかの男の子と一緒にいないでほしいな」
 そして、何を言い出すかと思えば、そんなことだ。
「急にどうしたの? ヤキモチ妬いてるの?」
 ふっとリゼットが笑うと、ルロワは眉間にしわを寄せた。
「そうだよ。リゼットは僕と仲良くしてればいいんだから。ほかの男の匂いなんてつけてほしくない」
「おかしなルロワ。ただ皆とお菓子を食べたりするだけよ。匂いなんてつかないわ」
「わからないだろ」
 人間のようにぷくっと頬を膨らませ、ルロワが拗ねた顔をした。
「だったらこっそりリヒトに見張ってもらったらいいじゃない。もし必要以上に触れそうになったら、風魔法で吹き飛ばしちゃえばいいんだから」
 冗談のつもりで言ったリゼットの言葉に、ルロワが顔を上げた。
「それ、いいね」
 その瞳はキラキラと輝いている。本気でやりそうな気配がして、リゼットは慌てて「冗談だよ」と付け加えた。
「とにかく! 大事なお茶会なんだから、リヒトに変なことさせちゃダメよ。私も男の子とはなるべく近づきすぎないようにするから」
「うん……」
 頷いたものの、ルロワは不満げだ。
 結局その夜はいつもより長く泉に留まり、悲しげな表情をするルロワに後ろ髪引かれる思いを抱きつつ、屋敷に戻った。