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騎士団の家政婦ですがコワモテ団長が私の下僕になったようです!? 2

第二話

 


「アウリ、団長に今度の遠征時に運ぶ食料の一覧に目を通してもらってきなさい。これでいいか、不足はないかその場で返事をもらうのよ」
「分かりました」
 家政婦長から一覧を記した紙を受け取り、シューリヒトの執務室に向かう。
 ところがそこにはおらず、アウリは彼を探し回った。
 一番手っ取り早いのはゼフィールにシューリヒトの行方を聞くことだ。
 彼は何故かいつでもシューリヒトの所在を把握しており、聞けばすぐに教えてくれる。
 なのでシューリヒトかゼフィールを探していたのだが、屋敷の中では見つからなかった。
 そうなると外の訓練場にいるかもしくは外出してしまったのか。
 家政婦長がすぐにでも答えが欲しいと言ったということは、急いでいるはずだ。
 後回しにはできるだけしたくないのだが……と、焦りを覚えていたときに、ちょうど馬の蹄の音が聞こえてきた。
 もしかしてシューリヒトが外から戻ってきたのだろうかとエントランスまで行くと、予想通り馬を下りて屋敷の中に入ってくるのが見える。
「団長」
 駆け寄り声をかけると、彼は足を止めてこちらに視線を向けた。
「家政婦長が遠征のときに持っていく食料のチェックをしていただきたいと……」
 一覧表を渡すと、シューリヒトはそれを受け取り目を通す。
「分かった」
 そう言って再び足を動かし始めたので、アウリは慌てて後を追った。
「実は家政婦長がすぐにでも返事が欲しいとおっしゃっていて」
 ここでアウリに返事をしてほしいと訴えたのだが、彼はこちらに一瞥もくれることなくすたすたと歩いていく。
「団長!」
 脚の長さが違うために、あちらは歩いているのに対しアウリは小走りでついていく形になる。
 それでも引き離されてしまい、アウリは咄嗟に叫んだ。
「お待ちください! 団長!」
 不敬であるということも頭からすっぽ抜けて、必死になった結果だった。
 だが、それが功を奏したのか、シューリヒトは足をぴたりと止めてくれる。
 よかったと喜びつつ、アウリは彼の前に回った。
「お願いします。家政婦長が私に返事をその場でもらってこいとおっしゃいました。お忙しいとは思いますが、どうか今目を通して返事をいただけないでしょうか」
 頭を深く下げお願いをする。
 すると、「……くっ」と呻くような声が聞こえてきた。
 顔を上げると、シューリヒトは眉を吊り上げ眉間に皺を寄せ、こめかみに血管を浮き上がらせていた。
 歯を剥き出しにしながらアウリを睨みつけていて、怒っているように見える。
(そこまで怒らなくても……)
 ここまであからさまな怒りを目の当たりにすると、怖がるどころか驚きの方が勝ってしまう。
 表に目を通して答えをくれと言ったことがよほど気に障ったのだろうか。
 やはり難しい人だと瞬いていると、シューリヒトは持っていた紙に目を落とした。
「……あと一日分余分に用意しておくように伝えてくれ」
「分かりました! ありがとうございます!」
 無事に答えをもらえたことに安堵し、アウリは再び頭を下げる。
 これ以上不興を買わないようにすぐにでも目の前からいなくなろうと踵を返した。
「……ま、待て!」
 ところが、今度はアウリの方が呼び止められる。
「何でしょう……」
 今度こそ怒られてしまうのかとビクビクしながら振り返ると、そこには先ほどよりも怖い顔があった。
「ひっ」
 思わず悲鳴を上げて後ずさる。
 どうしてそんなに怒っているのかいよいよ分からなくなり、涙が溢れそうになった。
 自分は何も悪いことをしていないはず。
 それなのにどうしてかシューリヒトの機嫌を悪くしてしまう。
 彼の優しいところを知って、嫌われているかもしれないがそれでもやっていけそうだと思ったが、やはりそう捉えるのは無理があったのだろうか。
「あの、団長……」
「ちょっと待て」
「ひっ」
 手首を掴まれ、アウリはびくりと身体を震わせた。
 怒鳴られるのか、それとも身体的な罰を受けるのかと青褪めていると、シューリヒトはがくりとうなだれる。
「……これを、解いていってくれ」
「……へ?」
 弱々しい声で言われた言葉の意味を測りかねてアウリは聞き返した。
 何を解けばいいのだろうかと戸惑っていると、彼はゆっくりと顔をあげてこちらを見てくる。
 先ほどと同じように人相は悪いものの、肌が真っ赤に染まっている。
 その様子にアウリは思わずもう一度「え?」と声を上げてしまった。
「先ほどの命令を取り消していけ」
「めいれい、ですか?」
 そんな畏れ多いことした覚えはないのだけれど、とカタコトに聞き返す。
「先ほど言っただろう。俺に『待て』と」
「言いましたがあれは命令ではなく……何と言いますか、お願い、でしょうか」
「いや、あれは命令だ」
「だとしても、わざわざ私が取り消さなくてもいいのでは? 何も律儀に守らなくても」
「取り消す必要がある」
 シューリヒトは頑なで、何としてもアウリから取り消しの言葉を引き出そうとしていた。
 不可解だ。
 どうしてそんなことにこだわるのだろうかと混乱していると、シューリヒトは深い溜息を吐いた。
「俺を揶揄っているのか? お前も分かっているのだろう?」
「どういう意味ですか?」
 またおかしなことを言い始めた。
 揶揄うどころかこの状況にただただ戸惑っているだけだというのに、どこにそんな余裕があるというのか。
「お前も気付いたはずだ。俺との因縁に」
「……いいえ?」
 そんなものはあっただろうか。
 あるとすればせいぜいシューリヒトに嫌われていることくらいだろう。
「本当に気付いていないのか?」
「はい」
 そう断言すると、シューリヒトはグッと眉根を寄せたあとに掴んでいた手をゆっくりと離した。
「分かった。なら、とりあえず俺に『動け』と言ってくれないか」
「その理由は教えていただけないのですか?」
 シューリヒトとアウリの間に何かがあって、それが関係しているのであれば何も知らないままむやみに命令めいた言葉を吐きたくない。
 アウリにも知る権利があるはずだと言うと、彼は折れてくれた。
「分かった。ちゃんと教えるが人目につく場所は避けたい。だから『動け』と言ってくれ。……そうでなければ俺はここから一歩も動くことができない」
 どんな理由があるにせよ、今その言葉は必要らしい。
 ならば、とアウリは背筋を伸ばして、緊張を高めながら口を開く。
「う、動け」
 そう命じると、シューリヒトはホッとした顔をして足を動かした。
「助かった」
「いえ」
 これは助けたのだろうか。
 よく分からないままアウリはそのままシューリヒトの執務室に連れて行かれた。
「これは他言無用だ」
 前置きをした彼は、突然騎士服の上着を脱ぎ始める。
 中に着ていたシャツのボタンも外したので、アウリは顔を真っ赤にしながら手で目を覆った。
「目を開けろ。何も疚しいものはない」
 そう言われて手を退けて目を開けたというのに、目の前にはシューリヒトの鍛え上げられた美しい筋肉を兼ね備えた上半身があって、再び目を閉じた。
 どうしていつもは服の下に隠されている胸板を、上腕二頭筋を、腹筋をこの状況で惜しげもなく見せてくるのだろう。
 見てはいけないものを見てしまった気分になり、その破廉恥さに叫び出したくなった。
「勘違いするな。見てもらいたいのは身体ではなく、左胸の上にある印だ」
 呆れた声が聞こえてきて、アウリは指の間から覗き込む。
 たしかに彼の左胸には何かの紋様があった。
 意を決して手を離し真っ直ぐにそれを見ると、盛り上がった胸筋の上に黒い紋様が刻まれている。
 太陽に似たものと家紋のようなマーク、その周りに文字のようなものが描かれたそれ。
 じぃっと見つめていると、胸の奥底から何かがせり上がってくるような感覚に陥った。
 それが何かは分からない。
 歓喜のような安堵のような、でも言葉にしがたいもっと別のもののような身に覚えがないもの。
 泣きそうになり、ぐっと口を引き結び堪える。
「その昔、この国に聖女がいたことは知っているな?」
「はい。魔物に襲われ国が滅びかけたときに現れ、その聖なる力をもって救ったとされる聖女アンジェラですよね?」
 この国に生まれた者ならば誰しもが教えられる昔話だ。
 教会の説教でも耳にするし、絵本にもなっている聖女アンジェラの物語。
 アウリもまた母に彼女の話を何度も聞いた。
「彼女には付き従う聖騎士がいた」
「ルイトボルト」
「そうだ。俺はそのルイトボルトの子孫だ。ここまでいいか?」
 アウリは頷いた。
 アンジェラを守るために常に側にいたルイトボルト。
 彼のことも昔話で出てきたので知っている。
 どんな困難の中でもアンジェラを守り抜き、過酷な命令でも彼女のためならばと身を粉にして尽くす、そんな騎士の鑑のような人だと教えられたものだ。
 女の子はアンジェラのように慈悲深く、何ごとも諦めない心を持つ女性になるように、男の子はルイトボルトのようにどんな困難にも負けない屈強な心と身体を持ち、大切な人を守れるような男性になるようにと、親は子に願う。
 それほどに偉大で有名な人の子孫であるというシューリヒト。
 俄かに信じがたい話だが、ここにきて冗談を言う人ではないだろう。
「ルイトボルトは我が身を省みることなくアンジェラを守り続けたと言われているが、本当はそうではない。強制的に守らされていたんだ」
「……強制的にと言いますと、どんな感じにでしょうか?」
「これだ」
 シューリヒトが指したのは左胸の紋様。
 ここでそれに話が戻るようだ。
「これは従属印といって、これを刻み付けた者に絶対服従を強いられるという胸糞悪い、いわゆる呪いのようなものだ。アンジェラはこれをルイトボルトに刻み、強制的に使役していた」
「そんな……まさか……」
 アンジェラは「聖女」というふたつ名に相応しい人徳者だと言われている。
 そう刷り込まれているせいか、彼女がそんな身勝手に他人の自由を奪うような人とは思えない。
「彼がアンジェラと別れたときに、この従属印を封印されたとされている。だが、こうやって印だけはルイトボルトの子孫の身体に浮き上がるんだ。そして三百年の時を超えて俺にも」
 一説によると、アンジェラは魔物の主を聖なる力で調伏したあとにある貴族のもとに嫁いでいったとある。
 そのときルイトボルトとも別れ、それぞれの道を歩み生涯を終えたのだと。
「だが、お前が俺の前に現れた瞬間、眠り続けていたはずの従属印が目覚めた」
「私……?」
「聖女アンジェラの子孫なのだろう?」
「……違います」
 そんな話聞いたこともないと、首を懸命に横に振る。
 だが、シューリヒトは納得していないようで、ずいっとこちらに従属印を近づけてきた。
「そんなはずはない! この印は今もお前に反応して熱を持っている! 触って確かめてみろ!」
「は、破廉恥すぎます! そんなことできませんっ」
 雄々しくも逞しい胸板を近づけないで! と叫びたくなった。顔を手で覆い、肩を竦ませて、迫りくるものから目を逸らす。
「いいか、お前が俺に命令すれば、俺はそれを聞かざるを得なくなっている! その証拠に先ほどお前に『待て』と言われた瞬間に身体を動かせなくなったんだ!」
「本当に私の言葉で?」
「信じられないなら、今ここで命令してみればいい」
 それで分かるだろうと言われ、アウリはどうしたものかと頭を抱えた。
 シューリヒトの言葉を疑うわけではないが、それを確かめるために彼に命令するなんて、そんな畏れ多いことはできない。
 そもそもどんなことを命じればいいのだろうか。
 お願いをすることはあっても命令したことなどないアウリは、彼を見つめたまま固まってしまった。
「何でもいい。そうだな……俺が絶対にしそうにないことだと分かりやすいだろう」
(……しそうにないこと)
 シューリヒトのヒントを元に考えていると、ひとつだけピンとくるものがあった。
 こんなこと命じたら変だろうかと思いながらも、見てみたいといううずうずとしたものが抑えきれずに、これにしようと決める。
「では、団長……私に微笑んでほしいです」
「は?」
「微笑んでみてほしいです。……あ、命令しなくちゃいけないから……私に微笑みなさい?」
 慣れない命令口調に苦戦しながらも、アウリは無事に命じることができた。
 シューリヒトは虚を突かれたように固まり、くしゃりと顔を顰めたあとに、ゆっくりと表情を和らげていく。
「わぁ……!」
 眉と目尻を下げ、口端を持ち上げて優しい笑みを浮かべるシューリヒトを見て思わず感嘆の声を上げてしまう。
(団長ってこんなに甘く微笑むんだ)
 ずっと怖い顔しか向けられてこなかったので、そのギャップに不覚にも胸がときめいてしまった。
「……これで分かったか? 従属印のせいで俺はお前に命令されたら逆らえない」
「わ、分かりました。そうなると、私が聖女アンジェラの子孫であるというのも間違いないということですね」
「家族に聞かされたりしなかったのか」
「私が生まれたときには平民家庭でしたし、幼い頃に両親は亡くなりましたので」
 そもそも両親も知らなかったのではないだろうか。
 もしも知っていたら、聖女アンジェラの本を読むたびに教えてくれていたはずだ。
 アンジェラが聖女として活躍してから三百年の間に彼女が嫁いだ家は没落し、流れ流れて平民として暮らすようになったということなのだろう。
 いつしか祖先たちはアンジェラの存在を忘れて、語り継がれることもなくなった。
 ところが、アウリがルイトボルトの子孫であるシューリヒトと出会ったことでその真実を知ることになる。
 なんという偶然だろうと、アウリは自分の身に起こったことを頭の中で整理しながらひたすらシューリヒトの笑顔に見入っていた。
「もとに戻るように命じてくれないか」
「え! どうして……」
 このまま微笑んでくれていてもいいのに……ともったいない気持ちでいると、シューリヒトのこめかみがぴくぴくと震え始めた。
「普段使わない顔の筋肉を使って攣りそうだ」
「申し訳ございません! 命令を解除します! 戻ってください!」
 スッと無表情に戻った彼は、疲れた表情筋を指で解しながら溜息を吐く。
「お前の言葉ひとつが、今の俺には命取りだ。何気ない言葉であっても俺はそれに従わざるを得ないだろう」
「……それは怖いですね」
 他人に操られるシューリヒトも怖いだろうが、アウリも自分が彼を好き勝手にしてしまえる、大きな力を持つことが怖かった。
 ふたつの意味でこの状況は怖かった。
 いや、シューリヒトの恐怖に比べればアウリのものなんて大したことはないだろう。
 アウリの場合は気をつければいいのだ。命令口調にならないように意識すれば防げること。
 けれども、シューリヒトには防ぐ手立てがない。
 それこそアウリをここから追い出す以外には。
「あの、団長。私、ここの仕事にはやっとの思いで就くことができました。それにやりがいもあって大変だけど毎日楽しいです」
 腹の前で手を合わせてぎゅっと握り締め、どうお願いしようか頭を巡らせる。
「団長にとって私は忌々しい存在でしょう。今すぐにでも消えてほしいと思っているかもしれません。ですが私は……私は……まだここで働いていたいです」
 この我が儘が許されるか正直分からない。
 けれども、身寄りがないアウリにとってここを追い出されるか否かはシューリヒトが思っている以上に死活問題で、できれば追い出されたくなかった。
 だが、それを決めるのは雇用主のシューリヒトだ。
 彼が出ていけと言えば、アウリは大人しく出ていくしかない。
 どうか慈悲をくれないかと目で訴えると、彼は眉間にグッと皺を寄せた。
「追い出すつもりはない。もちろん、家政婦としての仕事が目に余るものならば容赦なく追い出すが、団員たちとも上手くやっているし仕事も申し分ない。俺の個人的な事情で人手不足の仕事をさらにひっ迫させるような真似はできないしな」
「それじゃあ!」
「働く分には問題ない。ただし、俺に命令するな」
「もちろんです! ありがとうございます!」
 よかった! と飛び跳ねたい気持ちを堪えながら、アウリは何度も頭を下げた。
 これからも懸命に働こう。
 シューリヒトの厚意に報いられるように頑張ろうと、彼に微笑みもう一度お礼を伝えた。
 すると、彼は不思議なものを見るような呆れたような顔を見せる。
「俺に命令すればいいだろう。ここに置けと。お前はその力を持っている」
「ですが、命令しないと約束しましたし、それにこういうことは話し合いで解決することだと思いますので。関係が浅い仲での一方的で理不尽な命令は禍根を残すだけですし」
 たしかに楽だが、いい方法ではない。
 シューリヒトは嫌な思いをするし、アウリはその場ではいいかもしれないが必ずあとで自己嫌悪に陥るに違いない。
 アウリとシューリヒトとの間では命令は禁じ手だ。
 本当にどうしようもないとき以外に使うべきではないだろう。
「聖女アンジェラの性格は破綻していたと聞いている。自己愛が強く傍若無人。ルイトボルトをまるで物のように扱い、ぼろぼろになるまで使い倒したと」
「……え? でも、私が聞いた聖女アンジェラは淑女の鑑のようだと」
「何が真実かは、当時生きていた者しか知り得ないだろう。だが、俺は幼少期から『アンジェラの子孫に会ったら逃げろ』と教わってきた。だから、子孫のお前も俺に酷い命令を下してくるだろうと」
(あぁ……だからずっと私を警戒していたのね)
 最初に会ったときに見せた冷たい態度。
 そしてそこからずっと徹底してアウリに積極的にかかわろうとしなかった。
 恐れていたからだろう。
 いつかアウリが従属印を悪用して自分を好き勝手にしてしまわないかと。
「なら、最初のうちに追い出せばよかったのに……」
「言っただろう。仕事に私情を持ち込むのは好きではないと。それに俺がわざわざ手を下さなくても、これまでのように勝手に辞めていくものだと思っていたしな」
 だから余計なことはせずに静観していたのだと言う。
 ところが、予想に反してアウリがスムーズに仕事をこなし、根性を見せてきたのでクビにする理由がなかった。
 ならば、自分がアウリに近づかなければいいだけだと牽制していたが、あんなことになってしまい、仕方なく話したのだと。
「これでも職業柄、人を見る目はあるつもりだ。団員や家政婦長からも話を聞いたが、口をそろえて悪い人間ではないと言う。だから、このことをお前に伝えても問題ないと判断した。状況的にもそうせざるを得なかっただろうしな」
「信じてくださり、ありがとうございます」
 ここ一ヶ月のアウリを見て総合的に判断してくれたのだろう。
 信じられると思ってくれたことが嬉しかった。
「それに、俺がどれほど牽制してもお前には効かなかったしな。めげずに話しかけてくる」
「それは団長が優しかったからです」
 さりげなく助けてくれたり踏み台を用意してくれたりと、優しさを感じたからアウリも怖い顔を見ても怯むことはなくなった。
 本当は優しく親切な人だと思えば、表面的なことなどどうでもよくなる。
 アウリはシューリヒトの鎧のような牽制の壁の隙間から見えた光を見つめていたのだから。
「……俺は優しくないだろう」
「優しいですよ。倒れそうなところを助けていただきましたし、踏み台も助かりました」
「あれは、俺がお前にかかわることがないようにと策を取っただけだし、助けたのも騎士の領分として……」
「それも含めて優しいと思います」
 優しさの種類はいくつかあって、親切にするだけが優しさではない。あくまで主観なのだから、アウリがそう思えばそうなるのだろう。
 彼がアウリを遠ざけたのもある意味優しさと言える。
「俺に命令したとき、『笑え』と言ったのは何故だ」
「それは……」
 聞かれるとは思っていなかったアウリは目線を上に向けて考え込み、フフと笑った。
「ずっと怖い顔を向けられていましたから、その……どうせなら見てみたいなと思いまして。申し訳ございません」
「いや。こちらこそ、気を張りすぎてお前に嫌な思いをさせていた。申し訳ない」
 ふたりで頭を下げ合って、少し気まずい空気を味わい、そして再び互いを見つめ合った。
「団長、私、極力近づかないようにいたします。話しかけるのも最低限にします。その方が互いにとっていいと思います」
「ああ、そうだな」
「私、お仕事頑張ります。団長の信頼を損なわないように、誠意をもって尽くしますのでどうぞよろしくお願いいたします」
 三百年前の因縁に振り回される必要はない。
 お互い近づかないようにしましょうと確認し、アウリはシューリヒトの部屋から出ていく。
 扉を閉めて、一息つくと自然と顔が綻んだ。
(よかった。嫌われていたわけではなかったのね)
 それが分かっただけでも嬉しい。
 シューリヒトとの奇妙な関係は仕事に多少影響が出てしまうかもしれないが、知っているのと知らないのとでは心持ちがまったく違うだろう。
 教えてもらえてよかった。
 認めてもらえるような働きができてよかった。
 アウリは軽い足取りで仕事に戻っていった。

 ◇◇◇

 シューリヒトは脱ぎっぱなしになっていたシャツを着直し、ボタンを留める。
 不意に従属印が目に入って、眉間に皺をつくった。
(……まったく忌々しい)
 アウリがアンジェラのような人間ではなかったのは幸いだったが、それでも他人に自分の命運を握られていると思うと生きた心地がしない。
 この印のことは物心がついたときから聞いていたが、ずっと休眠状態だったこともあってなんてことはないだろうと高を括っていた。
 自分には関係ないことだと。
 ところが、アウリと出会って従属印が目覚めたとき、これはまずいと本能的に悟った。
 祖先たちはこれを恐れていたのだと。
 彼女を見ていると無条件にひれ伏したくなる。目の前に傅き、首を垂れたくなるのだ。
 抗いがたい衝動。アウリを見つめるときに溢れ出る恍惚とした気分。
 初めて会った女性にこんな感情を抱くなんておかしい。服従の姿勢を見せるなんてどうかしている。
 理性を必死に繋ぎとめて、やっとできたのがあの態度。
 今思えば酷いものだった。いや、致し方なかったのだが。
 そんな言い訳を自分にしつつ、先ほどアウリに言われた言葉を反芻する。
 密かに「怖い顔ばかり見ていたから笑顔を見たかった」と言われたことにショックを受け、反省していたのだ。
 これからは必要以上にかかわらないし話しかけてこない。
 だから、少しはアウリに対する警戒を緩めてもいいのではないか、そう思ったときだった。
「……っ! ……な、んだ?」
 突如従属印が熱と疼きを持ち始めてシューリヒトを苛む。
 近くにあった執務机に手を突き、胸を押さえながら苦しさに喘いだ。