悪役令嬢の取り巻きAですが、王太子殿下に迫られています。⑧[熱砂の皇子編]上 2
「王太子殿下」
宰相がいつもの情味の薄い顔つきでこちらを見た。
「暁の冠――王太子妃のティアラがこのようであれば、一週間後に予定していた婚約式は執り行えませぬ。ご了承いただけますか」
「…………」
「婚姻それ自体、難しくなりましょう。王太子妃に授けるべき冠が、存在しないも同然なのですから。五色の宝石が失われた。それも、授かるべきかたの実家である公爵家の、国家反逆罪という大罪のために」
「…………」
「暁の冠を強奪したのはエマ嬢の養母たるイザベラです。これは司祭本人の証言によるもの。話があると聖堂で面会したところ、背後から鈍器のようなもので襲われ、昏倒したところを奪われた。また以前、彼女は革命思想にかぶれ、国家反逆罪の疑いをかけられたこともある。いずれも、王太子殿下におかれてはすでにご承知のこととは存じますが」
「…………」
まわりくどい、言いたいことを申せ。と常のカイルならば言っていた。だが、彼は聞きたくなかった。
「――ゆえに、叛逆人の娘エマ嬢との婚約は白紙に戻すべきです」
「ならぬ!!」
カイルは立ち上がっていた。
「エマは潔白だ、ヴァレリウスやイザベラの陰謀とはなんら関わりはない。婚約は撤回せぬ!」
声を荒らげ、宰相を叱責する。
肩で息を継いでから、立ち尽くした。気づくと、御前会議の場は静まり返っていた。彼に注がれる臣下らの視線には一様に、
『国家の尊厳より、女ひとりをとるというのか。王太子ともあろう者が』
という失望と批難が滲んでいた。
カイルは奥歯を噛んだ。
「座るがよい、カイル」
父王の厳しい声がする。頭を冷やせ、と言われている気がした。事実、そうなのだろう。
だが、エマとの婚約式が中止になったうえ婚約自体が白紙になりそうな今、どう冷静でいろというのか。それどころか黙っていればエマにまでヴァレリウス父娘の罪が及びそうな今、臣下たちの言いなりになれというのか。
カイルは一同の批難の目を跳ね返し、声を重々しくして宰相に向き直った。
「エマは我が妃だ。公爵家への断罪は然るべく取り計らえ。だが、エマには手出し罷りならぬ」
「それでは通りませぬ、殿下。エマ嬢が、ヴァレリウス、イザベラ父娘の縁者であることは否定できぬこと。さらに言わば、両名が国外逃亡している今、公爵家の実質的なあるじは養女たるエマ嬢ということになる。責任を取らせるべきです」
「責任だと! エマになんの咎がある!」
「王城及び王都放火、第一王子暗殺未遂、国宝強奪。そのような大罪人を身内から出したことに、エマ嬢になんら責任はないと? あまりに王太子の妃として相応しからぬお立場かと」
「ならば相応しき立場を与えればよい。公爵家との養子縁組は、我が妃に相応しい立場や身分にするためのことだった。血縁関係はない。宰相、そなたの養女にでもすればよい」
「わたくしは国王陛下に歯向かう者の縁者になどなりたくありませぬ」
「エマは違うと申している! 彼女が長年ヴァレリウスと対立してきたのをそなたとて知っているはず。昨年宮廷から奴を追い落とした功があるのを蔑ろにするのか」
「さあ。わたくしが認識しているのは、一年前のエマ嬢の暗躍――失敬、ご活躍のせいでヴァレリウスを法廷に引きずり出すのを阻まれたことのみ。それは主君イザベラのためだった。こたびの王城放火にイザベラが関与しているなら、その忠臣たるエマ嬢も助力したと見るのが妥当では」
「退席せよ、宰相!!」
とうとうカイルは命じた。
「余の婚約者にこれ以上の侮辱は許さぬ! 分際をわきまえよ!」
宰相は深々と頭を下げた。慇懃な動作だった。御前から下がろうとするのを、だが、
「宰相の退席は、国王たる余が許さぬ」
「――……!」
重々しい声が響いて、カイルは隣の玉座を激しく振り向いた。父王の青い瞳が威厳をもってこちらを見据えていた。
「王太子よ、この場に留まりたければ立場をわきまえるのはそなたのほうだ」
父王の叱責に、カイルは血が冷えるのを感じた。
――父王は御味方ではない。
わかっていたことだ。宰相のこの一連の追及は、すべて父王と打ち合わせ済みなのだ。
「…………」
カイルは自制心のすべてを動員して、込み上げる怒りを肚の底に沈めた。取り乱した無礼を父王に謝罪し、王太子の椅子に座り直す。
――この場から遠ざけられるわけにはいかない。
御前会議から外れれば、カイルの与り知らぬところでなにをどう決定されるかわからぬ。
エマは、公爵家の人間だ。罪に連座する可能性が高い。エマだけ特別だというのは通らぬ、それは宰相の言うとおりなのだ。理がないのは、己のほうだ。わかっている。
(――だが)
二時間後、御前会議は終わった。即決すべき王城の回復作業と王都の救済措置、ヴァレリウスの罪状など諸々の事が決定し、エマとの婚約破棄の件はまた次回ということになった。
散会となってから、
「カイル殿下、お気持ちお察しいたします」
と同情するように幾人かが寄ってきた。比較的若い世代、次のカイル王朝でも政権に与りたいであろう年代の者たちである。それでも閣僚とあらば、若くともカイルよりひとまわり以上も年長だ。
「エマ嬢のお人柄は、我らも存じ上げております。あのかたをお妃に戴きたいとは、我らの願いでもございますれば」「連座だけは免れるよう、我らからも国王陛下や宰相に言上するつもりです」
「ありがとう。頼む」
「ただ……」
と、なかのひとりが言いづらそうに顔を曇らせた。
「今は国家危急の時なれば、ご婚約の件はあまり固執なさらぬほうが、とも。かえってエマ嬢のお立場を悪くせぬとも限りませぬ。おふたりの今後のために、ここは一旦白紙に戻し、また時機を窺うという手もおありかと。なんにせよ、国王陛下の心証が大事ですから」
「…………」
カイルはお為ごかしの言に怒鳴りつけそうになったが、辛うじて堪えた。これ以上王太子として無様な姿を晒せば、臣下の信頼を失う。
――エマを守るためにも、俺が孤立するわけにはいかぬ。
「考えの一端に留めておこう」
王太子に穏やかに返され、彼はほっとした顔をした。その思惑のなかに、婚約破棄を幸いと、今度こそじぶんの令嬢を妃につけようという意図が混じっているにせよ、味方は必要だ。
王太子といったところで、ひとりではなにもできぬ。
彼はまだ若く、上には父たる国王もいれば、宰相をはじめとした重鎮たちもいる。彼らは暴虐の前政権下で生き抜いてきた猛者たちだ。一筋縄ではいかぬ。
(理性的にならねば)
(父王や宰相とは足並みを揃えるべきだ。アンフェルム王国は今、皇国の脅威に晒されんとしているのだ。我が国に戦火が及ぶのだけは断じて避けねばならぬ)
重臣たちと別れ、カイルは王太子付きの護衛官のみを伴い宮廊を歩いていく。
ヴァレリウス一味が放った火のせいで、王城にも王都にも大勢の死傷者が出た。白亜の美しい正宮殿は、焦げ跡と煤とで見るも無残な有り様だった。
まして王都の混乱は、その比ではない。今日はこれから、王都の被害状況を見てまわることになっている。救助作業は今も続いている。その後は補償と復興となる。どれほどの時間がかかるか。
むろん、ヴァレリウスたちの追捕の手も緩めぬ。皇国に逃げ込んだままにはさせておかぬ。
(そのためには、五か国同盟の諸国にも急ぎ対応を諮らねば。すでに国内の状況を知らせる早馬は出したが、このあと父王より正式会談の拝命を賜る。アンフェルムに召集するか、隣国か)
(エマは、部屋でじっとしてくれているだろうか。イザベラの身柄は俺が取り戻すと約束したが、御前会議では結局その議題すら出せる状況ではなかった――)
「殿下、大丈夫ですか」
「ああ」
一瞬、視界が暗くなった。
気づくと、壁に手をついていた。軽い立ち眩みを起こしたらしい。護衛官が支えてくれる。
「昨晩から一睡もしておられないのです。すこしお休みになられたほうが」
「いや。王都には火傷や怪我で苦しんでいる民たちが大勢いる。火災で家を失い、眠るところさえない者も。今日中に官吏とともに被害状況を見ておきたい。初動の救済が大事だ。罹災民もだが、消火や救助に夜通し働いてくれている者たちもだ。王太子が顔を出せば、すこしは現場を鼓舞できよう。休むのはそのあとだ」
「ならば、せめて十五分だけでも横に。被災地で王太子殿下が倒れられては現場が迷惑です」
「……そうだな。そのとおりだ。ありがとう、トール」
カイルは忠告に従って、正宮殿の一室で休むことにした。東翼の宮殿に戻る時間さえ、今は惜しい。
部屋は、子供時代に使っていたものだ。家具がすこしちいさいが、不便はない。壁に、フューとの肖像画がかかっている。
「トールよ」
襟元をゆるめ、ベッドに横たわる。
「はい」
忠実な護衛官が、みじかく応える。カイルが六歳のとき、一度去った臣下。妻子の命をヴァレリウスに脅かされ、苦渋の決断をしたのだ。
一年後ふたたびカイルのもとに戻ってきたとき、二度と家族とは会わないという覚悟だった。そのとき、妻子は遠くに匿った。今も用心のため、家族と離れて暮らしている。主君カイルを護るために。
「俺は――、……いや、いい。十五分で起こせ」
「は」
(臣下にだけ苦労を強い、俺だけが愛する人を手もとに置いていいのか)
そんな問いを彼にぶつけたとて、仕方ない。
目を閉じると、視界は暗闇に覆われた。体は疲れているのに脳が冴えて、眠りはいっこうに来ない。
(眠らなければならぬ)
起きたら被災した王都へ行く。
破壊された、民の生活。愛する者を喪った者もいるだろう。カイルは彼らの顔を見ることに、やや忌避を覚える。
王都を火の海にした元凶、その縁者たるエマと王太子が婚約しつづけることへの、民の感情は、如何なるものか。
(わかっている)
王太子として、カイルは苦しい立場にあった。
◇◇◇
カイルは今、王太子として苦しい立場にあるはずだ。
私は閉じ込められた東翼の宮殿の部屋で、冷めたスープを飲む。
ふだんなら王太子の客人としてあたたかい食事でもてなされるのに、いま王城はそれどころではないのだ。三度の食事が出るだけでもありがたく、申し訳ない。
正宮殿が火に包まれた。
消火活動は迅速だったため全焼こそ免れたものの、複数箇所での放火であったことと、風が強かったこともあり、被害は大きかった。
(王妃さまとお腹の赤ちゃんは大丈夫だろうか……)
そろそろ六ヵ月、お腹が大きくなってきていた。フューがいち早く煙の匂いに吠えてくれたおかげで避難が早かったのは幸いだけれど、
(妊娠中の火事だなんて、心身にどれほどのご負担か……)
こうして部屋から出してもらえないのなら、せめて王妃さまのお身の回りの世話にでも行きたい。今どちらにいらっしゃるのだろう。正宮殿のお部屋は火事で燃えてしまったから、カイルの東翼の宮殿に移られたのか。それとも安全な郊外の離宮に避難されたのか。王城や王都で、なにか私に手伝えることはないか。王都の被害状況は。
私はスプーンを置き、ため息をついた。
(なにもわからない)
(外の状況を知るすべがない)
(もう何日、閉じ込められているだろう)
カイルは忙しく、あれきり顔を見ていない。
この部屋から出して、お嬢さまのもとへ行かせて、と訴えたいけれど、そのために多忙な王太子を呼び立てることも憚られた。
私のことで、王太子である彼を煩わせたくない。
でも、お嬢さまを助けにいきたい。
私は食事を終え、ドアをノックした。ややあって、外の錠前がガチャガチャと開けられる音がした。衛兵に、食事のトレイを渡す。
「ごちそうさまでした、下げていただけますか。あと、いつでも構いませんので、コーヒーミルと豆を差し入れていただけませんか。食事以外の飲み物まで、お手を煩わせたくないので」
衛兵は無言で頭を下げてトレイを受け取り、言葉さえ返さない。私が話しかけることに一切答えてはならないと、カイルに言い含められているのだ。まるで罪人のような扱いだ。
王城滞在中いつも私につけてくれる侍女さんたちも、お妃教育係のグレース夫人も、顔を見せない。
王太子の近侍であるクロードやガウェインやノエル先輩はこんな時だから毎日登城しているはずだけれど、やはり会いにこない。
外界から隔離されている、と感じる。カイルによって。
私に一切の情報を入れないことで、私がなにも判断できないようにしている。ここから逃げるための手段、見張りが手薄になるタイミング、そういったことを。
窓の外を見下ろす。庭にも衛兵が配置されている。ここは二階だというのに、私が窓から壁を伝って逃げるとでも思っているのだろうか?(思っているだろう、これまでの行ないからいって)
初日は一人だったのに、今は三人に増員されていた。
衛兵が頭上を振り仰いだ。目が合う。敏感だ。よほど王太子にきつく警戒を命じられているらしい。
私はそそくさと頭を引っ込めた。
(どうやってここから逃げるべきか)
ぐるりと部屋を見まわす。
ここは私がふだん王城滞在中につかっている、いつもの部屋だ。カイルの隣室。そちらへの扉にも、錠がかかっている。
隣の部屋にカイルが帰ってきている気配はない。ずっと正宮殿に詰めているのだ。火災に遭ったとはいえ、正宮殿はとにかく広い。被害を免れたエリアが対策本部になっているのか。
(カイルは、じぶんがお嬢さまを取り返すと言ってくれたけれど……)
たとえば、自国の国民が誘拐されたからと皇国に申し入れ、返還を要求する。人道的にも国際的にも真っ当な要求だ。けど、
(父親が娘を連れていっただけだと言われてしまえば、それまでだ)
旦那さまは、皇国宮廷の中枢に食い込んでいるという。皇国からしたら、自国の臣の非をほいほい認めるわけにはいかないだろう。
それを強してカイルが自国民の誘拐を主張するなら、それは外交圧力ととられるのではないか。ただでさえ、皇国とは仮想敵国の関係にある。王太子である彼が公的に動けば、事が大きくなりすぎる。両国だけではない、同盟の五か国をも巻き込み、世界を揺るがす事態になりかねない。彼は王太子なのだ。
カイルが私にその場しのぎの嘘をついたとは思わないけれど、
(――もう、待てない)
私は拳を握り締めた。
ここに閉じ込められて、三日。
以前、王太子付き護衛官のトール殿と話したことがある。王太子宝剣事件の、すこしまえ。
誘拐は、起こってしまえば多くは手遅れ。たとえ無傷で奪還できても、誘拐されていたあいだ、一分一秒、恐怖に晒されている。帰ってきてからも一生心身の不調に苦しめられたり、悪夢にうなされたりする人も多い。
旦那さまは、お嬢さまの身体を傷つけることはないだろう。でも、心は。お嬢さまは今この時にも、刻一刻と、傷つけられている。
(これ以上、カイルを待てない)