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この溺愛は政略です! 「貴女を愛することはできません」と言った冷徹宰相に毎晩めちゃめちゃ甘く抱かれてます 上 2

第二話

 

 ときは現在に戻って、婚約破棄劇が行われた直後の王宮である。
 法務官と王太子立ち合いのもと、結婚証明書は発行された。これで、イヴァンゼリンとセオドアは正式な夫婦である。
 夜会は解散となり、ほとんどすべての貴族が王宮から辞した中、イヴァンゼリンは帰宅前に王宮内の応接室に招かれていた。一介の令嬢が王宮の応接室に招かれることなどないから、どう対応していいかわからず、彼女は作った淑女の笑みを貼りつけている。
 応接室のソファセットには、イヴァンゼリン、その隣にヴィクター、その正面に夫になったばかりのセオドアが腰かけている。ここまではわかるが、なぜかセオドアの隣には王太子であるヒューバートも同席していた。
 ちなみに王太子の最側近の護衛を除いて、他の者は人払いをしている。
(さすがにちょっと頭が追いつかないわね……)
 政略結婚の話については相手を聞いていただけだから、この縁談がよもや王太子をも巻きこんだ事態なのだとは知らなかった。考えてみれば税制改革をしたいという話なのだから、宰相以上の人物がかかわっていないわけがないのだが。
 王太子と対面するのは初めてではないものの、さすがのイヴァンゼリンも緊張する。
「ふふっこうしてアリス嬢と個人的に話すのは初めてかな?」
「さようでございます、殿下」
「ああ、かしこまらなくていいよ。普段通りにして。君はヴィクターの妹なんだから。ねえ、ヴィク?」
 ぱちん、とヒューバートがウィンクする。それについイヴァンゼリンは首を傾げた。
「以前から兄と親交がございましたの?」
「うん。ヴィクは貴族派の家門だから表向きには交流できなかったけどね。実を言えばヴィクとセオドアと僕は幼馴染同士なんだ」
「まあ……」
 ずいぶんと意外な組み合わせである。
 王太子ヒューバートは、社交界の羨望の的。鋼鉄の堅物宰相セオドアは恐るべき政治の鬼かつ社交嫌い。そして、兄のヴィクターは、寡黙さで令嬢たちをひきつける社交界の氷の薔薇としてもてはやされている。
 それぞれに話題の人物ではあるし、ヒューバートとセオドアは表で交流しているのを見かけるが、この三人がそろって社交の場で言葉を交わしているところなど見たことがない。何しろ派閥が違うのだ。もし表で三人が親しくしていたら、たちまち噂になっていただろう。
(だから、今回の政略結婚が計画されたんだわ)
 兄のヴィクターはもともと貴族派のやり方に時折嫌悪を示していた。それはきっと、国王派の二人との交流があったからだろう。ヴィクターとしては真意を隠しおおせていたつもりかもしれないが、イヴァンゼリンにはバレていた。
 貴族派が力を持ちすぎては、この先国王派は窮地に立たされるに違いない。今回の政略結婚は、未来を憂えたこの三人が――もちろん国王にも相談はしているだろうが――計画したことに違いない。
 直前までイヴァンゼリンに話が回ってこなかったのは、いたずらに情報を流して混乱を避けるためだろう。
(と言っても、お兄様にはもっと早い段階でわたくしに相談していただきたかったわね。今日なんて肝が冷えたどころじゃないもの。……いいえ、ティムの暴挙を予想できなかったわたくしにも責はあるのですけど)
「さて、じゃあさっそくこの政略結婚のおさらいをしようか」
 なぜか結婚の当事者でない王太子が音頭をとっている。
「まずは、無事の結婚おめでとう。セオドア、アリス嬢。いや、もう侯爵令嬢ではないから、ケイン夫人が正しいかな?」
「ありがとうございます……?」
「ありがとうございます、殿下」
「……ケイン夫人」
 実感が湧かずに内心首を傾げたのはイヴァンゼリンで、折り目正しい礼をしたのはセオドア、そして嘆きの声を出したのはヴィクターである。政略結婚を推し進めた張本人がなぜか凹んでいる。
「それにしてもあんなにうまくいくとは思わなかったねえ。しかも貴族たちが好みそうな劇的な演出でさ、ケイン家とアリス家の結婚なんて夢のようじゃないか。あそこでナッシュがバカ騒ぎしてくれて助かったよ」
 くすくすと笑いながら言うヒューバートに、セオドアが同調する。
「まったくですね。馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたが、あそこまで馬鹿だとは」
「しかし、君たち打合せも何もできていなかったんだろう? よく機転を利かせられたね」
 ヒューバートの言葉に、重々しく頷いたのもセオドアだ。
「おっしゃる通りです。もともと派閥の違う私たちの結婚は、『劇的な恋愛結婚』という設定にする予定でしたが、あそこでアリス嬢がうまく合わせてくれて助かりました」
(そういう設定だったのね?)
 ちら、とイヴァンゼリンがヴィクターを見れば、何やら謝るポーズをしている。キリっとした見た目と違って存外に抜けた兄である。むしろちょっぴり抜けているからこそ普段氷の仮面を被って、周囲を威圧しているのだが。家族や友人たちの前ではそんな仮面は欠片も見せない。
「助かったのはわたくしのほうですわ。ケイン公爵様がうまく誘導してくださったおかげです」
「君たち、もう夫婦になったのに、いつまでその呼び方するの?」
 ヒューバートが面白そうに尋ねる。その言葉で、イヴァンゼリンとセオドアは顔を見合わせた。
「そう……ですね……?」
「ふふ、そうでしたわね」
 セオドアが真顔のままイヴァンゼリンを見つめてくる。なんだかそれが楽しくて、目元が自然と緩んだ。
「では、まず改めてご挨拶を。イヴァンゼリンと申します」
「セオドア・ケインです」
「よろしくお願いいたします、旦那様?」
 呼びかけられたセオドアは片眉を上げる。
「旦那様、というのは少しくすぐったいですね。セオドアと呼んでください」
「わかりました、セオドア様。わたくしのことはお好きにお呼びください」
「では、イヴァンゼリンと」
 目配せしあえば、セオドアの真顔が一瞬だけ微笑む。その表情は硬くないが、『恋愛結婚した夫婦』と言われると少し説得力に欠ける。
「うーん、それにしても、この結婚だけで貴族派たちを牽制できればいいんだけど……」
「そのことについて少しよろしいでしょうか?」
 ヒューバートが顎に手をやって呻くのに、イヴァンゼリンが片手を挙げる。
「なんだい?」
「わたくしたちの結婚は、税制を改革する前の布石。貴族派のアリス家が大々的に国王派に入るのを見せつけることで、国王派を増やすことが目的ですわよね?」
「うん、そうだよ」
 まずは目的をクリアにする。
「ですが結婚だけでは、貴族派を国王派に鞍替えさせるのは難しいと思います」
「だろうねえ」
「その打開策として……わたくしがセオドア様と一緒に『国王派のほうがかっこいい』という空気を作り出せばよろしいのではないでしょうか?」
 この提案に、ヒューバートが吹き出した。ヴィクターが何を言っているという顔をするが、イヴァンゼリンは真面目だ。セオドアは真顔でイヴァンゼリンの顔を見ている。
「かっこいい? ふふっ確かにゴシップ好きなうちの貴族たちには効くかもね。具体的な案があるの?」
「貴族派の方々はノブレス・オブリージュを嫌いますよね。逆に、国王派の方々は率先してやってらっしゃいます」
 この国で言うノブレス・オブリージュとは、貧しい者たちへの施しなどの慈善事業全般を指す。これは、地位ある者はそれに見合った責任や義務を負うべきという価値観である。まさに国王派の考えそのものだ。
 貴族派がノブレス・オブリージュをいやがるのは私腹を肥やせない行動はただただ損をするだけ、というイメージがあるからだろう。ヒューバートたちは頷いてイヴァンゼリンに話の続きを促す。
「ちょっと反則かもしれませんが……サクラを雇って、ノブレス・オブリージュを褒め称えさせるのです」
「うん?」
「貴族派の方々って、気持ちのいいことがお好きでしょう? 大げさに褒め称えれば、活動を真似する方が出ます。気分をよくして国王派に鞍替えもされると思いますわ。ゴシップ記事を書く新聞屋にネタを提供してもいいですわね」
 イヴァンゼリンはここで黙ったままだったヴィクターに顔を向けた。
「その手始めとして……お兄様」
「なんだ?」
「近々、孤児院に寄付をする予定がありますでしょう?」
「知ってたのか」
 当然のようにイヴァンゼリンは言ったが、ヴィクターは表立って動いていない。だから驚いたらしい。目を瞠った兄に、彼女は悠然と頷く。
「もちろんですわ。その寄付のときに、お兄様が直接行って差し上げてください。手土産なんかも差し入れるとよろしいですわね」
「なるほど……」
 それならばサクラを雇って褒め称えさせなくとも、自然に国民から称えられ、名声が高まりそうである。
「ノブレス・オブリージュは気持ちのよいこと、楽しいこと、かっこいいことだと思わせてやればよろしいのです」
「その案はとてもいいですね」
 頷いてくれたのはセオドアだ。
「では、その寄付、ケイン公爵家からもしましょう」
「よろしいんですの?」
「当然です。イヴァンゼリン」
 肯定するその顔はこの部屋に入ったときと同じ、ずっと真顔である。
「国王派筆頭がケイン公爵家ですからね。その策に喜んで乗りましょう。どうせ孤児院には寄付をする予定もありましたし」
「うんうん。いい感じだね。それと同時に君たちの仲の良さもアピールしてくれるかな。夫婦で一緒に孤児院を訪問するといい」
「それがよろしいですわね」
 これで『ノブレス・オブリージュはかっこいい作戦』はまとまった。
 ヒューバートが満足そうに一同を見回したところで、片眉を上げる。そんな王太子の不穏な動作にも、イヴァンゼリンは淑女の微笑みを優美に浮かべたままだ。彼女の笑顔は崩れない。
「しかし……君たち『熱烈な恋愛結婚』という設定で本当に大丈夫かい?」
「と、言いますと?」
「セオドアを好きなふりができる?」
 イヴァンゼリンがピタっと止まった。
「結婚を申しこまれて嬉しくてすぐさま受け入れてしまうほど、セオドアを好きってそぶりを見せるの。どう? できるかな」
 悪戯っぽくヒューバートがイヴァンゼリンを見る。
「……そうですわね」
 寝耳に水の話である。そもそも恋愛結婚という設定自体も、ついさっき聞いたばかりなのだ。もちろん、さっきの婚約破棄の一幕では、その芝居に乗ったのではあるが。
(好きなふり……?)
 ちら、とセオドアのほうを見れば、彼と視線がかちあう。相変わらず彼の表情は真顔なものの、青い瞳が熱心に見つめていたことに気づいて驚いた。けれども、イヴァンゼリンはしっかりと頷く。
「善処いたしますわ」
「できるとは言わないんだね?」
 ヒューバートが目を瞠ったのに対し、イヴァンゼリンはここで初めて眉尻を下げた。
(隠しても仕方ないわ)
「申し訳ございません。わたくしは恋をしたことがありませんので……実を言えば、好きな方への接し方、というのがよくわからないのです」
「なるほど……」
 ヒューバートが口元を覆って呟く。
「だ、そうだけど? セオドア。君がリードしてあげられるかな?」
「当然ですね。私のほうが年も上ですし」
 言下に頷いたセオドアは、真顔のまま堂々と言う。その動じない顔を見て、イヴァンゼリンはこう思わざるを得ない。
(……鋼鉄の堅物宰相様が、『恋愛』って想像がつかないわ)
 ついさっきは微笑んでいたというのに、今は頬の動かし方など知らぬと言わんばかりの真顔だ。
「ふふ、頑張って? 恋をしたことがないっていうなら、イヴァンゼリンにこの結婚はちょっと負担が大きいかもしれないけど……」
「なんの話だ、ヒューバート」
 負担という言葉に、ヴィクターがぴくっと反応する。ちゃっかり名前で呼びはじめていることも含めて、シスコンセンサーに引っかかったらしい。
「政略結婚なら白い結婚も珍しくないでしょう? だけど恋愛結婚となると……」
「あああ……」
 ヴィクターが頭を抱える。そのやりとりで、ヒューバートが何を言わんとしているのかを、イヴァンゼリンは察してしまった。
(どうしてそこでお兄様が嘆くのよ)
 なんだか恥ずかしいことをさせられる気分になるではないか。そうイヴァンゼリンは思うものの、普通に考えたら堂々と語られるようなことでもない。だが彼女は、その決定事項を恥じらいもにじませずに口にする。
「お世継ぎをできるだけ早く作ったほうがいいというわけですわね?」
「だねえ」
 恋愛結婚をしたというていでいるにもかかわらず、いつまで経っても子どもが生まれなければ説得力がない。
 この政略結婚を盤石なものにするためには、できるだけ早く『愛の証』を世に示す必要があるのだ。
「そうですね、貴女の意向を聞かずに進めてしまってすみません」
「いいえ、大丈夫ですわ。政略結婚をする、と伺ったときから覚悟しておりましたもの。お世継ぎ作り。成してみせましょう」
「イヴ!」
 情けない声をあげたのはまたしてもヴィクターである。
(あらあら……眉の下がったお顔)
 社交界に顔を出すときには、きっちりかぶれている氷の仮面が台無しだ。そんな兄の姿に、イヴァンゼリンは作り笑いでなく、ほんのりと微笑んでしまう。
「わたくしにセオドア様と結婚しろとおっしゃったのはお兄様ですのに。どうしてそんなに拗ねていらっしゃるの?」
 くすくすとイヴァンゼリンが笑うと、ヴィクターはますます眉尻を下げる。
「俺が勧めた! そうだが! そうだとしてもだ! ……今日いきなり結婚だなんて思わないだろう!? もう少し心の準備をしてから嫁に出したかった」
 父親よりも父親らしい兄バカである。
「残念だけど、もうイヴァンゼリンはケイン夫人になっちゃったからなあ。今夜が初夜だね」
「「「え」」」
 この王太子の台詞には、他の三人の声が重なった。
「だってそうでしょう? 君たちは今日結婚したんだし。長年秘めた想いがようやく叶った二人が、別々の家に帰るなんて、それこそ不自然だと思わない? だから今夜はケイン公爵家に二人で帰ってね?」
 その言葉は王太子の命令に等しい。
(理には適ってるけど……)
 ヴィクターからセオドアとの婚約を聞かされて以後、貴族の義務として子作りだって受け入れるつもりだったのは事実だ。だがまさか、今夜結婚してすぐに初夜だとは思っていなかった。
「待て待て待て! 俺は認めないぞ! そんなの許せるわけがないだろう!」
「ヴィクは黙って。二人の結婚を決めたときからわかってたことでしょう?」
 立ち上がって抗議するヴィクターに対して、ヒューバートは冷たい視線を送る。それでもヴィクターは喚いていたが、無視したヒューバートはイヴァンゼリンたちに目を向けた。
「じゃあ、子作り頑張ってね。挙式は半年後かな。それまでにできるといいんだけど。期待してるよ」
 この設定の政略結婚劇はもう動きはじめている。引き返す道はないのだ。
「はい……」
「承知しました……」
 二人は頷かざるを得ないのであった。