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ラプンツェルは眠れない 絶倫王子様にひたすら溺愛されました

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本価格:670(税抜)

電子書籍価格:--円(税抜)

  • 本販売日:
    2019/10/17
    ISBN:
    978-4-8296-6886-3
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書籍紹介

ベッドでよがる君の声を毎晩聞きたい

辺境の塔で育てられたユリシアを訪ねた眉目秀麗な青年レオポルド。その熱意に感激し、求婚を受け入れたユリシアは思い切って外の世界へ……。「昼でも夜でも、片時も離れたくない」甘く囁く彼――実は隣国の王子様!? 優しい口づけに心は蕩け、無垢な肌を扇情的に愛撫されれば、初めての快感に震えてしまう。体の奥で蠢く指にいやらしい声が抑えられない。淫らで幸せな結婚物語!

ジャンル:
西洋 | ファンタジー
キャラ属性:
王子・王族・貴族
シチュエーション:
幼馴染・初恋の人 | 甘々・溺愛
登場人物紹介

レオポルド

ペルセリシア王国の第二王子。飄々とした美青年で、身分を隠してシャプロン王国に来たときにユリシアに出会う。

ユリシア

シャプロン王国の辺境の塔で育てられた娘。類い希なる美貌を持ち、教養もあるが、世間を知らない。

立ち読み

「これは大変高価なタペストリーなのでございますよ。ユリシア様のお退屈を紛らわすために誂えたのでございます」
 そう言われても、ユリシアにはその値打ちなどわからなかった。
 高価ということは美徳なのだろうか。
 たいそう大きくて丈夫そうで、彩色本の図柄を糸で表現したものであり、冬は石壁から忍び寄る冷気を遮断してくれるという他に何があるのだろう。
「全部で六揃いありまして、ひとつのタペストリーにふた月分の祭りごとが刺繍されております。こちらは葡萄月で『葡萄狩り』、対になっておりますのは霧月で──」
「これは何?」
 ユリシアは別のタペストリーを指さした。
 そこには何頭かの馬に乗った男や、その周りで地を這うような姿勢をしている犬や、血を流した獣や檻が描写されていた。
「それは狩りの様子でございます。こうして猟犬に獲物を追わせて仕留めるのでございまして、秋から冬にかけて盛んに行われております」
「むごいこと」
 ユリシアは乾いた声で言った。
 どんなに手の込んだ作品でも、それ以外に彼女の心を動かさなかった。
 彼女はもう一度呟いた。
 ──むごいこと……。

 

 

 

 五月に入ったというのに、大窓から吹き込む風はまだ冷たい。
 ユリシアは、厚い壁を掘りぬいて作られた小さな空間に腰を掛けて、鳥籠を見つめた。
 天井から吊るされた鳥籠の中では小夜啼鳥が羽繕いをしている。ユリシアが金の網越しに粟穂を差し入れてやると、小夜啼鳥は愛らしい声でさえずり、器用に穂から粟粒をしごいて食むのだ。
 これは一年前に、ユリシアの気慰めにと乳母のガルトルードが手に入れてきた小鳥だ。
 確かにそのさえずりを聞いたり、止まり木を行き来したり鳥籠の天井に掴まったりする姿を見ているといくぶん和むが、最近ではそれでも彼女の鬱々とした心は晴れない。
「ねえ、外に出してあげたらこの子は喜ぶかしら?」
 ユリシアがそう尋ねると、部屋の隅に屈んで針箱を探っていた乳母が言った。
「そうでございますね。喜びはするかもしれませんが、三日ともちますかどうか」
「どうして?」
「それは飼い慣らされた小鳥ですから、自分で餌を探す術を知りません。ユリシア様がそうして給餌なさっているからこそ日々無事でいますが、野生で生きるようにはできていないのでございますよ」
 それではこの小鳥に翼のついている意味がないではないか、と思う。ユリシアは窓辺に立って目を閉じ、小鳥を逃がす光景を思い描いた。
 彼女は鳥籠に手を入れ、小夜啼鳥を人差し指に止まらせると、そっと籠から引き出す。そしてその手を窓の外へと伸ばしてやるのだ。小夜啼鳥はしばらくは戸惑い、警戒しながら二度、三度と羽ばたきの練習をするだろう。
 だが、それから空へ飛び立つかどうかは、ユリシアにはまだ想像できない。
 ユリシアは目を開け、窓の外を見た。
「外に出ると小鳥はどうなるの?」
 すると、乳母の非情な答えが返ってきた。
「鷲やカラスに襲われるか、運よく逃れたとしてもやがて飢え死にするでしょう」
 ユリシアは眉をひそめた。落とし格子の嵌った窓から見下ろせば、いつもと変わらない風景が広がっている。
 ここはドミンヌ峠の城跡で、城主一族は大昔に滅びたらしい。城は塔以外、崩れ落ちているが、城壁はほぼ残っている。
 瓦礫と化した城の廃墟で、ユリシアは唯一まともに残っている、おそらく領主の居室であったであろう石造りの塔に住んでいるのだ。
 城壁のさらに向こうで、何かが動いているのが見える。
「──行列だわ。巡礼に行くのね?」
 ユリシアは麓の村を見下ろして言った。時折、異教徒の国カルストックにある聖地を目指す巡礼者たちが通るからだ。しかしガルトルードの答えは違っていた。
「いいえ、あれは村の民です。早いもので、魔除けの十字架を地に刺して豊穣を願う、そんな季節になったのでございますね。──さ、今日はこのドレスを着ていただきます」
 そう言って、乳母は一揃いの衣を両手で掲げた。
「そう……でも魔除けって何? あの村には悪魔が住んでいるの?」
「まさか、そんなものは迷信でございますよ。ただ、遅霜が降りればせっかく植えたものが台無しになってしまいますし、作物の病気が出て枯れてしまうことも……それは村人が何よりも恐れているものでございます。防ぐ手立てがなければ、神に祈るしかありません……ユリシア様、袖にお手をお通しくださいませ」
 黙々と働く乳母に身を任せるユリシアの心には虚無感と焦りがくすぶっていた。
 この感情が何なのかわからないが、ガルトルードはそれは『アドレソンス』なのだと言う。それは『誰もが味わう、大人になるための通過儀礼』らしい。
『アドレソンス』とはやっかいなものだ。
 ガルトルードが気晴らしにと持ち込んでくる楽器を奏でても、歌を歌っても、小鳥を愛でても、何をしても気持ちが晴れない。
 物心ついてから、この石造りの塔と城壁内の敷地だけが彼女の世界だった。
 見下ろす村には人々が寄り添って暮らしているというのに、この自分に関心を寄せてくれる人は誰もいない。
 ユリシアは時々それを思うと泣きたくなる。
「天気ひとつであの者たちの暮らしは悲惨なものになってしまいます。哀れなものですよ」
 ガルトルードの蔑んだような言葉にユリシアは反駁した。
「それでもあの人たちは幸せそうに見えるわ。あんなふうに助け合って……わたしは誰からも忘れ去られてしまっているんだもの、囚人よりも惨めよ」
 実際には、ユリシアは囚人など見たこともないのだが、ガルトルードが教えてくれた限りでは、悪いことをすると牢獄に閉じ込められて長い年月を過ごさなくてはいけないらしい。悪いことをした覚えはないが、自分もそれに似ているとユリシアは思う。
 しかし、囚人ならその『悪いこと』によって被害を被った人物だけは覚えてくれているだろうが、ユリシアにはそれすらもないのだ。
「そんな罰当たりなことをおっしゃってはなりません、ユリシア様。囚人には重い鉄の足枷がついておりますし、中庭を歩き回ることも許されません。それに天蓋垂れ幕付きのベッドになど寝ることもできませんし、このような雅やかなドレスを着ることも、湯浴みすることすらできませんよ」
「でも、ガルトルード……」
 反論しようにも、ユリシアは自分でも何が不満なのかよくわからない。ガルトルードが言うなら、それが正しいのだろう。きっとこの境遇に不満など言ってはいけないのだ。
「つまらないことをおっしゃらずに、どうかお手をお通しになってください」
 ユリシアは白絹の上衣を両肩に覆い被せられると、肘に幾重にもレース飾りを重ねた瀟洒な袖に手を入れた。
 彼女が人形のように立っているだけで、まるで赤子を寒さから守ろうとでもするように、乳母が何層もの布を巻き付けていく。
 ガルトルードが自分にとってどういう存在なのか、ユリシアにはわからない。
 ユリシアから見ると親子ほどの年の差があり、きっちりと結い上げた黒髪には白いものが混じってきた。その上、どうやら新しいドレスの仕上げに夜なべでもしたのだろう。目の下がどす黒くなって肌にも艶がなく、今日はことさら老けて見える。
 乳母は慎重にユリシアのドレスの丈を確認し、袖のレースの重なり具合を整えたりした。
 さらに淡いブルーのストマッカーと、青いアンダースカートで下地を作ると、その上に水色の前開きのオーバースカートを重ね、両脇を垂れ幕のように束ねて見せた。
「ちょうどいい丈に仕上がりました。間に合ってようございました。こちらも合わせてくださいませ」
 乳母はそう言って白い手袋を掲げた。ユリシアは黙ってそれに手を入れる。
 指の一本一本を手袋に添わせる間も、実のところ、彼女はこの装いに何の意味があるのかわからなかった。どこへ出かけるわけでもないのに、昼間は昼のドレス、夜は夜のドレスを着せられるのが当たり前の日常になっているだけだ。
「首飾りは真珠にいたしましょう。それでよろしいですね?」
「わたしはなんだってかまわないわ。ガルトルードに任せておけば間違いないし、誰に見せるわけでもないじゃないの」
 少々言葉に棘を含んでしまい、ユリシアは言い過ぎたと思った。
 彼女はガルトルードが首飾りをつけやすいように、首筋のところで黒く長い髪をふわりとかきあげた。いつもガルトルードが褒め上げるのだが、ユリシアの髪は他に例を見ないほど美しく艶やかで、もったいなくて切ることができないという。
 そのため、ゆるやかにうねる黒髪は、背中を覆い隠し、くるぶしに至るほど長い。
「ところが、今日は違うのでございますよ、ユリシア様」
「え、何が?」
「実はこれから町に下りて教会に行くのです。ですから衿の高い外套をお召しになっていただきます」
 ガルトルードの言葉は衝撃的だった。
「教会へ? わたしが?」
 ユリシアは異教徒ではないが、人々が日曜ごとに祈りに行くというその場所へ行くのは物心ついて初めてのことだ。洗礼を受けた時は赤ん坊だったから覚えていない。
 というよりむしろ、この塔から外へ出てもせいぜい崩れた城壁までが限界だ。
「ど、どうして急に?」
 ユリシアは少し怯えて言った。
「ユリシア様をひと目見たいとおっしゃる方がいらっしゃいますので」
「誰、それは? 男? 女?」
「男性とだけ……まだ詳しくは申せませんが、立派な地位あるお方です」
「その人はどうしてここに来ないの?」
「そのお方は大変忙しくしておられて、このような山奥までおいでになることができないのですが、ユリシア様のご成長の様子をひと目見たいと仰せなのです。ですから囚人より惨めだなどとは決してお考えになってはなりません」
「わかったわ」
 ユリシアは平静を装っていたが、内心はドキドキして息苦しいほどだった。
 十七年放っておかれたのに、自分に会いたがっている人がいるなんて……!
 ──男性といったわね。年はいくつぐらい? 立派な地位ということは大人でしょうね。そんな人がわたしになんの用かしら?
「それで……わたしたちが教会へ行くと、その人もやってくるというわけなのね?」
「はい。教会には司祭がおりますし、他にも多くの人間が祈りのためにやって参ります。人が多くて驚かれるとは思いますが、祈りとは心静かにするものでございますから、ユリシア様は誰とも口を利く必要はございません。ご安心ください」
 窓から外を見おろせば、霞むほど遠くに教会の尖塔が見える。そんな所まで自分は歩いていけるのだろうかと、ユリシアはまた心配になる。
「──そこは遠いの? いつも微かに聞こえる鐘を鳴らしているあの教会ですら世界の果てのような気がするわ」
「少々遠いのではございますが、馬車が迎えに参ります。ユリシア様ご自身はたいして歩くことはございません。外に出られるのはお嫌ですか? もしそうならやはり──」
「行くわ! 嫌なんかじゃないわよ」
 ガルトルードが外出をとりやめにするのではないかと思い、ユリシアは慌てて言った。
 乳母は、この塔と外の世界を繋いでいる唯一の存在だ。
 そしてユリシアに世界がなんであるかを教えてくれた人物である。ユリシアが生まれ育ったこの場所は、シャプロン王国の西端で、西隣はペルセリシア王国、カルストック国、東はエナン大公国など、この世界はさまざまな国で成り立っている。
 それぞれの国は国王や大公などの領主が治めているが、それとは別に、聖職者の頂点として、いくつかの国にまたがって広く影響を及ぼす教皇聖下がおられる──が、先般身罷られ、今は空位なのだとか──この関係性については何度聞いても理解に苦しむ。
 彼女はそういった知識も行儀見習いも言葉遣いも全て乳母から学んだ。
 子どもの頃は、ガルトルードの真似をしてへりくだった話し方をしていたが──見本が彼女しかいなかったので当然の結果である──それは修正された。
「この世には、身分の上下というものがございます。ユリシア様とわたくしで言うならば、ユリシア様が上にお立ちになるのです。逆に、国王陛下をはじめ高位の爵位を持つお方を目の前にした場合は、わたくしのような言葉遣いをすればよろしいのです」
 幼いユリシアはその説明ではなかなか呑み込めなかったが。
 一言一言、語尾を何度も直させられて、今のような物言いになったが、目上も目下もよくわからない。
 そして、品格ある身分の令嬢はこうしてひと目に曝されることなく静かに過ごすものだとずっと諭されてきた。

 そのガルトルードから「外は危険だらけでございます」と幾度となく注意を受けてきたからか、見たくてたまらないのに、いざ出かけるとなると少し怖い。
 ──でも、外がどうなっているのかは絶対に確かめなくちゃ。これまで想像してきたいろいろなものをこの目で見ることができるのなら……!
「ただ驚いただけよ。でもそれならそうと、もっと早く教えてくれればこんなにびっくりしなかったのに……」
「申し訳ございません。昨日話せば眠れなくなってしまうと思いましたので。……本当は出かけなくてすむものなら、わたくしもお出ししたくないのですよ。面白いものなど何もない、つまらないところでございます。ユリシア様はここで何不自由なく暮らすことがおできになるのですから」
 ガルトルードがそう言った時、城壁の外で車輪と蹄の音が聞こえた。
「ユリシア様、迎えの者が参りました」
「……もう?」
 ユリシアの心臓は破裂しそうだった。
 なんの予告もなく突然解放されて、ただ戸惑うばかりだ。

 *   *   *

 ユリシアとガルトルードは連れだって、人ひとりがやっと通れるだけの狭い螺旋階段を下りた。四階のガルトルードの居室には入れるが、三階はバルコニーが脆くなって壊れかけているので開かずの間となっている。
 二階まで来てようやく大階段のある玄関ホールに出る。
 重厚な扉を開けると右手に井戸穴が通っているのが見え──これは地下から五階の浴室まで繋がっている──そして前方には地上へ下りる幅の広い石の階段がある。
「足元にお気をつけください、ユリシア様。ここがいちばん危険でございますから」
 毎日のように散歩に出るのに、一度も欠かさず同じ注意を繰り返し、ガルトルードは一歩先に下りてユリシアの手を取って下りていく。
 できれば十日も前に知らせてほしかったと思う。もしそうなら、ユリシアはその十日間をどれほどうきうきと過ごせただろうか。二重扉になっている城門の内扉を開けると、そこには馬車が待っていた。
「昔お乗せした時には、ユリシア様はお小さくて覚えていらっしゃらないでしょうから、ご覧になるのは初めてでしょうかねえ。さ、ゆっくりお上がりくださいませ……」
 御者はユリシアたちを見ると軽く頭を下げた。ガルトルード以外の人間が物珍しく、ユリシアはじっと彼を見ていたが、すぐに乳母に急き立てられてしまった。


 それからしばらくの間、馬車に揺られると、教会前広場に着いた。
 ユリシアの住んでいる塔は大きいものと思っていたが、教会の尖塔はもっと高く、その天辺を見定めようとすると頭がくらくらした。
 それだけでなく、教会前の広場の騒々しいことといったら、ユリシアは思わず耳をふさぎたくなった。
 ガルトルードは教会の入り口でコインをひとつ持たせ、お布施入れの箱に入れるようにと耳打ちしたので、ユリシアはそのとおりにした。
 教会の天井は恐ろしいほど高くて、窓は美しく彩色されている。本で見たから知っているが、あれは薔薇窓というものだろう。
 だが、本ではわからなかったことがある。匂いだ。
 それは、祭壇の近くで焚かれている香炉から発していて教会全体に広がっており、煙たい中にうっとりするような高雅な香りが混じっていた。
 司祭が祈りを唱えている間、ユリシアはガルトルードの袖にそっとつかまったまま、その手を離せなかった。祈りの後、司祭は古の聖人の説法をした。
 なんでも受難を負った救世主の肉体と同じ場所に、何もしていないのに自然に傷が現われた──それを『聖痕』というらしい──男の話で、彼は後世に名を遺す聖人に列せられたという話だった。
 説法を聞きながら目だけを動かして周りの人々を盗み見る。
 ユリシアは彼らを見るだけで動悸がした。
 この世に自分とガルトルード二人しか存在しないなどとは思っていなかったが、突然開けた新しい世界にはなんとたくさんの人がいるのだろう。
 それに、ユリシアを見たいといった人物がどこにいるか知らないが、皆が静かに司祭の話を聞いているので、ガルトルードにそれを尋ねることもできない。
 やがて典礼が終わり、人々はざわざわと教会から出ていった。ガルトルードはそういった人々について行くことはなく、教会の奥の階段へと進んだ。
「こちらでございます、ユリシア様」
 それはさきほど聖歌隊が並んでいた張り出し通路で、今は誰もいない。乳母はユリシアを従えて、高欄のある中二階を用心深く、柱を一本ずつ指さして数えながら歩き、ふいに立ち止まった。
「一、二、三……七本目、ああ、ここでございます、間違いありません。ユリシア様、ここでしばらく待ちましょう」
 それは、教会の側廊のアーチ窓の辺りで、人混みに紛れることなく教会前広場を見下ろすことができた。
「わたしに会いたいという人がここに来るわけなのね?」
 そう言って教会の床を見下ろすと、ガルトルードはそうではありません、と窓の外を指さす。
「教会前広場においでになるのですが、広場では人が多すぎます。どうぞそのまま──あちらの市場のほうに視線を合わせますとちょうどよく見えます。そうです、そのまま動かれませぬよう」
 ガルトルードに言われるままに、教会の窓から広場の奥の正面に並んだテントを見る。どこからやってきたのか、いつもそこで商いをしているのかもわからないが、さまざまな商人が平台に品物を並べていた。
「じゃあ、その人が来たら教えてちょうだい。……あれは何? ガルトルード」
「あれは果物売りですよ。マルメロやリンゴ、オレンジ──異国から運ばれた珍しいものもありますね」
 それを食べたいとは思わなかったが、遠目にも色鮮やかで美しいのがユリシアには面白かった。
「あの人は何をしているの?」
「大道芸人でございます。ああして曲芸を見せては見物客から金をもらい、日銭を稼いでどうにかこうにか生きているのですよ」
「まあ……」
 曲芸とか日銭とか、ガルトルードの説明には耳慣れない言葉があったが、飽かずに眺めていられる。
 広場には実に多くの人間がひしめいていた。裕福な身なりの女が買い物をし、子どもは曲芸に見入る。年寄りもいれば、肌の色も違うさまざまな人々が歩き、会話し、立ち止まり、そして笑っている。
 世界の全てを見たかのように思えて、ユリシアは胸の高鳴りを抑えられない。
「それで、わたしに会いたいという人はまだ来ないの?」
「もうすぐでございます」
 しばらくすると縁の欠けた碗を手に、腰の曲がった男が歩いていくのが見えた。
 ──もしかして、わたしを見たいというのはあの男?
 そう考えて、すぐに心の中で打ち消した。
 ガルトルードは地位ある人と言っていたからだ。ユリシアは小声で乳母に尋ねた。
「ねえ、あの人は何をしているの?」
「あれは物乞いでございます」
 二人が見下ろしていると、よろよろと歩く物乞いに見知らぬ女性が近づいてきて、その碗にコインを入れた。
「あの碗はお金を入れるものだったのね。わたしも後で下りたらあのようにするわ」
「とんでもございません! 決して近づいてはなりません」
 と、ガルトルードは冷淡なそぶりだ。
 少し離れた場所では、鳴り物をかき鳴らして歌っている男がいた。
 ──あれも曲芸のひとつかしら。でも、こちらを見ている気配はないから目当ての人とは違うわね。
「ねえ、ガルトルード。まだなの?」
「お静かにお待ちくださいませ。もうすぐでございます」
 ユリシアは姿勢を正した。やがて教会前広場を荘厳な行列が近づいてきた。
「ユリシア様、ご覧ください。国王陛下のお目見えでございます」
 ガルトルードが上ずった声で言った。
 先頭には頭上に冠をいただき、赤いマントを着た男性が歩き、その後ろには、司教らしい宝冠を被った聖職者、帯剣した護衛の騎士が数人、修道僧らしい質素な頭巾つき衣を着た男などが連なって歩いていく。
「国王陛下、万歳!」
「王様、万歳」
 という声が市民から上がり、おびただしい人々が群がって大混雑を極めた。
「ガルトルード……、あれが国王陛下なの? 本物の?」
 というのは、ユリシアはタペストリーでしか見たことがなかったからだ。
「はい。ユリシア様、軽くお手をお振りくださいませ」
「えっ……ええ、でもこんな高いところからいいのかしら」
 ふとそんなことを心配しながらも、あんなにたくさんの市民に囲まれた国王陛下が、こちらに関心を持つはずがないと、ユリシアはしずしずと手を振った。
 その瞬間、陽光が王冠に反射してきらりと光り、国王陛下の顔がこちらを向いた。
 国王陛下は白い髭を生やした赤ら顔で恰幅のよい体格をしていた。その緋色のマントの美しいことといったら。金糸をふんだんに使って刺繍を施してあるだけでなく、彼の持っている杖も黄金に輝いている。
 王がその杖を一瞬持ち上げると、民衆がまたひときわ大きな歓声を上げた。
「国王陛下に栄光あれ」
「万歳、万歳!」
 王を歓待する声はさらに高鳴った。
 その行列が通り過ぎて広場がいくらか静まると、ガルトルードは言った。
「ユリシア様、もうよろしいですよ。さあ、足元にお気をつけてゆっくりとお下りくださいませ」
 もしやこの外出は、国王陛下を間近に見られる僥倖をユリシアにも分けてくれようという乳母の親切心だったのだろうか。それならこの後ももっと楽しいことが待っているに違いないと期待していたが、ガルトルードは教会を出ると、きっぱりと言った。
「さあ、後は帰るだけでございます。馬車に戻りましょう」
「えっ? でも──」
「用事はすっかり済みましたので……。ユリシア様もさぞお疲れでございましょう?」
「でも、わたしに会いたいという人はどうしたの? 来なかったの?」
「いいえ、お出でになりましたとも。たった今、目の前を通り過ぎなさったのです。はっきりとユリシア様をご覧になったのは間違いありません」
「ええっ? あの行列の中にその人がいたというの? ガルトルードが紹介してくれるとばかり思ったのに! 二番目に歩いていた司教様? それとも騎士? それとも──」
「後見人になられるお方は三番目に歩いていらっしゃいました」
「王様ばかり見ていて覚えていないわ……なぜ先に教えてくれなかったの? そうとわかっていたらもっとよく見たのに」
「先方様の承諾があれば、いずれ顔合わせの並びとなりますからお待ちくださいませ」
 そう言って、さも肩の荷を下ろしたような顔をしているガルトルードに、ユリシアは怒りを覚えた。それではまるで自分は陳列台に並んだ果物みたいに、一方的に値踏みをされたようなものではないか。
「承諾って何? 人をここまで呼びつけておいてあちらは正体を曝さないなんて無礼な人じゃない」
「ユリシア様……めったなことをおっしゃってはなりません」
「わたしはただじろじろと見られ、品定めされ、気に入らなければその相手が一生わからないというわけ? せめてどんな相手か知りたかったのに……」
「どうか堪えてくださいませ。広場は思いのほか人が多くてわたくしも驚いております。早く塔に戻られたほうがいいかと──」
 ガルトルードの言葉に震えが来た。このまま帰ればあの塔にまた閉じ込められるのだ。そして、また世界に忘れ去られてしまう。それは、この雑踏と喧騒を知ってしまった身では、昨日までの自分よりも耐え難いことに違いない。
「嫌よ……まだ帰らないわ。まだ何も見ていないし、誰にも会っていないもの」
「ユリシア様は今日はひどく気が高ぶっておられますね。わたくしはそれを案じておりました。どうか今日のところはお聞き届けください。それにこんな人込みではぐれでもしたら大変なことになります」
「どうして気が高ぶってはいけないの? じゃあ次はいつ外に出してくれるの?」
「頃合いを見計らって必ず近いうちに」
 ユリシアはガルトルードを凝視した。その表情はどことなくよそよそしく、灰色の瞳はひどく虚ろだ。彼女は何かを隠しているのだ、とユリシアは思った。
「さあ──お戻りを」

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