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ずっとあなたを愛してた
王妃と侯爵

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本価格:670(税抜)

電子書籍価格:--円(税抜)

  • 本販売日:
    2019/11/18
    ISBN:
    978-4-8296-6888-7
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書籍紹介

許されないと知りながら、惹かれあう心

「どうしようもなく、好きなんだ」国王のもとを離れたプリシラを待っていたのは、出会って以来密かに想い続けた初恋の侯爵ジョシュアからの求婚だった!? 彼も私を愛してくれていたなんて……! 「私でいっぱいにしてあげる」すべてを奪うような激しいキス。感じやすい胸や熟れた内奥を愛撫されれば、心も身体も甘く蕩けてゆく。長い長い片恋からの、最高のハッピーエンド!

ジャンル:
西洋 | ファンタジー
キャラ属性:
クール
シチュエーション:
幼馴染・初恋の人 | 新婚 | 甘々・溺愛
登場人物紹介

ジョシュア

国王ルークの側近で後の宰相。ルークが抱えた辛い過去を慮って心を尽くすプリシラに惹かれている。プリシラが離縁すると聞いて真っ先に求婚した。

プリシラ

十五歳でローレンス王国国王に嫁いだが、十年間子ができなかったため国法に則り離縁することになった。いつも気遣ってくれるジョシュアを密かに想っていたが……。

立ち読み

 プリシラは窓枠に手をかけ、深々と息を吸い込んだ。
 高台に位置する白亜の王宮の一角──新たな王妃の為に整えられた『南の宮』からは王都を一望することが出来る。
 堅固な石造りの建物がひしめく街並みは大層な賑わいを見せており、多くの人々が忙しなく行き交っている。行商人が引く馬に括りつけられた重そうな荷物や、住宅の屋上に干された洗濯物を眺めた後、多くの出店が軒を並べている一角に目を向けた。目を閉じて耳を澄ませば、人々が楽しげに買い物をする声が聞こえてきそうだ。
 大陸でも有数の商業国として名高いローレンス王国の日常の風景が、視界いっぱいに広がっている。
 国王と王妃を先月喪ったばかりとは思えないこの平穏な情景が、忠臣の献身により守られていることを、今のプリシラは知っていた。
「お嬢様、あまり身を乗り出されては危のうございますよ」
 両手いっぱいにドレスをかかえたメイドが、軽く注意をしつつ背後を通り過ぎて行く。
 プリシラはくるりと身を翻し、室内へと向き直った。
「大丈夫」そう返事をしようにも、声をかけてきたメイドは衣装室へと消えた後で、今は誰もこちらを気に留めていない。実際、それどころではないのだ。マレット公爵が一人娘に持たせた支度品の数は膨大で、のんびり片付けていては式に間に合わない。
 プリシラは二週間後、十五歳という異例の若さでローレンス王国の王妃になる。
 結婚相手であるルーク王子の顔は、絵姿でしか見たことがない。
 王子はプリシラより一つ年上で、今年十六になったところだ。国を背負って立つには若過ぎるが、亡き国王夫妻の子は他におらず、王位継承権を持つ者は今では彼一人しかいない。両親の死を充分に悼む間もなく王位を受け継ぎ、王妃を娶らなくていけない王子の心情はいかばかりか、少し考えただけで胸が痛む。
 プリシラの憂鬱に拍車をかける要因は他にもあった。
 ルークは現在心を患っており、特に女性に対しては拒否症状が激しいというのだ。
 もしかすると、結婚式で隣に並ぶことすら出来ないかもしれない。
 プリシラはわざと明るい声を出し、湧き起こってくる不安を封じ込めた。
「ねえ、私にもなにか手伝えることはない?」
 動いた方が気が紛れるのではないかと思ったのだ。
 家を出る時に着せられた豪奢なドレスは、王宮に入ってすぐに着替えた。
 ルーク王子や重臣達との顔合わせは、来週と決まっている。誰にも会う予定がないのなら、豪華過ぎて所作に気を遣うドレスを纏う必要はない。
 今着ているシンプルな白のドレスは、レースやリボンなどの装飾が控えめで非常に動きやすい。この恰好なら、気兼ねなく片付けに参加出来る。
 ところが返ってきたのは、「何もございません」「どうぞ大人しく過ごして下さいませ」という声ばかりだった。プリシラと共に王宮に上がった使用人は、公爵からの信頼が厚いベテラン揃いで、自分達の仕事を誰かに、ましてや主人に任せたりしないのだ。
「せっかく着替えたのに……」
 プリシラは溜息まじりに呟き、窓の外へと視線を戻した。
 目に映る風景は変わらないのに、先程のようにゆったりとした気持ちで眺めることは出来ない。荷解きに誘発された不安が、純白の布地に落ちたインクのように広がっていく。
『──無理強いはしない。いや、出来ない。君が決めなさい、プリシラ』
 プリシラの父、マレット公爵は怖いくらい真剣な顔でそう言った。
『ルーク様は即位する覚悟を固めて下さった。だが、例の件で負った心の傷が癒えたわけではない。おそらく、王妃となる女性は大変な苦労をすることだろう。今のルーク様に必要なのは、生身の人間ではない。この国で二番目に高い地位と多大な名誉は得られるが、人並みの幸せは期待できない』
 彼がそこまで言うからには、恐らくそうなのだろう。
 張り詰めた空気は、本来舞い上がってもおかしくない国王との縁組が朗報ではないことを告げている。
 だが元々政略結婚とは、愛より益が重視されるものではなかったか。
 彼が何をもって『人並みの幸せ』と言っているのか分からず、心の中で首を傾げる。
 プリシラは公爵家の姫だ。何不自由ない暮らしを送る代わりに、いずれは家や国の為に嫁ぎ、ローレンス王国の発展に尽くすよう教えられてきた。物語や芝居に描かれているような恋愛が出来ると思ったことは一度もない。
 もしも周囲を魅了せずにはおかない美貌を備えていたのなら、もっとロマンティックな未来を夢見たかもしれないが、生憎そうではなかった。
 くすんだ金色の髪にブルーグレーの瞳。地味な顔立ちは時折「繊細」だと褒められることもある。とびきり頭が良いわけでもないし、一通りの教養は身につけているものの特に秀でた分野もない。
 誇れるのは家柄だけという平凡なプリシラが、この国の王妃に、と請われているのだ。
 たとえ女として愛されずとも、王妃として尊重されるのなら、それは充分に幸せな人生と言えるのではないだろうか。
 どちらにしろ、二十歳までには結婚相手を決めなければならない。
 相手が国王だろうが誰だろうが、父が受けてもいいと思った縁組を受けるまでだ。
『……お断りしたら、どうなるの?』
 じっとこちらの返答を待つ父に、一応尋ねてみる。
『どうにもならない。君がもう少し大人になってから、他の縁談が来るだけだ』
 公爵は少し笑って、答えた。
 妻の隣で寛いでいる時の、どこか抜けた笑みではなかった。外務大臣である彼が、家に来る部下達に見せる笑顔だ。
『例の件って、何のこと? 両陛下が身罷られたこと?』
 彼の話の中で気になったのは、人並みの幸せは期待できないという一節だけではなかった。例の件で負った心の傷、という言葉に触れると、彼は困ったように眉根を寄せた。
『聞いてしまえば、この話を受けるしかなくなる。それでも聞きたいかい? よく考えるんだ、プリシラ。結婚とは名ばかりの、重大な仕事に就くことになるんだよ』
 公爵の謎めいた問いかけに、プリシラは結局頷いた。
 彼が隠していることを知りたいという好奇心に負けたのだ。
『そうか。……分かった』
 公爵は短く呟き、人払いを命じた。
 二人きりになった書斎で、ルークの身に起こった一部始終を聞かされたプリシラは、己の選択を激しく後悔した。
 彼が警告した通り、安易な気持ちで首を突っ込んでいい話ではなかったのだ。
『──前国王夫妻は、病死ではない。レイモンド王弟殿下に弑されてしまった』
 ぎりぎりまで絞られた声が形作った言葉に、大きく目を見開く。
『レイモンド殿下は視察先で事故死したことになっているが、本当は彼による無理心中だったんだよ、プリシラ。私達は、ルーク王子以外の王族を一度に喪ったんだ』
 あまりにも凄惨な話に、理解がついていかない。気づけば勝手に膝が震えていた。
 公爵はプリシラに手を差し伸べ、近くの椅子に腰かけさせる。
 そのまま片膝をつき、プリシラの顔をじっと見上げて説明を再開した。
 ルーク王子の精神は、ぎりぎりのところで崩壊を免れている。そう彼は言った。
 本来ならば、どこか静かな場所で長期的な休養を取らなければならない状態なのだが、ルーク以外に王位継承者はいない。
 しかもルーク本人が、自らの責任を果たしたがっているという。
『今回選ばれる王妃は、ルーク様が成長して落ち着くまでのいわば繋ぎだ。王妃には、ルーク様を見守り、支援する役割が求められる。愛し、愛される関係は期待されていないし、そもそも不可能だ』
 公爵の話に、プリシラは蒼白になった。
 上手くいかなかった場合の結末が脳裏を過ぎる。もしプリシラが失敗すれば、この国は立て続けに国王を失うことになるのではないか。
 身震いするプリシラを見つめ、公爵は苦しげに眉根を寄せた。
『言っておくことは、もう一つある。王室規範により、十年子が出来なかった王妃は実家に帰されることになっている。だがそれより先に、ルーク様が本当に娶りたい相手を見つけた暁には、速やかに王妃の座を退いて欲しい』
 公爵は言い終えると、きつく唇を引き結んだ。
 こんな台詞言いたくはなかったと、彼の顔には書いてある。
 プリシラは奇妙なほど落ち着いた気持ちで、父の通告を受け入れた。
 終わりの見えている婚姻を結ばなければいけないことより、期待されている役目をきちんと果たせるかどうかの方がやはり気になる。
 押し黙ったプリシラを見て、公爵は憐れみと悲しみが入り混じった表情を浮かべた。
『君は全てを、この国に捧げねばならない。大切に慈しまれることはなく、見返りのない献身の日々を過ごすことになる。おそらく子は持てないだろう。いずれ離縁出来たとしても、過ぎ去った若さは戻らない。……すまない、プリシラ。本当にすまない』
 血を吐くような謝罪に、プリシラは無言で首を横に振った。
 おそらく父は、娘が好奇心に抗えないことを知っていた。知っていて、話を続けたことを謝っている。
 だが、公爵を責めることは出来ない。
 一連の話を聞いて、プリシラはおおよその事情を理解した。
 ルークと結婚するのは、他の誰でもなく自分でなければならなかった。選択肢など最初からなかったのだ、と。
 マレット公爵が若き国王を公に庇護する為には、義理の父という立場が必要だし、秘密を共有する相手は、慎重に選ばなくてはならないから。
 前国王夫妻が、王弟レイモンドが起こした無理心中により亡くなったこと。そのせいで唯一の跡継ぎであるルークが壊れかけていることが知れ渡れば、国中が混乱してしまう。
「──お嬢様、リボンが!」
 回想に耽っていたプリシラは、メイドの高い声にハッと我に返った。
 視界の端を艶やかな紺色が過ぎっていく。
 家を出る前に母が結んでくれたリボンの色だ、と気づいた時には遅かった。
 知らぬ間に緩んだらしいリボンが、プリシラの癖のない髪からするりと抜け落ち、窓の外へと落ちていく。
「あ……!」
 リボンを追って精一杯伸ばした手は、むなしく空を掻いた。
 そのまま風に飛ばされて見えなくなれば諦めもついたが、リボンは窓の真下の芝生にふわりと着地した。一面の緑の中、ちっぽけな紺色が所在なさげに横たわっている。
 リボンなら使い切れないほど持っていた。
 だが母が手ずから結んでくれたのは、あのリボンなのだ。
 鏡越しにこちらを見つめる母の瞳が涙で潤んでいたことを思い出し、ぎゅっと拳を握る。
「私、取って来る」
「それなら、私が──」
 侍女が声を上げたが、プリシラは「いいえ、大丈夫」と断った。
 結婚が急に決まったことで、一番割を食っているのはプリシラ付きの使用人達だ。ただでさえ忙しい皆の手を煩わせるわけにはいかない。
「することがなくて退屈だったし、ちょうどいいわ。ついでに見回ってくる」
「では、誰かお供をお付けしましょう」
「それも大丈夫よ。この南の宮はどこより安全だと、お父様が仰っていたもの。マレット家の者以外は早々立ち入れないようにしてあるんですって」
「では、外には出ないで下さいね。それと、あまり遅くならないで下さい」
「分かった、約束する」
 屈託ない笑みを拵え、明るく請け負う。
「素敵なところですものね。お嬢様がはしゃぐお気持ちも分かります」
 別の侍女が笑いながら言うと、皆が一斉に頷いた。
「先代の王女殿下が使っておられた宮殿なのでしょう? わざわざお嬢様の為に空けて下さるなんて、破格の待遇ね」
「それほどお嬢様が望まれているということよ。身内ばかりの安全な場所にして下さったのも、お嬢様のお心を慮って下さっているからだわ」
「どうかしら。公爵様が娘可愛さに、無理を通されたのかもしれなくってよ」
 軽口を叩きながら笑いさざめく彼女達を、どこか懐かしい気持ちで眺める。
 今までのプリシラなら、一緒になって笑っていただろう。
「……お嬢様? ぼんやりして、どうされました?」
「何でもない! じゃあ、行って来るわ」
 プリシラはにっこり笑って、扉へ向かった。
 周囲には自分が、明るい未来に胸を弾ませているように見えている。
 それでいい。いや、そうでなくてはならない。
 秘密は誰にも明かせない。何か悩みがあるのでは、と彼女達に思わせてはならない。
 心の中で渦巻く不安を抑え込み、今まで通りの態度を貫かなくてはならないのだ。
 呑気に過ごしてきた平和な生活が、みるみるうちに遠ざかっていく。
 無邪気に笑っていられた過去への懐かしさを振り切り、プリシラは足早に歩き始めた。

 建物の中央に設えられた大階段を降り、一階へと出る。
 ちらほらと見える使用人達は、なるほど見知った顔ばかりだった。宮殿の出入り口を守る衛兵までマレット家で雇っていた者らしい。
『ラドクリフ侯爵を覚えているかい? 彼の息子が今、ルーク殿下の側近を務めていてね。うちの娘が殿下の伴侶として王宮に上がることになったと言ったら、色々と融通を利かせてくれたんだ』
 マレット公爵が嬉しそうに話していたことを思い出す。
 侍女が冗談めかして口にした『公爵が娘可愛さに無理を通したのでは?』という台詞は、あながち間違いではないのだ。
 ラドクリフ侯爵は、父がもっとも信頼する友人であり、この国の宰相でもある。
 彼には今年二十一歳になる息子がいる。確か、ジョシュアという名前だった。現在マクファーレン子爵を名乗っている彼は、未婚令嬢の憧れの的だと侍女達が話していた。
 マレット公爵家に仕えている侍女は、基本的に下級貴族の娘だ。宿下がりの際に、親に連れられ社交の場に出ることもある。
 休暇を終えて公爵家に戻ってきた侍女は、休憩時間にそれとなく集まり、パーティでの出来事を報告し合うのが常だった。主人であるプリシラを誘う者はいないのだが、ちゃっかり端に加わってしまえば、追い出されることはなかった。
「ここだけの話」という前置きは、人の口を軽くさせる。
 率直な感想は時に辛辣さと同意義であることを、プリシラは侍女達に教わった。
 特に未婚の青年に対しては辛口なものが多く、好き放題こき下ろされる側が気の毒になるほどだ。
 ところがジョシュア・マクファーレンについては、誉め言葉以外を聞いたことがない。
『切れ長の瞳が素敵』だとか『どこから見ても美形で死角がない』だとか、『とても優秀で、重臣達にも一目置かれている』だとか、彼女達は我先に彼の美点を挙げていく。
 誰もが魅了される完璧な貴公子──そんな男性が本当にこの世にいるのだろうか。
『その方にだけ、やけに点が高いのね。あなた達が子爵から賄賂を貰っていると知っても、私は驚かないわよ?』
 呆れたプリシラが言うと、皆は口を揃えて『お嬢様も実際にお会いになれば分かります』と答えるのだった。
 その貴公子が、マレット家の者で固めた自分の為の宮殿を用意してくれたという。
 いつか会えたら、心からの感謝を伝えよう。そう心に決めたプリシラだったが、その「いつか」は思うより早くやってきた。
 自室から見下ろした時はすぐ近くに感じた中庭だが、かなり遠回りしなければ行けないようになっていた。ようやく辿り着いた頃には、紺色のリボンは影も形もない。
 あれからまた風に飛ばされてしまったのだろうか。時間がかかったのだから仕方ないとは思うものの、どうしても諦めきれず、近くの植え込みや樹木を探し始める。
 茂みをかき分けたり、背伸びして小枝を引っ張ったり。懸命に捜してはみたものの、リボンは見つからない。そろそろ戻らなければ皆を心配させてしまう。
 プリシラが長い溜息をつき、ドレスの裾についた土汚れを払ったちょうどその時。
「──もしかして、君が探しているのはこれかな?」
 背後から柔らかい低音が響いた。
 弾かれるように振り向いたプリシラは、突然現れた青年を見て、大きく目を見開いた。
 真っ先に飛び込んできたのは、切れ長の美しい瞳だ。
 エメラルドを思わせる碧色の虹彩を、濃い紺色が縁どり際立たせている。スッと通った鼻筋と薄い唇とのバランスも完璧だった。近づきがたさすら感じさせる美貌だが、瞳に少しだけかかった長めの前髪が絶妙な色気を醸し出し、全体の雰囲気を和らげている。
 彼の容貌を一言で表すのなら『これまで見たこともない美青年』だ。
「え、っと……ごめんなさい、今、なんと仰って?」
「随分驚かせてしまったみたいだね」
 青年は優しく言うと、左手を差し出してきた。
 大きな手のひらの上に載っているのは、探していた例のリボンだった。
「それは……! ありがとう、あなたが拾って下さったのね」
「やっぱり落とし物だったんだ。状態が良いから、そうじゃないかと思った。これから誰かに預けに行こうとしていたところだよ。その途中で、何かを一生懸命探している君を見かけたってわけ」
 耳に心地よい良い声だ。顔の造形がいいと、声まで美しくなるのだろうか。
 プリシラは心の中で感嘆しながら、リボンを受け取った。
「お手を煩わせてしまってごめんなさい。無くさずに済んでよかったわ」
「よほど大切なものなんだね。すごくホッとした顔してる」
 青年は悪戯っぽく微笑むと、もう一度プリシラに手を差し出した。
「貸して。結んであげる」
 突然の申し出にきょとんとしたプリシラを見て、青年はおかしそうに瞳を細めた。
 完璧な美貌がその一瞬で、甘く優しいものに変わる。
「髪、ぼさぼさだよ。そんな恰好で帰ったら、上役に怒られてしまうんじゃない?」
 どうやら彼は、自分をメイドだと勘違いしているようだ。
 己の恰好を見下ろし、それも仕方ないと納得する。探索に夢中になり過ぎたせいで、ドレスはすっかりよれているし、下ろしたままの髪もほつれてしまっている。
「私は──」
 プリシラ・マレット。マレット公爵家の娘よ。
 そう続けるはずだったのに、何故か言葉が出てこない。
 言いたくない、と咄嗟に思ってしまったのだ。
 青年は腰に長剣を佩いていた。近衛騎士の制服ではなく洒落た上着を羽織ってはいるが、おそらく王宮勤めの騎士だろう。
 目の前にいる娘が『ルーク王子の婚約者』だと知ってしまえば、彼の態度は一変する。恭しく丁寧で、明確に上下の線を引いた振る舞いに変わる。それが当たり前だと頭では理解出来るのに、出来ればこのまま打ち解けた態度でいて欲しいと願ってしまう。
 一度浮かんだ願望は、大きな顔をしてプリシラの心の真ん中に居座った。
「私は、いいわ。そんなことまでさせたら、悪いもの」
「もしかして、私の腕を疑ってる? 大きな口を叩くけど、実は下手なんじゃないかって」
 からかいを帯びた声が頭上から降ってくる。プリシラが遠慮しているのではないかと気を回してくれたようだ。
「……では、お言葉に甘えようかしら」
 せっかくの厚意を撥ねつけるのも悪いと思い直し、リボンを再び彼に渡す。
「うん、いい子。それじゃ、後ろを向いて」
 いい子、だなんて誰かに褒められたのは、数年ぶりではないだろうか。
 胸の奥がむず痒い。言われた通り背中を向けたが、今度は心臓が早鐘を打ち始めた。
 マレット家には、当然男性の使用人もいる。ほどけたブーツの紐を従者が結んでくれることもあれば、馬車の乗り降りで御者の手を借りることもある。若い男性に慣れていないわけではないのだ。それなのに、どうしてこんなに緊張してしまうのだろう。
 相手が目を見張るほどの美青年だからだろうか。
「……あー、だいぶ絡んでるな。さすがに櫛は持ってないんだ。痛かったら言ってね」
 青年は断ると、手櫛でプリシラの髪を整え始めた。
 時折、頭皮を引っ張られる感覚はあったものの、青年の手つきは非常に慎重で、優しかった。しかも慣れているのか、あっという間に広がっていた髪を綺麗に纏め、くるりとリボンで結んでしまう。一連の作業は流れるようにスムーズだった。
「よし、これでいい。久しぶりだけど、上手くいったよ」
 青年はそう言って、一歩後ろに下がった。
 そっと手で触って確認してみる。
 蝶々結びにされたリボンは、侍女が結ぶものと同じくらい綺麗に整っていた。
「すごいわ……! 本当にありがとう。騎士様だと思ったのだけど、本当は髪結い師だったりしない?」
「しない、しない」
 青年は、ふは、と噴き出し、気持ちの良い声で笑った。
「でも、そうだな。騎士ではないけれど、南の宮の管理責任者として、君の名前を聞いておこうかな? ここは新しい王妃様の為の宮殿だよ。たとえ王宮で働いているとしても、マレット家以外の者は立ち入ったら駄目なんだ」
 笑い収めると、彼はそう言ってプリシラの返事を待った。
「……管理責任者?」
「そうだよ」
「では、あなたが、ラドクリフ侯爵様のご子息なの……?」
 信じられない思いで問い返す。
 目の前の気さくで親切な青年が、例の完璧な貴公子と上手く結びつかない。
 確かに『切れ長の瞳は素敵』だし、『死角のない美形』ではあるが、完璧な貴公子という言葉には、高嶺の花的なツンと澄ましているイメージがある。
「ああ。はじめまして、小さなお嬢さん。管理者と聞いてすぐに私の名が浮かぶのなら、少なくともよそから迷い込んだのではないね」
「私は小さくないわ!」
 驚愕のあまりポカンと開いていた唇をきゅっと結び、抗議する。
 社交界にデビューしていないからといって、子ども扱いをされるのは心外だ。
「そうなの? てっきり妹くらいの年なのかと」
 青年がわざと目を丸くする。
 プリシラはむう、と眉間に皺を寄せたまま問い返した。
「妹さんはお幾つなの?」
「今年、九つになった」
「そんなわけないじゃない!」
「ふふ、からかってごめんね。くるくる表情が変わるのが可愛くて、つい。もちろん冗談だよ。勤めに出ているんだから、十六にはなってるよね」
 可愛いという台詞に、今度は頬が熱くなる。
 彼の言う通り、青くなったり赤くなったり、自分の面相はさぞ面白いことになっているのだろう。
 だが、続けて言われた『勤めに出ている』というくだりで、プリシラは後に引けなくなった。今更、自分が宮殿の主だとは言い出せない。
 青年は邪気のない笑みを浮かべ、こちらの返事を待っている。
 プリシラは悩んだ末、嘘とも本当ともつかない言葉を選んだ。
「私は、十五よ。マレット家の者だから、安心して」
「それならよかった。今は休憩中? 私とここで話していて、誰かに怒られたりしない?」
「……しない、と思う」
 即答しなかった理由を何と勘違いしたのか、ジョシュアの眉が曇る。
「君の上役のところへ一緒に行こうか。私がつい引き留めてしまったのがいけなかったと話すよ」
「い、いいえ。大丈夫! みんなとっても良い人だし、怒られたりしないわ」
 慌てて両手を振る。
 メイドのところへ連れて行かれたら、一瞬で素性が露呈してしまう。
 どちらにしろ半月後の結婚式、いやもしかしたら来週の顔合わせで、彼は今話している娘が誰なのか知ることになる。
 それまででいい。少しでも長く、他愛のないやり取りを楽しんでいたかった。
「でも、なかなか帰ってこなくて心配してるかもしれない。そろそろ行くわね。今日は本当にありがとう」
(宮殿を用意して下さったことにも、深く感謝します)
 心の中で付け加え、丁寧に膝を折る。
「分かった。もうリボン、落とさないようにね」
「ええ。さようなら、マクファーレン様」
 青年は優しく微笑み、小首を傾げた。
「ジョシュアでいいよ。君のことは、なんて呼べばいい?」
 まるで妹を見るような温かい眼差しに、胸が痛くなる。
 彼は『冗談だ』と言ったが、小さな妹の面影を自分に見ているのだろう。もしかしたら、髪や目の色が同じなのかもしれない。もしくは、地味な顔立ちが似ているのかも。
 今度もし会えたら、その時まだこんな風に話せていたら、そのことも聞いてみよう。
「リラ、よ」
 とっさに出てきたのは、自分の名をもじったものだった。
「いい名前だ。じゃあね、リラ。仕事頑張って」
 最後までこちらを疑う素振りはなく、彼は踵を返した。
 遠ざかる背中を見送ってから、プリシラも歩き出す。
 ジョシュアとのやり取りをぼんやり思い返しながら歩いたせいだろうか。行きとは違い、あっという間に自室にたどり着いた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ああ、リボン、見つかったんですね」
「ご自分で結んだんですか? とても綺麗に結ばれましたね」
 侍女やメイドはプリシラの帰還に気づき、一斉に顔を明るくした。嬉しそうな様子で口々に話しかけてくる。
「そうなの、見つかってホッとしたわ」
 彼女達の問いに律儀に答えていくプリシラだったが、自分で結んだのか、という質問には答えることが出来なかった。
 今日はもう、沢山嘘をついた。
 これ以上は心が重くなり過ぎて、浮上出来なくなってしまう。
「なんだか疲れたわ。休憩してきてもいい?」
「もちろんです! 寝室はすでに整えてあります。少し休めば疲れも取れましょう」
「ありがとう」
 メイドの手を借り、ドレスから部屋着へと着替える。
 リボンを解こうとしたメイドの手をそっと押さえ、プリシラは首を振った。
「これは取らないで。そのまま休むわ」
「はい。でも、頭が痛くなったりしないでしょうか? やけにきっちり結わえてありますけれど……」
 ジョシュアはこれからプリシラが働くと思っているようだった。簡単には解けないよう、きつめに結んでくれたのだろう。
 親切な気遣いにほっこり胸が温まる。
「大丈夫よ。痛くなったら、自分で解くわ」
「分かりました。では、失礼致します」
 メイドが下がり、広い寝室に一人残される。
 公爵家で使っていた寝室も豪華だったが、桁が違う。
 寝台の脚や天蓋を支える四柱に施された意匠は驚くほど細やかで、使われている素材も高価なものばかりだ。
 すべらかな絹のシーツに、羽根のように軽い上掛け。
 それらを肌で感じながら、ゆっくり横たわる。
 新たな王妃の為に用意されたあらゆる贅沢を、プリシラはただ受け入れるしかなかった。

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